落日

西日が作業場に差し込む。
冬独特の弱々しい陽の光は、アーキルの国章が塗られた窓ガラスを通して床にデカデカと見飽きた模様を落としていた。

作業場というにはこの空間は雑多すぎる。
床はタイルが剥がれて茶色い地面が見えているし、おまけに油の匂いに混じって軍から支給される―奴らはこれを食べられるとか言うが―未開封のカートンから漏れ出すアレの匂いが漂ってくるものだから、とても仕事をするような場所に思えない。
ここで暇を持て余しているトラグは各地の設計所を転々としていた過去があり、ここで働きはじめて2年経つが、やっぱりこの匂いだけは耐えられない。
所長はただで昼飯が食えるからいいとか言っているが、あのハゲ所長がパンノニ・カフェ以外で昼食をとっているところは見たことがないと頭の中で文句をたれていた。
早い話が補助金が何だとかで、定期購入…もとい、定期受領をしてやっているわけだ。

こんなところにいると元からする気のない仕事がさらにしんどくなるのである。
今日は量産型空防艦の設計指示がラオデギアより届いた。やつら指令書をチヨコと一緒に送ってきやがる。定期便だからコスト削減になるというわけだ。
その節約精神を帝国との戦いにも使ってやれ、と思ったがより量産性の高い空防艦の発注ばかりとなると、それでもうまくいっていないのだろう。

「おい、トラグ。お前のところの部署だけだぞ、設計案上げてないの。」
ふと声のする方向に目をやると、肥えた体の上半身をのぞかせている同僚のザキムがいた。
設計案というのは、ラオデギアタワー、ここの窓からでも嫌になるくらい見えるが、つまりアーキルの軍司令部から届く要求にたいして、こんな設計がありますよといったコンセプトだ。これ返信筒にいれて送り返す。
これを出してしまえば仕事は終わって帰っていいことになっている。
連中中身はテキトーにチェックしているみたいで、うちの設計所に真面目に設計しているやつはいない。

「おまえまだ定時前だぞ?」
「アーキルの影がこのテーブルを越したら定時なんだよ、トラグ。」
ザキは手に持った銀色の返信筒を振り回して、あとはお前の書類を入れるだけなんだぞと全身のジェスチャーで訴えている。よくもまああの体格でキビキビと動かせるものだと感心しながら、トラグは手元の書類をまとめた。

二人は”定時”に設計所をあとにすると、返信筒を門の前にあるポストにぶちこんだ。
次に行くところは決まっている、愛国カフェ…の1ブロック先のアーキル団子屋”バンバン”だ。
ここは結構な穴場で、はるか東のメルパゼルが持て余した古米のおかゆに肉団子を浮かべだ東西丼が大盛りで食べられる。ザキムはここの常連でまず前菜として2人前を平らげる。
トラグが最後の楽しみに一気に食べようと残していた肉団子をピックでつつく頃には、ザキムはペースト状の麦ミールをかきこんでいるというのが日常の光景だ。

「知ってるか、炭水化物のとりすぎは身がもたなくなるんだと」
「俺はもってる。これまでも、これからもだ。」
これもいつものやりとりだ。いつもと違ったことといえば、今日は人の出入りが少なめということ。
店主も常連の我々に肉団子を1個ずつサービスしてくれたし、こういうのもたまにあっていい。

だが、こんな無気力な生活を続けていると、いつか参ってきそうだとトラグは最後の肉団子を頬張りながら考えていた。
遅れてきても罰則も特にない設計所に、とりあえず家にいるのもつまらないからと出勤し、精査もされない設計案を5分でかきあげて定時まで暇をつぶす。ザキムとバンバンに寄る。そのまま帰って、さっさと寝る。この繰り返しだ。

「なにか、こう、刺激ってのが欲しいよな?」
トラグが頭をかしげながら茶化すようにそう言うと、ザキムはサンカラネポス風香辛料の瓶をよこしたが、そういうことじゃないだろと一蹴した。
その刺激とやらは、なんだろうか。
刺激というのは予期せぬ刺激だからこそ刺激足り得るのであって、スープに浮いている香辛料のようにこれからピリリとくるとわかっているものは、どうなんだろうかと考えながらトラグは帰宅した。

トラグの部屋はラオデギアの集合団地の4階にある。
トラグは一人で考え事をするのが好きな体質で、それでいてある程度騒がしくないとアイデアがわかないので、こうして大通りの前に建つ格安住居に住んでいる。
隣に住むのはカラークルカ屋の老夫婦で、すごい量のクルカを部屋の中で飼育している。ラオデギアのクルカ抑制条例を完全に違反している。ここでクルカを増やして売って、飽きられて野放されたクルカを拾っては永久機関めいたことをしているらしい。

向かい側にはラオデギア市警で働いてる若い男が住んでるいる。
ザイリーグから上京してきたらしく、市警勤めというなかなかの高給取りでありながらも格安アパートに住んで仕送りをしているそうだ。
たまにトラグの会話相手になってくれるし、ちょっとした賄賂にも応じてくれるので彼を気に入っていた。

今日も、ツマミを買ってきてその青年と一杯やろうかと考えていたが、今日は彼がいない。
週の中日は必ず休みをもらっていたと記憶をしていたトラグは、おかしいこともあるものだと部屋に入る。
窓からは赤く焼けた夕暮れに黒く映るラオデギアタワーが見えていた。

だが、今日のラオデギアタワーの様子は少しおかしかった。
「燃えてる?」
トラグは状況がつかめず、自分を落ち着かせるためにそうつぶやいた。

「トラグさぁん、あんたいるのかい?」
隣の老夫婦がドアを叩いている。
トラグはドアを開けて
「おばあちゃん、あんたも見たか?」
「ええ、塔がさっき光ってね、それで南の方の銀行も―」

老婆がそう言いかけたとき、突然の腹に響く轟音が二人の会話をかき消した。
トラグの部屋の窓はびりびりと震え、下の大通りからは人々のざわめきが溢れ出していた。

「いったい、何が起こっているんだ!?」
「どうしましょう、どうしましょう、大変よ。」
帝国の奇襲かとトラグは真っ先に考えたが、それはありえない。
連邦首都ラオデギアの防空体制は完璧だ。
リューリアで艦隊が壊滅してから連邦首都の守りはガラガラになり、それを補おうと幾多もの防衛砲台が乱立された。

トラグは廊下に飛び出して玄関にある共用の電声受話器を手に取り、ザキムに状況を聞こうとしたが繋がらない。いよいよ普通ではないことが起き始めていると悟ってマイクを置き、得体の知れない恐怖が身の底から湧き出すのを感じた。

最終更新:2019年02月23日 23:45