春先の雲上戦

艦隊戦に於いて決戦というものは非常に生じにくく生じた場合も陸戦とは違い決定的な勝利というものは、極めて発生しにくいとされているのが概ねの戦史家の共通認識である。
何故なら運用に多数の人的資源に多量の資源を必要とする空中艦というものは、極めて高価な故に互いに致命的損害を被る前に戦闘が切り上げられてしまうからだ。
そういった前提からすれば小競り合いから始まり最終的に決戦となった挙げ句に双方大損害を被ったシルクダット会戦を頂点とする一連の戦闘は例外的であった。
この戦後の対応は、各国で多種多様に異なるが特に取り上げられるべきは、クランダルト帝国軍であろう。
決戦で新旧問わずに多数の戦艦を損失するに至った彼らは、シルクダット会戦直後では空中艦隊戦力が実質的に壊滅したとも言える惨状であり北半球陣営が反攻作戦を行えばカノッサ方面軍そのものが地上から消え去る危機的状況に陥っていた。
そのような状態の彼らが壊滅せずに済んだのは、中程度とされる損害を受けたアーキル連邦軍がカノッサへの反攻作戦を企図しなかった事。
それから空中艦隊思想の敗北に直面したメル=パゼル共和国軍が六王湖=カノッサ輸送路への航空攻撃を控えたこと事。
それら2つを差し引いたとしてもシルクダットの終結から数カ月後――フォウ王国がワリウネクル諸島連合へ侵攻し大寒波戦役が勃発してしまいカノッサ方面で反攻作戦を行っている場合などでは亡くなった事にある。
奇しくもリューリア直後の北半球陣営みたく救われた彼らであったがやはり戦略の見直しそのものは必須であった。

そういった経緯で立案された新戦略の結果、ヒグラーテにほど近いがヒグラーテ地方に含まれる訳ではない名もない空域。
その雲中に3隻の空中艦が潜り込んでいた。
劣悪以外の何ものでもない視界で赤外線を頼りにどうにか単縦陣と思しき隊列を組む3隻は、群狼作戦と呼ばれる新戦略に基づき動員された一艦隊であった。
1隻のガーランド級に2隻の後期型クライプティア。共に旧式だが二線級という訳でない艦艇で構成された典型的な快速小艦隊。

その先頭を進むガーランド級、勿論旗艦であるこの艦――"カラット"の艦橋中央には、年若い青年が立っていた。
その名をエリトリア・フォン・カナードル、ラツェルローゼ体制下で台頭した新参貴族家、その三男坊である彼こそが"カラット"の艦長にしてこの艦隊の司令官である。
「副官。結局、援軍は望めなさそうなのか?」
「ディレニアの司令部(ドクトル)に再度打診してみますが期待は……あまり出来ないでしょうね。エカルラードクラスの大型航空母艦2隻が展開中とされる空域の中を突っ切れる奴は、カノッサ方面軍には居ません」

「相手は重巡航艦1隻に過ぎないのだから同規模の艦隊一つ合流してくれるだけで何とかなるのだけどな」
エリトリアは己とその部下たちが置かれた状況。そもそもこんな状態に追い込んだ張本人のカノッサ方面軍もそもそも軍に自分をぶち込んだ家も恨まずにはいられなかった。
彼のカナードル家は、純血クランダルト系であるものの別に純血派に取り入ると言った事もしなかった歴史だけある典型的下級貴族といった家であった。
そしてそんな下級貴族家が新帝国で台頭出来たのは、リューリア戦役に近衛騎士団の政権奪取と立て続けにダメージを負った内政の立て直しに奔走した功によるものであり見事、宮廷貴族体制崩壊による政治的空白に滑り込んでみせた貴族と言えよう。
そのように家を導いた現カナードル当主――エリトリアの母親は北半球陣営との短い休戦が破られると軍への影響力保持も考え出した。
それからエリトリアがノイエラントの士官学校に投げ込まれるのにそう時間は掛からなかった。
長男次男は官僚貴族としての家業を継ぐ。長女は既に家を離れ南パンノニアで交易業を起こしていた故に――アカデミアで天文学者を志す三男坊が軍に送り込むには最も都合が良い。

