冬季戦なんてものは、何時の時代であろうが悪夢同然のものだ。
寒さというものは、戦争する為のあらゆるモノを機能不全へと陥らせる。
エンジンオイルが凍るし暖房だの何だので燃料の消費量は、増えるし私たち兵士が食う糧食だって夏より大量に必要となる。
そもそも降り積もる雪に凍りついた地面は、冬季戦で余計大量に必要な物資を運ぶ事自体を困難にさせる。
ただでさえヒト、モノ、カネをやたらめったら無駄に要求する戦争の維持が余計難しくなる。
全部、士官学校で習ったことだ。いや士官学校卒じゃなくても兵卒だろうが知ってることだろうか?
とりあえず冬季戦は、クソッタレの最悪であり良識というものがあるのなら絶対にやるべき事ではない。
幸いにも私達の上層部は、その事を理解してるらしく今やってる事と言えば戦争ではなく越冬であった。
そう越冬だ。
こんなモンさっさと後方の都市まで引いてしまえば良いだろうにというのは、前線の総意に間違いないだろうに政治的な何たらでこの防衛線を維持しなければならないらしい。
堪ったもんじゃない。
そんな理由でこの寒空に張り付けられるというのなら缶詰工場で労働しては夜にはジン横丁で酔い倒れる日々を送っていた頃の方がマシに思えた。
部隊一同が皮肉を込めてクソ暇戦線と呼んでいるのがそれを中隊長殿と来たら兵士が軽口叩いてる暇が有るのなら綺麗な戦争だのと仰られていた。
実際、無為に厳しい寒さを耐え凌ぎながら兵器共が動くように点検する毎日が続いている。だが今日は、クソ暇戦線では無かった。
越冬中だろうが定期偵察任務は、軍事的常識として行われる必要が有るのだが――今日、この常識の為に駆り出された戦車小隊が私達なのだ。
双眼鏡を片手に持ちながらハッチへと手を伸ばす。
車内は、煩くて耐えれたものではなかった。発動機は、稼働してる限り此方の耳をぶっ壊すような騒音を撒き散らし続ける。
コレのことを戦車の愛情表現だの言い出す知り合いも居るが愛情表現だと言うなら排熱の少し位、居住区に分けてくれて良い筈だ。
こいつの設計者は、私達が蒸し焼きにならないように発動機の全排熱は、後部のグリルからされるようにしていたが今では裏目にしかなっていない。
ハッチを開くと明るさと外気が吹き込んできた。それから外だろうが容赦なく聞こえる発動機の稼働音もだ。
咄嗟に顔を覆い隠したくなるが悪いことに片手はハッチ、もう片手は双眼鏡。我慢するしか無かった。
半身をよじり出すと車外は、案外快適に思えた。寒さの方が加わったとは言えどもこっちの方が煩く不快な発動機より幾分かマシなのだ。今この瞬間は、アレを愛情表現だの言い出すあの知り合いは、病院にブチ込んだ方が良いと思えてならない。
視界に広がる景色は、見渡す限り白い。ハッチを開け放った時には眩く思えた空は、鼠色の雲に覆い尽くされていた。
数年前、ワグワグが生い茂り泥濘、苔、水溜りの中で戦わなくてはならなかったカノッサは、全て全て雪の下に埋まってしまい見る影もなかった。
唯一、戦車小隊で行動するが故にそう遠く無い所を走る僚車3両と少し離れた場所から付いてくる2両の装甲兵員輸送車が例外だった。
私達の小隊同様に定期偵察に駆り出されてしまったばかりに輸送車に乗せられる随伴歩兵も寒い煩い狭いの三重苦で大変な目に遭ってるのだろう。災難なことだ。
目の前の景色から視点を下ろせばそこには、塗り残しだらけの雑な冬季迷彩に身を包んだ車体と物干し竿を思わせる砲身が伸びていた。
トエイ改若しくはアルド(長っ鼻)。正式名称がトエイ620だったかそんなのだった覚えがあるがそんな事、この前線じゃクルカの盛り合い程どうでもいいことだった。
結局の所、皆好き勝手に新トエイ、ズィズトエイだの好き勝手に呼んでいるが兎に角、こいつが頼れる新型だってことが一番大事なのだ。
長っ鼻な長55mm砲はゼクセルシエの正面だって貫いてみせる威力があるし、強化された発動機はゼキに負け劣らぬだけの加速力をこのトエイ改に与えている。
そう思えば今の環境は私達、戦車乗りにはこっちの方が何かと都合が良いとも言えた。この雪原に余計な遮蔽物は存在しない。
それでこそ私達の愛車が最大限の戦闘力を発揮出来るというものだった。
だが願わくばそのポテンシャルが発揮されること無く――この定期偵察が何事もなく終わってくれて欲しいものでもあった。
今は7月だと言うのに見ての通り一面の銀世界。
カノッサというか星がこんな滅茶苦茶な事になっているのなら戦うより先にこの寒さの中で生き延びるべきだ。
そうだと言うのに戦死のリスクを背負い込むなんて馬鹿げている。こんな日にこんな場所で死にたい奴なんざ世界の何処にも居はしない筈なのだから。
双眼鏡の先に動くモノを認めたのは、そう考えてからさして時間は経っていない時だった。
戦場に於ける願いとは、いともたやすく簡単に叶わぬモノとなってしまうのだろうか。
枯れたワグワグの陰に隠れきれていないそれを確認する為に停車を命じた。
無線手は滞りなくこなしたようで愛車がその履帯の動きを止めてから数十秒の間を置いて僚車3両も次々とその場でつんのめるように停車する。
各車両のハッチが開き小隊メンバー達が顔を出し首を右に左にと周囲を見回す。待機する時に命ずられずとも身を隠せる稜線を探すのは、少なくとも私達が属する戦車連隊では常識だった。
戦術的に丁度いい稜線へと操縦士を誘導し再び双眼鏡を覗く。ワグワグの枯れ木の林に身を紛らせるソイツは、私達の愛車と同じく雑な冬季迷彩で塗りたくられていた。
すらりと絞り込まれた車体前面にこぢんまりとした砲塔、その上にはクランダルティン特有の全周覗き窓が載せられている。
車種は間違いなくゼキだ。数は、見える限り4両だがあのワグワグの裏にまだ何両か隠れているかもしれない。随伴歩兵は、認められないがこっち同様に輸送車が控えてることだろう。
距離は――2600メルト程だろうか?
