例えば今日のように、盗んだ物とお金を全て取られ、店に連れ込まれた後。液体を吐き咳き込む喉を押さえ、水溜りに顔を突っ込んでいる時。
僕が思い浮かべるのは、いつも真逆の光景だ。
針葉樹林が風で揺れ、草食動物が野山を駆ける。
肉や配管が所狭しと並び、太陽の光すらろくに差し込まないこの旧軍港地区よりも、もっと自然らしい場所だ。
一度も見た事がないのを除けば。
帝都──インダストラリーゼ。
そんな名前はもはや過去のものだ。「帝作戦」だなんて大それた仰々しい戦いが起き、僕の全ては奪われた。
宰相派の貴族の下で生きていた両親が、貴族の身代わりで逮捕され、僕だけが取り残された。両親を逮捕した近衛騎士は僕の事をこの貧民街に放逐し、六王湖へ逃げた貴族など眼中になかった。
帝都に宰相派貴族の居場所はない。元宰相派貴族という証はないが、今まで貴族として優雅に暮らしていた僕にこの暮らしは耐え難い。
妙に女顔であるせいで今日みたいな目に遭うし、元貴族には物取りのスキルなどない。
痛む頭を片手で抑え、空いたお腹を抑え、焦げ付いた旧軍港地区の匂いを鼻から吸うと、けんけんと肺から咳が出る。
周りにあるのはゴミ捨て場、食べ飽きて捨てられた人工肉や排泄物、馬糞や犬の死骸などが回収されずに放置されている。
ここは帝作戦で崩壊した軍港地区跡地、その近そうに作られた無限の回廊。暮らす人々は男も女も一度も風呂に入ったことがなく、酒を片手に一度も磨いていない歯から罵声を放つ。
店という名の物乞いの商売皿には小銭すら入らず、裏路地からは微かに甘い悲鳴が聞こえてくる。
周りの人々はトボトボと歩く僕などに気にもせず、ただただ自分だけのことを考えて生きている。そんな世界だ。
最後に食べ物を口に運んだのは三日前、それ以来体が凍てつくように凍るのを感じている。
僕は足を前へ送る事をやめた。
路地脇にへたり込み、冷たくて汚い路地に体を横たえる。
このスラム街を元貴族が一人で生きていくなんて無理だ。いっその事、ここで寝て死体ひとつを作ろう。次の朝清掃員が迷惑そうに僕の片手を取り、他のクルカの死骸と共にゴミ捨て場に捨ててくれるはずだ。
そう決意した僕の耳を、突然鈍い雷鳴が打った。
雷鳴ではなく低く重い生体機関の鳴き声、すぐにそれに気づき、僕は仰向けになって微かに見える空を見上げた。
焼け焦げた空への道を、大きな影がごごごと覆い隠す。赤く燃えるような色の船体に青い生体器官、携えた長砲身砲が新鋭戦艦である事を意味する。宰相派が思い思いに作った宮殿まがいの戦艦とは大違いで、まさに戦う船だった。
伸びた髪を水溜りに付けながら、僕は手を伸ばした。この手を天使が取ってくれると思い、僕はあの船の向こうへ手を伸ばした。
「死にたくないわよね?」
その手を、女性の優しい声が取った。
「まだ死にたくないわよね?」
女性兵士はそう言った。
◇◆◇◆◇◆◇◆
フリッグ・インペラート・クランダル女帝殿下のファンは多い。ラツェルローゼに並び、同じ近衛騎士の長であり新生クランダルト帝国の長でもある彼女。それを信仰しない近衛騎士が居ないのは、まあ当たり前の話だ。
しかし、近衛騎士の中にはその忠誠心を私利私欲に利用するズル賢いのもいる。例えば忠誠心を言い訳に使役艦隊を増強したり、忠誠心はあるから休ませてくれと豪遊をしたりである。
この目の前にいる近衛騎士も、そのズル賢い人の一人だ。
足を揃えて旗を持ち、服を揃えて行進する少年たち。ノイエラントの外れにあるこの宮殿に、実に数百人の少年たちが集まっていた。
少年たちは足並みを揃えて踵を鳴らし、軍隊の如き整った整列を整え行進する。
あどけなさの残る少年たちの目線は壇上に座る少女、フリッグ女帝陛下に捧げられており、彼女もその姿を見て静かに微笑む。
しかし、その彼女の微笑みには少し悲しげな表情が見え隠れする。
それもそのはず、彼らの手には子供に似合わない物騒な小銃が握られていた。小綺麗な旗も新生クランダルト帝国の旗を掲げており、彼らが帝国に対して忠誠を誓っていることが見える。まだ幼いのにも関わらず、だ。
