『恐怖覚醒』

 操舵手ヘボンの受難#41 『恐怖覚醒』

 

 雲間から僅かに差し込む月明かりに照らされ、三機のコアテラはレリィグの頭上を飛び去り、青黒く発光するように見える草原の上を飛ぶ。
   ヘボンは急場凌ぎに取り付けられた松葉杖の様な補助装置で、足下のフットペダル操作に早く慣れようとしていたが、事はそう容易に済みそうに無かった。

 「蓋から鍋へ。東の丘へ機首を向けるんだ。そこから取る」

 悪戦苦闘するヘボンの耳へ、ニベニア准尉からの通信が入ってくる。
   言われた指示通りに機首を向かせれば、少し急な方向転換に驚いたのか、銃座の方からヨトギ少年の小さな声が聞こえた。

 「あの丘はこの一帯で最も高い、なんとしても占拠し、砲撃観測地点にしなければいけないそうだ。ヘンシェルデ、君が先だ。照明弾を上げてくれ」

 准尉の指示が耳に届いた瞬間に、ヘンシェルデ機は先行して飛んでいく。
   地上からはそれなりの高さがあったが、それでもこの月明かりは憎いまでにコアテラの姿を地上部隊から鮮やかにまで光らせてしまっている。
 対空兵器を敵が有しているかはわからなかったが、それはすぐに丘の向こうから激しい発砲音が鳴り響いたと同時に明らかになった。
 しかし、ヘンシェルデの機体は相手の反撃を嘲笑うかのように、コアテラをまるで風に舞う木の葉のように翻らせ、その頭上へ照明弾を上げ、悠々と此方へ引き返してくる。

 「どうやら、連中が丘へは先着らしいぜ。ダッカーの改修型を二台見た。おまけに歩兵がざっと二ダース」

 ヘンシェルデからの通信は、まるで隣の夕飯を覗いてきたかのようなまでに暢気であったが、内容は随分と気を揉む物であった。

 「豪勢だね。ダッカーの改修型って、対空機銃でも積んでいるのかい?」

 「わからねぇ。連中はダッカーの上になんでも載せたがる。先に歩兵達に見て貰うか?」 

   「いいや。興味が湧いてきたよ。曹長、君は左から叩け。ヘンシェルデは右だ。動く物があれば片っ端から機関砲を叩き込むんだ」

 ニベニアの新たな指示に、ヘボンは了解の意図を伝えるサインを示し、機体を素早く旋回させた。
   急旋回であったために、銃座のヨトギ少年が多少たじろぐ様子が見えたが、そんなことには構っていられない。
   ヘボンはそのまま操縦桿から僅かに上に備えられた、照準器を跳ね上げ、コアテラの両翼からつり下げられた機関砲へ注意を払った。
   今までに備えられていた噴進砲や一風も二風も変わった夜虫弾等と比べれば、機関砲は純粋且つ強力な兵器に思える。
   ラーヴァナ級の操舵をしていた際には、この手の兵器の発射操作はヘボンの管轄外の物であったが、ここ数週間の内にコアテラの火器操作はある程度飲み込めていた。

 「掃射を加えたら、全速で待避するんだ。レリィグを目標にしてくれ」

 機体が丘の反対側へ回り込もうとする手前、准尉からの通信が耳に入ってくる。
   右遠くにその准尉の機体が見え、前方にはヘンシェルデ機が月明かりと、打ち上げられた照明弾によって照らされている。
   敵に近付いていくという感覚が恐怖と興奮を生み出し、ヘボンは異様な息遣いのままに丘の反対側へと機を突っ込ませる。

 

