帝国の一番長い夜 後編

 
 
帝国の一番長い夜 後編
 
 
                 15月30日 3:10
「武器を捨て投降しろ。命の安全は保証する。」
 
マレットはとりあえずお決まりの台詞を吐き、相手の銃口がピクリとも動かないのを見てため息を漏らす。
軍警隊と近衛騎士団が放送局に到達したのはほぼ同時であり、歴史を伺わせる優美な装飾が彫り込まれた正門前で両者は相対した。
フィンは計画の綻びを認めずにはいられない。警察の動きが予想より早く、立ち直る前に放送局を占拠、クーデター宣言を行うというフェーズ2が破綻したのだ。この場で撃ち合えば制圧できる可能性は十分にあるが、警察機構との間に遺恨を残すのは戦後処理に大きな影を落とす。
かと言って、クーデター宣言を行わずに破壊活動を続けるならばそれは単なるテロに成り果てる。
一方のマレットも状況の悪さに頭を抱えていた。
近衛と軍警、彼我の戦力差はそれなりに開いている。近衛騎士団の装備は生体式の消音機関短銃に統一されており、特殊作戦群であることが見て取れた。どれだけの爆薬を抱えているかは分からないが、少なくとも一人二発以上の手榴弾を持っているはずだ。狙撃兵も配置に付いているだろうが、無数のアンテナ線と電波塔に囲まれた放送局を直接支援できそうな射点は限られている。
近衛は迫撃砲や重機こそ持っていなかったが、練度差はいかんともし難い。軍警は権力を振りかざし抑止力となるのが本業で、純粋な殺し合いには不慣れなのだ。
とにかく時間を稼がなければならない。撃ち合いになれば結果は見えているのだ。いきなり撃ってこなかったのだから、対話の余地はあるはずだとマレットは考える。
マレットは銃列の前に一歩踏み出し、突如としてソード・ラインを侵す。狙撃兵が一斉に彼女を照準眼鏡越しに注視する。
 
「何してるんです、狙撃されますよ!」
 
アルティチュリも一歩前に出てマレットの隣に並ぶ。二人は黒い銃列を背にして紅い銃列に正対する形となった。
近衛の列も2つに割れ、止血帯を巻いた女が部下の肩を借りて前に進み出る。
マレットはその顔に見覚えがあった。フィン・マイアット近衛騎士団千人隊長。重症を負い、度々ふらついているが、瞳はこちらを射抜かんばかりに捉えている。
 
「第三課、諸君らが自らの職務に忠実であることは認めよう。だからこそ、兵を引いてくれ。命は無駄にして良い程安くないはずだ。」
「人命を尊ぶならばそちらこそ兵を引くべきだ。このタイミングでクーデター宣言などなされれば、どのような事態が起こるか想像がつかないわけでも無いだろう。」
 
数世紀にわたる殺し合いは大義を失い、やめ時が見当たらないという理由だけで莫大な犠牲を生み出し続けていた。前線に人を取られ続けた銃後社会は麻痺寸前、上流階級はそんな実情を尻目に特権と地位の保身に邁進している。最早この國は倒壊しかけた楼閣だった。
近衛らの主張は正しい。だが、どんな匪賊な国家でも国家であり、いかなる悪辣な法でも法である以上、秩序の番人はそれと運命を共にする。例えわかりきった愚であったとしても。
 
「我々が国家の下僕である以上、諸君らをテロリストとして扱う。大義を御旗に人殺しも厭わぬ粗忽者としてな。」
 
見てみぬふりをしていた部分を突かれてフィンは眉をひそめる。自らの御旗である正義を一番疑っているのは彼女なのだ。
クーデターが成功すれば革命の英雄なのか?逮捕され政治犯として処刑されればテロリストなのか?それは違う。正義か否かは手段によって規定され、歴史によって評価されるべきものだ。ならば無関係の人間を殺すという手段を使った時点で正義も何も無い。すでに彼女らは、国に忠義を尽くした純真な兵士たちを大量に焼き殺している。ここで引いては全てが無に帰す。譲れはしない。
理屈で括れぬ思考の渦は感情によって言葉へと出力される。
 
