ここまでたどり着いた貴方にとって、私が次のような弁解をするのは不躾かもしれない。だが、一つだけ相互理解を確定させておきたい部分があることはたしかだ。というのも、あの「方舟」を発見したものは、公式発表では私でないことになっているからだ。私にとっては皆目重要な名前ではないので覚えてすらいないが、どこかの資産潤沢な好事家の組織した宇宙探索家集団が、最初の発見者として歴史に名を連ねたと記憶している。疑問に思うものもいるだろう。どうして私や、私の旧友であるサルベージャーではなく、彼らなのか、と。
答えはとても単純なもので、旧友の二人が抜け駆けをし、情報をその好事家に売り払ってしまったという、浅慮なものだった。とはいえ、旧友の行動を私なりに擁護すれば、発見した「方舟」はあまりに巨大すぎ、私たちの扱える範囲を超越していた。そのため、情報と引き換えに「方舟」の権利をすべて──最初に発見したという功績さえも──譲渡する契約に同意したのだろう。また、功績を称える名誉だけでは人は食べていくことはできないものだ。弱小サルベージャーとして「方舟」のサルベージの支援を求め、そこで支援者に成果をむしられるくらいなら、情報や名誉を好事家に売り払い、その見返りとして莫大な資産を得ることができるのであれば、それに越したことはないと考えていたのかもしれない。実際、二人は莫大な資産を手に入れたし、契約によってもたらされた追加報酬によって、一生遊んでいけるほどの金を得て、非常に満足する結果となったはずだ。
私は旧友の提案にさして反対しなかった。もちろん、私がどのような立場にあったかを振り返れば、金銭的な目的で二人を止めなかったなどと邪推することはあるまい。それは、先の書簡に綴った出来事のあとに、私を打ちのめし、複雑に絡み合った感情に支配され、エイアにある自宅のベッドの上に見を投げ出し、すべての判断力を召使いに明け渡して、心神喪失していたからであると、恥ずかしながら告げなければならない。この書簡がずいぶんと遅れて貴方のもとにやってきたのも、あのときの出来事を思い出すと、回想をたどるごとに老体に思いもよらぬ負荷をかけ、狭心症同然の心疾患を誘発し、休養を余儀なくされていたためである。この短い文章を執筆するにも、私の手ではなく、召使いによる代筆を要するほどで、数ヶ月の時間を要してしまった。
貴方に無意味な時間を与えてしまったことを詫びると同時に、私は貴方をどこかで試していたことについても謝罪しなければいけないだろう。書簡を作成していた数ヶ月の間、私はニュース番組のなかでも扇情報道紙面を扱う報道を監視していた。貴方が学術研究のためと偽って私に近づき、獲得した情報を悪用してはいないだろうかと疑っていたのだ。書簡の執筆に思わぬ時間を取られたことは事実であるが、それと同時に、時間が貴方の本性がどのようなものであるかはっきりとさせてくれるだろうと思っていた。そうして、この書簡が貴方に発送されるまで、貴方は勤勉に、律儀に、私を待ってくれた。私は感謝してもしきれない。「方舟」が眠りから覚醒し、人類に再生炉という悠久の遺物を譲渡したのだとしても、貴方が「方舟」の真の理解者であることを確信してやまない。
一通りの回収を終えた二人には、まだ活力が有り余っていた。サルベージャーの性なのか、回収できるものはなんでも積み込まないと気が済まないようで、私は死者への哀悼にふけることすらままならず、探索の再開を打診された。
船の全権限が「ライフガード」に委譲されているということを改めて確認したことで、旧友の「方舟」探索にかける意気込みは最高潮に達したといってもよかった。なぜなら、普段であればこういった大型建造物には主となる統括思考コンピューターが搭載されており、施設における法の番人ともいえるセキュリティ機構が目を光らせている。ところが「方舟」はそういった機能がすべて取り除かれた状態で放置されており、すべての機能は「ライフガード」がまかなっているという状態になっていた。
生命維持装置を統括するサブシステムである「ライフガード」に全権限が集中しているということは、すなわち機能のほとんどが麻痺しているということだ。彼らもよく考えたものだ。容量の余剰があまりないシステムに全権限を集中させることによって、最低限の「方舟」運用──たとえば、船外における「自動衝突回避行動」などは最たる例だろう──を遂行しつつ、船内における様々な制約を取り払うことに成功していた。特にセキュリティにかんする部分はとくに脆弱なようで、二人が「方舟」の私物を持ち出しても「ライフガード」がなにも対抗策を打ち出してこないことから、「方舟」内部は現状で無法ともいっていい空間になっていた。
おそらく、一連の設定は「センサード」らが行ったのだろう。彼らが最後の行動を起こす際には「方舟」で自由を得る必要があったはずである。どうりで、私たちが「方舟」に侵入したとき、接触してきた「ライフガード」が、不審な部外者にたいしてすぐさま船内での活動権限を与えてしまったわけだ。そうするほかに、「ライフガード」が選択することができなかったのだ。
ただ、それが本当のことであるという確証はなかった。たとえ、「ライフガード」がすべての権限を持っていてパンク気味であるということを念頭に置いても、いつ不法行為を私たちに突きつけてくるのかもわからない以上、うかつな行動をすべきではないと忠告した。もしセキュリティによって殺されないまでも、捕縛されれば「方舟」で生涯を終えることもあり得るのだ。
旧友は私の忠告を聞かなかった。正確には、忠告を聞いたうえで、「方舟」には危険に見合う見返りがあるとして、私の忠告を加味した上で飛び込もうとしていた。サルベージャーとはすなわち危険なり。二人の口からサルベージャーかくあるべきといった信条が飛び出してしまっては、もう反論のしようもなかった。
旧友の案内役を買って出た私は、「ライフガード」に船内の案内をされながら進んだ。途中で作業機械と何度もすれ違ったが、たまに旧友は作業機械の進路を塞いで遊ぶようになっていた。セキュリティに引っかかるのではないかと気が気ではなかったが、「ライフガード」から私に忠告されるようなこともなかった。二人は「ライフガード」が見えていないのに、よく危険を冒せたものだ。
行く先々で、二人は真剣な表情になって、バインダーガンの銃口を水平に向けるときがあった。私たちが区画を跨ぐさいに、必ずドアや大型ハッチがあるのだが、見るやいなや旧友は緊張を高めるのだ。きっと、二人にはドアの向こうの未知にたしいて万全の体制をとっているのだ。私もつられて緊張してしまうのだが「ライフガード」が先になにがあるかを教えてくれている。二人の行動がまったくの杞憂なのだとは知りつつ、私がそれについて言及することはついぞなかった。「ライフガード」の補助を受けられる──また、「ライフガード」の返す反応をすべて是として捉えていた──私だからこそ、二人とは違った感性でいられたのだから。
通路からなにかしらの部屋に入ると、旧友は必ず部屋の物色をしていた。二人は手当たり次第に船内の資産を持っていくものだと思っていた。だが、二人は規則性に沿って持ち帰るものの選別をして、バッグに詰めていった。軽くて価値のあるものが最優先で、重量物は価値があろうと後回しになるようだった。
二人は船内に残された大型コンピューターや重機──旧友は作業機械を一台だけでも持ち帰りたがっていた──に手をつけることはなかった。そのおかげか、私はそのコンピューターから情報を収集することが容易になった。「コンタークト」は旧文明の技術との親和性が非常に高く、私がそれらしいものに近づくと、すぐに接続状態に移行することができる。二人の後ろをついていきながら、私はコンピューターから採取した情報を「コンタークト」にひたすら流し込んでいた。
二人を軽い注意のみで野放しにしているのも、私の目的である、彼ら英雄たちの捜索に必要となっているからである。旧友が危険を承知で先行していくおかげで、私は情報の分析に専念できるからだった。
放置されていた記憶素子とは違い、ききんと整備されているコンピューターは読み取るだけで焼き切れるようなことはなく、安全な接続を確立できていた。おそらくは、船内のハードウェア維持システムが活性化しているからなのだろう。二人に確認してもらったが、船内のコンピューターは徹底的なモジュール化が施されており、入れ子のような構造になっているようだった。先の書簡で記載したような、精密な浮遊機関を搭載し、ドア前に放置されたカップを回収していった作業機械でも簡単に解体できるだろう。しかし、それでもどうやってスペアパーツを維持しているのだろうか。この時点では見当もつかなかった。
しかし、どこに行っても、彼らの行方はわからなかった。遺体の一つでも見つかってくれればとさえ思っていたが、探索範囲を広げても見つかるのは生活雑貨や工具や貴重品ばかりで、コンピューターの情報解析も彼らの行方について記載したものはなかった。
どうにかして彼らの捜索を行わなければいけない。この船内のどこかにいるはずなのだから。しかし、私たちにも活動限界というものがある。今のまま効率が悪い探索を繰り返していては、旧友の懐を暖めるだけで終わってしまう。そのとき、私はあることを頭のなかに思い浮かべた。「コンタークト」に映るまでもなく、脳裏にアルマゲドンレポートの一節が浮かぶ。しかし、そこへ旧友の声がかかり、私の考えは霧散してしまったのだ。形になりそうだった粘土細工は手から滑り落ちて、思考の奈落へと転がっていった。
大発明を間違って踏み潰されたような心境の私に、二人はあるお願い事をしてきた。私は表情を変えなかったが、直前の一件もあって心中では逆恨みに近いどろどろとしたものが流れていた。返答は当然ながら毒のあるものになっていた。破廉恥な、と大声で叫んだが、当の二人は気にもとめなかった。
二人が願ったのは、「ライフガード」に、船内で一番資産価値があるものを聞いてくれというものだった。サルベージャーにとっては当たり前のことなのかもしれないが、私にとっては憤慨にも値する蛮行だった。略奪行為を効率化するために、怒りを通り越して、こういった手法もあるのだと感心さえしたほどだ。しかし、この「お願い」は意外にも私の学術的好奇心を刺激するきっかけにもなった。
私たちは、歩きに歩いて、ある区画にたどり着いた。こここそが、二人の「お願い」に従って調べ上げた場所だった。
遠くに通路の突き当たりがあった。見やると、なにやら塔のようなものが壁に埋まっているではないか。近づいてみると驚くほど大きいものであることがわかった。塔に入るための扉があったが、私たちが近づいても開かなかった。人間のためなのだろうか。白線が引かれていて、それより先に足を踏み入れると「ライフガード」が警告を発して、入ることをためらわせた。旧友も、急に白線の手前に飛び去った私を見て、前に進むことはなかった。