「「「「ミーレ・インペリウム!」」」」
壇上に座るフリッグ女帝殿下に対し、帝国式の敬礼をする少年たち。
彼らの意思は硬い。自分が何か言える事は少ないと悟り、私──カレン・リューメリン少佐は口を噛み締めた。
鉄の味のする口の中を収め、再び私はまたあどけなさの残る少年たちを見た。彼らは今後兵士になるよう運命付けられている。
フリッグ青少年団──通称"フリッグユーゲント"。
上級近衛騎士エデルガルトが設立した、フリッグ殿下に忠誠を誓う青少年団だ。名前の通り構成員のほとんどが未成年の少年で占められている。
その設立は帝作戦直後。まだ懐疑的だった民衆のフリッグ殿下に対する忠誠心を集める為、フリッグの為に忠誠を誓う少年たちを募って集められた。
もちろんこの事はフリッグ殿下とラツェルローゼの公式公認。少年たちは自ら進んで志願し、フリッグ殿下に報いる為日夜フリッグ殿下のイベントに出席、パレードでの行進などのパフォーマンスを行う……だけの組織だったはずだ。
それが今では本物の小銃を持ち、兵士になる準備をしている。明らかに間違った道を歩んでいるのは目に見えている。
……まあ、この組織が初めから間違った道を歩んでいたとも言える。近衛騎士の中には自分より若い男が好きで好きでたまらない奴もいる。忠誠心の現れと言いくるめ、青少年団を作って少年たちを侍らせる、そんなズル賢い奴らによって設立された。
だからこそ、侍らせている少年団に徴兵命令が出た時、彼女らは真っ先に反対するかと思っていた。かと思えば彼女らは真っ先に賛成し、少年たちに軍事訓練を追加した。
この徴兵命令にフリッグやラツェルローゼの意思は絡んでいない。この組織を作り、徴兵したのは私の隣の女──エデルガルト・ラインマイヤー中将だ。
整列する少年たちを見てニヤニヤ笑うその口を抑える。
「今日! 16歳になった少年たちが兵士へと志願した! 皇女殿下の土地を北の悪魔から守る為に!」
近衛騎士エデルガルトは壇上に立ち、マイクに向かって叫んだ。
「貴様らユーゲントは!フリッグ女帝陛下のに命を捧げると誓うか!?」
「「「「はい!」」」」
「帝国のために命を捧げると誓うか!?」
「「「「はい!!」」」」
エデルガルトはその様子を見てニヤリと笑った。
「今日から貴様らは大人と同じ兵士だ! 歓迎するぞ!!」
「「「「はい!!!」」」」
少年たちは純粋無垢な目で近衛騎士の女性らを見て、笑顔で返事をした。
「狂ってる……」
その狂った様子を見、私もエデルガルトの次に壇上に立ち、私は──
その日の執務を滞りなく終え、今私は執務室で今日のパレードの報告書をさらさらと書き上げている。削れかけた古い万年筆が紙に擦れ、要目を全て書き出す。
「何かあったかしら……」
パレードだけでは報告する事柄が少ない。全く無いと言っても過言では無い。実際報告書を要求した上もそんなに紙の数は要求していないらしく、ただ出来事を日記のように記して記録しておくだけのものらしい。
少なく短い報告書でひぃひぃ言っている私はまだ幸せ者だろう。北側では民主主義であるが故にもっと多くの報告書を要求されるらしい。
考えるだけでやりたくは無い。短い報告書を書くだけでもこんなに苦労しているのに、さらに多くの報告書を要求されるなんてたまったものじゃ無い。
──そういえば……
今日のパレード、一人だけ他の子に着いて行けてないバテた子がいたのを思い出した。どこかから転属してまだ慣れてないのか、それともそもそも団体行動に慣れてないのか、隊列が乱れかけたりしていた。
終わった後解散した後もベンチに座ってバテていた上、他に友達も居なさそうな子で少し心配になる。
「あの子は……確かインダストラリーゼ支部から派遣された子だったな」
腕を組みながら思い出す。今日何人か来た他の支部の子全ての顔を覚えているが、一際金髪が長く女の子のような見た目をした少年だった。いつも下を俯いていたのも覚えている。
「名前は確か……フリットだったかしら……」
