象徴は狂気に堕ちる

回廊の只中に佇む船影は、周囲の覇気を震わせ、偉大なる空ですら恐れ慄きそうである。かの船が放つ雰囲気たるや、地を這う人間どころか空鯨ですら恐怖する、緑の戦船という死神だ。

なぜアーキエリン級戦艦に対し、このような形容をしたかと言われても、答えることはできないだろう。

深緑の塗装を施し、光を消し、電探だけを震わせ、来るべき獲物を待ち構える忍耐強さは、もはや過去の象徴的存在ではない。

──復讐者と形容するしかないのだ。

 

◇◆◇◆◇◆◇◆


この時期、寒波が終わりを見せ始めた。

630年、この時期大河を覆った氷は流れ去り、雪が降るのも散漫になった。雪解け水は泥を作り出しそれが軍の撤退を阻んでいた。

地上は泥沼、じゃあ空は?

あいにく快適な旅とは行かない。

寒波の終了に伴う気象変動は、気温だけでなく、気流すらも温暖期への激しい揺り戻しを起こしていた。寒波によりねじ曲がったジェット気流が元の位置に戻ろうと激しく波打ったことで周囲の大気をかき乱し、周囲に乱気流を形成。空中艦の航行は困難になっている。

この時期のカノッサは、そのような暴風域によって航路が制限されてしまっていた。両軍はその中でなんとか無事な航路を見つけ出し、その中へとこぞって突入する。

つまりは寒波の終わりは、空に狭い”回廊”を作り出したのだ。

この回廊が出現する前、カノッサの制空権は帝国側が有利だった。何せ主力戦艦の数では圧倒的に帝国が優っており、その他の艦艇も帝国の方が多く投入していた。

懸念としてあるのはメルパゼル方面からの強力な艦隊と航空機による通商破壊だった。帝国正規艦隊は大飯食らいだ。補給に不安のある前線泊地では、彼女らをずっと留めてはおけない。

すなわち、カノッサを帝国が1000年支配するには、その飛行場をどうにかしなければならなかった。

そこで帝国軍は考えた。

大規模な戦艦部隊で飛行場を強襲すれば、カノッサ戦域への補給路を脅かすメルパゼル飛行隊を尽く壊滅させる事が出来るのでは無いだろうか。

当時、帝国空軍拠点のディレニア・クランダルでは、近衛艦隊やネネツ艦隊、南パンノニア艦隊といった錚々たるメンバーがエグゼィ連合艦隊に集結していた。

一時的に集結しただけであるが、この部隊を全て投入すれば、メルパゼル飛行場を全て破壊できるのではないか。

メルパゼルでも連邦でも、この艦隊を止める術はある筈がない。

エグゼィ連合艦隊は帝国軍の自信の表れであった。

しかし、結果はどうだったか?

艦隊を止める術がないのは、帝国軍の方であった。

 

──エグゼィ連合艦隊、壊滅。

 