「再生炉」
私が「コンタークト」に表示された名前を読み上げると、旧友の二人はしばらく黙って天井まで伸びる円柱の柱を見つめていた。天井は船内で見たどこよりも高く設定されており、目算では五階程度の階層が吹き抜けとなっているようだった。この設備について、技術面で素晴らしい知見を持つ旧友が、私に熱意とともに内容を解説してくれた。
「再生炉」というのは、旧文明の大型施設にはほとんどの確率で存在するものであるらしい。常にオクロ機関とセットで運用されるものであり、裏を返せば、オクロ機関がなければ稼働することはないそうだ。運用においての目的は、無尽蔵のエネルギーを取り出せるオクロ機関に接続することで、ありとあらゆる物質を「再生」させる装置なのだ。
私はこれでも学術に携わるものではあるのだが、最初はこの説明を聞いても理解が及ばなかった。説明に時間がかかりそうだと判断した二人が私に座るように促し、小一時間語り合ってやっと理解することができた。つまり、この「再生炉」というのは、閉鎖空間で常に発生する物資不足を解決するために導入されている装置であり、どのような物質でもひとたび「再生炉」に入れてしまえば、オクロ機関の持つエネルギーによって物質を最小単位にまで分解し、取り出すことができる装置なのだ。錆びた鉄にエネルギーを与えれば──正確には、その他元素を加えながら──鉄に戻るように、エネルギーを喪失した物質にエネルギーを再充填し、再利用できる状態まで「再生」する装置なのである。
オクロ機関がなければ動かない道理も理解できる。それ以上に、二人が「錬金術師《ペテン師》の箱」と形容したのもうなずける。これがあれば金でさえ人為的に作れることも可能だろう。ただし、無尽蔵のエネルギーがあるからこそできる技法であり、小手先の手品のようにあれやこれやと考えることさえ疎ましいほどの、潤沢なエネルギーにものをいわせて解決する装置なのだから。
パルエでもこの手の施設は出土しているというから、「方舟」にあってもおかしくはない。宇宙空間という最高の隔離空間なのだから、むしろこの手の装置は必要不可欠な生活必需品であるに違いない。これがあるおかげで船内の保守整備は未だに行われているというわけだ。ここにきてコンピューターが万全に整備されているのも理解できた。
それにしても、「ライフガード」が資産価値の一番高いものとして「再生炉」を挙げたのには少々驚かされた。私も、二人も、内心ではオクロ機関が真っ先に言及されるのだろうと思っていた。なにものにも代えがたい、純粋なエネルギーの塊であるからだ。ところがそうならなかった。旧友は「ライフガード」がオクロ機関の価値を見誤ったのではないかと不満げだったが、私はそうは思わなかった。旧文明にとってもオクロ機関は貴重なものであるため、資産価値という物差しではからないような文化が醸成されていたのかもしれない。その文化のなかで育った「ライフガード」のようなシンク《思考性機械》にも、同様の価値観が採択されていたとしても不思議はない。目論見違いのおかげで、私は新たな知見を得ることができた。
無限の可能性を秘める「再生炉」を目の前にして、私には一つ気になる点があった。二人の話を聞く限りでは、これさえあれば排泄物でさえ新品の食料に早変わりするだろう。では、なぜこの設備があって「方舟」は食糧問題を抱えていたのだろうか。
技術者である旧友が答えを教えてくれた。「再生炉」は物質の分解までを請け負う施設であって、そこから別の物質に組み替えを行う施設ではないというのだ。「キッチン」がなかったら料理はできないだろう、とは二人の言である。なぜキッチンなのか理解が追いつかなかったが、説明を聞くにつれて、「再生炉」に接続された食料生産設備を俗に「キッチン」と呼ぶ慣習があることがわかった。つまり、「再生炉」に「キッチン」が接続されていなければ、食料の再生産は不可能であるということだ。携帯情報端末に取り込んだ船内マップを解説してもらい、「方舟」に食料生産施設がないこともわかった。
人間はプラスチックや鉄を食べてもエネルギーに変換することはできない。とてもではないが、「キッチン」が存在しないなどということが事実だとは容認したくなかった。それほど有用な設備が搭載されていないなど、自殺行為に等しいものだ。そこで、私は「ライフガード」に船の状況について聞き出すことにした。
「再生炉」に接続できる食料生産設備が搭載される予定はなかったか。意外なことに、計画自体は存在していたのだ。パルエから「方舟」の増設設備を打ち上げる計画があり、食料生産設備はそちらに搭載されていた。そして、その設備の到着予定時刻はとっくに過ぎ去っていることも。
その状況を私はよく知っていた。「アルマゲドンレポート」で彼が書いた言葉が脳裏に浮かぶようだった。
【「方舟」への支援物資が来ない】
支援物資が「方舟」に届くことはなかった。パルエから離れる前に最終戦争が勃発し、灰燼に帰したからだ。それと同時に食糧問題が話題にされているのを鑑みると。この支援物資が設備の増設に用いられる物資であり、「キッチン」も含まれていたということなのだろう。
予定されていた食料生産設備の全容を見るに、生体科学をふんだんにあしらった研究所ともいえる代物だった。クランダルト帝国すら霞むような技術の粋を集められたラボは、きっと「方舟」全員の胃袋を幸福ともに満たしてくれていただろう。そう、「キッチン」さえ「方舟」に届いていたら、未来は大きく変わっていたのかもしれない。運命の無慈悲さを追体験するのは、とてもつらいものだった。
余談ではあるが「再生炉」という名付けは間違っていると思わざるを得ない。頭の固い科学者の直訳によってそう命名されたのかはわからない。しかし、少なくとも「再生炉」が物質のエネルギーを「再生」するのであって、世間一般が考える物質の「再生」とは乖離していることは明らかだ。現代の感覚に照らし合わせれば「分解貯蔵炉」と呼称したほうが正しいと思われる。
それにしても、「炉」というからには投入する材料が必要なはずだ。「コンタークト」によれば設備は微弱ながら稼働までしているらしい。どこからそれを集めているのだろうか。
思案していたところに、作業機械が何体かやってきて、白線を越えて「再生炉」の扉に突進していった。扉は快くそれを迎え入れたのちに数分して再び開くと、作業機械を送り出した。旧友と顔を見合わせると、二人も合点がいったようだった。あの作業機械に積み込まれたものが「再生炉」に投入されているのだ。なんと効率的なゴミ処理場だろう。私たちの祖先はこのようにリサイクル技術をきちんと完成させていたのだ。しかも、この設備はオクロ機関を含めて「生きて」いる。なんと幸運なことだろうか。きっと、パルエの諸問題にとって特効薬になってくれるだろう。旧友は、これが金になるということを知ると、なんとか持ち帰る方法を考えているようだった。
その段になって、私は本分を忘れかけていたことをいたく反省した。あくまで、私の目的は「方舟」を人類貢献のいしずえにすることではなく、彼らの居場所を特定し、彼らの英雄的行為を細部まで記述し、学術的な技法によって喧伝することにあるのだ。
そのとき、使命感とともに記憶の深淵から発想が呼び戻されてくるのを感じた。先ほど旧友に思考を中断させられて、どこかに消えてしまった思いつきが、すっと頭に吹き込んできた。
彼らはどこに所属していたのか。書物を読み返さなくとも、暗唱できるほど読み返した「アルマゲドンレポート」の言葉がすぐに浮かんできた。
彼らの所属は植民活動支援機構であり、「方舟」で武装蜂起を行ったのも彼らなのだ。そして、船内の乗員を管理する「ライフガード」は活動している。なら、素直に聞けばいいことなのだ。
ただ、私は馬鹿者ではないので、まず「方舟」に植民活動支援機構という部署や役職が存在しているかを聞くことにした。
それによれば、植民活動支援機構は旧文明パルエに実在する組織であり、「方舟」にも定員が設けられ、在籍していたことがわかった。ならば、次に聞くべきは、船内の植民活動支援機構の構成員を割り出すことだ。偽名で活動しているにしても、植民活動支援機能に属していることは確定しているのだから、そこから判明するはずなのだ。
そう、その「はず」だった。この試みはうまくいかなかった。在籍人数は「ゼロ」だった。「ライフガード」は、植民活動支援機構の構成員は「方舟」に在籍していないと言ったのだ。馬鹿げている。「アルマゲドンレポート」を執筆していたのは彼らの一人なのだ。それがいないとはどういうことだ。ほかの組織のメンバーや、役職にも定員はあって、そちらの定員はすべてきちんと埋まっていることを確認すれば、ますますおかしいことだった。定員が設けられていて、全部乗員が割り当てられている状況で、植民活動支援機構のメンバーだけが全員空白になっているということが、どれほど異常なことであるのか。
底知れぬ怖気が背中を撫でていった。これは異常なことであると認識できたのは、収集していた情報を統合して、「コンタークト」に植民活動支援機構の活動について検索させていたことによるものだ。旧友の探索癖のおかげで様々な人間の私生活について入手することができたのだが、そのなかで植民活動支援機構の活動だけがぽっかりと削除されていたのである。特に名前に関する部分は念入りに削除──それどころか、無意味な情報によって上書きされているほどだ──されており、データの復旧はまず見込めないだろう。ここからわかるのは、この削除は意図して実行されたものであるということ。そして、私の目論見は見事に失敗に終わってしまったということだ。
私が重大な問題に直面していても、旧友はそれを知らないので、いつも通りの探索を再開していた。観光名所に感銘を受けて、移動途中で思い出を振り返る子供のようだった。私が二人にねだられて、「再生炉」の再生した物質組成の記録を渡すと、すぐにのめりこんでしまった。部屋探索も細かい点は見逃すほどであり、それだけ二人が「再生炉」を目の当たりにして受けた衝撃が大きかったのだろう。物取りがぞんざいになるのも、「方舟」と「再生炉」だけでも儲けが計り知れないものになることがわかっていたからなのかもしれない。
その一方、私はというと、相変わらず二人の後を追いながら、考え事と情報収集に従事していた。コンピューターから記録を抜き取る反面、その情報が私の目的と合致しないことにいらだちを隠せなかった。