仲間の近衛騎士が彼に対して声をかけると、びくついた様子で驚いたのを見ると、戦場の砲声や銃声を聞いて耐えられるかどうか心配だ。
「彼だけは外せないかしら……」
彼だけは徴兵命令から外したいという私情に駆られる。とりあえずは彼のような心配になる子がいることを報告書にさらさら書き起こし、私は報告書を完成とした。
紙を束ねて封筒に入れ、執務室の机から立つ。廊下へ出るとまもなく団員の消灯時刻、宿舎から騒ぎ立てる声は薄くなっていた。
佐官執務室から上層部の執務室へは、一度宿舎を通らなければならない。というかここフリッグユーゲント本部は団員の宿舎も兼ねており、近衛騎士がそこを経由して行き来する事で監視の体制を作っていた。
本当は侍らせる少年たちの顔を見たいだけに過ぎないのだが、一応将官以外は宿舎の部屋を開けることは禁止になっている。大人の女性が子供に手を出さない為の措置、になっているはずなのだが……
「貴様! 答えろ!」
アレア大尉という部下の近衛騎士が宿舎の扉を半開きにして怒鳴り声を漏らしているのを見て、私はため息をついた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
自由時間が終わった後、僕は新しい宿舎に直行した。別にやる事もないし友達も居ないここでやるべき事もない。
なら新しい友達を作れと言われればその通りだが、残念ながら僕には無理な話だ。昔から貴族として普通の社交性を教育されてこなかった僕にとって、ここは窮屈で仕方ない。
けれど、ここ以外に居場所はないのは事実だ。他の居場所は帝作戦で潰され、親は未だに拘束されている。
僕を見つけたユーゲントの創設者の女の人は、僕の状況をわかっていたのか、こう言った。
──お前がユーゲントに入るなら親の無実を証明してやる。
──そしてお前にも、居場所を与えよう。
宿舎に戻った後はベットで昼寝をするだけだ。今日は新しい環境に放り込まれて一段と疲れている。まだ僕の頭に慣れてない硬い枕に頭を預け、目を瞑って寝ようとする。
「寝れない……」
やはり慣れていない環境のせいか、いまだに寝付けない。気づけば自由時間が刻々と過ぎていき、僕の安らぎの時間は消えていく。
そんな時、ガチャリと扉が開く音で僕はさらに目覚めた。
「あれぇ? あれれぇ?」
もう、そんな大声で言われたらもう寝れないじゃないか。
「こんな所に近衛さん以外の女の人っていたっけ?」
絵に入ってきた彼は僕に近づき、興味津々に顔を見た。
「え?」
「あ、でも声は男の子だ! 君は新しく入ってきた子!? 名前は!? どこから来たの!?」
「え、えっと……」
いきなり質問攻めにされ、僕はたじろいで少し後ろに下がる。この子は新しく入ってきた僕に対して興味があるのか、キラキラした目で問いかけてくる。
「ま、まって! 一つづつ説明させて!」
「いいよ!」
僕は彼の了承を聞きつつ、一つづつ説明を始めた。僕が新しく入ってきた子である事、自分の名前、帝都から来た事。
「へぇ……フリットくんか! よろしくね! 僕アストル!」
彼──アストルは満足したように言った。
「う、うん……」
「いやぁ……僕インダストラリーゼから来た子初めて見たなぁ!」
「インダストラリーゼ?」
「?、帝都は今そう呼ばれているよ。知らなかったの?」
「あ、そう……なの……」
それを聞いて暗い気持ちに少しなる。自分がスラム街で暮らしていた7年間の間に世の中が変わってしまった事、置いてきぼりにされた事を知り自分の世間知らずさを恥じた。
「まあいいや! そう言えばフリットくん、パレードの時少し縮こまっていたよね。大丈夫だった?」
意外な事を言われ、僕は顔を上げる。
「え? あ、うん……多分大丈夫……」
「大丈夫じゃないさ! これから僕たち仕事が増えるんだよ? 本当に大丈夫?」
彼は僕を心配してくれるのか、声のトーンを下げてそう言う。そうは言ってもお世辞しか言えないのは僕の悪い癖だ。
「これから慣れるよ……出来なくても慣れなきゃ」
「うーん、そっか。まあ、こんな所なんて嫌だったらやめてもいいんじゃない?」