検閲対象となったこの見出しを書いた新聞記者は、以降姿が見えなくなった。

彼の勤める新聞社の屋上に飛来した革靴のような飛行器械と関連付ける声もあるが近衛騎士団は沈黙を保っている。

だが事実、帝国軍はその主力戦艦群は連邦軍空母機動部隊と戦闘を起こし、大損害を被ったのだ。

それは酷いものだった。護衛も十二分だったはずだが、相手は連邦空軍の最精鋭戦略空母部隊、第1統合航空戦闘団である。

主力戦艦群はほとんど壊滅し、連邦からは『シルクダットの空葬場』と大きく馬鹿にされた。

それもそうだ、投入した主力戦艦群は航空機にとってのカモ。総勢数十機もの航空機の爆弾やら空雷やらで、嬲り殺しにされていく帝国艦隊。

そして生き残ったのは僅かな護衛艦隊、それと片手で数えるしかない満身創痍の戦艦群だった。

もはや戦艦の大砲では航空機に勝てない。

なぜ今までそれに気づかなかったのか、帝国軍のドクトリンはあまりにも古すぎた。空母という兵器をあまりにも過小評価していた。

時代がリューリアの頃から止まっていたのだろう、リューリア戦役で勝利した彼らはドクトリンを研究するのを止め、新時代の航空母艦に着いていけなかった。

慌てて航空母艦を建造し、その損失を埋めようとしてももう遅い。いくら帝国の生産力で空母を多数戦場に送り出せても、結局逐次投入。

5、6隻纏まって運用されている連邦軍戦略空母部隊に対し、レウラグル級軽空母に勝ち目などあるわけがなかった。

連邦軍の無敵艦隊。彼らはそのパフォーマンスを発揮し続け、帝国軍をジリジリと追い詰めていったのだ。

無敵艦隊は誰にも止められない。


さらに帝国軍を悩ませたのが、前述の"回廊"である。

乱れた気流により形成された回廊が、さらに補給線を圧迫し艦艇の活動が制限された。帝国軍は連邦に対して行動しようとしても、まともな艦隊運用すら難しくなったのだ。

もはや無敵艦隊をどうにかする術はなく、帝国軍最重要拠点ディレニア・クランダルにまでその魔の手は伸びてしまった。

艦艇と将兵が港で飢え死ぬくらいなら、すべてを擲っても攻勢をかけたほうがいい!

その影に北半球国家の思惑があれど、帝国軍は苦し紛れの艦隊決戦を行う事を決定した。

それが作戦名"インペラトル"。

後世で言う"皇帝作戦"である。

参加艦艇は両軍ともリューリアの生き残りや最新鋭艦などの錚々たる顔ぶれで、ポストシルクダット最大の艦隊戦とも呼ばれている。

この作戦の概要は、陽動に次ぐ陽動に掛かっている。

まず回廊はディレニア・クランダル周辺を囲むように広がっており、それはこの数日間変わっていないことを確認している。

まず回廊の少ない地域からネネツ空母機動部隊を編成に加え旗艦としたアナスタシア艦隊が北上。地上攻撃を行い、陽動をする。

当然連邦軍は空母部隊であるアナスタシア艦隊を主力と判断し、戦略空母群を出撃させるので、それを南方に釣り出す。

その隙をついて、高速艦中心の遊撃部隊が南回りで回廊へ突入。護衛の任務戦隊を回廊に釣り出し、二段階構えの陽動を行う。

最後に機を同じくして、その陽動により守備の手薄になった連邦軍地上拠点に近衛突入艦隊が北回りで回廊へ突入、地上戦力と輸送艦を壊滅させる。

まさにリューリア以降、空前の広大な空域にわたって多数の艦艇を動員して行われる空前絶後の突入作戦であった。

空母と航空兵力を主力とする連邦軍のドクトリンを逆手に取った作戦であるが、味方に対する航空支援は一切ない。

さらに数多くの艦隊が別々の指揮で広大な空域を作戦行動するため、かのリューリア作戦の時と同じく、些細なことから作戦が破綻する可能性もはらんでいた。

つまり兵力の逐次投入に等しく、場合によっては各個撃破される恐れもあった。

当然ながら各艦隊の艦長はこれに猛反発した。

連邦軍空母機動部隊を叩かなければ、何も解決しないではないか、と。

しかし、帝国空軍はこのような作戦を取らなければならないほどに追い込まれており、これ以外の選択肢はなかったと言えよう。反発は命令として封じられるしかなかった。

 

さて、一方のアーキル空軍はどうなのかといえば、とにかくカノッサ地方を自らの勢力圏に置く事を最重視していた。

そもそも帝国と再開戦を果たした最たる理由は、カノッサの雪辱を晴らし、土地を奪還し、南北に平穏をもたらす事。

何故カノッサを奪還する必要があったのかといえば、いろいろな思惑があるがこの際は省略する。

たとえそれが面子や陰謀の問題であったとしても、再開戦の理由が果たせなければこの戦いは終わらないのだ。

そのための軍備、そのための無敵艦隊であり、連邦軍は達成を目前としながらも決して油断はしていなかった。

その事実、この空に錨を下ろしたこの復讐者も、慢心よりむしろ闘争に溢れていたと言えよう。

 

