戦勝記念日を持つ国は意外に少ない。戦争は中堅国家以上の特権であり、記念日に制定できるような美しい完勝ともなると数えるほどしか無いからである。
そんな中にあって13月19日はニジリスカ共和国の戦勝記念日として国際的に周知されており、数世紀も大陸を二分し続けていた南北戦争においてニジリスカ共和国がグランダルト帝國相手に収めた唯一の白星であった。
これまで数多の戦史が出版されているが、ニジリスカについて十行以上書かれている書籍となると数えるほどしか存在せず、南北戦争という舞台においてニジリスカは完全に蚊帳の外といった扱いであった。
622年より発足した新政グランダルト帝国の積極的な資料公開により、これまで秘匿、隠蔽されていた莫大な情報が白日の元にさらされ、多くの歴史書が改定を迫られたことは記憶に新しい。
その莫大な未確認資料の中に『不名誉的事例』としてニジリスカ艦隊とグランダルト艦隊の戦闘記録が存在していたのである。
本項では両国の資料及び当時の関係者の意見を元に、弱小国ニジリスカが強大な軍事大国相手に勝利を収めた『バツィスタ空域の戦い』を紐解くものである。
・ニジリスカ人民共和国の沿革
『バツィスタ空域の戦い』の前にニジリスカ人民共和国とその兵力について簡単に触れておこうと思う。
連邦加盟前のニジリスカ共和国はザイル砂漠北方に位置する人口4万人程の小さな共和制国家である。産業は僅かな鉄鋼業の他に、農耕と牧畜等の一次産業を基調とした経済により成立しており、国土面積こそ狭いが都市に人口が集中している点においてオアシス国家の名残が強い。
警察機構として統一された銃と制服を持つ保安隊と、各集落からなる自警団がニジリスカの全兵力であり、工業力、人的資源共に貧弱なニジリスカが本格的な軍事組織を整備することなど全く不可能であった。
559年、アーキル連邦に加盟後は連邦憲章に基づき経済庇護国化、通商路の中継地点として機能したため物資の流通量が増え、鉄鉱石や穀物の輸出により開放経済化が進められた。アーキル本国ないし北パンノニアから輸入された工作機械により軽車両及びトラクター生産が可能となり、小規模ながら自動車産業も誕生した。こうして自国軍を整備する下地は積み重ねられていったのである。
581年、アーキル本国とニジリスカ共和国の間にイデェート条約が締結される。これにより鉄鉱石1万5000トン、硝石1万トンとの交換でアーキル連邦から艦船及び教導人員を迎え入れ、はれてニジリスカ共和国は艦隊兵力を手に入れた。
国民の過半は空軍の設立を好意的に受け止め、国家として躍進したことを喜んだ。その後押しもあり翌年582年には空軍省が設立され、軍都オジスカベツィア行政官庁バスコールが長官を兼任。同時に募兵制による人員調達も精力的に推められ、同年2月8日には『ニジリスカ人民共和国空軍』の結成が宣言された。
在庫処分代わりの旧式艦が主力とはいえ、ニジリスカの悲願はこうして達成されたのである。
・ニジリスカ空軍の艦艇
イデェート条約によりニジリスカに給与された艦艇は9隻、いずれも老朽艦であり、アーキル本国では予備役として動態保存されていたものばかりであった。
・プレ・ニジレン/ゼッペン型防護巡空艦
給与された艦艇の中で最大の艦であり、ニジリスカ艦隊旗艦を担った巡空艦。主砲として20サンチ連装砲2基、副砲に10サンチ砲をバーベット式に12門備えていた。旋回砲塔を持つアーキル艦としては最初期のもので、連邦で一般的なベアリング式旋回装置でなく、重量のかさむトランクギア式旋回装置を備えていた。砲塔天板に装甲は無く幌張り、主砲は装填補機こそ付いていたが、貧弱な油圧ジャッキ程度のものであったことを考えると乗員の苦労が忍ばれる。