部屋のコンピューターの記録を覗けば、それが誰の部屋で、どこに所属している人物なのかはすぐにわかった。情報タグシステムが「ライフガード」によって維持されていたおかげで、タグを辿るだけで個人情報を閲覧できるものが多かった。「コンタークト」にも互換性があるおかげで、左目のなかで相互関係を処理できたのも整理に一役買ってくれた。皮肉なことに、その全員の最期の居場所が、すべて冷凍睡眠装置に集約されているということもわかった。
しかし、それ以外の人員──つまり、彼ら──についての情報はどこにも転がってはいないのだ。「コンタークト」によって相関図を作るほど、情報の穴が空いていることが明白になってきた。情報タグシステムではまったく感知することができない以上、植民活動支援機構についての情報改ざんが、情報タグシステムを意識して実行されたのは確実だった。もちろん、システムのエラーによる誤削除や、手動で情報を削除したということはないだろう。なんらかのプログラムで情報を抹殺したに違いない。
では、いったい誰が実行したのだろうか。
船内で情報の改ざんを実行できるのは、当然ながら思考を持つものであり、情報に接触できるものに限られる。「方舟」でそれができるのは二種類しかない。
人間か、機械か。
考えに一瞬の空白が生まれた。
恐ろしい推論だったが、想像してしまった以上、それを無視することはできなかった。
「ライフガード」がそれを行ったのではないだろうか、と思うことは途方もない重圧を私に投げかけるものだった。理由や根拠など想像のしようもない。「ライフガード」主導の情報改ざんが本当のことだとして、そのシステムが維持している船内に長時間居続けるのはとても危険なのではないだろうか。今は大人しいふりをしているだけで、なにかしらがトリガー──この場合はコンピューター的にフラッグと呼ぶほうがいいかもしれない──となって、私たちは「方舟」から生きては戻れなくなってしまうのではないだろうか。
私たちが船内であてにしているのは、すべて「ライフガード」からもたらされた情報であり、シンク《思考性機械》の話すことを真正面から受け入れてしまっている現状は、とても危険な状況であることに違いなかった。ここにきて、旧友が「方舟」に入るとき、あれほど緊張していた理由が理解できるようになっていた。未知の悪意への恐怖心が、二人の眼を鋭くさせていたのだ。あのときの私はきっと、旧友と同じように厳しい眼で周囲をきょろきょろと見渡していたことだろう。
ただ、ぶくぶくと膨れ上がる疑心暗鬼の炎はそう長く続かなかった。長年の学者としての経験と知見がすぐさま反証をぶちまけた。
シンク《思考性機械》とはいえ「ライフガード」がそれほど大それたことを遂行できるだろうか。考えてみれば、大規模処理能力を自発的に発揮するのは「ライフガード」ではとても難しいのだ。どうしてもそうするというのであれば、船内生命維持システムではなく、主システムにつなげておく必要があるはずだ。そうでもなければ、「ライフガード」は必要最小限の「方舟」運営すら放り出して情報の改ざんを行っていたことになってしまう。
冷静になればなんということもない。私は加速する思考をいったん休めて、冷めた目で笑い飛ばした。
シンク《思考性機械》陰謀論など、未来小説や映画の見過ぎだ。
宇宙を舞台にして発生する事件。多様な困難を乗り越えた先で探索者がたどり着いたのは、発狂したシンク《思考性機械》や、偏執的な思想を獲得したリード《人間型思考性機械》による惨劇の傷跡。
ありふれた話で、誰でも知っている結末。
使い古された題材だけに、現実で起きた場面に遭遇したことはない。まさに人の想像が生み出した、夢の中にだけ存在する怪物の姿だった。
「アルマゲドンレポート」やスカイバードから得られた情報も交えて再考すると、ますます「ライフガード」が情報の改ざんや隠蔽をしたということは考えにくかった。なにせ、その状況を作り上げたのは「センサード」ら植民活動支援機構の手によるものなのだ。万全とまではいかずとも、そういった事態は起こさないように最善を尽くしたはずで、そこからシンク《思考性機械》に状況を奪還されることは──現在の状況を考慮に入れても──考えにくい。
とすると、残るは人間が改ざんを行ったということになるのだが、私は深く考えないようにしていた。誰が主犯なのかもわからないので、どの思想信条を基盤として行われているかの予想も立てることはできないからだ。
そうなった場合、まずは論より証拠だ。百出する仮定推論を並べるより、物的証拠の一つでも発見すれば大きく物事は動くものだ。目下の私の探しているものは情報だが、喉から手が出るほどほしいのはたった一つの証拠だった。
私は彼らの遺体を見つける必要性に駆られていた。情報すべてに彼らのことが記載されていないのであれば、彼らが存在したことを証明するには、物的証拠が必要不可欠だ。植民活動支援機構に所属するものが本当に船内で活動していたのであれば、「アルマゲドンレポート」の後に息絶えた彼らが船内で発見されなければおかしいのだ。
しかし、こうして旧友の探索につきあっている状況から察せられるようなものだが、彼らの遺体を探す試みはまったくうまくいっていなかった。彼らの遺体をどうやって探すか、まったく検討がつかなかったのだ。旧友の探索は「方舟」をすべて調べ尽くすには遅々としたもので、どこまでも金目のものを目当てにしたものだった。そのなかで遺体を発見できるとは到底考えられない。結局のところ、私は旧友の馬鹿話を聞き流しながら「ライフガード」に彼らの捜索を頼るしかなかった。
彼らを抹消されている「ライフガード」に彼らの行方を聞いてもわかるわけがない。まず、先の書簡でも試したことは省いた。私が試したのは、死体や死骸が船内にあるかどうかを聞くというものだった。これなら船員でなくとも──たとえ密航した小動物でも──その場所を教えてくれるだろうという期待からの質問だった。これで「ライフガード」が私の期待どおりならどれほどよかっただろうか。残念ながら、「ライフガード」の観測範囲に遺体のようなものは感知されなかったようだ。
こうなってしまうと、調査は難航するばかりで、少しも進展しなくなった。馬鹿なとは思いつつも、シャッターの降りた窓を見て、彼らが船外に出て行ったのではないかと思い、船外活動の記録を探ることもした。出入りした人数の数はきちんと──乗員か否かにかかわらず──把握されており、出て行った後、帰ってこなかったということもなかった。つまり、「方舟」の外に出て行方不明になったものはいないということになる。
無駄なことも多かったが、「ライフガード」の観測範囲についての知見を得てからは根気強い検索が実を結びはじめていた。観測範囲を逐一チェックしていると聞いていたので、ある意味では「ライフガード」に全幅の信頼を置いていたのだが、意外な穴があることがわかったのだ。
遺体が見つからないことにいらだっていた私は、「ライフガード」が観測範囲にないという定型文に愚痴のような文句をつけた。どこならお前の観測範囲なんだという言葉が「コンタークト」に刻まれると、律儀に「ライフガード」は観測範囲にかかわる詳細な情報を送ってきたのだ。冗談のような話だが、これが本当に突破口になったのだから自分でも驚いている。
結果として、「ライフガード」の観測範囲には限界があり、船内のすべてを見ているというわけではないことがわかった。観測不能という場所は少ないのだが、確実な観測が不可能な場所というのが多く点在しているということが重要だった。
たとえば、主要な通路や広間というのは複数のセンサーが走査しているために、複合的な情報を基に情報を確定されることができる。私たちがここにいるということを「ライフガード」が感知しているのは、カメラや感圧、熱源などを感知する複合センサーが働いているためだ。では、そういったセンサーがない場所はどうだろうか。端的に説明すれば、その場所は「ライフガード」が見ていない観測範囲外ということになる。
追加された船内マップと重ね合わせれば、どこが「ライフガード」の見ている場所なのか手に取るようにわかるようになった。五感のようなセンサー群が船内に張り巡らされており、完全に観測していない場所というのは──驚くべきことに──船内にまったくないのだ。それでも不完全にしか観測できない場所というのも、少なからず存在していた。
大幅に調査範囲を絞ることができた反面、またしても難問にぶつかってしまうことになった。確実に観測できない領域というのが、とても多いことに気がついたのだ。肉眼ですべてを調べて回るには範囲が広すぎる。運の良さに賭けようとしても、先に酸素や食料が切れてしまうほど、「方舟」というのは巨大な構造体だった。
たとえば、主要通路は様々なセンサーが観測を行っている。その逆に、さして重要でもない箇所では、センサーが複数設置されておらず、設置されていても十全に稼働していなかった。
感圧センサーがあっても熱源センサーやカメラがない場所では、物体が存在することを検知することはできるが、センサーが荷物なのか遺体なのかを誰何することはできないのだ。もし人が歩いているのであれば、歩幅やかかる圧力で人間と判定を下すこともできただろうが、私が探しているのは動かない遺体なのだから、そういった使い方もできない。
それ以上に、すべてを「ライフガード」が管理しているということが問題だった。各種センサーは未稼働のものが多く、その原因が「ライフガード」に存在していた。すべてのシステムを任されている「ライフガード」からすれば、必要のない機能を眠らせておくことで、「方舟」の管理を成し遂げているわけだから、使われないセンサー類は使わないという結論を導いたとしてもおかしくない。負荷を軽減するための取捨選択としては最善のことをしているのだろう。
私にとっては頭が痛くなる問題だ。主システムが生きていればとも悪態をつきかけたが、それは傲慢というものだ。「ライフガード」でなければ、私たちは「方舟」に入ることすらかなわなかったのだから。それでも、もしすべてのセンサー類が生きていて情報解析能力が普段通りなのであれば、感圧センサーから得られる情報からだけでも、置かれている物体を解析でき、どういったものが置かれているのかさえ判断がつけられたかもしれない。──いや、確実にできていただろう。だが、非常事態を管理している「ライフガード」が持ち合わせていたのは、私たちを驚かせるようなものではなく、難局を切り抜け続けるための平静な運営能力だけだった。
それでも、なにか手がかりになるようなものがないかを探していた。地道なもので、わるあがきのようなものだった。できることはすべて試したつもりだ。「ライフガード」も少ない容量から私に協力してくれた。範囲を絞って情報を解析させると、なんとか詳細な情報をマップに反映させることができることがわかった。だが、私はそれを続けようと思わなかった。私たちの乗ってきた船の解析装置のほうがはるかに高性能だと思わせるほど、解析に時間がかかったからだ。