以上が彼が家を恨むに至った経緯である。
彼が自身より不幸に思ったのは、本人の意に反して将としての才能と運に恵まれていた事だろう。
士官学校を主席で卒業しカノッサ方面軍へ配属。重巡の航行士官として経験を積んだ後、昇進し小艦隊の一参謀として通商破壊戦に2年間従事、そして駆逐艦に艦長として着任。
3年間の艦長時代に商船12隻、空防艦3隻、軽巡1隻の撃沈の功を上げ新たな時代の貴族として小艦隊一つの司令官へ昇進。
ただし彼がわずか5年にして艦隊を預かる将校にまで上り詰めた理由は、上記の才能による功よりも政治的な理由が大きかった。
リューリア戦役の若き大英雄ヴァルメリダを近衛騎士団に取られた(少なくともドクトルはそう認識していた)軍上層部は、再び始まった戦争に新たな英雄を欲していたのだ。
新帝国で頭角を現した新興貴族出身の若き天才士官――それが政治的な英雄の器にふさわしいと判断された。
天文学を学んでいたのも政治的な昇進コースに乗った士官としての生活で役立った。その延長として航法が出来る――下士官と同じ仕事を出来る士官というものは実際に艦を動かす立場である下士官、兵卒から尊敬の念を集めるものだからだ。
貴族の三男坊が齢28にして艦隊を率いる英雄に仕立て上げられるまでの物語はそういったものであった。

「司令。生体機関の体力も無尽蔵ではありません」
大方突風に煽られたからだろうが艦橋内が傾き揺さぶられる。それとほぼ同時に副長が発した。
生体機関というものは、文字通りの生体でありクランダルト帝国の持つ技術力の象徴と呼ぶべき存在だが生体故の強み弱みもはっきりしていた。
機械であっても長時間の高負荷稼働というものは何かと不利益が齎される事態になりがちであるが生体の場合、それがより顕著なのだ。
端的に言えばどうにか最短ルートで向かえる帝国の拠点――ポマン泊地辺りへ逃げ込もうと奮闘した2日間アーキル重巡に追い回される中で17回もの全力運転を命じられたカナードル艦隊各艦の生体機関は疲弊しきっている。
「理解している」
理解はしている。次の指示は思い浮かばない。
この艦隊はもう詰んでいるのだ。重巡とは名ばかりで15cm砲しか無いコイツじゃあアーキリア重巡には勝てない。
ガーランド級は、小艦隊を率いる上で悪くない相棒だがそれは重巡と正面から殴り合わされて勝てる事を意味しない。
エリトリアは表情には出さなかった。頭が動揺を見せては士気に関わると彼は経験から知っている故に。上に立つものとしての責務として散々恨めしい母親に仕込まれた知識の一つだ。

――群狼作戦。この状況を作り出してしまった上層部の新たなる戦略方針。
ごく簡単に説明すれば多数の小艦隊を展開し発見した敵船団へ次々と波状攻撃を仕掛けるというものであり一つの小艦隊に対応してる間に次々と他の小艦隊が船団へと到着しアーキル人の船団護衛能力は、飽和するという理屈であった。
実現出来れば非常に有効であろうのは確かに頷けた。たとえシルクダットで多数の戦艦を損失したとしてもリューリアでそれ以上に失っていたアーキル人の戦艦、重巡の保有数は帝国軍に大きく劣る。
そして実現は出来た。最初の一回は大船団一つを構成していた輸送船舶の半数近くが沈んだらしい。
だがその反面、我々帝国側も軽巡1隻、駆逐艦2隻――快速艦隊が丸々一つ失われた。アーキリア重巡の追撃から逃げ切れず2隻が沈み残った1隻が降伏したらしい。
そしてそれと同じ事が今、起きようとしている。しかも更に悪い形で。

ディレニア泊地のカノッサ方面軍司令部に凶報が入ったのは、2日前の事だった。
エルデアからエカルラード級戦略空母が2隻――アーキル側からすれば同型艦ではない"エカルラード"と"エレーヴォン"が通商破壊部隊を撃破すべく出撃したとの報であった。
空母部隊が迎撃に出てきては小艦隊の集団である群狼作戦は各個撃破されるしかない。
故に作戦中止の判断も迅速であった。
カナードル艦隊が連邦重巡に捕捉されたのは、作戦中止を受け反転する最中の事ある。