機関はカテゴリーⅢ浮遊機関1基と浮力補機として気嚢を有していたが、浮力はもっぱら気嚢に頼り切りの為、上昇下降にはかなりの時間を必要としたはずだ。
一番艦ゼッペンの竣工は536年、ニジリスカに給与された時には既に46年が経過しており、所々に錆が浮き、多数のパイプに破断や緩みが確認され、パッキンや電気系統用の絶縁体が腐っていたと記録に残っている。ニジリスカ空軍の初仕事はこの"動く骨董品"の修繕であったことは想像に難くない。
・重巡オイム/533型浮中型戦艦
一番艦の竣工が533年の為この名がつけられた。戦艦と称しているが事実上の浮き砲台で、船腹に15サンチ砲塔を限定旋回で装備し、甲板上に10サンチ単装砲と対空機関砲2門を備えていた。帝國軍のアトラトルに相当する小型艦であるが、サイズの割に武装は控えめで、より居住性を重視したふうに見える。アーキルでは度々侵入してくる帝國艦に対する早期警戒役として国境警備に使用されていた。
ゼッペンに負けず劣らずの骨董品だが、構造は単純で、規格化されたコンポーネントを有していたため整備にそれ程の手間はかからなかったようだ。5隻が給与され、ニジリスカ艦隊の数的主力を担った
。
・高速戦艦バグラード/メギド級戦列艦
給与された艦の中で最も旧く、ここまでくると骨董品という表現すら生ぬるく感じる、化石とでも言うべき艦。同航戦を念頭に置かれて設定された最後の艦で、砲丸を用いる後装式ダールレン砲8門を船腹に装備、気嚢で浮き、内燃機関で推進する。
3隻が給与されたが、2隻は武装を外して教導艦となり、残りの1隻は高速輸送艦として改装された。
これらの艦艇に加え、技術養成の目的で内燃機関と気嚢を備えたニノギェ級護衛艦を自国生産したが、ロクな機動力を持たず、浮き砲台の域を出ていなかった。
また、連邦からパノラマノラの給与も打診されたが使いどころが見出だせないと拒否している。
・ニジリスカ空軍の内実
2600人の艦艇勤務者と500人の陸戦隊がニジリスカ空軍の全てであり、艦艇の修繕は民間に委託、人員の養成は陸軍と共同と、他国から見れば異質、ともすれば歪とも捉えられるようなものであった。
空軍のみならず、軍事組織と言うものは確たる目的を達成するために組織されるものである。空軍は通商を保護し、物流を成立させ、戦時にある国家を延命する大切な盾であり、ひとたび攻勢に出れば陸軍を支援し、制空権を奪取し、戦争の対局を司る重要な槍となる。
ではニジリスカはどうだろうか。国防については対帝國戦線の最後方に位置しているため戦力の抽出は不要、侵攻されるにしてもニジリスカ本土に侵入できるのならばアーキル本国の大都市を攻撃した方が遥かに戦略的意義があり、日常的に宣戦布告を送りつけてくるオデッタ人民国に対しては「遺憾の意」の表明による戦略的反撃で充分とされていた。
つまり、攻撃する相手も攻撃してくる相手も居ないニジリスカが空軍の保持に躍起になったのは国威発揚と発言権向上のための神輿とするためであり、さしたるドクトリンどころか『空軍』という組織自体が曖昧であった。人員の殆どは船乗り、政治的立場も薄く、"艦隊それすなわち空軍"という極端な割り切りようである。
そんな彼らであるが国際的な観艦式には度々参加しており、ニジリスカ国旗を掲げた艦船が他国の艦船と肩を並べる光景はニジリスカ国民に自信とカタルシスを与えたことは間違いない。当初の目的は完全に果たしたと言ってよいだろう。
・「バツィスタ空域の戦い」の背景
