『連続負傷』

 操舵手ヘボンの受難#37『連続負傷』

 

 ヘボンのコアテラが上昇しながらゲラァ工作艇へ距離を詰めると同時に、ニベニア機とヘンシェルデ機は統率の取れた動きで、マコラガを空中に放り出そうとしているゲラァ工作艇の下部へ左右に分かれて展開する。 
  その動きは実に無駄の無く纏まったものであり、規律の取れた軍隊行進のような気配さえ感じさせる。
  二つの月が放つ月光が中途半端に雲に覆われていき、機影が薄暗くぼやけたり鮮明に輝いたりを繰り返しながら、適当な攻撃位置を探るようにコアテラ達は旋回を続ける。
  ヘボンは素早く噴進砲の照準を操縦席の前面にある窓枠よりゲラァ工作艇の上部に向けて照準する。
  工作艇の上部には対空機銃銃座などは見当たらず、依然として狂ったような光信号を意味も無く激しく点滅させている様は一種の断末魔の様にも思えた。
  照準計の目盛りから下方に見えるゲラァが定まっていく内に、ヘボンは悪寒にも似た胸の高鳴りを感じ、口を小さく開き息を吐き出しながら慎重に狙いを定める。
  何しろ素早く正確に砲を放たねばならない。
  この数秒の間は此方が有利な様に思えていても、一瞬にして形勢が覆されてしまうのが戦場の常であり、絶対的有利という言葉は存在しない。
  かといって、噴進砲は対空兵器で無いために慎重に狙いを定めるといった用途には向いておらず、浮遊するコアテラからでは必然的に不安定な射撃姿勢になってしまう。
  その一連の照準修正を素早く行いながら、ヘボンは狼狽えるような息遣いで視線だけをゲラァの上部だけに集中させ発射桿を引いた。
  即座に噴進砲の砲撃音が夜空に響き渡る筈だった。
  だが、依然として夜空にはコアテラとゲラァ工作艇の低い生体音と風の音しか聞こえてこない。

 「なんだ?」

  ヘボンは思わず間抜けな声を出しながら、もう一度発射桿を引いた。
  しかし、依然として砲の反応は無く、眼前の照準計からは相変わらずゲラァの光信号が鬱陶しいまでに輝いている。

 「竈から鍋へ、噴進砲に異常あり。発射不可」

 途端にヘボンの顔から血の気が引いて、送信機に向かって声を発した。

 「なんだって、もう一度繰り返して」

 受信機より返ってきたニベニアの声は慌てているような色は無いが、少々不機嫌そうにヘボンには聞こえる。

 「発射桿が反応せず、攻撃続行不能」

 「整備連中がミスったね。下がるんだ、曹長」

 ニベニア機はゲラァ工作艇の下部へと回り込みながら照準をしていたが、それでも彼は冷静にヘボンに指示を飛ばしていた。
  攻撃方法がヘボンのコアテラにこれ以上無いわけではなかったが、ヨトギ少年では銃座に発射装置が備えてある連発機銃を扱うことが出来そうに無い。

 「退くぞ!」

 ヘボンはそう一応銃座へ向かって叫んだ。
   ヨトギ少年については言葉が通じているのか判らないが、一応の事は告げておこうと咄嗟にヘボンは思って声を掛けたのだが、銃座にいるべき少年はそこに居なかった。
   勿論、操縦席の方にも下ってはいない。
   文字通り銃座から姿を消していた。
   一瞬、彼がどうなったのかとヘボンの脳はパニックを起こしたが、視線を一旦前方へ戻した際に少年がいなくなった理由が判り、目を限界まで見開いていた。
   現在ヘボンのコアテラはゲラァ工作艇の上部甲板にあった。
   先程の発射のタイミングを逃してしまい接近しすぎてしまったのだ。
   だが、彼が驚いて目を見開いてゲラァ工作艇に目を向けたのはその上部甲板に一目見ただけでは何か布切れが甲板に引っ掛かっているのかと錯覚するまでの装いをしている、ヨトギ少年が甲板の縁へしがみついているからであった。