「……正義を語って人を殺す矛盾はよくわかっているつもりだ。歴史上の名君も暴君もみな正義を使い潰して人を殺し続けた。いかなる理由があれ、それは道理になり得ない。
 
・・・・・・・・・・・・
だからこそ我々は殺すのだ。
これから我々は正義の御旗を掲げて殺し、焼き、奪う。その最後の暴力となる。
為政者によって振りかざされる、最後の錆剣が我々だ。一握りの人間が定めた正義によって人が死ぬ時代は終わる。
人々の手により政が成され、法と権利の元に平等が齎される。グランダルトは生まれ変わる。
その世界に至る為に、旧世界の遺物を絶やし尽くし、焼き尽くし、殺し尽くす。我々自身さえも。
我々は決して退けない。もうその地平は超えてしまった。
最後の警告だ。そこをどけ、第三課。」
マレットは唇を噛む。戦後の治安維持を考えるならば本気で撃ってこないだろうという前提が彼女にはあった。その前提は間違いで無いだろうが、思った以上に近衛らは本気だ。
無駄死にするわけにも、させるわけにもいかない。ここらが潮時だろうか。時間稼ぎすら叶わないならばいっそ、放送局に迫撃砲でも撃ち込んでしまおうか。
引き金を引くのに力はいらない。指先一つの力だけで相手のすべてを奪えるように進化した暴力の究極形、それが銃だ。
しかし、一つの暴力の下には百万千万もの思案が積み重なっている。それはあまりに重く、深く、そして遠くにあった。
言葉はその境界を軽々と超えてみせる。人類が得た最大の力は言葉だ。暴力より簡単に人を殺すそれは、同時に人を人たらしめる人間の本髄なのだ。
 
―――!
 
あまりに唐突に、一発の銃声が響いた。兵士が緊張に耐えかねて撃ったのではない。明確な意志を持って放たれた射弾はフィンの額を掠め、石畳に跳弾する。
「んー?やっぱ射撃用に調整されてないと駄目かァ…」
フィンは自らの目を疑った。数刻前に死闘を演じ、散弾で腹を吹き飛ばしてやった敵が目の前で、硝煙くすぶるカラビナを構えているのだから。
 
「貴様…確かに殺したはず…。」
 
耳目省のウェットワーカー、ソゲルと彼女に率いられた耳目省執行部の実働部隊が続々と闇から姿を表す。
 
 
「それは前任者でしょ?私は"お喋り"な個体。始めまして、叛逆者の皆々様方。」
 
 
 
                     15月30日 01:30
人は惨事の例えに地獄のような、という句頭を好む。そもそも本物の地獄を見たことのある人間がどれ程いるのかは不明だが、この日の帝都は地獄の様と言って欠缺無いだろう。
各省庁の襲撃、軍港の爆破、それによる地盤崩落と火災は無数の死者を増産し、ずたずたにされたインフラは助かるはずだった命をとりこぼす。三次被害―――つまり、混乱の最中に引き起こされる犯罪は警察機構が余力の全てを投じ、かろうじてだが許容範囲内に抑え込んでいた。
地獄の業火の中、歓喜に打ち震え、満面の笑みを浮かべるものがいれば、人はそれを悪魔と呼ぶ。
例えば名門貴族アマトリ家次期当主、リュリ・フォン・アマトリがそれだ。
 
「クレヴィン伯爵領の徴税権と財産の25パーセント、アネストラ公爵の美術品コレクションと別荘と、あと…。」
 
彼女はラッツェンローゼのサインが入った誓約書の束を一枚ずつ丁寧に読み上げ、悦に浸っていた。クーデターが成功した暁には、臨時政府が没収した門閥貴族達の財産の一部の管理任せる―――近衛騎士団との密約により約束された"ご褒美"の一覧。これらと引き換えにクーデターに政治的側面で協力し、門閥貴族側とのパイプを構築したのは彼女であった。
アマトリ家は帝國でも古株の名門貴族であったが、領地や艦隊は殆ど持たない。それでも大貴族と同等の特権を与えられているのは、優れた公妾を輩出する家として重宝されたからである。アマトリの名を持つ女は自らを極限まで磨き上げ、寵妃に選ばれんと帝宮へ飛び込む。普通の貴族家は男子を望み、武功を挙げ名をなすことを至上とするが、アマトリ家はその対極と言って良い。
"金縁の娼婦"と陰口を叩くものも少なくないが、宮中の陰謀にこれ程長けた家は他にない。
 
「その・・・なんと言うか、随分と吹っかけましたね。」
 
その横で微妙な愛想笑いを浮べる女は蒼と白、そして黒で織られた軍服を纏い、装飾の入った剣を携えていた。右胸のティルネイ・オリョールは、彼女がネネツ自治領の人間であることを示している。
オルガ・ベルスキア特命全権大使はネネツ大使館が撤退の準備を進めている傍ら、ノイエラントにあるアマトリ家のセーフハウスの中でソファに腰掛けていた。彼女の任務はクーデター完遂まで帝國内に留まり、ネネツの政治的楔となることであった。その若さに似合わぬ全権大使の権力もその為に与えられたもので、大使館撤退後には帝國内唯一のネネツ高官となる。
 