ニジリスカ空軍設立から37年後の619年、13月18日9時頃、ザイリーグ自警軍の1隊が西アノール北西で活動中の帝國軍艦隊を捕捉した。618年のリューリア作戦以降、通商破壊を狙った小艦隊が乱流や気流路をぬってザイル砂漠まで浸透することは珍しいことではなく、それらを連邦軍が追撃することは日常の一部になりつつあった。
旗艦ハーリンゲン(バリステア後期型)1隻、ギーゼ、ハシュタル(クライプティア後期型)の2隻からなるこの小艦隊は指揮官ウーヴェ・シュタイネル大佐の名をとってシュタイネル艦隊と呼称されていた。航続距離ぎりぎりの小型艦で編成された小規模な艦隊であり、指揮官のシュタイネル大佐は爵位や家名を持たない平民からの叩き上げ、と司令部に捨て駒扱いされていた感は否めない。能力より家柄が重視されていた旧帝國ではこうした采配によって優秀な人材が日の目を見ることなく散っていった。
西アノールのザイリーグ航路船及びパンゲア横断船を狙い、中型輸送船2隻、燃料輸送艦1隻、水タンカー1隻を撃沈する戦果を挙げたシュタイネル艦隊はビスカ気流路を経由してカノッサへの帰路についている最中を補足されたのである。
すぐさまエーサルに展開していたアーキル陸軍航空隊第86飛行隊のセズレ12機がスクランブルに飛び立った。連邦の資料と照らしてみると13月18日、86飛行隊の出撃記録が残っているので同隊に間違いない。86飛行隊はシュタイネル艦隊を直ぐには発見できず、10:21分になってようやく両者は接敵、彼らは真東から襲いかかった。
『雲の中、真後ろから逆さ落としにサーゼルの編隊が突っ込んできた。我々は面食らってすぐに動けなかったんだよ。対空機銃に弾倉を挿し込んだ直後、ハーリンゲンに対艦砲が命中するのが見えた。橙色の光がパッと見えたんだ。』
〜クライプティア級イシュタル対空砲兵:ハンス上等兵より〜
※1:サーゼル:セズレの帝國語発音
※2:ハーリンゲン:シュタイネル艦隊旗艦のバリステア
この攻撃により旗艦ハーリンゲンの一番主砲塔が損傷、10人近くの死者と多数の負傷者を出したほか、随伴艦ギーゼは第二動脈に被弾し出力が大幅に低下するなどの被害を受けた。シュタイネル大佐は対空戦闘を諦め乱流内に逃げ込むことを選択、セズレは機体強度に不安があり、乱流内まで追ってこないだろうと踏んだのである。本人はインタビューで
「あれがガゼルトゥーアだったら我々はあそこで全滅していただろう。」
※3:ガゼルトゥーア:ギズレッツァの帝國語発音
と笑った。シュタイネルの読みは当たり、86飛行隊は追撃を諦め敵艦隊の最終位置を打電後に撤退している。
北に流され続けたシュタイネル艦隊が乱流から脱出した時には彼らは自分たちの位置を完全に見失っていた。その実、ミレツィア南方200キロ、ニジリスカ領空近くまで到達していたのである。
・ニジリスカ空軍の実戦
ニジリスカ側がシュタイネル艦隊の接近を認識したのは19日7時頃とされており、農夫が見慣れぬ空中船の報を伝えたのが発端であった。ニジリスカは国家非常事態宣言を発令、すぐさま臨時議会が開かれ、敵艦隊が領空に侵入した際はニジリスカ空軍による迎撃を行うことが決定された。
これに面食らったのは空軍で、これまで観艦式に出席する程度の仕事しかしてこなかった組織がいきなり実戦、しかも相手はかのグランダルト帝國ときては無理もない。浮遊機関まわりの整備と外装の清掃は定期的に行われていたが、砲に至っては年に数回、礼砲として空砲を撃つのみであり、射撃訓練どころか実艦による演習も無く、砲手は簡単な座学を履修しただけであった。
また砲弾が旧すぎてアーキル本国から輸入することもできず、自国で生産した二十数発及び給与された当時のつまり30年前の砲弾が備蓄の全てであった。官僚や将校の顔が青ざめていく中、下級兵士たちの士気はかつてないほど高まっていた。アーキル本国からの打電で敵艦隊の兵力は軽巡空艦1、駆逐艦2隻、全て旧式な上ある程度損傷しているとの情報が回って来た頃には、ニジリスカ空軍の出撃準備が完了していたという。