「え?」
あまりに飄々とした態度でその言葉を言うので、僕はかなり意外に思った。このユーゲントでは監視体制が厳しく、宿舎であってもこんな気の緩んだ言葉は言ってはいけない決まりだ。
「別に辞めてもいいんじゃない? ユーゲントなんて近衛さんが僕たちを侍らせるためのものでしかないからね〜」
「え、えっと……」
「あー、いいからいいから! 流石に宿舎まで聞き耳立てる奴なんていないって!」
フリッグ陛下のことを罵倒していないだけで、彼はユーゲントのことをそうこき下ろした。ここユーゲントで近衛騎士をこき下ろすなんて、なんて恐れ知らずかと少し怖くなった。
しかし彼の飄々しさにはむしろ清々しさを感じる。確かに考えてみれば今すぐにでも辞めてみたい、本当に。僕もここに入ってきてから近衛騎士の人に叱られたり触られたりして嫌な思いはして来た。
それでも辞められないのは、あの時言われた言葉を信じるしかないからだ。けど──
「まあ……確かに僕も騎士の人にお尻を触られたりとかしたけど……」
「あーわかるわかる! 僕なんて前から股を触られたよー」
「え!? アストルってそんな事までされたの!? てかそんな事までする人いるの!?」
「フリットは逆にやられた事ないの? まあ毎日じゃないけれど……触られるだけだし」
「潰されたりとかは……?」
「された子は居るみたいだねー、お仕置きとかで」
「ヒェッ……」
青ざめる僕を見て、彼は面白さげに笑った。
「はははっ、冗談だって! そんなわけ無いじゃん!」
「え、ええ!? どこまでが嘘なの!?」
「ご想像にお任せしまーす!」
「そんなぁ! 怖いよ僕!」
怖がって震える僕をみて、アストルはさらに大笑いした。しばらくして笑いが止まり、笑い涙目を人差し指で拭くと僕に語りかけた。
「まあ大丈夫だって。どうせ成人になったら捨てられるんだから、今耐えれば怖い思いはしないよ」
「そう……なの……?」
「そうだよ。まあ、他のみんなは成人になるまでに命を捧げるつもりで居るらしいけど、僕はどうかなぁ……無理矢理やらされたようなものだし」
無理矢理、と言う言葉に少し疑問を抱く。まるで僕と同じようにユーゲントにいるしか無い理由があるかのようだった。
「どう言う事?」
「僕は親が皇女派? って言われる人でさ、ユーゲントが設立された時親は入れ入れって煩かったんだ」
「そうなの?」
「本当は普通の高校に入りたかったんだけど、ここしか入れないぞ! なんて言われたから仕方ないかぁ、って」
彼は仰向けに腕枕を敷き、呆れたように目を閉じた。
フリッグユーゲントに入団した団員たちは専門の学校が用意される。彼らはその学校に通うことが強制され、当然生徒は皆男子で先生は皆近衛騎士の女性だ。
「実は僕もなんだ……」
「そうなの?」
「僕はスラム街の出身で……近衛騎士の人に誘われた時言われたんだ、ここに入れば助けてやるって」
僕は都合の悪いところだけを隠して素性を簡潔に言った。流石に親が宰相派だと言うことは、皇女派だった彼には……まだ言うことはできない。
「そっかぁ……まっ! 僕も今回の徴兵は強制みたいなもんだし、仕方ないよね! 僕は嫌だけど!」
アストルの無邪気な声音に、僕は自然と笑いが溢れた。それを見たアストルも僕に釣られて笑い始め、二人っきりの部屋に子供の声が響く。
と、その子供だけの空間を隔てる扉がドしんと叩かれ、二人は振り返る。
『おい貴様ら! 今の言葉聞こえたぞ! 扉を開けて出てこい!』
「やっば! アレアのオバさんだ!」
有名人なのか、アストルは焦って扉へ向かってドアノブを捻る。
「いや〜ごめんごめんアレアさん、まだ消灯時間じゃ無いからはしゃいじゃって……」
「言い訳するな、先程まで近衛騎士を笑っていたのは聞こえてるぞ」
扉を開けて出てきたのは、金髪で吊り目を施した化粧の濃い近衛騎士の女性だった。顔は性格を表すというが、いかにもキツそうなその顔に合わさり声のトーンもキツかった。
「それからこれからは大尉と呼べ、貴様らはもはや兵士なのだからな」
