The Emperor in Clundult

621年

15月28日22:25 帝都 居住区

今日も仕事で疲れたしもう寝ようかとベッドに近づいたまさにその時、ドアをノックする音が聞こえた。
「監査局だ。物資の横流しの件で話がある。ドアを開けろ」
聞きなれない女性の声が聞こえた。一瞬で背筋が凍り付いた。
なぜバレた?俺は軍関係の倉庫で働く立場を利用して運ばれてくる荷物の一部を誤魔化し、それを転売することで本業以上の利益を得ていた。倉庫管理官は面倒くさがりなおかげで荷物目録なんかマトモに見ていないし、担当の監査官には利益のいくらかを渡しているおかげでこの商売を見逃してくれている。なぜバレた?誰が裏切った?ベッドからドアまで歩くわずかな間に様々な考えが頭をよぎった。
「乗れ」
ドアをまだ開けきらないうちに、女性は家の前に停まっていた監査局カラーの車を指差して言った。震えながら車に乗り込んで高級そうなシートに座ると、運転席に座っていた男性が後ろを振り返った。
「大丈夫ですよ。彼女は話し方はキツいですがうちの一番の人情家です。あなたを助けようと進言したのも彼女です」
「余計なことを話すな。さっさと車を出せ」
家の前にいた女性が乗り込み、車は静かに走り出した。
「あなたが私達に流してくれた物資は、宰相派から厳しく監視されている近衛騎士団の大きな助けになってくれました。あなたのような協力者がいなければ反乱を計画することもできなかったでしょう」
「まもなく近衛騎士団が反乱を起こし、帝都は戦場になる危険があります。いざという時のためにあなたを保護します」
運転手の男の話を聞きながらぼんやり思い出していた。俺が流した物資をやたら高額で買い取ったあの老婆、彼女は近衛騎士団の人間だったのか。なんだか大変なことに手を出してしまった。


15月28日23:55 統治省

気持ちよく寝ていたところを叩き起こされ庁舎に集合させられた。
まともに頭も働かないまま、言われたとおりに庁舎前に土嚢を積み上げ、エントランスホールに机や椅子でバリケードを組んでいる。
俺は統治省の事務官だ。肉体労働は兵士にやらせればいい。この意味不明な行動に何の意味があるのか疑問が止まらなくなってきた頃、急に軍港方面の空が明るくなった。


15月29日00:09 軍港 爆発現場

爆発が起きてすぐに消防隊が軍港に集められ、俺も耐熱型生体ポンプ車とともに現場に向かった。
火事現場はどこも緊迫しているが今回は特に緊迫している、いや不自然というべきだ。夜空を明々と照らす巨大な炎を目の前にしているのに、消防隊は軍警に現場への立ち入りを規制されている。そして炎の壁の向こうから銃声や爆発音が響いている。
隊長が消火活動を始められるように軍警を説得しているがまるで話にならない、それどころか軍警達は極度の緊張と恐怖で隊長の話し声など聞こえていない様子だ。空を見上げると観測機が旋回していた。前方に生体眼球カメラが突き出した、あの気味の悪い機体だ。どこの所属だろうか?


15月29日00:11 帝都 中央貨車集積駅の監査局派出所

中央駅近くの監査局派出所は集まった仲間で超満員だ。普段は貨車に不正な荷物が積まれていないか眺めるだけの局員達も顔に緊張が表れている。
軍港の爆発を聞いて僕達もすぐに行動を開始した。頭の中で計画を何度も繰り返す。
貨車集積駅を制圧する。すべての列車と荷物を押収する。帝都警察と軍警を足止めする。近衛騎士団に押収した荷物から武器や食料を引き渡す。
派出所から飛び出して最初に見たのは、こちらを包囲した軍警の集団だった。
出し抜かれたか。この事態にはさすがに苦笑するしかなかった。


15月29日00:28 軍港近くの飲み屋街

班長、ジイさん、新入り、そして俺はいつもの店で一杯飲み、いつもの肴を食べ、いつものジイさんの自慢話を聞き流し、酒を飲めない新入りの運転で艦に帰る、いつもの夜を過ごしていた。
しかし軍港で爆発が起きていつもの日常が吹っ飛んでしまった。
「俺たちの駆逐艦が沈んでしまいました、班長、俺たちはどこに行けばいいんですか!?」
「うるせえ!俺に聞くな!おいジイさん、最年長なんだからこんなときどうすればいいのか知ってるだろ」
「うーん……」
「おいジイさん起きろって!」
新入りはパニックを起こした群衆を避けて車を走らせるのに必死だ。俺達は(ジイさんを除いて)一気に酔いが醒めてしまった。
あの爆発は単なる事故か?それとも本当に皇帝派が反乱を起こしたのか?近衛騎士団が反乱を企てているという噂は時々聞いていた。そもそも俺達の艦が本来の訓練日程を切り上げて帝都に入港したのも、この反乱に備えての事だったのではないか?とにかく今はこの混乱から生き残ることが最優先だ。


