それから2時間。ちょうど酸素マスクをつけたり外したりしながら面倒なチューブ食を取っている時に、派手な塗装の揚陸艇がやって来た。トレーラーの近くに着陸すると、どかどかと中から重機や人員が展開し、あれよあれよという間にちょっとしたお祭り状態になった。人員が装着している酸素マスクのラインカラーは、工兵隊の重機労働者を意味する黄色と科学者の青、そして数人はメロカと同じ警備要員の赤色だ。赤色のマスクの中のひとりが、人混みから抜け出した。
「おっ姉御じゃねぇかぁ」
その視線に捉えられたメロカの眉間に大げさな皺がよった。
「……うげ、コルチク」
「あっはっは、久しぶりだなぁ。ウィトカまできてドライバーか。士官学校の頃のアルバイトと変わらねぇな」
大柄な男であるコルチクはメロカの肩に肘を載せようとしたがにべもなく振り払われた。
「うっさいね。アンタこそ、夢の巡空艦乗りだってあれだけうるさくしてた割に今は揚陸艇の操舵手やってるのか? らしくない」
「腕を買われて栄転さ。パルエの低空を飛ぶ空中艦の時代は終わった。これからは宇宙こそが男のロマンだ」
こいつは昔からこんなやつだ。ため息をつき後ろを振り向くと、端末機を眺めるクルツが迫っていた。
「おっと失礼、お知り合いか?」
「腐れ縁です。昔のことは聞かないでください」
「えぇ、大学時代の先輩です。しっかし別の星で"元カノ"と出会うとは、宇宙も狭いもんですねぇ学者先生」
クルツはあっけにとられたように二人の顔を交互に見たが、
「そう。ごゆっくり」
くるりと踵を返すと「あの堅物爆弾味蕾女に年下の男が居たとはな、これも宇宙時代の怪異か」などとぶつぶつ漏らしつつ去っていった。
「聞こえてるっての。ごゆっくりじゃないぞ、早くどっか行ってくれ」
メロカは舌打ちしてダルドにしっしと手を振った。
「そうも行かない、ここの警備を任せられたからなぁ。姉御と同じだ」
「どうせウィトカの高原に襲ってくるような動物なんていないのに……」
「宇宙条約に書いてあるからなぁ、仕方ない」
「融通が利かない条約だ」
融通が利かないラオデギアで採択されたからだ、と言いそうになったが腐ってもアーキル軍人なメロカなので言わないでおいた。
「クルツさん、予備土中スキャンの高解像度処理画です」
クルツはとある青マスクの若い女性に呼び止められた。研究者に似つかわしくないやたらひらひらした服装の彼女は、重そうな大型デバイスを地面に置き、クルツを手招きした。彼女の恰好は中世ノスギア北方服飾文化か何かだろうか、機器を弄る時に引っかからないかとつまらないことを考えながら、クルツは大型デバイスの画面を覗き込んだ。
「おお、この角度からなら形状が分かりやすいな。旧時代の飛行機のように見える……いや、自分は門外漢だから分からん。君はどう見る? 専門か?」
「ナテハです。宇宙機のエンジニアですわ」愛想よい笑顔をクルツに見せたが、すぐに真顔に変え画面に視線を戻した。「機影からするとノル丙型か戊型の汎用連絡船のように見えますね」いずれもパルエ軌道上やエイアの廃墟で見つかった旧文明の宇宙機だ。ノル型は大気圏航行可能な有翼宇宙船である。
「そうか。……申し遅れた、私は帝都大で惑星地質学をやってるクルツだ。そういえばウィトカ着任時にちらっと顔を合わせていたな。よろしく」
「よろしくお願いいたします♪」
「しかし、航空機ではなく宇宙船なのか……軌道上から操縦しそこなって墜落したか何かだろうか?」
ウィトカの周回軌道上には中型の宇宙ステーションが存在していた。現在は完全に解析され、大幅な増築ののちウィトカ軌道上の前進基地となっている。
「ノルタイプはウィトカ基地では発見されていないのですよ。ただの軌道シャトルではなく、多量のデルタVを持った惑星間航行船らしくて」
二人がそこまで話したところで、大型クレーンに吊下された宇宙船が穴から姿を現した。全長30メートル程度、旧文明特有の流線型を有した有人連絡機のようだ。遠巻きに二人が機体の正体について議論している間に、その連絡機は手際よく揚陸艇に積まれ、ウィトカ第四基地へと運搬されていった。
ウィトカ第四基地 多目的格納庫
