Angels Cry log.10

#10  『Aces High』

 

ブロンコは操縦席に座ると、密閉式風防の取っ手を掴んだ。
力を込めて前進させるが、風防が閉じる気配は無い。
見かねた整備員がタラップを登り彼に手を貸した。

「・・・やはり止められた方がよろしいかと。その体では飛行に耐えられるかどうか・・・。」

整備員は小声で言った。
ブロンコは彼に微笑むことで柔らかくそれを拒否した。
そして閉じた風防の向こうから、下がるよう合図する。

機体の周りから人が退去したことを確認すると、彼は生体機関制御盤の電源を入れた。
循環器、第一機関、第二機関、ヘ式機関の順にトグルスイッチを上に上げる。
両翼の生体機関は目覚めると、小さく不満な声を漏らした。

「・・・ごめんな。でも彼は私を認めてくれたよ。」

ブロンコは機関に語りかける。

機体の持ち主であるヴァラ准尉は、先日の重巡との戦闘で肩を負傷していた。
それから容態は安定していたのであるが、数時間前に危篤状態へ陥った。
医務官は彼の動脈に入っていた非常に小さな榴弾の破片を見落としていたのだ。

御互いの空戦体験について話をしていた最中であった。
寝台に横たわっていた彼は、突然ブロンコの袖を掴んだ。
「ヤエルを頼みます」と呟き、やがて意識を失った。
事切れるのは時間の問題であった。

「ヤエルというんだな。いい名前をもらったじゃないか。」

操縦桿の遊びを確かめながらブロンコが言った。
戦闘機は搭乗者が自分の名を知っていると分かると、嬉しそうに操縦桿に反応を返した。

「恐らく生きては戻れない・・・。それでも飛んでくれるか?」

機関は肯定の意を示すよう、僅かに出力を上げた。
その落ち着き払った態度から、彼女は相棒の死期が近いことを悟っているように思われた。

「・・・ありがとう。そして、すまない。」

半開きになっていたスターンゲートが完全に上昇した。
飛行甲板が月光に照らされ、荘厳な鈍い反射光を放っている。

この景色を見るのは何年振りであろうかと一瞬考え、9年前に帝都防空軍で展示飛行をした時が最後であることを思い出した。
長らくそこに勤めた彼にとっても、飛行を目前にしたこの時間は興奮に満ちたものであった。

発艦経路上に人や障害物が無いことを何重にも確かめると、彼は左手でスロットルレバーを僅かに前へと押し出した。
グラザランカは静かに格納庫の床から浮上した。
そして着陸脚を翼に格納する。

右を見やると、戦闘艇の周りに居る傭兵達がこちらに手を振っているのが確認できた。
小さく敬礼しそれに応える。

深く息を吸い込み、目を閉じた。
故郷である帝都の産業塔からの景色、弟、両親、そして幼き日のユーゲンの顔が脳裏をよぎる。

やがて目を見開き、推進方向制御ペダルを左足で踏んだ。
同時にスロットルレバーに付いたヘ式機関の調整桿を握り込む。

とてつもない加速度が体を座席の緩衝板に押し付ける。
衰えた腹筋に力を込め、上体を無理やり傾けることでそれに対応した。
甲板が一瞬で消え、星々の輝く夜空が風防越しの視界を支配する。

高揚感が体を心地よく巡ったが、それは後方で発生した閃光にかき消された。
素早く操縦桿を倒し、機体を旋回させる。

異様に高速で飛ぶ影が3つ、フレイアの艦橋に砲撃を加えているのが見えた。
艦の上方では同じ形の影が2つ、急降下爆撃の体勢を整えつつある。

先を飛ぶ1機に照準機のレティクルを合わせ、推力を全備出力まで上げた。
高速で接近しながら十分に偏差を取り、操縦桿の引鉄を引く。

振動と共に、火薬の匂いが操縦席に充満する。
曳光弾は一発もベルトに混ぜられていなかった。
ヴァラの奇襲を主とする独特な攻撃法には必要が無かった為である。
それでも長年の操縦で培われたブロンコの空中射撃力は、無防備なギズレッツァの浮遊機関を撃ち抜くには十分であった。

命中を確信すると、そのまま爆撃を中断した2機目へと機首を向けた。

水平飛行に移行されればとても追いつけないことを、先程砲撃していた3機の様を見てブロンコは感じ取っていた。
敢えてわざと照準を逸らして射撃し、敵を牽制する。
案の定ギズレッツァは旋回機動に移行し、面積の広い上面をこちらに向けた。
その予測進路を撫でるように射線を動かしつつ射撃する。