15月29日00:49 テクノクラート 帝都中央研究所

近衛騎士団反乱の報せが届いてすぐ、研究所は撤収準備を始めた。
被検体を檻に入れ、研究データを急いで箱に詰め込む。目指すは六王湖のテクノクラート支所。どちらが帝都を制圧するにしても、テクノクラートのやってきたことに注目が集まることはどうあっても避けたい。
最後の箱を持ち上げようとした時、出入り口から銃声がして驚いて振り向いた。
耳目省の紺色のコートが目に入った。こちらに銃口をぴったり向けたまま近づいてくる。箱に入っている試作型生体銃で撃てばこの暴力的な耳目省の職員を物言わぬ肉塊にできるのに。そんなことを考えながら彼女を睨みつけていたが、彼女がとても焦っていることに気が付いた。
「動くな。研究員は全員連行する。……計画を発動しろ」
「計画?いったいなんのことですか」
自分でも笑ってしまいそうなぐらい白々しい演技をしたが、彼女には通じなかった。彼女はさらに一歩近づき囁くように言った。
「皇帝艦を起動せよ。何時間かかる?」


15月29日01:51 帝都 居住区

帝都警察に志願したことを今日ほど後悔したことはない。道路は爆発から逃げようとする人々で混み合い、あちこちで怒鳴り声が聞こえる。交差点は車と人でごった返し、だれも私の指示なんて聞きやしない(いつものことだが)。
理由もわからないまま場当たり的に人々を誘導していた時、帝国軍警所属の戦車部隊が人混みをかき分けるようにやってきた。見慣れない光景に私も人々も圧倒されてしまう。
先頭の戦車のハッチが開き、軍警の黒い制服を着た女性が身を乗り出して叫んだ。
「帝都警察官は全員警察署に集合せよ!近衛騎士団が反乱を起こした!」
反乱と聞いた人々はいっせいにパニックを起こして道路に飛び出し、戦車部隊はそこから一歩も動けなくなってしまった。


15月29日02:40 ネネツ艦隊 巡空戦艦ナドノフ 艦橋

「提督!提督!帝都で近衛騎士団が反乱を……提督?」
「落ち着け。その話はとっくに聞いたよ」
勲章がいくつも付いた制服を着ながら、息を切らした連絡員に声をかけた。
「今すぐ動かせる艦だけでいい、発進準備だ。帝国国境に進路を取れ」
兵士達が艦橋を慌ただしく走り回り、生体器官が飛び起きて艦全体が小刻みに震える。
「自治管区から発進の命令は出ていませんが」
「私が直接話す。今は発進準備を急がせろ」

「それで……提督、ネネツはどちらの味方に付くんですか?」
言葉を選びながら遠慮がちに話しかけてきた部下に、にやりと笑いながら答えた。
「それは飛びながら考える。どちらに付くにせよ、ここで恩を売っておけばこの艦のメシもまともなものになるだろう」


15月29日03:08 帝都郊外 統治省空軍基地

統治省本庁との通信が途絶して3時間。緊急出撃の指示があればこの最新型グランバールに飛び乗ってすぐに発進できるように準備しているが、その指示が届かない。偵察に向かった仲間からも連絡がない。電源が落ちた真っ暗な格納庫で落ち着いて座って待つこともできず、望遠眼で帝都方面の空を何度も覗いている。帝国空軍や近衛騎士団をはじめとした様々な組織の艦・飛行機が飛び回っているのが見える、先ほどはマコラガらしき機影も見えた。あんな骨董品のような機体まで引っ張り出すなんてよっぽどの事態だが、そんな事態に何もできない自分が余計情けなくなった。
突如として格納庫の窓から強い光が差し込み、慌てて外に飛び出してようやく攻撃機の車載ライトで照らされていることを理解した。ガルガノット級揚陸艦が滑走路に次々と着陸し、艦の扉が開き赤い制服の兵士が雪崩をうって飛び出してきた。そのうち一人が私に気づきこちらに歩いてきた。
「統治省庁舎は我々近衛騎士団と監査局が制圧し長官を逮捕しました。これ以上の抵抗は無意味です、投降してください」


