前回までのあらすじ
中佐の部隊と合流し、事変の移り変わりによりヘボン達はヨダ地区を目指す。
邪龍の猛威によって結束が強まった保身派は、帝都貴族の勢力と真正面から戦闘を仕掛けようとの動きに、政治闘争の動きは熾烈な内乱へと変貌しつつあった。
しかし、既に中佐の元へ集っている兵士達は特別恩赦の話も反故にされ、保身派閥勢力に命を狙われようとただ只管に中佐に忠を尽くす。
その熱い心持ちに打たれたのかどうかは定かではないが、中佐はこの内乱に終止符を打つべく、ヨダに入城し生き残った抵抗勢力と帝都貴族の応援部隊を結集し、保身派閥と真っ向から勝負を挑むことをヘボンに語った。
ヘボンは中佐の護衛部隊として新たに配属される事になるが、出動初日に不審船団と遭遇し、交戦になってしまう。
そして、新たな同僚達の舌を巻く技術を垣間見ながらも、光線の末に不審船団から救い出された少女は彼等にまた波乱を引き起こすのであった…
操舵手ヘボンの受難#39 『軍事顧問団』
衝撃に打ちのめされた様な表情で立ち尽くすヘボンを見据えながら、彼女は静かに付いてくるように顔で促した。
ヘボンは危うく姿勢を崩すところであったが、なんとか彼女の仕草を見て意識を持ち直し、危なっかしい足取りで倉庫を後にした。
レリィグの連絡通路は先程にヘボンが歩いた時とは、比べ物にならないほどに慌ただしくなっていた。
各所の通路や、レリィグの歩行脚上部にある節目の地点に土嚢を積んだ銃座が構築され始めている。
作業に当たる兵士達は此方には目もくれずに土嚢を積み、弾薬を内部に集積している。
その顔付きには何処か喜々とした色さえ伺え、ヘボンはこの死地に置かれる者達の顔に焦燥も恐怖も無いことを知った。
彼等は根っからの戦闘狂であり、大なり小なりにヘボンの前に立つ、狂人とも言える彼女や、ミュラーや准尉達と似たような感性の持ち主達である事を感じた。
「銃殺される死刑囚に銃を与えた様な物だ」
中佐はそう呟きながら、ゆっくりとヘボンの前を歩く。
彼女なりの負傷しているヘボンへの配慮なのか、その足取りは遅く、しかも、時折立ち止まっては機銃陣地を構築している兵士たちへ指示を出し、時には激励の声を掛ける。
それは陣地のみに留まらず、レリィグの側面を防御し、併走しているヴァ型の地上部隊にも向けられたが、その様子を見てヘボンは彼女の後ろで声を出した。
「…中佐殿。ヴァ型の数が少ないでありますな」
単純に現在出ているヴァ型の数が少ないのかもしれないと思ったが、時間を掛けて通路を歩き周囲を確認していると、明らかにレリィグの周囲を並走しているヴァ型の数は昨日より減っている。
昨日は濃い緑色で塗られたラーヂ達のヴァ型も見たが、今は朱色の正規軍としての塗装が施された機と、少しその集団から距離を空けるようにして、黒いヴァ型が一機走っているのみであった。
「あぁ、昨晩のうちに馬賊達は逃げたようだ」
「…逃げ出した?」
ヘボンは呆気に取られたように少し体のバランスを失いかけたが、今回はしっかり通路の縁で踏みとどまった。
「まだ逃げ出しただけなら良い。問題は敵の斥候共に此方の居所を教えて金をせびっていないかだ」
彼女は併走するヴァ型を眺めながら、ヘボンと同じように通路の縁に寄りかかった。
リューリア草原地帯を吹きぬける風が、彼女の髪を横に撫で金髪が舞う。
危うく軍帽が飛びかけたが、彼女はそれを素早く手で軽く押さえ微笑を浮かべた。
「しかし、中佐殿。彼等は身内なのでは…」
ヘボンの言葉に急に彼女の顔が曇った。
それなりに声を押し殺したつもりであったが、周囲に今のヘボンの発言を聞いた者がいないかと確かめるように見回してから、ヘボンの肩に手を回して視線を草原の方へ向かわせた。
「…その事はあまり言わないで欲しいね。確かにあの夢は事実だし、知っている者は知ってはいるが、それほど周知の事実にはしたくないのだよ」
肩に手を回してヘボンに話しかける仕草の方が、余計に周囲の目を引くようにヘボンには思えたが、ヘボンは押し黙って彼女の顔を見ていた。
