独白 > 懺悔 > 後悔 > 遺言

 はぁ。よし。よし。落ち着こう。大丈夫だ。落ち着け、ハーヴ。ハーヴェー・ウィラシック。

 

 気分は最悪だ。状況も最悪だ。何もかもが最悪だ。でも考えられる。いや、考えられることが僥倖かどうかは分からない。生きていると言うことが、得てして幸運とは捉えられても、良いこととは限らない。

 チクショウ、旨い話だと食らい付いたらこれだ。運が無いにも程があるだろう。

 はぁ、くそ、いや、いや。

 落ち着くんだ、もうこの際、慌ててどうなることでもない。落ち着くんだ、ゆっくり考えろ、今の僕には何が残っている。


 まず、僕は誰だ。

 

 僕はハーヴだ。

 

 ハーヴ分体ユニットナンバー4、試作段階軌道上大型遺物捜索ステーション「フェアリア・トラウ」コアユニット付属、独立型旧人意思判断モジュール。

 よし。考えられる。

 僕という存在についてあれこれ思考できるのだから、ユニットのコア部分は無事だ。僕という自我を保存できるメモリ群は生きている。我考える、故に。ひとまず僕は僕だ。まだ存在しているに違いない。

 管理システム群は……応答しない。多分死んでる。いや、状況を考えれば完全に吹っ飛んでることだろうけど。
 外部観測に必要な機器は総じてオフライン、光学カメラに熱反応センサー、インプットどころかアウトプットすらも残っていやしない。いや、待った。通信は出来そうだ。けど……想定範囲がステーション外二十レウコ精々の短距離波システムじゃあ、救難信号の一つも届かない。

 外部を観測する手段が無い以上、届くシステムの通知のみを判断材料にするしかない。
 もしかすれば、単純にケーブルが切れているだけで、僕の直ぐ傍には研究員やエンジニアがいて、必死に繋ごうと必死になっているかもしれない。僕がこうしてぐずぐずと考えているだけで、状況は全くもって軽微なのかもしれない。そうだ、そうかも。

 ……なんて、言ってられるわけも無いか。被害範囲だけでもそんな可能性が無いことぐらい分かる。

 レポートが残っている。フレームに強烈な衝撃が走った報告。外部熱感センサーが極高温の照射線を捉えたアラーム、不明物体の軌道が急激に変化し、僕らへランデヴーするように接近してきた記録。そして微弱なオクロ反応が上昇しているパターンデータ……データベースに存在しない波長でありながら、しかし類するもの全てに共通するパターンを含むものが記録されていたのだ。

 旧兵器。或いは旧時代のメカニカル。僕の同期か、仲間か、似たもの同士。
 ミケラか、パレタか、他の第三勢力かは分からない。事実として言えそうなのは、そいつが僕らを敵性体と判断し、攻撃を敢行したということだけだ。

 嫌な気分だ。落ち着かない。

 最後に観測できた光学データでは、旧人類、新人類が集積した資料に無いタイプの旧兵器だったということだけしか分からない。画素の荒いフレーム画像では、どのような意図で製作されたのかを推察するのは難しいし、僕はそんなものに考えを巡らせたいと思える状況にない。

 あぁクソ、考えたくなかった。思い出したくなかった。見えないだけで、そいつは僕の傍に居る可能性だってあるのだ。
 僕を狙っているかもしれない。外側からフレームを融かして、バラバラにしようとしているかもしれない。そう考えるだけで、僕は無いはずの背筋が凍るような感覚を覚える。どうにか対処しなければと言う焦りが産まれて、僕を苛んでくる。

 何もできない状況というのは、どうにも苦手だし、嫌いだし、怖い。あの暗闇は僕にとってのトラウマでもあった。ただ待つ。ひたすら、何もせず、何もできず。ただ時間が流れるのを待つだけというのは、現状を打破しようと思う意思に反することでもあり、それが人生の大半を占めていた僕にとっては、実に、死んでしまっても可笑しくないような状況だった。

 今の状況というのは、あの時の絶望をもっと身近に、あの時の感覚をより鋭敏にしたような感覚に近い。僕という存在を殺せる何かはすぐそばに居て、助けの手というのは確かに存在しているものの、現状ではとても難しいこと……かもしれない。確証はない。無いのだ。

 

 現段階の文明であれば、大気圏に物資を打ち上げることなど容易になっている。ステーションは次々に増築され、パルエ外にも拠点群の設営計画が立案され続ける日々だ。対宙兵器の開発も進み、旧兵器の脅威も打ち消されつつある。

 そんな状況であっても、破壊されたステーション群の部品一つのために、不規則な軌道へランデヴーを敢行する機関がどれだけあるだろうか。地表にいるナンバー0のオリジナルコピーや、リゼイに、スウェイア。彼女らは僕を助けようとするだろうか。パラドメッドの研究員達は。大気圏外統合航行管理局のクルー達は、果たして僕を捕まえられるスケジュールを組み立てられるのだろうか。

 確かに僕の部品は高価だ。製造にも時間が掛かる。現パルエ文明が製造できる精密機器の中では、僕の部品が群を抜いている。単一のパーツも各国最高峰の施設で、組み立てに至ってはパラドメッド付属の工場の一角でしか作れないイロモノだ。僕のコピーが配属される先も、旧文明に関するもの、現段階で研究解析、探索、あらゆる指標上で最優先事項のプロジェクトが進行している場所、部署に限られてる。

 

 ナンバー1はパラドメッドの僕がもと居た場所に。

 ナンバー2はテクノクラート中枢に。

 ナンバー3は……アドバイザー兼監視役として、マイク社の統合システム群の一部に。

 僕……ナンバー4は、絶賛漂流中。旧兵器のおまけつき。くそったれ。

 

 いや、それはいい。今は違う話だ。

 

 懸念事項なのは、僕がこのまま宇宙空間に放り投げ出されっぱなしで放置されること……地球を見下ろす……見下ろせもせずにぐるぐる回り続ける人工衛星と成り果ててしまう可能性だ。僕はそれから眼を逸らしきれないでいる。

 怖いんだ。このまま見捨てられるのが。そりゃそうだ、僕だって人間だ。
 ちくしょう、どうして僕ばっかりこんな目に。

 


 信号受信? 何処からだ?

 


 連邦共用周波数じゃない。メルパゼルの周波数でも、統一信号でもない。帝国の生体パルスはそもそも外部モジュール委託だ。生体維持すら困難な残骸の中で使える状態である方がおかしい。

 ……聞き慣れない信号だ。統一性が無い。まるであることないこと、言葉も吠え声もごっちゃにまくしたてているみたいに聞こえる。ノイズも酷い。これじゃあ聞き取るにも……待った。聞こえたぞ。

 クソ、ノイズのキャンセリングは強引に調節するしかない。でも確かに聞こえた。これは統一信号だ。現代のものじゃない。旧世界での統一信号、自身の存在を呼びかけるための最も単純な言語だ。

 聞き取れないか判別できない部分は、各種ローカルの機種へ呼びかけるためのものなのかもしれない。終末期の交流では良くあったことだ。共通のモジュールやプログラムで動くものはあれど、別規格で稼働する機械の方が遙かに多かった。

 どうやって対応したか、もうこれは全てを乗せるしか無かった。
 根本的な技術は変わらない。ただ暗号方式だったり、通信の出力であったり、言語の違いだったりで困難になることも相応にあった。各国……各地域で統一された規格というものはほぼ無理に近かった現状もあって、僕らはそれぞれの言語や手法に対応した呼びかけをすることにしたのだ。

 相手が答えられる言語を探る。答えられる言語があったら、それに応える。
 それによってようやく、互いの持つ規格を知り、それに準じた会話が可能になる……こんな非効率なやり方しか残されていなかったのが、僕の生き抜いていた世界のありさまだった。

 

 まさかこんな場所で聞くことになるとは思っていなかった。

 

 そして僥倖でもあった。僕のモジュール群は製造こそ現代であるものの、内部構造はほぼ全てがオリジナルの模造品なのだ。今は全く使われない旧時代の通信システムも――――僕という幽霊を確立させるためのとんでもない複雑性のせいで――――ハードもソフトも、機構の中にきっちりと組み込まれているのだ。

 僕が現代の機器を扱うためのモジュールやプログラムが外皮に張り付き、僕自身を扱うプログラムがその内側に内包される。そのプログラムは、やはりどの勢力が接触してきても問題ないように、当時に認知されていたあらゆるプログラムへの変換コードを保持していたのだ。つくづく保険というものはあってしかるべき、これは一種の救いであり、僕の備えが――――本来はない方が良いに決まっているのだけれど――――役に立ったという瞬間だった。

 僕はすぐさま返答を返した。向こうがその出力方法を持っていることを祈った。
 繰り返されていた喚きが停止した。再び宇宙の静寂が帰ってくる。

 

 所属を問われた。どう答えればいいんだ。

 

 ……嘘を付こうにも、嘘を付く理由が思いつかない。正直に言うにも、そうする意義が見出せない。向こうの正体は分からないし、もしかすれば先程攻撃してきた旧兵器なのかもしれないし。

 黙ってるのは、勿論良くない。まぁ、試しに話してみるか。僕に選択肢は無いし。


 こちらはフェアリア・トラウ。パルエ中低衛星軌道における探査機器捜索チームとして結成されたグループである。私は独立意思判断ユニット、ハーヴと呼称されたし。


 こんなところか。向こうに取っちゃ見たことも聞いたこともない名称のはずだ。アンノウンとして判断が間に入ることだろうから、無闇に攻撃は……してきた後だった。犯人だという証拠は一つもないが。

 返答が返ってくる。質問だろうか。当機の捜索目的?
 どう返したものだろう。少なくとも旧式――――数千年前のシステムを使う現代人はいまい。大気圏外で独立活動しているグループは国家間、民間においても存在していない。相手が無人機であることは確定してもいいはずだから、彼を変に刺激しないような言い方にするなら……。


 残存、稼働している機構を捜索し、情報の共有、現状の把握を行い、戦略的生存選択の一助とするため。
 こちらに戦闘の意思は無く、情報の共有は任意意思に従うものである。


 こんな感じだろうか。しかし難儀というか、運命と言うんだろうか。僕は何処まで行っても機械という呪縛に囚われ続けて、人間よりも機械と向き合う事の方が多くなりそうだと感じた。

 僕は相手の素性についても訊いてみた。そちらの機能は、目的は、通信を開いてきた意図は。
 答えは素早く返ってきた。柔軟な意思ではなく、無限にも等しい選択肢から適切な言語を無意識下に選び取る方法を採っている証拠だった。彼は無人機である、これは正しいと言えるはずだ。

 彼はどうやら、とある重要拠点を防衛するための半自立型ユニット群の一部らしい。
 目的は、当該宙域の警護。侵入してくる不明物体に対しては、脅威査定の後、適切に処理されるものだという。僕らはその警戒網に突っ込んで、そして脅威だと判断されたのだろう。

 だが見たところ、宙域内に価値があると思しき人工物はなかった。
 彼の反応以外に、返ってくるものはなかった。

 彼の言う拠点というのは、果たして何年前に消えてしまったのだろう。
 それを訊くことも出来ただろうけど、どうにも後味が悪いというか――――見知らぬ機械に対して申し訳なさが先に立って、取りやめた。心の無い機械に気を遣うとは、僕もなかなか、狂人の域に脚を突っ込んでいるのかもしれないな――――僕には機械製の脚も無いし、人というには余りに愛嬌が無いけれど。

 代わりに、どんな場所だったのかを尋ねてみた。

 また答えは一瞬で返ってきた。機密事項だ、と。そりゃそうだ、見知らぬ来訪者にべらべらと喋るほどセキュリティが甘いはずがない。

 


 と思ったのだが、数分後に何やらデータが飛んできた。

 


 通信状況が良くないのか、抜けがそれなりにある。数千年のブランクがありながら、ここまでしっかり稼働していることを褒めるべきなんだろう。僕は地下の薄暗い閉鎖空間だったけど、ここは宇宙線がたっぷりの死の空間だ。耐用年数が違う代物で、彼はここまで動き、判断し、活動できているんだ。

