砂漠の少女

砂漠の少女

 

「どうだった?」
行きつけの店で夕食の肉パンをかじっている横から聞き慣れた声がした。
「なぁ、俺との仲だろう?」
「今日も同じだ、収穫なし。」

奴が知りたがっているのはあの捕虜の話だ。
1週間前の今日、街の外れにある軍のスクラップヤードにこっそり忍び込み、部品を頂戴した帰りに一人ぽつんと砂漠に立つ一人の異国の少女を見つけたらしい。
地平線まで広がる死の砂漠、ヒグラート。人一人が、それも軽装の女がこの砂漠を横断することはありえない。この砂漠を横断するには空中艇を使う以外考えられないのだから。
そう考えた連邦守備隊たちは奴の言った”少女”を帝国の潜入部隊と判断し、万全の迎撃体制を敷いた。見習い情報士官である私の初の実戦だった。

 

ここは城塞都市メギド。連邦最南端の重要拠点、通称連邦の”鼻”。たかが一人の侵入者だが、それほどの価値のある場所だった。
崖を切り出して作られた威圧感のある城壁が緊張感に包まれる。日が沈んだ直後の澄んだ空。異様に遠くまで見える風景がかえって恐怖感を煽る。
小銃を手に握りしめた兵士たちが今か今かと目を凝らして狙っているしている砂の丘から、ひょっこりと少女が現れた。
「構え!」
号令を出し、兵士たちが一斉に小銃を構えたのを確認すると士官が拡声管を担いで言い放つ。
「そこの女、止まれ!ここはアーキル連邦の城塞都市である。軍民あるいは契約商人以外は許可無く立ち入ってはならない!ひざまずき手を上げろ!さもなくば発砲する!」
暗い静寂の空に拡声管から発せられた声が響き渡る。

10秒ほどの沈黙。
不気味に長く感じる。

少女は。少女はどうしたか。
一向に手を上げる様子もない。耳が聴こえないということはあるまい。
双眼鏡越しに見る少女の表情は明らかに呼びかけに反応している。しかし何かがおかしい。まるで初めて人と出会ったかのような、あどけない目をしていた。

双眼鏡をおろし隣の士官の反応を伺おうと顔を向けると、彼のひげ混じりの口が開いていた。
「あれは…人間か?」
「人間でなかったら何だとおっしゃるんです?」
「よく身体を見ろ。」
もう一度双眼鏡を覗きこむ。今度は少女の顔ではなく身体へ視線を落とす。
彼女には、左手がなかった。それも事故で失ったような欠損の仕方ではない。まるで事故でひしゃげた金属板のように断絶していて、そこからは銅線や管らしきものが垂れている。
そこにいた皆は直感で感じ取った。あの少女は、我々とは違う何かなのだと。

 

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あれから3日がたった。
あの少女は無抵抗のまま兵士たちに連れて行かれ、この密閉された部屋で取り調べを受けている。
「どこから来た」「何が目的か」といった質問はもちろん「そもそもお前は誰だ」「人間なのか」といったものまで少女に浴びせられる。
少女はずっと黙ったままだ。しかしうつむくような仕草は見せず、むしろあたりを忙しく見渡し色々なものに興味を示している。
尋問する我々を意味ありげに注視したり、ペンや時計を触ってみたりと、やれやれ、まるで子供を見ているようである。

私はもともと歴史が好きで、神話となった過去の出来事に関する文献をよく読んでいる。
そんなこともあり、まさにお手上げといった表情をした尋問官から「お前ならなにか見つけられるだろう」とこの少女の取り調べの指揮を半ば無理やり任命された。
その帰りに、3日ぶりに奴にあったのだ。軍の部品を漁っていたことがバレて少女の尋問室の隣で数日に渡り軟禁されたという。自業自得だ。
さすがにおとなしくなっただろうと思ったが、予想とは裏腹に奴は懲りておらず「あの女の子について教えろ」「俺が最初に見つけたんだからな」と毎度毎度合うたびに聞いてくる。
「俺も知りてぇよ」と溜息混じりの返事が自然と口から漏れた。

最初の数日はまじめに少女を取り調べたが、そんなことをしても意味が無いとすぐに気づいた。
彼女はおそらく、我々が知りうるどの言語も理解していない。それどころか彼女が人間ではないことはわかっても、では一体何なのかという疑問すら晴れない。
医師から整備技師まで集めて彼女の身体を隅から隅まで分析したが、一向に答えが出ない。
最終的に、おそらく旧時代のなにかなのかもしれない、という意見で一致した。実際そうなのかもしれないが、我々はとにかく理解ができないものは何かと「旧時代」を理由につけることが多い。あきれたものだ。

「俺、ずっとこれやるのかねぇ…」
だんだん自分がしていることが馬鹿らしくなってきた。毎日毎日一日の大半を言葉も通じない少女に質問を投げかける毎日。
彼女が無害であることを知っていつの間にか護衛の兵士もつかなくなった。これが帝国の工作員だったらどうするんだ、とケチを付ける。
「はぁーっ。俺一体ここでなにやってるんだろーなー。」
誰かに話しかけているわけでもない。ただの独り言だ。
「士官になればある程度安定した暮らしにつけるって言うし。情報士官なら死ぬこともないってね。」
一度言い始めると、恥ずかしさも消えてくる。

こんな生活が何日か続いた。尋問と称して彼女の部屋に入り、愚痴を言う。
最近は「お前はどう思うよー?ひでぇ話だろー?」と自然とこいつに語りかけるようにもなった。
一人で愚痴を言っているのが情けなくて、彼女に話しかけていると思うことで自尊心を保っていたのかもしれない。

 

今日もいつもと同じように部屋に入り、ポケットに忍ばせた甘蜜サイダーを口にする。
夏にしか飲めない貴重なサイダーだ。今年一番の搾りたてのために朝早くから並んだのだ。一服くらいさせてくれ。

「きょうは、しゃべら ねぇのか?」

それはとてもあっけない台詞だった。

「お前、喋れるのか」
「おまえの しぇべってること まねてるだけだ」
「ならなんでずっと黙ってた?」
「がくしゅう してた んだよ ばかやろー」
「あー…あのなぁ、そういう変な言い方まで学習するなよなぁ…?」
「…わかった」
「ちょっと待ってろ、局長を呼んでくる。」

あの時はとにかく気が動転していたが、俺はやはり軍人だった。
反射神経の赴くままに上官へ報告してしまったのだ。
今思えば、あのままずっと誰にも言わずに黙っていれば、俺の唯一の、俺だけの秘密の話し相手になっていたのだろうなと思うときがある。

結局、見習い士官の俺には任せられないということで尋問の任を解かれ、俺は数日間の取り調べを受けさせられた後に共和国へ留学に行かせられた。

 

あれから彼女には会っていない。

おそらく、ずっと会えない。


そのせいか倍率の高い共和国への留学に選ばれても、うれしく感じなかった。

 

共和国行きの定期空船の窓から雲を見つめながら、最後にせめてあの子の名前を聞いておけばよかったなと思うのであった。

 

 

おわり

最終更新:2014年05月27日 20:29