『暗中からの飛翔』 操舵手ヘボンの受難

 操舵手ヘボンの受難#24 『暗中の飛翔』

 

 照準の向こうに見えた景色は、ヘボンをあざ笑うかのように凄惨たる現実を突きつけていた。
   薄暗い中を多数の人間が入り乱れて争っている。
   生体防護服に身を包んだ黒翼隊の兵士達は、先程の混乱から幾らか統率を取り戻し、陣形を整えながら耳目省武装職員達と戦闘を繰り広げている。ヘボンから50m程先で戦っている彼等は、必死に小銃や軍刀を振り回しながら分厚い肉塊へ攻撃を加えてはいるが、それは虚しくも飲み込まれていく。
   そんな必死な彼等とは対照的に、黒翼隊兵士達はじっとしながら距離を詰めていくだけで良い。
   彼等は職員達が疲労しきるのを待つだけでよく、哀れに振り回し続ける体力が尽きた時にその体を切り刻むだけでよろしいのである。
   今自分らがいる急拵えの陣地より、支援射撃行ってはいるが、それがどれほどの効果があるだろうか、ヘボンの隣で小銃を構えては、散発的に発砲を繰り返すベルン軍曹の射術は、正確に前方にいる防護服兵士の頭部や胸に命中させるほど卓越したものであるが、幾ら致命傷たる箇所に弾を当てられても彼等は怯む事すら無い。
   ただ、少々肉塊の一部が波のように弾けはするが、すぐに元の形へと引っ込んでしまう。
  
 「畜生!」

 そうベルン軍曹は苦々しげに吐き捨てながらも、発砲する事をやめない。
   それはこの陣地にいる射手皆同様であり、ヘボンも彼に負けじと、引き金を引く。
   乾いた音が自身の耳元で響き渡り、薄暗い前方にいる防護服兵士の太股一部が一瞬弾けたような気がしたが、すぐに元に戻ってしまった。
   これでは時間稼ぎにもならないと、ヘボンは戦慄したものの、それでも射撃の手を緩めるわけにはいかない。
   せめて一秒でも長く、彼等が此方に近寄らないようにするのが精一杯であった。

 「あの化け物はどうした?! 姿が見えねぇぞ、逃げ出したか?!」

 傍らにいたベルン軍曹が、すぐ脇のレーベ准尉へ怒鳴った。
   彼の言う化け物とは誰のことかとヘボンは考えを少し巡らしたが、該当するような人物が多すぎて見当が付かない。

 「誰かさんと一緒にしないでくださいな…、ちゃんと居ますよ。 機を伺っているだけです」

 返事より先に一発向こうへ発砲してから、レーベ准尉がベルンへ言う。
   基本的に冷静沈着な様子であった彼女の顔にも、幾らか焦りの様な色が見て取れたが、それでも落ち着いている様には見え、小銃を構え直すとすぐに

 「ほら、来ました」

 そうほくそ笑んだ。
   ヘボンも小銃を構え直しながら、50m先へ目をやると、職員達を取り囲もうとした一人の装甲兵の背景が崩れるように何かが蠢くと、その装甲兵の腹部が弾け飛んだ。
   あまりの衝撃に兵士が倒れると、その後ろには血化粧を派手に決め込んだエーバ准尉が立っている。
   再度現れた鬼女神に再び装甲兵達は狼狽したが、先程のように醜態を晒す訳にはいかぬとばかりに、近くに居た装甲兵が軍刀を高く振り上げ、気勢を上げながら斬りかかる。
   それに対し、素早く准尉は反応すると生体防護服に一部包まれた左腕で、振り下ろされた軍刀を防いだ。
   そして、軍刀が准尉の生体防護服にのめり込んだと見えた瞬間に、左腕の先端が轟音を轟かせて、斬りかかっている装甲兵の右肩を吹き飛ばした。
   余りの衝撃に、准尉の左腕を覆っていた肉塊が幾らか禿げて、そこから蜂の巣状の形をした物が飛び出していた。

 「ありゃ一体なんだ?」

 その光景を見ていたベルン軍曹が、レーベ准尉へ聞くと、彼女は遮蔽物に身を預けながら小銃の弾倉に弾を込め直しながら口を開いた。

 「…『ミ式掃射短銃』…です。 通常の歩兵兵装では生体防護服に対して、効果はさほど期待できません…。しかしアレを至近距離で使えば、高度な組織再生能力を持つ防護服でも、再生が追いつく前に致命的な損傷を与えられる訳です…」