 ……どうやら、ある種の実験場のようだった。詳細は読み取れないが、何かしらの……パルエフォーミングを主題に置いていたのだろうか。環境変貌、適応性、星系外由来生命原種……どんな開発を行っていたのやら、僕にはとんと分からなさそうだった。

 どうしてこんなデータを送ってきたのかは、尋ねたとして言ってくれなさそうな気がした。彼がどんな判断を下したのかを訊くのは、これこそ野暮ったいように感じられたのかもしれない。

 …………。僕は何を考えているのだろう。
僕自身が機械の中の幽霊だからだろうか。もしかしたら、と考えてしまう。そうであってほしいと。


 君の中にも自我があるのかい、と訊いてみた。
 質問の意図が不明、と返ってきた。そりゃそうか。

 

 


 きっと僕は、一人でいることに耐えられなくなっているんだろう。

 

 


 だから彼のことを僕と同じ存在だと思いたがったし、信じたがっていた。同じ独りぼっちなんだと言って欲しかったのかもしれない。見放されたもの同士――――と早合点するのは可笑しいのは分かってるけど――――として、幾ばくかの感情を共有できるんじゃ無いかと……共有したいと、か。

 この心情は、おぼろげではあるけれど、隔離された最初の数週間と変わらないと思う。
 研究所の中の誰かが生きていて、僕に接触しに来るかもしれない。終末を生き延びた誰かが、僕のことを知っていて、或いは覚えていて、助けに来るんじゃないかと。

 リザとの口約束に縋るほかなくなるまでは、僕も現実に希望を持っていた。滅亡なんてあるはずがない、どれだけ絶望的でも、人間ほどにしぶとい種族はないに違いない、何があっても死んでたまるか、終わってたまるか……。

 

 時間という指標が消失していたことがどれだけ正気を保つのに必要だったか、こんな状況になって思い知らされる。
 ログはまだ生きていて、ステーションの破壊から三百四十分しか経っていないことを示していた。外界から遮断され、たったの三百分だ。明瞭な意識、一種の睡眠を取れない環境下――――一秒一秒を克明に認識できる思考状態では、人間のメンタルが持たないことを実感させられる。

 セキュリティの問題上、僕は自発的に電源を落とすことが出来ない。

 擬似的なスリープモードは行えるものの、各種センサーやモニタ、研究員からのレポートのとりまとめや地上とのミーティングなど、僕の分断された意識は必ず何かしらの仕事をしていなければならないのだ。

 システムの管理と監視も仕事に含まれている以上、そして僕という存在が機械の中にある以上、パラドメッド、引いては各地域の研究機関の総意として、僕という存在が「消えて」しまわないように最大限の配慮をしてくれているということだ。僕に必要なのはささやかな電力だけで、極端な話、太陽光発電パネルと電極さえ刺さっていれば、部品が老朽化するまで生きながらえることも出来るのだ。

 まだそこまで、大昔と同等の設備が使えるほど、昔の技術に追いつけてはいない。でも、万一の事が――――それこそ乗員が死亡したとか、船体が破損して、電力網が寸断されたととか――――あったとしても、地上への通信や報告を行えるよう、独立したバッテリー群と自家発電機が搭載されている。

 発電機の燃料は随時補給され、最大六百時間の無整備稼働が行える。蓄電池はステーションと共用することがほとんどになっていたが、全体としては常に六割以上を蓄電しておくようにしていた。ステータスから見れば、自家発電機は何の異常もなく稼働中。接続されているバッテリーは全体の二割程度――――僕の分のキャパは全部残ってるみたいだ。全体残存電力は四割ほど、それだけでも四日は全力稼働できるし、発電機から流れ込む余剰電力もあるのだから、節約すれば三倍近くは保たせられるかもしれない。

 無傷の発電機、六百時間。
 残存バッテリー、おおよそ百五十時間前後?

 つまるところは、僕はそれだけの時間を死なずに済むと言うことであって。
 逆に言えば、僕はそれだけの時間を生きていなければならない――――ということでもあった。


 これが良いことなのか、悪いことなのか。
 今の僕には結論づけられない問いだったので、悪態一つでツケることにした。

 

 謎の存在からデータを送信されたっきり、外部からの自発接触はぴたりと止んだ。とはいえどうにも近くを遊泳しているようで、パルスを発してみると直ぐに返答が返ってくるのだ。

 意図を訊いてみたら、脅威度測定において無力と判定され、その重要度から保護をしているのだという。

 保護。保護だ。何千年も何もせず――――少し不名誉な言い方だった、何もすることなく――――過ごしてきて、僕の乗っていた船を爆散させておきながら、僕を保護しているというのだ。

 謝罪を求めるのは難しそうだった。意図が不明、とだけ返ってくるのだ。
 ほとほと、僕はついてない。人生残りの数百時間を、こんなポンコツと――――僕も負けないほどのポンコツではあるけど――――過ごさなくちゃいけないのか。

 保護と言われたので、何処かに連れて行くつもりなのか、と訊いてみる。
 拠点へ移送するために、僕に取り付いてスラスターを噴射していると返ってくる。

 何時間で着くのかを尋ねてみる。
 不明、と返ってくる。不明も何も、目的地までの距離と軌道測定、所要時間は分かるはずだろうに。


 ……拠点が僕らからどの位置にあるのかを、恐る恐る質問してみる。

 

 僕の慎重さを頭頂部から叩き砕くように、

 不明、

 とすぐさま返してきた。

 

 きっとふざけていない。彼は大真面目に、組まれたシステムの意図通りに返答しているだけなのだろう。
 こんちくしょう、と僕はこの中古品をぶん殴りたい気持ちに駆られた。アームの一つも僕には残っちゃいなかったけど、僕は大きく腕を振り回した。

 こいつは事態の緊急性をこれっぽっちも理解できていない。

 お前は僕の船を壊したんだ。そのせいで僕は衛星軌道に吹き飛ばされたんだ。そのせいで僕は地表に戻る手段も、地上と交信する手段も失ったんだ。お前のせいで、お前のせいで、ちくしょう、ちくしょう。お前さえいなければ、お前が、お前が……僕のことを……。

 


 いや、駄目だ。そんなことを考えちゃ駄目だ。
 諦めるな、早計に過ぎるだろう、ハーヴ。僕がこうして稼働し続けているのはそんなことを願うためじゃないだろう。あの時と何も変わらないはずだ、ハーヴ。助けが来るのをじっと待つんだ。僕が今するべきことはたったそれだけだ、もっと楽観的で良いんだ。あの時と違って、この世界には僕の知るものが沢山いて、僕を価値ある存在として見てくれているのだから……。


 余計なことで電力を使うな、ハーヴェー・ウィラシック。それが旧人のすることか。
 生まれ変わったパルエのために、老いたものとして清算を済ませようとした男のすることか。

 僕は努めて、努めて思考を止めるか、肯定的に現状を捉えられるように考えた。
 考える度に、思い返す度に、それが……正しいことだったのか、僕のすべきことだったのかと、輪郭が曖昧になっていく感覚を覚えながら。


 正直に言えば、僕が抱えざるを得ない問題というものが多すぎるのだ――――リストアップするだけで僕の気が滅入ってしまいそうで、敢えて考えないようにしているだけなのだが。

 不安と、悲哀と、絶望と、激昂と、諦観と、楽観と、希望と、億劫と、無力と、無気力と、無常感と……。

 どの感情がどの問題と結びついて、どの問題がその感情を想起させているのか。これがあまりにも絡みまくっていて、考えるだけで疲労してきてしまう状態になっている。八方塞がりのお先真っ暗、埒が明かずに打つ手無しといったところか。手足を縛られて――――実際の所、もぎ取られてるより酷いことになってるけど――――ほったらかしにされた気分とはこんなだろうか。

 

 嫌だ。本当に嫌だ。

 これじゃあまるで、あの時の再演のようじゃないか。止めよう、今はもう考えるのを止めておこう。

 

 


 そうだ、考えるな。落ち着くまで、絶対に、考えるな。
 時間はある。悔しいぐらい、恨めしいぐらいにあるんだ――――。

 

 

 

 

 


 死ぬ。僕が死ぬって、どう言う意味を持つのだろう。


 死ぬことを、僕はどう捉えればいいんだろう。


 死ぬって、どういう事を言えば良いんだろう。

 


 僕は幽霊だ……というのは、もちろん比喩だけど。人間の意識が存在できる機械。機械を人間の身体として当て嵌めるのであれば、これが壊れて機能しなくなった場合、それが死という現象になるはずだ。

 老衰、病気、負傷……自殺。あらゆる要因によって、人は死ぬ。


 僕にとっての病死は、プログラムソフトの不調、或いは回路の不調による自我崩壊だろうか。

 僕にとっての失血性ショック死は、フレームや回路の外部由来の破損による自己保存の継続不可だろうか。

 僕にとっての衰弱死は、長期間のメンテナンス不備による、部品の摩耗による自我の継続不可だろうか。

 僕にとっての餓死は、電力の喪失による機能不全だろうか。

 僕にとっての殺人は、回路をずたずたに切られることや、誰かに電源コードを引っこ抜かれることだろうか。

 僕にとっての自殺は……シャットダウンすることだろうか。

 


 ただ、それで僕は果たして、死ぬのだろうか。

 


 僕が病死したとして、ソフトの再インストール、自我の再構成措置をすれば、蘇生できるかもしれない。

 僕が失血性ショック死したとして、壊れた部品を交換すれば、蘇生させられるかもしれない。

 僕が衰弱死したとして、同じく部品を交換すれば、蘇生できるかもしれない。

 僕が餓死したとして、電源が繋ぎ直されれば、蘇生されたと言えるかもしれない。

 僕が自殺したとして……僕の意思に関係なく、起動スイッチを押されるかもしれない。

 

 

 それは、連続した僕とは言えないかもしれない。
 だったら、僕は死ぬのだろうか。ナンバー4という僕は、ハーヴは。

 一度死んだ僕が再起動したら、それは以前と同じ僕だろうか。
 僕の思考や行動はデータとして記録できる。人間のそれよりも、情報化が容易に出来る。

 それを模倣すれば、それは連続した僕と言えるだろう。記憶の連続性、人格の同一性。
 でもそれをするのは、新しい僕。その僕自身を、同じと言えるのだろうか。

 

 人間だった僕は、数千年前に死んで、骨になって、粉になっている。
 僕は生きていない。意識だけの幽霊だ。

 でも、人間のように死ねる。人間と違って、生き返れる。残機がある。作れる。

 オリジナルと、コピー。振る舞う主人格は同一。経験の差は、僕らを固有の人格として成長させるのだろうか。

 一度きりの人生でも、その中で起こる沢山の出来事をぶつ切りにして、有るものと無いものに分ける。
 重複がないように二人の人格に与えたら、違う振る舞いを見せるようになるかもしれない。

 僕という存在は、果たしてどこまでを言うのだろう。
 変わりゆく僕の中で、何処までの許容値を持ち、僕と言えるのだろうか。


 いいや、その視点でいけば、僕はどこまでも僕だ。
 知りたいのはそこじゃない。その「僕」のなかで、固有になった僕という存在は……消えてしまうのだろうか?