「あらやだ、慈善事業で国家転覆に加担するわけないじゃない。」
 
ヴィンテージのラ・ガレアーゼをあおりながらリュリは意地悪な微笑みを投げかける。
 
「あのおっぱいちゃんは門閥貴族を残らず解体して土地、財産を全部没収しちゃうでしょ?せっかくお墨付きを貰ったんだから貰えるだけ貰うわよ。革命に協力した有志なんて称号だけじゃごはん食べれないわ。」
 
ご褒美に釣られてクーデターに参画したと言うのなら、ネネツだってそうだ。来たるべき新時代の為に、今頃本国艦隊が出撃準備を完了して待機しているだろう。
 
「数百年仕えてきた主人を討つと言うのに随分と落ち着いているのですね。」
 
オルガはなんとなくこの女が気に食わなかった。クーデター成就にはアマトリ家の協力が不可欠であったし、オルガ自身もリュリの監視という名目でセーフハウスに匿われている。言うなれば恩人とでも言うべき人間なのだが、それら全て理解した上でどうしても好きになれない。
帝國が隆盛を誇っていた時、この女―――もといアマトリ家はその下で甘い蜜を啜っていた。今度は一転してその帝國を討ち、自らの富を手放すまいとしている。オルガの性格が、そして長年に渡り苦渋を舐め続けてきたネネツ人としての思いがリュリ・フォン・アマトリを嫌っていた。
 
「毒」
 
唐突にリュリが口を開く。オルガは完全な不意打ちに対応できずにきょとんとする。
 
「馬具への細工、狩猟中の暴発、空中船の墜落。でもやっぱり一番は毒ね。」
 
「一体何のことです?」
 
「宮中での暗殺よ。銃声は無いけれど帝國宮中は常に戦場だった。宮廷貴族だって遊んで暮らしてたワケじゃないの。軍人である貴方には、どうして銃や爆弾を使わないのか理解出来ないでしょうけど。」
 
毒や事故偽装、即ち暗殺の手口だが、狭密な宮廷内では犯人を隠す必要など無い。被害者との関係から犯人は分かりきっているからだ。それならいっそ、決闘でも申し込んでどちらかが死ぬまで撃ち合えば良いのに、とさえオルガは思う。
 
「不意打ちで確実に殺したいから、ですか?」
 
「甘い、甘いわオルガちゃん。理由は銃や爆弾には品性が無いからよ。宮中じゃ人死だって風情の一つ。謀略と嘘は貴族の嗜み、詩や器楽や狩猟と同じ、一種の戯れね。人殺しにすら品性が求められるのが宮中なの。なら裏切りだって世の常になるのは必然でしょ?」
 
きらびやかな金装飾、大理石のタイル、最高級の硝子細工に調度品。それら全てが、自らの特権と財産、地位の優越を獲りあう歪んだチェス盤に過ぎない。
その世界で生まれ、育ち、そして勝ち抜いてきたのがアマトリ家なのだ。
リュリはオルガの顔を真っ直ぐ見つめる。オルガはその淀んだ、それでいて美しい瞳に気圧される。底なし沼のような奥行きと、極限まで研磨された宝石のような輝きが同居したその瞳に、妖艶という言葉で表すべき美しさをオルガは認めた。
 
「特に後宮は女しかいないから容赦ないわよォ。互いに喰い合う蛇の群れって感じ。オルガちゃんじゃすぐヤられちゃうわね。」
 
「自分は軍人です。互いの背に刃を突き立て合う世界なんて御免です。」
 
「私あなたのこと好きよ。強かなカタブツって感じ。素敵な矛盾だと思わない?」
 
リュリはヴィンテージをグラスに注ぎ、オルガへ手渡した。オルガはグラスを受け取り、赤黒いワインを通してリュリを見つめる。
 
「毒ですね。」
 
「そんなもの入ってないわ。」
 
「酒じゃなく、貴女がですよ。」
 
 
                      15月30日 02:53
帝都第一特区、すなわち金持ちの街というものは歴史上消えたためしが無く、居住空間によって人は自らの優越性を確認する。やや小高い丘を囲むように林立する居住塔には上下水道が完備され、意匠を凝らしたテラスが空中回廊により結ばれていた。ノイエラントに次ぐ清涼な空気は、横隔膜を応用した巨大なふいご、その効果を高めるべく計算し尽くされたビル風の誘導路の賜物で、ガスや重酸霧とは無縁な生活を約束する。
耳目省の小間使いとして第一区の警備を命令された南パンノニア軍警シル・スーニ・シギスタンは目の前の狂人二人をどの権限で殴打するべきか考えていた。
 