15月29日05:07 帝都北方 貴族の輸送艦 艦橋

「こちらは特務委員会だ!今すぐ停船せよ!」
突如として生体拡声器の声が夜空に響いた。闇に紛れて逃げ切れたと思っていたが跡をつけられていたようだ。いつのまにか艦の周りには見知らぬ戦闘機が何機も飛び交っている。
いつも偉そうにふんぞり返っていた貴族閣下もこの事態はさすがに想定していなかったようだ。太った額からだらだらと冷や汗を垂らしながら、しきりに部下に文句を言っている。
「おまえらが準備に手間取るから追いつかれたんだ!予定通りなら本隊に合流できていたはずなのに!」
お前が貴重品とやらを積み込むのに時間がかかったせいだろ、と心の中で毒づいた。
「艦長、この船にも対空機銃は積んでいるんだろう、それで撃ち落とせばいい」
「閣下それは無理です。この船の旧式の機関銃ではとても太刀打ちできません」艦長が即座に否定した。
「いいからさっさと撃て!時間稼ぎしている間に連絡を―」
「船を止めなさい」
隣に座っていた閣下の秘書(という名の愛人)が立ち上がり、どこからか取り出した銃を構えた。
「き、君、いったい何をして、裏切るつもりか」
溺れてしまうのではと心配になりそうなくらい冷や汗を流す閣下が震える声で呟いた。
「裏切りだなんてとんでもありませんわ、私は閣下とお会いするずっと前から近衛騎士団の一員ですのよ」


15月30日09:35 六王湖地域 自治政府

近衛騎士団による反乱の情報が入ってすぐ自治政府は徹底した封鎖を開始した。安全上の問題を理由にあらゆる船の出港を禁止し、反抗するとすぐに鎮圧して船を押収した。
六王湖地域はここ数年で急速に成長した。いまや単なる一地域ではなく帝国属国に並ぶ発言権を持っている。今回の反乱騒ぎをうまく活用すればさらなる権利の強化もありえるだろう。
自治政府庁舎が見える私のオフィスでそんなことを考えていると、部屋をノックする音が聞こえた。
「社長、入りますよ」
聞きなれた声が聞こえ、扉が開いて南パンノニア軍警の制服を着た男が入ってきた。
「急に呼び出してすまない。長旅だっただろう、一杯飲むかい」
「いいえ結構です、急ぎの用事なんでしょう?」
さすが物分かりのいい男だ、だからこそ私は彼を重用している。
「帝都で反乱が起きたと聞いた。今は情報が欲しい、君達の部隊に情報収集に行ってもらいたい」
「もちろんです、すでに出発準備も整っています。ですが社長……今回は危険ですよ」
「わかっているさ。活きのいい駆逐艦が手に入った。艦載機ごと君達に渡そう」
この騒ぎの中で何隻か艦が行方不明になっても問題にはならないだろう。情報の対価としては高すぎる気もするが、今後数十年も帝国に対して優位に立てると考えれば安いものだ。
窓の外を見ると庁舎のエントランスの大扉が開き人々が出てきた。夜通し行われた長い会議が終わり、帝都の反乱に対する自治政府の立ち位置がようやく決まったらしい。