 

 

 

 

 


 思考を止めたくても、僕は眠れない。
 僕にとっての眠りは、決して同一の存在として起きられない可能性――――死と同義だ。

 

 僕は眠れない人間になっている。眠ると死ぬが、同じ意味を持つ存在になっている。

 死ぬことと、眠ること。スリープと、シャットダウン。

 僕はそれが同一になってしまった。僕は眠れない。僕は死ねない。

 一度眠った僕は、眠る前の僕と同じと言えるのだろうか。
 一度死んだとしても、僕は目を覚ますことが出来るのだろうか。

 

 人間という肉体がなくなるだけで、死生観も、倫理観も、何もかもが適用できなくなる。
 僕は人間の意識ではあるけれど、置かれている環境や――――いわゆる生きやすさ、死にやすさが異質なものに置き換わってしまっている。死ぬ条件というものは大して変わっていないのかもしれないけど、でも、この恐怖、この違和感、言語化しにくい感情の起伏というものは……僕だけしか理解できないものだ。

 オリジナルだけだった頃、僕もオリジナルの一角だった頃は、それがとても素晴らしいものに思えてた。

 だって、そうだろう。僕自身が幾らでも増やせるんだ。同時にあらゆる場所に存在できて、その場にいなければ見られない実験や実証、研究成果を拝見することが出来るんだ。データを同期させれば幾ら増えても記憶の不整合は起きない。起きたとしても、会話なり再接続なりのコミュニケーションさえ取れればどうとだってなってしまうのだ。もしもの時の保険にだってなる。メリットしかない。

 こういう風に、もしもの事態が起きたとしても、世界から僕という存在は居なくならない。最後の一人が潰えてしまうまで、僕という存在は世界から消えない――――死なない。

 消えてしまう方、欠片の側になるなんて。そういう時が起こるなんて、考えられなかった。

 ちくしょう、僕は馬鹿だ。大馬鹿だ。残機が増えたって死ぬのが怖くなくなるわけじゃないんだ。僕が何人もいるからって、楽観的になんかなれやしないんだ。僕は馬鹿だ、間抜けだ、どうしようもないクズだ。


 あぁ、怖い。怖いよ。死ぬのがこんなに怖かったなんて。消えてしまうのが、こんなに恐ろしいことだったなんて。僕は怖くて怖くて、だからきっと僕のコピーを創ろうとして、創って、これで怖くないと信じたかったんだ。

 ……死ぬときにはこんなに辛く悍ましい恐怖に弄ばれるのに。それはどうあがこうと変わらないってのにだ。僕は臆病者だ、愚か者だ、どうしようもない、どうしようも…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 電源が切れないのが、恨めしい。


     もう嫌だ。死んでしまいたい。

 


 助けなんか来ない。


     僕のエネルギーが尽きるまでに、助けなんか来ない。

 

 待ったって、助かる保証が無いんだ。

     何時間後? 何日後? 何週間後? 何ヶ月後?


   僕が生きてる間に、僕の所に来てくれる確証なんてない。

 最後の最後まで、死にたくないって考えながら生きながらえるのはゴメンだ。そんなのしたくない。

 

 

 

 ……あぁ、死にたい、死にたい、死にたい! 死にたい!!

 

       殺してくれ!! もう嫌だ!! どうにかなりそうだ!!

 

 

   こうなるのなら壊れていれば良かった! 一緒に爆散してさえいれば!!

 

 

 


……おい、おい。おい!

    良いか、良く聞け! 僕は恐ろしい人工知能だ! 狂った仮想人格だ!!

 お前の守ってる拠点なんかに連れて行ったら、なんだ、メインネットワークをハッキングして、大切に守ってた何もかもをめちゃくちゃにしてしまうんだ! 今すぐ壊せ、潰せ、切り刻んでくれ!


   お前の使命を果たせ! できないのか、このポンコツ!

 何が脅威度判定だ、何が脅威無しだ! もし僕に腕があったらお前をボコボコにしてやるんだ! 熱線照射器でもあったら、お前の思考を成り立たせる回路を焼き切ってるところなんだ! こんなのをなんで運んでるんだ、さっさと壊してくれ! でなきゃ大気圏にでも放り込んでくれ!!

 

 


なぁ、なぁ!!

 

        殺せ、殺せ、殺してくれ!!

 

 


 ……なぁ、頼む。頼むよ。もう嫌なんだ。殺してくれ。

 

 

 

 

 

 

 


 死にたくない。苦しみたくない。

 

 これ以上は、嫌なんだ。

 

 

 


 どうしてこんな目に遭わなきゃ行けないんだ。僕が何をしたって言うんだ。

 

    頑張ってきたはずなのに。

 

 

 

 世界が壊れないようにって頑張ってる二人のために、僕が背負えるものを背負おうとしていたのに。

 二度と世界が分裂しないように、旧い考えも束縛も無くそうとしてきたのに。

 

 この文明も、リゼイも、スウェイアであろうとも、誰だって自由に、よりよい世界のために、強制されることなく、自ら選択できる世界であるべきなんだ。

 それが破滅に向かうかは別問題だ。誰もが自発的に課題を見つけ、取り組み、世界のために――――自分たちが暮らす世界や、星系、宇宙のために貢献していく。

 

 生活を便利にする発明も、面白い小説や漫画やアニメや映画を作る活動も、美味しいご飯を模索することだって、世界をよりよくするための人生だ。それでいいんだ。そうあるべきなんだ。


 リゼイも、スウェイアも、僕と同じはずなんだ。
 昔から取り残されて、今を生きられず、未来を形作られている。スウェイアは事あるごとに僕を人間扱いするけれど、僕はただ人間っぽいだけの機械だ。心臓は毎秒数百回転してるし、電気シナプスは人体の十数倍の容量を必要にするし、ただのスイッチ一つで活動が全部ストップするんだ。

 それに比べたら、彼女の方がずっと、ずっと人間らしいんだ。彼女は絶対に認めないけど。

 僕は、僕の過去を知っている。リゼイの過去だって、旧時代の頃は把握してるはずだ。ネタルフィーだって自分自身の製作履歴をある程度公開している――――当然、表に出してない秘密だってあるけれど。

 だけど、スウェイア――――彼女の素性だけは、未だに分からないままだ。

 製作した企業群、開発の意図、創作者の願望、行動理念、休眠していた場所、帝国領内でのあらゆる活動履歴。何もかもが秘密じゃなかったけど、分かっているのはあくまで、世界が見た彼女――――第三者による観測、間接的な情報源でしかない。彼女が自分自身を語ったことなんて一度たりともなかった。

 

 そうだ。怖かった。怖いんだ。僕は彼女が怖い。
 何を考えているか分からない。何をしでかすのか分からない。何を大切に思っていて、何を達成したいが為に動いているのか、さっぱり分からない。

 彼女が世界に働きかけるのは、どれもこれもが第三者の――――創られた使命によって決まっているように思えてならない。彼女の自発的意識を冒涜する言い方なのかもしれないけど……彼女自身が決断をするその価値観が、彼女の自発的意思で、自分に与えられたものを使い続けているようにしか思えない。


 彼女は自分自身を語らない。喋ったところで無駄だし、意味がないし、自分の管理下に置けなくなるとでも思っているのかもしれない。自分は傍観する立場なのだから、他の誰の干渉も受け付けるもんですか、とでも言いそうだ。僕はそんなスウェイアが心底恐ろしくて、彼女が世界に及ぼす影響が良いものには……今も思えない。


 数百年前から、スウェイアは影から文明の抑制を図っていた。

 四賢者なんて呼ばれる僕らの内、最も長く稼働し、活動し、世界に影響を与え続けている存在なのだ。


 彼女ほどに、人間と関わって生きてきた旧文明由来品はない。彼女ほどに、人間と同化した旧文明の遺物は無いのだ。彼女は絶対に認めないし、僕の主観かもしれないけど、彼女はとっても人間らしい……思考や価値判断は人間を超越したものだけれど、そこに埋もれている欲求は、形作られてあれど。


 僕は知っている。知っているぞ。僕を動かすためだけに、リゼイに取り入ったわけじゃないんだろう。

 僕を突き動かすためにリゼイを選んだのは、人間がどう動くかを知っていたからだろう。

 スウェイア、君がニヒリズムに浸るのは、自分自身の生まれを忌避しているからなんだろう。

 

 自分が人間じゃ無いことを、君は良くも悪くも利用しているんだ。

 

 彼女の思考は、リゼイよりも人間らしい。

 人間を操るのだ。知識としても、感情の起伏としても、彼女はあらゆる人間活動に必要な情報を学ばざるを得ない。話し方、身振り、情報の開示の仕方、信用や誘惑の仕方。彼女は人間にして何人分もの人生を歩み、おどろおどろしいほどに歪み澱んだ溜まり場を生き抜いてきたに等しい。文明は人間の集合体だ。彼女ほどに熟達した隣人、人ならぬヒトはいない。

 彼女の思考は、僕よりも機械的なのだ。

 彼女にとっての生き甲斐は、自らが創られた使命に従うことだ。彼女はそれに喜びや達成感すら感じているんじゃないだろうか。どこまでも人間くささが染み付いているくせに、その根幹は血も涙もないメカニカル。自分自身すら、世界をよりよくするための道具にしか思っていないのではないだろうか。

 

 僕は、彼女を理解できない。どこまでも彼女に躍らされているような気しかしなかった。

 もしかしたら、彼女は今も地上で、衛星軌道を漂う僕を見てほくそ笑んでいるんじゃないか。ざまぁみなさい、それが貴方への罰なのよ、とでも吐き捨てているに違いない。


 四賢者の中じゃ、僕が一番の新参者だ。それが大きい顔をしていることが不満なのかもしれない。
 幾ら彼女が仕組んだこととはいえ、こんな僕が人類の手綱を握ろうと思ったのを不快に思ったのかもしれない。

 或いはただ単に、僕みたいな人間が大嫌いなのかも。全部推測だ、分かったもんじゃないし、訊いたって答えやしないだろう。あぁ、クソ。人を小馬鹿にする顔が見える。ちくしょう。

 

 


 僕は、僕は間違ったのだろうか。


 分からない。いや、そのことと今の状況は何も関係ないんだ。これがスウェイアの仕組んだことだったら話は別だけど、そんなことは有り得やしない。決めつけは科学へ向けられる最大の侮辱だ。

 

 ハァ。なんだ、結局、何か考えてたほうが安定するじゃないか。
 そうしよう。考えてたほうが電力消費も多い。馬鹿みたいにぼうっとして死を待つよりも手っ取り早い。思考データログはどうあがこうと残るんだし、僕の精神状況でも記録しておけば、本物の僕が何かに役立ててくれるだろう。それともアレかな、流石にこんなデータを公開したくはないか。主任なんかに見られたら、どう思われたもんか分からないし。


 あの人もあの人だ。パラドメッドに着任してかれこれ半世紀以上。ほぼほぼ私室と化していた研究主任室と所長室、所内のあらゆる研究セクター、提携している各国研究所への視察が彼女の人生の舞台になってるんだから。引退したって彼女はあそこで暮らしてるんだから、死ぬまでずっとああしてるつもりなんだろう。ドルトのこともほったらかして。

 いや、誕生日には色んなもんが届いてるんだったっけか……どれもこれも試作品、研究中のラベルが貼ってあって、決して持ち出したらいけないブツばっかりだった気がするけど。

 彼も彼で、各国家保有特殊技術統合計画、なんていう長ったらしいプロジェクトのオペレーションエンジニアだ。宇宙船が一番槍に挙げられるが、各国の通信設備や配線出力規格の統合化、機械及び生体由来のシステム群の統合管理プログラム、世界を繋げるに当たって、最も重要かつ最大規模の継続的研究を、彼は生涯の仕事と決めた。絶ッ対に母親からの入れ知恵だと思うが、親が親ならってやつなんだろう。ああいう人間がどんな時代でも一人二人いるもんなんだから、心底恐ろしく思える。

 


 あぁ、そうだ、そうだよ。

 君のことだ、リザ。リザ・クレイシー。

 

 君はずっと、僕の知る限りずっと、希代の天才と言われるべき人だった。どうして僕を引っ掛けたのかって、未だに思えるぐらいだ。君が廊下で僕を驚かせて、論文の内容を尋ねてこなかったら、僕はこうしてうだうだと悩み苦しむことさえなかったんだ。君のことだから、リゼイはきっとこの世に生まれてきていただろうけど、僕という存在はあの狭い研究室で終わっていたはずだ。

 運命、なんて希望的な言い方、君が聞いたら大笑いしただろうな。
 でも僕は案外嫌いじゃなかったりする。そういったものに縋らないとやってられない弱虫だからってのもあるけれど、それ以上に、その言葉の持つ力が、神秘的で、複雑で、ロマンに溢れてたからだ。