◇◆◇◆◇◆◇◆

 

──第7戦列戦隊旗艦アーキエリン級戦艦1番艦〈アーキエリン〉──


 

かの船は角の丸まった木箱のようであるが、その上部に搭載された32cm主砲の放つ巨圧と、無数の高角砲、機関砲、機関銃が合わさった威圧感は凄まじい。

他の戦艦を古城や宮殿だと例えると、この〈アーキエリン〉は近代要塞とでも言うべきか、華やかさも伝説も何もなく、殺意だけに溢れていた。

〈アーキエリン〉は元々このような刺々しい見た目ではなかった。

アーキエリン級戦艦。

この船の設計は保守的でありつつも、これまでの第二紀アーキル艦の集大成といえるほどの高い完成度を誇るっている。

全体的に箱型の見た目はいにしえのイクリール級を連想させるが、彼女の火力は第一期と第二期の格差を物語っている。

武装は32cm連装砲12基、20cm連装砲11基、その他の空雷やパンパン砲など、その火力は帝国のグレーヒェン級どころかグロアール級ですら凌駕する。

しかし連邦軍はこの船をうまく扱えず、いつもの「戦艦はもったいない病」により長らく首都上空で係留されているだけで、アーキエリン級の戦略的価値を発揮することが出来なかった。

出せたらどうだったか。おそらく帝国軍の臼砲戦艦など射程外から蹂躙し、もっと強力な船が出てきたとしても蹴散らせただろう。

そして、その晴れ舞台であるリューリア作戦においてこの船は第一艦隊にて3隻が集中運用された。しかし、かの第一艦隊がどうなったかは知っている者も多いだろう。

結果として、第一艦隊に配属されていたアーキエリン級戦艦は奇襲と運用上の問題により2隻が失われ、生還したのは二番艦の〈アーキリウム〉だった。

 

して、この1番艦〈アーキエリン〉はどうだったかといえば、実は第八艦隊の所属だ。

結果として生き残ったが、彼女にとって姉妹たちがほとんど死に絶えで、2番艦ですら自分の修理のために共食い整備の対象にされる屈辱は耐え難いものだっただろう。

──無念を晴らす機会を!

──帝国軍に復讐を!

──帝国に鉄槌を!

〈アーキエリン〉もその乗員も、帝国軍に復讐する日を今か今かと待ち構えていた。この唯一の1番艦を指揮する艦長兼戦隊司令、スナズ・バイュネット少将もその復讐者の一人である。

 

「凍えるな……」

 

今更ながらもっと分厚いコートを持って来ればよかったと後悔する。しかし帝国軍はこの空域を通るか分からず、我慢しながらこのマイナス10度の上空3000メルトで待ち構えるしかなかった。

彼の配下に居るのは戦艦〈アーキエリン〉の他、グオラツィオン級重巡2隻にコンスタンティン級駆逐艦4隻と、臨時で編成に加わった空雷艇13隻という、今の連邦軍の懐事情を考えればこれは破格の待遇と言ってよかった。

しかしながらやはり、帝国の正規艦隊を相手とするなら本当にしょぼくれた戦力と言っていいだろう。

いくら待ち伏せで奇襲が可能とはいえ、未だに帝国軍主力戦艦部隊がどこに居るのか分からない今、復讐者でありながら作戦の方を心配してしまう。

それがまともな軍人たる事であり、その点ではこの艦隊の中で彼はまともな部類に入っていた、とは言えない。

何故なら彼はなんの心配もいらずに帝国軍を虐殺したい、という内なる欲望を意識していたからだ。

 

指揮官がそうならば乗員も同じである。

彼が今いる露天艦橋には見張り員が何人かいるが、彼らも夜間であるにも関わらず目を充血させながら敵の影を探していた。今時はこの船にも電探が装備されているにもかかわらず、である。