「身内とは言え、私は過去の人間だ。既にあの集まりで私のことを知っているのは精々、ベルンの親父様ぐらいのものだ。だが、奴等とて一枚岩ではない。親父様の息が掛かった奴等は辛うじて信用できるが、他の奴は駄目だろうね」
彼女の言葉にヘボンは少し目を細めた。
あの胡散臭い馬賊の頭領と彼女の繋がりについて少し合点のいった気がしたが、ヘボンが考えついた事を口にする前に、彼女は不意に草原の方を指差した。
「…思いの外、奴等は奇襲の定石について知らぬと見える。早すぎるぞ」
彼女の指差した方には丈の長い草原地帯が広がっているが、その遠方の丘に何かが迫り出してくるのが見える。
ヴァ型よりは低い物で、一瞬馬賊の騎馬かと思われたが、それはものの数秒で間違いで有ることが判った。
「ダッカーだ!」
ヘボンのすぐ後ろからそんな叫び声が聞こえた。
機銃陣地を構築していた兵士も気付いて叫んだらしい。
「巫山戯るな!ここはリューリアのど真ん中だぜ?!なんでアーキル軍がいるんだ?!」
その叫んだ兵士の横で更に別の兵士が叫んでいる。
確かに彼の言うとおり、ヘボンと中佐が今遠方に見ているシルエットは確かに、アーキル軍の戦車『ダッカー』である。
「敵で有ることには変わるまい、迎撃しろ!」
そう縁に張り付いていた中佐が指示を飛ばすと同時に、その場の機銃陣地に備えられていた機関銃が火を噴いた。
ヘボンは凄まじい銃声から逃れるように身を屈めて縁に張り付きながら、丘の方へ注意を配ると即座に弾着点から土埃が舞い上がるのが見えた。
しかし、丘を降りながら此方へ突っ込んでくるダッカーは、そのまま背の高い草原の中へ一瞬にして姿を眩ましてしまう。
「…ヴァ型を集結させて、レリィグの周囲に防御陣形を組め。今のは斥候だ、時期に敵機も飛んでくる」
ヘボンが屈んでいる間に、彼女は近くに居た伝令兵を呼び寄せ、素早く指示を飛ばしている。
「偵察機も呼び戻せ、全戦力で守り切るほか無い」
そう言葉を切って、伝令兵を走らせると彼女は少し苦い顔をしながらヘボンへ振り向いた。
「まさか、真昼間から仕掛けてくるとは思わなかった。…ヘボン君、ついてきたまえ。忙しくなるぞ」
苦々しい顔をしながらも、どことなく彼女の顔には嬉々としたものがヘボンには窺えた。
「すぐに脱出するのでありますか?」
「いや、最早脱出路は無い。計画は変更だ。あの娘をここで死守する」
ヘボンは呆気にとられた顔をしながら、興奮気味の彼女に同行する他無かった。
突如として現れた敵によって、レリィグの上部は慌ただしい様相に様変わりしていた。
機銃陣地には常に苛立ったように周囲を警戒をする兵士が詰め、陣地の要員でないにしても、小銃や通路の縁に備えられる様な汎用機銃を構えている兵士達と多くすれ違った。
連絡通路を駆けながらも、中佐はその兵士達に檄を飛ばしている。
ヘボンはそんな彼女の後に続くが、如何せん片足の痛みが酷く小銃を松葉杖にしているようでは彼女に追い付けない。
精々、彼女が少し立ち止まって兵士達に檄を飛ばしている合間に、漸く追い付ける程だが、彼女はすぐに先へ先へと走って行ってしまう。
「ヘボン君!指揮所で待っている!」
挙げ句の果てにそう叫ぶと、彼女は更に勢いよく通路を走っていった。
それになんとかヘボンは追いすがろうとしたが、不意に通路脇にあるテントより飛び出してきた人物に激突してひっくり返ってしまった。
「痛ぇな、何しやがるんだ。ヘボン」
激突した人物はひっくり返るヘボンを見下ろしながら、手を差しのばしてくれた。
ヘボンは少々痛みに呻きながら手を取って顔を見上げると、そこにはニールが立っていた。 彼はシャツとズボン一丁だけの随分とラフな格好をしていて、精々護身用の為かベルトに拳銃を突っ込んでいる程度の服装だった。
「急いでいるんだ。奇襲だ、奇襲されてるんだ」
「今の銃声はソレか?敵さんも昼間から派手にやりやがるな」
慌てるヘボンに対し、ニールは暢気にしながらも、彼を素早く立たせた。
「まだ、伝令が来てねぇんだ。とは言っても、俺ぁ物資の担当だからな。戦争は別の奴に…」
そう彼はまるで眠たげな顔でそう言ったが、テントの入り口に立っていた二人を、またテントから飛び出してきた人物が吹っ飛ばした。