 「准尉っ!銃座手がゲラァに飛び乗った!」

 ヘボンは慌てて通信機にありのままを叫んだが、これには狂人じみている彼等さえも幾らかの驚きと困惑を覚えた。

 「何をするつもりだ…鍋から蓋へ、一旦攻撃を止めろ。止めるんだ」

 通信機から聞こえてくるニベニアの声には明らかに動揺の色があり

 「なんだってんだ!アイツは!」

 ヘンシェルデからは驚愕とも罵りともつかない叫びが聞こえてくる。
   ヘボンはその声を通信機越しに耳に入れながら、視線を甲板上のヨトギ少年に向けた。
   彼は今にも空中に投げ出されてしまいそうな強風に身を晒しながらも、必死に落ちまいと甲板の縁にしがみついては、それ以上に何をしようというのか、上部甲板から内部へ通じるハッチを目指して這いつくばって進んでいる様に見える。

 「移乗攻撃をするつもりだ…」

 ヘボンは呆れるような声でポツリと呟きながらも、これ以上の不用意なゲラァへの接近は危険だと感じ、操縦桿を引き更に機体を上昇させる。
   無理に接近してヨトギ少年を回収するべきだ等と人道的な事は一切考えなかった。

 「正気の沙汰じゃねぇや、殺されちまう」

 ただヘンシェルデの嘲笑うような落ち着き払った声だけが通信機越しにヘボンの耳に響いている。

 

 ゲラァ工作艇の上部甲板に何故、ヨトギ少年が無謀にも飛び乗ったかと言えば、これが馬賊たるラーヂ達の通常戦術であったからに他ならない。 
   積極的な奇襲と強襲を持ってして、敵を制圧し物資を奪う。
   ただ、彼にはここが地上で無いことと不安定な空中に居るという認識が明らかに欠如していた。
   それでもその様な常識や理性は現在、なんの役にも立たないと彼は頭の中で勝手に切り捨てられ、脳に残る物は戦闘についての事だけであった。
   甲板を這うようにして進みながらも、素早くハッチの取っ手へ手を掛けた時、ヨトギ少年は自身が身に纏っているローブの内より曲刀を引き抜いた。
   引き抜かれた刀は月光を帯びて妖しく光って見せ、僅かにその曲刀を掲げると切っ先をハッチの隙間へ向けて鋭く突きだしていた。
   ここまでの過程はヘボンからにしても、なんとかコアテラの操縦席より確認することが出来たが、ヨトギ少年がこじ開けたハッチより中へ飛び込んでからは全く内部の様子が判らなくなった。

 「准尉、攻撃許可をくれ、ゲラァごと叩くなら今だぜ」

 耳にヘンシェルデの通信が入ってくる。
   ヘボンは驚いたようにヘンシェルデ機に目を向けるとゲラァ工作艇の下部側面に向かい合うようにして飛行姿勢を整え、今にも連発機銃を見舞おうとしている様が見えた。

 「待ってください、兵長。銃座手が中に…」

 口籠もるような怯えた声でヘボンは声を発したが、それは彼の怒声に打ち消された。

 「訳もわからず敵機に飛び乗る阿呆が悪いんだ!馬賊の一人や二人関係ねぇっ!」

 彼は今にもゲラァに鉛玉を撃ち込んでやろうと、勇んでいるのであろう事が通信機越しでもよくわかった。
   しかし、今にも発射桿を引き切りかねないヘンシェルデ兵長にニベニア准尉が待ったを掛ける様に通信に割り込んだ。