機首の2門の15mm機銃から放たれた無数の徹甲焼夷弾は、ギズレッツァの左翼の付け根に連続した弾痕を穿った。
リベットや溶接部が粉砕され、やがて自らの速度に耐えられず機体はその翼をもがれた。
安定を失ったことによる異常振動は、右翼に残っていた爆弾の信管を刺激してしまった。


爆発の閃光は、照明の消えた艦橋内をも明るく照らした。

「・・・誰が乗っている!?今すぐ呼び戻せ!」

ハンが頭上で飛ぶグラザランカを睨みながら通信手に怒鳴った。
突然、一人の整備員が息を切らしながら指揮所に飛び込んできた。

「あれはブロンコ大佐です!止めたのですが・・・」

ユーゲンは大きな溜息と共に自分のこめかみを押さえた。


遠方で旋回していた3機がこちらへ機首を向けるのが見えた。
互いに距離を取りながら、斜一線隊形で正面より接近してくる。

ブロンコが若き日に相手をしていたユーフーやセズレとは比べ物にならない速さで、それらは視界の中で大きくなっていく。
操縦桿を左後方に倒し、方向舵を右足で強く踏み込んだ。
グラザランカは大きく螺旋を描くように横転した。
ギズレッツァ達の放った機関砲弾は、その螺旋の中央を抜けていく。


『糞ッ・・・。サダム、エヴレン!一度距離を取れ!私が奴をお前達の射線に駆り出す。』

高速でグラザランカと擦れ違った後、連邦の女性操縦士は僚機に無電で命じた。
すかさず2機は編隊を解き、分散ながら上昇していく。


1機のギズレッツァが旋回によって速度を殺しつつ、こちらへ接近してくる様子をブロンコは後方鏡に認めた。

やがて機首から機銃の発砲炎が発せられるのが見えた。
曳光弾の明るい線が空を切り裂きながら、風防を掠めていく。
挙動を悟られぬよう、ブロンコはほんの少しだけ方向舵を左へと踏んだ。

『・・・小賢しい。あまり私を舐めるなよ貴様。』

火線が敵機の右へと逸れていく事に、女性操縦士は素早く気づいた。

連邦の戦闘機乗りの多くは、方向舵による照準調整を苦手とする。
水平機動において、浮遊機関と動翼の同期を把握するのが容易ではない為である。
彼女は幾度と無く参加したヒグラート渓谷上空戦にてそれを克服していた。

一向に背中や腹を見せようとしないグラザランカをレティクルの右端に捉え、引鉄を引いた。


ブロンコは大きな振動と共に、風防に自らの血が大量に付着するのを見た。
生体機関は小さな悲鳴を上げている。
右翼には弾痕が幾つか見えた。

声には出さず、戦闘機に優しく語りかけ安心させる。
やがて機関は落ち着きを取り戻し、操縦桿の反応は正常なものとなった。
対してブロンコは自らの息が荒くなり、視界は少しずつ霞んでいくのを感じた。

後方のギズレッツァがやや高度を上げ、こちらへ機首を向け直している。
風防越しに、左上方から接近する残りの2機の姿も認めた。

「・・・用意はいいか?私も久しぶりだが・・・」

戦闘機はしっかりと肯定の意を操縦系統に伝えた。
ブロンコは満足そうに微笑んだ。

唐突に操縦桿を引いた。同時に推進方向制御ペダルを左足で蹴り飛ばす。

進行方向はそのままに、機首が勢いよく上を向いた。
背骨が圧縮され、軋むのを感じた。
霞んだ視界はより狭く、暗いものとなる。

色を失った光像の円に、先程まで後上方にいたギズレッツァの腹が重なる。
距離にして15m。偏差を取る必要は無かった。
ブロンコは親指で操縦桿のボタンを強く押し込んだ。
鈍い金属音が桿の中で立てられたかと思うと、とてつもない轟音と振動がブロンコを襲った。

放たれた対艦榴弾はギズレッツァの胴体に突き刺さり、その操縦席で炸裂した。

大きな爆発により大量の金属片と浮遊機関の部品、操縦士の肉辺が飛散した。
一撃離脱を試みていた残りの2機はその爆煙に飛び込んでしまった。
その内1機は隊長機の機首の残骸に衝突し、煙の中でもう一つの爆発を発生させた。

爆煙を抜けた最後の1機が、煤で汚れたその機体をグラザランカへ指向した。

『・・・死ね。この悪魔め。』

急な機動により速度を失ったグラザランカは無防備な姿を晒していた。
機関の血に塗れ金属片が幾つも機体に刺さったその有機的な姿は、この世のものとは思えない禍々しさを放っていた。