15月30日11:49 帝都北方 臨時検問所

検問所から伸びる船の行列は先が見えない。フラフラと浮かぶ空中艦用信号機はずっと赤いランプが光っている。
俺は焦っていた。この船に積んでいる強毒性イグラツの葉は時間が経つほど萎びて価格が下がるし、何より帝国では取引が禁止されている。いつも通りならこの空域に検問所なんかないのに、帝都で何か起きたせいでここで足止めを食らっている。こうして時間を無駄にしている間にもイグラツの葉は枯れ、帝都警察に積み荷がバレる可能性が高まっている。ここはいつもの手を使うしかない。
「そこのお姉さーん」なるべく不審に思われないよう明るい声で、近くの空中移動リフトに乗っている警察官に話しかけた。その女性警察官が近づいてきてくれたのでそのまま話を続けた。
「この検問、まだ時間掛かりそうですかねー?ナマモノ積んでるんで時間かかると腐っちゃうんですよねー」
「列はゆっくりですが進んでいます、もう少しお待ちくださいね」女性は穏やかに答えた。
「うーん困ったなあー取引先に怒られるなあ……タバコでもどうです?」
空のタバコの箱に紙幣の束を見えるように詰めたものを差し出した。それを見た瞬間、女性の顔から穏やかさが消え声色も途端に冷たくなった。
「帝国では公務員に対する賄賂は禁止されています」
話の通じないヤツだなあ、そう思った瞬間に彼女の制服が帝都警察のモノではないことに気が付いた。
やっちまった。彼女は第三課、帝都警察の上の上の人間だ。いつもの俺ならすぐに見分けがつくはずだが焦っていたせいでよく見ていなかった。
「詳しく話を聞かせてもらえますか、船から降りて―」
彼女が言い終わらないうちにすぐそばで爆発が起きた。窓から覗いてみると帝国の戦闘機同士が撃ち合っている。検問所でも帝国の軍艦が同士討ちしている。
並んでいた船達が四方に逃げ出した。先ほどの女性も周囲にいた警察官に慌ただしく指示を出している。
チャンスだ。生体器官が悲鳴をあげるほど一気に加速し、逃げ惑う船の間を縫って検問所に突っ込んだ。


15月31日05:02 カノッサ戦線 前哨基地

帝都での反乱の一報はここにも届いているが、ここでは帝都の出来事よりも目の前の開けた湿地帯に敵の影が見えないか見張るほうが大事だった。ところが宰相・貴族派が皇帝派に押されているとの続報が入ると、抑圧されてきた兵士達に影響を与えた。
帝国貴族と属領民の格差、人命軽視の作戦、傲慢な上官、最前線の劣悪な環境、待遇改善(主に食糧事情)、帝国と皇帝への忠誠。兵士の積もりに積もった反抗心に火が付いた。
うっすらと光が差してきた明け方、帝都から遠く離れたこの地でも反乱が起きた。


15月31日05:50 帝国バセン隷区駐留艦隊 駆逐艦内

早朝にもかかわらず食堂には多くの人が集まり、落ち着かない様子で話している。話題はもっぱら帝都で反乱が起きたこと、帝国から逃げ延びた貴族艦隊がこちらに向かっていることだ。
艦長が食堂の扉を開けると、さっと話し声が静まり艦長に注目が集まった。
「まもなくデシュタイヤ家の艦隊がこちらにやって来ます。バセン方面艦隊も指揮下に入るように命令がありました」
見た目より若い艦長がいつものように落ち着いた声で話すと、船員が一斉に叫び出した。
「帝都で宰相派が反乱で倒されたと噂で聞きました」「デシュタイヤ家の艦隊は傷付き力を失っています」「私達も皇帝陛下のために宰相派のデシュタイヤ家と戦いましょう」
「これは帝国本国からの命令です」叫び声を押さえつけるように艦長は声を張り上げた。「命令に従い艦の発進準備を始めてください。生体器官に負担をかけないようにゆっくりと起動させ、事故の無いように艦を隅々まで点検し、荷物を何度もチェックしてください」
艦長の考えていることに合点がいった船員達はなるべくゆっくりとした足取りで食堂を出て行った。

なぜかバセン隷区駐留艦隊のほとんどの艦が発進準備に手間取り、到着したデシュタイア家の艦隊はまともな補給も援護も受けられないままガリ地区制圧に向かうことになった。


15月31日12:41 ワリウネクル諸島連合 マルダル島

賑やかな浜辺を緑色のコートを着たひとりの男が歩いている。道行く漁師達は不思議そうに何度もその男を見つめている。そんなにジロジロ見るな、俺だって好きでこのコートを着ているわけじゃない、仕事中は制服を着用するという規則に従っているだけだ。
そんなことを頭の中で繰り返しながら歩いているとこちらに手を振る老人を見つけた。腰が曲がり白髭を伸ばしたこの老人こそ、諸島連合のベテラン工作員なのだ。
「近衛騎士団が皇女の存在を公表した。反乱は皇帝派が優勢」
「了解した」
中身の詰まった重い鞄を彼に渡した。この短い会話が連邦の未来を大きく変えてしまうのかもしれないのだ。
「なあ若いの、今朝揚げたばかりのスケヨクラゲがあるぞ。食っていかないか」
「いや、いい」
そうやって俺に酒を飲ませて泥酔させ、連邦本国に情報を伝えるのを遅らせ、諸島連合が優位に立つつもりだろう。二度もその手には乗らないぞ。前回は上司に大目玉を食らったのだから……

最終更新:2019年12月16日 22:36