・戦闘の経過
陸軍の報告により、艦隊はシュタイネル艦隊がバツィスタ空域を航行中との情報を得た。バツィスタ空域はニジリスカ南端、国境線ぎりぎりに位置する空域であり、電話線の整備が都心部の一部のみ(しかも民間人は使用不可)にしか成されていない為、陸軍はリレー式に伝令を走らせてオジスカベツィアまでこの報を届けたのだ。最後の伝令は20キロもの距離を50分以下程で走破し、書簡を渡した直後に倒れたという。
プレ・ニジレン級出撃の為、駐機していたオジスカベツィア一帯の電力供給がカットされ浮遊機関へと回された。ヴァージョンの旧いコードで解析された浮遊機関は電力の過半を熱に変換しロスしてしまう為、発動にはそれなりの電力が必要であった。アーキル本国やメルパゼルならば可搬式ダイナモでも賄えるような電力量であるが、その程度の電力を抽出する為にニジリスカは1区画を犠牲にする必要があったのである。貧弱な国産ケーブルが大電力に耐えきれず焼ききれかけた所で浮遊機関が二次共振を起こし、浮力を生み出し始めた。
気嚢艦はプレ・ニジレンの発動より先に離陸を完了しており、空中待機中であった。
『離陸の直前、オジスカベツィア市民がみな手を降ったり、旗を振ったりしているのが見えた。電気が復旧するまで彼らは不便な生活を強いられただろう。彼らはそれでも我々に手を振った。手が空いてるものは甲板に並び、応礼を返した。圧倒的な敵が相手だが、負ける気はしなかった。』
〜ニジリスカ艦隊司令官兼プレ・ニジレン艦長アルルク・ハリド提督〜
13月19日12時、艦隊総旗艦プレ・ニジレン1隻、オイム級5隻からなる第一艦隊はバツィスタ空域へ向け急行し、ニノギェ8隻からなる第二艦隊は即応待機についた。ニジリスカ空軍創設以来初となる実戦の火蓋が切って落とされようとしていた。
一方、シュタイネル艦隊はバツィスタ空域で停止し、応急修理と現在位置の把握に努めていた。セズレ2機の掃射を装甲帯で受けたハーリンゲンの被害自体は軽微だったが、航空艦橋に被弾した際の破孔から空図とチャートが乱流に煽られ流出した。
同じく被弾したギーゼは止血も間に合わぬまま乱気流に突入したせいで血圧が上がり、相当量の失血を被った。速力は半分以下にまで減退、酸欠による意識混濁で姿勢制御が不完全になり、左舷に傾斜したまま航行していた。イシュタルは大した損害を受けなかったが、艦隊はギーゼの速力に足並みをそろえるために基幹速力を著しく落とさざるを得なかった。
シュタイネル大佐は絶望的な状況にあって尚、帰還を諦めなかった。彼と航空士は方位磁針と簡易空図とを交互に睨みながら方位線と重視線を引き続け、自艦がニジリスカ近くまで流されたことを突き止めたのである。彼らは損傷したギーゼを抱えたまま、長大なザイル砂漠を突破し、カノッサまで帰還するルートを策定しなければならなかった。降伏も視野に入れたが、ザイル砂漠周辺で収集した最新の気流路データと敵船の航路図、拿捕した軍属タンカーから鹵獲した暗号表を失うのはあまりに惜しかった。ともかく、ギーゼの応急手当が完了するまでは動くことができないシュタイネル艦隊はニジリスカ軍の最終発見位置から離れられぬままバツィスタ空域で停止していた。
13月19日14時、ニジリスカ艦隊はバツィスタ空域に到達、先手を取ったのはニジリスカ側であった。
『雲越しに十字みたいな影が見えたと思ったら、即座に第一種戦闘配備が命じられた。最初は実感が沸かなくて、どっか冷めた感じだったんだが、測距器に映る敵艦がぐんぐん迫ってくるのを見て心臓が跳ねるみたいに打ち始めた。』
