操舵手ヘボンの受難#42 『夜間飛行』
ヘボンが倉庫に待機している間、辺りから砲声が鳴り止むことは無かった。
数時間前に確保した観測所としての丘から送られてくる情報を元に、レリィグの後方脚車に搭載されている迫撃砲より、敵の航空施設へ向け砲撃を行っているらしい。
「しかし、こんな平原にアーキルの航空施設があるとは驚きだな」
等と、ヘボンの横に居たニールが他人事のように呟いた。
「実際にそれらしい物を確認したとニベニア准尉が言っているのだから、そうなんだろう。私も信じられないが・・・」
ヘボンも飛行帽の横に空けた穴から器用に煙草を突き出しながら、口元だけを開けてそこから紫煙を吐き出している。
こんな目元にまで煙が来るような吸い方などしたくは無かったが、中佐に人前で外すなと厳命されているだけに仕方が無い。
ニベニア准尉がアーキル軍事顧問団の離着陸施設を発見したのは凡そ、40分ほど前で、それからという物、砲声は凄まじいものとなっている。
あと一時間でも聞いていれば耳は完全に麻痺するだろうと思われた。
「敵さんも然る者だな。でも、実際、ヒグラート渓谷にはそんな施設がうようよあるとか聞いたことあるぜ」
ニールはそう得意げに言いながら、もう一度紫煙を吹かして、ヘボンの脇の木箱に深く腰を下ろしている。
「兎に角、出来る限り夜鳥の巣を壊さないと、おちおち寝てもいられないな」
ヘボンはそう言いながら、吸い終えた煙草を踏み消して、機体の方を見直した。
先程から整備兵達が忙しなく働いてくれた御陰で、コアテラはもういつでも飛び立てるかのように元気そうに見える。
准尉達から連絡はまだ来ないが、今晩はまだまだ飛ばないといけないだろう。
大方、弾着の確認について交代を迫られるものと推察出来る。
「・・・そういえば、彼女はどうした?」
「誰のことだよ?」
ふと思い出したようにヘボンはニールを見た。
「誰って、エーバ准尉さ」
「あぁ、アイツか・・・」
またニールは他人事のように呟いた。
どうやら出来る限り彼女のことは意識しないでおきたいらしい。
「あそこにいるぜ」
そう面倒くさそうに彼は、二人の居る処からそれなりに離れた倉庫の隅を指差した。
先程までは整備兵達がごった返していたせいで、意識していなかったが、何やら布が掛けられた巨大な物の横で数名の兵士達と何やら話している様子が見える。
大柄過ぎる彼女はあまりに目立つので、何故今まで気付かなかったか不思議なくらいだった。
「一体、何をしてるんだ?」
「あぁ、レリィグの後部脚車に積んであったオンボロのマコラガを飛ばそうとしているらしい」
ニールの何気ない言葉に、ヘボンは訝しげに彼を見直した。
「まだ機体があったのか?」
「正確には数に数えて良いような代物じゃなかったが、緊急事態って事で予備の備品やらをかき集めて飛べるようにしろと、あの女が整備兵達に迫ったらしい」
「よく納得したじゃないか。彼女の階級はまだ准尉のまま通ってるのか?」
「階級なんて関係ないさ。あの大女に凄まれて、オマケにクルカツイストまで喰らわせてみろ。皇帝だって泣いて言うことを聞くさ」
ニールは戯けて見せた。
実際に彼女ならやりかねないだろう。
追記をすればクルカツイストとはオイルスモウの技の一種であるが、ニールはこの短期間の内に彼女のスポンサーになると言っていたが、本気で技を教えたらしい。
それを短い時間で習得した彼女にも恐れ入るが、何よりはそれの練習台となってしまった整備兵に同情する。
そして、恐らくその技を味わったであろう整備兵は、ヘボン達から横の少し離れた位置で簡易寝台の上で唸っている初老の男に間違いない。
「予備の備品って事はコアテラの補給品も含まれているのだろう?上に話は通したのか?」
「通すわけ無いだろ。このレリィグの上じゃ力こそ階級なのだ」
痛みに呻いている犠牲者の脇で二人が話していると、その『上』が倉庫へと自らやってきた。
「・・・マコラガがもう一機あるとは聞いていないよ。魔法か?」
倉庫へ赴いてきたラーバ中佐の声と何とも言えない微笑に、倉庫内の兵士達は気付いた者から敬礼を取った。
「いえ、エーバ准尉が整備長を…『説得』しまして、後部脚車より調達したそうであります」
彼女に対して、ニールは柔らかい表現を用いて説明したが、背後で唸っている整備長と思わしき男の呻きは隠せなかった。
「・・・呆れたな。これが耳目省のやり方か」