それほどまでに、この船の乗員も彼と同じ狂気に取り憑かれていた。リューリアの復讐、帝国軍に対する殺戮感情だけで士気が構成されていた。

 

「それの何が悪い」

 

その感情の何が悪いのか、批判する者がいたらハッキリ申し出てほしい。リューリアの雪辱とはすなわち敵討であり、帝国軍に対するリベンジなのだ。

その間に帝国軍の乗組員が死のうと、結局それは我らが勝利すれば正当化される。それだけだ、戦争というのは勝てば正義なのだ。

 

「艦長、夜は冷えますよ」

 

唯一、追加のコートを持ってきたこの副長はその類ではないだろうが。

 

「ありがとうな、電探に異常はないか?」

「バッチリです。リューリアの時よりは故障もゴーストも現れていません。良い精度です」

「メルパへ造船技術と控えにこれとは、中々良い交換条件だったのだな」

「でしょうね」

 

今の〈アーキエリン〉はリューリア後の近代化改修により、昔とはまた違った姿をしていた。各所の20cm副砲は殆どが高角砲に換装され、機関砲やパンパン砲の数も増えている。

この航空機の時代で戦艦が生き残ろうとなれば、ここまでの改造が必要という訳だ。事実、この装備は幾度となく帝国軍の航空機を退けてきた。

しかし同じ船となれば、実戦で試されたことはない。少しの不安を抱えつつ、スナズ少将は南の空を見つめていた。そこに何が映るでもないくせして。

 

『艦長、艦長』

 

事実、帝国軍部隊を捕らえたのは肉眼ではなく電探であった。

 

「見つけたか?」

『南東方向12ゲイアス、戦艦2隻と思しき艦影多数が単縦陣』

 

スナズ少将は待ち伏せ中の敵来襲に、内心ほくそ笑んだ。

 

「よし、総員戦闘配置だ。待ちに待ったリベンジの時間だぞ」

『おおおっ!』

 

スナズ少将の言葉を聞いた途端、彼もともかく乗員の歓喜が沸き立ち、艦隊全体に轟いた。

 

『クランダルティンを殺せ!クランダルティンを殺せ!』

 

この狂気こそがリューリアからの生き残りであり、長年リベンジを望んできた彼の配下の姿だった。

 

「空雷艇を差し向けろ。行き足を止めた後、じっくり殺してやる!」

 

彼は配下に合図を送ると、彼方の雲中を睨んだ。双眼鏡の先でシーバ豆のような黒点が多数、見事な単縦陣で回廊を窮屈そうに進んでいる。

有翼人座の星がすべて見える優れた視力の持ち主であれば、それが帝国艦隊だとかろうじて分かるかもしれない。

その間、スナズ少将は艦隊全体に通信を開き、激励する。

 

「諸君いいか?こっちに相手が突っかかって来たら、絶対に五分のチャンスなど与えちゃいかん」

 

激励の内容は極めて過激であった。

 

「そいつはこの回廊にむざむざと突っ込んでくる間抜けなんだから、反撃される前に一撃で捻り潰してやるだけだ!総員頼むぞ!」

『おおおおおお!!!!』

 

この艦隊を狂気が包み込み、戦意が高まる。

そんな中、漆黒の闇の中で雲中から小さな点が糸をひくように浮上し、すぐに何条かの白煙が描かれ、次いで何度か閃光が空を照らした。

敵艦に肉薄した空雷艇が、その任務を遂行した証だった。

 

『空雷命中!足が止まりましたっ!』

『敵艦隊、距離8ゲイアス!』

『奴らめ、こちらには気づいてないようですぜ!』

「主砲照準!統制電探射撃!」

 

〈アーキエリン〉の32cm連装砲12基が、一斉にその方向へ向いた。狙うは先頭から、電探射撃でじっくりとなぶり殺しにしてくれる。

 

「撃ち方はじめっ!!」

 

