『夢中の回想1』

 操舵手ヘボンの受難#31 『夢中の回想1』

 

 「これは邪龍の事を、指し示している」

 お互いに頭を並べて絵図に見入っていた集まりの中へ、丸く太った顔が割り込んでくる。
   彼の吐息まで此方の頬に当たってくるが、それは熱気と酒気を帯びており、不愉快なものであったが、そんなこと意にも返さずミュラー曹長は話し続ける。

 「邪龍の驚異は決して、皇帝派だけに影響するものじゃねぇって事だ。 ここのラーヂ達はおろか、帝国全土に火の手が回っちまうだろうって事がわかるだろ?」

 曹長はそう言いながら、ヘボンへ顔を向けてきた。
   その表情には己の発言に対しての自信と言えばいいのか、決然としているものがあった。
   そう曹長が語ると、暫くの間ずっと話を聞いていたゼェリゴズが急に顔を上げて、曹長を睨んできた。

 「やい、てめぇの言いてぇ事はわかったが、それよりも俺達はお前がドゥルガをしくじった事を先に論議したいが?」

 彼はそう喚きながら絵図をヨトギへ仕舞うように指図した。
   依然としてヘボンの前で無口にしていたヨトギは指示を受けながら、不承不承な仕草で自身の羽織っているローブの中へそれを仕舞い込んだ。

 「図々しく顔を出して来やがって、お前は俺達のツケを精算するからと言って、わざわざあの黒いドゥルガを攻撃しろと言ったじゃねぇか。 それがなんだ。 たかだがドゥルガのお付きのグランビアを三機ほどぶっ壊して寄越してきただけじゃねぇか。 せめて綺麗にしときゃ売りようもあるが、ああもおシャカにしちまっちゃ大損だ」

 ゼェリゴズはそう顔を憎悪に歪ませながら、曹長を罵った。
   一応、ヘボン達を助けるという意味合いもあることは先程の話でわかったが、それはあくまで『ついで』であり、実際の所は黒翼隊を襲って物資や機体を奪い取ることが優先だったらしい。

 「仕方ないだろ。 こっちは一機だった」

 「俺達が手伝ってやったじゃぁねぇか」

 「あんなオンボロのヴァ型数台の豆鉄砲で、立派に支援していた気になっていたとは驚きだな」

 「うるせぇっ! 兎に角、てめぇはラッシジア西方同盟の顔に泥を塗りたくりやがったんだ!!」

 二人はお互いにそう喚き散らしては、いよいよ我慢ならなくなったか立ち上がって罵り合いを始めた。
   それに次いで周囲のラーヂ達も立ち上がっては喧々囂々と騒ぎ始める。
   先程までの親戚集会の様な雰囲気は何処かへ消え去り、随分と物騒な気配になってきたことを感じとり、ヘボンも横にいたニールも狼狽しながらその場の様子を見回す。
   ゼェリゴズの顔全体に巻いている包帯へ曹長が掴みかかり、ゼェリゴズも負けじとその顔へ平手などを喰らわしている。
   その熱気と暴力に当てられたか、血の気の多いラーヂ達が曹長を取り押さえようと、押し寄せたが、彼は太い腕を振り回しながらそれを追い払い。
   暴力が暴力を呼び込んで、地下広間はさながら大乱闘の様相を呈していた。

 「俺達が行くとこ、大体こうなるのは何故だ」

 「私達こそが、嵐の中心だからじゃないか」

 ニールが肩を竦めると、ヘボンも顔に狼狽の色を浮かべながら、兎に角今は話し合えるような状況じゃ無いと思い、二人はゆっくりと広間から抜け出ようと後退りを始めた。
   幸い周囲の注意は曹長とゼェリゴズに向けられており、二人はそこまで絡まれることも無く無事に通路口へと辿り着いた。
   しかし、辿り着いたはいいものの、そこから先は乱闘を見守る他無い為に困ってしまった。 

  「すみません、軍曹。 あの豚野郎も血の気は多いですが、内の親父も勝るとも劣らぬ感じでして・・・」
   
   だが、そこで二人に助け船を出すかのように待ち構えていたのは、困ったような調子に同じく通路口に立っていたベルン軍曹だった。

 「この様子だと、会議というか喧嘩は暫く落ち着きそうに無いので、別室に移動して頂けますか?」

 彼は丁寧に二人に話しかけ、付いてくるように腕を振った。
   勿論、汚いオイルスモウを延々と眺めているつもりなど二人には無く、彼に素直に付いていった。

 