交戦は避けるべき敵戦力であることは間違いない。此方は、幾らトエイ改4両だろうがゼキの数も分からない。考えたくもないがワグワグ林の後ろから更にゼキが――下手したらゼキ以上のバケモンが潜んでいるかも分からない。敵戦力の確信が無いのだ。
更に私達の任務は定期偵察。それならば偵察ルート上にゼキを含む有力な敵戦力が存在する。この情報を持ち帰ることこそが軍隊という組織に於ける今の私達の存在意義であった。
「この場で戦う必要は無い。"後退"する」
再びけたたましい不快な車内へと戻り部隊の退却を命じる。分の悪い賭けを好むのは、ラオデギェのジン横丁に通い詰めるようなロクでなしのすることだ。
クランダルティンとまた戦争が始まる前は、私もそういったロクでなしだったが今の私は一個の戦車小隊に随伴歩兵を預けられた一端の連邦軍人。それも士官。
その立場の人間に蛮勇と区別のつかないような敢闘精神は今必要とされていない。
騒音に履帯が雪肌を削り取る音が加わり慣性に体が引きずられる。
――刹那、鋭い破裂音、車体が横に揺られた。
撃たれた!と隣の砲手が声を上げる。
威嚇射撃だ。どんな優秀な砲手だろうが2600メルトから更に遠ざかりつつある車両に命中弾を出せる訳が無い。
動きを止めるなと咄嗟に指示を飛ばす。今頃、応戦するよりも逃げ切る方が生き残れるのは明らかだ。
極度の緊張は、途方もなく時間を引き伸ばすという話は戦場でも例外ではなく――寧ろ戦場だからこそより顕著に感じる取れる。
一度撃たれてから完全に離脱が完了するまでの僅か3分――その程度に過ぎない時間が途方もなく長い。
そして3分過ぎ去った時……結局、二発目以降が撃たれる事は無かった。
ハッチから身を乗り出し見回したが目に入ったのは、一面の白い地面に鼠色の空、そして黒い枯れワグワグだけだった。
クランダルティンは、追撃はしてこなかったらしいが白いカノッサに再び静寂が訪れたというには、愛車の駆動音は余りにも煩い。
小隊と随伴歩兵隊は、中隊本部のある野営地へ向け撤退……ではなく行軍を続けている。
到着したら部下に今日の定期偵察は、早く切り上げる事が出来たとでも言うべきだろうか。
見つけ出したクランダルティンの戦車隊は――まずもって陣地転換を強いられているだ。
同じヒトとしてクルカよりも遥かに良い脳みそを持つ連中ならクルカマンションの洗礼でみすみすゼキを失うのなど御免だろう。
冬季戦。今、私達が置かれている戦場の名が頭の片隅によぎる。
明日も一週間後も一ヶ月後もクソったれな銀世界が終わるのを待ち続け事務的に軍事的常識を遂行し続けるだけの戦争。
途方も無い浪費が本質。
623年事変が――首都防衛連隊のクーデター未遂が行われた日、私はその時も酔い潰れていた。
クランダルト帝国との戦争が再び始まったと知ったのは次の日と記憶している。
議員の確か……少なくとも半数以上は、予想してなかった再びの戦争にラオデギアの何処であろうとてんやわんやだった筈だ。
勇ましき連邦軍、北半球の結束、栄光の戦地。皮肉にも現実を目の前にして次々と募兵を煽り立てる宣伝が繰り返された。
私もその宣伝に乗って士官学校に志願した一人。その時は、ロクでなしから英雄になれると信じていた。疑いもしない。
そして叩き込みの速成教育を受けてカノッサに送られ今日になる。
結局、改めて戦争に英雄は居ない。
其処に有るのはヒト、モノ、カネそれに時間を無限に呑み込み続ける大地と大空のみ。
其処では、敵軍相手に一目散に逃げ出す方策を軍事的常識に照らし合わせられる臆病者――それが一番生き残りやすい。
志願を決めた英雄願望は、戦地に来て一ヶ月もしないうちに現実相手に戦死を遂げられていた。
感傷に浸る数分から現実へと戻った時、肌を突き刺す寒さに過ぎた思い出の思索はかき消された。
――カノッサの地もこうして私たち同様、冬季戦に呑まれたのだろうか?
問いかけた所で地形がそれに応える訳も無い。
ただ明日も冬季戦は続く。それだけは確かな事だろう。
ふと見上げると鼠色の空からは、雪が降り始めていた。