 照明弾によって強く照らされた丘の反対側には、確かに敵の姿があった。
   しかし、あまりに強い照明弾の光は、敵影を文字通り濃い影としていて、それが対空砲なのか車両なのか、下手をすれば歩兵であるのかすらも判然としない。
   ただ、前方の傾斜に何か集団が蠢いているのだけが見え、そう思った瞬間に銃声と僅かな発射炎が集団から見舞われた。
   ヘボンは眼前に迫る敵影に、怯えたような小さな悲鳴を漏らしたが、それでも指先はしっかりと敵へ向けて照準している。
   そして、此方へ集団が発砲している隙を狙い、ヘボンの右前方より准尉のコアテラが機関砲を発射した。
 歩兵の小銃から響く銃声と比べれば、コアテラに積まれた機関砲の轟音はあっさりとそれを飲み込み、その中で上がった悲鳴すら掻き消したであろう。
 その様子を見たヘボンも准尉に続くように、機関砲の引き金を引き絞った。
   途端に足下と耳元を振動と爆音が襲い、眼下では凄まじい土煙が照明弾に照らされる。
   黒く舞飛ぶ影は土か草か肉かもわからない。
   ただヘボンは撃ったという感覚だけに意識を向け、他のことに思いを走らせる余裕も無く機体を全速で飛ばし丘の向こうへ飛び退る。
   その際にヘンシェルデ機が准尉とヘボンから多少遅れて、地上掃射を見舞っている様子が見えたが、その時には彼の機体に地上から応射する様子は全くなく、沈黙している世界へ、駄目押しとばかりに射撃を加えているように見えた。

 

 「次は西の友軍陣地を援護する。急拵えの野戦陣地へ戦車凡そ二個小隊が迫っている」

 東の丘への掃射を終え、瞬く間に機体がレリィグの頭上へと近付くと、准尉の通信が矢継ぎ早に入ってきた。

 「今度は僕が先頭だ。二人は後ろに付いてくれ。此方が撃った場所へ続けて撃ってくれ。狙いは付けなくて良い」

 彼はそう言うと機体を反転させ、機首を西へ向けた。

 「それより、ボイレゾヌの奴はどうした?!一緒に飛んでるんじゃないのか?」

 三機のコアテラが鏃の様な陣形を取る際に、ヘンシェルデの声が喧しく耳に入る。
 確かに護衛機である筈のボイレゾヌ曹長のバルソナが、先程から姿を見せていない。
 レリィグより飛び立った際には上空に見えた筈だが、丘を強襲した際から姿を見失っている。

 「彼のことは構ってられない。どうせ、一機だけじゃ囮にもならないさ。僕達は仕事をする他ないよ」

 准尉の声がそれに応えると、まるでヘンシェルデの声に反応したように、続けざまに乱れた通信が入ってくる。

 「──────助けてくれ!狙われてる!」

 通信はまるで悲鳴を上げるような逼迫した様子で耳を掻き毟った。
   ヘボンには此が誰からのものであるか、判りかねたが、准尉がそれに素早く応答する。

 「曹長、どうした?敵機か?」

 「雲から出たり入ったりしてやがる!駄目だ!見えない…」

 ボイレゾヌ曹長の声が悲鳴のように響き、最期に何か断末魔めいた絶叫を残して途絶した。
   それがヘボンを困惑させた。
   昼間に現れたアーキル軍事顧問団が駆る夜鳥が数を整えて再び出て来たのか、しかし、それにしてはあまりに突拍子も無い程に出現した。
   ヘボン達は低空を飛んでいたために補足されなかったのであろうが、護衛機を操るボイレゾヌ曹長は、何故今まで敵機が現れた報告をしなかったのか。
   いや、しなかったのではなく、出来なかったと言うことが、ヘボンが戸惑った矢先にヘンシェルデの声で気付かされた。

 「堕ちてくるぞ!」

 彼の声にヘボンは素早く頭上の銃座へと目をやった。
   そこではヨトギ少年が空を指差して、何やら叫んでいる。
   その指差された方へ目を細めると、闇夜の中をまるで出来損ないの照明弾のような光を放ちながら、炎上して墜落してくるバルソナの機影が見えた。

 「散開しろ!」

 続けて准尉の指示が無ければ、墜落してくるバルソナの残骸に機体が衝突する処であった。 燃え上がるバルソナの残骸はヘボン達のすぐ近くへ落下し、地面へぶつかると同時に砕け散った。

 「奴め、囮にはなってくれたようだ。敵機だぜ」

 ヘンシェルデの何事も無かったかのような皮肉な声が耳に聞こえると、三方に散ったコアテラの操縦手達は銃座手の目を頼りに上空を見上げた。
   先程の照明弾によって中途半端な光が夜空を照らしているが、星と見えた一点が急速な唸り声を上げて急降下してくるのが目に入ってくる。