途端、〈アーキエリン〉はその轟を空へと穿つ。

32cmの鉄塊が、帝国遊撃艦隊へと降り注いだ。

 

◇◆◇◆◇◆◇◆

 

──帝国空軍リディアナ遊撃艦隊旗艦 戦艦〈グレーヒェン〉──


 

「左舷に被雷!」

「空雷艇です!敵の姿は不明!」

 

隠密奇襲が最重要たる遊撃艦隊。しかし、彼らは回廊の最中で空雷艇に待ち伏せさせれていた事により、その作戦は崩壊してしまった。

 

「落ち着いて、損害は?」

 

そう言って指揮を取るのはリディアナ・ホルエンシュタイン少将。この要撃艦隊の指揮官として任命された年若い女性指揮官だ。

かのグレーヒェン家の令嬢ヴァルメリダ提督の部下でもあり、減っていく将官と引き換えに彼女が昇進してさらに上の立場に登ると、リディアナもそれ相応の立場へと登らされた。

そして今空戦において、彼女はヴァルメリダの反対を押し退け要撃艦隊の指揮官として自ら志願した。

そして彼女より預けられたグレーヒェン級戦艦〈グレーヒェン〉を旗艦とし、同戦艦〈ロジステイル〉、そしてガーランド級重巡〈バスタレン〉、駆逐艦4隻を率いて回廊へ突入し敵戦力を遊撃する役割が与えられた。

あまりに無謀で生還率の低い、回廊突入作戦。

ヴァルメリダが反対したのも頷ける、無謀で勝ち目のない作戦に、彼女は自ら志願した。無論死にたいわけではなく、未来を担う上司にこの役割を任せるわけにはいかなかったからであるが。

 

『3番主砲大破!弾薬庫は破棄します!』

『こちら医療班!対空要員に死傷者多数!』

「されど生体器官に異常なし!航行可能です!」

 

かつてのリューリア戦役において、この戦艦〈グレーヒェン〉は連邦総旗艦を誘導、ネネツ艦隊の突撃を援護する戦果を上げた。

しかしその幸運艦の命運もここで尽きたか、既に7人の帝国騎士達は連邦空軍待ち伏せ部隊によって囲まれていた。

南側の生体探信義が、北側の電波探信義に圧倒的に劣っている今、リディアナ遊撃艦隊は〈アーキエリン〉の姿すらハッキリと捕らえる事が出来なかった。

 

『こちら見張り!前方より砲炎を確認!』

「やはり待ち伏せね……!」

 

その数秒後、〈グレーヒェン〉の付近に到達した砲弾は時限信管を作動させた。

ソナの中に突っ込んでしまったのではないかというほどグレーヒェンは閃光に囲まれる。

上、下、左、右。見事な夾叉だった。

 

『付近に着弾!戦艦クラス!砲弾は20を超えています!』

「なんて事……!待ち構えているのは"スーパーグノット"じゃない!」

 

副長や参謀が狼狽えはじめ、見張り員に敵戦艦を探させる。

 

「敵はどこか!?」

「見えません!電探射撃ですっ!!」

 

しかし無情にも、敵の方が優位な立場にあった。電探射撃の存在は帝国軍も掴んでおり、しかしそれでも有効な対抗手段を見出せずに時が過ぎてこうなった。

 

「盲撃ちでもいい!反撃しろ!」

「主砲、1番から4番、撃ち方用意!」

 

反撃として〈グレーヒェン〉より砲撃が轟く。

相手の砲炎を元に距離を算出しただけであるが、それでもやらないよりはマシである。しかし砲弾が届いた頃、何も貫くことはなく空中で炸裂しただけで終わった。

そして連邦艦隊は、反撃できないリディアナ遊撃艦隊を嘲笑うが如く砲撃を続ける。その砲弾が〈グレーヒェン〉にさらに着弾、爆炎が轟き装甲は容易に貫通された。

 

