Angels Cry log.11

#11  『The Game』
 


「・・・少佐!ホフマン少佐!」

船室の扉が叩かれる音で男は目を覚ました。
目脂を取り払い、大きく欠伸をする。

丸い船窓に切り取られた空は黄昏の光を放っていた。
寝台から立ち上がり、洗面用の器のあるテーブルへと歩く。
乱れた髪をある程度整え、唇を舌で湿らせると男はようやく扉の方を見やった。

「先ずは名乗るのが礼儀ではないのかね?」

そう冷たく言い放つ。

「・・・大変失礼致しました!ヴァイカート一等兵、入ります!」

扉の向こうから畏まった声が響く。

「入れ。これだから兵隊は・・・。」

男は呟いた。

「ヴァイカート一等兵は報告があり参りました!」

部屋に入り姿勢を正すと、兵士は大声で言った。

「簡潔に言え。何だ?」

「耳目省特派かっ・・・訂正。特派艦隊所属の軽巡が会合点に到着しました。」

「見下げた奴だ。報告すらロクにできんのか。それに・・・声に敬意が感じられん。」

男は窓の外を眺めながら言った。
兵士は黙って男の喉元を見つめている。

「・・・おい、何故メモを取らない?たった今私の言ったことを記せ、ほら。」

「申し訳ありません。今すぐ・・・。」

兵士は胸ポケットから取り出した手帳に拙いクルカの落書きをすると、それを仕舞った。

「記入、終わりました。」

「よし・・・。連絡機の準備をするよう伝えろ。すぐに向かう。」

男は伸びをしながら言った。

「了解。用件を終え戻ります。」

兵士は部屋から出て行った。


男は戸棚から制服の上衣を取り出した。
寝間着を脱ぐと、既に椅子に掛けてあった下衣を穿いた。
ベルトのバックルには帝国紋章が派手に彫られており、金色に輝いていた。
そして上衣を羽織り、戸棚の扉に吊り下げられた小さな姿見を覗いた。

「・・・おっと、忘れるところだった。」

男は誰ともなしに呟くと、襟についていた2組の徽章を外した。
そして下衣のポケットに入れてあった銀色のものを1組新たに取り付けた。


フレイアの飛行甲板の縁には傭兵達が屯していた。
リシェクとカイは煙草を咥えながら、右舷で併進するアルバレステア級巡空艦を眺めている。

「綺麗な船だな。あれ。」

カイが呟いた。
近衛艦隊所属とあってその船体には錆一つ見られず、確かに優雅な姿ではあった。

「いくら綺麗でも軍艦は軍艦だ。汚ったねぇ企みと欲の産物なんだよ。」

リシェクが煙を吐き出しながら言った。

連邦第4艦隊を振り切ってから3日。
散発的に出現する敵の偵察機隊や悪天候と戦い続け、ようやくフレイアは近衛師団戦線派遣隊との会合点に到着した。

傭兵達はその間、一度もユーゲンの姿を見ていない。
口には出さないが、皆それが気掛かりであった。

「・・・あの男は死ぬべきじゃなかった。」

ダレルが口を開いた。
その目には若干の憤りと悲しみが浮かぶ。

「あんたやけにあのハゲ大佐を買ってるな。何かあったのか?」

カイがその目を見て彼に言った。
ダレルは答えず、黙って虚空を見つめている。

格納庫からこちらへ向け女性職員が歩いてくるのが見えた。
その顔には疲労が色濃く表れており、足取りは重かった。

「本部の偉いのが今から来るわ。中に戻ってて。」

職員はそれだけ言うと戻っていった。

「待機だけで済んだ俺達は幸せ者だね。」

その後姿を眺めながらマイヤーが呟いた。


アルバレステアから飛んできたグランビアはフレイアの上空でホバリングに移行した。
そのまま異様にゆっくりと高度を下げ、飛行甲板に降り立った。
複座の観測機型であった。
操縦士を残し、一人の若い将校が後部座席より降りた。
制服の皺を伸ばし飛行帽で潰れた髪を手櫛で整えると、彼は格納庫へと歩いてきた。