「影、急速に縮小。此方に艦首を向けたと思われます!」
艦橋内で一人声を上げた。赤外線探知機を任せられた人員だ。
エリトリアが彼が張り付いてる機械を覗き込めば確かに先程までスコープに映し出された半分だけ特に明るい輝線――真横から見た連邦艦の熱源は淡い輝点一つになっていた。此方に後部を向けたのならば明るい輝点になる筈だった。

「聴音。敵艦の駆動音はどうなってる?」
「検知ありません」
駆動音が近づいてきてれば我々が再捕捉されアーキリア重巡が接近してる確証を得る事が出来たのだが仕方ない。

「艦長、砲戦準備だ。何としてでも勝つぞ」
「了解」
最早どうにもならなかった。今、生体機関に全力運転を掛けても疲れ切ったコイツじゃ再びアーキリア重巡を突き放すほどの持久力を発揮出来るとは思えない。
勝つしか無いのだ。さもなくば不名誉な降伏か名誉ある戦死。
――家と軍の連中を怒らせるなら降伏した方が良いのかもな。死ぬ人間も少なくて済むし。

全方向、白と灰のマーブルだった視界が開ける。エリトリア他数名が青空の中、燃料エンヂン特有の煤煙を吹きながら接近する緑の船を認めた。


数刻前、途切れることの無い雲海。空に絨毯が敷かれたかのような幻想的な風景。空の神聖不可侵性を人々が打ち破って以後、幾多の詩人が題材とした風景――つまる所、カナードルの艦隊の上空で1隻のアーキル重巡が巡航していた。

その重巡の艦上物一区画。そこは酷く薄暗く外界の景色を楽しむには、不適切としか言えない空間であった。
アーキル空軍艦隊がたまに思い出したかのように採用してはすぐに忘れてしまう装甲艦橋がこの重巡には採用されていたのだ。
勿論、照明が無い訳ではないが点灯はされていない。乗組員たちは戦闘配備に置かれていた。
「標的をロストしてからまもなく3時間経過します」
「電探の動作は?」
薄暗い艦橋の中には、窓からの外光以外に情けない灯りの光源が二箇所だけ存在していた。壁際に据え付けられた2つソレは丸いモニター備えた機械であり二台が設置されている。
機械の操作を担っているのであろう二人の艦橋要員はモニター、一本の輝線しか表示されていない単純なソレを見張っている。
よく見るとモニターの上にメルパン文字の文字列が彫刻されているのだがメル=パゼル語を読める者はここには居なかった。

「現時点では、正常に動作中」
「ならば問題あるまい。根比べを続けよう」
最初、この船が電波探知機なるモノを搭載していると聞かされた時、まともに索敵出来るものかと思ったものだが案外使えるのかもしれんな。

彼女――ネーレイ・アルフス三銅翼士官は、この新型重巡"アルカナ"に艦長を任官してから6ヶ月と10日しか経っていなかった。
エルデアを発って15日目になるこのパトロール任務自体が任官してからの初任務となる。
ポスト・リューリア型の艦艇として第1世代に当たるノフォーシャ級。その2番艦である"アルカナ"はリューリア作戦に第5艦隊の航法士官として従軍し運良く乗艦が沈まずに済んだ彼女の最初の艦長席だった。
オケアノス級にも匹敵する大柄な艦体に新設計の連装20cm砲を3基、それから10基もの12cm両用砲と多数の機銃を備えるこの重巡は何よりも巡航速度に優れた設計となっている。
はっきり言って基本的な要目となると速力と航続距離以外、第二紀の重巡に何かしらが劣るのだがそうまでして重視された巡航速度だけは何にも劣らない。
それこそ基本的に浮遊機関艦より高速であるとされる生体機関艦も最高速度以外では振り切る事が出来ない程には。

だが"アルカナ"の本当の価値は、優れた航行能力よりも索敵装備にあった。
"628年メ式ベル参式四型"――専ら正式名称で呼ばれることがないメル=パゼル製の電波探知機である(一応、メルパン文字でモニター本体に彫刻されてるが専らアーキル人とザイリーグ人が乗組員の大部分を占める"アルカナ"じゃ誰も読めはしない)。
第一紀の夜間戦斗機が運用しそして余りの性能に機械的信頼性からその後忘れ去られた電子の眼。第一紀の技術では手に余っていたロストテクノロジーの再発見版である。
アーキル連邦軍は、メル=パゼル共和国軍へ空母技術を提供する引き換えに彼らが航空基地の早期警戒に使用していたこの電子の眼を導入し"アルカナ"へと搭載していた。
その探知距離は実の所、共振どころか場合によっては目視にすら劣る上にこの手の最新装備の例に漏れず頻繁に故障する悪癖があるが電波は、光や音波とは違い天候条件で阻害される事は無い事でこの追跡戦では大いに活躍していたと言える。
たとえ雲の中に逃げ込まれても此方が速度を上げ雑音を撒き散らしても電子の眼は、標的を見つけ出す。

