Angels Cry log.13

#13  『Temple of Hate』


初めに目に入ったのは、まるで凹凸の見られない石材のような何かで構成された塔の群れであった。

「灰の海」で見た摩天楼とは比べ物にならない高さを持つのか、今いる位置からはその基部を認めることはできない。
レフラはこの時初めて自分がそういった塔の一つの頂上にいることを認識した。
足元の床は広大な一枚のセラミックで出来ており、幾何学模様が至る所に描かれていた。

「・・・ここにいたのかい、ガラティア。ようやく見つけたよ。」

目の前にいる老紳士はレフラに言った。
その瞳には言いようの無い喜びが湛えられていた。

レフラは何も答えることはできなかった。
ガラティアという名前に聞き覚えは無い。
それにも関わらず、老紳士がその名前を知っていることに対して自分が安堵を覚えているのを感じた。

「さぁ、こっちへ来なさい。あれから色々な事があった。」

レフラの足は動かなかった。
自分の中の何かが必死に老紳士に歩み寄ろうとしているのを感じてはいたが、辛うじて保っている自我によって無理やりそれを抑え付けていた。
震える腕で小銃を彼に向けようとしたが、体の前にそれは無かった。
代わりに左腰に吊っていた銃剣を抜き、順手にそれを構える。
老紳士の顔に困惑と悲しみが浮かぶのが見えた。

「どうした・・・、何が気に入らないんだ?ようやくこの苦しみから全てを解放できるというのに・・・。」

老紳士は言った。
レフラは前回までの夢とは違い、今は空がはっきりと見えていることに気付いた。
その色は雪よりも白い、全く切れ目の無い純白であった。
雲に覆われているのでは無いことは直感で分かった。
太陽や星は見えなかったが、それ自体がぼんやりと淡い光を放っていた為視界ははっきりとしていた。

「じゃあ何故君は死んだ!?このままでは何一つ報われない!」

老紳士は声を荒げた。
レフラは膝の関節を曲げ、態勢を整える。

「もう私は耐えられない!何世紀待ったと思ってる?君だってこんな世界・・・」

老紳士の怒声は、突如近くて轟いた銃声によって掻き消された。


レフラは我に返った。
白を基調とする幻惑的な景色は消え去り、生体暗視眼鏡の蒼みがかった像が再び視界を支配する。

15m程先に立つ「学者」の右手に何かが握られているのが見えた。
やがてその黒い塊を後ろに放り、こちらへゆっくりと歩き始めた。
不発だったのであろう対生体擲弾は、地に落ちると泥の中にその弾体をうずめた。

右を見やると、うつ伏せに倒れ呻き声を上げているリシェクの姿が見えた。
右手には小銃の握把が握られており、消炎制退器からは薄く煙が上がっていた。
彼の奥にある一本の立ち木にはユーゲンが力なくもたれ掛かっている。
「学者」に向け発砲しようと試みたようであるが、結局消音拳銃はその震える手からこぼれ落ちた。

周りの藪や木々の陰にいる連邦兵達も同様であるようで、耳を澄ますと四方八方から呻き声や小さな悲鳴が聞こえた。
足元にいるダレルは死んだように動かない。

「学者」は向きを変え、ユーゲンとリシェクの方へと足を進めた。
そのまま倒れたままの兵士の背中を眺めると、外套の内ポケットに入れていた小さな拳銃を取り出した。
レフラはそれに見覚えがあった。
かつて夢の中の老紳士が自害に使おうとしたものである。
異様に短い銃身は大凡鉛弾を撃ち出す為のものでは無いように思われた。
「学者」はその側面に彫られている文言を黙読していたが、やがてリシェクの後頭部へと銃口を向けた。


「・・・そのまま動くなよ。頼む。」

マイヤーはレティクルの逆V字を、さながら作り物のような白い顔に合わせた。
3kmは離れていたが、生体照準眼の優れた分解能は一切の歪みを発生させることなくマイヤーの右目に像を与えた。

突然レティクルが震えだし、二脚が軋む。
マイヤーは目を閉じ、必死に呼吸を安定させようとした。
弾は手元に3発あるが、再装填には20秒以上掛かるため実質これが唯一の機会であった。
そのプレッシャーは彼の脳を圧迫し、腕のブレは止もうとはしない。