 「落ち着くんだ。それよりも、さっきの貴族が使ってきた回線に合わせろ。まずは様子を見る。マコラガ一機に慌てるなんてらしくないよ、ヘンシェルデ」

 准尉は兵長を宥めるような口調で話しかけると、彼は小さく舌打ちの音をしっかりと通信音に残しながら、相手の様子を伺うように指示してきた。
   一旦ヘボンも安堵したが、すると何故馬賊の彼の安否について安堵したのか自分でも不思議に思えた。
   しかし、その妙な疑問を掻き消すように先程にサバンと名乗った貴族の声が彼等の鼓膜を震わした。
   それは強い恐怖によって引き起こされた絶叫であり、しきりに何か訳もわからず叫んでいるようだった。

 「───奴を殺せ!───殺せ!──落ちるぞ!…上げろ!」

 音声は途切れ途切れで、サバンという若い貴族と思われる声が時折強く響いている。
   何かの拍子で音声通信の送信スイッチを押したままなのか、声が脈略も無く流れてきていた。
   未だにマコラガはゲラァ工作艇の下部から離れることが出来ないようだった。
   ヘボンは困惑した眼差しでゲラァ工作艇を眺めていたが、先程まで狂ったように点滅していた光信号が止んでいた。
   それどころか、工作艇が徐々に高度を下げ始めている。
   中で何が起きているのかわからず、工作艇の周囲を伺うコアテラ達は工作艇の動向を監視するように高度をゆっくりと下げたが、工作艇が降下していく勢いが恐ろしく強い。

 「これじゃ、落下だ」

 ヘボンは依然として高度を下げ続けるゲラァ工作艇に合わせるように機体を下降させる。
   先程に兵長と准尉に炎上させられたゲラァ達よりも遙かに早いスピードで落ちていく。

 「…降伏するっ!准尉っ!我は投降……」

 一瞬ちぐはぐな声で、准尉に対してサバンが叫ぶ様な声を出した。
   だが、彼が言葉を言い終える前に通信は途切れた。
   工作艇の内部で本当に何が起きているのか、ヘボンは混乱したが、状況を整理する前にヨトギが乗り込んだゲラァが落ちていく。
   このままではマコラガを下部に抱いたままにゲラァ工作艇は墜落するだろう。
   そうなれば、あのよくわからない馬賊の少年の末路がどれだけ悲惨なものになるであろうかは容易に想像できる。
   咄嗟にヘボンは操縦桿を押し下げて、機体を通常よりも強く下降させ始めていた。
   上昇している際に感じる浮遊感とは真逆の感触を感じる。
   今立っているような場所の床が突然消失してしまったような、ブレーキも掛からない重力に逆らわない降下速度であった。

 「曹長、捨てておけ!」

准尉の声が受信機より強く響いたが、ヘボンは顔を青ざめさせながらもそれを無視した。 
既に追従するように降下していた准尉達の機体も降下していくゲラァをそのままに見送っていたが、ヘボン機が猛烈な速度で下っていく様を見て、彼を止めようとしたが、ヘボンは上昇させるつもりなど今のところは無かった。
穏やかであった夜空から一気にリューリアの地表へ向けて景色が移り変わる。
もう1・2分も経たずしてゲラァは地表へ叩き付けられるだろう。
それに下手に追従すればヘボンも同様の運命を辿る、だが、ヘボンの耳にはヨトギ少年が工作艇に乗り込んでから、妙な耳鳴りが鳴り響いていた。
生体器官特有の響きでも、彼女の声でも無い。
しかし、何処か懐かしく親しみの湧く響きだった。
それが今消え入ろうとしている。
ヘボンの顔は恐怖に青くなり、脂汗が吹き出してきていたが、懸命に耳鳴りに集中するようにして目はただ一心に落ちていくゲラァへ注がれている。
自分でも今何をしているのか、よくわかっていない。
唯一意識して動いたことは、ゲラァの落下速度に追従するために、敢えて生体器官の出力を限界まで抑え、半ば停止状態に近い辺りまで追い込んでいるということだった。
その自殺行為とも取れる操作手順を踏んだ御陰で、コアテラはゲラァ級へ距離を大分詰め、ヘボンの視界には落ちていくゲラァ工作艇の上部甲板がハッキリと見えるようになってきた。
先程にヨトギ少年が乗り込んでいったハッチから、彼と思わしき影が素早く乗り出してきた。
依然として片手には曲刀をひっ下げているが、先程と違うのはもう片手には何か白く細い物を掴んでいる。
それが人間の腕であり、ハッチの中にもう一人居て、ヨトギ少年がその人物と一緒にゲラァから身を投げ出そうとしているのだと、数秒後には認識できた。
少年の方もゲラァに追従しているヘボンのコアテラに気付くと、曲刀を思いっきり振って此方へ合図を出してくる。
どうやら、回収して欲しいと示していると言うことにヘボンは本能的に察して、躊躇する間も己には与えずに操縦桿を更に引き下げて降下速度を速めた。
これ以上の速度で降下を行えば、目視で判断する現在の高度では此方もゲラァと同じように墜落する危険性を孕んでいたが、今更命が惜しいような気も、今だけはしなかった。