彼女は呻いている整備長に慰めの言葉を送ってから、ヘボンの方へ向き直った。
その顔には誇らしげな笑みが浮かんでいるが、なにやらその裏に別の意図があることをヘボンは鋭く感じとった。
「兎に角、マコラガと搭乗員を確保できたのは僥倖だ。ボイゾレヌ曹長が戦死してしまい、少々参っていたところだが、あの女が機を操れるなら問題ないだろう」
そう言いながら彼女は、一歩横に動き、背後に隠れていた者の姿をヘボン等に見せた。
それは例の近衛艦隊提督の娘と言った少女であった。
夜分遅いことと周囲の凄惨な環境が、幼い彼女には筆舌尽くしがたいストレスであることはヘボン達にも十分に察せられるし、彼等にとっても現状は酷すぎる。
少女は疲れ切った顔で、ラーバ中佐の後ろについて来たようだが、その姿は母に連れられる娘にも思えた。
しかし、恐怖とストレスに引き攣っていた少女の表情は、倉庫の一点に視線が注がれると僅かに明るさが戻ったように見える。
その一点とは先程から倉庫内を好奇心旺盛に行ったり来たりしているヨトギ少年であり、彼も少女の存在に気付くとニコニコと笑みを浮かべて歩み寄ってきた。
そんな様子を見て、次に顔を引き攣らせるのは中佐の番であった。
「・・・ヘボン君。君には重大任務に就いて貰う。彼女の護送だ」
引き攣った表情を素早く打ち消しながら、彼女はヘボンを見据えた。
「近衛艦隊の元にでありますか?既に付近の空域に?」
「あぁ、その通りだ。・・・娘を渡すまで戦闘には参加しないと、先程連絡があった」
中佐は声を忍ばせながら、ヘボンに近寄ってそう囁いた。
その様に周囲の整備兵やニールは奇異の目を向けざるを得なかったが、彼女は気にする素振りなど全く見せなかった。
「信用出来るのでありますか?」
「・・・我々を助けるかどうかは判らないが、このまま人質の様に握っていては、正真正銘の逆賊になってしまう」
「現在でも片足を突っ込んでいるのに、これ以上は止しておきたいであります」
「それ以上は言わないでくれ。連中の空域まで接近すれば、流石に提督の娘だ。迎えくらい寄越してくれるそうだ」
ヘボンの言葉に彼女は少々鋭い目を返しながら、忌々しげに少女と抱き合っているヨトギ少年を見た。
この緊急時でこの少年の非礼を咎めることが出来る者はどこにも居なかった。
「事を急ぐには他に理由がある。・・・敵方の通信を傍受したところ、黒翼隊が空域に近付きつつあることが判った。次は顧問団と連携して総攻撃を仕掛けてくることは間違いない。奴等の艦砲を受ければ此方は一溜まりもないからね」
彼女は視線をヘボンに戻しつつ、切迫した状況を告げて、少女を手招きした。
勿論、ヨトギ少年も付き添ってきた。
「君にはそこの准尉と共に近衛艦隊の元へ飛んで貰いたい。これが敵からの傍受を避けるために、暗号で寄越してきた座標だ。…最初に言っておくが、敵から傍受される危険が高い為、通信は飛び立った後は一切しない方が良い。近衛の方にもそう段取りは付いている。迎えの機は翼灯を三回点灯させて知らせてくれる」
彼女はそう指示を告げながらポケットより空域図をヘボンに手渡した。
それを受け取りながら、ヘボンは彼女に敬礼して少女も受け取った。
そして、彼女はヘボンを見据えながら
「それともう一つ言っておくが、近衛達の前では飛行帽を外し給えよ」
「・・・それは不味いのでは?」
「構わん。外さねば無礼になる」
彼女は含み笑いを浮かべた。
どうやら、細やかな抵抗の意思がそこにはあるように思えた。
コアテラの生態機関を活性化させ、ある程度の暖気運動を行っているさなかに、ヘボンは銃座にて話し合う少年と少女の姿を見上げた。
お互いに扱う言語は違えど、何やら通じ合うものが二人にはあるらしい。
それは精神的にも肉体的にもであることは、中佐の言から知っているが、そんな二人を乗せながら敵機の襲撃に怯えて飛ぶのは、どうしたものかとヘボンは顔を歪める。
「頼んだぞ!」
と、操縦席から見える隙間窓より、倉庫内の整備兵や警備兵達の声援が聞こえてきた。
このコアテラを操るヘボンの双肩に増援の頼みが掛かっている為に、声音の勢いがまた一段と違うように感じられる。
そんな、生体音に掻き消されないほどに大きい彼らの声に、ヘボンも何か応えるべきかと思案したが操縦席に収まっている状態では外に対して示せる事がない。
どちらかといえば、銃座にいる二人の方がある程度外に姿を見せられるので、外の声援に対して何かしらの反応を示してもらいたいのだが、そうもいかない。
