すごいこと聞いちまった。
まさか俺たちのリーダーがこんなことをしてたなんて。
見捨てられた地で、こんな役得を得られるとは。
もし老いぼれになったときは、自慢話のひとつとして語り継いでもいいくらいだ。
リーダーには口外するなって言われてるけど、何十年も後なら時効にしてくれるだろう。
極地探索隊でも、不良達のたまり場となっているところがある。
なにを隠そう、俺たちのいる場所だ。
俺たちは、親たちの威厳でここに収容されているだけの存在だったんだ。
まったく、家族計画が聞いて呆れるぜ。
家の血筋のための予備部品みたいな扱いだった。
長男と次男はいいもんだ。
なにもしなくても貴族として支援が受けられる。
三男より先は、ただ貴族の位を持っているだけの、なんでもない奴らだ。
四男だった俺は、体が一通りできるまで家にいさせてくれた。
だが、すぐに養子に出された。
家の契約のための人質として差し出されたのだと思う。
他の家に行くことが何度か続いた後、雪の中に放り出された。
そここそ、フォウ王国陸軍の極地探索隊だった。
俺の家は俺に極地探索隊の一員として、成果を求めた。
旧文明遺物を持ち帰れば、それに見合った見返りを渡すと。
当時の俺は真に受けていたが、今となってはそれが嘘だとわかる。
今思えば、家族の俺を見る目が氷より冷たかったことを思い出す。
もはや、俺は家族ではなく、家とつながりのあるだけの軍人になってしまったのだ。
一般的な貴族の世界の出来事だった。
だが、それを知らなかった俺は旧文明遺物を求めた。
きつい訓練を受けても、へこたれなかった。
また家族に会えるのだと思って、がむしゃらだった。
リーダーを最初に目にしたのはそのときだった。
俺が貴族の子弟の集団に紛れて生活していたときだった。
どこからか、俺が貴族の家から送られてきたのだと把握して、サウナで声をかけてきた。
最初はリーダーの風聞から断ったさ。
なんでも、ワルな貴族同士でつるんで悪さばかりしていたからだ。
物資はちょろまかすし、ろくに訓練には出ない。
スキーの技術がうまくて誰も追いかけられないからと、脱柵ばかりしている。
他の隊員への暴力も珍しくなく、貴族の子弟だというから誰も手が出せない。
教官さえも、彼らには怯えているのか、あまり関わらないようにしていた。
そんな集団に関わりたいと思うもんか。
まったく、厄介な集団のいるところに来てしまったもんだ。
俺は何回も旧文明遺物を家に向けて送った。
旧文明の遺跡を攻略したかといわれれば、もちろんしていない。
攻略などしようとしてもできるものではない。
なぜなら、ここは極地探索隊のなかでも安全な後方基地だからだ。
だが、俺の当持属していた集団でもそれなりに知恵はあった。
闇から闇へ流れてきた旧文明遺跡の部品を買ってきて、家に流すのだ。
行軍中に拾っただとか、雪の中に埋もれてた、とか。
旧兵器を襲撃して解体した部品を買い取った、とか。
理由はどんなものでもいい。
ガラクタだったが、家はそれを一応評価してくれた。
家からはそのたび、仕送り代わりの金銭が送られてきた。
それを目当てにして俺の集団は動いていた。
俺は気付かなかったが、その行動は一種の諦めを含んだものだった。
このままの生活がずっと続けばいい。
そう思ってもいられない事態が起きたのは、俺が旧文明遺物を何回か送ったときだった。
俺の兄、正確には俺の家の三男がどこかで死んだ。
そのような手紙が俺のもとに届いた。
そして、ついでのように次男に第二子が生まれたことも書かれていた。
俺の家は実家と次男の嫁ぎ先を支えるので忙しくなるから、仕送りが減るとも。
極地での生活が一層厳しくなるという事実にしばらく俺は動けずにいた。
そこへ、俺の手紙を横からかっさらっていったのがリーダーだった。
嫌な人物に目をつけられたと思った俺だったが、リーダーの一言は俺を変えることになった。
そして、この極地探索隊の貴族がどんなしくみで成り立っているのかを理解した。
ここは、貴族の三男坊のたまり場だったのだ。
長男や次男になにかあったとき、俺たちはここから実家へ呼び戻される。