 彼女は少し得意げにそう語りながら、遮蔽物から身を乗り出して小銃を構える。

 「だからって、よくもまぁ殴り掛かれるもんだ。 どうかしてるぜ」

 「えぇ、妹はどうかしてます。 特に今は中尉の事で頭が一杯でしょうねぇ…」

 半ば呆れるようにしながらも頼もしいと言った具合に彼女を見つめるベルンとは対照的に、レーベは何処か悲しそうに前方で暴れている妹を見ていた。ミ式掃射短銃を手にしたエーバ准尉は狂ったように、手近な装甲兵へ殴りかかっては、その肉塊へ銃口をグッと近づけてはぶっ放している。   それに呼応して苦戦していた職員達も、身につけていたなり、その場に落ちていた軍刀や短刀を手に取りながら隙を見せた装甲兵達へ斬り掛かっていく。
   アルバレステア級の艦橋通路で見たような光景であるとヘボンは思った。
   あの時も生体防護服に対しては鋭利な刃物が有効であると説いた事を、薄らと思い出す。
   彼等もその事については熟知しているようであるが、あの時は一対多数で仕留めに掛かったこともあり優位であったが、今回は一対一では圧倒的に不利である。
   幾ら鋭利な刃であろうとも、急所へ刺すことが出来なければ、致命傷は期待できず、向こうも真っ向から抵抗してくるため、隙とはいえチャンスはあまりにも少ない。
   現に一時的に攻勢に出たと思われた職員側はすぐに、装甲兵達の反撃に飲み込まれはじめ、エーバ准尉だけがその例外のように手近な装甲兵を仕留めていく。
   しかし、彼女とて一騎当千とまではいかなかった。
   一装甲兵の胸部を吹き飛ばした際に、ミ式掃射短銃が弾切れを起こしたのか、今までのように相手を倒すことが出来なくなった。
   それを見逃す敵でもなく、すぐさま彼女の側面から軍刀を唸らせながら、彼女の生体防護服に覆われていない箇所を切りつける。
   帝国の軍刀は手数を稼ぐ為に比較的鋭利な造りではない為か、辛うじて深手は免れたらしいが、それでも彼女はその場に片膝を付いてしまう。

 「准尉っ!」

 咄嗟にその光景を見て、ヘボンは小銃を片手に思わず遮蔽物を乗り越えようとしたが、それを見て慌てて彼の後ろで身を低くしていたニールが彼を陣地内へ引っ張り込んだ。

 「やめろっ! 殺されちまう!」

 彼は鋭くヘボンを戒めながら、しっかりと腕を掴んでいた。
   確かに彼の言うとおりであると、すぐにヘボンの頭から戦闘時特有の強い興奮が冷め、強い恐怖が体を蝕むと遮蔽物より少しだけ身を乗り出して、彼女の様子を見ることしか出来なくなった。
   隣のベルン軍曹も、彼女の姉であるレーベ准尉や他の兵士達も含め誰も助けにいこうと陣地を飛び出す者はいなかった。

 「お前が飛び出ていったって何もなりゃしない、死体を増やすな!」

 ニールが強くヘボンの頬を叩くと、身を低くするように促してくる。
   しかし、それでもヘボンの目は前方の膝を付いた准尉より目が離せなかった。

 

 刃が食い込んだ腹部から血を流しているレーベ准尉は、膝を付いて腹部を強く押さえながら周囲の様子を見ていた。
   一度膝を付かせれば、そうすぐには准尉が動かないだろうと踏んだのか、装甲兵達は彼女にトドメを刺さずに、周囲を悪鬼のように動き回りながら、職員達を一人、また一人と仕留めていく。
   命乞いをするように虚しい叫び声をあげた者の喉元へ、深く軍刀を突き入れながらくぐもった断末魔をポート上に響かせている。
   ふと、脇目にポート端の急拵えの陣地より此方の様子を見ている兵士達を見たが、助けにいこうにもいけない気配がよくわかる。

 「…痛むか、番犬」

 ふと、彼女の背後で冷笑する声が響いた。
   歯を食いしばって痛みを堪えながら、その声の方へ振り向くと、そこには悠然とした調子にこちらを見下ろしているニエン少佐が立っていた。    彼女は冷たい眼差しをエーバ准尉へ向けながら、口端を吊り上げている。

 「これだけ暴れれば、少しは満足しただろう?」

 ニエン少佐はエーバ准尉から数歩先に立っていて、その手には拳銃が握られていた。

 「…」

 返答の代わりに、准尉は強い歯軋りを響かせながら、目で相手を射殺すような勢いで強く彼女を睨み付ける。
   しかし、そんな視線を真っ向から受けようとも、少佐は一切怯みもせずに冷笑する調子を崩さない。