『6番から10番機関砲損壊!』

『第5動脈破損!出血が止まりません!』

「第5動脈抑えろ!別のバイパスを繋げ!」

「くそったれ、これではなぶり殺しではないか!」

 

近代化改修で35cm榴弾砲が外され、全ての主砲が33cm長砲身連装砲で統一されたグレーヒェン級であるが、8ゲイアス以上の距離を狙うのに砲身を伸ばしただけでは意味が薄い。

碌な射撃式装置も方位板も持たない帝国軍には、遠距離射撃を苦手としている。しかし、長距離射撃と電探射撃は今や連邦の十八番だった。

 

「ですがもう下がれません!突入すれば必ずや……」

「こうなったら最後の一艦だけでも突入を……!」

「馬鹿言うんじゃないわよ!」

 

参謀達に対してリディアナは叱咤する。

 

「このまま突入したところで各個撃破されるだけよ!敵戦力も位置も分からない今、無闇矢鱈に戦力を減らすわけにはいかないわ!」

「ですが提督……!」

 

その会話を、衝撃が遮る。ろくな回避行動の取れない回廊では一度算出された諸元がかなりの時間有効であった。装甲が貫通され、またさらに損害が走る。

 

『第4士官室火災発生!』

『主軸生体器官に破片侵入!神経管破裂しました!艦が激痛を訴えてます!』

「分かったでしょう!?一方的になぶり殺し、これじゃ突入しても無意味よ!それに、ここに敵がいるということは遊撃の目標は既に達成している!」

 

反論をしようと口をまごつかせる参謀達、それに対してリディアナはさらに叱咤する。

 

「何をしてる!さっさと反転命令を各艦に伝達しなさい!急げ!」

「は、はっ!」

『全艦、突入を……』

 

しかし、またもや衝撃が遮った。

しかも運の悪いこと、連邦重巡が放った20cm砲弾は艦橋に着弾したのだ。

司令部の要員は衝撃で揺さぶられ、破片が内部に入り、通信機器も損傷した。彼らの命令は一時的に沈黙する事となる。

 

◇◆◇◆◇◆◇◆

 

──グレーヒェン級戦艦〈ロジステイル〉──


 

「なんて事だ、旗艦が艦橋に被弾したぞ!」

 

見張り員が悲鳴のような声を上げ、艦橋にも動揺が伝染する。戦艦〈ロジステイル〉は〈グレーヒェン〉の後方、およそ2000メートルの間隔をあけて航行していた。

 

「くそったれ、途切れてなんの命令を出したのか分からんではないか……突入すれば良いのか?」

 

艦長はつぶやくが、返事は返ってこない。

反転を命じようとしたリディアナ少将であったが、命令が途中で途切れてしまった為、後続の艦艇達はこのまま回廊に突入するべきか迷わせる事態となった。

 

「突入です!提督も同じ考えに至るはずです!」

 

血気盛んな副長が、自分の考えを押し通すべく主張をリディアナ少将に重ねる。しかし彼を責めることはできないだろう、このとき誰もが「彼女なら」と納得したかった。

この危機的状況であるが、みすみす逃げ延びても作戦は成功しない、と考えている。彼らは軍人でありながら戦況悪化のストレスにより判断力が鈍っていた。

 

「突入だな?そう解釈するんだな?」

「はい!」

「偶然俺も同じだ」

 

艦長もまた、艦隊の狂気に飲まれていく。

 

「砲火を開け!敵艦隊へ突入せよ!!」

 

そして、リディアナ少将が覆そうとした命令は受け取られず、艦隊は無謀な突入へと突き進んでいく。

その先に何があるかも知らずに。

 

◇◆◇◆◇◆◇◆

 

──第7戦列戦隊旗艦 戦艦〈アーキエリン〉──


 

さてその復讐者といえば、ひたすらに砲火を撃ちまくり、その鬱憤を晴らしていた。

 

「殺せ」

 

中央に位置していた戦艦が一隻脱落した。その報告はこの惨状をサーカスの如く見守るスナズ少将にも、闇夜の中で想像できた。

 