マイヤーは外部からの刺激を消し去ることに努めた。
ニヂリスカの荒涼とした風景を脳裏に浮かばせる。
実家が飼っていたオコジョが隣の家のクルカを踏んでしまったことを思い出した。
父があるオデッタ人から盗んできたものだが、気性は荒く特にクルカとは犬猿の仲であった。
胴体が完全に潰れ、死んでいるのは誰の目にも明確であったが、そのクルカは翌日何事も無かったかのように現れオコジョの飲み水に吐遮物を混ぜていった。

自分の口角が上がり、呼吸が安定するのを感じた。
逆V字はもう震えてはいなかった。
そのまま標的の平らな額に頂点を重ね、ゆっくりと引鉄を引いていく。
遊びが殺され、引鉄室部の中で逆鉤が他の部品と擦れる音が聞こえた。
引鉄が一瞬動きを止めたのを確信すると、マイヤーは軽く、だが確実にそれを最後まで押し込んだ。


「学者」の頭が大きくのけぞった。
同時に青黒い液体が大量にその後頭部から噴出する。
セラミック片が衝撃波により粒子となってそれに混じっているのが見えた。
一瞬遅れ、飛翔体の軌跡をなぞるように稲妻の様な眩い光線が走る。
子供に弄ばれる人形のような様で、「学者」の鎧のような体が後ろへ吹き飛んだ。

「・・・ぶはぁっ!畜生が!」

倒れていたリシェクが体を地面から起こした。
戦闘服の前面は染み込んだ泥で凄まじい色へと変わっている。
そのまま小銃の先に銃剣を取り付けた。
ユーゲンも拳銃を拾い上げ、スライドを引いて付着していた泥を弾いた。

「止めだ、化け物。」

ユーゲンは先程リシェクが放った不発の擲弾に狙いを定め、引鉄を引いた。
直径9.4mmの弾丸は寸分違わず擲弾の着発信管を射抜いた。
仰向けに倒れた「学者」のすぐ傍で炸薬が起爆する。
地から剥がされた大量の泥と共に、弾体の破片が四方八方に飛び散った。
「学者」の体がガタガタと震え、外套に幾つもの穴が穿たれるのが見えた。
数個の破片が傭兵達の方向にも飛んだが、それらは掩蔽に使われていた立ち木や岩に突き刺さった。

「死んだか!?」

戦闘帽のつばから垂れる泥を指で払いながらリシェクが尋ねた。

ユーゲンが答える暇もなく、周辺にいた連邦兵たちが射撃を再開した。
無数の銃弾が林を飛び交い、発砲音に混じり空間が切り裂かれる不快な音が響き渡る。
ユーゲンとリシェクはレフラのいる岩陰へ滑り込んだ。

「・・・連中も息を吹き返したな。」

ユーゲンが拳銃の弾倉を交換しながら言った。

「どうすんだよ!?あのクソ人形と一緒に殉職じゃねぇか!」

リシェクは怒鳴りながら敵方に手榴弾を放り投げた。
ユーゲンは黙って岩の上から拳銃を出し発砲を続ける。
鼓膜を破らんばかりの銃声に混じって聞こえてくる連邦語の怒号は徐々に近くなりつつあった。

突然敵の火線の方向が変わった。
林の奥へ向け火力を集中させ始めたようである。
道を塞いでいた機関銃手を跳ね飛ばし、一両の装輪装甲車がそこから姿を現した。
細く頼りない車体は貧弱なサスペンションによって激しく揺れていた。
そのまま後輪を滑らせ、泥を飛ばしながら傭兵達のいる岩の正面で止まった。

「さっさと乗れ!」

運転席からカイの叫び声が聞こえた。
姿勢を低くして掩蔽していた為か、顔は見えなかった。
リシェクとユーゲンはダレルの体を持ち上げ、後部座席に投げ込んだ。
そのまま自分達もそこに飛び込む。
その間も敵の弾は絶え間なくディスガイアの装甲を打ち鳴らしていった。
レフラは隙を見て天井の銃座を介し車内へ入った。

「舌を噛むな!揺れるぞ!」

カイはシフトレバーを捻り、アクセルを思い切り踏み込んだ。
後輪が空転した後、車体が勢いよく進み始める。

「対戦車弾!左!」

レフラが叫んだ。
一人の連邦兵が見慣れない形の発射器を肩に乗せ、こちらにその先を向けているのが確認できた。
リシェクとユーゲンは窓から発砲しようと試みたが、揺れる車内ではそこから銃身を出すことさえ困難であった。

連邦兵は走り去るディスガイアの予測進路に照星を合わせ、発射桿を握り込んだ。
体を内側から叩かれるような衝撃と共に、噴進弾が筒から飛び出す。
とてつもない圧力を伴った炎が後方に吹き出され、そこに生い茂っていた草を燃やした。
しかし弾体の飛翔経路は大きく右に逸れ、先行していた分隊長の背中に命中した。
爆発と共に彼の上半身が消し飛んだ。