「電探にシグナル!9時の下方に感あり!」
モニターの輝線が波打ち揺れていた。艦底側に備えられた方の電探である。"アルカナ"は、標的の上方に位置している筈なので当然と言えた。
「艦長!」

「あぁ分かっている。共振にも反応があれば知らせろ――標的方向に回頭。巡航速度150テルミタルまで上げ。目視距離まで寄せろ」
ネーレイの命令から数分の間を置いて艦尾まで続くバルジに埋め込まれるように装備された4基のエンヂンが出力を上げ始めた。
海獣アンゴを思わせるような長く重い唸りと共に4軸のスクリュ式プロペラが回転数を上げ人工的大質量が空中を突進する。
流線型に整形されたナセルから飛び出した冷却器が盛大に白煙を引く姿はひどく目立つものだった。

"アルカナ"が位置エネルギーを加速へと還元しながら緩降下を初めてから17分経過した時、雲海を突き破り3隻の艦艇が姿を現した。
アーキルのものとは明らかに異なる有機的造形のシルエット。間違いなくクランダルト艦である。
「ようし!遂に捉えた」
「敵艦――おそらくガーランド級航空巡。今まで追ってきた奴で間違い有りません」
若い見張り員の一人が感情的に声を上げる。
(無理もあるまい)
本来ならば、ああいった報告の体をなさない報告を見張員をしてはならないが目標の姿を実際に目視するのは追跡を始めてから――実に18時間ぶりにもなる。

ネーレイは、自らの双眼鏡を装甲艦橋の小さな窓へと押し付け3隻の目標改め敵艦隊を観察する。おそらくガーランド級1隻とクライプティア級2隻。
通商破壊を目的とした標準的な小艦隊。数隻の輸送船に同数かそれ以下の空防艦しか護衛に居ないような小船団であれば一捻り沈めてしまえる暴力の権化。
但し重巡相手には分が悪い――此方が側面を取っているのなら尚更。最大戦力だろうガーランド級は、艦首を向け突撃する事を前提にした設計と知られている故に。
距離が詰まったことで雲の中からでも赤外線探知機で此方が見えたのだろう。若しくは聴音機かもしれない。

会敵はこれが1度目ではない。そもそもこの追跡劇は既に2日目であり――会敵するのは4度目にもなる。
クランダルティンは"アルカナ"が重巡である事等とっくに知っている。そもそも上手いこと雲海へと逃げおおせたのだ。態々後背を取られた不利な状態で姿を現さず最高速で振り切ってしまえば良かった――それを行わない事の意味する所は。

彼女は、口元を僅かにV字に歪める。
連中、もう振り切れるほどの体力が生体機関に残されていないのだろう。
機械と生物の差である。
結局、動かすのが同じヒトであるとしても――疲労など少なくとも短期的には存在しない機械と違って生体機関は疲労が蓄積するのだ。
ヒトは交代で休めるし"アルカナ"は、アーキル連邦の軍船として電探以外は数日の連続稼働は当然の大前提。
だが連中は違う――まる二日間を追跡に費やす冗長で緩慢な戦い方こそが連中の逃げ場を無くすのに最適なのだ。
まぁそれだと最初から此方が見えていて破れかぶれの賭けというのも否定出来ないが。

「この雲海を連中の墓場にするぞ。砲戦開始」
まだ1発も撃っていないにも関わらずにわか艦橋内が歓声に包まれた。
実の所、二日間の追跡戦に於いて砲戦命令を下すのはこれが最初であった。

数瞬の眩い閃光に艦橋が包まれ前方主砲と雷鳴にも似た音が響きあげた。4つの音ほぼ同時に鳴った筈だが人間の耳には分からない。
白と青の世界に焼き付いた爆煙がぶち撒けられる。爆煙から4本の火線が飛び出し全てガーランド級の右舷側の空を過ぎ去りそして見えなくなった。