あまりの勢いに二人共揃って、危うくレリィグの通路から弾き飛ばされそうになり、咄嗟に通路の縁を掴んだニールの足をヘボンが掴んだから良かったものの、下手をすれば二人揃ってレリィグの上から叩き落とされていたところだ。
「…何をやっているんだ?」
悲鳴を上げるヘボンと、悪態を吐くニールに対して縁の上に立った人物は、馬鹿を見るような目で見下ろしていた。
「黙れ!さっさと引き上げろ、准尉!」
そうニールが叫び、ヘボンも顔をなんとか縁の方へ向けると、そこにはエーバ准尉が阿呆の様に突っ立って見下ろしていた。
准尉は粗雑なニールと違って、上下とも野戦服に身を固めており、腰帯には例の大型拳銃と柄付きの手榴弾が四本ほど差し込んで有り、おまけに背中には汎用機関銃まで背負っている。
ただでさえ、相当な重量の負荷が掛かっているというのに、准尉は事も無げにニールとその足にしがみついているヘボンごと、一息に引き上げてくれた。
「危うく、味方に殺されるところだったぜ」
「入り口に突っ立っている、お前が悪いのだ」
通路の床の上で乱れた呼吸を整えながらも、悪態を吐くニールに対し、准尉は冷ややかな目を送ってはすぐに彼の手を引いて立ち上がらせた。
「中尉、お前も護衛任務に就いて貰う」
そして、急に立ち上がらされて目を白黒させているニールを、そう言いながら乱暴に手を引き始める。
ただでさえ大柄で筋肉質な彼女の腕力はまるで、彼の腕を引き抜くのではないかと思われるほど強く、ニールは弱々しくも呻いて抵抗する。
「何を言ってる?俺は非戦闘員だ」
「そんな事、関係あるものか。銃を使える以上、お前も一兵士と変わりあるまい」
抵抗するニールに対し、彼女は強引に彼を引っ張っていく。
一瞬、ニールはヘボンに対して助けを乞う目を向けたが、負傷兵であるヘボンが出来ることなど何も無く、彼は最寄りの機銃陣地へと引きずられていった。
既にレリィグの上部は戦場と化している様だった。
先程に発砲されてより、銃声は聞いていないが出現したダッカー戦車によって、周囲の空気は異様な迄に張り詰めていた。
あの丈の長い草原地帯を利用しながら身を隠し、レリィグへと距離を詰めているのかもしれない敵車両について、皆周囲に注意を配っているようであった。
通路の方からもレリィグの周囲を警戒するヴァ型の部隊が距離を置いて陣形を形成し、レリィグの全周を覆うようにして併走しているのが見える。しかし、それにしても帝国領内にて、敵国であるアーキル軍の戦車を目視するとは夢にも思わなかった。
ヘボンにとってこの出来事の発端となった際に、中佐からアーキル軍がヒグラート前線を突破していると聞き、流れに流れてこんな状況になっているのだが、こんなリューリアにまで敵戦車が進出していると言うことは既に、前線は崩壊したと言うことだろうか。
「…偵察部隊の奴等は何してたんだ。昼寝でもしてたのか?」
「逃げ出した馬賊共がチクったに違いねぇよ。それよりも、なんで奴等ダッカーなんて使ってやがるんだ」
通路を悪戦苦闘しながら走るヘボンの傍らで、機銃陣地に詰める兵士達の会話が聞こえてくる。それだけ、ヘボンの歩みが遅いと言うことである。しかし、そうこうしている間にも敵は此方へ距離を詰めているのだと思うと、背筋が冷たくなるのを感じる。
周囲を警戒するヴァ型は忙しなく搭乗部を旋回させ、周囲を伺っているが、発砲音が聞こえてこないことから、敵を発見出来ていないようであった。
だが、唐突に静寂を破るようにして特殊な音が空に響いた。
それに続けて、警報が周囲に鳴り響く。
「敵機…」
ヘボンは唖然として、また身を屈めて縁に張り付き。
傍らに居た機銃陣地に詰めている兵士達は、銃口を空へ上げる。
「…おい、夜鳥が昼から来やがったぜ…」
その途端にヘボンの耳には信じられない兵士の言葉が入ってくる。
言った本人もその言葉に途方に暮れたような調子がある。
「敵機、二時方向!」
今度は偵察要員の叫び声が強く響いている。
ヘボンは空から狙われる恐ろしさに、身を屈ませたままに、少しずつでも指揮所へ進もうとしたが、すぐ脇で轟いた銃声に身を強張らせてしまう。思わず顔を少し顔を上げると、真昼間の草原の空には曳光弾が飛び交っていた。