 全ての調子が狂ったように、ヘボンは飛行帽越しに

 「今、攫ってやる」

 と愉快そうに呟いたのを自分でも不思議に思えていた。

 

 極限を越えた降下速度で、コアテラは一瞬の間、自由落下に任せて落ちていくゲラァを追い越した。
   機体は衝突寸前の距離まで接近し、その一瞬の隙を見逃さずに甲板に乗っていたヨトギ少年が此方へ飛び移ってきた。
   ヘボンはその様子を素早く銃座を見上げて確認し、視界を正面に戻すと同時に素早く動きを強引に押さえ込んでいた生体器官を無理矢理叩き起こすように、操縦桿を引き絞る。
   その際に銃座の中へ飛び込んできたヨトギ少年の声と、何処かに体をぶつけたのか聞き慣れないくぐもった声がしたが、それに対して気を回す余裕は無かった。
   この高度で今更、上昇機動に入っても生体器官の動きは間に合わないだろう。
   だが、少なくとも完全に墜落するゲラァよりも、ある程度不時着の形は取ることが出来る。
   視界には既にリューリアの草原が青々と広がっていた。
   壮絶な速度で草原が近付いてくる。
   ヘボンは口から恐怖と興奮に呻き声を上げながらも、操縦桿を引き絞った。
   生体器官が僅かにでも上昇し、衝撃を和らげてくれる事を願った。
   全ての物がゆっくりと視界に映り、そして草原が間近に迫ったとき、彼の目の前は真っ暗になった。

 

 ヘボンの意識を目覚めさせたのは、起き抜けに見たらもう一度、意識を失いそうになるまでに不気味な形をしたヘンシェルデの飛行帽であった。

 「おい、大丈夫かよ?曹長」

 彼は体を操縦席の前面に叩き付けられ項垂れた姿勢になっているヘボンに声を掛け、肩を揺すぶった。
   ぼんやりと飛行帽越しにヘボンは彼を見上げたが、その様子を見てヘンシェルデは安堵したと言うよりは、ヘボンが生きていた事に驚いたように見下ろしていた。

 「兵長…ありがとう」

 ヘボンはなんとか自力で操縦席から立ち上がろうとしたが、何故か体に力が入らない。
   全身が不思議とジワジワとした浮遊感を帯びてより、墜落したという実感は無かった。
   だが、上手く立ち上がれない根本的な原因は、自分の片足が向いてはいけない方向に向いていることであり、これにヘボンは視線を下げて認知すると、途端に痛覚も覚醒したか苦悶の声を漏らした。

 「まだ、曲がってるだけなら運が良い。骨がはみ出して腹に刺さった奴も見たことがあるぜ」

 ヘボンの苦悶の声を心地の良い音楽とでも思っているのか、ヘンシェルデは強引に彼を操縦席から引っ張って銃座へと引きずり出した。

 「…彼は?あともう一人はどうなった?」

 呻き声を漏らしながらヘボンは問いかけた。
   無理に体を引っ張られ余計に確認してはいないが、きっと多数に負ったと思える打撲や細かく骨が折れたであろう部分が痛んだ。