"カラット"の属するガーランド級は、少々変わった艦艇であった。
艦艇と航空機の線引も曖昧な生体機関兵器の故に生じた複雑怪奇な竣工当時の分類規則によって本級は重巡であるとされていたのだ。
今の規則に従えば備砲が15cm砲に過ぎぬ本級は、幾ら大型高出力であろうと軽巡に他ならないのは誰の目にも明らかであった。
何故そうなったのか調べようにも誰も覚えてない故に「年に4回は改定してる」と皮肉られた帝国軍艦型分類局の当時の分類規則を知る人間は、もう軍に残っていなかった。
実に多種多様に及ぶ帝作戦の余波の一つで帝国軍艦型分類局は、解体され軍艦の分類規則は近衛騎士団基準に画一化され最早人員も資料も散逸し真相は闇の中へと消えたのだ。

最も現場の士官と船員にとって艦種等、さして重要な事ではない。
重要なのは、ガーランド級の設計そのもので最大の特徴とも言えた高い航空機運用能力である。
丁度、帝国軍の北半球航空機への恐怖がピークに達していた時期に設計された本級は、主生体機関後部のコンテナに7機の艦載機を収めることが可能となっている。
"カラット"の場合は、7機全てがグランバールである。
ガーランド級のコンテナは、一応グランバールより大型の機体にも対応していたのだがそもそも空母以外の艦載機に回されてくる機体と言えばグランバールしか存在しなかった。

「航空隊を急がせろ。推進機を潰せれば少なくともあの重巡は追ってこれなくなる」
さて船団攻撃用の榴弾砲装備で何処までやれるものか。正直な所、エリトリアに自信は無かった。

本来、対艦攻撃に有効な爆弾は通商破壊作戦に従事する"カラット"には搭載されていなかった。
例え有ったとしても急降下爆撃の訓練を行っていないパイロット達が命中弾を出せるかは極めて怪しいと言わざる得ない。
そう考えれば榴弾砲の方がまだ良いのかもしれないが対地攻撃と輸送船舶に対してこそ有効なこの装備は低初速故に駆逐艦のバルジを貫けるかすら際どい代物でもある。
しかも同じグランバールでも1機は偵察型の装備しか用意されておらずこの戦闘に使えそうなのは6機に限られる。

「艦首会頭、連邦重巡に向けろ。後続する"メリシュトラット"と"ヴァーフス"も続かせる。これより本艦隊は敵重巡に砲雷戦を仕掛ける」
青年司令官から発せられた号令に伴いにわか艦橋が慌ただしくなる。艦隊運動の開始こそ戦闘開始の合図に他ならない。
伝声管に向け叫ぶ者が現れから数十秒、"カラット"の船体が急速に旋回を始め後続の2隻も旗艦へと続いた。
長時間、雲海へ潜った事による水滴はその時点で全てが払われる。

「敵艦発砲です!」
艦橋に数名配属される見張員、皆が同時に同じ事を喚いた。

「衝撃に備えろ。大丈夫だ!この距離の初撃など当たらん!」
負けじとエリトリアは叫ぶ。
見て感じ取れる艦橋内の動揺の抑える為に当たり前の事を言うのは有効的であった。

目立ちやすく真っ赤に染色された曳光が4本、視界の遥か右側を通過していく。
それを見て油断してはならぬと自らにこそ言い聞かせる。
「撃ち方初め。当たらなくて構わない。兎に角、牽制しろ!」

さて何処までアーキル人が砲撃を外し続けるか賭けになるか。
此方が被弾し始めるまでに何処まで距離を詰められるのか。
アキエリ重巡に一撃加えるには、接近戦に賭けるしかない――それを分が良い賭けだと思い込むには"カラット"の加速は、苛立つほど遅かった。

ネーレイが砲戦命令を下してから8分後に最初の命中弾は発生した。
但しそれは"アルカナ"ではなく回頭を終え応射を開始しつつあった"カラット"によるものである。

船体中央部のバルジに立て続けに2発が突き刺さり炸裂、兵員室が幾らかの私物ごと吹き飛ばされた。
8分で幾らか距離が詰まり雲上の戦いは、15cm砲弾の有効射程での殴り合いへとなりつつある。