「とにかく話を聞いてちょうだい。いい?ここの地下で皇帝艦が起動準備に入ってて、このままじゃ何百人と死ぬの。だから門を開けて!」
 
「百人死のうが百万死のうがどうでも良いんですけど、せめてラボには通してくださいよ。」
 
耳目省からはいかなる権限を持つものが相手でも決して区内に入れるな、と厳命されていた。目の前の女が突き付けてきた警察手帳は確かに本物だったが爆発のショックで錯乱したのか言動は癲狂患者のそれだし、研究員に至ってはまともに話が通じない。
 
「どんなセキュリティクリアランスがあろうが第一区は完全閉鎖だ。わかったらとっとと帰ってくれ。」
 
交渉は無駄だとエリスは悟った。立場が逆ならば自分だって絶対に信用しない。証拠の一つでも見せれば話は済むのだが、そもそも実在するか否かの証拠を掴むために侵入を試みているのだ。
しかし、南パ軍警まで巻き込んだ蓑の中でなにをしているのか、都市伝説がいよいよ現実味を帯びてきている。
 
「もういいわ、行きましょう。」
 
諦めたわけでは無い。これ程大きな都市ならば何かしらの抜け道があるはずだ。
 
「通気口とか無いの?地下にでっかい戦艦埋めてんでしょ?」
 
「あるにはあるんですけど望み薄ですね。地表近くに滞留するガスを避けるために塔状になってますから侵入はまず無理です。」
 
「他に出入りできそうな場所は?」
 
「あー・・・下水道なら通ってますね。」
 
都市工学を学んだエリスにとって、下水道が盲点にあったわけではない。それでも、あくまで最終手段にしておきたかった。
拾い物の鉄パイプをバール代わりに、マンホールをこじ開ける。
一切光のない黒色がぽっかりと空き、異臭をもって侵入者を歓迎する。ハシゴを降りきる頃には外界の光は届かなくなっていた。
 
「ライト持ってる?一つじゃ足りないかも。」
 
「ありますよ。半永久的なやつ。」
 
イバの手元に握られているのは10センチほどのカプセルで2つの外殻を開くと強い緑光を放った。どうみても我々の世界のものでは無い。
 
「見るのは初めてですか?北側の発掘品の一部を弄ったものです。詳しいことは我々の科学力ではわかりませんが、クリスタルに似た物質のようです。」
 
「爆発したりしないでしょうね?」
 
「せいかーい!長時間使うと凄まじい熱を持ちます。それ以上使うとやばいですね。」
 
「離れて!お願いだから離れて!」
 
イヴァは裾を持ち上げながら、アリスは軍靴でヘドロを踏み分けながら奥へ奥へと進んでゆく。側溝から雨水を誘導する為の孔が通気口替わりになっているため、汚いものではあるが空気は供給されている。
下水管内に塗りたくられた耐腐性の塗料はすっかり剥がれ落ち、固着した汚物がそれに取って代わっていた。際限なく拡大される帝都の足元がこれでは限界が見えている。いっそのこと全部消し飛んだら再建が楽なのに、あくまで都市工学的観点からエリスはそう信じていた。
 
「長いですね…肺が破裂しそう。」
 
「まだ数百メートルも歩いてないわ。技術屋に体力を期待するのは酷かもしれないけど頑張って。」
 
進むに連れて足元が軽くなっていた。堆積したヘドロが減り、踏み固められた地表を歩いているのを感じた。分岐路が増え、アリの巣のように横穴や十字路が絡み合う様は地下水道と言うには余りに大仰だ。天井は段々と高くなり、電灯すら散見される。一体誰のために光を放っているのだろうか。
 
「ねぇ…エリスさん…少し…」
 
「静かにッ。明かりを消して。」
 
複数の人間がバシャバシャと走る足音をエリスの耳が捉えた。二人は物陰に隠れて音源を注視する。
一個分隊ほどの兵士たちが目の前の分岐路から走り出て、奥の暗闇に消えていく。一瞬だが、艦隊勤務者の軍服と帝国空軍の徽章が見えた。
 