 「薄情な奴等だ。命の恩人に礼も言わずに真っ先に機体から飛び出してったぜ。俺なら撃ち殺してる」

 銃座の縁にヘボンを持たれ掛けさせると、ヘンシェルデは飛行帽の口元を僅かに捲って、一仕事を負えたという風に懐から煙草を取り出して咥えた。
   その様子を眺めながら、ヘボンは激しい痛みを少しでも紛らわそうと銃座から周囲を見回した。
   既にコアテラは不時着した衝撃で姿勢が反り返ってしまっており、機体はリューリアの草原に寝そべるようにしてひっくり返っていた。
   感触は無かったが、地面に衝突するまでの間に生体器官がなんとか働いてくれたらしく、これでも衝撃を最小限に弱めていてくれたことを、ヘボンはコアテラの周囲で炎上しているゲラァ工作艇の残骸を見て思った。
   真っ逆さまに落ちていったのだから、ヘボンのコアテラのように不時着措置は取れなかったのであろう。
   既に墜落した機体には何処にも、浮遊していた際の面影は見当たらず、その炎上する残骸から肉の焼ける臭いが漂っている。
   その凄惨な様子を眺めていると、脇の方から数機のヴァ型の部隊が迫り、此方の近くでその長い逆間接脚を折り曲げると、先頭の一機から兵士が一人降車して走り寄ってきた。

 「なんて、馬鹿な真似をするんですか!」

 兵士は走り寄ってくる際に何度も炎上するゲラァを横目で見ながら、銃座まで近付くと少し声を荒げた。
   ゲラァが炎上している光によって兵士の顔は影になってしまっており、正確に識別できなかったが、声音からしてベルン軍曹であることはすぐ判った。

 「一体、なんであんな真似を…」

 徐々に表情まで判るぐらいの距離まで、ベルン軍曹はその見るからに強面な顔を近づけながらも、まるで寂しがりなクルカのような差の激しい悲しげな表情をして歩み寄ってきた。

 「自分でもよくわかりませんが、ヨトギを助けようと思ったからで…」

 小銃のスリングを肩に掛けたままに、垂直になっている銃座の縁へ手を掛けたベルンへ、ヘボンは口籠もりながらそう呟いた。
   本当に何故、彼を助けるために、みすみすあんな馬鹿な真似をしたかはよくわからない。
   ヘボンの言葉に対し、ベルンは押し黙って少し目を伏せながら暫く考え込むような仕草を見せた。
   そして、その横では煙草は咥えたまでは良いが、火を点けれる物がない事に気付いたヘンシェルデが巨大な篝火の様になって炎上する残骸へフラフラと歩いて行く様が見える。

 「やぁ、曹長。無事なようで何よりだ」

 不意に背後から声を掛けられた。
   体の向きを変えるだけで痛かったが、なんとか其方へ顔を向けると、ニベニア准尉が草原の上に立っていた。
   彼の背後にはヘボンのコアテラの様な無様な姿勢ではなく、しっかりと安全な姿勢で着陸している准尉の機と、その後方にヘンシェルデ機と思われるコアテラがある。

 「無事じゃないであります」

 「あの馬鹿な貴族共と比べればマシな方だ。まぁ、もっとも火葬する手間は省けたね」

 ニベニア准尉はベルンとヘボンの間に割って入るように歩み寄ると、炎上するゲラァ工作艇の残骸を指差して、ベルン軍曹の方へ顔を向けた。

 「シュタリット軍曹。部下に命じて残骸の処理をお願いしたい。生き残りはまぁ居ないだろうが、何か連中の所属や姓名などを示せる物品を探してくれ」

 ニベニアはそうベルンへ命令したが、敬礼の代わりに彼は肩を竦めて見せて

 「もう、やってますよ」

 と、不躾に答えて見せた。
   現にヴァ型に搭乗している兵士は誰も居らず、皆一目散に炎上する残骸に近付いては、火に巻かれる事も恐れずに乱暴に何かを掻き出している様が見えた。