「ライフガード」が情報を絞っているのであれば、こちらも同じように絞るべきだ。直感的にそう思った。遺体を探そうとしているからここまで苦労するのであって、条件を変えればもっと簡単にいくのではないだろうか。考えつけば行動は早かった。まず、人が入れない場所を検索から除外した。そのほかに、いくつかの条件を追加したあとに、カメラが作動している場所も除外することにした。これは一種の賭けのようなもので、カメラのどこにも映っていないのであれば、そこにはいないと割り切るしかなかった。もしカメラのある場所でうまく隠匿されていたのだとしても、私たちでは時間の制限のなかで見つけることはできないだろうから。
思いつく限りの条件を追加していくと、候補として残った範囲は十分の一と、とても少なく──総面積でみるとまだ果てしないものだ──なった。ところが、条件を絞っても遺体の一体すら見つからなかった。数十人規模のメンバーがいて、船内で誰ひとりとして発見できないというのはどれほどの確率だろうか。そう思っていると、ある考えが頭をよぎった。彼らは一つの場所にまとまっているのかもしれない、と。
もちろん、一カ所に集まっているというわけではない。同じ区画にいるのではないかということだ。植民活動支援機構の在籍している──はずの──区画はすぐに見つけることができた。捜索すべき範囲のなかにきちんと収まっており、むやみに体を動かすよりも、よほど調査すべき場所の候補となっていた。
その区画を調べているうちに、ふと私の目を引くものがあった。その区画のなかで、状態異常を引き起こしている部屋を発見したのだ。「方舟」の外殻と接する、いわゆる「窓際」の部屋で、隔離中という状態表示が「コンタークト」に現れた。隔離区画なら船内の様々な場所に存在している。あたりまえのようだが、人間が立ち入るのに危険な区画は隔離される。たとえば、緊急出力用の燃料保管庫や、オクロ機関本体や、「再生炉」内部といったものがマップ上で隔離と表記が出ていた。マップの構造物と比較して、どのような危険で隔離されているのかすぐにわかるものだ。とすれば、一般区画の一部だけ──しかも、表記上は「空き部屋」となっている場所──が隔離されているという事態は、明らかに異常をきたしていることがわかるものだった。
調査すれば、隔離の事由として外気──宇宙空間に外気という表記を用いるのはおかしいかもしれないが、本当にそう表記してあった──と接続中という簡素な返答があるだけだった。言葉が意味しているのは、壁に穴が空いているということだ。隕石が衝突したのだと推測した私は、とても恐ろしくなった。いくら「方舟」の「自動衝突回避行動」が優秀だとしても、細かい隕石のすべてに対応できているのかといえば、疑わしいものだ。もしすり抜けてしまえば、たやすく「方舟」を貫通するだろう。
迷うことなく、私は旧友に船内で起きている出来事を伝えた。「ライフガード」が破損区画の閉鎖を完了していると宣言していても、私は気が気ではなかった。該当区画が閉鎖されたのは数千年前のことであり、どれだけ優秀な封鎖でも、この瞬間に壊滅的な被害に拡大するかもしれないのだ。
二人はすぐにシャキッとした顔になった。すぐに私をつれて該当区画へ案内するように迫ってきた。「方舟」がどれほどの安全策を用いていたとしても、物理的に船体に穴が空いている状況は、二人にとってもすぐに解決したいものだったようだ。
旧友は、一人が外から、もう一人が内側から修復作業をすると言った。私は当然メカニックなどではないから、なにをするでもなく、内側で作業に従事することになった。とてもではないが、私の付け焼き刃な技能で船外作業などできるものではない。それに、私しか該当区画を知らないので、どうやっても私は船内での施行をせざるを得ないというわけだ。
旧友は、外殻に穴が空いているというアクシデントにうんざりしていた。探索の時間を削って、目の前にある危機への対応をしなければいけないのだから。場所と被害によっては、時間のすべてを費やしても「方舟」を守るために行動しなければいけないのだ。
サルベージャーはいわば盗掘家であるから、壊して持ち去ることは長けていても、維持するための行動そのものを忌避し、疎む傾向がある。旧友のいらだった態度は、まさにサルベージャーの感覚を如実に表現していた。しかし、今回の獲物は大きすぎ、そして破損箇所は小さすぎた。二人がなんとかしてしまえば、後に続く利益は莫大なものになるために、二人は一時的にサルベージャーの本懐を放棄したのだった。
私も、この作業に従事させられているからには、彼らの遺体を探すという指名は後回しになっていた。当然、ここには三人しかいないので、抜け駆けなどできるはずもない。だが、私はそれでもいいと思っていた。そう、それでかまわなかった。なぜなら、旧友を植民活動支援機構のある区画に連れていくことに成功したのだから。
例の閉鎖された部屋もそうだが、彼らの遺体があるとすれば、まず植民活動支援機構の位置する区画しか考えられなかった。また、彼らがいたはずの場所なのだから、遺体がなくとも捜索の助けになるだろうと考えていた。そのために旧友を動かす名目がほしかったのだ。捜索する人数は多いほどいいのは当然として、旧友の捜索範囲に私のそれを重ね合わせられるかが問題だった。修理が終われば、能率を求める二人は近場を探索してくれるだろう。それこそ、まさに私が求めていた行動だった。
それに、私は彼らの思考を素人ながら透かして見ていた。遺体を収容するのであれば、ばらばらの場所に置くはずがないのだ。人類の文明には墓が存在する──「方舟」でも存在していた──ように、遺体を一つの場所に安置するのは本能的なものがあるのだろう。とすれば、彼らのいた場所のどこかにあると考えるのが妥当だったというわけだ。
路地のような通路を抜けてたどり着いた場所は、やはりなんの変哲もない場所だった。通路に遺体の一つでも──衛生的ではないが──あればよかったのだが、やはり無機質な通路が続いているだけだった。扉は施錠されていないようで、今すぐにでも部屋から部屋へと飛び回りたかったのだが、修理を優先すべきと皆で判断してしまったからには、閉鎖された部屋に向かうしかなかった。
閉鎖された部屋を前にして、私たちは外側からの情報を待つ時間が生まれた。部屋の扉から発せられる点滅した光源は、普通の手段によっての開閉を拒絶した状態であると告げていた。与えられている権限を用いれば「ライフガード」に命令して扉を開けさせることくらいはできるかもしれない。しかし、一枚の隔壁を隔てた先が死の空間であることはいうまでもない。もし船の外殻に与えた被害が重大である場合、開けた瞬間に私たちの命は体ごと吹き飛ばされてしまうのだ。そうそう安易な判断はできなかった。
「方舟」の外側から損傷箇所を確認できるまで、私たちは一息つく時間が生まれた。考える時間ができたということでもあった。部屋の情報を少しでも収集しようとした私は、「ライフガード」にセンサー類の状態についてあれこれ探りを入れさせた。現状ではまったく作動していないセンサーだが、少しでも動くものがあれば、内情を知るヒントになると思ったからだ。ところが、センサー類が復帰することはなかった。隕石の衝突が原因で回路が寸断されたようだった。すべてのセンサー類が物理的に閉塞状態になっており、「ライフガード」に負荷がかかることを承知で強制回復信号を送ったが、それにさえ応答しない状態となっていた。
よほど部屋の内情は深刻なのだろう。本当に修理できるのだろうか。そびえる扉を見るだけで不安が頭をよぎったが、外側からの状況が伝えられたことで、不安は一気に杞憂となっていった。穴は隔壁となっているシャッターに空いた一カ所だけで、指で丸を作った程度でしかないようなのだ。受信した映像にしても、穴から見える部屋の内部がめちゃくちゃにされているということもなかった。隕石の衝突にしては穏やかな雰囲気が漂っていることに、私は非常に安堵した。
内情の簡単な捜査をすると、障害ははエアが抜け、温度が極端に低下しているということのみだった。不思議なことに、穴を通して外部と空間が接続してしまっているというのに、運動量偏向は正常に機能しているようだった。微細な揺らぎはあるものの、この程度の損傷は想定されているのか、運動量偏向の暴走で壁に叩きつけられるということはなさそうだった。
修理は至って簡素なものとなった。シャッターに合金をかぶせて、数十分溶接するだけで解決してしまったのだから。修理の手際のよさにも驚かされたが、数千年間で一度しか隕石の侵入を許さなかった、「方舟」の「自動衝突回避行動」の性能にも驚かされた。まだ「方舟」が健在であり、これからの人類の発展に役立つのだと思うと、感慨深いものがあった。
真空回復シーケンスが開始されると、扉の向こうから部屋が大きく深呼吸するような音が聞こえるようになった。船外にかぶせた合金の内側に設置された気圧計を確認しても、新たな空気漏れは発生していなかった。なんという幸運だろうか。外殻が破損するという事故で、ここまで修復が簡単に終わってしまうことなど、二人からしても拍子抜けに違いない。
エアの充填率が半分を超えたあたりで、私を怖がらせようとして、合金の蓋が気圧差で吹き飛んだ事例を伝えてきたほどだ。もちろん、私はこういったことには不慣れなので、肝が冷える思いだった。だが、冗談だとわかっていても、部屋のなかに入ったあとでからかわれるよりはいくぶんかよかった。
それよりも、目下の問題は部屋が外宇宙と同じ極低温にさらされていることにあった。数千年前からロボットによる整備も行われていない状態では、機械類は全滅しているだろう。かろうじうてデータが読み出せるかもしれないが、読み出す前に壊れてしまうかもしれない。少しでも情報が必要な私にとって、あまり歓迎できないものだった。
扉の封鎖が解除されたことを確認すると、部屋に入って被害を確認しようという話になった。私もそれには賛成で、生命維持装置の消耗を避けるために、手早く見回りをすませようと決めた。
扉を慎重に開けているところで、隔離された部屋の状態が正常であるという表記に切り替わっていたことに気がついた。センサーはすべて切れているのに、どうやって部屋の状態を検知したのだろうか。考えても答えは出ないので、「ライフガード」に答えを求めた。信じられないことに、「方舟」の周囲に漂っている浮遊エネルギーが外殻の状況を検知し、異常があれば──今回のように──異常として常時通報し続けるシステムが構築されているというのだ。浮遊エネルギーにはこのような使い道が存在していたのだ。
