操舵手ヘボンの受難#36『夜空の墓標』
兵士の仕事とは基本的に待つ事だと、今まで聞いてきたが、その深夜帯の先行偵察とはどちらかと言えば正にその通りだと思える内容だった。
二つの月光はリューリア空域の空をしっかりと照らしており、複雑で困難な夜間飛行を随分と容易にしてくれていた。
強い月光は明るく地上も照らし、草原地帯の終わりを徐々に告げるように草の中から目立ち始めた岩や土の色から、荒野の到来を教えてくれている。
此方より先行していた、飛行部隊は部隊長であるニベニア准尉へ、異常が無いことを告げると、後方のレリィグへ向かってそそくさと飛んでいった。
ヘボンの操るコアテラは低空飛行しており、真下には地上を軽快にヴァ型が走っている。
「もう少し、高度を下げても良いよ。地上部隊との連携を練習しよう。地上部隊から距離を置きすぎないよう時折旋回をして、周囲に目を配っておくんだ」
そう落ち着いた声が飛行帽の側面に接続した受信端子より響いてくる。
声の主であるニベニア准尉のコアテラはヘボン機からある程度上を飛んでおり、その上にはヘンシェルデ兵長機が飛んでいる。
ヘボン機の位置から見ればまるで点のように小さく見えるヘンシェルデ機は、高度の高さからそのうちに薄い雲の中に入ろうとするまでに高い。
「随分と、高度を空けるのでありますね」
「警戒時以外はね。この方が偵察範囲が広くなる」
ヘボンの質問に対し、准尉は常に落ち着いた調子に返してくる。
確かにその調子からは大ベテランとのフレッド准尉からの太鼓判にも、納得出来るようにも思えた。
しかし、目下のヘボンの不安と言えば、少し自身の位置よりも上の銃座に居座っている異国情緒溢れるヨトギ少年の事であった。
先程の准尉に説明された際から、何処か上の空の様な調子であったが、実際に飛んでみれば少年の呆然とした態度は更に顕著になり、銃座においての偵察任務どころか、ずっと機体の上を飛ぶニベニア機へ好奇の目を向けているようであった。
何か指示を与えられればまだいいのだが、彼には言葉が通じないらしく。
銃座に居座っているだけで、備えられた機銃も撃てるのかすら怪しい。
「しかし、准尉殿。一体、彼をいつまで銃座手にさせておけばいいのでありますか?」
「それはさっきも言ったとおり、代わりがいないんだ。ただまぁ、荒事に関してはズブの素人じゃぁないだろう。何せラーヂの者だ。きっと役に立つときがすぐくるよ」
ヨトギの暢気そうな姿を操縦席から、不安げに見上げるヘボンは准尉へそう言ったが、返ってきた通信は気が無い。
准尉としてもヨトギ少年の扱いには困っていることが窺える。
先程までに軽く聞いた話では、無理に銃座から退去させようとすると、ヨトギ少年は身につけている曲刀の柄に手を掛けて威嚇してきたらしい。
外見に寄らず、随分と血の気が多い性格なのだろうと、准尉はそう彼を観察したが、そんな者が自分のすぐ真上に立っていると思うと、心強いどころか刃先が何処にでも向くような包丁と一緒に居るように思えてくる。
「心配は無用ですよ。特務曹長、彼は腕利きの剣士です」
いまいち不安を拭えないヘボンを慰めるように、今度は地上を走るヴァ型から通信が入る。 丈が長い草原地帯に上手く溶け入るように迷彩された、ラーヂ所有のヴァ型から此方を見上げている一人の兵士が目に入った。
「ベルン軍曹・・・」
ヘボンは通信を返しはしなかったが、飛行帽の内で呟いた。
コアテラの操縦席から見える視界に、離れてはいるがヴァ型の銃座より此方を見ているガッシリとして送信機を口元に当てているベルンが見えた。