 「あれではただの火事場泥棒だよ。止めろとは言わないけど、身分の判る物だけは提出しておくれよ」

 ニベニアは諦めたように銃座内にあって、ひっくり返っている箱に腰を掛けながら、ベルンに指示を飛ばすと、今度こそ彼は敬礼をして火事場泥棒に加わっていった。
  その様子を呆れるように溜息を吐きながら、ニベニアは未だに苦悶の声を漏らすヘボンを見やった。

 「全く、出動初日から機体と体を駄目にしてしまうとは、本当に運の悪い奴だな」

 ベルンを見送った時と同じ調子でニベニアは溜息を吐いた。

 「面目ないであります」

 「まぁ、いいよ。曹長も機体も…まぁ、生きてる。今さっきに一回り確認したよ。よく、あの状態で上昇機動に移れたもんだね。あのままだったら君もアレと同じようにバラバラだ」

 項垂れながら口を開いたヘボンへ、ニベニアは懐から煙草を取り出して彼に一本差し出してきた。
   酒保物品として配られる物とは違い、幾らか太く葉を巻かれた手巻きの様であった。

 「僕が長く世話になってる物だよ。痛みも気も落ち着くんだ。…中身の事は聞かないでおくれよ?」

 ヘボンはニベニアの胡散臭い言葉を聞きながら、飛行帽をなんとか脱いで指に差し出された煙草を挟んで口にくわえ込んだ。
   すると、脇から准尉が拳半分程の大きさをした着火器を煙草の先端に宛がってくれた。
   カンテラの様に内部で火を点せる代物で、風が強くても火が消え難いソレは貴族達に愛用される高級品であることをヘボンはぼんやりと思った。

 「鎮痛作用に…鎮静作用も…?」

 「だから、聞かないでくれよ。君も夜間部隊にいる身の上ならやった試しがあるだろう?」

 准尉から受け取った煙草を深く吸い込みながら、ヘボンは紫煙を夜空に吐き出しつつ、妙に舌先や喉に張り付く成分に少し呻いた。

 「えぇ、まぁ…しかし、それよりもあの少年は何処に?」

 「君のコアテラが草原に突っ込んでからすぐに、飛び出ていったよ。…あぁ、別に逃げちゃいない、あそこの残骸の辺りに立ってるけど…。問題はあの馬賊が連れ出してきた奴だ」

 「連れ出してきた奴?」

 「そうさ、さっきチラリと見たけれどね。あれは貴族の娘だよ、それもそれなりに身分の高い奴だね。…奴隷みたいな身なりをしてたが、顔に掘ってある識別印で位はわかる」

 紫煙を吐き出しながら、ヘボンは慎重に准尉の顔を見た。
   彼の視線は炎上する残骸に注がれていた。
   その視線の先をヘボンが追うと、先程までは判らなかったが、確かにヨトギ少年と思わしきローブを纏った人影が燃えさかる残骸の近くに立っており、その隣には彼と同じようなみすぼらしい格好をした人影があった。

 「しかし、さっきの通信で貴族が乗ってる船と言うことですから、そりゃ貴族の娘もいるんじゃないですか?」

 「いや、それはない。あのラカンベリ家の船に乗るなんて天地がひっくり返っても無い身分の娘だ。しかも、仮に乗っていたとしてもあの格好は無いね。…多分、誘拐された口だと思うよ」

 人影についてヘボンが疑問を呈すると、ニベニアは視線を人影に向けたままそう口にした。 
   先程の激しい衝撃で頭がまだ落ち着いていないが、今の事でより混乱しそうになっている。 