〜プレ・ニジレン第一砲塔砲手バクフ曹長〜
帝國軍から見て真東の方角は雲が垂れ込めており、完全な死角だった。その上帝國艦は代謝を落としていたためその場から動くことが出来ず、さらにギーゼに接続された大量の輸血管が回避機動を制限していた。その横腹にニジリスカ艦隊は突っ込む形となったのだ。
プレ・ニジレンは距離7キロあたりで正面を向け砲撃を開始した。オイムは備砲の射程が短く、もっと接近する必要があった為、この時点で投射できる火力はプレ・ニジレン第一砲塔の20サンチ砲2門だけであった。
第一射、第二射共に遠弾、近弾とも判断できないほど大幅に逸れ、三射目を装填した瞬間に装填補機が故障した。この時、20サンチ砲の装填は1発あたり7分近くかかっており、三射目を撃つまでに彼我の距離は4キロを切っていた。
三射目はとりやめ、より至近距離に接近するまで射撃待機とされた。ハリドは自分たちの突撃が意図せぬ奇襲となったことを理解し、静目標にすら至近弾を与えられない低練度を距離で補おうとした。
シュタイネル艦隊も混乱から立ち直り、射撃を開始した。最大船速で突進するニジリスカ艦隊に17サンチ砲、14サンチ砲が浴びせかけられ、間もなくオイム級アイバクとバルが撃沈された。僚艦が即座に撃沈されたにも関わらず、ニジリスカ艦隊は速力を落とさない。プレ・ニジレンも被弾し前面装甲の一部とソフトスキンの煙突が撃ち飛ばされた。
シュタイネルはニジリスカ艦隊の動きと先の砲撃から、彼らが至近距離からの零距離射撃を狙っていることを看破し、各個自由射撃を取りやめ、彼らが射撃位置につく前に全艦からの一斉射撃で搦め捕ることを狙った。帝國軍は丁字有利にあり、ニジリスカは先頭のプレ・ニジレン以外は軽装甲であるから、その判断は暫定的には最適解であった。
砲列を敷いて横腹で待ち構える帝國軍と頭から一列で突っ込んでいくニジリスカ艦隊、彼我の距離は2キロまで迫っていた。
ハリドは帝國艦隊がピタリと射撃を止めた意図に気が付き、速やかに号令を下す。同時にシュタイネルも射撃を命じた。ハリドが命じたのは敵艦目前での進路変更であり、帝國軍が発砲する直前に斜めに回避すると言うものであった。発砲の直前、真っ直ぐに突っ込んできたニジリスカ艦隊が帝國軍の目の前で"斜めに"化けた為、帝國軍は射撃の機を逸し、弾幕は空に消えた。横一文字のシュタイネル艦隊に対し、斜めに"突き刺さる"ニジリスカ艦隊、その距離は敵艦乗員と目があったという証言すらある。
ほぼ接射に近い形でニジリスカ艦隊は射撃を開始した。船腹の速射砲が次々に帝國艦を抉ってゆく。ギーゼはオイムの15サンチ砲の直撃を受け即死した。ギーゼの乗員は全員戦死、艦はバラバラになりながら墜落した。
帝國軍の反撃も激しく、オイム級スルーカが大破炎上、プレ・ニジレンの第二砲塔が大破した。ハーリンゲンも船体組織の6割が損傷し推進力を完全に喪失、反動制御が不可能になった為主砲は使用不能になった。
イシュタルは艦橋に15サンチ砲を受けて艦長が戦死、調律器も損傷した。
ニジリスカ艦隊の残存、半壊したプレ・ニジレンとガス気嚢に火の手が回りつつあったクスコ、船体がズタズタになったバシャーの3隻がシュタイネル艦隊の脇をすり抜けて脱出に成功、対するシュタイネル艦隊はハーリンゲンが戦闘機能喪失、イシュタルが艦橋要員全滅という状態であった。
17時30分ごろ、シュタイネル艦隊は暗号機を破壊、軍旗を焼却してニジリスカ艦隊に降伏した。ハリド提督はこれを受理し、17時45分、戦闘行動の全面停止がなされた。
この瞬間をもって『バツィスタ空域の戦い』は終幕を迎えた。
・戦闘の結果