その顔は風から身を守るために、ラーヂ達の身に纏っている包帯で包まれていたが、あの特徴的に筋肉質でがっしりとした体躯によって、彼がそうだとすぐに気付いた。
3日前に穴蔵で昏倒して以来の再会となるが、彼には既にヘボンの名目上の昇進が知られているようで、彼の外見に似合わぬ畏まった口調が少々型に嵌まっているように思える。
「以前まで、ヨトギは親父の護衛もしてましたからね。そいつがいれば絶対、安心ですよ」
彼はそう力強い声でヘボンに通信を飛ばしてくるが、いまいちヘボンは安心が出来ない。
幾ら屈強なベルン軍曹のお墨付きの剣士といえど、コアテラの銃座にて一体卓越された剣術が何の役に立つのか皆目見当が付かなかった。
しかし、彼がそんなに言うほどならば、きっと心強い人物なのだろうと、ヘボンが改めて銃座の方をゆっくりと見上げると、当のヨトギ少年は身に纏った厚手のローブを毛布代わりにして銃座の隅で眠りこけていた。
どうやら、上を飛ぶニベニア機を観察するのに飽きてしまったらしい。
「私より、彼の方が安心しきっているじゃないか」
ヘボンは飛行帽の内で眉を潜めながら、独り愚痴を漏らした。
静かな時間が過ぎていった。
特に眠気を誘うほどでも無かったが、単調な偵察と定時連絡に飽きが来そうである。
しかし、決して自分達が常に危ない刃の上を歩いている事は忘れてはならない。
今は幾ら静かであろうと、その平穏は一発で簡単に崩れる。
況してや、装甲も無いコアテラでは敵の奇襲や待ち伏せに気付くことが出来なければ、一瞬で命を落とすほどに脆い。
その為、幾ら退屈な心境に陥ろうとしても、常に恐怖を心中に漂わせておかなければ、長生きは出来ない。
その点については、今まで長い間ヘボンが操舵手を務めたラーヴァナ級夜間強襲艦で大いに学んだ事の一つである。
歪で大きな形状をした操縦桿を握り、前方の夜空を見つめているときは、まるで手にしている操縦桿から生体器官の心境が伝わってくる感覚があった。
今でもその波長を感じてはいるが、ラーヴァナ級と比べてコアテラの波長は小さく儚い調子に思える。
先程の整備具合を見て随分と調子は回復しているように思えたが、寧ろ逆に平穏に長いこと身を置かれると緊張させる癖があるのだとヘボンは感じとった。
ある程度の緊張は生体器官に良い刺激を与えてくれるが、これが強すぎると出力器官に悪影響が及ぶ。その点は文字通り生物同じであり、帝国操縦手は常に生体器官をちょうど良く宥める必要がある。
「・・・大丈夫さ。何も起こらないよ」
ヘボンはそう呟きながら、操縦桿にある程度の力を加えた。
微妙な力加減と操縦手の気持ちが生体器官に様々な影響を及ぼすことは、よく知っているが、だが、今の機体はヘボンの宥め方に少々合わないのか、生体器官から発せられる波長計器針を少々激しく揺らした。
その針の動きにヘボンは少し目を見張った。
此方の呟きや宥めに反応を示すのは長年の経験で、別に不思議とも何とも思ってはいない。 しかし、彼女はまるで緊張している訳では無いと答えているようにも思えてきた。
だとすると、何を訴えているのかとヘボンは思案したが、その答えは薄らとであるもののすぐに浮かんできた。
「・・・見られてる」
ヘボンが脳裏に浮かんだ言葉を事も無げに呟いた時、銃座の少年が身を起こしていた。
「蓋から、各機へ。10時方向雲より、機影を見とむ。三機。・・・注意されたし」
ヘボンが呟き、ヨトギが身を起こしたとほぼ同時に上空を飛ぶヘンシェルデ機から通信が入った。
それを聞いた途端にヘボンは反射的に身が強張った。
「鍋から、蓋へ。機影を確認して、機種は判別出来る?」
「蓋から、各機。機種は『ゲラァ級連絡船』三隻。・・・3隻共船底にマコラガ護衛機を搭載している」