「殺せ!」

 

先頭の駆逐艦が爆散し、隊列が乱れ、別の戦艦が前に出る。周りの護衛は足が乱れ、統率がないのが目に見える。その先頭の戦艦へ目標を変更し、〈アーキエリン〉の誇る全ての火砲がその戦艦へと向けられる。

 

「いいぞぉ!もっと殺せ!!」

 

また、殺戮の刃が32cmの口径から穿たれる。鋭い牙は敵戦艦ですら刈り取り、被弾した戦艦はみるみる速度が落ちていく。

〈アーキエリン〉の傍に爆炎が見える。こちらの位置がわからない帝国軍による、苦し紛れの反撃が、虚しく空に散っていく。

戦場は一方的だった。

 

「副長君」

「はい」

「これは最高のショーだと思わんかね?」

「……そうは思いません、虐殺です」

 

副長は正直者だった。この艦隊の中で唯一狂気に踊らされず、正気を保っているのだから褒めてあげて然るべきだ。実際、スナズ少将は副長を叱咤することもなく、反論するだけだった。

 

「私は楽しいのだ。かつての鬱憤が、全て綺麗さっぱりと晴れていく様は、とても心地よい」

 

スナズ少将の言葉に、副長は顔を顰める。もちろんそれは分かっている、予想していた反応だ。

 

「だが、リューリアの後に入ってきた君は分からなくていい」

 

そう言うとスナズ少将は遠くの空、燃え盛る帝国軍の艦艇を見据えて、寂しく言った。

 

「君はこんな夜を金輪際過ごしたくないだろう?」

 

スナズ少将は帽子を被り直し、気を引き締め直す。

 

「だが、私は今夜限りのショーを楽しみたい。それだけだ」

「……それなら良いのですが」

 

副長は口元まで登ってきた不安を堪え、苦い思いと共に飲み込んだ。そうでなければこの狂気に飲まれそうだからだ。

 

◇◆◇◆◇◆◇◆

 

──グレーヒェン級戦艦〈ロジステイル〉──

 

戦艦〈ロジステイル〉は酷い有様だった。

各所から火災が発生、生体部を焼き切ってしまい、火傷の被害が大きい。さらに貫通した砲弾が主砲塔に直撃、主砲は損壊し僅かな火力ですら削られた。

最初の七隻の中には戦艦2隻が含まれるなど、かなり強力な艦隊であったはずのリディアナ遊撃艦隊であるが、アーキエリン級1隻にいいようにやられてもはや戦闘力を維持できなかった。

最初の数発で旗艦が沈黙したのも痛かった。主要な戦力が瞬きする間に脱落したリディアナ遊撃艦隊は、もはや嬲られるだけに過ぎない。

 

『後部被弾!5番砲塔大破!!』

『通信マスト損壊!』

「くそっ!まだ敵は見えないのか!?」

 

艦長が見張に尋ねるが、辺りの空は時々砲炎が照りつけ朧気な艦影が見えるだけで、アーキエリン級戦艦の姿形すら見えない。

 

「砲撃来ます!ああ、ほとんど命中コース!」

「くそったれ!!」

 

途端に響いた衝撃は、もはや瀕死の〈ロジステイル〉には強烈すぎる一撃だった。

 

「我々は負けたのか……!」

 

艦長は思う。リューリア以後、長い間ずっと有利だった帝国艦隊が、精鋭たる帝国艦隊が、連邦艦隊によって好きなだけ嬲られたこの戦い。

あってはならない筈だと認めたくなかった。

自分達は帝国を守護する立場で連邦艦隊など捻り潰せる筈だと、最初の頃は思っていたが、結果は自分達が捻り潰されているこの光景。ただただ無情だった。

 

「再び砲撃が来ます!」

「とどめを刺すつもりか……」

 

飛来する砲弾が、風の悲鳴を掻き立てる。

 

「総員衝撃に……」

「艦長!〈バスタレン〉が!!」

 