 「夜鳥だ!低空で待避しろ!」

 准尉の声が聞こえたときには、既にヘボンの前方を飛んでいたヘンシェルデの機体は降下を始めていた。
   薄暗い夜戦において、連なって飛ぶコアテラ小隊は夜鳥からすれば格好の獲物である。
   それから逃れる術は極力地面すれすれの低空を飛んで、相手の射線から離れる事にあるが、その動きを即座に取れる様子から、ヘンシェルデと准尉の場数を踏んでいることが窺える。

 しかし、ヘボンはコアテラを暫く操ってはいても、彼等と比較すれば力量の雲泥の差があるために、その回避機動に若干の遅れが生じた。
   しかも、前者は回避機動に移る間も、上部銃座より敵機へ向けて射撃を加え牽制をしているが、ヘボン機の銃座に鎮座しているのはまともに銃が撃てるのかすら怪しいヨトギ少年である。
   そして、案の定、彼は銃座の上にて敵機の来襲を独特な叫び声をもって此方へ伝えるが、そんなことはとっくに承知している。

 「撃て!撃つんだ!」

 と、ヘボンは銃座へ叫ぶが、ヨトギ少年は何を思ってか、腰に差した曲刀を引き抜くとそれを掲げて、上空の敵機向かって威勢良く叫び返すのみである。
   そんな調子であるから、対空射も行なわず、低空降下の動きが遅いヘボン機は飛来する夜鳥に狙われてしまう。
 闇夜の上より敵機が放った曳光弾が、機体の近くを流れるのをヘボンが見ると、彼は反射的に敵機の狙いを少しでも誤魔化そうと照明灯及び補助灯の灯りを全て消した。
 だが、元より月明かりに照らされているために、相手の目を眩ます効果は無いに等しいだろう。
 一度、射線をかいくぐると、敵機は下げすぎた機首を戻すために、一時的にヘボン機への攻撃の手を休めた処から見て、敵機は紛れもないアーキル軍機でしかも一機であることが考えられる。
 空中にて姿勢制御の利く生体器官機でもしあったら、確実に狙い落とされていただろう恐怖が、ヘボンの背筋に流れるが、恐怖は一向に終わらない。
 次にヘボンはフットペダルが踏めないために無理に連結させられた腕を上げ、操縦桿を左右に捻り込みながら、機体をジグザグに飛ばし始める。
   これはある程度不規則に動かねば相手の照準から逃れられない為に、ある程度の緩急を持って行われるが、強い恐怖心に身体を縛り付けられたヘボンには、このまるで命乞いをしているかのような機体の揺らし方はとても無駄な事のようにも思えた。

 「曹長!もっと高度を下げろ!尻に付かれる!」

 不意に黒い靄に包まれつつあった脳裏を、准尉の通信が解き放った。
   言葉通りに銃座の方へ目をやると、上空に敵機の姿は見えないが、夜鳥のエンジン音は喧しく聞こえてくる。
   敵機は射線を合わせるために機首を上げて調整するどころか、逆に高度をコアテラと併せて本寸法に後部から此方を堕とすつもりなのだろう。
   そう感じた途端に、ヘボンはここ連日に幾度となく感じてきた『狩られる者』の心中へ近付いていった。
   そう近付いていく度に、速度を調整するペダルへ掛かる力は増していき、半ばそれを踏んでいる足も壊れるのでは無いかと言うほどの軋みを上げるが、痛覚は恐怖と興奮によって徐々に麻痺し始めているのか全く気にならなくなっている。
   そして、その恐怖が機体へ伝搬するのか、生体器官の響きは半ば悲鳴に近いものをヘボンの耳に告げ、機体は尋常でない速度を出し始めた。
   ジグザグに不規則な飛行している機体の旋回もそれに連れて早まり、まるで逃げる蛇が執るような軌道を草原の上に表している。
   だが、そんな事などヘボンは全く気付かず、小さい狂気じみた悲鳴を操縦席内にて漏らしながら、機体を必死に操り、精々頭で意識出来ることは准尉の命令通りに『高度を下げる』という意識のみで、下げるには下げたが、既にコアテラの高度は地面と接触するギリギリの位置にあった。