「へぇ、最近の配管工は随分と物騒になったのね。」
 
「多分、皇帝艦の乗員でしょうね。」
 
「おいおいおい、なんだよこりゃ。」
 
エリスとイバは同時に顔を見合わせ、そのまま振り返った。その声は間違いなく後ろから聞こえていたからだ。
二人の目の前に立っていたのは先程の南パ軍警だった。
 
「あ、さっきのわからずやさんじゃないですか。」
 
「いやに素直に帰ったのが怪しくてな、こっそり後をつけてたんだが…」
 
「下水道を進んでたはずがいつの間にか要塞内部に居た、って感じでしょ?」
 
エリスは全てを打ち明け、協力を願い出た。
 
「信じがたいが、こうも立派な地下施設を見ちまうとな。」
 
「決まりね。私はエリス、こっちはイバ。あなたの名は?」
 
「シル・スーニ・ニギスタン。証拠を掴んでとっとと脱出しよう。」
 
警官、研究員、異国軍警の奇妙なトリオは皇帝艦の入口を目指して奥へと歩みを進め、装資材搬入用の大扉にぶち当たった。
イバは大扉の横にある通用口にマスターキーを押し込み捻る。分厚い多層装甲板で組まれた扉を三人係で無理やり押し開けた。扉の先は巨大な吹き抜けに掛けられたキャットウォークであり、皇帝艦に繫がる無数の通用門の一つだった。無数の作業員、巨大重機が忙しなく動き回っているが、地下空間を丸ごとぶち抜く皇帝艦の巨体に比べれば塵芥となんら相違ない。
 
「これが皇帝艦…まるで街で船を組んだみたい」
 
「まだ端も端です。全1726区画からなる世界最大級の戦闘機械ですから。」
 
「機械工学から言わせてもらおうか、下品だが荘厳だな。」
 
都市工学、生体技術、機械工学の専門家はみな息を呑んだ。
無数の重火器と馬鹿馬鹿しさすら覚える装甲板は巨大なシステムの表層に過ぎない。これ一つが要塞であり、城であり、艦隊だった。
キール、デッキ、シャフト、全ての縮尺が狂ったそれは見るものを巨人の国に迷い込んだ小人に錯覚させる。
けたたましいサイレンと共に帝國国家がスピーカーから流れ出し、三人をうつつに引き戻す。
 
"""起動プロセス第四フェーズに移行。艦内勤務者、陸戦隊は搭乗用意、作業員はシェルターへ退避してください。第122から第301ゲートは逐次ロックされます。"""
 
「あ、いけない。マニュアルいくつすっ飛ばしたんでしょうね。夜明けには起きますよこのバケモノ。」
 
「そんな!今更警察が動いたって間に合わないじゃない!」
 
「それより脱出だ。このままじゃ生き埋めになるぞ。」
 
エリスは思考の濁流の中に溺れつつあった。協力要請どころか警察署に戻るだけでタイムオーバーだ。何か手はないか、第一区の数千にも及ぶ住民に一度に避難命令が下せる場所は―――
 
「帝都中央放送局!」
 
三人は来た道を踵を返して走り出した。ヘドロもなにも最早気にならない。脚の筋肉が悲鳴を上げても無視して決して速度を落とさない。幸運なことに、地上に駐機してあった浮遊車は盗まれることもなくそこにあった。マンホールの梯子を登りきって浮遊車に飛び乗る。
 
「急げ!中央放送局はクーデター軍と体制側が睨み合ってると無線機が騒いでる!」
 
「掴まって!飛ばすわ。」
 
イバが調整した浮遊車は冗談みたいな加速で飛び出す。直後、地響きが三半規管を打った。
 
「何!?」
 
「さっきね、あのライトの蓋を半開けにしたまま皇帝艦の外殻に貼り付けたんです。対消滅起こして装甲板の一部を消失させたはずですよ。時間稼ぎにはなるかもしれません。」
 
「ははは!やるじゃないかモヤシ!」
 
街頭、煉瓦壁、標識、人間以外の、道にあるもの全てを弾き飛ばし最大速度で国道を突っ走る。放送局までさほど遠くないので、直ぐに特徴的なアンテナが目に入った。
そして、その真下で行われる銃撃戦も。
 
「もうおっ始まってやがる!止まれ!」
 
「制御不能よ!イバ、貴方何したの!?」
 
「セッティングがキツすぎましたかね?」
 
放送局敷地のフェンスと石壁を突き破り、銃火煌めく放送局正面に突っ込んでゆく。暗がりに慣れた瞳がマズルフラッシュでくらむ。
 
「バカ、止まれ!ブレーキ!ブレーキ!」
 
「畜生、ハンドル効かないのよ!」
 
 
 