一人はそもそも人から声援を浴びせられるような身の上にあるわけではない、提督の娘であるし、その片や一人はそんなものとは無縁の馬賊の少年である。
と、なればヘボン自身がなんとかするしかないと何度目になるかわからない覚悟を、彼は不承不承に決めなくてはならなかった。
闇夜に先に舞い上がったのは護衛機のエーバ准尉のマコラガである。
急ごしらえの機体とは言え、生体器官は調子のよい唸りを上げている。
それに続いてヘボン機も上昇していき、整備兵たちの声援はもう聞こえないが、それよりも遥かに大きい音をする砲声が声援の一種にヘボンには思われた。
先程の露払いによって、敵機の来襲までに時間があるため、ある程度の空域までは悠々と飛んでいけるが、その先はどうなっているかわからない。
戦闘に参加しないというだけあって、近衛艦隊は大分此方の地点より距離を置いてあることが座標から伺える。
問題は今の制空権を確保した地点から、近衛艦隊までの中間空域が最も危険であると言えた。
既に中佐の話では黒翼隊も空域に接近しつつあるという話であるから、幾らエーバ准尉の力量をもってしても機体の性能差も数の差もある相手に、どれほど立ち回れるかどうかは期待できそうにない。
ヘボンの視界の先には闇夜の中に低い唸りを上げて、准尉のマコラガが先導役として飛んでいるが、闇夜とはいえ尾灯等の明かりは一切消して、僅かにでも敵からの目を避けようとしている。
此方も機体内の明かりはほぼ全て消しているが、時折雲間から覗く月明かりにて、漸く前方機の位置を朧げに把握するような次第だ。
視界など当てにならず、こうなってくると座標と速度計、そして時間から現在地を割り出している次第だ。
この手の術は夜間長距離航行を行う際に多くに用いられる手法で、ヘボンはある程度この術に自信があった。
しかし、問題はエーバ准尉の方で彼女は夜間飛行の術に長けていないのか、時に暫く明後日の方向へ機首を向けて飛んでいく事がしばしば見受けられる。
敵からの傍受を恐れて、極力通信は行わない様に努めているため、いちいち彼女に機首を変更するように伝える訳にもいかず、そもそも護衛機のために周辺を警戒するべくあの軌道を取っている可能性もある。
だが、敵に発見される恐れがある場合は、無駄に機体をそわそわと動かしてはならないことを夜間爆撃の経験からヘボンは熟知している。
これは護衛機も同様で、護衛機の無駄な動きのせいで此方が発見されるという場合も多々あるのだ。
(彼女は護衛役に適任ではない)
そうヘボンは内心思いつつも、彼女しか頼れる護衛機もいないのだから致し方ないと割り切るほかなかった。
それよりも、より適任といえるミュラー少尉やフレッド准尉は行方知らずとなってしまった事にヘボンは想いがいった。
あれほどのベテラン達がそう簡単に撃墜されるとは信じ難いが、何が起こるか戦場では全く予期できないし、もし撃墜されたとしてもこの現状では発見もままならないだろう。
しかし、その最悪な事態が脳裏を過るとヘボンの心情は大きく掻き毟られる。
あの豚少尉や死神女に何か大きな思い入れがある訳でもないのだが、後者は兎も角、前者には多少なりとも関りがあるのである。
僅かにでも見知った相手が悲惨な死に様を遂げたとあれば、さほどいい気はしない。
仮にも死線を抜けた間柄であれば猶更でもある。
けれどもヘボンは、そのような暗い心情は飛行の際の邪魔でしかないと割り切る事が出来たので、脳裏からその考えを振り払いながら、今は航行に最も必要な聴覚に意識を集中した。
そして、その音に集中していると前方を飛んでいるはずの准尉機が随分と此方から遠ざかり始めたことに気付いた。
慌てて視界で確認しようと前方に目を凝らすが、生憎月明かりも雲に隠れてしまい、前方は漆黒の闇である。
咄嗟に連絡用の送信機へ手を掛けたが、すぐに躊躇してしまった。
そこで銃座のヨトギ少年に護衛機は何処を飛んでいるか見えるかと、声を掛けることにした。
「護衛機を視認できるか?」
これも咄嗟に帝国語を出してしまった為に、ヨトギ少年では理解できないとヘボンはすぐに思い直し、何か仕草で伝えられないかと思案し始めると
「二時の上方に見えます」
と、凛とした少女の声が上から帰ってきた。
これにヘボンは肝を冷やした。
銃座にいる少女とは、近衛艦隊提督の娘であり、ヘボンから言えば雲の上の存在である。