 「それにしても、ベルン軍曹の本名が、ああも長いとは驚いたであります」

 薄暗い地下通路を歩きながら、ヘボンは先導するベルンへ話しかけた。
   先程居た広間から聞こえる喧噪が徐々に遠のくにつれ、薄暗い通路は心細い物を感じさせる。

 「ここの連中の中では、まだ短い方でありますよ」

 彼はそう顔を少し後ろに向けながら、目元が笑っている様をやんわりと見せてくる。

 「しかしですね、軍曹。 先程の話を覚えていますか?」

 薄暗い通路をしっかりと歩きながら、ベルンは何気ない調子にヘボンへ問いかけてくる。
   先程と言われても話は随分とあった為に、ヘボンは首を小さく横に振った。
   馬賊ラッシジアの幾らか細かい話から、昨今の現状を踏まえてからのヘボン達への援助に、なんとも胡散臭い絵図の解説である。
   前者の二つはまだわかるにしても、後者のものは如何にもこじつけ染みていたために、本人自身はそう信じてはいなかった。
   まさか、その胡散臭い話の続きでもベルンが続けるのかと、ヘボンと話の流れを感じとったニールは身構えたが、彼の口から出てきた話は大凡現実的な話であった。

 「・・・親父が言った、援助すると言う話ですよ。 あれを本気にしてはいけません」

 「と、言いますと?」

 「確かに親父が言ったとおり、ラッシジアの現状は辺境貴族達を相手に・・・まぁ、平たく言えば『商売』をしているわけで、皇帝派たる中佐へヘボン軍曹をダシに上手くやろうって話でしたが、それはあくまでオマケの様な物でして、実際の所は軍曹達を援助するという口実等関係無しに皇帝派の『ヨダ地区』へ身を寄せたいと思っているんです」

 「馬賊が身を寄せるのでありますか?」

 「別に地区へ侵入する訳ではないです。 区域線ぎりぎりに陣取って、いざという時はヨダ地区へ逃げ込もうって魂胆なんですよ。 親父も言ったとおり近頃は敵が多いですから。 今まで商売相手だった辺境貴族達が、掌を返してラッシジアを討伐しようとしていると親父は言いましたが、辺境貴族だけじゃないんです」

 ベルンの話を聞きながら、ヘボンとニールは少し視線を交わし、確かにそんな上手い話があるわけは無いと思っていたが、確かに眉唾であったと何処か落胆の色を視線に混ぜた。

 「辺境貴族の勢力も恐ろしいですが、裏の方で攻撃してくるトーロック団も怖い訳で、連中は此方の『商売』を奪いたくて仕方ないんです。 ここリューリアには美味しい獲物が多いわけで」

 そこでベルンは少し話を切って、歩いて行く。
   少々言葉尻にバツが悪そうな気配があった為、それを疑問そうに思うと、横からニールが

 「・・・ヘボン、お前や俺の様な後方部隊とかの事を言ってんのさ。 リューリア地方は広大だからな。 奪って逃げやすく、更に隠しやすいって事だよ」

 そう苦々しく言い捨てた。
   確かに輸送艦の艦長であったニールからすれば、ラーヂの様な賊は憎くて仕方ないだろう。 ヘボンとてその例外ではないのだが、目まぐるしく変わる勢力関係の話と、己の現状からすれば助けてくれる者がいれば、馬賊だろうと空賊だろうと大した違いは無かった。

 

 ベルンに通された部屋は今まで通ってきたラッシジアの地下空間の中においては、比較的に狭く出来ていた。
   天井はそれなりの高さがあるが、部屋は先程の広間のように円状の造りで床には刺繍が施された円形の絨毯が敷かれ、その上に辺境貴族からの戦利品と思われる家具が置いてある。
   さながら、小さな宮殿の様な印象すら受けたが、小さな宮殿の様な部屋には小さい先客達が居た。

 「ボンボン!!」

 先に部屋に入ったベルンに続いてヘボンが入るのを確認すると、室内に居た三人の小さい子供達がはしゃぐように両手を挙げて、彼を歓迎した。
   この子供達は祈祷師の一種であるという説明を広間に居た際に聞いたが、この子供達からは神秘的な要素は感じられない。
   着ている衣服は先程と同じような刺繍の施されたローブなのであるが、各々の手には何か短く先端が丸い棒状の物を持っていて、しきりにそれを振り上げては『ボンボン』と喚いている。
   どう見てもただの子供そのものである。