そして、その曳光弾の線の中を縫うようにして、黒い塊が3つ此方へ突っ込んでくるのが視認できる。
距離が近付くにつれて、確かにそれは『迎撃戦闘機ユーフー』であることが確認できたが、それは太陽光の反射の為であるのか定かでは無いが、先程遠目に見たダッカーの様に機体全体を黒く塗られているように見えた。
「近づけさせるな!」
そう対空銃座の指揮を勤めているのであろう兵士の誰かが叫んだが、次の瞬間にヘボンの凡そ10m前方で空気を切り裂くような音と共に凄まじい血煙が舞い上がった。
レリィグの生体脚部や胴体部に被弾したのだ。
しかも、それだけでなく敵機の掃射を受けた対空銃座が、二つほど八つ裂きにされる様に飛び散った。
ヘボンの鼻腔に生体液と人間の中身の臭が入ってくる。
凄惨な光景ではあるが、徐々に此にも見慣れてきていた。
敵機は一斉射を加えるとそのままレリィグの上部を通過していった。
対空射の射程外まで飛び退ってから旋回し、もう一度戻ってくるだろうと窺え、対空銃座も飛び退った方へ銃座を急旋回させている様が目に入ってくる。
レリィグの周囲を併走するヴァ型も、敵機の後続に備えてか、左右に分かれ対空防御の姿勢を取り始めている。
ヘボンが咄嗟に周囲の様子を見た間に、銃撃を受けた生体脚部を治療しようと衛生兵と思わしき兵士が数人駆けつけてきた。
その傍らには損傷を生体器官よりも更に生々しいまでの状態になっている、死傷者も見受けられたが、生ける兵器であるレリィグが優先されている様である。
「なんてこった」
ヘボンはそう呟き、屈んだままに周囲を見つめている。
今の射撃によって前方の通路は寸断され、あろうことか百足のように繋がるレリィグの胴体部同士を繋ぐ連結部が千切れかかっている。
連結部が切断されてしまうと、後部の胴体部には、先頭体から足を動かすためにながれる電気信号が途絶え、歩行が出来なくなり、蜥蜴の尻尾みたく置いて行かれる事になる。
そうなっては堪らないとヘボンは屈みながら通路を進むが、その足取りは遅く、後方から駆けつけた衛生兵に追い抜かされた。
ヘボンを追い越した衛生兵は背中に巨大な雑嚢を背負っているが、その雑嚢の口からは巨大な肉腫からホースが伸びて、雑嚢の下部に接続されている。
これは生体器官を応急的に治療するための装置であり、負傷者にも応用して処置することが出来る物だった。
しかし、その兵士がヘボンを追い越した矢先に、兵士はヘボンから一〇歩ほど前方で転倒してしまう。
何かに躓いたのかとヘボンは一瞬思ったが、兵士が転んでから起き上がるどころか、微弱に体を震わせる様子と、続けて何かが側で弾けて、兵士の足の一部がもぎ取られていることを見て取った。
「狙撃兵だっ!」
これを別の位置から見ていた者が叫んでいるのを聞こえる。
敵は既にダッカーだけでなく、歩兵すら草原の中に展開しているらしい。
ヘボンは慌てて縋っていた縁から離れると、草原から狙われない遮蔽物を探そうと這い蹲った。
レリィグ側面に設置されている通路は草原から狙うには好都合なまでに、無防備に晒されており、ヘボンの眼前で生体器官の応急処置や、負傷者をテント内へ押し込もうとしている兵士達が次々に倒れるのが目に入ってくる。
草原に向かって警戒射撃を加える機銃手も見られたが、これもすぐに数人程が逆に反撃を受けて陣地内に倒れ伏した。
「なんてこった」
ヘボンは続けて呟いて、身を伏せたまま動くことが出来なくなっていた。
周囲にすぐに身を隠せるような遮蔽物は見当たらず、強いてあるとすれば死傷者達である。 下手に動けば此方も狙われ、狙撃されかねない。
かといって、このままジッとしていても、旋回してくる夜鳥が再び襲いかかってくるだろう。
周囲は明るく陽も高く、心地よい風すら吹いているが、その風が死臭を運んでくる。
それを味わうとヘボンの鼓動が早まり、気分は悪くなってる。
悪寒すら感じて吐き出したくなる気すら起こるが、吐き出せるような物すら胃には残っていない。
せめて、指揮所には向かわねばならないと、匍匐で通路を這い進み始めたとき、今度は前方より何人かが固まって走ってくるのが見えた。