 「お前には失望した。 まだ、あの男への忠義立てをするとはな。 お前の腕は頼りになると踏んでいたが、残念だ」

 そう言いながら、少佐は拳銃を強く握りしめたが、それを腰のホルスターへ静かに仕舞い込むと、両腕を力無く下げ、彼女から数歩後ろへ下がった。

 「…立て、エーバ・ミーヴァンス准尉。 鉛玉程度でお前を殺すには惜しい。 …もう一度、手合わせしようじゃないか」

 少佐はそう言うと、エーバ准尉が立ち上がるのを待った。
   周囲で怒声と狂った声を上げながら、殺し合いを続ける装甲兵や職員を尻目に、二人の間に奇妙な空間が出来上がった。
   誰しもが手を出すことが許されないような、神聖な場にも見えた。
   そのお膳立てに答えるように、エーバ准尉は腹部を押さえながら、ゆっくりと立ち上がる。
   既に下半身と左腕に纏っていた生体防護服は殆どがはげ落ちており、防護服の下に着込んでいたと思われる破れた衣服などの残骸が垂れ下がっていた。
   そして、辛うじて下半身に残った生体防護服の一部が、苦しそうに膨張を繰り返していた。

 「そうだ、それでいい。 我もお前も、化粧は出来ぬ女だ。 敵の返り血で顔を塗りたくる事しか、興味の無い女だ」

 左腕は腹部を抑えるためにふさがっているものの、エーバ准尉はもう右腕を腰の横で強く力をため込むように折りながら、両足を開き、膝をわずかに折っては前屈みの姿勢で身構えた。

 「お前も、お前の姉も…私が邪竜に完全に取り憑かれていると思っているだろう? それは間違いではない、この体は既に私の物ではないのだからな。 だが、こうしてお前と殺し合いたいと望む気持ちに偽りは無い」

 身構える准尉に対し、少佐は依然としてこれといった構えも取らないまま、彼女と対峙していた。
   まるでこの二人の間だけ、長いこと時間が停止しているかのようにも見えた。
   二人は騒々しく惨たらしい環境に囲まれながらも、じっとお互いを見つめ合い、暫くの間微動だにしなかった。
   だが、そのあまりにも長く感じられる時間を終わらせたのは、准尉であった。
   小さく息を呑むと、彼女は腹部を押さえたままでありながらも、痛みを感じさせぬように折った膝を鋭く伸ばし跳躍しながら、右腕を少佐の体へ叩き込まんと、横へ振り被る。
   その素早い動きをしっかりと目で捉えながら、少佐は今まで垂らしていた両腕をゆったりと腰の辺りまであげ、ここでやっと構えらしい構えをしてみせる。
   その時には、少佐の顔面へ狙いを付けた右拳が上から降りかかろうとしていたが、それを少佐は上げた右掌で腕側面を撫でるようにしながら、エーバ准尉の拳を躱し、彼女の側面へ飛ぶように移る。
   一度躱されたのみで准尉の動きが止まることは無く、狙いを外された腕をすかさず横へ払って少佐を狙うが、それを彼女は左掌で同じようにして躱して見せた。
   少佐は防戦一方にも見えたが、躱した隙に開いた右手刀を准尉の傷付いた腹部へ流し込み、それを鋭く突き刺した。

 「遅いぞ、准尉」

 そう口元に微笑を浮かべる少佐の顔から、冷酷な色は消え失せていたが、その表情は真剣に相手の死を求めるものであった。

 「お前はっ…、主人を間違えたっ!」

 鋭く叫び声を上げ、少佐は手刀を傷口に更に深く刺し込み、内部から抉ってみせる。
   その様は女というより人としても外れた、化物じみた様に見えたが、傷を抉られるエーバとてその例外ではない。

 「少佐…貴女にどうこう言われる筋合いは…」

 激痛に苦悶の表情を浮かべながら、准尉の太い腕は少佐を素早く捉えた。
   傷を抉る事に集中していたのか、少佐の細い体は准尉の腕に拘束され、僅かに苦しそうにもがき始める。
   肉を斬らせて骨を断つといった具合か、痛んだ左腕で下半身へまだ張り付いている肉塊を握り締めると、それを少佐の頭部へ押し付ける。
   それは素早く取り出した反動か、所々肉が剥げ落ちていき、頭部へ当てられる時にはもう一丁の『ミ式掃射短銃』であることが伺えた。