艦前方、ゆっくりと前に出ようとする艦影が一つ。今回の作戦において高速戦闘艦として配属された、ガーランド級重巡の〈バスタレン〉だった。

彼女が前に出た瞬間、無気力な〈ロジステイル〉は彼女に押し出される。飛来した砲弾は、彼女に吸われるように着弾した。

 

「〈バスタレン〉!!」

 

思わず叫ぶ。

爆発四散した〈バスタレン〉の破片が、環境の窓を血飛沫で汚した。特徴的な上部生体器官は粉々となり、四散した破片は〈バスタレン〉の悲劇の運命を語っていた。

 

「……今のうちに総員退艦だ」

「くっ……わかりました、総員退艦!!」

 

今更何人が脱出できるかはわからないが、少なくとも内部の格納艇は無事である為それを使用して脱出する。艦長は最後まで残る決断をし、自ら操舵輪を握る。

 

「艦長!」

「私は残る!先に脱出しろ!!」

「ですが……!」

 

更なる衝撃が空域を貫いた。もはやこの船は長く保たない、すぐさま脱出しなければ艦長と同じ運命を辿る。

 

「早く行け!」

「くっ……お世話になりました!!」

 

涙ぐむ副長を背に、艦長は誰もいなくなった艦橋で操舵を務める。

 

「さあ、こいつが沈むまで相手にしてやる」

 

総員の退艦が終わり、空に佇むかつての大戦艦。一人突出した〈ロジステイル〉が真っ二つに折れて沈んだのは、その数十分後の事であった。

 

◇◆◇◆◇◆◇◆

 

──帝国空軍リディアナ遊撃艦隊旗艦 戦艦〈グレーヒェン〉──

 

艦橋は見るも無残に損壊し、医療班が駆けつけた時には吐き気が込み上げてきた。しかしそれでも船自体は生きており、砲撃の目標から外れた事で大破しつつも航行可能だった。

さらに航行艦橋も生きており、操舵はその艦橋に指揮権が移され、〈グレーヒェン〉は負傷者多数ながらも未だその空に浮いていた。

 

「う……ああ……」

「提督!」

 

その負傷者の一人、リディアナ・ホルエンシュタイン少将は傷の痛みを抑えつつ声を出す。

 

「お怪我が酷いです!無理をなさらないでください!」

「ならないわ……艦隊を……反転させないと」

 

彼女は医療班として駆けつけた士官の手を握る。リディアナ少将の血まみれの手が手袋から滲み出て、彼の手を汚す。

 

「最後の命令よ……艦隊は反転して……」

「提督……」

 

その士官は砲術長で、彼はこの船が早期に交戦能力を失ったと見て駆けつけてきたのだ。各個の主砲塔は、各個の判断で応戦させている。

 

「その命令……しかと受け取りました……!」

 

彼女はその言葉を聞いて笑う。

 

「総員聞け!艦橋要員が全滅した今、私が臨時で指揮を取る!」

 

彼は叫び、周囲はそれに耳を貸す。

 

「私からの命令はただ一つ!反転!作戦は失敗、撤退だ!!」

「はっ!!!」

 

彼は他者の反対させる暇を与えず、ただそれだけを命令した。命令は素早く伝達され、〈グレーヒェン〉は航海艦橋の指示で反転。血みどろの空域を離れていく。

そしてその間追撃を受けつつもなんとか逃げ切ろうと、臨時ながらも彼は正しい指揮官として指揮をし続け、ダメージコントロールに努めた。

そしてたった一隻で反転した〈グレーヒェン〉はその空域を離れ、そして帰還した。

この悲劇の運命を辿ったリディアナ遊撃艦隊の話は、戦後も有名な話として語り継がれた。犠牲者の中に最後まで指揮官の務めを果たしたリディアナ少将が居るのも、このエピソードの悲劇性を語り継がせた。

以上が「スザンヌ回廊の戦い」と呼ばれた空戦の全容である。


 

最終更新:2021年12月11日 22:04