                        15月29日 23:42
弦楽器の優雅、管楽器の流麗、打楽器の荘厳、それらをただ2つの腕で束ねる指揮者。グラン・フィル幻奏楽団は南半球最高の無形文化財としてその名を知らるフル・オーケストラだった。開発されたばかりの機械式蓄音機と音盤は旧来のそれより遥かに音質が良い。
 
「"偉大なる新時代"、ヴァン・フュルスト。」
 
書類上破棄とされている地下倉庫の中を埋め尽くす無数の金塊。その黄金の山を背にして協奏曲に聴き入っている女は特務委員会幹部、ユーノ・ミールその人だった。
 
「素晴らしい。完全な複写音盤が焚書の手を潜り抜けて現存しているなんて。そう思うだろう?財務総監殿。」
 
財務総監と呼ばれた初老の男は自らに突きつけられた銃から目を話さずに答える。
 
「用意できた金はこれで全部だ。延べ3000トンのインゴット。概算上は十分なはずだ。約束は果たした。開放してくれ。」
 
「駄目だね。」
 
「話が違う!金の納入が済んだらすぐに家族の元に帰してくれると約束しただろう!」
 
「そう焦りなさんな。"退廃芸術"でも聴いていきなよ豚野郎。」
 
この莫大な金塊は、虫食いだらけの旧経済を一蹴し、臨時政府が発行する新紙幣の貨幣価値を裏付けるためのいわば保証であった。宮廷内の財庫から秘密裏に運び出された金塊は、こうして帝都郊外の放棄された倉庫内に溜め込まれ、特務委員会により厳重に警護されている。
3000トンもの貴重金属を運び出せたのは現役財務総監の"協力"に他ならない。帝作戦決行の数ヶ月前から行われていた金密輸は決行前夜に無事完了したというわけだ。 
引け腰の財務総監は顔を真っ赤にして必死に叫ぶが、その姿に威厳は欠片も見当たらない。
 
「ふざけるな!私を誰だと思っている。本来、貴様ら俗物の小間使いなど―――」
 
「今生きてるだけでも有り難いと思え。なんなら、今すぐに家族に再会させてやっても良いぞ。向こうでな。」
 
ユーノは拳銃のスライドを引き、撃鉄を上げた。財務総監の顔がみるみる青くなる。
 
「おい、私の家族は……」
 
「冗談。今はまだ無事だ。今のところ射殺命令は来ていないから安心して良いぞ。はは、忙しい男だな。今度は顔が真っ白だ。」
 
財務総監は口を閉じて椅子に崩れ落ち、形容し難い表情でユーノを見つめる。対してユーノは一切感情の無い、瞳孔の開いた目で死にかけの男を見下ろす。
協奏曲はなだらかな、管楽器をメインに据えた楽章へと入っていた。貴代の音楽家、ヴァン・フュルストが彼の生涯最後に作曲した『偉大なる新時代』。反体制派として知られていた彼はこの曲を書き終えた直後、耳目省により逮捕された。以後、彼の作品は唾棄すべき退廃芸術として規制、焚書の対処とされ殆どが破棄の道辿った。
 
「見事だ。弦楽器も管楽器も二重の螺旋、人の魂を揺さぶるように調律されている。まさしく神域の技だな。」
 
原盤は数十年前に破棄されている。最新型の蓄音機用の音盤があるということは、当時の音盤や楽譜は何らかの形でこっそりと保管されていたことになる。
 
「あんたのような下衆野郎にも芸術を理解する心はあるらしいな、えぇ?総監殿。」
 
財務総監はユーノの問に応えない。しばらく俯いた後、絞り出すような声で告げる。
 
「どうするつもりだ?」
 
「ん?あんたの身柄はクーデター成功までの数日間まで―――」
 
「違う。経済だ。金は揃えても誰がそれを記録し、管理し、計算し、運用する?経済は巨大な生き物だ。剣や銃のように単純じゃない。武官に管理は無理だ。」
 
「その手の仕事に長けた人間はそれなりに用意している。」
 
「反体制派の地方貴族か?せいぜい一領地の資産と帝國国庫の間には四桁近くの差がある。国庫の金庫番が出来る人間はそうおらん。」
 
先程まで死人のようだった顔は多少血色を取り戻していた。納得しないまでも、彼なりに理不尽を飲み込んだ結果なのだろう。もっとも、自身の権力が保証されていた頃は自分が理不尽を押し付ける側だったのだが。
 