しかし、感嘆に浸っている私は、二人の悲鳴で現実に引き戻された。怖いもの知らずの旧友が大声で──しかも野太い──声を出したものだから、私のほうがびっくりさせられることになった。
顔を上げた私が見たのは、すぐ目の前で一歩も動けずにいる旧友だった。扉はすっかり開いているというのに、部屋に入ろうともしない。すぐに、目の前になにかあるのだと思った。体格差のせいで二人を押しのけられない私は、左から回り込んで、そして二人の視線の先にあったものを見つけた。
部屋の奥に、大型の生命維持装置が放置されていた。床に座り、壁を背にした状態で、いかつい軍人を何倍にも膨らませたかのような形状をしていた。私たちが着ていたような軽装のものではなく、もっと重装備のものだった。機械式の運動補助機構が内蔵されているようで、生命維持装置の各部が盛り上がっている。旧友の推測では、船外での重労働を重視して作られたものであるらしかった。
興味深いものではあるが、私にとって生命維持装置の善し悪しなどわかるわけがない。ただ、これが数千年前の、新しき旧き技術によって製造された「宇宙服」なのだと思えば、童心に帰ったように、細部を確認したくなるのが人間というものだ。
部屋のなかをぐるりと見回したが、なんの変哲もない部屋であり、ここになにか秘密が隠されているとは思えなかった。エアが抜けた瞬間に強風が吹いたのか、工具やパイプやらが床に散乱している程度の被害しかないようだった。むしろ、部屋に戻ってきたエアに含まれる水分と室内の冷気が作用して、部屋中が再凍結しはじめていることに気をつける必要があった。今はまだ凍った床で滑ることだけに気をつけるだけなのだが、そのうち室温が戻れば、一転して結露でびしょ濡れになる。そうなる前に、部屋から出たいと思っていた。
ついに、私の興味が生命維持装置に移った。誰かの置き忘れだろう。いや、誰なのかはもう見当がついていた。当然、ここに置いてあるのだから、植民活動支援機構のメンバーだろう。どのタイミングで置いたのかはわからないが、このような事故に巻き込まれたのは災難だっただろう。
私自身の生命維持装置と比較して、企業のロゴが一つしかないとか、ずいぶんと堅牢な作りをしているだとかに目がいった。だがそれ以上に、私でさえ「宇宙服」の不思議な構造を検分しているというのに、旧友が部屋に入ろうとすらしないことが不思議だった。普通、こういったものは真っ先にサルベージャーが飛びつくものだろう。なぜ二人は部屋の前で突っ立っているのだろうか。もしかして、この生命維持装置は、私がはしゃいでいるだけで、それほど価値があるものではないのかもしれない。そうすると、私はずいぶんと恥ずかしい行動をしているのではないだろうか。
私はその場で、旧友に馬鹿にされる覚悟で振り向いた。だが、旧友は青ざめていた。
私は今でも、あの震えるように絞り出した言葉を忘れない。
「なかに人がいる」
無邪気な心が、一瞬で凍りついた。
視線を「宇宙服」に戻すのにさえ時間がかかった。今となっては、直視などできるはずもない。
いつのまにか、私は背中を丸めて、仰向けに倒れていた。触っていた手が「宇宙服」に押し返された感覚が手に残っていた。実際は、私の痙攣した手が「宇宙服」から距離をとろうと突き飛ばし──人間、混乱すると道理がわからなくなるようだ──て、当然の帰結として自分を転ばせたのだった。
皮肉なことに、気が動転した私を見て正気に戻った旧友は、私を助け起こそうと部屋に入ってきた。腰が抜けてしまった私を助け起こすと、すぐに「宇宙服」の検分をはじめていた。怖くて遠巻きに見ることしかできなかったが、どうして二人が「宇宙服」にまだ人がいることを気づけたのかがわからなかった。
なぜ、どうして、と旧友に聞く気にはならなかった。二人の雰囲気は真剣そのもので、私にできるようなこともなく、口を挟む余地すら存在しなかった。私はしばらく部屋から出ることにした。「宇宙服」と同じ部屋にいるということが、私の気をおかしくさせており、少しでも離れなければ、私は自分の制御を失いかねないと思ったからだ。隔壁があった場所まで戻り、振り向いた。そこには大柄な二人が片膝を立て、「なにか」をしている風景があり、しだいに恐怖が希釈されていった。
私は「宇宙服」の中身が生きているわけではないのだ、と自分を奮い立たせた。中身は怪物などではなく人間であり、数千年前のものなのだから、中身は遺体なのだと言い聞かせた。深呼吸をすると、いつもの──探究心旺盛な──私が体のなかに戻ってきたような気がした。そこで、私は改めて旧友の洞察が「宇宙服」の中身に到達したのかを推理してみることにした。
ちょうど二人が立ち尽くしていた位置にいた私は、その場でなにか手がかりになるものを探した。まだ「宇宙服」を直視することはできなかったが、思い出してみると、二人の視線は宇宙服よりも上に向けられていたような気がしたのだ。
私が導き出したのは、二人の視線が、外殻に空いた穴に向けられていたということだった。穴は塞がっているが、窓が突き破られ、シャッターが丸くパンチされている光景はここからでも手に取るようにわかった。しかし、そこからどう飛躍すれば旧友の答えになるのかがわからなかった。
悩む私を助けてくれたのは「コンタークト」の観察眼だった。いつのまにかシャッターを物体の形状と軌道を演算してくれていたのだ。そこに映されていたのは、「杭」のような物体が「高速」で「船内から船外へ」突き抜けたという結論だった。
思考に空白が生まれた。
隕石による損傷だと思っていたものが船内から撃たれたものだと理解でするまで、十秒はかかっただろう。
「コンタークト」の誤判断などではないことは、穿孔をよくみればすぐにわかった。シャッターにできた破孔のめくれ方は、内側から外側に押し出されたような形をしていた。隕石が衝突すれば内側にめくれているはず。では、誰が内側からシャッターを破壊したのか。考えるまでもなかった。この部屋にいたのは一人だけだ。
壁を背に、死んだようにもたれている「宇宙服」には、人が入っている。
もはや、覆しようのない事実がそこに転がっていた。
私は結論を冷静に受け止めた。なるほど、人の起こした故意によってのみ、今の状況は作り得ないのだ、と。
しかし、それでもわからないことがあった。なぜ、その人物はこうして自殺的な行為をしたのだろうか。それも、ただ自分を殺すためだけに、わざわざ生命維持装置を着込んでから「方舟」に穴を空けるという──そのままでは結局死んでしまうにせよ──大それたことを行ったのだろうか。
この一件が自殺だというのは私でも推理することができた。もし事故で穴を空けてしまったのなら、着込んだ「宇宙服」が彼を守って助かったはずだ。しかし、その人物は宇宙服に身を包んで亡くなっている。修復作業をした形跡もなかった。それに、よくよく見回してみると、壁にハンマーで殴ったような穴が空けられていることもわかってきた。どうやら、そこに部屋の配線が集中しているようで、切断してセンサー類をすべて停止させていたのだ。
意図的に作られた密室について考えていたとき、彼が誰なのかについて意識が向くようになった。人が死んでいるという衝撃から立ち直った私は彼の名前を知りたいと思った。「方舟」で起きたことの記録を残さなければという使命感もそうだが、彼が植民活動支援機構のメンバーである可能性が非常に高いという判断によるものだった。
ついに、私は彼らの痕跡を見つけたのだ。私を後ずさりさせる恐怖は消えていた。私の使命を果たすときだと思った。
生命維持装置を検分する二人の後ろからのぞき込むと、宇宙服の端に識別タグがついていることに気づいた。記憶素子を使用したもので、「コンタークト」に読み込ませることができた。もちろん、この動作で記憶素子は激しく損傷し、二度と使い物にならなくなった。その際、バチバチと音が鳴ったので、旧友はのけぞるほど驚いていた。
私が識別タグから得た情報は【検閲済み】という文字だけだった。またしても壁に阻まれたのだ。情報の削除の徹底度合いはすさまじいものだ。すぐそこにいる彼の名前すらわからないとは。もはや、「方舟」で彼らの名前を表すものを見つけることはできないあろう。そう確信めいて思わせるほどの圧力を感じていた。
私が精神的に安定していることを見抜いたのか、私はめざとい旧友に力仕事の手伝いをさせられた。生命維持装置を部屋から引きずり出すのだという。私に忠告したときの顔色はどこへやら、二人の興味は生命維持装置に注がれていた。多少は重いが、持ち帰ることができれば、古物商にでも高値でふっかける算段があるのだろう。もちろん、なかに人が入っていては商売にならない。中身を引き抜いてから持ち帰るはずだ。許しがたい行為だが、二人は遺体にたいして、最低限の敬意を払ってきた人間であった。二人の行動に嫌気が差しこそすれ、軽蔑することはなかった。
脚部は旧友が二人がかりで持ち、私は肩口のハンドルを両手で引いた。宇宙服の構造上、私の負担が一番大きいものなったのだが、装着している運動量偏向装置の性能を熟知している二人のことだ。すぐに最適解だったのだとわかった。装置の警告音がうるさく響くなか、私はそれなりの力で生命維持装置を引きずり、部屋の外まで持っていくことができた。
私たちは、そのまま生命維持装置を脱がせようと必死になった。装置の解説書を「ライフガード」に求めることも忘れていたくらいだ。意外なことに、このときの私と旧友は、宇宙服を脱がせたいといういう思惑が一致していた。私は名前もわからない彼の姿を──顔だけでも──記録する必要があり、二人は二人で生命維持装置から余計な中身を引きずり出したいと思っていた。
密閉された生命維持装置は厳重な金庫にも例えられる。開錠するには様々な行程が必要なのだ。二人の経験則によって、やっとの思いでヘルメットが取り外された。ただし、外側カバーが脱げただけで、本命のヘルメットは装着されたままだった。私たちの生命維持装置とは天と地ほどの差がある複雑さ──用途が違うので当然なのだが──に、私は早くも参ってしまった。
旧友に作業を任せて顔を上げると、ヘルメットの中身が視認できることに気がついた。カバーがなくなったことで、透明な曲面が露わになっていたのだ。生命維持装置の頭側で膝立ちになった私は、前屈みの体制でなかをのぞき込んだ。
収まっていたのは、男性だった。宇宙服でさえどうにもできない環境に長時間さらされた体は、すっかり乾ききっており、いつか博物館で見た、丁寧に埋葬された王の遺骸を連想させた。年月が遺体から生身の感覚を剥ぎ取っていたおかげなのか、直視したところで負の感情が私を苦しめることはなかった。