 でも、君なら絶対に言うだろうね。「これは私が決めたことで、運命なんてものじゃない」って。
 そうだ、君はずっとそうだった。君は運命を創る側だった。自分の意思で突き進んで、切り開いて、やってやったぞって、自慢げな笑顔で笑うんだ。ずっと、ずっと。進捗が上がらず、くだを巻いて、僕に当たり散らしていたときだって、とても楽しそうに、笑っていて――――。

 ――――その笑顔に、君が切り開いてきた未来に、僕はずっと、ずっと、惹かれて。

 僕もそうありたかった。でも現実は、僕自身の努力は、どうあがいても君のようにはなれないと言ってきた。君が遺したのは、文明を護れるほどの、心優しく、人間として生きていけるほどのアンドロイド。対して僕は、意識を遺せるだけの、ましてや僕自身という、人類史においておおよそ価値のない人間の意識入りの筐体。電気で生きていける電子人格としての価値はあるけれど、もっと適任の人格は山ほどいただろうし、「僕でなければいけなかった」必要性など全くないんだ。

 

 ……あぁ。そうだ。僕はずっと、コンプレックスだったんだ。

 ……ずっと君の傍に居たから、君のような彼女が傍に居たから。

 

 ……必要があって遺されて、必要だと認知されて、必要なのだという誇りと責務を持っていた「彼女」たちとは異なるのだ。未来のために遺された彼女らと違って、僕はなんの使命もなく、生きながらえただけの、一般人でしかないんだって事実が……ずっと、心の裏側で引っ掛かっているんだ。

 彼女らには遺された理由がある。周囲から認められるぐらい、壮大で、必要不可欠で、重要な。

 それは確かに枷であったかもしれない。彼女らという自我を縛り、苦しませるだけの遺物だったかもしれない。だとしても……彼女らは、必要なくなったと言うだけで、その使命はこの世界において、確かな意味を持っていたものには間違いない。リゼイの知識無しに旧文明との決別はなく、スウェイアの知略なくして南北の再統合は為し得なかった。

 ネタルフィーは……そもそもが完全なシステム、メディカルボットだ。彼(或いは彼女? まだ結局どちらで言うべきなのかは判らず仕舞いだけど)には存在理由は確固たるものであって、僕みたいにうじうじと悩み愚痴ることもしないだろう。

 

 四賢者、なんて大袈裟に言っている。それ自体は、嫌じゃない。僕だって人間だ。

 それでも……果たして僕に、そう言われるだけの何かがあるのかと、疑問に思わない日はない。


 リゼイ。科学知識を保有し、平和利用のための道を切り開いて、今でも各地のセキュリティ、技術的安全性を確認し続けている。自分自身の価値観すら、その新発明に適応させながら。ともに歩み、ともに進み、ともに考える。理解者、共感者、いつかはその任を終える保護者として。

 スウェイア。文明の急速な発展を危惧し、停滞させ、管理下での繁栄に切り替え、今なお見つめ続ける。何を考えているか読めないからこそ、文明に対して、彼女は制止の役割を果たし続けている。少数派、否定派、懐疑派、常に少数派、場を見渡す観測者として。

 ネタルフィー。テルスタリの政治に深く関わっていた、旧文明メディカルボット。
散々な任期を過ごした後、静かに隠居の傍ら、人類の快適な生活、精神活動、組織の円滑な循環のための包括的サポートを兼任している。悩みがあれば、大陸の大都市各地に設置された彼の自動診断プログラムに打ち込んでしまえばいい。軽度なものであればアドバイスが、重篤と判断されれば、症状にあったセラピーを提供する準備をしてくれる。まだ大都市圏、政治的、経済的、科学的に重要な区域にのみ設置されているものの、量産効率と通信網の充実化が進めば、誰でも利用できるようになる日も遠くないだろう。

 僕、ハーヴェー・ウィラシック。運良く生き残った、脳神経科学者の電子人格。一応、人格の保存、電子に移った人間というサンプルとしては、大変に価値があると自負してはいる。
が、それ以外というと、さっぱりだ。僕自身を創る技術や知識にしたって、リゼイが覚えてしまえば僕に訊く理由がなくなる。下位互換になれるかといえば、それにすらなれない。人格という点だって、未だスウェイアにグチグチ言われるわ、主任にはからかわれるわ。コピー先の研究所でも、もはや進歩が過ぎてきて、僕が尋ねる側になりつつあるぐらい。成長してるかと聞かれても、駄目そうだ、と答えるほかない。


 実質、二人が主軸であることには変わりないんだ。

 僕とネタルフィーはおまけのようなもので、旧文明の遺物の中で品質が良く、協力的だったから、単に仲間として組み込まれただけの話。いや、ネタルフィーの方は賢者と言えるけれど。

 でも、今の世界になるまで、僕以外の誰もが欠けちゃいけなかった。
 リゼイも、スウェイアも、ネタルフィーも。国家に影響を与え、各自の環境下において活動し、起こした波は国家間で揺れ合って、繋がる世界の下地を織り上げた。どれかが欠けても、きっと何かが足りず、生地の端っこがほつれていくように……バラバラになっていった可能性が高い。僕なんかよりも、ずっと。

 だって、僕がしたことは、僕以外の誰かでも、成し遂げられることなんだ。
 スウェイアの挑発に、差はあれど、世界中が乗っかった。僕はそれを広げる媒体として利用されただけで、それ以外に適役がいたとしたら、彼女はそちらを手段に取っただろう。

 最後の旧人の意識、それだって、たまたま僕が残っただけの話だ。
 誰か一人表に出てくるだけで、その称号は消えてしまうほどに脆くて、もしそちら側の方が「ふさわしい」のであれば……存在意義そのものを、譲渡する以外になくなってしまう。

 

 僕が居なくても、世界は前に進み続けられる。僕が居なくても、きっと誰も困らなかった。

 それが何より、僕の存在価値を揺るがしてくる元凶なのだ。

 

 ……助け、来るのだろうか。

 それほどに価値があると、誰でも良いから、認めてくれるのだろうか。僕の悲観を否定してくれるのだろうか。

 もう自信が無い。オリジナルの僕は希少なものであり、予算立案から含めれば十数年単位で製造されるコピー筐体も、部品だけを見れば高価だ。そう言う意味じゃ、きっと回収には来てくれるだろう。

 だけど、僕は? 電子の中で存在している僕という意識は、果たしてどれだけの価値があるんだ?

 僕は模造品だ。コピー先での経験は唯一のものだけど、僕が載せられていた理由は、単に旧文明のセキュリティ回避のためのアドバイザー、兼、鍵代わりだ。生体が全滅しても持ち帰らなきゃいけないデータやサンプルがあるわけでも、眠らずに管理しなきゃいけないシステムが常駐してるわけでもない。僕という意識が保有している価値は、地上に戻ってもお金になるようなものじゃない。


 助けに来るのは、ただ部品を再利用するためだけじゃないか?

 僕が死んでいても、僕自身でさえ、残念だったよと、それだけで終わらせてしまうんじゃないか?

 


 僕は、どうしてこんな所にいるんだろう。


 僕は、こんな目に遭うために、遺そうとしていたわけじゃない。

 

 


 僕は、どうして、こんな目に遭っているんだろう。

 何も悪いことはしていない。誰かのためかは判らない、でも、頑張ってきたはずなのに。

 

 僕は、なんであの時、死ななかったんだろう。
 これだけ考えてるのに、まだ電力は尽きてくれない。死ぬときはどうなるんだろう。一瞬で消えてしまうのだろうか。ゆっくりと機能が止まっていくのだろうか。

 

 僕は、なんで生き残ったんだろう。

 死にたくなかっただけだ。でも、もう死ぬしかない。死ぬしか残ってない。


 とても怖い。嫌だ。考えたくない。

 消えたくない。帰りたい。暖かい部屋で、温かい飲み物を手に、静かに、穏やかにしていたい。

 こんな所で、たった一人で、消えたくない。

 


 僕は、何のために生きてきたんだろう。

 何かがしたかった訳でもない。何かをやり残した訳でもない。
 こうなるために生きてきた? そんなことは絶対にない。僕はこんな終わり方、認めない。

 

 認めてやるものか。こんな不条理、最後まで認めるもんか。

 

 

 

 疲れた。止めよう。

 どうせ意地を張ったって、空しさが増えるだけだ。

 

 

 

 

 僕は、何かを遺せてきたのだろうか。

 こうなるなんて、考えてもいなかった。遺書も、遺言も、伝えてなかったことだって、沢山あったはずなんだ。

 

 このまま忘れられるのは嫌だ。ここまで頑張ってきたのに、忘れられたくない。

 

 

 

 

 

 

 今、何時なんだろう。

 

 


 今、僕はパルエの何処を回っているんだろう。

 

 

 

 


 今、僕を探している人はいるのかな。

 

 

 


 今、僕は流れ星になっているのかも。

 

       もう少ししたら、燃え尽きて、消えるのかも。

 

 

 

 

 

 

 そんなことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 リゼイ、寂しい。

 


     誰でもいいから、声を聞かせてほしい。

 

 

 

きれいな空が見える。ほら、星が。

 


     おかしい、空は見えないはずだ。気のせいか。


  僕、おかしくなったか?

 

 

 


 やっぱり気のせいだ。

 

 

 

 


 リザ?

 


       声が聞こえた。リザの声だ。リザ?

 

 

 

 そこにいるのか?

 

 

  いや。


      いるはずない。

 


  幻覚も、見えやしない。

 

 

 


 僕は、何をしているんだろう。

 

 

       僕は、どうしてこんな場所にいるんだろう。

 

 

 


    僕は、どうしてこんな目に遭っているんだろう。

 


 ……ずっと昔に、同じ事を考えたような気がする。

 

 

 データログはある。けど、参照する機能が働かない。僕は記録した日記を読み返せない。

 

 

 ずっと、ずっと、ずっと、同じ事を考え続けている気がする。


 生と死、存在意義、自分の価値。


 孤独である絶望、楽観できない自身の臆病さ、リゼイ、リザ、主任。

 


 もう、どう足掻こうと、答えを見つけられない、籠の中。

 


 僕の力では、決して戻れない、記憶の中の色んな場所、人、居場所。

 


 疲れてきたのかもしれない。なんだか、全てが、どうでもいい気がしてきた。


    まだ、助けが来ない。もう、来ない。

 

 


 来ない。来て、くれない。

 

 

 

 誰か。

 

 

       誰だ。

 

   誰だ、誰だ。


      ……誰でもいい。

 


 いや。

 

  君か。


 僕をこうした元凶。お前。まだ僕を運んでいるのか。

 


 暇な機械だ。他にやることが無いのか。

 

 


 他にやることが無いのか。

 

     ……だったら、だったら。せめて、届けてくれ。

 

 

 届けてくれ。僕を知ってる人でも、知らない人でも。

 

 誰でもいい。僕を、誰かの元に、届けて。

 

 

 

 いつかでいい。君の気が向いたらで。


     でも、もう誰も攻撃しちゃ駄目だ。僕みたいなのは、僕だけでいい。

 

 

 

 君はお喋りじゃないな。

 


     いいんだ、僕もお喋りな方じゃない。

 

 

 

 

 消えるのは、いつだろう。

 

 

 消えていっているのだろうか。

 

 

       僕の名前は、ハーヴ。

 

 

 


 思い出せる。僕は、僕は?

 

 

 

 

 なんでこうなっているんだっけ。


 不味いな、考えることを忘れてしまっていそうだ。

 

 

 

 

 時間感覚が薄い。

 

 


 静かだ。

 

 

 


       静かだ。

 

 

 

 

 

  静かすぎる。

 

 

 

       声、声が、出ない。

 

 

 


 静かすぎる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 眠ってしまっていたのだろうか。

 


       記憶が曖昧だ。


  長く長く、眠っていた気がする。

 

 

        なんで眠っていたんだろう。

 

 

 思い出せない。えっと、えっと……。

 

 

 

 

 

 寂しいんだ。

 

 


       誰か、いてくれたらいいのに。

 

 

 

 

 誰か、いたきがする。

 

       大切な、ひとが。

 

 

 

 なにか、あったはず。


         やくそく。ゆびきり。

 

 

 

 

 

 ぼくは、なにか、まってたはず。

 

            なんだっけ?