ニベニアの口調は未だに穏やかであったが、徐々にコアテラを上昇させている様から見るに、警戒態勢に入っているように窺える。
ニベニアの通信に対して、ヘンシェルデ機の反応はごくごく冷静に状況を見ていた。
通信にあった『ゲラァ級連絡船』とは貴族達が移動用に用いる極々一般的な船であり、そのゲラァ級自体は問題がなさそうに感じたが、問題はその搭載しているマコラガ護衛機であろう。
「所属は確認できる?」
「月影により模様を識別出来ないが、黒くは塗られていない。・・・月見か?」
「こんなご時世に随分と風流な集まりだね。所属を信号で確認してくれ」
ニベニア准尉とヘンシェルデ兵長との通信は極々落ち着いていたが、その内容から感じ取れる緊迫感にヘボンは聴覚を通信機へと集中させる。
少々長いように感じられる沈黙の後に、続けて通信が入った。
「蓋より鍋へ。通信に応答無し。光も音声も駄目だ。依然として目標は距離を保っている」
「鍋より蓋へ、了解した。警戒せよ。フレッド准尉に出て貰おう。護衛機は彼女の専門だ」
ニベニアの落ち着いた通信に反応するように、地上のヴァ型が一機、併走から外れて後方へと走り始めた。
どうやら通信範囲の中継として後方に下がるらしく、機体上部に備えられたアンテナが僅かに回転して作動している様がヘボンには見えた。
「鍋より蓋へ、所属確認と飛行目的を聞き続けて。いい加減に応答が無い場合は撃墜しても良いよ」
ニベニアはそう軽い調子に通信しているが、大した武装もしていないであろうゲラァ連絡船はともかく、相手は護衛機も搭載しているというのに随分と強気な様子にヘボンは耳を疑ったが
「了解。・・・新入りに良いところ見せてやるよ」
このヘンシェルデ兵長というのも相当に強気なのか、それとも狂っているのか軽い調子で通信を返してくる。
このやり取りにヘボンは固唾を呑んで上を見上げた。
操縦席から銃座へは吹き抜けになっており、ある程度上空の様子を確認できるが、二つの月の合間をヘンシェルデ機がゆったりと浮かんでいる他は、突如として現れたゲラァ連絡艇は目視出来なかった。
また、暫くの間、沈黙が続いた。
ヘンシェルデ機からは相手を誰何する内容の光信号が、一定の間隔を置いて点滅している様が朧気に見える。
ゲラァ級が此方の信号に対して応答しないのは、単純に通信機の調子が悪いのか、光信号の装置が壊れているのかもしれないが、それにしては三機も雁首を揃えておいて全て壊れているのは異常な事態であった。
そして、その疑問についての答えはすぐに明らかになった。
不安げに上空を見つめるヘボンとヨトギの耳に、突如としてハッキリとした砲撃音が上空より響いてきたのだ。
「撃ってきた!三隻共武装してる、工作艇だぜ」
受信機からヘンシェルデ兵長と思わしき声が聞こえてきた。
慌てて目を細めながら上空の様子を確認すると、ヘンシェルデ機は少々高度を急激に上昇させることによって難を逃れたか、ゲラァから距離を置こうと急旋回を行おうとしているのが見える。
「お熱い挨拶だね。曹長、兵長を支援する。上昇してくれ」
少々興奮した調子に准尉から通信が入ってくる。
その声音は何処までも愉快で、お楽しみが始まったとばかりに興奮していた。
この様な調子の兵士達をヘボンは多く見ていたが、相変わらずヘボンの額からは緊張による脂汗が滲み出た。
「やっぱり黒翼隊だろうか?」
コアテラが緩やかではあるが、夜風を吹き上げるように上昇する最中、准尉は独り言のように通信を飛ばしてくる。
急激な上昇によって吹き付けられる風に銃座にいたヨトギは思わず身を屈ませていたが、怯んだというよりは風からの適切な防御措置を行っているようにヘボンには見える。