ハーリンゲンはなんとか自力航行が可能だったが、イシュタルは調律器の損傷により制御不能のまま停止してしまった為、プレ・ニジレンは高度を維持したまま浮遊するイシュタルを近場の都市であるイデェートまで牽引した。イデェートにはバグラード級改輸送艦が陸戦隊を輸送しており、万一の事態に備えていた。
ハーリンゲン、イシュタルが着陸した直後にドブルジャ気嚢に引火したクスコが爆発、幸いなことに乗員は既に退避していた為、艦そのものの喪失のみで済んだ。
両軍の最終的な損害を以下に記載する。
ニジリスカ第一艦隊
プレ・ニジレン
・プレ・ニジレン・・・上部構造物大破、船体中破。乗員多数戦死
オイム型
・オイム・・・船体中破、乗員多数戦死
・クスコ・・・気嚢炎上により爆沈。乗員は脱出済み
・アイバク・・・直撃弾により轟沈。乗員全滅
・バル・・・直撃弾により轟沈。乗員全滅
・スルーカ・・・被弾により炎上、弾薬に引火し爆沈。乗員一部は脱出に成功
ニジリスカ第二艦隊
バグラード級・・・輸送船型2隻が陸戦隊をイデェートまで輸送
ニノギェ級・・・1隻が機関不調により不時着
帝國軍第28特派艦隊:シュタイネル艦隊
バリステア級後期型
・ハーリンゲン・・・船体に治癒不可能な損傷。浮遊及び航行は可能なれど自力での離陸は不可能。生存者有り
クライプティア級後期型
・ギーゼ・・・クスコのものとされる15サンチ砲が貫通後、艦内で炸裂、爆沈。乗員全員戦死
・イシュタル・・・艦橋に直撃弾、艦橋要員全員戦死、調律器の損傷により制御不能。生存者有り
ニジリスカは指揮官シュタイネル大佐を含む帝國兵281人を捕虜にし、残骸に近いものの帝國軍艦艇を鹵獲した。
こうした経緯を持って、帝國軍艦隊の降伏により終結した『バツィスタ空域の戦い』は損害こそ同等なれど、ニジリスカの勝利として記録されている。
・後日談
グランダルト帝國はこれまでニジリスカを国家承認せず、アーキル本国の地方管区として扱っていた。しかし、今回の戦闘により帝國はニジリスカを国家として承認している。これは俘虜奪還の為、交渉の席を設けるための措置であった。
当時、帝國軍の軍用暗号が突如として解読され始め、作戦行動に大きく支障をきたしていた。帝國軍は降伏したシュタイネル艦隊から鹵獲された暗号機が原因だとして、シュタイネルとその部下の処罰する為に俘虜返還を要求したのである。帝國が俘虜返還に躍起になった理由として、"某大貴族家の子息が暗号機を連邦に売った"という不祥事を隠すためのスケープゴートを望んだ、というものがまことしやかに囁かれている。
圧倒的な軍事力を背景に俘虜返還を迫る帝國に対し、ニジリスカはこれにノーを突きつけた。
『処刑されると分かっていて300人近い人間を引き渡すわけにはいかない。彼らは我々の"客人"である。』
〜ニジリスカ外交官サファビー・ハリア〜
この返答に激怒した帝國はニジリスカ国家承認を撤回、『バツィスタ空域の戦い』を存在しなかったとし、シュタイネル以下281人を全員戦死として軍籍を抹消した。
この対応と、戦死者への丁寧な埋葬を知ったシュタイネル"元"大佐とその部下達はニジリスカへの帰化を望み、ニジリスカ政府はこれを受け入れた。あらゆる分野のプロフェッショナルをまるごと受け入れることには大きな意義があった。
その後、ニジリスカ空軍はその戦力を大きく減じ、事実上の解体となった。しかし弱小国であったニジリスカが軍民一丸となって、かの軍事大国グランダルト帝國軍に勝利を収めたという事実が揺らぐことはなく、ニジリスカ国民にとって『バツィスタ空域の戦い』は国家の、国民の、民族の誇りとして現在も輝きつづけている。
最終更新:2019年10月13日 18:40