それまでは、なにがあろうともこの雪のなかで過ごさなければいけないのだ。
旧文明遺物を見つけてくれば、というのは嘘だ。
金はくれても、呼び戻されることはない。
長男や次男が死なない限り。
それを聞かされて、思い当たる節がありすぎた。
次男が安定した手紙と一緒に、支援の縮小の告知。
そして、リーダーはなぜか俺の兄の実情も知っていた。
俺の兄には、同じような手紙が俺よりはるか以前に届いたらしい。
そこで、兄は無謀にも極地探索隊として、雪の向こう側についていってしまったのだ。
案の定、英雄しかいられない極地の奥にたどり着けるわけもなく、雪と鉄の暴風に吹き散らされた。
という話だった。
半信半疑の俺に、リーダーは旧文明の遺物を一つ渡してきた。
俺や俺がいた集団が買って実家へ送るのと同じ品質のものだった。
リーダーは俺に、暗に実家を試せといったのだ。
この遺物を送って、俺が受け取れる金銭や支援の軽重を問えというのだ。
結果は明らかだった。
もはや、俺を支援する気がない家から、俺に言い訳の手紙とわずかな金銭が帰ってきた。
手紙には、もっと大きな手柄を立てて家を助けてほしいと書かれていた。
兄が死んだ理由が理解できた。
この支援ではいずれ自分は干からびて死ぬ。
兄は家族の絆を信じていたのだろうか。
もっと成果を挙げなければいけない。
そのためには、俺のような生き方を続けることができなくなった。
極地探索隊の後ろにいるだけではいけない。
前に出て、英雄たちと同じ歩を踏むしかない。
そして死んだ。
兄は生き残れなかった。
俺は兄と同じ道を辿るのだろうか。
こんなのってありかよ。
俺たちは衰弱死しようとしているんだ。
それと同時に、俺のいた集団がどういう組織なのかがよくわかるようになった。
あれは、三男坊たちの互助会だったんだ。
以前の俺のような、まだ価値がある三男坊が呼び戻されるまで生き残るための。
集団の力を使って、雪と氷に蝕まれる牢獄で死なないように。
だが、もう俺のような状態になれば、互助会でも救えない。
最低限の資本のある集団だからこそ生き残れるのだ。
資本すらなくなった俺は落伍者で、助かる見込みがない。
たまにあの集団から極地の奥まで行く志願者が出るのは、そういうことだ。
今更気づいても、どうにもならない。
俺もああして、雪のなかに消えていくのか。
結局は、俺はリーダーのほうに鞍替えした。
いや、生き残るためにはそうせざるを得なかった。
俺はリーダーから、この世界のことを学んだ。
貴族の誰もが勇気を心に秘めている、という嘘についても。
極地探索隊の先頭は、きまって貴族の長男か次男だということ。
彼らは本当に家の威信をかけており、家は彼らを賭けて極地の果てに向かうことを宿命のように感じていること。
そんな彼らは、彼らの家は多大なる勇気の持ち主だ。
最高の教育と、最高の支援を受けて、新天地へと進んでいく。
旧兵器すら跳ね除け、犠牲には敬意をもって埋葬され、ついに目的地にたどり着くのだ。
おとぎ話を聞いているようだった。
語っているときのリーダーは、まるで幼い子供のようだった。
英雄譚を信じ、夢を見続ける少年のような目をしていた。
だが、彼らの話が終わると、リーダーから恍惚の色が失せていった。
そういうときはきまって、咳を一つして「だが俺たちは英雄じゃない」と言う。
リーダーの率いる集団は、家族の支援が当てにならないものたちのたまり場なのだ。
どんなことをしてでも、生き残らなければならない。
リーダーたちは様々な抜け道を知っていたし、誰を脅せば金を手に入れられるかを知っていた。
標的にされたほうはたまったものではないが、そうしなければ生き残れなかった。
もちろん、俺もそういうことはしたさ。
すべては雪のなか、敵も味方も、誰も助けは来ない。
それを逆手に取った。
俺が入って今日まで、俺は誰も殺さなかった。
誇れることはそれくらいだろう。
だが、俺が驚いたのはそこじゃない。
リーダーの収入源がどうなっているのかに、驚かされた。
ちんけなみかじめ料や、巻き上げた金品で成り立つなど思っていない。