 一歩でも操縦を誤れば、地面と激突は免れない。
   しかし、敵機も相当な腕を見せ、コアテラと同高度にまで機体を下げつつ速度も緩めない。
   本来ならコアテラの速度など悠々と追い越せる性能を持つ敵機なのであるが、この狙いを付けようとしている獲物は半狂乱となって逃げ飛び続け、操縦手の神経を大いに逆なでしていた。
   その為か、幾度か狙いもろくに定めないままに、射線がコアテラの脇を通り抜け、土や草を舞上げて、それが操縦席の空窓へこびり付く。
   やがてヘボンの視界が正面にある丘を捉え、彼は本能的にその丘を越えようと操縦桿を切った。
   機体の速度は依然としてコアテラとは思えないほど早く、すぐに丘を越えると、その先には草原を這うようにして進む3・4台の隊列が見えてきた。

 夜間であろうとも時折、丘の下へ攻撃を加えているのか、隊列からは発射炎が煌めいている。

 (ダッカーだ!)

 ヘボンはその隊列の影からすぐに敵であることを認識したが、つまり自分は逃げ続けている内に先程に通信のあった西の友軍陣地を飛び越してしまったと言う事になる。
   正面からはダッカーの対空射が迫り、後方からは夜鳥が執念深く追いすがっていることが音で判る。
   慌てて旋回をすれば、良い的になる事を理解しているヘボンは生存の為にそのまま前方へ飛び続けた。
   距離が近付くに連れて、敵の隊列からも発砲が少なくなり、後方からの射線も走らなくなった。
   地上の戦車隊もコアテラの後方から迫る夜鳥に気付いた様子であり、あまりに機体に近付いていたためか誤射を恐れたのかも知れない。
   と、すれば今のコアテラは夜鳥に対しては圧倒的に不利であるが、地上の戦車隊に対してはとても有利という歪な情勢が成り立った訳となる。
   撃墜されそうな色が濃厚である状況であっても、ヘボンは先程の准尉からの命令を忘れたわけでは無かったし、此方が戦車隊に対しては有利だという認識が、ある程度の心的な余裕を生み出し、彼は夜鳥に追われている中でも、両翼の機関砲を地上へ掃射し始めた。
   正確に照準をしていた訳では無かったが、ただでさえ地面へ激突しかねない低空飛行では、狙いを付ける必要はなく、逆に地面に当たった弾が上へ跳弾して被弾することの方が気掛かりだ。
   だが、跳弾に対しての気配りまでは慌てていたヘボンは出来ず、半ば自暴自棄のような勢いで引き金を引き絞り、機関砲を見舞った。
   両翼から唸り立つ轟音と振動に、機体が空中分解するのではないかとヘボンは恐れたが、凄まじい土煙を上げる地面の光景に息を呑み、戦車隊の3両ほどを土煙の中に巻き込み、薄暗闇の中で二両から爆音と共に火を噴き出す様を見た。
   運良く弾が戦車の機関部へと命中したらしい。
   だが、戦果を悠長に確認できるほどヘボンに余裕は全くなく、戦車隊の上空を掠めると、夜鳥が友軍の仇討ちとばかりに射撃を見舞ってきた。 
   今度ばかりは助からないかとヘボンは咄嗟に頭上を見上げた。
   最期に己を地獄に叩き堕とす敵機の姿を睨んでやろうかと思った。
   しかし、敵機の姿を見る前に間近に響いた銃声がヘボンの耳を劈いた。

 それは敵機からの物では無く、コアテラ上部に備えられた銃座からのものであった。

 「ヨトギっ!」

 その光景を見てヘボンは叫んだ。
   銃座で先程から曲刀を振り上げて訳も分からぬ事を叫んでいたヨトギ少年が、敵機に向けて対空機銃を操作している。
   彼自身が銃器を扱えるかについて全く期待していなかったが、よくよく考えれば、あれほど装備の優れた馬賊に身を置いている者が全く銃器に不慣れというのもおかしな話で、彼自体は銃を扱うことが出来たのである。

 ただ、昨晩の空中戦においては彼は銃器を扱うよりも、敵機に飛び移ると言った無謀な策を選択したに過ぎなかったのかも知れない。
   しかし、兎にも角にもヨトギ少年の見舞った対空射は、接近しすぎた夜鳥に吸い込まれるように命中し、敵機は瞬く間に火を噴いて、機体の後方へ滑り込むように墜落した。