 「おい、部屋を間違えてるぜ。 託児所だ」

 ニールがそう皮肉げに言ったが、ベルンは間違いでは無いと言う代わりに、入ってきた通路の戸を閉めた。

 「少なくとも、2・3日はこの部屋で休んで貰います」

 「こんなやりとり、産業塔でもあった気がするであります」

 ベルンの説明に辟易としたのはニールだけでなくヘボンも同様であった。
   一体何の意味があって、この子供達が寄ってくるのか理解出来ない。
   だが、こっちの気など知らないで子供達は無邪気に手にした短い棒で、ヘボンの脚を殴りつけている。
   激痛とまでは言わないが、鬱陶しい上に地味な痛みを覚える。

 「真面目に聞いてください、軍曹。 貴方は邪竜に目を付けられているんだ。 この連中はその目から貴方を遠ざける術を知っている」

 ベルンはヘボンの顔を見据えながらそう言うが、一体何を言っているのかとヘボンは呆れたような顔でそれに答えた。
   ただ、その反応に気を悪くしたのか、足下の子供が力一杯に棒でヘボンの細い太股を殴りつけてくる。
   余りの衝撃にヘボンはそのまま崩れ落ちたが、その体へ子供達が跨がってきた。

 「このままじゃ、何処まで行っても邪竜にしつこく付きまとわれる。 俺は産業塔の騒ぎから、ここまで飛んでくる間、いい手は無いかと考えていましたが、今のところその災難から逃れる為の術はこれしかありません」

 彼は床に仰向けになって子供に跨がられているヘボンを見下ろしながらも、真剣な表情を崩さない。

 「ベルン軍曹。 しかし、これは・・・」

 ヘボンはその余りに突拍子もなく何かが己に対し行われようとしている自体に対して、抗議しようとしたが、今まさにヘボンの胸辺りに跨がっている子供が高く棒を振りかぶったのを見て口籠もってしまった。

 「安心してください。 親父の奴はヨトギに任せて細かい所を話そうとしませんでしたが、それには訳があるんです。 それは、先程見た絵図について、曹長が邪竜が関係していると言いましたが、あれは関係しているどころか、そこの祈祷師達が言うには、邪竜そのものの経緯を指し示している物なんですよ。 ただ口で説明しても理解出来る様な代物じゃないため、私もよくこの方法は理解できていませんが、この祈祷師達がそれを導いてくれるはずであります。 此奴等はその邪竜についての事を細かく教えられる、言葉じゃ無く、体験で・・・」

 ベルン軍曹は丁寧な口調でそう捲し立てたが、ヘボンの顔には棒が今にも振り下ろされそうな恐怖と、今まで冷静そのものだった彼が静かに発狂したかのような言葉の数々に疑問符が幾らでも浮かんでくる。
   確かに先日の産業塔内にてレーベ准尉には邪竜について幾らかの説明を受けたが、それは彼女が耳目省において担当調査をしていた為であったからだ。
  しかし、彼はアルバレステア級の中において、曹長と一緒だった筈で、次に再会したのは産業塔が黒翼隊に襲撃された際に救援に駆けつけた際だった。
  その数時間前に彼が邪竜について細かい情報を知る由があっただろうか。
  レーベ准尉の妹であるエーバ准尉とは数時間の間、行動を共にしていたと聞いたが、果たしてエーバ准尉が邪竜について詳しい情報を有していたのか、そうだとしても、ベルン軍曹等にその正確な事を伝えたのだろうか。
  振りかぶられる棒の脅威に対して、ヘボンの脳はフル回転しながら、様々な疑問を口にしようと唇を動かしたが、それが声になって彼に届く前に棒が振り下ろされた。
  暗転する視界の内に聞いた音は鈍いものであった。

 

 長い間が訪れてから、気付くと膝丈程の草に覆われた草原の上にヘボンは突っ立っていた。 意識は朧気で、視界も何処か歪んでいる。

 (また、夢だ)