煙が収まると分隊の仲間達は射撃をやめ、残った下半身に駆け寄っていく。
元々信頼していた上官でもなかった為、まず兵士の心に沸いて出たのは自分の今後を案じる心配であった。
恐る恐る発射器の側面に彫られた刻印を見る。
そこにはかすれた文字で『リャツカ 043150 パンドーラ』とあった。

『なーるほどねぇ・・・。』

兵士は自分を納得させるように呟いた。


フレイアの戦闘指揮所では、壁に後付された木製の椅子に腰掛けながら女性職員がハンと話し込んでいた。
普段であればユーゲンが寛ぐ時に使う椅子である。
ふと入り口を見やると、廊下を右往左往している老人の姿が見えた。

『どうされました?』

そこへ向け呼びかける。
両手でクルカを抱き、肩から図嚢を提げたガスタヴォ博士がおどおどとした調子で入ってきた。

『・・・ユーゲンさんはいないようだね、何かあったのかい?』

抱いていたラギを床に下ろし、博士は尋ねた。

『昨日も言いましたよね・・・、彼女達は今「学者」を狩りに出掛けています。』

職員は持っていたシーバのカップをテーブルに置きながら言った。

『あれ、そうだったかな?すまない、最近物忘れが酷くてね・・・。』

博士はその白髪頭を搔きながら言った。

『ユーゲンさんへの話なら、私が代わりに聞きますよ。どういった事ですか?』

『本当かい?すまないね。シメオンの記録についてなんだが・・・』

話しながら博士は提げていた図嚢の蓋を開けた。
女性職員は胸ポケットから手帳とペンを取り出した。

『まずは御掛け下さい。それで、シメオンについてどのような御発見を?』

博士にハンの座っていた椅子に座るよう促し、職員は尋ねた。

『シメオン?何の話かね?私はクルカの効率的な繁殖について・・・』

『博士、しっかりして下さい。』

『ん?・・・あぁ、すまない。今朝この記録を弄ってたんだがね、通常の記憶域とは別の所に妙なファイルを見つけたんだ。』

言いながら博士は取り出した記録媒体の側面にある刻印を指で叩いた。
空間に映し出された文様の一つを左手でスライドさせる。

『ここだ。暗証番号のようなもので施錠されていたんだがね、こいつが適当に弄ったら解けてしまった。』

博士は足元にいるクルカを指差した。
ラギは得意そうにピュイヤと鳴いた。

『恐らく奴の日記だと思うんだが、口語で書かれているせいで中々解読が進まなくてね・・・。』

『日記・・・ですか、奴の?』

『そうだ。長ったらしい文章でグダグダと書いてある。音声で入力したものを文字にしたんだろう。』

博士は表示されている文字の羅列を下にスライドさせた。

『ここから始まっている。記憶階層についての記録が書かれる2年前だ。』

女性職員は手帳に筆記を始めた。

『どうやら・・・、奴には歳の離れた妹がいたらしい。彼女は兵士だった、それもとびきり優秀な。その活躍から「イェリコの女神」と持て囃されていたようだ。』

博士は懐からチヨコを取り出し、職員に薦めた。
彼女はそれを受け取るのを即座に拒否した。

『その溺愛ぶりときたら、読んでるこっちが恥ずかしくなるくらいの文章量だ。まぁ結局、その最愛の妹はあっけなく死んでしまうのだがね。』

言いながら羅列を上に動かしていった。

『恐らく旧文明最後の大規模な地上戦だった。彼女達は南半球の小国から義勇兵として参加したらしい。前線に取り残された政府高官を助ける為、その大隊は駆り出された。』

職員は要点となる単語を素早く手帳に記していった。

『酷い話だ。その高官は北半球側に寝返っていた。大隊はまんまと罠に嵌り、無人兵器に皆殺しにされたんだ。シメオンの妹は英雄だったからな。その死体は見世物として大陸中に晒された。・・・いつの時代も、人間とは歪んだ生き物だ。』

ハンは夜空を眺めながら無表情にその話を聞いていた。

『南半球側の士気は大きく削がれた。しかし何より、彼女の喪失はシメオンの心を大きく蝕んだ。あの計画にもそれが絡んでいるのかもしれん・・・』

博士は懐からもう一つチヨコを取り出そうとして、一緒に入れていたクルカ人形を床に落としてしまった。
急いでそれを拾い上げ埃を払うと、博士はその目に涙を浮かべ始めた。