 「…ないっ!」

 准尉がそう叫んだ瞬間、短銃が轟いた。
   蜂の巣の様な複数の銃口から弾丸がはじき出され、それが超至近距離にて少佐の顔面を襲った。

 

 「人間じゃねぇっ!」

 そこから数十m離れた先の陣地から、ニールは半ば悲鳴を上げてヘボンと肩を抱き合いながらその死闘を見ていた。
   ヘボンも同様に歯をカチカチと恐怖に鳴らしながら、眼前で繰り広げられる人外同士の狂闘を見ていたが、ニールと同様の言葉ばかりが思い浮かぶ。

 「確かに中々見られるものじゃないでありますな」

 そう抱き合う二人の横でベルン軍曹が、二人ほどではないにしても、顔に驚嘆と恐怖を隠せないままにそう言ってくる。

 「ですが、妹達のお陰で時間が稼げました…迎えです」

 ベルン軍曹の隣から遮蔽物へかがみ込んでいたレーベ准尉が、そう小さく笑うようにして、太い指先がポートの外を指し示した。
   指された方へ顔を向けると、産業塔を取り巻く闇夜の内から此方へゆっくりと飛んでくる機影が見て取れた。
   それは狂ったように蠢く幾多のサーチライトが放つ光柱を掻い潜りながら飛び、時折サーチライトの照明に機体が当たり、それが僅かの間に照らし出されるとヘボンとニールは思わず固唾を飲み込んではその機体を見つめた。

 「嘘だろ…。 あれ、本当に浮くのかよ?」

 今まさに彼らの前方で繰り広げられた戦闘の様も異様なものであったが、後方から迫ってくるその機影の姿もまた異様なものと思え、ニールは呆れるような声を出した。
   それは数時間前に二人で見た『ツヴァッデ』という、どうにも珍妙な形状をした機体に他ならない。
   前部に突き出た双頭が後部に尾を引く長い胴体を導くように、ゆったりと飛行している。
   そのあまりの異形な機体の出現に、先程からずっと産業塔の周囲を慌ただしく飛び回っている憲兵隊の機体も、何も手を出せずにただ浮かんでいるといった具合の正規軍艦艇達も、そして、ただの物見高い連中がこの騒ぎを見ようと無理に飛ばしてきたのだろう民間機たちも、このツヴァッデの登場に驚いたのか、我先に関わりあいになりたくないという調子に出来る限り離れようとしている様が見える。

 「騒ぎに乗じて、第二ポートから一時的に離陸していたそうです…。 主任も酷い真似をします」

 言葉の割にはしたり顔でそうレーベ准尉は呻いてから、指差した方を僅かにずらし、ツヴァッデの後部も見るようにヘボン等へ促してきた。
   促されるままに視線を少し横へずらすと、双頭の間にまるで親鳥に抱えられる雛の様にして、蹲る姿勢でツヴァッデの中央下部に鎮座しているコアテラが見えた。

 「非情ですが、他は捨てます。 今いる人員だけで、帝都を目指す他ありません」

 手を下ろすと、准尉は陣地内に居た連中を軽く見回しながらそう言いのけた。

 「何を言っている? エーバ准尉が少佐を片付けるのを見たろう? 敵は指揮官を失って浮き足立っている、このままで体制を整えられる」

 准尉の言葉に噛み付くようにして、陣地内にて共に防戦していた黒翼隊の将校服を纏った男が、准尉へ反論してきた。
   確かに、先程の乱闘を見ていた者であれば、エーバ准尉がニエン少佐の頭部に短銃をぶち込んだ様を知っていた。
   現にヘボンが前方へ視線をずらせば、激しく争っていた両者の動きが俄かに遅くなり、少佐が撃たれたのだということを見て取り、俄かに浮き足始めた装甲兵達の様子が見える。
   それと同じくして、その場にいた武装職員達もこの事態を好機と捉えては、指揮官を失った黒翼隊兵士達へ武装解除を促し始めた。
   少佐を辛うじて仕留めたレーベ准尉も、彼女の亡骸をそのままにして、腹部を抑えながら、覚束無い足取りで此方の陣地へ歩み寄ってくる様が見えた。
   幾らかの混乱を経て、ようやく決着が付いたようにヘボンには見えなくもない。
   しかし、その状況を彼と同様に見ていながらもレーベ准尉の決意は固く、男の意見を一蹴した。