そもそも、巻き上げる相手だって持たざるものなのだ。
他人から奪うだけでは絶対に立ち行かない状態で、リーダーは組織を維持していた。
その秘密は、やはり雪のなかに隠されていた。
最初におかしいと思ったのは、リーダーがどこからか酒を調達してくることだった。
正規の手段で手に入れれば高くつく酒を、俺たちみたいなのが飲めたのだ。
それも、混じりけのない、安全なものをだ。
酒が飲めるというだけでリーダーの側についているというものもいるくらいだった。
それくらい、リーダーの手にしている酒は俺にとっても魅力的だった。
俺がリーダーの秘密を知ったのは、リーダーの隠し事に関与してからだ。
あれは、組織が順調に他の荒くれ者を味方にし始めたときだった。
リーダーから指示されたのは、なにもない雪原のど真ん中に秘密基地を作れというものだった。
最初はなにがどうなっているのかわからずに混乱したが、逆らうわけにもいかない。
結局は、指示されたとおりに、建材となる木材を買った。
木材は簡単に確保できたのだが、問題は外面を覆う鋼板だ。
特殊鋼板が必要だったんだ。
知ってのとおり、我が国がなぜこの雪のなかで最低限の生活を遅れているのには理由がある。
人が丈夫にできているからというのもあるだろうが、一番は我が国の特産品にあった。
金属資源の産出に優れる我が国は、金属加工においても他国を圧倒している。
その一つが、寒冷地向けの特殊鋼板だった。
これは、熱しやすく冷めにくい不思議な鉄の板だ。
原理はともかくとして、寒冷地で建築物から熱を逃さないために重宝されるんだ。
この鋼板のなかで、リーダーが要求したのは軍事規格照らしても最高級にあたるものだった。
一般的な流通には乗らないそれを、どうやって入手するか。
答えは一つ、俺たちの駐屯地にある予備倉庫から盗んでくることだ。
幸いにも、倉庫番を抱き込んだおかげで重機を使って運び出しても、さしたる騒ぎにはならなかった。
特殊鋼板を張り巡らせて作られた建築物は、なにかの倉庫のようだった。
駐屯地にもあるような、何の変哲もない倉庫だ。
大型物資を運び込むための大口がいくつかあり、人が出入りする小口もあるそれは、手作りで作ったにしては立派なものだった。
ここでなにをするのかと思った俺だったが、運び込まれたものを見て、驚かされた。
バカでかい金色のパイプの塊が、ぱっくり開いた大口を窮屈そうに通って、腹に収まった。
見上げるほどに大きいそれは、溶けた飴が見せるような奇妙な紋様が溶接跡に残り、幻想的だった。
俺は最初それがなにかわからなかったが、誰かがそれの名前を口にした。
蒸留器。
なんの、とは言わなかった。
誰も来ない雪原に立てた、秘密の倉庫に持ってきた蒸留器。
このときになって、ここは密造酒を作るための施設だったと理解した。
どおりで、リーダーが酒に困っていなかったはずだ。
自分たちで酒を作っていたんだから。
酒を作るにあたって、特に気をつけるべきと言われるのは温度の管理だ。
それも、それも倉庫の特殊鋼板のおかげで非常にやりやすかった。
一度でも室内に熱を与えておけば、特殊鋼板がいつまでも維持してくれる。
温めるときは火を入れ、冷ますときは外の空気を入れるだけ。
薪や燃料を余計に使わなくてもいいのは、懐に優しいんだ。
察するに、リーダーはほかにこんな施設をいくつも作ったんだろう。
指示が手慣れていて、無駄がなかった。
酒の作り方は、やってるうちにだんだんと覚えられるようになった。
なに、致命的なことをしなければ素人でも作れるし、酒にありつける。
酒造りというのは、案外簡単にできているんだ。
そのための材料がとてつもなく入手困難だということを除けば。
考えてもみれば馬鹿でもわかる。
雪がしょっちゅう降る我が国では、食料生産もぎりぎりだ。
酒を作るには、少なくとも食料を使わなくてはいけない。
各家庭の余興で作るのはいい。だが、それを商売にできるほどの体力はない。
そんな暴挙を平然とできるのは、酒で食っていける領地くらいのものだ。
では、俺たちがどうやって酒を作っていたか。