 ヘボンはそう朧気に連日と繰り返されているような感覚すら覚える、明晰夢の事を思い出していた。
   だが、これは今までに見た夢とは違う類いの代物だ。
   これまでに見てきた夢は自分が幾らか動けたのだが、この夢は自分はそこに立っているという感覚はあっても、視界が固定されている。
   まるで撮影機のレンズにでもなったような気分だった。
   そして、その視界の先に動きが起きた。
   目の前の草原の上で三人の人物が立っている。
   一方は一人きりで立っていて、その装いは先程広間で見たラーヂそのものだった。
   全身を包帯と革鎧で覆い、淡い光を放つ石を装飾具とし身につけ、手には曲刀を携えている。
   そのラーヂと思われる者と対峙している一人は帝国軍に何処か似ている装いをしていた。
   朱色の軍服に身を包み、軍帽は目深に被られているために目元は判然としない。
   草原には幾らか風が吹いているのか外套を少し揺らしながら、片手には拳銃を握っている。 この帝国軍人と思われる者が着ている軍服について、ヘボンは見覚えがあった。
   視界が固定されている為に、その状況しか見えないために細かいところに意識が回ってしまう。
   だが、見覚えはあるものの、すぐには思い出せない。
   今までの間に見てきた軍服の数など幾らでもあり、その内の一つと当たりを付けるには時間を要する。
   しかし、此方の疑問など意に返さないように景色は動いていく。
   軍服姿の者の外套が揺れる度に、その後ろに隠れている三人目の人物が目に入った。
   この者は小柄であり、朱色の衣を纏っていた。
   風に揺らめく外套と同じように、その小柄な者の生やした美しい長い金髪が風に揺らめいている。
   まるで、小柄な者は軍服姿の者に助けを求めるかのようにして、外套の影に隠れていた。
   明らかに対峙しているラーヂを恐れているのだ。
   何処かで見た登場人物達であると、ヘボンはまたも思ったが、此方がしっかりと記憶を引き出す前に場面は動いていく。
   ラーヂが何やら現地語か何かで喚き散らしながら、曲刀を振り回し始めている。
   だが、すぐに軍服の者へ斬り掛かるという様は見せない。
   軍服の者が拳銃を握っている事もあるのだろうが、その拳銃は銃口を下に向けて降ろされたままで、軍服の者は拳銃を構える代わりに、ラーヂと同じような現地語で何かを叫んだ。
   どのような言語方式であるかはヘボンには理解できないが、本能的に痴話喧嘩のやり取りに似ているように感じとった。
   2・3言程、両者は交わすと、軍服の者は小柄な者を一旦後ろへ下がらせ、拳銃を腰のホルスターへと仕舞い込んでしまった。
   飛び道具を仕舞った相手へすかさず、ラーヂは攻撃を仕掛けるのかと思ったが、ラーヂの方も軍服の者の動きを待っているようで斬り掛かる事は無い。

 この微妙な間も何処かで感じとった物で、それもごく最近の事だとヘボンは感じた。

 (決闘の一種だろうか)

 そう言葉が脳裏を過ぎった際に閃くのは、アルバレステア級においての中佐と卿とのあの一戦の事である。
   お互いに間を読み合って、不必要に動くこと無く間合いを取る。
   それは礼儀に通じる帝国貴族軍人しか為し得ぬものと思っていたが、ラーヂでもその作法は本能的に心得ているのか。
   いや、そんな本能的などという胡散臭い物ではないと、ヘボンはゼェリゴズの先程言っていた事を思い出し一蹴した。
   それは、ラーヂの元は帝国に滅ばされた豪族の出だという話だ。
   ともすれば、ある程度の差異はあれど決闘という気位の高い連中が行えるような芸当は、ラーヂにしっかりと受け継がれているのかもしれない。しかし、ここでヘボンは今思い出した様々な記憶と、この眼前にある光景に一種の同一性があることがわかった。
   それは、軍服が拳銃をホルスターへ仕舞い込んで、それとは対の腰部より引き抜いた軍刀の構え方にあった。
   軍服の者の構えを見た途端にヘボンは瞬時にこの幻想のような自体と現実が被さったような衝撃を覚えた。
   軍服の構えは、軍刀を大きく振りかぶる単純な物に見えたが、そこには単純性こそが複雑な武芸を打ち破るのと宣言するかのような力強さがあった。
   そして、それはあのアウフレヒト卿が艦内で見せたあの構えと同一のものであったからだ。 あの時の彼は生体防護服の内に狂気を宿した化け物と化していたが、その中身が今まさに目の前にいるのだ。
   決して誰が振りかぶって構えようとアウフレヒト卿と似たような事にはならないだろう。
   本来、肉腫の塊のようになってしまう生体防護服を着込んで剣を振りかぶるということは、頭部の生体防護部が邪魔をしてしまい、振りかぶるという事自体が困難である。