 「いいえ、違います。 あれが、あの女の手です。 あの程度では彼女は死にません」

 そう決然と言いのけたが、准尉を除く一同は呆気に取られた様な顔をしてしまう。
   頭部に散弾の直射を喰らって、無事に済む人間などいるわけがない。
   確かに人外じみた動きは見せつけられたが、仮に化物としても頭を潰されればどうしようもないと彼らは楽観的に考えていた。
   しかし、その思いは銃声でも爆発音でもない、前方から響いてくる戦いた声に潰されてしまった。

 「うわぁっ!?」

 そう前方から響いた誰かの叫び声で、一同は一斉に前方へ振り向いた。

 

 今しがたニエン少佐が、エーバ准尉の放った散弾によって倒れ伏した場で、彼女は再び立ち上がっていたのだ。
   薄暗い中でも明瞭に見える彼女の顔に、銃槍など一つもなく。
   あれ程の銃弾を頭部に受けたというのに、何事も無かったかのように落ち着いた様子で絶句した周囲の様子を見やると、また口元を緩めた。
   それを見て周囲は大混乱に陥った。
   職員達は一目散に、塔の内部か急拵えの陣地へと駆け出していく。
   黒翼隊の兵士達ですら、何が起きているのか理解できずにその場に固まっている。
   ただ、エーバ准尉だけは逃走する職員達から取り残されるように、腹部を抑えたまま再度、少佐へ振り向きながら苦々しいまでに呻きながら対峙していた。

 「…ね? ダメでしょう?」

 陣地内で全てわかりきっていたようにレーベ准尉は呟いた。

 

 最早、ヘボン達の望みは第二ポートへ接近してくるツヴァッデのみとなった。
   数時間前は散々ニールと扱き下ろした機体ではあったが、この後に及んでは帝国軍総旗艦より有難いかも知れない。
   その激しい掌返しを当てられている機体が、ゆっくりと此方へ接舷させようとしている姿がなんと頼もしい事かとヘボンとニールは思い知った。
   しかし、その儚い希望を潰すかの如く、急造陣地の前方へ目を這わすと、依然としてエーバ准尉と謎の蘇生を遂げたニエン少佐が対峙しているが、これは先程より長引きそうになかった。
   既に抉られた腹部から激しく血を流すエーバ准尉は、膝どころかその巨体を力なくポート上に倒れ込ませては呻く事も出来ない。
   誰も彼女を助けに行くことも出来ず、今はただ逃走する時間稼ぎにしか考えが回らない。

 

 「伏せろっ!」

 一同が戦慄している時に、陣地内で誰かが不意に叫んだ。
   その声が響くとヘボン達は半ば一斉にその場に伏せた。
   すると、第二ポートへ凄まじい銃火の嵐が襲った。
   接近してきたツヴァッデが、その備えたる大量の火器を一斉に放ち始めたらしい。
   たちまち、急拵えの陣地前方が弾け飛び、此方へ歩み寄ってきた人外を薙ぎ払わんとする。 流石にこの火力なら不死身の化け物とて一溜まりがないだろうと、ヘボンは期待したが、しかし、すぐにその期待を覆させられてしまった。
   だが、周囲を覆う爆発と炎の中においても、少佐は狼狽えもせず、天高く右手を掲げた。
   それが何を意味するのかと思った瞬間、今度は後方で爆音が轟いた。
   身を伏せたままにそちらの方向へ目をやると、今ほど火砲を存分に見舞っていたツヴァッデの上部が火炎に包まれている。

 「グランビアだ!」

 陣地内にいた整備服姿の男が、闇夜を指さしている。
   その指された方へ目をやると、暗闇に上手く紛れて、炎の明かりが無ければ目視出来ないほどに黒く塗られたグランビアが上空を旋回している。
   機体の前方部の榴弾砲から煙が漂っている様から、ツヴァッデを撃ったのはそのグランビアらしいと思われた。
   すぐさま、期待は絶望へと様変わりし、ポートへ近づいてきたツヴァッデから搭乗員達がポートへ飛び移ってくる。
   機体からポートまでは凡そ4m程離れていた。

 「駄目だっ! 墜ちるぞ!」

 「何し来たんだよ!?」

 ツヴァッデから飛び降りてくる搭乗員を掴み入れながら、今度は将校服の男が叫び、ニールも反射的に悪態を吐いた。
   この場から逃げる手段を失ってしまったと、一同の顔には強い困惑の色が窺えた。
   しかし、ヘボンの心配はそれもあったが、最大の心配事は、眼前でツヴァッデの中央部からずり落ちようとしているコアテラの姿であった。
   今にもその図体が歪な船から落ちようとしていて、必死にしがみつくようにしているようにヘボンには見えた。
   このままでは彼女は奈落の底へ真っ逆さまだ。