 「ボンボン!」

 そして、ヨトギ少年は敵機を撃ち落とした興奮に打ち震えてか、また曲刀を掲げては雄叫びを上げている。
   この無謀な少年を称えるべきか叱責するべきかヘボンは悩んだが、危機を救ってくれた彼についてとやかく文句を言うのはお門違いだと、素早く操縦へと専念した。
   必死に逃げている間は意識できなかったが、一旦心持ちが落ち着くと、敵機からの射撃によってコアテラが無傷ではなかったことが明らかになった。
   操縦桿を強く引いても思いの外上昇しない。
   それどころか、若干、高度が下がり始めている感覚すらある。
   これは致命傷程ではないにしても、生体機関部に敵弾が掠めたか、あるいは短時間とはいえ尋常で無い速力を発揮した機関部の疲弊かのどちらかであろう。

 だが、まだ辺りに敵がいないとも限らず、この場で悠長に生体器官部を調べるわけにもいかず、まずは准尉機と合流するために、必死に飛んでいた際に操縦席に落とした受信機を拾い上げ、先頭興奮によって震える手でなんとか装着した。

 「竈より蓋へ、竈より蓋へ」

 随分と震えた口調でヘボンが呼び掛けると、返信はすぐにきた。
   そこには此方が生き延びていたことに安堵するよりは驚いた色がある。

 「やぁ、まだ生きていたかい」

 准尉のヘラヘラした口調が耳に入ってくると、どことなくヘボンは安堵を覚えた。

 「えぇ、なんとか。…夜鳥とダッカーを喰いましたが、機関部を痛めつけられました。准尉殿は無事で?」

 「勿論。曹長が囮になってくれたので大変助かったよ。西陣地の戦車隊は後退している。後は休ませて貰った分、僕とヘンシェルデでやるから、曹長はレリィグで待機してくれ」

 准尉の言葉に了解しながら、ヘボンは機体をレリィグへと向けて飛ばし始めた。

 

 レリィグ倉庫部の上部へ機体をなんとか安定させ着陸させると、機体からヨトギ少年の手を借りて降りてきたヘボンを整備兵達が取り囲んだ。
 戦況については通信を傍受して知っていたのか、口々にヘボンとヨトギ少年を称えている。 

 「流石、ラーヴァナの操舵手は違いますね。本当に出来たんですね」

 と、取り囲む整備兵の中で、ヘボンが出撃する際に投げやりな言葉を掛けて送り出した整備兵が話しかけてきた。

 「運が良かった。もうしたくない」

 賞賛とも呆れとも付かない色を顔に浮かべている整備兵に、ヘボンは疲れ切った表情を向ける。先程までの異常な興奮は引いていたが、血の気はまだ戻っていなかった。
   現に彼の言うとおり腕二本と足一本で機体のバランスを保って飛んだ訳だが、降りてみると自分がとんでもない芸当をしたことがなんとなく飲み込めてくる。

 「大丈夫ですよ。粗方、アーキル連中は撤退しているそうですから、今晩はこれで終わりでしょうよ」

 整備兵がそうヘボンを慰めてくれるが、その言葉を鵜呑みにしていいものか、ヘボンは当惑した。
   昼間の激しい襲撃もさることながら、夜間もこうして戦車と戦闘機を繰り出してきたのだ。 ヘボン自身は作戦に長けた指揮官でもないので、考え及ばない分野ではあるが、これで今晩の襲撃を乗り切ったと言える訳が無い。

 此方は既にレリィグをこの草原のど真ん中に止めて、籠城をしているのだ。
   ヨダ地区のど真ん中と言うこともあって、援軍がいつ来るのか、分かった物でも無い。
   となれば、敵はいきなり全戦力を傾けてくるのでは無く、じわじわと此方を痛めつけて戦意を落としに掛かるだろうことはヘボンでも推察出来る。

 しかし、それは整備兵達でも同じ事であり、表状は現状の戦果を喜び、戦意を高めたままにしておきたいと言うことが察せられた。

 「兎に角、先に機体を見てくれないか。生体部の調子が芳しくないんだ」

 ヘボンは脚を引きずりながら、整備兵を連れて着陸させた機体の後方へ回り込んだ。
   案の定、敵弾は生体機関部の表面を掠めていた。
   幸い、銃創と思わしき傷は無いが、それなりに肉を抉られて出血している。
   既にヘボンが操縦席から降りる頃から、機関部の異変に気付いて何人かの整備兵達が応急処置を施している。
   ただ、その様子をヘボンが心配そうに眺めていると、応急処置を施していた整備兵が此方に手招きしてきた。
   重々しくそれに答えて歩み寄ると、整備兵は生体機関部の傷の一部を見せてきた。