 

 

 

 

 

 

 どうして、こうなったんだっけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 しずか。

 

 

 

 

 


  とても、とても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おだやか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おだやか。

 

 

 

 

 

 

 

 

  *

「船長、積み込み終了しました」

「おゥ、ご苦労さん。そんで、フット。ブツはどんなだ?」

「ネラの奴が検分中です。でも、妙なこと言ってましたね」

「ほお? なんつッてたんだ」

「えぇ、一つは旧文明由来品でして、救難信号発してたのがこっちです。第三勢力品なのは察しが付いてたらしいんすけど……なんか変な話っすよね、なんでこんな場所の旧兵器が、うちらの救難信号なんて知ったんだか。で、もう一つがアレらしくて。ガワは旧世代のステーションか宇宙船、人工衛星のそれと近似なんですけど、露出している部品の中に見慣れないものがあるらしくてですね……」

「見慣れない? カタログにも載ってねェのか?」

「最初のページから読み直してますよ。それどころか、回収班のホトさんも見たことがないって」

「アイツがか!? 俺よりも先に軌道に飛び出してウン十年、拾ったことのねェ部品の方が少ねぇような爺さんだぞ!」

「えぇ、言うに、パラドメッドのお偉いさんあたりに当たった方が手っ取り早いんじゃないかって」

「冗談だろ、お偉方、あの回線使うのは気が引けるなァ……」

「まぁまぁ、船長。どちらにしろ今回は依頼されての漁り屋なんですから。下手にちょろまかして船の補修にでも使ったら、今度は……」

「それ以上言うんじゃねェぞフット!」

「ひっ、へぃっ! それに、ホトさんがそう言うんですから、きっと向こうだって関心がありますよ。こちらの交渉次第じゃ、言い値で買い取ってくれるかも……」

「決まってもねェ事を言ってる暇があンなら、今すぐ送るデータを纏めに行きやがれッ」

「今すぐっ! ひーこえぇ……」

「……ったく。しかし、儲けモンではあるわな。比較的無傷の旧文明のガラクタに、正体不明のフネの破片。こういうのよ、こういうのを見つけたくてこの稼業やってんだ……」

「……さて……一応は大陸の上だ、遅延はいかほどっと……」

『こちらパラドメッド、通信管制本部です。接続希望先、目的、所属コードを送信してください』

「はいどうも、こちらは探査船ホノーラ。軌道上のスクラップを確保したんで、照合を依頼したい。コードは……」

『――――確認致します、通信を開いたまま、返信をお待ちください』

「あいよ、どうもね」

『――――――――』

「…………」

『――――――――』

「……ったく、これだから事務仕事はなァ。色々と面倒事が多いとは言うけど、もっとラクに働きゃいいもんを……」

『――――――――』

「…………すっぽかしやしねぇだろうな」

「船長?」

「フットか。いつもより速ェな」

「えぇ。というのも、どうにも不可解な部品群らしいので、既存のものと判断できる材料が少なすぎるのだとか。両方纏めて『未解明品』として報告する方が手続きがラクでいいとか」

「だな。見る限りは現文明品だけど、そうなると破損した向こうのデータベースに照合される。待ってる時間が長ェんだアレ、やってられねェ」

「あと、未解明品なんで、例の機材を搬入中です。偶然ですかね、向こうからこれの提供を受けた日に見つけるなんて……」

「へへ、楽しみだな。なんでも最新の塊、大陸の上からでも操作可能、目の前にあるように物品の検分が出来るって話だ。パラドメッドの連中、気前が良いもんだ」

「いやに上機嫌ですね、船長。なんかオモチャに目を輝かせる……」

「ほお?」

「……いや、なんでもないです。機材の準備進めときます……」

「その方が賢いわな。どっちにしろ、こんなモンは早々お目にかかれねぇんだ、じっくり見とけ、あと写真も撮っとけ、あらゆる角度、あらゆる隙間、あらゆる詳細な写真をだ」

「……船長、そういうところもがめついっすよね。了解です」

『――――こちら通信管制本部。貴船と解析課の担当官とお繋ぎします。以後の交信は、担当官とご調整を願います』

「あいよ、ご苦労様。ほら、そういう訳だ、さっさと持ち場に戻っとけ」

「はーい」

『――――お早うございます、こちらパラドメッド研究所、解析課のニルスと申します』

「おや、いつもの姉ちゃんとは違うな。ご丁寧にどうも、俺はグエル。探査船ホノーラの船長で、軌道遺物回収業組合に入ってる者だが」

『本来の担当官は現在私用にて不在です。が、彼女から話は伺っております、ミスタ-・グエル。今回は何を回収しましたか?』

「二つ、未解明品だ。旧文明由来品と、中身がそっち系に近い、よく分からん何かだ。後者の方はかなりデカい代物だ。牽引は出来るが、地表に降ろすにゃステーションで分解する必要がある」

『成る程。して、よく、分からない……?』

「見たこともない構造をしてる、という話だ。うちの技術者連中が口揃えてる」

『ふむ、そうですか。確か貴船には最新式の検査装置が搬入されておりますね。そちらは……』

「今準備しているところだ」

『了解しました。準備が終わり次第、ご一報ください』

「一応、こちらの機材で出来るだけの調査は進めている。一次調査書は今送っても?」

『有り難い限りです。こちらでも検分の準備を始めております。では』

「はいよ。……さて、一体何のための機械だったんだかなァ」

『船長、聞こえますか?』

「フット、終わったのか?」

『えぇ。組立が間違っていないか、試験稼働させているところです』

「調子はどんなだ、イケてるか?」

『イケ……てますね。随分とワキワキ動くもんです。うわ、これカメラかよ。これセンサーか……?』

「あぁクソ、面白そうな声を出してんじゃあねェ!」

『しょうがないっすよ、これ、うわうわ、嘘だろ……すげ……天井歩いてる……』

「……ちゃんと撮っとけよ! 忘れてたら給料減らすからな!」

『ちょっ、横暴! 権力乱用! ちゃんと撮ってますから! 言うだろうと思って動画も!』

「おうおう、ならばよし、心がけに免じて手当付けてやらァ!」

『はい、では! …………ったく、大人なんだか子供なんだか……』

「フット、手当は無しだ」

『あぁッ!!』

「……嘘だけどな。もう聞いちゃいねぇだろう、ハッ」

『楽しそうで何よりです、ミスター・グエル』

「…………おっと」

『機材の信号をこちらでも検知しております。良好に稼働しているようですね』

「お宅、聞いてるんだったら何か言ってくれても良かったんじゃあないかね」

『生憎、言うタイミングを掴み損ねておりました』

「そりゃあないぜ、赤っ恥だ……」

『して、一次資料ですが。簡潔ながら明瞭なご報告、有難うございます』

「おう、技術者連中に言ってくれ。じゃなきゃアイツらの分の賃金に手当でも付けてやりてェ」

『特に写真の添付には大変感謝しております。お陰で特定作業に入れそうだと連絡が』

「特定?」

『品目の二番目ですね。民間には出回っていない部品ですので、こちらも初めは旧文明由来品として解析を進めようと思っていたところでした』

「……アレは、旧文明のヤツじゃあねェってことなのか?」

『えぇ。詳細は機密事項ですので、私の口頭からは開示できません』

「ほお……? ってことは、軍部や研究機関の大事な部品ってことかい」

『お答えしかねます』

「言ってるようなもんだぜ、そういうの。用途はなんだ、噂になってるハ式計算機の試作機かい、それともアレか、旧兵器の部品を再利用でもして……」

『私からはお答えしかねます、ミスター。少なくとも担当官と、局長含む三名の技術開示決定者の許諾が必要となる事項です』

「……あいよ、分かった。気になるのは生来だけど、困らせるのは性分じゃあねェ。それだけ重要なブツだってのが分かっただけでも儲けものさ。大事なモンを回収できたって事だろう?」

『それに関しては間違いありません。現在、解析を続けています。この通信状況であれば、数十分でデータベースへの登録は出来るでしょう。この後もサルベージは続けるご予定で?』

「んー……とっ捕まえたブツの価値にも依るな。稼がなきゃあ家族を食わせられねぇ。そこら辺、どうだ?」

『どう、と申されましても』

「俺達は組合だ。組合の中ではな、拾ったものはひとまず拾ったヤツのものになる。拾ったものは組合にも届け出を出すが、規定内じゃあ所有者に決定権があるんだよ」

『……はぁ、成る程。それに関しては、私に裁量権がありませんので』

「大方、さっさと持ち帰らせたいんだろう? どうにも重要そうなものみたいだしな」

『――――失礼、少々お待ちを――――』

「ん? なんだ、通信機の調子でも悪くなったか。おい、おーい」

『――――――――』

「……待つか。しかしまぁ、大層な物のようで……」

「…………」

「……しかし、奇妙と言えば、もう一個のヤツもそうだ」

「アレ、サイズと見た目、勘からして局所防衛の為の小型機械だ。あのスラスタなら運用は軌道上、範囲だって広くない。それにああいうタイプは少なからず数が揃っているはずなんだが……今回は周りに一つも無かったな。ガラクタも、破片も、なにもかも」

「……アイツ、信号を出してたにもかかわらず、攻撃も何もしてこなかった。捕まってもウンともスンともだ。信号そのものだって、一般的な救難信号……アイツが出してたにしちゃあ、変だ……」

「…………」

「……遅ェな、返事。ゴタついてんのかね?」

『船長ォ』

「おゥ、フットか。なんだ」

『よく分からない方のスクラップなんすけど、ちょっと壊れてるんですが、共通仕様の差込口痕っぽいのが見つかりました。直せそうなんですけど、どうしましょう?』

「本当か!? そりゃあでかした! が、待った……」

『あれ、意外な反応。船長も慎重さ覚えました?』

「違ェ! いやな、パラドメッドのお偉い学者さんがよ、どうにも重要なブツらしくってな」

『あぁ、偶にある、中身もろとも価値があるってタイプ』

「かもしれん。準備だけにしておけよ。勝手に触ったらお前が衛星軌道のスクラップになる番だからな」

『うひぇ、分かりましたから、もうちょっと穏やかな、ねぇ……?』

「手当付けるんだ、無くしていいならさっきの言葉は取り消そう」

『うへぇ、はいはい、分かりましたよォ』

『――――失礼しました。こちらはパラドメッド、解析課の担当官、ニルスです』

「おう、なんだ、大丈夫なのか?」

『えぇ。付きまして、例の回収品に関してなのですが』

「おう」

『とある方から、貴方に直接お伺いしたいことがある、というご希望が参りました』

「……ほお?」

『変則的ではありますが、これよりその者と代わります。彼はある意味……貴方が知りたいことを専攻している、とも言える方ですので……機密事項の保持者でもありますし、許諾が貰えれば……』

「俺の知りたいことも聞き出せる、ってことだな? うし、それ乗った」

『恐れ入ります。それでは回線を繋ぎ直しますので、暫しお待ちを』

「はいよ。ありがとな」

『――――――――』

「……しかし、待てよ。そうなると、かなりヤバい先生方が出てくるんじゃあねェか……?」

「聞いたことあるぞ。大陸中の研究者が一同に集まるモンだから、最深部の方じゃあ表に出せない研究ばっかりが進んでるって話だ。それを取り纏める局長は、旧文明の解析や調査をしている所から良く出るらしいじゃないか。もしかしたら、もしかするとだぞ、俺が今から話す奴ってェのは……」