  「これは面白くなってきたよ、曹長。ある意味、君とあの馬賊は大手柄を上げたのかもしれない」

 だが、混乱を極めているヘボンを余所に、ニベニアは飛行帽越しにくぐもった笑い声を出しながら愉快そうにしている。

 「その確認の為にも、直接聞いておかないとね。立てるかい?」

 ニベニアはそう言うと、立ち上がりながら銃座縁に護身用に備え付けられてあった。
   機内用にと銃身を切り詰められた『ファルゼ小銃』を手に取り、ヘボンに手渡した。
   これを杖代わりにしろと言うらしい。
   負傷者に対して酷な扱いであったが、ヘボンは彼の話に幾らか興味が湧いたのと、彼から渡され吸った胡散臭い煙草の効能に痛覚が再び麻痺していたせいもあり、言われた通りにのろのろとした動きで小銃を杖に立ち上がった。

 

 炎上するゲラァ工作艇だった残骸は計三つで、少々離れた位置に墜落しその惨状を晒していた。
   ヘボンとニベニアはその内の一つで、先程ヨトギが中に乗り込んだ残骸へゆっくりと歩いて行った。
   残骸にはヴァ型の搭乗者達が我先にと物資を持って行こうと、幾らか火に巻かれようとも構わずに中から、まだ使えそうな物資を我先に運び出している。
   彼等は元々、ベルン軍曹と同じく馬賊の身の上だから無理も無かったであろうが、ヘボンがその連中をよく観察してみれば、ヘンシェルデ兵長もその馬賊の中に紛れ込んで、残骸の中から使えそうな物を運び出しているのが見えた。

 「これは立派な略奪行為でありますな」

 「こういう旨味が無ければ、連中だってついてこないよ」

 炎上する残骸の近くまで歩み寄りながら、そうヘボンとニベニアの二人は言葉を交わすと、残骸の端で呆然と眺める様にして突っ立っている二つの人影が見えた。
   更に歩み寄ると、その人影がヨトギ少年とニベニアが言っていた貴族の娘だと判る。
   彼女は確かに奴隷の着るような薄汚れた布切れを纏っていて、手首には縄で強く縛り付けられたような青痣と、それと同じように布切れから覗いている肌にも多くの痣や傷が、炎上する残骸の灯りによってはっきりと窺えた。
   小銃を杖にしながら、ヘボンがその二人に歩み寄ると、ヨトギ少年が此方へ振り向いた。
   それと同じく彼の隣にいた娘も此方を見たが、あまりにヘボンの負傷した様子と飛行帽を脱いで疲れ果てた素顔を直視した為か、一瞬何か禍々しい物でも見るかのような恐怖を顔に浮かべると、娘は声にもならない悲鳴を上げてその場に腰を抜かしてしまった。

 「どうにも、曹長の顔は好みじゃないらしいね」

 ヘボンの隣に立っていたニベニアが飛行帽越しに皮肉な調子で呟きながら、腰を抜かした娘を優しく起き上がらせようとした。
   しかし、そう手を伸ばしたニベニアの手をヨトギ少年が急に脇から飛び込んで、彼の手を掴んで捻り上げた。

 「何をするんだっ」

 ニベニアはそう呻きながら、なんとかヨトギ少年の腕を払いのたが、依然としてヨトギはまるで野獣の様な低い唸り声を上げて、腰を抜かしたままの娘を庇い立てるように立ちはだかった。

 「准尉殿の手付きも好みじゃないみたいでありますな」

 咄嗟にニベニアは腰に差してある拳銃に手を掛けたが、少々お返しとばかりに脇からヘボンの言葉が耳に入ると、薄ら笑いを浮かべながら平静を取り戻し、悠然と構えてみせる。
   だが、間合いを取ったままで立ちはだかるヨトギ少年の不穏な動きに、二人は少し戸惑ったままに立っているしかなかった。