突如ギズレッツァの浮遊機関が、軽巡より発せられた青白く細い光線に貫かれた。
閃光と共に発光体を崩壊させ、機体は下界の河川へと堕ちていく。

 

『・・・しろ!聞こえているのか!?』

無電の受信機からユーゲンの声が聞こえた。
震える指で送信機のボタンを押し、それに応える。

「聞こえて・・・るぞ。無事だったか。」

気管に血が溜まっているのか、うまく声を出せない。

『今すぐ戻って来い!敵艦が迫ってる!』

北東を見やると、確かに幾つかの点が浮かんでいるのが見えた。
その中に、明らかに他の艦とは形の違う影を見た。

「・・・エルヴィラ。よく聞け。私の・・・肺は破れてる。出血も激しい。」

『だからどうした!。早く着艦しろ。』

ブロンコは軽巡の艦橋を一瞥し、目を細めた。

「私はもう助からない。だが・・・お前は死なせない。ユーリとの約束なんだ。」

徐にグラザランカの機首を北東に向けた。

『おい・・・。馬鹿な真似はよせ!』

そのまま推力を上げ、加速する。

『頼む・・・。お前がいなければ私は・・・。』

受信機からユーゲンの涙声が聞こえる。
ブロンコは微笑んだ。

「大丈夫だ。お前は強い。・・・這ってでも生きろ。」

ブロンコはそれだけ言うと無電の電源を切った。


静かになった受話器を通信手に返し、ユーゲンは懐から煙草を取り出した。
しかし箱から中身を出すことは無く、それを再び懐に戻した。
そして北東へと高速で飛び去ってゆく戦闘機を睨みつけた。


『さっさと堕とせ!御託はいらん!』

戦艦ジッカスの第2艦橋指揮所で砲雷長は怒鳴った。

『時限信管の調整が追いつきません!目標の後方で炸裂しています!』

対空機関砲の管制室へと続く伝声管から砲術長の声が聞こえてくる。

『ふざけるな!それをなんとかするのが・・・』

突然艦橋の前にあった2つの主砲塔が火柱を上げ吹き飛んだ。
艦橋基部も被弾したのか、大きな振動が指揮所を襲う。

『軽巡からの砲撃です!リコゼイ砲を使っています!』

船員が叫んだ。

倒れたままの砲雷長は、正面から接近する1機の戦闘機を見た。
その動きからは感情のようなものは何一つ感じられない。
慣れた仕事であるかのように、無駄の無い挙動でまっすぐにこちらへと向かってくる。

グラザランカが艦橋の真上を通過する瞬間、砲雷長にはその操縦席に座る男の顔がはっきりと見えた。
眼鏡の奥の瞳には一切の迷いは無かった。
ただ、為すべき事を為せるというような喜びだけが感じられた。


「敵艦減速。機関出力が低下しています。・・・停止しました。」

フレイアの指揮所にて電探手が報告した。
指示器に映る光点は、先程までの輝きを失っていた。

「リアクター・コアが炎上しています。このままいけば撒けるでしょう。」

双眼鏡を覗いていたハンがユーゲンに言った。

「そうか・・・。」

ユーゲンは呟き、指揮所を出て行った。

 

ジッカスの後部甲板――リアクター・コア周辺はさながら地獄のようであった。

大火傷により皮膚を剥かれた船員、無数の金属片が顔に刺さった砲兵。
爆発によってその残骸と炎を撒き散らした特殊な浮遊機関は、化け物の唸り声のような駆動音を轟かせていた。

『機関の復旧は後回しでいい!負傷者を助けろ!』

ガリナス・ハン提督は周りに怒鳴った。
自らも近くに居た負傷兵に手を伸ばす。
千切れた動力伝達管に、半ば押し潰されつつあった1人の機関整備兵を引っ張り出した。

『光栄です・・・!感謝します提督!』

担架で運ばれながら、その負傷兵はガリナスに敬礼した。
答礼によりそれに応える。

ガリナスは伝達管の傍に、何か光るものを認めた。
歩み寄り、それを拾い上げる。

金属製の眼鏡の枠であった。
熱により変形し、レンズは無くなっている。
その左側の蔓の外面には、小さく帝国紋章が彫られていた。

『・・・素晴らしい。』

眼鏡と炎上するグラザランカの残骸を交互に眺めながら、ガリナスは呟いた。

東の空は白みはじめていた。

 

 

 

 

最終更新:2017年03月02日 01:50