「だから私を登用しろ、と?」
 
「どんな末端でも、下請けでも構わない。私と私の部下、国庫に精通した人間が複数そちらにつく。悪い話じゃないだろう。」
 
ユーノは口角を釣り上げ嫌味に笑う。傲慢と背中合わせの度胸、狂気と背反の闘気。この特務委員会の女はそういった類を好む。そして、贈賄と帳簿改竄で富を貪っていた財務総監は職人気質の男でもあった。自らの仕事、すなわち計算屋の席から降ろされることは彼の魂の死を意味した。
 
「良いな。やはり面白い男だ。一応取り合ってやる。」
 
財務総監はため息をつき、倉庫の暗い天井を見上げた。曲は穏やかなパートを抜け、波乱と革命を想起させる激しい楽章へ突入する。
遠方から爆音が届いた。正確にはその振動が半地下倉庫まで伝播したのだ。
 
「始まったな。上手くやってくださいよ、ラッツェンローゼ閣下。」
 
 
                        15月30日 03:42
放送局前は戦場の体を成し、複数の銃声が交錯していた。突如として現れた耳目省実働部隊とそれに応戦する近衛騎士団、警察は散開したものの、どにらに組するか迷いあぐねたまま動けないでいる。
拳銃を抜いて姿勢を低くしているマレットにアルティチュリが這って近づく。
 
「どうします?あの火線を突っ切って放送局に雪崩込みますか?」
 
「こっちの損害は今のところ無い。焦るな。」
 
警察が味方するべきは耳目省で、あのいけすかない連中に味方して近衛を討つのが正しい道なのだろう。しかし、耳目省の横暴、現帝國の腐敗は近衛騎士団の正義を信じる材料に足る。なにより、ずたずたの姿で銃列の前に歩み出た、あの誇りを信じたかった。
何かが必要だ。近衛を討たずに済む、決定的ななにかが。
 
「耳目の連中、妙な防護服を着てますね。非被弾頭を使う消音銃で貫通は難しいらしい。」
 
近衛の機関短銃は消音効果を高めるための亜音速を使用する。その弾頭に被帽は無く、標的に命中すると弾頭が裂けて体内を食い荒らすというものだ。ストッピングパワーがあり、過貫通を心配する必要が無いので特殊作戦向けの装備だが耳目省兵のアーマーには相性が悪い。現に近衛騎士団は数に劣る耳目省兵に押し込まれつつあった。
耳目省兵は大口径機関銃を際限なくぶち撒け、近衛の減装弾を受け止めつつ闊歩している。機関銃弾には炸裂弾が混ぜられているらしく、目標を外した射弾が民家を砕き、無意味な流血を増産する。
闇夜に燦めく銃火に誘われ集まりだした野次馬にも流れ弾が届き始めた。状況は刻一刻と悪化している。
 
「少佐、マレット少佐。警察法第151条を行使出来ませんか?」
 
「―――あっ!」
 
"帝民の権利と自由を一定範囲内で保護し、帝國の安全と秩序を維持するため、忠誠と義務遂行を基調とする警察の管理と運営を保障し、且つ、能率的にその任務を遂行するに足る行動裁量権を保証する"
持つものが持たざるものを弾圧するために制定されたこの法は、平たく言えば、"人の命の為なら殺人も手段たりうる"とも解釈できる、あまりに歪んだものであった。時の権力者が重箱の隅をつつき、穴を抜けやすいように帝國の法そのものが曖昧で、現場の拡大解釈など日常茶飯事だ。
たまには、我々が利用してやろう
マレットは腕を掲げ銃口を空に突きつけた。銃声に掻き消されぬよう、力の限り彼女は叫ぶ。
 
「現刻を持って任務を一時凍結、臣民の安全確保を優先し、火器の無制限使用を許可する!」
 
「国賊ってそう悪くないですね。」
 
アルティチュリは言うが早いか立膝で小銃を構え、耳目省兵の頭部目掛けて引き金を絞る。亜音速弾に対し優位を保っていたアーマーは被帽徹甲弾に薄紙が如く貫通された。続けての二発目、肩から胸までを串刺しにした小銃弾は貫通することなく体内で止まり、標的を討ち倒す。マレットも拳銃を一弾倉分放つが、弾丸は一発も命中することなく夜闇に消えた。
 