「コンタークト」の補足も含めると、生命維持装置に収まっていた遺体は二十代か、三十代に届かないものだ。だからといってなにがわかるわけでもない。案の定、「ライフガード」への問いかけも意味をなさなかった。彼が植民活動支援機構のメンバーであるとわかっていても、記録を抹消された「ライフガード」にとっては、赤の他人でしかない。名も知れぬ死体が一つばかり転がっている光景でしかないのだ。
顔の造形を「コンタークト」に記憶させた私は、生命維持装置を外せずにいる二人の手伝いを再開した。重量を軽減しようとした旧友は、装置の付属品を取り外しにかかった。後ろ手に、私は大量の工具類を押しつけられた。船外活動で活躍するはずだった生命維持装置からは、船外作業で役に立つ工具類が飛び出してきた。
重量があるものばかり腕に積み上がるので、そのうち抱えきれなくなり、横に放り投げた。私からすれば、それは地面すれすれで滑らせるような動作だったのだが、二人からすれば「投げ出した」ように映ったらしい。二人に注意されたのだが、その理由が、付属品を損壊させると生命維持装置の価値が落ちる、というなんとも旧友らしいものだった。
部屋にあった箱を台として転用し、その上に工具を乗せているうちに、記憶素子が紛れていることに気がついた。システムのメンテナンスをするためのキーパッチが入っているのかもしれない。、符号の羅列を見たところで意味はないだろう。私が壊してしまうよりも、旧友に渡したほうが有意義かもしれない。記憶素子を手の中で転がしていると、二人の驚く声が聞こえた。駆け寄ると、これが犯人だという言葉を添えて、ある工具を見せてくれた。
旧時代になんとよばれていたのかは定かではないが、現代ではハードパンチャーと呼ばれる工具だった。電気の力で磁場を発生させることで、内蔵された杭を発射するもので、つまり小型の電磁投射砲なのだ。岩石や金属に穴を空けることを目的とした工具であるが、弾頭である杭はどこからも発見できなかった。杭がなくて当然だ、と二人の口から出た言葉が私にはよく理解できた。彼の目的通りにハードパンチャーは使用され、杭はシャッターを貫いて宇宙の彼方へ飛んでいったのだから。
二人の手は止まらなかった。私が感慨に浸っている間にも、生命維持装置を外して──解体できれば運搬が容易になる──しまおうと躍起になっていた。私は、用意周到に準備された密室空間の意味について、思うところがあり、旧友に作業からの離脱を表明していた。旧友も、こんなところで神経症にでもなられたらかなわないということで、私の離脱を許してくれた。
どうして密室になっていたのか。誰が密室にしたのか。どのようにして密室になったのか。そこまでは解き明かすことができた。しかし、肝心の「なぜ」がすっぽりと抜け落ちてしまっていた。
この部屋は棺桶なのだ。「方舟」の大多数になれなかった彼が作った、彼自身の棺桶。でも、なぜ。
私の悩みはすぐに解消されることになった。答えが向こうからやってきたのだから。
遠くから独特の警報音が聞こえてきた。反射的にバインダーガンを肩の高さで構えた旧友の反応速度はすさまじいもので、物色していたのが嘘のように、一瞬にして「宇宙服」を離れて手近な遮蔽物の後ろに飛び込んでいた。だが、私は通路の先から聞こえるメロディに聞き覚えがあった。旧友の制止を意に介さず通路に躍り出ると私の想像通りの光景が広がっていた。
やって来たのは、気の抜けるような音楽を引き連れた作業機械の群れだった。よくすれ違う四角いものが大半で、わずかにウィンチ等を搭載した工兵車両を思わせるような形状のものも含まれていた。おそらく、部屋の封鎖が解除されたことで、作業機械のルートに再度組み込まれたのだろう。部屋の破損も緊急性が高いと判断されたのか、数多くの作業機械が送り込まれていた。
なにも心配する必要はない。私は通路に飛び出るようにして作業機械を迎え入れた。私を認識したそれらは、私が通路の端に寄るのを待つかのように、徐行しながら近づいてきた。旧友も通路に飛び出してきたが、私が注意して作業機械の通行を妨害しないようにいい含めると、慌てて指示に従ってくれた。
私たちが部屋の中にいては作業機械の邪魔になる。私の言葉に旧友は不満げだった。清掃ロボが思わぬ動作をしてこちらの不利益になるかもしれないと訴えてきたのだ。二人にとって大事なことは、宝探しの邪魔をされないということだ。それも、作業機械が部屋に入ってしまってからは、諦めたように大きく息を吐いていた。
何台かの作業機械が部屋から出ていったあと、旧友は作業機械がなにをしているのか気がかりで仕方なかったようで、部屋のなかに飛び込んでいった。すると、二人は悲鳴のような怒声を上げた。なにをしやがる、と作業機械に食って掛かっているような言葉遣いに仰天した私は、尋常ではないと判断して、部屋に戻ろうと思った。と、部屋のから出てきた作業機械とぶつかりそうになった。驚いた私の声を聞いたのか、旧友は焦った様子で、その作業機械を止めるように私に指示したのだ。だが、私は二人の言葉の意味がよくわからなかった。結局、作業機械は私をすり抜けていった。
部屋を見てはじめて、旧友の言葉の意味するところがわかるようになった。作業機械は部屋の清掃をしていた。そのうちの何台かが彼の「宇宙服」に群がっていたのだ。旧友は必死に邪魔をしていたが、巨漢ともいえる生命維持装置すべてを守れるわけではない。少しずつ浮遊機関によって部品を剥がされ、作業機械の腹のなかに格納してしまった。
はっとして見回すと、箱のうえに置いていた工具類がどこにもなかった。部屋を出ていった作業機械が持っていってしまったに違いない。私は旧友の叫びがなにを指していたのか、ようやく理解した。二人は私に、部屋を出ていく作業機械を止めろと言っていたのだ。しかし、今からでは追いかけてどうにかなるようなものではない。それよりも、これ以上の損失を避けるべきだと判断した私は、旧友と作業機械の攻防戦を目の端に捉えながら、「ライフガード」に事態の説明を求めた。
答えは簡潔かつ無慈悲なものだった。「方舟」に登録のない物品は「ライフガード」の判断で撤去することができるというものだ。部屋に放置されていた生命維持装置は登録がなく、撤去の対象に入っているのだという。まさか、あの「宇宙服」が「方舟」に登録がないとでもいうのか。聞き返しても、「ライフガード」はそうだとしか答えなかった。
そのうち、分解できる場所がすべてなくなったのか、四台ほどの作業機械が浮遊機関を総動員させて、生命維持装置そのものを持ち上げはじめた。それでも生命維持装置の荷が勝つようで、作業機械は「宇宙服」を引きずるような格好になった。もちろん、向かう先は通路に決まっている。
私は、二人の生命維持装置への並々ならない執着の手助けはしなかった。だが、作業機械が彼ごと「宇宙服」を連れ去ろうとしているのを見て、静観できるような状態ではなくなった。「方舟」で唯一見つけたのが彼なのだ。それを易々と機械に渡してなるものか。どこへ連れて行くのかと聞くと、作業機械の行き先のマップが表示された。
終着点は「再生炉」だった。
まさかと思ったが、不要物──つまりはチリやゴミ──と認識されれば「再生炉」で物質を再使用できるようにするのが、「方舟」での一連の流れだ。私たちが部屋の封印を解いたことで、生命維持装置が「方舟」と接続されてしまったのだ。
意味などないと知りつつ、私は「ライフガード」に叫んでいた。声帯の振動が「コンタークト」に文字を出力させた。
「作業を停止しろ。命令だぞ」
『集中制御下にあるため、あなたの権限を施行できません』
「人が入っているのに連れていくのか」
『これは「方舟」に登録がありません』
「なぜだ、人の命がそこにあったんだぞ」
『人命はそこにありません』
怒りに燃えた私の背筋が、一瞬にして凍った。
彼は登録されていない。だから「ライフガード」は生命維持装置ごと彼を「再生炉」に連れて行こうとしているのだ。人を人と認識していない「ライフガード」は、ゴミを焼却炉に入れてしまうように、一つの死体をこの世から消し去ろうとしているのだ。
許せない、と思った。
「ライフガード」の行動にではない。
「ライフガード」の矛盾している結論に。
冷凍睡眠室で眠っている人間は、あんなに丁寧に見守っていたじゃないか。
「方舟」は、「ライフガード」は彼らの墓を守るために存在していたじゃないか。
なのに、なぜ彼を消し去ろうとする。
登録されていないから、人を人と思わないのか。
許せない。私が許さない。
彼の存在が抹消されることへの恐怖と、彼を喪失することへの反逆心が私の体を貫いた。走り出した私は、生命維持装置に追いすがった。彼を持って行かれまいとするがむしゃらさで、「宇宙服」をつかんでいた。それを感知した作業機械が警告を発しながら浮遊機関を私に指向した。エネルギーが私を包み込むと、押し出される圧力を感じるようになった。今はまだ軽いものだが、そのうち本気で私を引き剥がしにかかるだろう。だが、私は気にしなかった。私の握力がなくなって、私の気力が尽きるまでしがみついているつもりだった。
十秒ほどそうしていただろうか。圧力が強くなり、指の骨が悲鳴をあげていた。もうだめだと思ったとき、「方舟」でのある場面が頭に浮かんだ。
「私たちは、墓に入れないのだ」
気がつくと、作業機械は私の十歩も先を移動していた。どうやら、私が呆けている間に、引き剥がされてしまったらしい。旧友が私を追い抜いていった。奇しくも二人も私と同じように生命維持装置にとりついて、無慈悲にも引き剥がされた。だが、二人は私と違って、理不尽に接収される「宇宙服」を取り戻したいゆえの行動だった。
追いかけようとした私は、自分が右手になにか握りこんでいることに気づいた。どこをつかんだのかはわからなかったが、引き離されたときにとれてしまったようだ。ゆっくりと広げると、むしり取られた識別タグが姿を見せた。【検閲済み】と書かれただけの、意味のないものだ。やっとの思いで「ライフガード」から取り戻したものがこれだけとは。私は落胆しながら私物入れに納めると、二人を追った。
結局は、旧友も作業機械を止めることはできなかった。私と同様に浮遊機関のどうしようもない力に圧倒されて、何度も押しのけられていた。息をきらせて走ってきた私は、通路の途中で、作業機械の後ろをついて行く二人と合流することができた。生命維持装置がとても重いので、作業機械の移動速度は遅く、早足にならない程度の速度だった。
手を出せないと知りつつも、諦められない私たちは、長い旅路の末に、その最期を見届けることになった。二人がバインダーガンで作業機械を攻撃するのではないかと心配したが、そのようなこともなかった。「再生炉」まで後を追い、白線の前で止まった。旧友は生命維持装置を諦めたようだった。探せば他にいくらでも見つかると、乾いた笑いを漏らした。「再生炉」の扉から作業機械が出てくると、生命維持装置と彼はどこにもなかった。ただの物質に還元されてしまったのだ。彼を取り戻すことはできないのだと思うと、胸が苦しくなった。