その光景を見せてやりたいくらいだ。
純粋な砂糖と、水と、発酵させるための種、その他少量、それだけだ。
砂糖だけで作っていたんだ。
頭がおかしくなりそうだった。
たしかに、糖分さえあれば酒は作れるんだが。
誰もそれだけで酒を作るなんて思っていなかった。
半信半疑になりながら密造酒に関与していたが、次から次へと砂糖の袋が倉庫に放り込まれていった。
貴族でさえめったに口にできない砂糖なのに、なぜリーダーがそれを持っているのか。
リーダーだけが知っている旧文明施設があって、そこで産出されているのだろうか。
頭のなかで憶測が飛び交ったが、ついに誰の口からも答えが出ることはなかった。
ほとんどの人間が知らされていないだけだったのかもしれない。
ただ、王国一高い酒は、俺たちから砂糖のことを忘れさせるには十分だったということだ。
ただし、密造酒を作るにあたっては、禁忌が存在した。
砂糖を持ち出すな。
砂糖で作った酒だと言うな。
砂糖で作ったから高く売れるとは思うな。
俺たちが砂糖を持っていることがバレたら、絶対に横槍を入れられる。
最悪の場合、この倉庫が襲撃されて乗っ取られる。
食い扶持がなくなるのは非常に困る。
だから、誰も砂糖そのもので一儲けをしようなんて考えるやつはいなかった。
もちろん、砂糖を使っているからと酒の売値を吊り上げるような奴もいなかった。
酒は酒として飲めることが重要であって、原料がどうであったかなど、売るときには関係ないんだから。
砂糖として売れば数十倍の儲けはかたいのだが、それを酒にしなければいけない悔しさはリーダーが一番よくわかっていた。
ある日、そのことでしつこく口出しした奴をぶっ飛ばした後、リーダー入っていった物陰でズシンと大きな音がした。
出てきたリーダーは、いつもなら両手をぶらつかせているのに、そのときは右手をポケットに入れて歩いていった。
俺たちが文句を言える立場ではなかった。
砂糖をつまみにして酒を飲むくらいはできたのも、造反者奴が出なかった理由かもしれない。
それに、俺たちに還元される利益が大きかったのも結束を高めた。
元手がゼロから始められるのに、上納して残った酒は自由にして構わないのだ。
自分で飲んでも、誰かに売っても、捨ててしまっても構わない。
少なくとも、ほとんどは売りものとして出荷されていたと記憶している。
実際に俺も売っていたので、理由はよくわかる。
砂糖だけで作った酒は、美味しく飲むということにかけては不適格だったんだ。
王国一高い酒が王国一旨い酒とは限らない。
風味もなにもない、酔うという目的のためだけに存在するような酒だ。
飲めるだけありがたいが、積極的に飲むかと問われればそうでもない。
とにかく微妙な酒だったが、それでも我が国では貴重な酒だ。
官品の横流し品として流通させてやったので、かなり儲けさせてもらったよ。
このときにはもう、なにもしてくれない実家のことなど考えなくなっていた。
リーダーとの絆が、俺たちの全てだった。
酒造りは簡単だが、それを維持するのは簡単ではない。
誰の手も入っていない雪のなかでは、思わぬことがよく起こるものだ。
野生動物の襲撃に、野生動物の襲撃、それと旧兵器の襲撃、たまに雪下ろしをサボったせいで起きる支柱のきしみ。
まず、酒を作ったあとに出る廃棄物を放置すれば野生動物が襲ってくる。
かといって、大量の廃棄物を持ち帰ろうとすれば、それでも野生動物に襲われる。
最後に、未開拓地帯で活動しているので野生の旧兵器にばったり遭遇する。
最初はビビったが、いつの間にか俺たちの臨時収入になった。
バラした旧兵器のパーツを売れば、いくばくかの金にはなる。
定期的な収入とは比べるべくもないが。
あとは、野生動物の骨と牙で小物を作って売ることもやった。
ユキハイトカゲから獲れたのは本当にいい商売になりそうだったが、俺たちの地域ではたまにしか獲れなかったから諦めた。
いつの間にか、俺もたくましくなっちまったもんだ。
三個小隊あれば旧兵器の一体も倒せちまうなんて、昔じゃ考えられない。
野生に戻ったのは、こっちかもしれないなんて思うようになった。