 「見てくださいよ、曹長。おかしいですよ、これは」

 整備兵は何か奇怪な物を見るように傷口を見せてくるが、ヘボンにとっては何の変哲も無い傷跡にしか見えない。
   だが、これがどうしたのかとヘボンが口を開き掛けた瞬間、傷口が自動的に目に見える早さで塞がったのだ。
   それは大凡、人間が切り傷でも起こし、それが塞がる事とは桁違いの早さだった。
   掌ほどの裂け傷が開けた口を閉じる程の速度で塞がれた。
   生体機関部は生物であるために、ある程度の自主的な回復が起こることは、ヘボンは勿論見て知っているが、これ程早い物は今までに見たことが無い。

 「…確かにこれだけ早ければ、曹長のコアテラがぶっ壊れないのが納得出来ますよ。正に化け物だ」

 整備兵は感嘆の息を漏らしながら、ヘボンを見た。
   それに対してヘボンはこの機体の生命力に心強さを感じる前に、半ば現実離れしたものを見た感触を覚えた。

 

 レリィグの倉庫内において、ヘボンは待機していた。
   目の前では整備兵達が慌ただしくかけずり回り、機体の応急処置と再出撃に備えての補充を同時に熟している。
   ヘボンはそれを壁際に備えられた椅子に腰掛けながら眺め、傍らには戦況を知らせる通信機の予備と思われる物が指令室から運ばれてきたのか、生々しい生体器官の駆動音と通信音及び雑音を発していた。
   小耳に挟む程度だが、戦況は先程の整備兵が言ったとおり、アーキル部隊が後退して小康状態を保っているらしい。
   何より丘の観測所を奪取して、レリィグからの砲撃が有利に行える点が大きいと思われた。
   それに伴ってベルン軍曹の率いる部隊と馬賊の混成部隊が、地上部隊を推し粗方丘の向こうへ追い返したという通信も入ってきた。

 だが、此方も無傷という訳では決して無く、目の前でヘボンは見たがボイレゾヌ曹長の戦死及び、ベルン軍曹の部隊の他にも出血を伴った部隊は多々ある。

 敵の襲撃に対してある程度の防御を固める事は出来たのだが、敵が今まで以上の戦力を持って攻めてくれば防げるかは難しく。
   誰しも声を大にして言わなかったが、自分達の増援よりも敵方の予備戦力と、黒翼隊の様な機動部隊の登場の方が早いのでは無いかという算段が強いことは明らかであった。

 「歩兵は兎も角、空中戦力があればな…」

 そう口惜しそうにヘボンの横で誰かが呟いた。
   その声にヘボンは振り向くと、ニールが立っていた。
   彼は野戦服に身を包んで、服のあちこちには様々な汚れが付着していた。
   昼間見たときにはエーバに引っ張り出されて戦闘に無理矢理参加させられていたが、まだ生き残っていた。

 「あのバルソナで最期だったのか?」

 ヘボンは彼を見上げながら、煙草は何処かに無いかとポケットを弄った。

 「あぁ、あのよくわからんデブ達は行方不明のままだそうだし、あの墜ちちまったバルソナでおしまいだ」

 「増援の連絡は?」

 「あればお祭り騒ぎだろうぜ」

 弄り当てた煙草を口に咥えようとしたが、ずっと被りっぱなしであった飛行帽が邪魔をした。鳥の嘴のような部分を握って脱ごうとヘボンはしたが、中佐からの忠告を思い出しその手を止めた。

 「司令部の方じゃ、近くに飛んでるような艦船へ片っ端から救援要請を出してるそうだが…どいつもこいつも知らんぷりだそうだ」

 「近衛艦隊とヨダ地区からのが来るんじゃ無かったのか?」

 「それはそれ、これはこれだ。他の連中は面倒ごとに首を突っ込みたくないらしいぞ」

 ニールは煙草を咥えられずやきもきするヘボンを余所に、自分の煙草を咥えて火を点けて紫煙をたっぷりと吐き出してから

 「まだ夜は長くなるぞ」

 と、重々しく呟いた。 

最終更新:2020年01月08日 16:36