「損害軽微!」「応急班を回せ!火災になったら不味い!」
戦闘に伴い平常時の遥か上を行く叫び、怒号、興奮の渦に飲まれつつある"アルカナ"にてネーレイは、ただ自艦の射撃を眺めていた。
実際の所、戦闘が始まってしまえば各士官が指示を下し兵員は下士官達が艦を動かしてしまうので艦長職が出来るのは、戦闘方針を指し示す事だけなのだ。

そこに「帝国艦隊が空雷を発射」と報告が飛び込んできた。連邦軍の教科書に従えば敵艦との距離を開けないように内側へと回避運動を行う所である。
ネーレイの指示は素早かった。教科書に基づき直ちに"アルカナ"を左舷へと回避運動を取らせた。

「此方の針路を制限した隙きに離脱するつもりだ。砲撃の手を緩めるな」
堅実だが上手い手だ。長距離空雷なんてものは陣形を組み運動を制限された相手にしか命中は期待出来ない。
ならば針路制限としてさっさと捨ててしまう方が誘爆対策として有効だろうな。

そう思索を巡らせ数十秒。新たな報告が寄せられた。
「帝国艦隊より艦載機が発艦しました!」
「何だと」


エリトリアは、相手が常識的な指揮官であるほど射撃精度の低下を受け入れてでも回避運動を優先するだろう事を理解していた。
そして回避運動により敵艦の射撃精度が低下した今こそが航空隊を発進させるタイミングである事も。

「航空隊を出撃させよ」との号令から数秒、数十秒、数分。コンテナ式の格納庫がハッチを開け放つのに掛かる時間は、戦闘真っ只中では於いては苛立つ程に遅い。
全機発進完了との報告がされるがその場の者が緊張から離される事は無い。まだ最初のハードルを超えたに過ぎない。これからが艦隊の生き残りを賭けた正念場である――誰もが分かっていた。

直後、凄まじい揺れがその場を襲った。理解が追いつかない。混濁する意識の中、状況を把握する。破片が突き破ったのかガラスが何枚か割れている。
伝令が駆けてきた。彼よりも更に若い少年兵と言って差し支えない男の口から告げられる。
「艦長!艦上部に被弾発生。生体機関の出力が――」

それは彼にとって今最も聞きたくなかった類の現実を告げるものであった。
彼は、賭けに負けたのだ。

「対空戦闘配置!対空戦闘配置!」
「二番と三番は、何時でも撃てるとの事です!」

「統制対空射撃は行わないで構わん。各砲座自由射撃。とにかく弾幕を張らせろ」
カナードル艦隊が一発の20cm砲弾により命運を絶たれる一方で"アルカナ"も、また戦場の混乱に瞬く間に絡め取られつつあった。
空雷の回避運用、敵艦隊へ艦首を向ける教科書どおりの戦闘機動は、即ち敵機に艦首を向けていることに他ならない。
多くの高射砲を装備するノフォーシャ級であるが艦首方向に向けることの出来る対空火力は、ごく限定的なものであり――敵機の接近を防ぐ手段は、存在しなかった。

「左舷、急旋回一杯。敵機に側面を向けさせるんだ」
戦場の熱気が一度、混乱へと転じた時それを収めることが出来るのは最早、艦長職しか存在し得ない。
故にネーレイは、先程の空雷へと同じように教科書へと従った。
艦艇に対しても、航空機に対しても"アルカナ"の最大火力を発揮させるべく更に左へと舵を切ったのだ。

結論から言うとその試みは成功した。
効果的に配置された高射砲が十全に機能を発揮してしまえば最早、6機だけに過ぎないグランバールが近づくことは出来なかった。
最もそれで全てが取り返される訳でもない。

対空射撃が終わらぬうちに丸窓に双眼鏡を押し当てた見張員が一人、声を上げた。
「敵艦隊、沈降中。また雲に潜ります!」

「……逃したか。敵機を追い払うまで対空戦闘を継続。それから第二電探を作動させるように」
ネーレイは、短く指示を終え艦長席に深く腰掛けた。

「諸君。根比べならば我々の得意分野だ。戦闘配置を続けよ」
――彼女に艦首下部の第二電探が先程までの砲戦の影響か故障していた事が伝えられたのは、それから5分後の事である。