 「軍曹っ!」

 横からヘボンを呼びかける声が聞こえて、そちらを振り向くと、レーベ准尉がこちらの顔を強く見つめている。
   一体何を言いたいのかは、言われずともわかる。
   しかし、言いたいことはわかっても足が竦む。
   少しでも足を踏み外せば、己も彼女と一緒に墜ちて死ぬしかない。

 「コアテラを頼みますっ! なんとしても、あの書類を中佐にっ…」

 彼女はそう言いながら、此方へ駆け寄ると出し抜けに首根っこを素早く猫の様に掴んで、ヘボンをいとも容易く持ち上げた。
   それを見て、他の連中も察したのか皆してヘボンを胴上げするような要領で持ち上げてくる。ベルン軍曹は言わずもがなであったが、何故かニールまでそれに荷担していた。
   持ち上げられたと同時にヘボンの顔から血の気が引いた。
   咄嗟に制止を求めようとしたが、その言葉が喉から出る前に、ヘボンはその場から高く放り出されてしまった。
   体が重力から解放された瞬間に、一瞬気が遠くなるような気配がしたが、気絶する前にヘボンの細い頼りない体はツヴァッデの中央部甲板へ叩き付けられていた。
   痛みに呻きながら起き上がろうとすれば、既に船体が傾いているために、体が滑り始める。 慌てて、自分と同じように船体から落ちようとしているコアテラの側面へしがみつくと、素早く銃座へと登り、そこから転がり落ちるようにしてヘボンは操縦席へと体を押し込んだ。 
 
 「なんで、毎度こうなるんだ」

   そう独り言を呟きながら、なんとしても機体を始動させようと計器をさっと見て、各装置を弄り始める。
   操縦席内は暗く、何処に何があるか見えなかったが、そこは今まで培ってきた経験と勘を最大限に活かして対処する。
   先日のガルエ級の時と比べて、今は時間が全くない。
   ゆっくりと彼女を宥めながら、始動させるのは不可能だ。
   ここは無理矢理に叩き起こすほかない。

 「恨まないでくれよ…、私も必死なんだ」

 そう半ば祈るようにヘボンは語りかけながら、始動桿をゆっくりと引いた。
   操縦席の背もたれは、背中を預けなくても機体全体がずり落ちているので自然と背中全体が預けられる。
   極度の興奮と恐怖により、胸中からは喧しいほどの心拍音が響いていたが、それを上回る程の生体音が操縦席内を包み込み始めた。

 「よしっ…!よしっ…!」

 始動し始めた事にヘボンは涙が出そうなほどの喜びを覚えながら、操縦桿を引き絞る。
   一刻も早くツヴァッデから産業塔から離れて逃げなくてはならない。
   しかし、少し余裕が出てきたせいかヘボンの脳裏で咄嗟に

 (皆はどうするんだ?)

 そんな言葉が浮かんだ。
   己だけでこの場を脱出しても、その先はどうするのか。
   たった一機のコアテラで帝都に辿り着けるはずもない。
   だが、今はそんな先のことよりも一分一秒の延命の方が恋しかった。

 「軍曹!」

 そう思った矢先に、今度は頭上より声が響いた。

 「ベルン軍曹!」

 道連れが増えたことにヘボンは興奮した声を出した。
   いつの間に彼もこっちに飛び移ってきたかは知らないが、そこにはベルン軍曹が小銃を片手に握りしめて立っていた。

 「貴方一人で行かせるわけにはいかないであります。 私も同行しますっ!」

 そう力強い声を出すベルン軍曹の、傷だらけの恐ろしい顔が、この時はまるで天使のようにヘボンには思えた。

 「…おい、こいつにはまだ乗れるのか?」

 ヘボンが体を震わすような強い感動を覚えたとき、ベルン軍曹の肩越しから、見慣れた顔が此方を見下ろしていた。

 「ニールっ! お前まで…」

 「仕方ねぇだろ! あんな訳のわからねぇ奴等と死にたかねぇんだ!」

 ニールは半ば怒ったような顔でそう言いのけると、一時ベルン軍曹の肩越しから頭を引っ込めた。

 「前に3人まではいけたでありますが…まだ乗るのでありますか?!」

 ヘボンはニールの様子を見て不安げにベルン軍曹の顔を見上げると、彼は小さく素早く頷いた

 「あの豚曹長よりは幾らか軽いかもしれんが、タッパが少し…、エーバ准尉も乗せろとレーベ准尉に命令されました」

 少し申し訳なさそうに彼が言ったと同時に、ヘボンの鼻は濃い血の臭いを嗅ぎ取り、それと同時に銃座の方から幾らかどす黒い血が滴り落ち、そこから僅かに呻く女性の声が聞こえてくる。