これを無意識に命令したとあれば、問題ではないかと顔を歪ませる。
だが、次に彼女は方向で返事をしたが、まさかこの闇夜で見えたというのだろうか。
ヨトギ少年の野性的な視力を期待しての指示であり、彼女の視力を頼るつもりは全くない。
一瞬、ヨトギ少年が彼女に帝国語で伝えるように促したのかとヘボンは思い直し
「ありがとうございます、閣下。それと、ヨトギ君にも…」
と狼狽に上ずった声で返事をしてしまった。
口を利くこと自体が既に随分と恐れ多い事であるのだが、それに加えて伝言も頼むとはヘボンはここ数週間で上下関係に対する感覚も麻痺しかけていると思った。
「いえ、彼は寝ています。…提督の娘たる者、艦船を把握出来ねば務まりませぬので…」
更にヘボンの感覚を麻痺させるような言葉が銃座から返ってきた。
これにはどう返せばいいものかヘボンは困惑し、ははぁとまた上ずった声を間抜けに出すほかなかった。
提督の娘だからと言って、そのような必要があるかは疑問であるが、本人が言うならば仕方ないし、反論する余地は立場上無い。
しかし、彼女の言葉通りに前方に目を凝らすと確かに、二時上方に黒い点となって朧げに飛んでいる機が見えた。
相当注意して頗る良い視力が無ければ到底、発見できなそうな点である。
(どうやら、あの少女も癖がない訳ではないらしい)
そうヘボンは肝を冷やしたまま、次の術を考える。
なんとかして、准尉機に目標座標の方へ機首を向けてもらう必要がある。
護衛の必要があるといっても、あの機の動きは既に護衛機の動きではなく、最早『迷子』といえるほどに不安定であることが伺える。
通信は制限されている為に、迂闊に呼び掛ける訳にもいかない。
その合間にも機影は更に闇の中に溶け込んでいって、やがて完全に見えなくなってしまっていた。
(なんてことだ)
そうヘボンは内心で毒づきながら、あのいい加減すぎる護衛機を呪った。
ものの数秒で空域に一機だけとなってしまい、まだ近衛艦隊が居るという空域まではそれなりに距離がある。
だが、途方に暮れかけたヘボンの耳に、不意に護衛機が消え去った方向から、妙な生体音が微かに聞こえてくる。
此方も搭乗席にてコアテラの生体音が聞いているのだから、機外の音に耳を澄ますのは至難の業であるが、それでも機其々に独特の音色を持つ生体音がしっかりと聴覚に入ってくるということは相当な高音であることが察せられる。
一瞬、ヘボンは護衛機が漸く気付いて、此方へ機を反転させてきたのだと思ったが、それにしては生体音が歪であることに気付いた。
マコラガの様な旧式機の生体音という物は大凡洗練されたものに非ず、単調と形容すればいいのか割と聞き取りやすい。
だが、それは高音には違いないが、あまりに美しく切れのある音色で、明らかにマコラガと違うのである。
それを理解した途端、ヘボンの顔は青褪め、聴覚に意識を集中させながら、この生体音が何か必死に思い出そうとした。
「銃座!機影を確認できるか?」
咄嗟に銃座に誰がいるのかも忘れてヘボンは叫んだが、その様な事は今更些細な事である。
「…いえ、護衛機も見当たりません…」
銃座の少女の声がか細く返ってくるということは、ヨトギ少年はこんな事態においても眠り込んでしまっているらしく、役に立ちそうにない。
「…待って、3時上方に…何か…『逆T字』の影が…」
代わりに途切れ途切れに聞こえてくる少女の声に、ヘボンは彼女の形容する逆T字とは何か必死に連想しようとした。
間違いなく正面から飛行してくる、マコラガの形状ではない。
大凡の機影で機種を見分ける訓練は相当に積み、実戦でも何度も試した経験がヘボンにはあるが、その経験から言えば
「…『ヴェーリャ』か?」
自信のない呟きと共に機首を連想した。
『重戦闘機ヴェーリャ』は一撃離脱戦法を得意とする帝国戦闘機だが、まさか銃座の少女の迎えに重戦闘機を寄越してくるものだろうか。
ヘボンの背筋に瞬間的に悪寒が走った。
この期に及んでは直感が生死を分ける。
こちらに対して識別信号は愚か、ぐんぐんと速度を上げて接近していることがわかるまで生体音が大きくなってきた相手に対し、悠長な対応を取ってはいられない。
「ヨトギ君!撃て!敵だ!」
そう銃座に叫び声を発し、ヘボンは機体を捻って回避機動を取ろうと試みる。
その際に正面の闇夜が、不意に開いた雲間から指す月光に彩られ、上方から機体全体を『黒く』染め抜いたヴェーリャが迫りくる様をヘボンは冷や汗と共に見ていた。