そう言って彼女はアストルを廊下に立たせた。
「おい、貴様もだ」
「え? えっと……」
「いいから来い!」
大声で怒鳴ってくる人は苦手だ。たとえそれが女性であったとしても。
廊下に立たせれた僕は直立の姿勢を強要され、彼女は手を大きく振り上げた。
「ッ!!」
乾いた音が2発、二人の頬を引っ叩いた。僕は痛みに耐えかね少し涙が出て、困惑して言葉が出なかった。
「いいか? ユーゲントたる貴様らはもはや兵士だ! 帝国に使える立派な兵士なのだぞ!」
彼女は鞭を取り出し、アストルを1発引っ叩く。
「フリッグ殿下は無論のこと! 近衛騎士団を馬鹿にすることすら許されんのだぞ!」
「……!……!」
「分かっていのるか!?」
一通り彼をいたぶると満足し、彼女は無知の矛先を僕に向けた。
「それから貴様……今日の行進はなんだ一体? あのトロトロとした動き、やる気があるのか?」
「え、えっと……」
「貴様! 正しく答えろ!」
鞭を振りかざそうとした彼女。僕は目を瞑り、迫り来る痛みに耐えかねようとした。だが、その鞭の矛先は横槍のような一声に止められる。
「止めなさいアレア大尉!」
凛としたその声は、大声で怒鳴っても僕の耳を貫かなかった。
「ッ!、カレン少佐……!」
「振り下ろそうとしているのは鞭ね? そんなものを子供に振りかざすのは止めなさい」
「しかし少佐! 彼らは我らを馬鹿にして……!」
「だからといって鞭を振りかざすのはやりすぎです。言葉で叱る程度にしてください、いいですね?」
カレン、と言われた女性士官は金髪に三つ編みの凛とした雰囲気を醸し出す。彼はその髪をふさりと手で払いつつ、アレアという女を叱りつける。僕の鼻腔に甘い香水の匂いが漂った。
「少佐! 彼らは体罰を与えなければ学習しません! 馬鹿は叩かなければならないのです!」
それでもなお、彼女は鞭を片手に自分の主張をぶつける。
「……貴女、少年たちをいたぶって楽しんでいるでしょう?」
「ッ!」
しかし三つ編みの女性はその主張をバッサリと切り捨てた。
「少なくとも私の前では少年らへの体罰は禁止とします。良いですね?」
「くっ……分かりました……」
彼女は吐き捨てるようにそう言い残し、足をツカツカと廊下を去っていった。彼女が去った後、周りの部屋のガヤが再び聞こえ始めた。どうやら彼女は相当嫌われているらしい。
「大丈夫ですか? 二人とも?」
「え、えっと……」
女性士官──カレンさんは僕たちの頭を撫で、
「うん、まあ平気だよカレンさん」
「カレン少佐、ですよ」
さっきの女とは違い、優しげな声で注意するカレン少佐。その目線が僕を見るたび、少し照れ臭くなる。ありがたい優しさだった。
「あ、貴方はこの前やって来た子ですね?」
「え、あ、はい……」
「私はカレン、カレン・リューメリン少佐です。貴方は?」
彼女が顔を近づけると、自然と心臓の鼓動が速くなる。僕はたじろぎながらも自分の名前を絞り出す。
「え、えっと……フリット、フリット・リコリスです。階級は二等兵からスタートしました」
「フリット二等ね、ありがとう。来月から本当に戦場に向かうかもしれないけれど、頑張ってね」
そう言って僕を撫で、にこやかに微笑む彼女。僕は自然とどきりとした。カレンはにこやかに立ち上がると僕は頭に残った手の余韻に浸っていた。
「フリット! 凄いじゃん!」
「え? 何が……?」
彼女が去ると同時に、アストルが声をかけてくる。彼はフリットに興奮した様子で目をさっきよりも輝かせている。
「カレンさんに気に入られたんじゃ無いの!?」
「え、え?」
「カレンさんはみんなに優しくしてくれるけど、出会って1日目で撫でられるなんて!」
「そ、そんなにすごいの……?」
「すごいって人じゃないよ! みんなの憧れだよ! 羨ましいなぁ……撫でられた頭、触らせてよ!」
「え、ええ!?」
その後、アストルに羨ましがられてわしゃわしゃと髪を撫でられる。今日出会った友達にこんなことを言うのはなんだが、彼女の手の感覚が消される感覚が微かにした。
もっと彼女の余韻に浸りたかったなぁ……