 「…いいの、何もしないで。その方達は恩人です」

 ふと、そのにらみ合いを打破する様に、腰を抜かしていた娘がゆっくりと立ち上がりながら、ヨトギ少年に声を掛けた。
   娘の言葉はれっきとした帝国語であり、ヨトギに通じるのか不明であるが、少なくとも切実な娘の表情に理解を示したヨトギは徐に脇へ退いた。

 「父の命で助けに来て下さったのですね。…感謝致します」

 娘はそう二人へお辞儀をしながら、顔をゆったりと上げた。
   年の頃はヨトギよりも幼いように見えるが、知性を感じさせるような物言いと美しい顔立ちは薄暗い場においても、炎の灯りと相まって輝いているように見えた。
   肩の辺りまで伸ばした赤髪は、奴隷の様な身なりでの生活が長かった為か、ささくれ立ちぼろぼろであったが、決して芯までは穢せぬと言ったような意思が、白い肌に綺麗に浮かぶ蒼い瞳に渦巻いているように見えた。

 「…一体、この娘は何のことを言っているのでありますか?」

 娘の丁寧な物言いに狼狽えたヘボンは、ニベニアの方を向いたが、彼としても困ったように首を傾げるだけだった。

 「…失礼ですが、我々は貴女の父についてもご存じありませんし、命についても存じ上げません。ただ、成り行き上そこの少年が貴女を連絡艇から連れ出したまでの話ですから…出来ましたら説明をお願いしたく…」

 僅かに狼狽えたのはニベニアも同様であったが、まだしっかりとした調子でこの娘を貴族階級の出であるという仮定の元に丁寧な物言いで聞いた。
   この彼の言葉で娘は少し驚いたような顔をしたが、すぐに気品ある者しか為し得ぬ技なのか平静さを取り繕って口を開こうとした。

   だが、そう口を開いて出た言葉は悲鳴であった。
   視線は二人の背後に釘付けになるように向けられており、背後へ振り向くと炎上するゲラァの上部甲板のハッチより誰かが這い出してくるのが見えた。
   此方の味方でないことは、そのズタボロになった衣服と血塗れになっている顔からして明らかであった。
   居ないと思われたゲラァ級の生き残りであろう。
   ヘボンの様に何処か手足を折っているのか、ハッチから身を乗り出している上半身の内、片腕が明後日の方向を向き、衝撃のせいによってか、片眼が飛び出している。
   よくもヘボンの様に生き延びていたと思われたが、そんな事よりも問題はまだ辛うじて折れていない真っ直ぐとした片腕に拳銃が握られていた事であった。
   事情は判らないが、その銃口は悲鳴を上げた娘へ向けられているように思えた。

 「危ないっ!」

 そう誰かが叫んだ。
   勿論、ヘボンではない。
   だが、何故か背後から誰かにヘボンは強く押され、まるでその銃口へ立ち向かうような調子で突き飛ばされてしまった。
   途端にゲラァ工作艇の生き残りが握っていた拳銃の銃口が光ったように一瞬見え、次には下半身に何か衝撃を受けた。
   ヘボンは思わず杖代わりにしていた小銃ごと、仰向けにその場に転がり、視界が夜空に向けられた時、彼の顔の上で拳銃がゲラァの方へ構えられるのを見た。
   そして、耳を劈くような音と共に、顔の上にあった拳銃が数発連続で発砲された。
   何が起きているのか判らずにヘボンは転がったままになっていると、視界にニベニア准尉の飛行帽が入ってきた。

 「ごめん、弾みだ」

 そう彼は転がっているヘボンを見下ろしながら少し申し訳なさそうな声を出したが、ヘボンはその彼の言葉で、彼が自分を突き飛ばし銃弾からの盾とした事が判った。
   あまりの衝撃にヘボンは声にもならない声を発しながら、ニベニアの顔を睨みながら口を悔しそうに歪ませた。
   だが、それ以上の事はもう出来ずに、またもやヘボンの意識は途切れた。

最終更新:2018年03月21日 14:27