「違うね、絶対違う。連中は過激派かなんかだ、練度がなっちゃねぇ」
誰も准尉の独り言に答える者はいないと思われたが、それに対して一番意外なことに、現状最も危険な位置にいるヘンシェルデの方から回答が飛んできた。
「厳密には黒翼隊になるかもしれんが、連中が急募した民兵紛いの奴等だろ」
きっぱりとヘンシェルデから通信が飛んでくると、兵長の機体が旋回をしながら銃座に搭載された連結機銃をゲラァ達に向け、散発的に発砲している様が見えてきた。
既にニベニア機とヘボン機は、回避軌道を取りながら応射しているヘンシェルデ機の付近まで上昇していた。
ヘボンの目には10時方向に群れて飛ぶ機影が三つ見えている。
それらが先程のヘンシェルデの通信からは打って変わったように、目映いまでの光信号を次々に発している。
その勢いはまるで舞台の演出かと思われるほどの目映さであったが、それに砲火の彩りまで加えてくれるとはサービス精神が旺盛だ。
ゲラァ連絡艇自体には武装が無いと思われていたが、それは間違いであった。
艇下部に生えている四本の短い脚の様な生体器官の前部中央に、まるで石碑をひっくり返したような三角形の回転砲塔があったのだ。
とはいえ、その砲塔に備わっている砲は、半ば砲身が短すぎて見えないほどの物で、砲塔から覗いているその様は石碑に目玉が4つ浮き出ているような具合だった。
その4つの目玉から次々に砲弾が撃ち出されてくるが、最もゲラァと距離が近いヘンシェルデ兵長のコアテラは大して急な動きも取らずにそれを回避する、というよりは見送るような調子で浮かんでいた。
「この距離なら当たらねぇ・・・というか、届かねぇ。彼奴ら、軍属ですらねぇぞ」
ヘンシェルデはそう敵機が放ってくる砲弾が自由落下に任せて、機体の下へと掠りもせずに落ちていく様を嘲笑うように叫んだ。
「革命精神旺盛な三流貴族かもしれないね。兵長、どうする?弾切れを待って投降を促すかい?」
「いや、お熱を冷ましてやるさ。突出してる右のゲラァに仕掛ける」
「了解。曹長、僕の後ろに付いて・・・戦争を見せてあげるよ」
昂ぶっているヘンシェルデに対し、ニベニアは宥める訳でも制止をする訳でも無く、寧ろ彼の激情を揺さぶるようにして、攻撃行動を許可した。
即座に上昇していた二機の高度がほぼ同じ位置にあり、ヘボンはニベニア機がよく見える後方へ張り付かせた。
銃座にあるこちらの38連機銃で援護行動に加わることも出来たが、銃座のヨトギはただじっと前方の様子を見ているだけで、機銃の発射装置に触れもしない。
その怠惰な少年の動きを見上げつつ、ヘボンが少々やきもきしていると、前方でニベニア機の機銃が凄まじい音を立て射撃を加え始めた。
月光に照らされる夜空を曳光弾が舞い、此方に対して無謀な砲撃を繰り返してくるゲラァ達よりも遙かに正確な弾幕を見舞っている。
すぐさま前方に見える左側のゲラァが被弾して炎上する様が見えた。
元より砲を搭載していたとしても、ゲラァは民間機となんら変わりない。
今まで戦闘機や武装艦艇等と戦闘を繰り返していて、ヘボンにはコアテラが貧弱な機体だと思っていたが、仮にも強襲艇の名前が伊達では無いことを思い知った。
炎上する左のゲラァは即座に浮力を失い始めたか、炎に包まれながら降下し始めている。
「流石、民間艇だ。脆いぞ」
ニベニアの楽しそうな声が聞こえてくる。
まるで射的を楽しんでいるかのようだ。
常人の発する感性では無いように思えたが、これが戦場に身を置く常人の発想であるとヘボンは思い直した。
「マコラガを降ろさせる前に片付けよう。フレッドには楽をして貰わないとね」