『・・・シビル、どうしてお前はっ!私を置いて・・・。』

人形をを仕舞うと、テーブルの上の記録媒体を睨みつけた。

『・・・辛いのは貴様だけではないんだ!世界では誰もが、同じように!貴様だけが被害者面していいと思うな!』

そしてそれを掴み上げ、床に叩き付けた。
硬質セラミックで覆われた記録媒体は破損することなく戦闘指揮所の端へと転がっていった。

『博士、落ち着いて下さい。』

職員は立ち上がり、啜り泣きを始めた老人の背中を摩った。
流れた涙はテーブルの窪みに溜まり、表面に埃の浮いた小さな湖を作りつつあった。


とうに主人が去ったのであろう荒れた荘園の一角に、朽ち果てた強襲艇の残骸が半ば埋まるようにして横たわっていた。
荘園同様、随分昔に放棄されたようで両翼や下部の生体機関の肉は既に土に返っていた。
空になった金属製の殻の上に偽装網を被ったリシェクが屈み、暗視眼鏡越しに北東を睨みつけている。
小銃の各部にこびり付いた泥は既に乾燥し固まっていた。

突然足元の装甲を内側から叩く音が聞こえた。
素早く立ち上がり小銃をそこに向けたが、やがて思い直しその錆付いた装甲板をめくった。

「大尉が歩哨はもういいって。穴だらけだから内側でも見える。」

レフラがそこから顔を出し囁いた。

「了解・・・、すまんな。」

言いながらリシェクは偽装網を畳み、それを抱えながら装甲の中に入った。
内側からパネルをずらし、入り口を閉じる。

粗末な薄い毛布の上に、腹と脚に止血帯を巻かれたダレルが横たわっていた。
傍らにはカイが無電機を抱えながら座っている。

「おっさん、生きてるか?」

リシェクは暗視眼鏡を外し、そのバンドを首に掛けた。
ダレルは目を閉じたまま答えようとはしない。

「弾は抜けてるから消毒して組織治癒促進剤を塗ったの。動脈は外れてたから多分大丈夫。」

背嚢に、空になった生体機関由来の薬剤のボトルを仕舞いながらレフラが言った。

「マイヤーは?あいつはここを知ってるのか?」

リシェクは弾帯を締め直しながら尋ねた。

「あれにはもう伝えた。でも戦闘艇に繋がらない・・・。」

カイが無電のダイアルを弄りながら答えた。

「多分送信出力が上がってないんだと思うが・・・、あっ。」

カイは自分の半長靴に無電から垂れた生体組織液が付着しているのを見た。
よく確認すると、無電の増幅機構のある位置に小さな弾痕があった。

「撃たれてんじゃねぇか。・・・あいつを待つ他ないな。」

気怠そうに呟きながらリシェクは小銃の二脚を広げ地面に置いた。
そのまま土に返らず僅かに残っていた機関の骨に背中をもたれ掛けさせた。

「・・・お前達は少し眠れ、疲れてるだろう。」

腐食により空いた装甲の穴から外を睨みながらユーゲンが言った。
その言葉に従い傭兵達は各々の姿勢を崩し目を閉じたが、先程の衝撃的な出来事が余りにも鮮明に脳裏に焼きついていた。
彼らの意識は微塵もまどろもうとはしなかった。

「・・・無理だ、眠れねぇ。・・・なんか昔話とかないのか?」

こめかみを親指で押さえながらリシェクが言った。
ユーゲンは暫く考え込んでいたが、やがて目を外に向けたまま徐に口を開いた。

「くだらん話ならあるが・・・、まぁ話すには丁度いい場所かもしれんな。」

リシェクとカイは各々のポケットから煙草を取り出し口に咥えたが、煙による露見を恐れたのかそれに火を点けようとはしなかった。
見かねたユーゲンは自らの分を懐から取り出し、堂々とそれに点火して見せた。

「どうした・・・?どうせ皆死ぬ時は死ぬ。余計な心配をせずに今を楽しんだらどうだ?」

そして煙を吐き出しながら静かに言った。
二人は少しの間互いに顔を見合わせていたが、結局自分達の軍用ライターを取り出した。

「古い話だ。もう30年も昔になるのかな・・・」

やがてユーゲンは感情の篭らない声で語り始めた。
湿気を伴った生暖かい風が、装甲版の隙間から柔らかく吹き込んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

最終更新:2017年03月19日 22:11