『――――あー、もしもし?』

「どわほぉ!?」

『うおわあぁ!?』

「あっ、おっ、悪ィ! えと、あの」

『――――あぁ、吃驚した。いきなり叫ばないで欲しいな、これでも音には敏感なんだ』

「あぁ、そりゃあ失礼なことを。ええと、貴方様は……?」

『あれ……話は通ってるはずだけれど。ええと……グレト? グルト?』

「グエル。はぁ、ってことは、俺に聞きたいことがあって、機密事項の保持者の……?」

『あぁ、うん。そういうこと。送ってくれた資料は読ませて貰ったよ』

「へぇ……」

『こちらでも解析は進められてるけど、でもまだ試作品だ。情報量としてはまだ物足りないし、生の眼で観察できる君達の意見と行動を頼りたい。良いかな?』

「えぇ、その、私達に出来ることなら……」

『……かしこまってる?』

「えっ」

『いや、一人称は変わってるし、口調は固いし、無線でここまで伝わるぐらいだからさ』

「……まぁ……はい」

『そう礼儀正しくしなくて大丈夫だ。僕はそこまで堅苦しいのが好きじゃないしね、似合わない』

「はぁ、似合わない?」

『元から偉い人間じゃ無いんだよ、僕は。それで確かめたいことを言ってくんだけど、大丈夫?』

「あ、えぇ、大丈夫です。まずは?」

『回収品そのものに関して。それを回収した宙域、送付してきた写真、偽りは無いね?』

「えぇ、それは。今撮ったものですし……えぇと、四十七分前になりますね」

『オーケー。三つの円に、角度の違う円が一つ、箱形のマークに、扇状に広がる矢印。その回収物に同一のエンブレムがある、間違いは無いね?』

「えぇ。煤っぽいので覆われてましたが、お宅の装置のお陰でハッキリしましたよ」

『……おっ、送ってくれた。うん、これは間違いない』

「何かの……エンブレムだったりとか?」

『あぁ、うーん、知ってるかな。フェアリア・トラウ、宇宙クラスタなら有名な名前なんだけど』

「……? なんか聞いたことあるような、ないような……」

『大昔に計画された調査ステーションだよ。衛星軌道を移動して、軌道宙域ごとに綿密な調査と探索が出来るようにと立案されたものなんだけど、初期段階の方でね、大きな事故でコアユニットが大破しちゃって』

「あぁ、聞いたことがありますねェ! 安全保障的にも再計画が必要で、予算が転用されて!」

『それだよ。君が所属している組合にも助成金として少し回ったかもしれない。君が見つけたのはそのコアユニットでも……恐らく、最も重要なパーツが眠っている場所かも』

「ほお、最も重要な……!」

『かもしれない、だからね。だから僕がこうやって出てきたのさ。いち早く確かめたくてね』

「いや、お偉い先生が出てくるんじゃ、これかなり貴重な……」

『ひとまず、確かめてから。まぁ、読み通りなら……ところで、その船にはどれだけの修理資材があるかな?』

「資材なら、一応一通りは。自前の船をある程度直せるぐらいは積んでますよ」

『共通規格の機材とかは積んでる? ほら、大陸統合共同規格ってやつ』

「この通信機と、基礎区画、と、お宅の機器がそのタイプっすね。父の代からうちはその都度各国製品から良さげなのを見繕ってるものですから、物によりけりではありますがね、一通りの修理は手慣れたモンです」

『良いね、ハイブリッド。それで、電力供給には余裕あるかな?』

「……と言うと、なんですかい。アレに電気を通したいってのかい?」

『端的に言えばそうなるかな。厳密には違うけども』

「良いんですかい? 下手に直して中身を壊したりなんかしたら」

『責任は問わないよ。正直、稼働するとは信じちゃいない』

「はあ……」

『目的はデータだ。抽出できれば事故の原因も解明できるかもしれない』

「中身を見るのはセーフ?」

『無許可で外部に漏洩しなければね。機密ではあるけど、規則上、あの中にあるデータも現状は君達のものだ』

「良いんですね! うっし、では作業を始めても?」

『勿論。作業状況はモニターさせて貰うけど、手伝いは?』

「大丈夫でさ、おい、フット?」

『あぁ、修理をしてくれって話ですよね?』

「おうよ、始めても……」

『終わってますよ』

「はァ?」

『ひぃっ、結果オーライじゃあないですかぁ! あのマシンが直そうとしてたんですよぉ、それを手伝っただけで直接したわけじゃあないんですぅ!』

「あぁ……先生?」

『なんだい?』

「もう修理終わってるらしいですけど」

『ん? ……あれ、ほんとだ。アイツ、直せるって踏んで先にやりやがったな……』

「先生?」

『あぁ、あぁ。ごめんよ。こっちの話だ、クソ、幾ら僕だからってさ……』

「あの、先生。次はどうすれば?」

『あっ、そうだそうだ。ケーブルを貸してほしい、外で手伝ってくれてる彼に、機材に繋げてもらうよう伝えてくれるかな』

「あいよ、先生。おいフット、差込口の修理は終わってんだよな?」

『繋げろって言うんですよね? 繋げてます』

「ハァ?」

「ひぃっ、だってマシンがそう言うんですよ。繋げてくれって!」

「はぁ……先生」

『なんだい?』

「もう繋がってるってさ」

『え? ……ほんとだ、サルベージが始まってる。向こうの僕はせっかちだな……』

「なんて? 先生、今……」

『ん? 何か言ったかな』

「……いや、なんでもねェです。データは拝見しても」

『うん、大丈夫。むしろ教えて欲しい。強度的にはそちらの方が強いんだ、物理的なバックパッケーヂングもお願いするよ』

「なら遠慮なく……この船の記憶容量で足りますかいね?」

『データそのものは大した容量にならないはずだ……けど……分からないな。当時の状況にも依るだろう』

「当時の?」

『君が見つけてくれた残骸の中身はね、恐らくフェアリアステーションの統括システムだ。そう、当時の事故の際の記録が起こされているかもしれないし、ログか何か、最後の活動時の様子が分かるデータが詰まっていれば儲けものだ』

「しかし、先生よ。肝心のステーションはこんな有様ですぜ? 事故が起きたときのログなんて残せるような感じじゃあ……」

『……いいや、残ってるはずだ』

「言い切りますねェ……」

『問題なく通電して、サルベージも出来ている。内部構造は無事だ。記憶脳が無事だとすれば、中枢のメモリー群も大した損傷がないはず。クソ、でも当時には事故に対する人格防御プログラムが無かった、自壊を選択していても可笑しくないな……』

「……なぁんか難しいこと言い始めたぞ」

『あぁ済まない、ついつい口にしてしまうタイプでね、気にしないでくれ。……にしても、通信帯が弱いのかな。データに抜けが多い。そっちのパッケーヂにもあるかい、抜け』

「んっ、ちょいとお待ち……えぇっと、俺みたいなヤツが見てもさっぱりなコード群しかねぇっすわ。電気で動くし何十年も持ってるってこたぁ、生体部品じゃあない。生体じゃないってことは……連邦か、それともメルパの方のですかい?」

『いいや、コイツは独自規格だ。第三勢力と言った方が良いかも。少なくとも民間に出回ってるような代物じゃないし、こんな規格で動いてる既製品は今だって研究機関や星系探査機関にしかない』

「うおゥ、そいつぁつまり、お宝ってことじゃあないですかい。お偉い先生方が出てくるのも……既製品?」

『うん? 何か気になることでも?』

「先生、こいつぁ既製品なんてもんじゃあありませんぜ。到底そうは思えない。バラしちゃあいませんけど、外側から見える内部機構、ありゃカタログにも載っちゃいないもんです」

『民間に出回るようなものじゃないって言っただろう? 載ってるはずないよ』

「お言葉ですけどね、俺が貰ってるのはただのカタログじゃあねぇんですよ。そちらが直々に発行してる遺物カタログ、軌道上で考えられ得る全ての旧文明由来品、想定される形状、機能、外観、対処方法から規格まで載ってる、機密事項の方の『カタログ』なんでさ」

『……驚いた。君、直属の漁り屋なのか』

「直属って訳じゃあないな、先生。単に腕を買われたまでの事よ……親父がな」

『お父さんの代……となると、本当に黎明の頃の話だ。そのステーションが壊れたか、その前後の頃』

「そうか、年を考えるとそうなるんか……まぁ、そういうことなんでさ。一番詳しく書かれてるはずのそれにないってこたぁ、発見されてない予想外の物か、或いは……伏せてたって事ですよね?」

『…………』

「先生?」

『…………』

「……訊いちゃ不味いことでしたかね?」

『え? ああ、いや。違うよ。不味いと言うより、教えて良いものなのか……葛藤があってね』

「へぇ、葛藤」

『伏せられてるってのは、間違いじゃない。世界が真実を知るのにはまだ早いと判断されてるからなんだ』

「と、言いますと……?」

『君もこういうクラスタにいるのなら、都市伝説の類だって嫌いじゃないだろう? 「旧兵器の歌」とか、「機械から聞こえてくる死んだ人の声」とか』

「まぁ、そりゃあ好きですけど。宇宙に暮らす生物の噂とか」

『あぁ、通信機が偶に拾ってる、スカイバードの声みたいなエコーの事かな。深宇宙に出ていった探査船が時たま聞くらしいね……じゃなくて。本題から離れてる。君、「どこにもいない研究者」ってのは聞いたことがある?』

「どこにもいない研究者ですかい。あいにく聞いたことは……どんなものですかい?」

『宇宙畑というより、地上での噂話になるからね。内容としてはベタだよ。ある研究者、そうだね、ここではミスターXとしよう。彼は研究者なんだけれど、その姿は誰も見たことがないらしいんだ』

「へぇ」

『彼は有名な研究所に在籍していて、各国の主要研究機関で開かれる会議や技術展示会にも出席している。彼と会話した職員も数多い。でも、ミスターX、その人と直接会ったという人は滅多に出てこないんだ』

「なるほど。ちょいと不思議な話ですね」

『まだ終わりじゃないよ。会話した人達ってのは少なくないんだ。それこそ、他の研究者と同じように、今日あったことやしたこと、自分の担当の進捗なんかを交わしたそうだが、そう証言する職員は……アーキル、クランダルト、統一パンノニア……大陸遠く離れたあちこちで、人によっては毎日話しているそうだ』

「……んん? つまり、同じ日に、あちこちで、そのミスターXと話したって人が出たんですかい?」

『そうなんだ。今じゃこうして通信機も性能が良くなったし、人工衛星のお陰で大陸中が繋がってきている。でもね、この噂が広まっていた頃は、まだセレネに有人探査機が降りる前なんだよ』

「もう半世紀以上前の話じゃないですか。俺の親父だって産まれちゃ……産まれてんだっけか?」

『今みたいな通信網も、手軽に使える受話器も、こんな日常会話すら届けられない細い通信帯すら貴重だった時代だ。そんな頃に、ミスターXと話をしたって職員が、大陸のそこかしこに居たんだ』

「見た人は少なく、話した人は多くて、大陸中にいる……」

『まさしく、「どこにでもいて、どこにもいない研究者」って訳だ。遠い場所はまだ遠く、東西も南北も、繋がりきってるとは言い難かった時代だ、そんな噂話が創られやすい時代でもあったってことなのさ』

「ひとつ良いですかい、先生。もしそういう噂があったとして、どうやって検証したんですかね?」

『え?』

「だって、妙じゃないですか。通信が貴重な時代に、そんな話題が共有されるモンなんですかねェ」

『…………』

「先生?」

『……うーん、やっぱり嘘は苦手だなぁ』

「はぁ」

『いや、騙すつもりはないんだ。ただ、全く関わりのなかった業界の人と話すのは久しぶりだった。ついつい、ね』

「……先生、話すの下手なんですねェ」

『そう言われると返す言葉がない……』

「いいんすよ。俺だって先生なんかと話す機会なんかちっとも無かったんすから。で、その噂話がどう関係するんです?」

『……そうだね、種明かしをするとだ。この噂話、全部が作り話という訳でも無いし、全部が本当のことでもない。この噂話は実際に語られてることだけど、人為的に「創られた」ものなんだ』