数十人の作業員がせわしなく働く薄暗い格納庫内、揚陸艇からクレーンで慎重に降ろされた旧文明機には足場が組まれ多数のケーブルを配し、大小様々な機械に繋がれて分析が行われていた。
「主推進はクリスタル4発だし、耐座標系影響値は20超えてるし、思ったより大出力で頑丈らしいわ。どう思います? 先生」
作業員に混じってパネルを叩いていたナテハは、隣に鎮座する分析装置のようなものに尋ねた。
「現在までに集められたスキャニングデータを見る限り、これまでのデータベースに無い新型機なのは間違いない。確かにあの外見はノルタイプに見えるけど、惑星間飛行用に大幅に強化された別物だよ」
"先生"は、その装置から声を出して答えた。
「パルエとウィトカを結ぶコスモライナーか何かですかね」
「そうかもしれないけど、δVはもっと大きい。ヒーターも強化されている。居住性はあまり高くないけれど、それでも外惑星とか外縁天体まで巡航できるだけの潜在能力を持ち合わせているようだ」
ナテハは隣の装置に置いてあったシーバのコップを取り、そこに座った。
「僕の上に座るのは止めてほしいな」
ちょうどその時、旧文明機の操縦席周辺で解析作業を行っていた作業員がざわめき始めた。
「どうしたのかな」
「コックピットからミイラが見つかったらしい。酸素ボンベも付けてない」
「うえ……私見ないからね」
展望ドーム内
ナテハは駐在職員から「カフエ」と呼ばれている、基地内の展望ドームの椅子に腰を降ろしていた。彼女は、シーバのカップとともに机に置かれた中型の端末機と会話していた。
「未知の新型機なのは間違いない、というのはリパブリア工科大の工学データベースをダウンロードして参照したから確かだ」
「大学のサーバーから一晩でデータ全部落としたんですか!?」
ナテハはつい声を張り上げる。職員の視線が数人分、彼女に集まった。
「今月分の通信容量はぎりぎりクリアしていたけど……まずかったかい?」
「……いえ、仕方ないです先生。研究のためですし」
ナテハはふぅ、とため息をつくと視線を上げた。大峡谷の巨大な岸壁は遠く霞み、ウィトカの低湿地帯が基地付近一面に広がっているのが見える。高張力蛋白ガラスを透過する日光はパルエの砂塵時のように覇気がない。
「大声を上げてどうした、トラブルか」
「あ、クルツさん……いえ、そういうわけではないんですけどね。今月の通信リソースが……まだ月初めなのに……」
惑星駐在の職員は、研究室や分隊などのチームごとにパルエと通信できるデータ容量が決まっている。研究用データとプライベートの通信は区分されていないため、あまり研究用に使いすぎると個人での通信ができなくなってしまう。
クルツはちらっと端末機に視線をやり、ついでにここ良いかと聞いてナテハの会釈で彼女と同じ席に座った。
「何か分かったのか」
「これまでに発見されたデータベースには記録されてない、完全新型の機体らしいです。現時点では、外惑星系までやすやすと飛行できる推進能力を軌道連絡船に付与したもの、とだけ」
「連絡艇に長距離軌道飛行をさせるという泥縄的設計をしているあたり、滅亡直前のオブジェクトらしい」
「それ、喋るのか。誰と通信してるんだ」
クルツは机の上に置かれた端末機を不審そうに見つめた。端末機に付属したレンズがクルツの方を向き、ランプが緑色に変わる。
「僕は僕だよ。ハーブェー・ウィラシックの分身八号機。ウィトカ基地に参考人として配備された人格だ」
「あぁ、名前は知ってる。旧文明の……ハーヴ研究員か。お初にお目にかかる、帝都大の地質屋クルツだ。この星に来た時に小耳に挟んだが、まさかそんな小さい機材の中にいるとは……」
「"本体"はここじゃなくて基地中央のサーバーだよ。最近はナテハ君に連れられて技術話をしていることが多いな」
「私の先生兼エンジニア友達ですわ♪」
ナテハは両手で端末機を持ち上げた。端末機のレンズがぐるぐる回り、ランプは黄色で点滅した。電源ランプを表情の代わりにしているのか。端末機自体は汎用無線機のはずだが、ハーヴが使える改造品だろうか、その人間臭い反応にクルツはふふっと笑う。