「・・・ぶち殺したくなる面だな。」

戦闘艇の翼の下にいたリシェクがその様を見て呟いた。

「間違いなく貴族出ね。ザクセンと同じ匂いがする。」

傍らのレフラが答えた。

格納庫の奥にある扉が開き、ユーゲンが数人の職員と共に入ってきた。
黒のコートに編み上げの長靴という見慣れた格好である。

「久しぶりだなユーゲン大尉。元気そうで何よりだ。」

将校は彼女の姿を見て言った。
ユーゲンは無表情に男の仕草を眺めていた。

「・・・大佐の件は聞いた。心中を察するよ。まぁ、彼も歳・・・」

「用件を言え。」

ようやくユーゲンが口を開いた。

「・・・全く。相変わらず愛想が悪い。あいつはどういう教育をしてたんだ?」

将校はある程度は慎ましかったその態度を急変させた。
ユーゲンは黙ったまま男の襟元を見ている。

「まぁいい。これを見てくれ。」

将校は提げていた図嚢から一枚の文書を取り出し、ユーゲンに渡した。

「ワリウネクル国保委の報告書だ。奴らが『学者』の存在に感づいた。」

ユーゲンは彼の声には耳を貸さず、ただ書類に目を通している。

「あの腹黒い連中の手に奴が渡れば、とんでもないことになるのは目に見えてる。」

将校は構わず話し続ける。
ユーゲンは文書の一節に目を留めると、僅かに口元を緩ませた。

「そこでだ・・・。本部から君への命令がある。」

将校は図嚢からまた文書を出した。

「最近、連邦陸軍で兵士の失踪が続いていたのは知ってるな。」

ユーゲンは尚も将校に答えようとはしない。

「何とか言ったらどうなんだ・・・。とにかく、連日の通信記録から我々2課は『学者』の動きをある程度把握した。」

将校は文書の右上にある地図を指差した。

「あいにく状況が急変したからな。奴もそれを察知しただろうし、このまま事が運ばない可能性もある。だが最初の目撃以来、西進を続けているのは確かだ。」

そのまま地図を横切るように引いてある線を指でなぞる。

「ここから東北東に700km。着底した艦たちに乗っていた連邦の一個大隊が陣地を構築しつつある。我々は奴がそこに現れると踏んだ。」

将校は文書の左下、兵力算定図のある箇所を示した。

「既にウチの精鋭が捕獲に向かっている。君には支援を頼みたい。」

ユーゲンは僅かに眉をひそめた。

「どうした、密林は嫌いか?まぁ御婦人が行くようなところじゃないか。」

男は顔を不快にニヤつかせながら言った。

「詳細は書いてあるが・・・、念を押しておく。絶対に奴を殺すな。あくまで捕らえるんだ。」

将校は踵を返し、スターンゲートへと体を向けようとした。

唐突に、ユーゲンはその膝に蹴りを入れた。
間接が有り得ない方向に曲がり、折れた骨が制服を突き破り飛び出した。

駄々をこねる子供の様な情け無い叫び声が格納庫に轟く。
周囲の人間は特に驚いたような反応は見せず、のた打ち回る将校をただ眺めていた。

ユーゲンはその背中を踏みつけながら消音拳銃の銃口を彼の後頭部へ向けた。

「・・・襟の穴は埋めておくべきだったな。いつからキチガイ共の狗になった?」

そのまま背中に乗せた脚に力を込める。
肋骨が軋み、割れる音が小さく響いた。
呻き声に混じり、すすり泣くような声が将校の口と鼻より漏れる。

「てっ・・・テクノクラートはキチガイじゃない!彼等こそが帝国の繁栄の・・・あぁぁああ!!」

ユーゲンは喋り始めた将校の左手を拳銃で撃ち抜いた。
指が3本程吹き飛び、断面から血が流れ出る。

「それにしてはやけに雑な捏造じゃないか。ワリウネクルは記録に長音符は使わん。本部の戦争狂共は騙せたかもしれんがな。」

将校の顔は涙と汗で酷い有様になっていく。

「言っておくが、あの化け物は誰にも飼い慣らせんぞ。変態共はそれすらも分からんらしいな。」

ユーゲンは脚を将校の背から下ろし、今しがた撃った左手を踏んだ。
今度は発情期の雄クルカのような異様な声が将校の喉から発せられた。

「せせっ、戦況は悪化してる・・・!我々には打開策がっ・・・・必要なんだ!貴様には愛国心というものが・・・」

「無いな。そんなものは無い。私はただ生き残りたいだけだ。いや、生きねばならない。」