 「酷い出血だ! 今ならまだ遅くねぇっ! コイツを捨てて軽くしよう!」

 「捨てた途端に、あの豚准尉が俺等を殺しに飛びかかってくるぞ」

 銃座の方からニールの叫び声が聞こえてくるが、それをベルン軍曹は軽くいなす。
   そのやりとりを聞きながら、ヘボンは操縦桿を再度引き始める。
   コアテラは起きがけに周囲の状況と、普段よりも搭乗員達が重い事を同時に感じ取り、悲鳴と苦悶が混じり合ったような独特の声でヘボンに訴えたが、この時ばかりは彼女に我慢して貰うほか無かった。
   ゆっくりと機体が浮かび上がると同時に、操縦席から見える視界に炎上する第二ポートが写った。
   ポート上に取り残された者達は、最後の抵抗とばかりに見捨てられた急拵えの陣地より前方へありったけの火器を使って抵抗している。
   だが、それを嘲笑うかのように、少し彼等が小さくなったところでその陣地へ砲弾が直撃した。
   一瞬にして、ポートは黒煙に包まれ、肉の焼ける臭いがここからでも嗅ぎ取れる気がした。 その光景をまざまざと見せつけられながら、コアテラはできる限り闇夜に身を隠そうと上昇を続ける。
   しかし、この場で姿を眩ますという事が如何に不可能に近いかは、周囲をさっと見回しただけですぐにわかった。
   黒翼隊が襲撃を掛けてきた時から、産業塔周囲の空には黒翼隊だけでなく、憲兵隊の機体も旋回を続けていたし、それに加え正規軍の艦艇も飛んでいる。
   コアテラがツヴァッデから飛び立とうとする様は皆に見られていたし、それは今ほどにツヴァッデへ榴弾を食らわしたグランビアも同様であった。
   すぐに頭上からグランビア独特の低い生体音が響いてくる。

 「武装はっ?!」

 「全て外されているでありますっ!」

 咄嗟に銃座のベルン軍曹へ悲鳴にも似た声で聞くと、彼は力強い声音のまま絶望的な返事をしてきた。
   コアテラの武装はアルバレステア級へ着艦した際に全て外されており、唯一の火器といえばベルン軍曹が握っている小銃程度だろう。
   重武装の戦闘機と鈍重な非武装の強襲艇では、どう考えてもお話にならない。
   エーバ准尉が苦しげに呻く声だけが、より絶望感を際立たせてくれた。
   ベルン軍曹は最後まで抵抗を続けようと、小銃を天高く構えては数発、発砲するが効果があるとは思えない。
   それと対比して、ニールは延々と敵グランビアへ悪態を吐いているが、悪口で機体が堕ちてくれれば、戦争は起こらないだろう。

 「…来ますっ!」

 そうベルン軍曹が叫んだとき、頭上で旋回していたグランビアが鋭く降下する鷹の様に、榴弾砲の砲口を此方へ向けながら襲ってくる。
   恐怖にヘボンは目を見開きながら、その砲口からいつ砲弾が放たれるか見ていた。
   限りなく死が近づくときは、意外なまでに落ち着いていた。
   そのおかげで、肝心な一瞬を見逃さずに済んだと言える。

 

 こちらへ一直線に降下してきたグランビアの搭乗部分が、砲を放つよりも前に、何処からか飛んできた曳光弾によって弾き飛んだ。

 「なんだ?!」

 思わずニールが驚嘆の声を上げたが、彼の悪態によるものではないらしい。
   すぐさま榴弾砲の装薬部に引火したのか、炎上しながらコアテラの脇を掠めて墜落していくグランビアを見ながら一同は息を呑んだ。

 「…よぉ、死に損なったな」

 不意に操縦席脇に備えられていた受信機から、聞き覚えのあるふてぶてしい声が聞こえてきた。
   その声の主について、それなりに知っているヘボンは咄嗟に息を呑んだが、銃座にいたベルン軍曹もよく知る声の主は続けて、受信機を響かせてくる。

 「遅くなった。 まぁ、主役ってのは遅れてくるもんだから、ちょうど良いだろ」

 「ミュラー曹長!?」

 この様な状況でも慌てず騒がずに暢気そうな声を出す、送信者に対しベルン軍曹が銃座より驚きの声を上げた。

 「おい、誰だよ? 敵か、味方か?」

 「味方だが、豚だ」

 状況のわからぬニールに対して、ベルン軍曹が訳のわからぬ解説を添えたせいで、彼は余計に混乱しながら黙り込んでいる。
   それを尻目に、ヘボンは感嘆の声を上げながら、送信機を口元へ宛がった。