なによりも驚いたことがある。
エルカ・セルデを拾ったことだ。
ああ、あのエルカのだ。
今日は一段と寒いな、なんて思いながら倉庫の周りをうろついていたら、銃声が響いた。
とても遠い距離だったから、俺は誰かが狩りをしているんだと思った。
その後も発砲音が続き、機関銃が木をなぎ倒す音が聞こえてこなければな。
旧兵器が動いているんだとすぐにわかった。
あとは、仲間を呼び寄せて嬉々として旧兵器を狩りに行った。
もうちょっと優等生だったら、最初の断続的な発砲音は意図的なものだと看破できたかもしれない。
旧兵器を四方から撃ち殺したあと、見慣れない色の信号弾が雪の中からあがった。
その発射元をたどったら、ヤツがいたというわけだ。
隠れていた雪から掘り起こされた死神の登場に、思わず声を上げちまったよ。
ただ、ヤツも死にかかっていたがな。
雪に埋もれていたからか、今にも凍りつきそうだった。
ここにきて、あの発砲音がヤツのものだと気がついたのだ。
気が動転しないはずがない。
なんせ、エルカだ。
なにをしにここに来たのかわからない。
憶測が憶測を呼んで、しまいには密造酒を作っている倉庫を探りに来たんだという話になる。
結論としては、殺したほうがいいという話になった。
死んだ死んだと言われているヤツなんだから、ここで殺されても誰も気づきはしないだろう。
問題は、誰がそれを実行するかだ。
俺でさえエルカ・セルデにちょっかいを出すことすらしたくないんだ。
手を下せるのは、リーダーくらいのものだ。
仲間から、リーダーの自慢話を聞かされていた。
そのなかには、エルカ・セルデを実家送りにした話もあった。
誰もがそれことを思い出し、リーダーを呼びに行くことにした。
リーダーなら、こいつのカタをつけてくれると思ったんだ。
周囲の索敵を継続しながら、倉庫とは別の小屋にヤツを連れて行った。
エルカの協力者が潜んでいるかもしれないのだから、神経質にもなる。
あのエルカのことだ、俺たちの密造酒を嗅ぎつけたのならヤツ一人で来るはずがない。
木造の監視小屋に雪崩のように駆け込むと、俺たちはヤツを監禁した。
エルカに情報一つ与えてなるものかと、かなり必死だった。
手かせ足かせは当然ながら、顔についている穴という穴を塞ぐことにしたのだ。
詰物をした口にパイプを差し込んで息はできるようにしたが、外から見れば拷問をしているようだった。
それだけエルカが怖かったんだ。
楽園をエルカに壊されたくなかった。
ただ、俺たちのしょぼい勇気では、エルカに噛みつくなんてことはできなかった。
家から追い出されて孤立した肉食動物が群れをなしているような環境だったのに。
誰もが、自分の家がエルカ家に踏み潰される様子を思い描くことができた。
鼻で笑っていても、家を裏切るなんてことは、誰もできなかったんだ。
そのためには、恐れ知らずのリーダーが来るまで、この野蛮な猛獣を殺さないようにしなければ。
恐怖が人を動かすっていうのは、こういうものだったんだろう
ヤツも俺たちも凍りつきそうになった頃、リーダーが息を切らせて小屋に駆け込んできた。
リーダーは、惨状を見てすぐにヤツを解放した。
てっきり、殺すものだと思っていたから、その行動には皆が驚愕した。
特殊鋼板がない監視小屋は寒すぎる、と言って、リーダーは背中が濡れることも厭わずエルカ・セルデをおぶった。
俺が、ヤツをどこに連れて行くのか聞いたら、リーダーは間髪入れずに倉庫だと答えた。
気でも狂ったのだろうかと誰もが思ったことだろう。
しかし、リーダーは歩きながら、ヤツに静かに語りかけた。
服のことと、腕と足のことについて。
それが明らかになったのは、倉庫についてからだ。
倉庫についてからは、リーダーはヤツの服を脱がしにかかった。
新しい服に着替えさせて、凍えた体を温めるためだ。
ヤツは、下着として見慣れない服を着ていたのだ。
現実離れした、と言い換えてもいいだろう。
ゴム状の下着が、ぴっちりと服に張り付いていた。
触ることさえ嫌った俺たちには、知りえない情報だった。
義肢のことは、あまり言及したくない。