ユーゲンはそのまま左手を踏みにじりながら、将校のうなじに銃口を押しつけた。

「分かった・・・、分かりました!・・・頼む・・・もう、許して・・・。」

「見下げた奴だ。命乞いすらロクにできんのか。」

吐き捨てるように言いながらユーゲンは引鉄を引いた。


死体が痙攣を止めたのを確認すると、ユーゲンは飛行甲板に駐機されたグランビアへと手を振った。
搭乗員が操縦席から飛び降り、走り寄ってくる。

「近衛師団飛行第26戦隊、キトール・バイマン曹長であります!」

搭乗員はユーゲンの前で不動の姿勢をとった。

「あぁ、楽にしてくれ。こいつを知ってるな?」

足元の死体を指差した。

「はい。ハンス・ホフマン少佐、耳目省本部から派遣されたと聞きました。」

「そうだ。所で、お前はこいつをどう思う?正直に答えてくれ。」

搭乗員は少し思案し、やがて大声を張り上げた。

「オデッタの土くれ以下の豚野郎であります!」

ユーゲンは随分と長く笑った。

やがて涙を拭きながら搭乗員に向き直った。

「それで、こいつは何故ここで死んだ?お前が考えてくれて構わない。」

「そうですね・・・。こいつはアーキルへの亡命を企てた国賊でした。それを見抜かれてしまい、金玉可愛さに取引を申し出たところを正義感溢れる貴方がたに処刑された、というのは?」

「・・・中々良いな。だがそれには物証がいる。カイ!来てくれ。」

ユーゲンは戦闘艇にいたカイに呼びかけた。

「何か持ってないか?小銭でも何でもいい。」

カイはポケットや雑嚢をまさぐった。

「おっ。こいつなんかは?御守りに入れてたんです。」

カイは一枚の古ぼけた紙切れをユーゲンに渡した。
ラオデギアの娼館の入場券であった。

「上出来だ。近衛艦隊にはお前が報告して欲しいんだが、頼めるか?」

紙切れを搭乗員に渡すとユーゲンは言った。

「お任せ下さい。死体はどうしましょう?」

「必要あるまい、後で捨てておく。面倒をかけたな。」

「とんでもありません!またこのパルエから蛆が減ったかと思うと嬉しい限りです。」

搭乗員は元気に答えた。

「・・・気に入った。近衛艦隊をクビになったらウチに来るといい。」

ユーゲンは満足げに微笑みながら言った。

「光栄です!それではまた、いずれ。」

搭乗員は踵を返し、駆け足でグランビアへと戻っていった。


「・・・幾らなんでも雑すぎるだろ、入場券とか。」

一部始終を眺めていたマイヤーが呟いた。

「どうしたよ?」

リシェクが彼に振り向いた。

「だって一応あいつも耳目省なんだろ?それに、テクノなんたらに報復されるかも・・・」

「それは無いわ。」

後ろにいた女性職員が唐突に口を開いた。

「何で言い切れるんだ?」

マイヤーが訝しげに尋ねた。

「技術省は実働部隊を殆ど持ってない。それに・・・耳目省内部の分裂は珍しいことじゃないのよ。」

「日常茶飯事とでも?」

「元々一枚岩の組織じゃないから仕方ないの。今年だけで4人は死んでるわ。『学者』の処遇でも一悶着あったんだけど・・・連中に漏れてたとはね。」

「まぁ、技術屋連中は欲しがるわな。」

リシェクが言った。

「そう。奴は旧文明技術の結晶だから。しかし・・・よりによって2課に取り入るなんて、予想もしなかったわよ。」

職員は大きく溜息をついた。

「参ったな。ますます分からない国だ、ここは・・・。」

マイヤーは数分前まで将校だったものを眺めながら呟いた。


「あー、諸君。面倒事が増えた。帝都へ戻るのはもう少しお預けだ。」

ユーゲンは職員や兵士達を見回しながら言った。

「2課の手先共が『学者』を見つける前に我々が奴を殺す。」

話し続けるユーゲンをよそにダレルは俯き、必死に何かを思案していた。

「おっさん、落ち着け。ゴタゴタは慣れっこだろうが。」

リシェクは彼の肩を軽く叩いた。
それでもダレルは自分の半長靴の爪先に充血した目を向けるのを止めようとはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最終更新:2017年03月09日 04:07