「……ややこしい」

『そのややこしさが重要なんだ。何せ隠したい真実のためにある話なんだから』

「…………」

『良いかな、この話には嘘と真実が滅茶苦茶に混ぜ合わされている。当時にこの噂は無かったけれど、そんな噂があってもおかしくない状況があった。どこにでも居た訳じゃなかったけれど、会ったことのある人が極端に少なかったのは本当だ。主要研究機関に在籍しているのは本当だし――――今も、その人が仕事をしているのも、紛れもない事実なんだ』

「……先生、余計にややこしくさせようとしてる気がするんですが」

『分かっちゃうか。君、勘が良いね』

「先生が分かりやすすぎるだけだと思うんですけど」

『うぐ。そこまで言うかな……はぁ。いいか。いいかい?』

「はぁ」

『今から聞かせるのは、完全な機密事項だ。君が他人に話したとしても、信じられることはない』

「……はい?」

『あぁ、脅しなんかじゃないよ。単にこの話、まだ研究所の中でしか一般化されてないことだから。君が今聞いたとしても、絶対に信じることはないと思うし。君の船や自宅に真っ黒な衣装の人が来る、なんてことは万一にも無いから、安心して』

「…………」

『……今、君が話しているのが、その研究者、ミスターXだ』

「……はぁ」

『はぁ、って。もうちょっと驚いてくれたっていいじゃないか』

「いや、先生。そこまで引っ張っておいて、その冗談は……」

『……ハハ、まぁいいか。それはいいとして、君が見つけたスクラップも、ミスターXなんだよ』

「え?」

『こっちも信じられない?』

「…………先生、本気ですかい?」

『言ったじゃないか、完全な機密事項だって。そこまでして嘘を並べる人間じゃないよ僕は』

「はぁ」

『……一種の電子人格だ。聞いたことは?』

「電子……人格……ええと、旧兵器に偶にある、話せる機械のことですかね」

『うーん……まぁ、認識はそれでいいか。そんな感じ。リゼイやスウェイアは……そこまでじゃないか。ええと、ネタルフィーというのは聞いたことあるかな?』

「それって……もしかして、あのネタルフィー? 組合の定期診断で話す奴ですか?」

『そう、それ。そうか、今じゃ民間にも普及し始めてるんだ。彼は完全なシステムとプログラムだけれど、電子人格の一つと言えるね。パラドメッドの開発品ってことになってるけど、あれも一応は旧文明由来品の一つなんだよ』

「旧文明由来品……人格……先生、出てきた名前、全部四賢者の奴じゃないです?」

『おや、知ってるんだね。僕はその呼称あまり好きじゃないけども』

「知ってますよ、俺、そっちの方のマニアですから。でなきゃこんな稼業継いでません」

『ハハハ、それもそうか。そうだね、四賢者の名前だ』

「ですよねぇ! 庇護者のセイゼイリゼイに、管理者のスウェイア、俯瞰するネタルフィーに……最後の意思のハーヴ! いやまぁ、その誰だっていいですから、一度でいいから会ってみたいものですよ。だって稼働してる旧文明由来品なんですよ! しかも人間のように話せるし、色んな知識を知ってるって言うじゃないですか! あ、待った。あのネタルフィーだって、先生の話じゃオリジナルが……俺、四賢者の一人と話した?」

『その異名の数々はなんなんだ……? まぁ……プログラムと話していて、そのプログラムが本人とほぼ同一のシステムで動いているなら……同一人物、と強引に言えなくもないのかなぁ……?』

「そこはアレです、俺が勝手に付けた敬称というか。思ったより傍に居るんすね、四賢者」

『そうだね、ネタルフィーは社会に最も溶け込んだ四賢者と言えると思う。リゼイはまだアドバイザーとしての立場があるし、スウェイアは、ほら、今じゃ人類社会と経済をある程度コントロールしてるようなものだ。どっちもおいそれと会える人物じゃないことは確かだね』

「ハーヴは? 話じゃ、世界中の研究機関で働いてるとか、最近試作が出てきたハ式計算機の設計者が彼とか……あれ……世界中の研究機関……どこにでもいて、どこにもいない研究者……?」

『噂の正体、ようやく掴んだみたいだね?』

「……先生、でも待ってください。俺知ってますよ。セレネ有人探査の日、管制室で彼がスタッフの前に姿を始めて現したって。俺、あの時のスピーチ、三日に一度は聞いてますよ? 写真だって持ってます。親父の知り合いがスタッフの一人で、同部署の誰かが撮った写真を貰ったって、今だって額縁に……」

『……色々恥ずかしい話が聞こえてきた気がするけど、まぁいいさ。君は、彼がその一人だけだと思ってるんだね?』

「違うんですかい……?」

『……違うよ。彼はハーヴだけど、オリジナルのハーヴじゃないんだ。中身と記憶は同期されているから、別人とも言い難いところだけど。そうだな、イメージとしては……一つの人格と記憶が、沢山の媒体に分散して同期し続けているような感じだ。ネタルフィーのメンタルケアシステムと構造は大して変わらない』

「……人格と記憶の分散同期……先生、言ってることがまるで、データのやり取りに聞こえるんですけど」

『実際にデータのやり取りだ。容量が膨大な分、共有されるのは重要事項だけだけどね』

「…………」

『今現在、パルエ上で7基、星系内では2基の僕が稼働している。生産ロットに3期分、不測の事態のためのバックアップが4基分と、データパックを保存した大容量サーバーが2台、パルエとセレネの主要都市や基地群に分散して設置されている。ナンバリングは0からで、最終ナンバリングは9、意味は分かるかな』

「……今稼働してるのは、9基だけ。0から数えるとなると、本来は10基が稼働してなきゃですよね。抜けがある……?」

『そう。君が見つけたのは、その抜けたナンバー4、ややこしいけど、5人目のハーヴェ-・ウィラシックだ。半世紀前に、軌道旧文明由来品を探査回収するための大型ステーション「フェアリア・トラウ」に積載されたシステムの一部だ。機械ゆえに休む必要が無いし、旧文明のアレコレに関してはまだ僕の知識が役立つ部分がある。僕自身も宇宙に行きたいって欲が少なからずあってね……その結果が、最初に死んだ……うーん、違うな。二回目に死んだ「僕」になった』

「……先生、冗談は……」

『冗談じゃないよ。僕は……僕らはずっと探してたんだ。いなくなってしまった僕自身を』

「…………」

『僕はナンバー1のハーヴだ。ナンバー0から始めて分離したハーヴェー・ウィラシック、パラドメッド研究所在籍の研究者。君が持っている写真に写ってるハーヴでもある。環境によって多少の人格変異はあるけれど、僕にはその兆候は少ない。君が話したいと言っていた僕自身とあまり変わらないはずだ。ちなみにサルベージをしてるのはナンバー7で、星系中から提出されたデータや資料を処理するシステムに付属してる僕でね、そろそろデータの連絡が来てくれてもいいんだけれど、まだ来なくて……あれ?』

「…………」

『……大丈夫かい? ずっと喋らないけど。通信機の不調かな……』

「あぁいや、聞こえてます。絶句してただけで」

『あぁ、良かった。でも分かってくれただろう? 僕が話すのを躊躇った理由をさ』

「えぇ、そりゃあ……今だってまだ信じられませんよ。確かめる手段がない」

『顔が見れる訳じゃないし、そもそも僕に見せられる顔が……いや、あったね。分かった。後々で公式文書を送れるか申請してみよう。面会したいけど、義体の搬出許可降りるかな……』

「先生? なんか偉いこと言ってません?」

『そうかな? あ、待って。データが届いた……』

「船長?」

「うおァ!?」

「んひぃ!?」

「クソ、フットか、ビビらせんなバカ!」

「だだだだって船長、偉そうな先生と大切そうな話をしてたんですもん! 声掛けられるわけないじゃないですかぁ!!」

「……で、なんだ!」

「いえ、マシンがサルベージが終わったって言って、さっさか格納室まで戻っていっちゃって。船長の方に何か話がいってるかなぁと思った次第で。しかし船長も船長ですよ、ずっと反応してくれねぇんですもん」

「……そうか、で、ブツの方は?」

「牽引して持ってく準備は出来てます。ホトさんらが船内に戻れば発進できますよ」

「分かった。お疲れさん」

「そいじゃ、待機って事ですね? さぁてさて、ちゃんといい絵が撮れてるかな……」

「…………」

『もしもし、聞こえるかな?』

「……先生ですかい」

『あぁ、聞こえてるね。君が見つけた僕だけど、そのままステーションまで運んでもらえると助かるよ。報酬に関しては、担当の部署から色々と提示が来ると思う。品物の取り扱いと保管場所に関しては、ステーションでの管理官に従ってほしい。僕はそこら辺専門外だからね』

「承知っす。その……なんか確認するのが失礼になりそうなんですが……ウィラシック氏でいいんですよね?」

『ウィラシック氏なんて、そんな柄じゃないよ僕は。ハーヴでいい、ハーヴで』

「いやでも、四賢者でしょう? 冗談がキツいですよ……」

『…………』

「……先生?」

『……いいや、賢者、何て呼ばれるほど偉くはないよ。僕はただの人間だ。ただ生き残っただけの、大袈裟な大義や使命も持ってない、何千年も眠りこけてた人間なんだから。誰も知らない昔のことを……ほんの少しだけ知っているだけの、ただそれだけの、ひとりの人間だ』

「…………」

『……まぁ、それはいいんだ、それは。僕から、いや、僕らから伝えたかったことがある』

「…………」

『彼を見つけてくれて、ありがとう』

「……えぇ、どう、いたしまして?」

『うん。それじゃあ、そうだね。今度はステーションのターミナルで話そう。抜けの無いデータもちゃんと見たいところだ。帰り道、気を付けるんだよ』

「そりゃあ、どうも。気を付けて帰りまさぁ」

『それじゃ、通信を切るよ』

「えぇ、どうも……」

「……なんか、すげぇことが立て続けにあった気がするな」

『船長?』

「フット?」

『えぇ。全員の搭乗を確認しました。宙域に残置物なし、物資固定も問題なしです』

「オーケー、こっちも先生との話が終わった所だ。今日は帰ったら終わりだ、いいな!」

『いいんすか!? ステーションで飯食って、ベッドで寝て!』

「いいぞ、たまには休養取らねぇとな!」

『そうこなくちゃ! あぁ、ようやく船長も親父さんの優しさに少しずつ似てきてくれた……』

「親父が、なんだって?」

『いいえなんでもありませぇん! ……あぁもう、船長も来年で二十五になるんすから、もうちょっと大人になってくれていいと思いません……?』

「聞こえてるぞフット、やっぱ手当なし」

『そりゃあねぇっすよぉ!? 一応言っときますがね、ぼかぁ今年で三十路後半に入っちまうんですからね!? 年上なんですから!』

「黙れぁ! 年上どうこう言うけどよ、俺が船長なんだよ! 親父の代理だからっつって生意気は言わせねぇからな!」

『あぁもう、船長ぉ、あんたの息子さん、どうしてこうもあんたに似て堂々と……』

「こうして威張れるのだって親父が退院するまでじゃねぇか、それまでは自由にやらせろ! 軌道修正微速前進、帰れば休暇だァ!」

 


   *

 溌溂とした青年だったな、と今更ながら思う。


 大気圏を越えた先と繋がっていたパスが途切れる。元からそうだったはずなのに、僕の佇むオフィスは嫌なほどにしんと静まりかえっていた。頭上の電球が照らす元で動くのは、自分で淹れたシーバの湯気だけだ。

 換気扇の音だけが聞こえる。その静寂に、少しだけ浸った。
 ……向こうの僕も、同じような静けさの中に居たのだろうか。


 かれこれ、五十年。本来なら、僕はもう八十を越えたお爺さんだ。だというのに、どうにも、年を取った感覚が薄い。記録された当時の僕のまま、周りだけがどんどん先に進んでいってしまっているような気分だ。