 だが、卿はアルバレステア級の艦内の死闘において、生体防護部の膨らみを簡単に越えるほどの腕の伸縮を見せ、軍刀を振りかぶっていた。

 (あの人物はアウフレヒト卿なのか)

 咄嗟にヘボンには軍服の姿と、あの生体防護服の異形が合わさるような錯覚を覚え、その光景から目が離せなくなってきていた。

 

 ある程度、沈黙が続いていたが、それを真っ先に破ったのはラーヂの方であった。
   聞き取れない怒声を上げながら、曲刀を構えては上段に構える軍服へ突っ込んでいく。
   ラーヂの曲刀の狙いとは何処かと、ヘボンは目を細めるような感覚でそれを見極めようとした。
   視界も意識も朧気だと言うのに、刃の動きは歪んだ風景を文字通り切り裂いて、そこだけを鮮明に切り開いているかのような鋭い殺気を放っていた。
   ラーヂの刃は横へ薙ぐようにして、軍服の頭部へと狙いを定めているように見える。
   上段の構えに対して、小手先の仕掛けで胴や腕を狙おうと、あの高く振りかぶった振り下ろしは、姑息な技など全て叩き斬ってしまうだろうと踏んだのだろう。
   だが、派手な剣戟などは起こらず、勝負は一瞬にしてついた。
   頭部を薙ごうとしたラーヂの刃の前に、素早く振り下ろされた軍服の刀が飛びかかっていったラーヂの横腹へ、刃を振り下ろしていた。
   ラーヂは勢い余って、腹部へ切り込まれながらも、軍服の脇をすり抜けるようにして突っ込んで、そのまま草原の上に突っ伏した。

 「・・・てめぇっ!」

 しかし、それでも尚、闘志は消えること無く、曲刀を杖にして半身だけ上げては、軍服にむかって顔を向け、怒声を上げた。
   今までは彼等の言葉が聞き取れなかったが、一瞬の死闘が過ぎ去ってからは、視界も聴覚も幾らか透き通ったものを感じる。

 「俺の女を・・・けぇしやがれっ!!」

 ラーヂは半身のみでも戦うという意思の表れを示すように、軍服へ吠えた。
   彼の体へ幾重にも巻かれた包帯から血が滲み、皮鎧は血で黒く変色し始めている。
   蒼い草原をどす黒い血が犯し始めていた。

 「・・・お前のような野蛮人に、彼女は渡さない。 お前等の陳腐な慣習に、彼女をもう縛り付けさせはしない」

 軍服は一定の間合いを取りながら張りのある声で宣言し、軍刀に付いた血を外套で拭った。 既に闘志は消えずとも、体がそれに付いていくことはないだろうと踏んだのか、吠え立てるラーヂを無視して、軍服は背中を向けた。

 その背中に、身を引いていた小柄な金髪の女が縋り付いた。
   女は一瞬、ラーヂの方を振り向いた。
   その顔には侮蔑の色でもあるのかと、ヘボンは咄嗟にそう想い顔を注視したが、女の顔には何処か悲痛な色が有り有りと浮かんでいた。
   そして、軍服と女は草原の彼方へ歩み去って行く。
   ラーヂは遂に草原に完全に突っ伏してしまい、もはや罵詈雑言はおろか、呻き声すら上がらなかった。
   草原がどす黒い血に染まっていき、周囲の風景もそれに準じたように黒くなっていく。
   一体、何が起きているのかヘボンには理解が追いついていないが、眼前の風景にはまだ動きがあった。

 突っ伏したラーヂの傍へ駆け寄る何か小さい物が見えた。

 風景は黒くなり始めているために、鮮明にその小さい物がなんであるかは判然としなかったが、突っ伏したラーヂに寄り添っては何か嗚咽を漏らしているようだった。

 そして、嗚咽を上げる何かが、今までずっと風景の登場人物達と無関係だった観察者であるヘボンに対し、今更ようやく気付いたように、此方へ振り向いた。

 「あっ」

 咄嗟にそれを見て思わず、小さい驚嘆の声を上げたのはヘボンの方だった。

 顔を此方に振り向かれた途端に、小さい物の姿が明るく鮮明に光った。

 

 それは、己をこの異様な状況を根本的に引き入れた女の姿を、随分と幼くしたものだった。 今、ヘボンの目の前にいる少女は第13特殊空域旅団所属の『ツェツェーリエ・フォン・ラーバ中佐』その人にしか、ヘボンには見えなかった。

最終更新:2017年11月11日 11:08