旧友は現状を理解すると、即座に踵を返した。失敗したことに、失われたことに執着しないことで、サルベージャーは巨額の富を動かしてきた。ただ、私はそうではなかった。私にとって彼の存在はかけがえのないものだった
「再生炉」のデータが眼前に飛び込んできた。たった今、物質が分解されたデータを表しているようだった。混在する組成をかき分けていくと「宇宙服」を構成していた金属や繊維類を取り除くことに成功した。そうして残った物質の波形は、彼自身のものだった。人間を構成する物質を羅列は、ひどく無味乾燥としたものだった。人間の尊厳も、魂も物質だったのだと突きつけられているようで。
なにを思いついたのか、私はおもむろに「再生炉」のデータを遡った。明確な目的があったわけではない。直感が私を動かしていた。数千年前の記録にたどり着くと、分解された彼の組成の波形を放り投げた。結果はすぐに表れた。共鳴するように、同じ波形が無数に出現したのだ。数えると、奇しくも植民活動支援機構の所属人数と同じになった。
私は驚いた。いや、驚いたふりをした。彼が「再生炉」に運ばれた時点で、彼らがどうなったのか理解できてしまった。私は知りたくない事実を前にして、今やっと知ったといいたげに、心のなかで驚いたふりをしていただけだった。
遠くから、旧友が私に何度も声をかけて、ぼうっとしている私を現実に引き戻した。感傷に浸っている時間はないと私を叱咤した。「コンタークト」越しに、絶望と対面している私とは違って、二人はなにも知らない。たとえ知っていても、二人は数千年前の人の死に共感することはないかもしれない。この空間では、佇んでいる私が異端なのだ。私はやっとの思いで足を動かした。
「再生炉」での経験をしてからは、もう私が「方舟」ですることはなくなっていた。探索する欲求も喪失し、旧友の背中についていくだけになっていた。私の使命はもう終わっていた。
彼らの最期は、あっけないものだった。目的を遂げても、ついに墓に入ることはなく、システムエラーを起こした「ライフガード」によって駆逐されたのだ。彼らを人間と認識せず、「体」は掃除されてしまった。今になって、「センサード」が「ヤードキーパー」といった理由がわかったような気がした。彼が部屋を封鎖した理由は、そうしなければ、彼らのように「再生炉」に消えてなくなってしまうからだったのだ。
彼らを探し出すことは、もうできないのだ。彼が最後の一人で、それも彼らと同じ運命を辿ったのだから。私が見つけてしまったばかりに、彼の墓は暴かれ、永遠の眠りは踏み荒らされた。好奇心に駆られた墓荒らしである私が、彼について考えることさえ、私の重荷になっていた。
英雄は死んだ。死んで、いなくなった。「方舟」に記録すら残せず。それが彼らの罰だとでもいうように。
エイアに戻った私は、しばらくは立ち上がれなかった。「方舟」を忘れるために研究に没頭して、ベッドに倒れる日常を繰り返していた。そのあいだ、旧友から口止め料も含まれた大金が振り込まれ、「方舟」のニュースが大々的に報道された。「再生炉」が環境問題に終止符を打つとか、オクロ機関がエネルギー問題を打破するとか、「未回収の旧文明」問題の議論が再燃した。
パルエのメディアというメディアで特集が組まれた。「方舟」乗務員への追悼をまくし立て、彼らを称える石碑が建立された。私にはどうでもいいことだった。乗務員のなかに、。「彼ら」の名前はなかった。「方舟」から取り出した名簿と照らし合わせていたのだろう。誰もが真実と思っているのであれば、それは欺瞞ではない。すべてを知っている私を除いては。
忘れようとしていた私にとって、数年はあっというまだった。しかし、忘れようとしても、時間はすべてを解決してくれなかった。私の自宅に記憶素子が二枚届けられた。片方はどこにでもあるような市販品。もう一方は、私が「方舟」で拾ったものだった。
彼の入った生命維持装置から工具を取り外しているとき、私は記憶素子を手に取っていた。実は、私はあれを持ち帰っていたのだ。私自身でさえ、帰路のサルベージ船のなかで整理をしている際に見つけたものだ。きっと、二人に呼ばれたそのとき、無意識に私物入れに滑り込ませていたのだろう。
まったく中身を見ていなかったために、記憶素子に通電していなかった。私はそれをすぐに見ようとはしなかった。精神的に不安定になっていた私は、それをしかるべき研究機関に託すことにした。開けなければいけないという使命感と、今すぐに「方舟」から──「方舟」の残滓から──逃げたい私は板挟みとなって、他人任せにしてしまったのだ。これで数年は「方舟」から逃げ出せる。そう思って放棄したものが、数年後の私に襲いかかった。手のなかを転がる記憶素子は、私の罪を忘れるなと主張しているようだった。
もう目を背けることはできない。覚悟をきめた私は、内容がどのようなものでも──たとえ死者の怨嗟が私の鼓膜を破いても──受け入れることにした。私は罰せられるに値することをしたのだから
数年がかりで復旧された記憶素子の中身は、一つの破損もなく完璧に動作した。フォーマットも完全に動作しているようで、「コンタークト」に接続を指示すると、旧文明規格の接続方式が提示された。研究機関に、旧文明に対応するの再生装置はなかっただろうから、記憶素子を意味あるデータとして垣間見るのは、私が初めてというわけだ。
はじめに飛び込んできたのは、彼の映像だった。もう一生忘れない。背後に映る部屋の構造と立てかけられた「宇宙服」から、私たちが彼を発見した部屋なのだと理解した。シャッターに穴は空いていないことから、彼が自殺を決行する直前の映像だとわかった。
机に座り、壁のコンピューターに向かって準備を整えた彼は、冗談のように「これを貴方が見ているときには私は死んでいるだろう」という文言を口にした。真面目に読み上げていた顔も、途中から滑稽な行動に耐えられなくなったのか、喉で笑っていた。自分で作成した遺言状のようなものを、こらえながら読み切った彼は、十秒ほど無言になった。口元は笑顔のままだったが、顔は笑っていなかった。
寂しげな顔で、彼は「一度やってみたかったんだ、それだけだよ」と笑い飛ばした。そして、「アルマゲドンレポート」のあと、どうなったのかを教えてくれた。そのなかで、彼ら自身でさえ知らず知らずのうちに、戻れない場所まで進んでしまったことを告白されたときは、心臓が握りつぶされそうだった。
「第二案」──[WagTail's]《鶺鴒期計画》のことだろう──が発動したとき、彼らは自ら進んで「方舟」から名前を消した。それが必要なことだったと彼は言った。それが私たちの破滅をもたらすとは思わなかったとも。
副長は、「方舟」で自由に活動するために、識別を取り消す必要があるといった。「方舟」のなかで自由に行動するために「方舟に彼らはいなかった」と誤認させるのだ。一見するとすべての権限を剥奪されそうなものだが、内部システムとの齟齬を利用して、どのような権限をも付与できる存在になった。
船内の全システムを「ライフガード」に委託したのも副長の指示だった。処理容量の足りないサブシステムに全システムの権限を噛ませることで、システムが取り消された識別を正しい処理だったのか「再考」する処理を永遠に後回しにさせた。
──驚くような手際のよさだ。副長の「第二案」は、「方舟」を乗っ取るに値する完璧な計画だったよ。「方舟」の設計者ではない副長が裏技を知り尽くして行動していた。きっと彼の個別ストレージには、パルエで上層部から「第二案」を知らされていたんだ──
「再生炉」に収まっていないのが彼だけという状況に瀕して、震えた声で発した「ライフガードを憎まないでくれ。彼女のせいじゃない。『第二案』をはじめた私たちのせいなんだ」という言葉が私を貫いた。
彼は、最初に死んだのは副長だったと話した。彼が推挙した「第二案」を完遂して、生きている価値をなくしたようだった。拳銃自殺だった。私物の記憶素子に遺された遺言は「お前たちを巻き込んですまない」だった。彼らは理解ができなかったが、すぐに「ライフガード」の異常行動が始まった。副長の私物はすべて回収された。記憶素子すら持ち去られて、「方舟に副長はいなかった」ようになった。
システムフローで「再考」が後回しになったことで、彼らを人間に分類する機会は永遠に失われていた。「ライフガード」は彼らを生存性という基準に則って判断するようになった。結果として起きたのが「再生炉」送りだった。「不活性化」した時点で、その人物と、そこに紐づけされていた物体はすべて破棄される。副長はこうなることを知っていたのだ。はじめから知っていて、それを隠していた。
彼らの反応はまばらだった。パニックに陥るもの、冷静に捉えるもの。自罰的な態度なもの。彼らの名前を回復する試みは失敗に終わった。「ライフガード」を圧迫するシステムがあらゆる試みを阻んだ。それに、不気味なほど「ライフガード」は彼らなしの状態で安定していた。副長は「無理に名前を回復させると、システムがどう動くかわからない」といい聞かせていた。それは、音声や映像にも残せないということだ。システムがデータを識別する際に彼らを認識してしまうことさえ作戦の失敗を意味する。
なすすべがないと皆が諦めたところで、隊長が死んだ。自殺だった。部屋で致死量の鎮静剤を打っていた。後片付けは必要なかった。全員がパニックになった。統率がなくなり、彼らを縛る──彼曰く「結びつける」──命令系統がなくなってしまった。彼は植民活動支援機構のメンバーの大半を追跡できなくなった。彼らはどこへでもふらふらと行ってしまった。追いかけようとしても、広い「方舟」のなかで追跡タグの支援もなしに、行方知れずになった彼らを探し出せなくなった。
「名誉のために」と彼はつぶやいた。彼らは半狂乱で出て行ったわけではない。死期を悟った動物が人の前から消えるように、ふといなくなっただけなのだと。
彼は、わかる範囲ですべてを記録した。彼らのなかで、彼に協力的なものは、部屋を申告して、そこからでないと約束させた。部屋の扉が作業機械を認識すれば、誰がどのような方法で死んだのかを収集した。ほかにも、彼は船内の映像、音声や、ありとあらゆるものを見聞きし、検閲さえしていた。
データの管理権が「ライフガード」に移行する前、システムに特定のソフトウェアを噛ませるようにと副長が指示していた。データから彼らの存在を抹消したあとも、「ライフガード」に彼らの存在を検知させないようにするものだ。検閲は彼が実行していた。強力な情報識別システムによって割り出した「『ライフガード』が彼らを彼らと認識するもの」を抹消した。その後も、彼らがうっかり漏らした言葉に彼らの名前があれば、該当箇所を修正していた。