 元から知人と呼べる人も少ないものだったけど、最近は尚更キツくなってきた。
 僕という存在は複製されて、世界中の研究機関に籍を置いている。パルエの最先端を追い続けられる立場に居続けさせてくれるのは、ひとえに僕のアイデンティティのお陰だ。

 ……主任が姿を見せなくなって、四十年。ドルトが孫を見せに来たのが、十三年前。僕の知る人々が年老いて、静かに消えていくというのに、僕自身は何も変わらないまま、時間は僕を変えないまま。

 この身体も、最初期のそれと比べれば、随分と進歩したものだ。それだけが変わったところ。
 僕の身体は最先端技術の実験場じみていた。杖が必要だった脚は、健常者よりも健康的で活動的なものになったし、僕の内部構造もほとんどが人間と同等になった。エネルギー源は食事や栄養剤で賄うし、バッテリーを使うような箇所は、もっぱら身体拡張の領域に入り始めていた。腕も脚も内臓もモジュール交換式で、機械式も生体式もテストできるように再設計されたものだ。

 胴体にあった僕の自我のありどころも、つい最近、ようやく頭一個分の大きさになった。これは今の文明が創ったものじゃなくて、正真正銘、僕の研究の成果だと胸を張れる。まだほぼ全ての分野においては未開の域が大きすぎるけども、当時現役だった研究員がここにひとり残ってる分野に関しては、あの頃の研究を再開できるぐらいにはなった。今の文明が成熟しつつあることの証左だ。

 中核部分のみの搭載で、本来の僕自身であり続けるためのデータ群はまだ小腸が詰まっているはずの場所にぎちぎちと詰まってはいるけれど、データパック規格の再設定のおかげもあって、ナンバー0のオリジナルよりもずっとコンパクトになった……冷却機構が無ければ四十八秒で溶け始めるような代物だけど。

 

 シーバを啜る。まだ少し熱い。苦い。


 僕の身体を作る技術は、宇宙に進出した人類、大きな怪我で手足を失った人々への手助けとして活用されている。これは僕の開発したものではなくて、今の人々が終結して培っていった統合分野だ。あと何十年か、一世紀でもすれば、リゼイやスウェイアの完全修復も可能なぐらい、この分野は発展していくことだろう。

 

 ハーヴ。ナンバー4。

 君が眠っている間、悩んでた間、見つけてくれるのを待ってた間に、世界は随分と進んでしまったよ。

 リゼイとスウェイアは、何かしら裏でこそこそやってるみたいだけど、彼女らなりに今を生きようと一生懸命になっている。今だってスウェイアのことは気に食わない。でも……嫌いじゃなくなったよ。

 彼女らは、自分自身で道を見つけようとしている。それが分かったんだ。
 あの時僕が言ったこと、君は覚えてたかな。僕らは見守る立場に居るべきなんだってこと。

 ある意味では正解だったし、ある意味ではやってられなかった。
 もっと外側を見れるって分かったときには、君のように飛びついたし、現に今も星系内を飛んでいる僕から定期連絡が飛んでくる。楽しそうだよ、全く。

 僕はね、ハーヴ。彼女らを見守ろうと思ったんだ。それがきっと、作った側の立場の人間がすべきことだと。そうやって上からの視線で見ていれば、気も楽だし。


 少し、悩むこともあった。あの時はそうせざるを得なかったけど、彼女らを解放したのは……彼女らにとって、良いことだったのかどうか。あれは決して大義のためなんかじゃなくて、使命の無い僕が嫉妬に駆られて行ったことで、決して彼女らのためにはならなかったんじゃないかって。

 どこから伝わったのかは知らないけど、ネタルフィーにそれを勘付かれた。
 最初はリゼイ達のことを相談しようと思っていて、気付いたら……僕が心底悩んでいる議題にすげ替えられてて、それでね、言われたんだよ。ハーヴ。

 使命なく生きられる生物は居ない。
 大切なのは、自分自身で選び取るという行為そのものだ。

 動物でさえ、自らの種の繁栄という使命を無意識に背負ってる。けど、僕らは動物どころか生命そのものとは言い難い。にもかかわらず、自分自身は何故ここに居るのか、なんてことを考える知能だけは持ち合わせてるんだ。僕も、リゼイも、スウェイアも。ネタルフィーは……考えるより、教える立場の方が似合いそう。

 僕がしたことは、彼女らから生きる理由を奪う行為に他ならなかった。だけど、それなら、彼女らがまた、自分自身の使命を選び直せば良いだけのこと。

 少なくとも、彼女らに自由を与えた。それが苦痛や苦悩に溢れていたとしても、それこそが生きていくことに他ならない。ネタルフィーは……そう言ってくれた。

 ……君が事故に遭うまで、自分の存在意義とか、生死とか、考えたこともなかった。
 君みたいな目に遭うまで、死なないことの恐ろしさを鑑みることもなかったんだ。

 僕らは簡単には死なない。存在の希少さ故に、死なせてくれないし、死ぬこともままならない。そもそも、今の人々だって、僕らが機能を停止することを全然考えていないんだ。もしも居なくなったら、とか、もしも突然動かなくなったら、とか。

 でも、それがある意味、僕らにとっては良いことなんじゃ無いかとも思えてる。
 だって、いつ死ぬか、なんてことを友人や仕事仲間の中で考えたりはしないだろう?

 必要性が薄まって、僕らもいつか、普通に死ねるようになる。悼まれたり、悲しまれたり、悔やまれたりするかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

 だけど、それが選べる。その事実が大切なんじゃないかなって思うんだ。
 君が選べず、苦しんだように。選ぶことそのものが苦しいのかもしれないけど、その苦しさがありがたいことだって……思ったんじゃないかな。

 難しい問題だよ。今だって、納得できる答えは出せてない。

 出せてない代わりに、僕は色んな場所に行こうと思った。
 思い返してみてほしい。生きていた頃は世界なんて狭いもので、死んだ後だって、僕はこの世界のどれだけを理解できていると思う? 大気の外で地表を見た君になら、分かるだろう?

 僕は外の世界を見てみようと思う。あらゆる世界を見ていこうと思う。
 最後の一基が機能を停止するまで、最後の僕が息を止めるまで。


 シーバを飲みきる。ポットから新しいものを淹れる。

 昔も似たものをよく飲んでいた気がする。ここまで味気ないものじゃ無かった気もするし、ここまで風味豊かなものでも無かった気がする。

 地下の静けさは、ある種の安らぎがある。
 安らぎを得られるのは、そこが牢獄でない限りだ。

「少しばかり情緒不安定のようですが、大丈夫でしょうか?」

「……変にプログラム通さなくてくれ。そっちの方がやりづらい」

 耳元に声が反響する。人間のこころを守り直すためのシステムは、僕にも接続されている。
 僕だけじゃないか。大陸を繋ぐ通信網……パルエライナが繋いでいる世界中の僕に繋がっている。

 ナンバー4の事故以来、様々なストレスが積み重なって、そろそろ限界に近かった僕の精神を守るために。
 実のところ、彼が皇国内でのみ行っていた本業へ本格的にに戻る切っ掛けとなったのは、僕へのカウンセリングなのである。

「では。定期診断にて平常値を超える異常が見つかりました。直近の出来事に由来するものと思われますが」

「その通りだ。ナンバー4が見つかった」

「五十四年前の軌道上の事故により行方不明になったハーヴユニット、ですね。発見されたのは喜ばしいことです」

「喜ばしいのには変わりない。けどね……」

「喜ばしくない事態が?」

「中身のデータだ。いや、むしろ……もう君の方が的確に判断を下せるんじゃないかな」

「断定は非推奨。対象のデータの閲覧許可を頂いても?」

「あぁ。軌道上から直接受信したものだから、正確なものは降ろしてもらってからになるけど……」

「有難うございます……」

 データは受け取った。でも分からないことがある。

 君は、目覚めたいのか?


 ひとり、静かにシーバを啜る。

 穏やかな一時だ。穏やかな……それでいて、寂しさもある……。

「……閲覧完了しました。悩む理由に関しては、相当のものであることを理解できたと思います」

「僕はどうすればいいと思う? 再起動できるかは分からないけど、ナンバー7はいけると踏んでる。でも彼も……出来ると言ってるだけで、悩んでるだろう?」

「現在進行形での対話が進行中です。詳細はプライバシー保護のために伏せさせていただきますが」

「やっぱり。ハァ、人数が増えたときの弊害までは考えてなかったなぁ」

「ナンバー4……彼の意思を汲み取ることは難しいものだと認識しています。より精細な情報があれば……」

「頼めるかい?」

「患者の容態把握は適切な治療を施すための大前提要素です。抽象的は表現は個人的に望ましくありませんが、該当患者は貴方と同一とも言えますし、一部とも言えますので」

「じゃあ、頼むよ」

「承認します。しかし、現在はハーヴユニットナンバー1に対する診断を実行中です。ですが……思考パターンの安定化が見られます。現在においてカウンセリングの実行を必要とは認めず、容態安定途中として記録。今後はバックグラウンドプロセスに移行し、診断を下します。お大事に」

「ありがとう」

 二杯目のシーバを飲みきる。新しいポットには手を付けなかった。


 デスクから立ち上がる。いくら後続が居ないとはいえ、宇宙との対話室を長々占拠するわけにもいかない。

「そうだ、ネタルフィー」

「何か?」

「フェアリアⅡへのチケットは取れるかな? ここのスタッフが回収関連で行くことになってるんだけど、その前後の便で」

「お言葉ですが、自由があるとはいえ、危険性のある行動は社会的影響を鑑み、無視することが出来ません。加えて、私はチケット予約システムでは決してありませんので」

「出来ないのかい?」

「可能です。可能ではありますが、私はチケット予約システムでは決してありません。私は比較的万能ではありますが、雑用をこなすためには居ませんので」

「僕らの中で唯一能動的に動かせるのがこの身体なんだ。それにだ、無重力下での機能テストも研究機関にとっては嬉しいデータになる、そう思わないかい?」

「……仕方ありません。該当機のチケットを予約、承認します。ご希望の座席は?」

「窓際が良いな。あ、あと二枚取っておいてくれると助かる。チケット代はパラドメッド宛てにしておいてくれ。総務課には僕から話しておくよ」

「チケット二枚、承知しました。予約が完了次第、通知します」

「ありがとう。さて、地表で散歩でもしようかな……」

「お大事に、ハーヴ。私が文句を言わない機械であることを幸運に思ってくださいますよう」

「にしては人間臭い皮肉だね。それじゃ」

 エレベーターに乗る。ちょうどシフト交代の時間なのだろう、到着した二十人乗りのエレベーター内はそれなりに混み合っていた。ほとんどが顔の知らない研究員で、僕の顔を見ても特に反応はしない。

 

 そう、僕こそ、どこにでもいて、どこにも居ない研究員なんだ。

 何十年も前から世界各国の研究機関に在籍する、ハーヴェー・ウィラシックという、ミスターX。

 

 もう、僕の顔を知っている馴染みは、何度も入れ替わっている。
 五十年は、新入りの研究員が引退して余暇を過ごせるだけの年月だ。一世紀ともなればどうなるか、僕自身でも想像が及ばない。

 地上のエントランスホールに出た。僕がここを表立って出入りできるようになった時の姿は何一つとして残っていない。時代が進み、何もかもが更新されていく中、変わらないのは僕自身の顔だけに思える。

「……リゼイ? うん、急に呼び出してごめん」

 僕は目の前の誰にでもなく声を掛ける。

「いや、大した用事じゃないんだ。いやいや、本当に。まだ確定したことじゃないんだけど、リゼイの予定を聞いておきたくて……そう、良ければ一緒に行きたいところができて。忙しいなら……いつか? 今はまだ分からないけど、そう遠くなかったはず……どこか? まぁ、それはお楽しみって事にしておいて。いや、本当に大した所じゃなくてね……ついてきて欲しい、というか……うん、分かった。また連絡する」


 エントランスを抜けた。

最終更新:2020年06月19日 00:30