「一応、応急処置しましたが無茶はせんといで下さいよ」
強いオージア訛りの声の主は、"カラット"の生体技師長であった。
先程の被弾による止血措置が終わり艦橋にまで上がってきたのだ。どうやらバイタル室から艦橋に通ずる伝声管が先程の戦闘で壊れてしまったようだった。

再び雲海へと潜航したカナードル艦隊であったが状況は、良いとは言えるものではない。というより逃げ切る為の賭けに負けた彼らの武運は最早尽きたと言っても過言ではなかった。

「報告ご苦労。自らの持ち場に戻ってくれ」
手を振り生体技師長を見送るエリトリア。だがその後ろ姿は、まだ艦橋から退室しないうちにかき消えた。

外界との接触を拒む窓が割れた艦橋は、霧掛かりマトモな視界が得られないのだ。
更には、雲中の殆ど水中と変わらぬような湿度と高高度の外気温は、この場に居る者の体力を瞬く間に奪いつつある。
その場凌ぎにはなる筈だった潜航退避は、その場すら凌げそうに無い結果となっていた。

限界だ。旗艦の艦橋に人が居れないようでは、戦って負ける事すら出来ない。
僚艦2隻にのみ雲下への退避を伝え本艦は、降伏の準備を。そう発しようとした矢先、彼の下に一人駆け寄ってきた。
「閣下。赤外線探知機で前方に――」

「……副官。無線機を準備してくれ」


"アルカナ"は、故障した第二電探に代わり伝統的な共振探知機を用いて索敵を行っていた。
端的に言えば生体機関特有の駆動音を拾い上げるソナーだが多くの問題点を抱えている。
特に大きな問題として識別能力が低いのだ。590年代には実用化された探知装備であり改良の努力も絶えず行われていたが多数の生体艦が混ざりあった音紋から個艦を特定出来る程の精度は未だに無かった。

それ故に船内電話の受話器を置いたネーレイの受けた報告は、まこと不可解なものであった。
「つまり共振科は、突然脈絡もなく別方向に反応が増えたと言いたいのか?――あぁ分かった。兎に角、砲戦が始まるから共振は切れ。砲声を拾っては壊れてしまう」
誤作動にしても共振が拾う音紋が突然増える等、聞いたことがないものだ。
帝国軍が何かをやった事は推測が付くが何をしたのか――最も考えられるのは、増援が先程の砲戦に紛れ到着した事位であった。

「艦長。敵艦浮上しつつ有ります。新しく増えた奴です」
「となれば……やはり増援か。主砲塔の旋回を急げ!叩き潰すぞ!」

新しく増えた反応は、大きな艦艇のものでは無かった。おそらく単艦の駆逐艦か何か――帝国軍の本隊が再浮上する前に数射するだけで事足りるだろう。

「敵艦浮上します!」
その様に考えたネーレイがというより"アルカナ"の乗員一同の目に飛び込んできたものは予想外のモノであった。
雲海を割って浮上する青色の物体。遠目に見れば帝国艦にようにも見えなくはないが帝国艦ではない。

「スカイバードだと?何故、あれが共振で探知されているんだ」
「砲戦中止!砲戦中止!撃つなあれは帝国艦じゃない!」

「艦長!艦長!」
瞬く間に騒然とする鉄の一室。混乱度合いは先程の敵機の比ではない。
だがその様な中に於いてもリューリア帰りの一角であったネーレイの指示は的確であった。
即座に帝国軍本隊に砲旋回を命じたのだ。

最も――既に間に合うものではなかったが。

 

「やりました艦長。アキエリの重巡はこちらに主砲塔を向けていません」

「撃って撃って撃ち続けろ。艦尾に数発食らわせてやれば追撃能力も喪う」
この日のカナードル艦隊は、幸運に恵まれていた。
第一に先程の砲戦の最中にスカイバードが空域へとやってきた事。
第二に"アルカナ"最大の眼であった電探のよりにもよって下部側が砲戦の揺れで故障していた事。
第三にもう何十年と帝国軍の作戦行動中に読まれた無かったであろうスカイバード捕獲のマニュアルが未だに"カラット"に積み込まれていた事。
そして最後のひと押しに若き天才と持て囃されたエリトリアは、唄を発する最中のスカイバードが殆ど生体機関と差異のない音紋を発する事を決して忘れていなかった事である。