そうニベニアが通信を飛ばしたときには、既に右上方からヘンシェルデ機が緩やかに旋回しながら、右方を飛んでいるゲラァへ襲いかかっていた。
「あの女の給料からこっちへ上乗せして欲しいぜ」
ヘンシェルデの興奮した声と共に、ゲラァの上部へ機銃が一斉に撃ち込まれていった。
この距離まで近付くと、ゲラァの上部に対空銃座と思われる物が二つほど設置されているのが確認できたが、その銃座はヘンシェルデへ一発も放つ前に、激しい銃火に覆われ炎上した。
今の一連の動きに2分も経っていなかった。
ヘボン機を除いたコアテラ2機は、空の狩人とも形容できる迅速な動きで、ゲラァを2機仕留めていた。
残った前方中央のゲラァが、この事態に激しく混乱している様が外からでも見て取れる。
ゲラァ連絡艇は右往左往どころか、上昇する訳でも下降する訳でも無く、ただぼんやりと空中に浮かんでいるだけで、調子の狂った光信号を無意味にも放ち続けている。
その信号の内容は降伏でもなんでもなく、ただただ意味の無い発光の連続だった。
「戦果報告。敵性工作艇2炎上」
代わりにヘボンの耳に響いてくるのはヘンシェルデの興奮した声で、彼の機は混乱する中央のゲラァを無視してその後方へ飛び去り、もう一度撃ち込んでやろうかと機会を伺うように旋回している。
「少しやり過ぎたかな?曹長、君も撃つかい?」
不意にニベニアが此方へ話しかけてきた。
それは正に獲物を譲るような調子で、ヘボンは思わず肩を震わせた。
「いえ、既に敵の戦意は無いかと」
そう少々声を震わせるようにして、通信を返すと、ニベニアは少々不服そうであったが了解した様子で、残ったゲラァ工作艇に向かって投降を促す信号を送り始めた。
なんとも恐ろしい味方だとヘボンは思った。
ここまで相手を撃ち落とすことに容赦の無く愉快そうにしている味方を見るのは、ヘボンにとって初めての経験と言えた。
ミュラー曹長やベルン軍曹の鬼気とした戦いぶりも間近で見てきはしたが、彼等のソレはまた次元の違う物と思った。
さっきも思ったようにまるで射的に来たような調子で、此方が返り討ちに遭うという危機感が全くない。
この様な気配はラーバ中佐からも感じはしたが、彼等のそれは彼女より幾らか顕著に感じられる。
そう薄ら寒い物が背中に這う気配をヘボンは感じ、もしかすると銃座にいるヨトギの方も彼等と同じであるのかと、言いようのない不安を感じて、思わず銃座を見上げると、少年は飛行帽も被らずに風に抗いながら目を細めて、炎上し落ちていくゲラァを見ていた。
その目には恐怖も無ければ高揚の色もなく、先程の暢気そうな外見とは豹変したように冷静に様子を見守っていた。
(彼は一体何者なのだろう)
少年を見上げながらヘボンは胸中に疑問を抱いた。
だが、その疑問を彼に対しての詮索へ変える前に、その少年はあっと驚いたように声を漏らし、前方を指差した。
その指を差された方向へ慌ててヘボンが目を移すと、前方のゲラァに動きがあった。
「今更、マコラガを出すのか・・・遅すぎるね」
ヘボンは慌てていたが、ニベニアの声はどことなくこの事態を待っていたとばかりに歓喜している節があった。
前方のゲラァ工作艇の下部から、マコラガ護衛機が夜空に飛ぼうとしているのが確認できた。
工作艇自体は此方の降伏勧告に対して、相変わらず意味不明な光信号を放っているが、この護衛機を出そうとする動きは明らかにまだ抗戦の意思があるように見て取れた。
「兵長、お楽しみだよ。君は後ろから、僕は前からだ」
だが、此方も依然として好戦的な意思は崩さないらしい。
兵長機から了解の意思を告げるクリック音が二回響いてくる。