右手と右足が青白くなっていて、それ以上は思い出したくない。
現実離れを通り越して、この世のものではないみたいだった。
二重の動揺を抱える俺たちとは違って、リーダーは終始冷静そのものだった。
義肢を見せられて、エルカ・セルデは旧文明の施設で体を弄り回されたということが薄っすらと俺たちの共通認識に刻み込まれた。
そうすると、ヤツは密偵としてここに来たのではなく、偶然の産物で雪原に放り出されていたということになる。
ヤツに会っただけでその事実を看破したリーダーには頭が上がらない。
変にエルカを怖がらないからこそ、そういったことができるのかもしれない。
どっちにせよ、俺たちには到底できないことだ。
だが、ヤツを倉庫に入れたのはとても危険なことだ。
エルカの名を負っているヤツのことだ。
ここで出所不明な砂糖を使って密造酒を作っていることがバレたら、俺たちは殺される。
だからこそ、あの小屋に押し留めていたのに。
リーダーがヤツを倉庫に招いたのだから、なにか考えあってのことだろうとは思ったが、やはり不安なものは不安なんだ。
雰囲気が不安定なものになっていることはリーダーもわかっていた。
いくつかの集団にわかれて持ち回りの作業をしていた俺たちに、リーダーは順番に声をかけていった。
なぜ、リーダーはヤツを恐れないのか。
それは、エルカ家がリーダーのことを、もう知っているからだった。
エルカはもう知っているのだ。
その上で、この状況を放置しているのだという。
実質的な黙認されているということに他ならない。
何度も驚かされるのは心臓にいいことじゃない。
秩序の象徴であるエルカがそんなことをするのか。
誰もがそう思うし、俺は我慢できずに口に出してしまった。
そのときに返ってきた、秩序とは潔癖症を指す単語ではない、という言葉が耳に残っている。
話が一段落してからは、リーダーとエルカ家がどうして繋がりを持てたのかという話になった。
正確には、リーダーとエルカ・セルデが、だったが。
ヤツがリーダーに直接絡んできたのは、密造酒関連だった。
一発でヤツはリーダーが主犯格であると看破したらしい。
エルカ・セルデを実家送りにした後、二人は関係を絶っていたそうだ。
だがヤツは突然、証拠を持ってリーダーの元を訪れた。
ある娼館で手に入れたという酒を無言で突き出した。
飲め、と言外に発していることは明らかだった。
一口飲んで、独特の味から自分が作った酒だとすぐにわかる。
俺たちでもわかるんだ、ヤツがわからないはずがない。
無関係を貫くことも考えたが、リーダーはそれを諦めた。
エルカ・セルデは相手の言質を取る段階まで進んでいるとわかったからだ。
俺の知ってる酒だ、と短く言ったリーダーにたいして、ヤツは「貴方達のよく飲んでいる酒と同じ味がします」と言ったらしい。
この解釈が結構曖昧だった、とリーダーは言う。
密造酒を作っているという意味で言ったのか、その酒をよく飲んでいるという意味か。
後者ならただの事情聴取で済むが、ヤツがここまでするんだ。
当然ながら、前者だろう。
さらにヤツは、酒保にもこの酒があり、しかし俺たちがそこから買った記録が一度もないという事実も突きつけてきた。
そう、酒保に卸されている酒の一部は、俺たちと結託した小商人によって、回り回って駐屯地へ卸されていた。
何事も、大口を開けて待っている軍に納入するのが一番稼げる。
酒保に密造酒を送り込むのも、けして儲けが多くない俺たちの金策の一部だった。
自分たちで作っているのに自分たちで買ったら意味がない。
俺たちはその酒をじかに飲めるわけだから、酒保から買うなどとは考えてもいなかった。
そこをヤツに見透かされたんだ。
ヤツが定期的に酒保に潜り込んで酒を漁っていることは知っていた。
妨害も考えたが、そんなことをしてしまえば俺たちが秘密を酒保に抱えていることが露見してしまう。
歯がゆい思いをしたが、それがついに俺たちを追い詰める材料になってしまった。
俺たちが酒を入手している場所の隠れ蓑を用意しているわけでもないリーダーは、状況が詰んだことを認めた。