 「曹長…、今のは曹長が?」

 「当たり前だ。 他に何が居る?天使か? まぁいい、今頭上を飛んでやる」

 曹長のそうニタニタとした笑みを浮かべている様子が、脳裏に浮かぶほどの声が聞こえると、コアテラの上部へグランビアとは違う生体音が低く唸ってきた。
   咄嗟に頭上を上げると、何度か見たことのある形をした戦闘機がゆっくりと闇夜の中を飛び抜けた。

 「…グランピア?」

 「違う、『グランヴィナス』と呼びな。 その名で呼ぶと、この女すぐにふて腐れるんだ」

 飛び抜けていった戦闘機を見送ると、曹長の声が受信機より響いてくる。
   周囲は度重なる混乱を経て、巻き込まれたくないという意思を有り有りと表すかのように、すぐ近くを飛んでいた憲兵隊や正規軍の艦艇が散り散りに離れていく様が見えた。

 「…ヘルマンの奴の機体だ。 どさくさに紛れて頂戴したのさ。 アイツらしいぜ、黒翼隊の教官だってのに、機体の塗装や紋章は昔のままだ」

 「ヘルマン中尉の…」

 「あいつが死んだのは知ってる。 目の前で見た…、最後まで頑固な奴だったよ」

 今まで聞いてきた曹長の声とは信じられないくらいに、彼の声は冷たく虚しい響きを持っていた。
   それを受信機越しに聞くヘボンの脳裏に、ヘルマン中尉の顔が去来する。

 「だが、今は葬式を挙げてる場合じゃぁねぇ。 さっさと逃げろ、俺が時間を稼ぐ」

 その声と同時に、グランヴィナスの生体音とは違う音色が、近づくのを聞いたベルン軍曹が銃座より叫んだ。

 「敵機だ! 2時方向から黒のグランビアが二機!」

 その叫び声と同時に、受信機からもヘボンへ言い聞かせるような強い声が響いた。

 「西に飛べ! 軍曹! 此奴らを片付けたら合流する!」

 「無茶であります! 曹長!」

 思わず曹長を止めようと声を張ったヘボンに対し、曹長は少し間を置いて

 「…俺様を見くびるんじゃぁねぇよ。 『弐の月』は健在だ」

 そう言い終えると、曹長は通信を切った。
   咄嗟にどうすればいいのか戸惑ったヘボンに、銃座より通信を聞いていたベルン軍曹の声が響いた。

 「曹長の言うとおりであります。 今は逃げましょう、一刻も早く…」

 「そうだ、よくわからねぇが。 あの豚を信じようぜ」

 いまいち状況をわかっていないような口調で、ベルン軍曹の後に合いの手をいれてくるニールであるが、少なくとも二人の言うとおりであるとヘボンは納得した。
   いや、納得しようとしたのかもしれない。
   今はただ、曹長を見捨てるという事象を、生存意識で覆い隠しながら、操縦桿を強く捻るのみであった。
   コアテラの後方で闇夜を切り裂くように鋭く鳴り響く、生体音が交差していくのが聞こえる。
   それを背景にして、コアテラは西へ向かって飛び始めた。
   前方には行く手を塞ぐように様々な艦艇達が飛んでいたが、此方が近付くと全て、蜘蛛の子を散らすように飛び去って行く。
   只管にその空いた空間を縫うようにして、機体が直進し、その機体群を抜けた頃には、まるで戦争など無かったかのように空は静けさを取り戻そうとしていた。
   遠くで僅かに戦闘音が聞こえてくる気がしたが、それは此方へ向けられている物出ないことはハッキリと認識できる。
   しかし、それでもヘボンの胸中には一晩の内に起きた様々な事柄が、嵐のように吹き荒れては掻き乱してくる。
   ニエン少佐の謎の蘇生に、ヘルマン中尉の死…、それに加えて己を取り巻いた耳目省の職員達に、中尉の機体を駆るミュラー曹長。
   特に前者に至っては半ば常人の考えを遙かに上回る不気味な物が蠢いている事を感じ取れ、ヘボンの心中に平穏は訪れそうにない。

 しかし、それでも西へ只管に飛ぶコアテラの頭上には二つの月が浮かび、傷付き疲弊しきった4人の兵士達の運命を、両月光が仄かに照らし出しているような気がした。

最終更新:2017年04月08日 16:45