やったことは極めて単純であった。骨董品のマニュアルに従ってスカイバードに向け偽物の唄を照射し"カラット"を同族であるとスカイバードに誤認させただけだ。
同族へ向け唄い返しながらスカイバードは雲の上層へと浮上していく。目視で同族を見つけ出すために。

そして瞬く間に再開した砲戦を前にしてスカイバードは、すぐに雲海へと逃げ去った。

白き絨毯が揺れたかと思えば、雲間に3隻の帝国艦が姿を表しあらゆる砲口を1隻の重巡へと差し向ける。
対する"アルカナ"は、肝心の主砲が未だに帝国艦を捉えていない。砲塔の旋回速度だけでは遅すぎると操舵翼を一杯に折り曲げて船体を回していたがそれでもカナードル艦隊が撃ち始めるのが早かった。

"カラット"の各所から砲弾が吹き出されその度、上部の破孔から血液が滴る。だが射撃の反動で傷口が開くのは百も承知であり砲員達が手を緩めることはない。
"アルカナ"の高射砲は、未だ遠くで旋回を続ける"グランバール"を警戒し対空砲弾を装填しており沈黙を余儀なくされていた事もあり射撃は一方的なものであった。

十数秒間隔の命中弾により次々と閃光と破片が飛び散りスラリとした連邦重巡は、火の手を上げる。。
たかだが15cm砲弾と14cm砲弾を数分間撃ち込まれただけで重巡が沈む事は無い。だがカナードル艦隊が生還を果たす為にはそれで十分であった。

二度目の砲戦は僅か7分にして終了した。
"アルカナ"の急激な減速を見てカナードル艦隊にそれを見届けた"グランバール"は、再び雲海へと潜っていったのだ。

推進機の半数を損失した"アルカナ"にそれを追撃する術など残されてはいなかった。


古来より自然の力というものは、到底人には太刀打ちできないモノでありそれは、631年の現在でも変わらない。
現に地を雪の白と枯れワグワグの黒のモノクロに染まり上がっていたカノッサの地は、寒波が去ると共に早くも鬱蒼した緑の大森林としての姿を取り戻しつつ有った。

その大森林の中に佇む人工的地帯の一つディレニア・クランダル泊地。おそらく帝国人が保守を放棄してしまえば数年でワグワグに呑まれるだろう大泊地の一角にカナードル艦隊は帰還した。
入渠先の決定、戦闘報告その他諸々を済ませたエリトリア・フォン・カナードルは埠頭に佇み乗艦"カラット"を一瞥していた。
上部生体機関に穿たれた破孔がやはり目に付く。20cm砲弾の直撃により生じた其処から流れ出た血が乾き船体下部に至るまで赤褐色の帯を作り上げている。
他にもやっぱり大小様々な所が壊れていた。そもそも被弾した20cm砲弾自体が一発だけではないし外から見て綺麗でも内部が無茶苦茶にされた箇所だってある。
「やはり控えめに言っても大破かな」

そう呟く彼に声をかける者が居た。
「失礼。貴方がカナードル艦隊司令官……エリトリア・フォン・カナードル准将でよろしいですか?」

「何だ?従軍記者か?英雄の帰還だのもり立てるのなら勝手にやってくれ。そもそも俺は、あの扱いを好いてはないんだ」
艦隊司令官の地位のある人間に突然失礼な話しかけ方をする奴が居るものだ。
そうゆう連中は決まって従軍記者――そう相場が決まっているし散々した経験がそれを裏付けている。
彼が声を掛けた相手へと向き直るとその人物は従軍記者ではなかった。

赤いマントに青暗色の制服を着込んだ女。何処か呆けてる冴えない顔つきに見せかけてその眼光は確かな知性を宿してるように見えた。
「……第三課か?俺みたいに実戦側の人間に何のようだ」

「名乗りが遅れ失礼しました。アルニス・モルニヤ少佐、ご察しの通り帝国軍第三課の所属です――単刀直入に申し上げます。准将閣下。南北講話というものにご興味はありませんか?」

エリトリア・フォン・カナードル。最終階級クランダルト帝国軍上級大将。
その名は後世の史家の間では、南北講話を成し遂げた軍人たちの一人と認識されている。

埠頭に風が通り抜ける。
後に100年以上続く戦争の終わりを告げる男を祝福するかのようなそれは暖かな春先の風だった。

 

最終更新:2021年08月14日 15:58