「ヘタクソ!」
 
「わかってる!」
 
どの道、拳銃弾程度では当たっても効かないのだ。この乱戦、今の失態を目撃したのがアルティチュリ警視だけだと願おう。
軍警が遮蔽物から立ち上がり一斉に火線を開く。爆片や拳銃弾を完全に防ぐ防護服も至近距離からのライフル弾には耐えられない。正面に近衛、側面に軍警を迎える耳目兵は十字砲火を浴び、歩みを止める。
 
「敵が乱れた!斬り込むぞ、総員抜刀!」
 
フィンは役立たずの消音火器を捨て、腰の長刀を引き抜き叫ぶ。各々の銃剣とサーベル、抑反射処理を施された刀身が鈍い光を帯びる。
持てる限りの手榴弾を投げ込み、硝煙を煙幕代わりに間合いを詰める。
自動火器、手榴弾で攪擊してからの白兵斬り込みはアーキル連邦軍の十八番だった。
只の斬撃は通らないので、体重と全力疾走の勢いに乗せて貫き通す。爆煙の中から突き出される切っ先は耳目兵のいくらかを討ち斃した。
 
「国賊共は撃ち殺されるより斬り殺されるのをお望みかな。」
 
ソゲルは不得手なカラビナを放り、フランベルクを構える。炎が波打つような刃を持つこの剣は斬り口をズタズタにし、止血を不可能にする。
近接用に"調整された"型式のソゲルは瞬く間に近衛兵二人の頸を斬り飛ばし、流れるように乱戦へと飛び込む。舞踊と見紛う程滑らかな動きで更に二人を仕留め、フィンと対峙する。傷の塞がっていないフィンに勝ち目が無いのは明らかだったが、それでも彼女は血の気の無い腕で長剣を握る。
 
「フィン・マイアット近衛騎士団千人隊長、貴官を国家反逆罪で処刑する。」
 
振り上げたフライベルクが強く輝いた。何かの光を強く反射したのだ。
 
「バカ、止まれ!ブレーキ!ブレーキ!」
 
「畜生、ハンドル効かないのよ!」
 
状況を理解する前に、ソゲルは高速で突っ込んできた浮遊車両にぶっ飛ばされた。ヘッドライトに照らされたフライベルクが石畳に落ちる。浮遊車は制御不能に陥ったまま、近衛兵、耳目兵を無差別になぎ倒し着底した。
 
「車泥棒の次は過失致死傷罪…懲戒免職ね…。」
 
「良いじゃないですか事故は起きるもんです。」
 
「おい、ここは戦場のど真ん中だぞ出ろ出ろ!」
 
ベコベコの浮遊車から南パ軍警、白衣の女、警察官がなんとか這い出てくる頃には砲火は収まっていた。耳目兵は死体に融解処理を施して撤退し、ソゲルも行方をくらました。
半分にまで撃ち減らされた近衛兵は再編に、軍警は野次馬の処理と負傷者の手当に奔る。
エリスはそんな中フィンとマレットに正面から告げる。
 
「帝都中央放送局を使わせてもらいます。住民に避難放送をしないと。」
 
「何がどうなってる?」
 
「手短に言えば―――」 
 
事実を聞かされたマレットは大急ぎで第三部に帝警の全権掌握と実働小隊の出動要請を出し、フィンは近衛艦隊を帝都上空に展開するようラッツェンローゼに通信を繋ぐ。
治安などの沙汰に収まらぬ厄災が降りかかろうとしている。麻痺から復旧した警察機関は持てる全力で市民を避難させなければならない。帝都中央放送局は全区に避難勧告を流し始める。
近衛艦隊は代謝を上げ、最大船速で帝都に向け離床した。近衛艦隊だけではない。属領から、辺境伯領から、ネネツ本国から生体器官の唸りが響く。同じ国章を掲げた同型の戦闘艦が、仰ぐ御旗を異として帝都を目指していた。
 
                      15月30日 05:30
もうじき夜が明ける。
空は紫と朱の間隙を闊歩し、厚雲が日の光を湛えて赤みを帯びる。昇る朝日は人類の事など歯牙にもかけずに輝くだろう。かつて、旧人類が迎えた審判の日。あの日も朝日はいつもと変わらぬ笑みを投げかけた。中性子により分解されたヒトの成れ果てと、融解した有機テクタイトの塊たちに。
いつもと変わらぬ朝日が、いつもと変わらぬ光が、帝國の審判の日の訪れを告げようとしていた。
永い永い夜が明ける。より永い一日を始める為に。
最終更新:2020年01月01日 00:24