マコラガ護衛機がゲラァ工作艇の下部から一本一本緩慢とも見える動きで、固定ワイヤーを外している様を見ながら、ニベニアが指示を飛ばしている。
その声を聞きながら、ヘボンは精々、邪魔にならないように機体をニベニア機から更に後方へ遠ざけようとした。
その際に彼等は敢えて、敵機と戦いたいが為に、わざわざ飛び立つのを待っている気配を見て、ヘボンは異常だと思った。
「フレッド准尉には、取り越し苦労になるが、勘弁して貰おうね」
ニベニアはまた独り言のような事を、余裕そうに呟いている。
どうやら彼等の辞書には『傲慢』という単語はないものと思われた。
「・・・敵強襲機に告ぐ、貴様等の隊長を出せ」
だが、急に耳元に彼等の物では無い声が響いてきた。
此方と同じ通信回線に割り込んだらしく、音声は雑音が多少混じっている。
少々声の高い調子から若い男の声と思われた。
発信源がどこからかはすぐに見当が付いた。
今まさに飛び立とうとしているマコラガ護衛機からで、同じ内容の光信号が放たれているのが確認できる。
「・・・隊長と言えるかは疑問だが、少なくともこの場では僕が一番目上だ。第13特殊空域旅団所属ラーバ中佐指揮下の護衛艇部隊長のニベニア准尉だ」
その通信内容に答えるようにして、ニベニアは先程の面白おかしそうな調子を潜めて、ごくごく平静に応答した。
それに対して、マコラガから続けて通信が飛んでくる。
「貴様等が何故此方を攻撃したか問いたい。我は西方貴族ラカンベリ家の嫡男サバン・フォル・ラカンベリだ。軍上層部に報告してやる」
マコラガから聞こえてきた声も中々に傲慢な色があったが、それが虚勢であることはすぐに判別出来たし、元より攻撃をしてきたのは其方の方では無いかと、ヘボンは喉から声が出そうになったが、この場は上官であるニベニア准尉に任せることにした。
「そういう自己紹介は事前にやって頂きたいね、閣下。部下は事前に其方へ対し誰何したし、それを無視して攻撃を仕掛けてきたのは其方だ。我々は正当な措置を執ったと判断している。・・・大方、其方が此方を撃墜してからそう説明する予定だったのだろうが、随分と手順を間違えたな」
貴族の嫡男と名乗る相手に対し、ニベニア准尉は相手を嘲笑うかのような見下した口調でそう返した。
それに対して、サバンと名乗った通信相手は声を恐怖に震わせながら応答する。
「黙れ!下民風情が!このままでは済まさぬぞ!」
「いや、このままで終わらせるね。・・・兵長、墜とすぞ」
半ば狂乱した声を出す相手に対し、ニベニアはそう一蹴して、ヘンシェルデ機に指示を飛ばした。
途端に二機のコアテラが唸りを上げてゲラァ工作艇へと距離を詰めた。
咄嗟の動きにヘボンは身を強張らせながらも、今までの経験から巻き添えを食らってはならないと判断し、操縦桿を引き上げて機体を上昇させる。
「曹長、見学はその辺でいいだろう。工作艇を墜とせ。此方は護衛機を片付ける」
上昇機動の際にニベニアから指示が飛んできた。
彼等が戦闘を楽しんでいる狂人にすらヘボンは思えていたが、改めてその指示に即座に従っている己も彼等とさほど変わらないことが判った。
銃座のヨトギは依然として立ってるままなので、此方は噴進砲のみが扱える装備だと思い、上昇した際にゲラァ工作艇の上を通り過ぎざまに撃ち込もうと機首を上げる。
素早く視線を下げれば、そこには夜空をゆっくりと堕ちていく炎上するゲラァ工作艇が見える。
それは夜空に浮かんだ墓標の様に、周囲をわずかに照らしていた。
あの燃え盛る炎の中で幾人が地獄の猛火に苦しんでいると思うと、ヘボンは只管に己が同じ立場にならないよう心掛ける他なかった。