ソフトウェアのおかげで、彼が追跡できなかったものたちの足取りを追うことができた。彼らの言動をセンサーがデータ化し、彼の端末に「足跡」として表示した。誰かを識別することはできなかったが、どこかへ一直線に進むもの、ふらふらと進むもの。様々だった。しかし、一人、また一人と「足跡」は絶えていった。
彼が一番つらく感じていたのは、「再生炉」の履歴に、人間の痕跡が増えていくことだった。正確な人数が把握できる反面、自分が看取ることを強いられていると感じたらしい。実際に、彼は最後まで死ななかった。
彼らの死因はほとんどが薬物注射だった。副長のような拳銃自殺の騒がしさは起きなかった。作業機械がけたましい音をたててやってきたことで、隣の部屋にいた仲間の死を把握したという。最後まで耐えようとする彼への配慮だったのかもしれない。だが、皆が静かにいなくなっていくことが、彼にはとても耐えがたいものだった。
そして、彼は飢餓にさいなまれながらも、最後の一人になった。
彼は終始、感情が不安定だった。空腹に神経をやられたのか、眼をぎょろぎょろと動かして。自身の姿を見た彼は怖いことが三つあるとこぼした。このデータが未来永劫、誰にも発見されないかもしれないこと。彼が閉じこもった部屋を「ライフガード」にこじあけられるかもしれないこと。そして、「詰み」の状況で、生きることを諦めてしまった彼自身に。
それでも、彼は「生」に執着していた。人間として「生きる」ことではない。記録上の抹殺を生き延びて、彼らが回復されること──それが彼の説く「生きる」ということ──のために。
──こんなのあんまりだ。自分が入るための棺桶を作らなきゃいけないなんて。皆が棺桶を作らなかったなんて。信じられない。なんのための「唄」だ。なんのためのセキレイラジオだ。なんでそんな企画があったと思っている。「生き続ける」ためだろう。私たちがいたことを忘れてほしくないからだろう。どうして諦める。惨めだからか。罪の意識か。私は諦めないぞ──
彼の言葉に力はなかった。変えることのできない自分の未来を背負って、彼らのことを背負って、孤独に閉じこもらなければいけないのだから。
そして、死人は状況を説明できない。部屋が開いた時点で記憶素子に気づいてくれなければ、作業機械が回収して無に帰すだろう。
「それが怖い。私の最期を知っても、私の、私たちことはすべてなかったことにされてしまう」
彼は私にありがとうといった。
──だからこそ、このデータを見ているということは、私の伝えたかったことが、すべて叶ったということだから。どうやったかは知らないけれど、貴方が私を魔の手から守ってくれたんだ──
彼は「そのデータこそ、私なんだ」と言った。私が遺した記録で、彼は私に「継ぐ」ことができたのだと。「私の体を看取っても、私たちは貴方の手のひらに『生きて』」いると。
彼は映像を記録することで、死ぬ決心をつけようとしていた。話すことのなくなったときが、彼の生を終えるときだった。彼の話は長くなった。大げさな話をしているのは、彼が死に意味を見いだそうとしていたからだった。それでも、彼が決心するまで時間がかかった。
ついに、彼は自分に決着をつけたようだった。「さて、話すことがなくなった」と天井をあおいで、髪をかいた。首を回して部屋をぐるりと見て、カメラに向き直ると密室の作り方を話した。
──壁を剥がして回線を切断すれば、異常時に扉は開かなくなる。「杭打ち」を使えば合金のシャッターに穴を空けるのは簡単だ。その前に船外作業服を着なきゃね。生身でやったら、「杭打ち」の反動で死んじゃうから。やるからには全力で。回路を切断すればシステムに感知される。穴を空けるまでの猶予は少ない。時間との勝負だ。上手くいったら……永遠にゆっくりできる。船外作業服に純窒素を充填すればいい。息を止めれば体が二酸化炭素に反応してあえぐけど、窒素を吸っても苦しくならないんだ。……ワオ、人体の神秘だ。こんな贅沢な装備のなかでで苦しまず……苦しまずに──
それ以上、彼は自分の顛末について語らなかった。
最後に、彼は自己紹介をはじめた。「私のことを覚えていてほしい」という純粋なものだった。名を剥奪された彼らにも、名前があったのだと。それがかりそめのものだとしても、覚えていてほしいと懇願した。
植民活動支援機構のメンバーの名前が、私の耳に届いた。簡単な特徴を添えて、なにをしていたのかを、人数分語った。もちろん、本当の名前ではなかった。あだ名を持たないものもいた。彼の検閲にすべてを任せて、本名で──魂が呼応するように──呼び合うものたちもいた。それでも、彼は即興であだ名をつけ続けた。
そして、最後に彼自身の名前を口に出した。
──私の名はセンサード。この識別タグをみなよ。ほら、「センサード」《【検閲済み】》って書いてあるだろう。これなら、私の新しい名前は誰でもわかるってわけだ。皮肉に感じたかい。そうさ、皮肉で名乗ってみたけれど、私の魂と強く結びついてしまった。私は、セキレイラジオのDJで、「第二案」に従事する一方で検閲を担当していた。だから、私は「センサード」さ。案外、違和感はないね。なんていうかな、職業名が時代の流れでそのまま人名になった感覚だよ──
私は、はっとして机の引き出しを開けると、手を突っ込んだ。「それ」を握り混むと、肘がぶつかるのもかまわず一気に引き抜いた。手を開くと、識別タグが机の上に転がった。
彼こそ、探していた人物だった。逃げたいという気持ちはもうなかった。私は記憶を辿った。あの部屋での様子がフラッシュバックする。「コンタークト」の記録を見るまでもなく、私の記憶が、網膜が彼の名前を認識していたことを、はっきりと思い出した。
彼の名前は、センサード《”Censored”》だった。
センサードの最後の言葉は、明るかった。彼らしく、明るく終わろうとしていた。このときには、彼は生命維持装置を身につけていた。ヘルメットも装着されており、胴体に装着されたスピーカーから声がしていた。話の途中で彼はおもむろに立ち上がって、部屋のなかを歩きながら話し始めた。
──さて、気分転換に人生最後のDJでもやりますかね。……誰もリクエストしてくれないものだから、私がリクエストを出すしかないですね。では、いってみましょう。私ことセンサードのリクエストで「ラジオ・スターの終り」を。この曲を聴きながら、皆様さようなら──
彼の鼻歌の伴奏が聞こえた。ポップで悲しげな曲が小気味よいテンポで口ずさんでいた。歌い終えると彼は突然立ち上がった。壁に近づくと「宇宙服」の強靱な出力で壁を打ち抜いた。回路をつかんで両手でちぎると、ケーブルや基板がばらばらになった。彼はシャッターに向き直っていた。すぐ「杭打ち」の轟音が響く。続けて、シャッターから怪物が息を吸うような音がした。カメラは一瞬霧に包まれたが、それすら宇宙に吸い出されていった。固定されたカメラは多少揺れただけだったが、画面の端に『撮影機材に損傷あり』の警告文が表れた。液晶ディスプレイが急減圧で沸騰してしまったのだろう。奇跡的に、撮影しているレンズの部分は正常に動作していた。
撮影はそのまま続いた。彼は人生最大の賭けに勝ったかのように、両手を上げて嬉しがっていた。カメラがまだ撮影していることを思い出したのか。シャッターの穴と封鎖された扉を指さして、カメラに向けてなにか話しているようだった。だが、真空の空間ではなにも聞こえはしない。興奮していた彼はそれを──「方舟」に選抜されるほど優秀だというのに──忘れていたようで、しばらくは表情も見えないのに、カメラに向かって話していた。ついに意味がないことをしていたと気づいた彼は、忘れてくれというふうに手を横に二三度振った。彼がカメラを取り外して、胸元にもってくると、映像は真っ暗になった。
十秒ほどして、彼の声が聞こえた。きっと彼はカメラを抱えたまま、誰にも聞こえない独白をしたつもりだったのだろう。密着したスピーカーが微細な振動を拾って、音声として記録していた。
──私たちは、心臓が止まれば、ただのモノとしか見られないんだ。私は、皆と同じように「ほうきに掻き出されて」消えていくだろう。私は助けが来るまで籠城することに決めたよ。私を看取ってくれるものが現れるまで。生きていたいわけじゃない。歴史に名を残したいわけじゃない。でも、一人でもいい、私たちがここにいたことを覚えていてくれる人がほしかったんだ。「なにか」ではなく、「誰か」のなかに。私の墓を暴いて、看取ってくれるひとが待ち遠しい。今となっては贅沢な願いかもしれない。でも、独りになった今では、それを叶えることさえ難しくて──
そこで、記録は終わっていた。
私はひどい思い違いをしていた。
彼らは、けして英雄ではなかった。彼らの些細な願いさえ、自分で叶えられない、ちっぽけな人間だったのだ。私が得たのは、彼からのささやかな感謝の言葉と、彼らが結果の見えない賭けにすべてをつぎ込み、失って、もがいた記録だった。
私は、それを公開せず、私のなかに止めてきた。ひとえに、私の発表で、彼らの話が歪められることを恐れたからなのだ。墓守に追放され、「再生炉」に消えた彼らが感じていたのは「罰」であって、心地よく脚色された救世主願望などではなかった。それが、おとぎ話の英雄譚として売られていくだろう現実に耐えられなかった。
今でも、この事実を「方舟」の真実と喧伝するようなことは──貴方もわきまえているようだが──まったくない。だが、私はたしかに経験し、彼らを持ち帰ったのだ。
私の目的は今でも変わっていない。彼らについて知ることだ。最後に残ったのは、彼らの本当の名前を探し出すことだけだった。だが、私は年老いた。もはや、エイアから出ることすらままならないだろう。パルエに居を構える貴方にこのような話をしているのも、私が貴方に託したいと思っているからだ。彼らの名前を見つけてほしい。貴方には、彼らの名前を探し続けてほしいのだ。
彼らの名前はパルエに置き去りにされている。裏を返せば、パルエのどこかに彼らの名前はあるのだ。これは私個人の願いではない。彼の望みでもある。彼が私に願ったように、私は貴方に願うのだ。彼が私に託すまでに数千年かかった。そう思えば、数十年などあっという間だった。
重い願いほど、人に託されるものだ。重荷に感じることがあれば、貴方も人に託してほしい。誰も頼ることができなければ、「過去の館」に助けを求めなさい。貴方の願いは託されるだろう。
私は彼の残滓を追って、手つかずのエイアにずっといたのかもしれない。
パルエで彼を探すには、帯域はすべて塗りつぶされてしまった。
あの伝説を受け継ぐアーキル空軍兵も、今はもういない。
エイアの星空に周波数を合わせるたびに、ふと思うことがある。
ラジオから流れる「唄」を聞いていると、そこに彼がいるような気がする。