それはとても無謀な集まりに見えて、狙撃避けに固まって移動しているという事まではわかったが、何分通路は狭く全速で走りきるのには無茶があった。
現に彼等の周りには弾丸が資材や土嚢に当たって弾け、煙が次々と上がり、後ろを走っていた数人は敵弾に倒れた。
それでも倒れた者には目もくれずに、数人がヘボンの近くにあった機銃陣地の土嚢の影に飛び込んできた。
そして、土嚢の影からヘボンの事に気付くと、此方に来るようにと手招きをしてくる。
その合図にヘボンはなんとか応えようと、匍匐のままに土嚢の中を目指す。
遮蔽物は無かったが通路に転がる死傷者を盾にし、まだ息のある者が這いずるヘボンのベルトを掴んできたが、それはすぐに軽くなった。
何故、軽くなったのかについては考えなかった。
「この連結部をなんとしても死守しろ!ここが途切れれば先頭は無防備になってしまう!」
土嚢に辛うじて辿り着くと、中で身を隠している内の数人の内で、最も階級の高そうな男が声高に指示を飛ばしていた。
「バギシとソラド、お前達は後部の兵員を、此方に出来る限り回すように伝えろ。火砲は全て使うんだ。側面防御に火力を集中させろ。敵機は偵察機の奴等に任せる」
階級の高そうな男はそう脇に控えていた兵に指示を伝えると、彼等を陣地外に追い遣った。 狙撃手に狙われている状況で陣地から飛び出すなど、狂気の沙汰かと思えたが、命令を受けた二人は這い蹲ったままのヘボンを飛び越えるようにして、レリィグの後部へと駆けていった。
ヘボンは走って行った彼等の安否について気遣う訳でも無く、ただ呆然と今指示を飛ばしていた男を見上げていた。
尉官軍服に身を包んではいるが、目立つ階級章は外してあった。
丸い眼鏡を掛けた口髭の濃い丸顔で、体格は中背中肉。頭には鉄兜を被っている。
「…君が、空鬼か。悪運が強いのは噂通りだな」
その漂っていた目がヘボンへ向くと、男は少しもごもごとした声で皮肉っぽく言った。
「私は『キベ』だ。…名義上は大尉だ」
「キベ…大尉」
皮肉に続けて男はそうもごもごとした調子に名乗ると、腰に差した拳銃を引き抜いている。
ヘボンは彼の名前を少し反芻しながら、記憶に思い当たる名前を引き出した。
確か、邪龍と初対面した艦隊戦にて、別艦の移乗攻撃に当たっていた部隊長の名前で聞いたような気がする。
「奴等、レリィグの弱点をよく知ってやがる。伊達にアーキルで戦争教えてる連中じゃないな」
「奴等?」
「さっきの黒いダッカーや夜鳥共の事だ。あれは黒翼隊と組んでいる『アーキルの軍事顧問団』だ」
キベ大尉はそう独特な口調で話すと、癖なのだろうか自身の口髭を指で撫でながら、険しい顔をして言葉を続けた。
「保身派の裏で手を引いているのはアーキルだと言う話もあったんだが、資金面での協力だけでなく軍事面でも、あんな精鋭集団を寄越してきたようだ。出来れば一生拝みたくなかったね。帝国のど真ん中で夜鳥なんてさ」
そうキベ大尉が険しい顔で言うと、彼の脇に控えていた兵士が陣地の機銃に取り付いては銃口を引き上げている。
「大尉、今度は四時方向からです!」
「やめとけ、どうせ当たらない。それより、頭、下げてろ」
血気盛んな兵士が敵機の襲来を告げて、空へ向かって射撃を加えようとするとキベ大尉は横から、兵士を掴んで強引にしゃがませた。
「頭を出せば、狙撃手に狙われる。もう先頭の陣地も大分、やられているみたいだしな」
「軍事顧問団なのに、自ら攻撃してくるのでありますか?」
「目立ちたがり屋なんだろう?若しくは馬鹿か…馬鹿なら、あの黒翼隊の馬鹿とも馬が合うだろうな。馬鹿は怖いな。馬鹿は国境を越えるぞ」
キベ大尉は自分で言った事が面白かったのか、一人でクスりと小さく笑みを零したが、ヘボンはその様子を見て恐怖しか感じなかった。
「まぁ、馬鹿とは言っても精鋭は精鋭だ。現にこうして追い詰められているのだからな」
陣地の中で丸まりながら、大尉はまだ自分の言ったことにクスクスと笑っている。
狂ったような笑い上戸を傍らに、ヘボンは空から迫ってくる敵機の音に耳を澄ましつつ、身を強ばらせていた。