俺が作った、それで俺をどうする気だ。
開き直ったリーダーは、なかばヤケになって処遇を受け入れようとした。
ヤツが次になんて言ったと思う。
なにも、だとさ。
なにかをするためにここに来たんじゃないのか。
当然、なにかっていうのは、密造酒製造の主犯であるリーダーを抹殺しにっていう意味だ。
秩序側の物語からすれば、悪党は蹴散らされるにふさわしい登場人物だからな。
そのためにエルカ家があって、その執行者としてエルカ・セルデがいるものだと思っていたんだが。
結局、リーダーが今も生きているところをみれば、本当にヤツはなにもしなかった。
だが、頭がよくない俺たちでも、ヤツがしたことの意味はわかる。
わざわざリーダーに事実を確認させ、なにもしなかった。
つまり、エルカ家はこのことを知っているぞ、と脅しをかけたんだ。
知っていて放置するというのがヤツの独断なのか、エルカの命令なのかもわからない。
手を出さないという点も、それが嘘なのか本当なのかもわからない。
聞いても答えてはくれないだろう。
リーダーは自分の経験から、今のところは安全だと予測している。
手を出さないのも本当なのだろう、と。
介入するつもりなら、相手の失点を懇切丁寧に教えるはずがない。
脅しに過ぎないんだ、というのがリーダーの結論だった。
つまり、俺たちのやったことは、いまいちエルカ家の秩序の琴線に触れなかったということだ。
エルカ家相手に、ここまで冷静に答えを導けるのはリーダーくらいなもんだ。
この一件以降、大げさに怖がらないことがエルカ家対策なのだと教えてもらった。
自分を大きく見せて、木っ端貴族を萎縮させることで心理効果を狙うのがエルカ家の戦略らしい。
そして、いざ策略を実行に移す段階になると、とても大規模なものになってしまうがゆえに、小さい出来事にいちいち構っていることはないそうだ。
つまり、家としての格が違いすぎるために、相手にもされないということだ。
リーダーは、ヤツを実家送りにした後で、その真理に気づいたらしい。
よくよく観察すれば、嗅ぎ回ったりすることは多々あれど、それがすぐになにかに結びつくということはなかった。
というか、リーダーの身の回りでなにかあったためしがない。
実家送りの件だって、最終的には喧嘩の際の事故として処理されてしまったように。
その事実から、リーダーはエルカという肩書を変に意識して行動する必要がなくなったのだという。
密造酒にしたって、リーダーは俺たちに危害が及ぶことはないと判断したようだ。
なにか、もっと別口で大きなことが起きていて、それを探りにきた一環として俺たちの身辺調査をしていただけだったんだろう。
クソはた迷惑だぜ。
誰が関わっているにしろ、陰謀は他所でやってほしいもんだ。
しかし、そう聞かされていても、俺たちには根源的な恐怖としてエルカ家の名が刻まれているみたいに縮み上がっちまうんだ。
エルカ家相手にそこまで冷静になれる肝っ玉はリーダーくらいだぜ。
リーダー、俺たちにとっちゃ、エルカ家すら恐れないあんたは英雄だよ。
俺たちの自慢の大将さ。
そういえば、ヤツは結局、搬送された先の病院で死んだらしい。
弱ってはいたが、死ぬようなものじゃなかったのに。
やはり、旧文明の施設で身体改造を受けたことが原因だったんだろうか。
ただ、リーダーだけはヤツが死んだとは思っていないようだった。
エルカ・セルデ死亡の新聞を読みながら、にやついていたんだ。
以前の俺なら、邪魔者が退場したことでほくそ笑んでいるのだろうと思っていたところだ。
しかし、今はそう思わない。
もちろん、厄介者が消えたという歓喜もあるのだろうが、ヤツが表舞台から消えたということを深読みすれば、おのずと答えは察せられるというものだ。
エルカ家がヤツをなにかに利用しようとしているのだろう。
酒の件があったとたんにこれだ。
俺たちはとても不安で仕方なかったが、リーダーが気にしていないなら心配ないんだろう。
俺たちの居場所は、リーダーによって守られたんだ。
これほどうれしいことがあるだろうか。
俺たちは、この先もリーダーについていくぜ。