「ところでだ」話し相手が分かったところでクルツは話題を戻す。「外惑星連絡機といったな。アルゲ・クメグ系の衛星へ入植でもする気だったのか?」
「外惑星系の現在の状況はよくわかっていないから、何とも…… 少なくとも僕は、遠い星系へ入植するというような計画は聞いたことがなかったね」
現在のソナ星系において、エリクセ以遠の外惑星系は危険地帯である。特にエリクセとアルゲ・クメグの間の小惑星帯には多数の宙間機雷が散布されていて、かの惑星系に向かった初期の惑星探査機はいずれも触雷爆沈している。まるで旧文明がアルゲ・クメグに住む怪異を寄せ付けないようにするかの如く、あるいはエイリアンがパルエ人への嫌がらせでもするかの如く、徹底的な機雷散布が行われたらしい。その技術的な由来、目的は何一つ判明していない。かくして外惑星系への進出以前の問題として、何らかの手段で機雷原の対策を行うことが急務とされている。だが掃宙作戦に関する研究は始まったばかりだ。いまだアルゲ・クメグの至近まで飛行しての科学探査は、無人探査機の一つとして成功していない。
「アルゲ・クメグ衛星のエイゾレには水の海があると報告されている。ミズィクには有機組織の存在まで分光観測されてるのに、近くまで行って探査できないのはまったく惜しい話だ。どのようなオブジェクトがアルゲ・クメグ系に眠っているかもまったく不明ときている。ハーヴ君はどう思う?」
「その辺りの宙域は僕の生きていた時代でもアンノウンだよ。前の文明の末期に至って、そんなところまで手を伸ばしている余裕は無かった。"宇宙組"はみんな月かエイアを見ていたさ」
旧文明人は予期される終末戦争に備え、様々な手段で代替文明の存続を図った。ある集団は月や内惑星のパルエフォーミングを行い、ある集団は宇宙植民、ある集団は空中大陸への退避、ある集団は頑丈なハイパービルディングの建設、ある集団は地下アーコロジーの建設、ある集団は意識のアップロード……皮肉なことに、国や組織によってバラバラな計画を立て、残り少ない資源を分散させてしまったことが旧文明の滅びる遠因となってしまった。宇宙殖民組の多くは離陸すらかなわず、入植船はパルエ地表で無残な姿を晒している。旧文明への理解が進む前から、これらパルエ地表のオブジェクトの研究が続いている。
「でも、旧文明の外惑星に関しての工学的記録は不自然なほど少なくなっていますの。情報統制でもあったかのよう」
ナテハはお手上げとでも言うかのようにため息をついた。
「僕は違うと思う」ハーヴはナテハの情報統制、というワードを打ち消した。「僕の生きていた所で知る限りではあるけれど。最後まで議会は紛糾していた。前の文明の最後の四半世紀は、未知の遠くの惑星を調べるより既知の近くの惑星へ殖民することに全力を注ぐような環境だった。あるいはロケットひとつ飛ばすだけでも、対立陣営に言いがかりを付けられて滅ぼされるかもしれないという恐怖があった。自由な研究なんて、許されない……」
ハーヴの言葉は重い。これは紛れもなく彼自身の人格が体験したことなのである。
「好奇心の赴くまま、好きな研究ができる時代に万歳、ですね」
ナテハの言葉にクルツは軽く頷き、尋ねる。
「……それなら例えば、出発地などははっきりしているのか?」
その質問でハーヴのランプはオレンジから緑に変わった。いつもの口調で答える。
「航路データが残っていたよ。僕の出身じゃない言語でコードされていたけど、まぁ何とか解読できた。あの機体は、終末戦争"直後"の日付でウィトカとソナのラグランジュ点付近の基地を発進し緊急脱出してきたものだ」
「終末戦争の後に? 一体どういう所から飛んできたんだ」
「いや、何も。出発地点周辺には何も存在していない」
「そのとおり、何もなかったのです。高利得観測装置が見える限り、50フィンを超える大きさのものは何も」
ナテハは両手を広げ50フィンぐらいの大きさを示して補足した。
「存在しない? 宇宙ステーションも移民船も何も?」
「そうなのです。何もない空間から急に現れてここに墜落したかのよう」
「墜落、か。目的地はウィトカではなかったのか」
「パルエ行きだよ。乗組員のホトケサンも酸素マスクはしてなかった」
クルツはふむん、とあごに手を当てて考え始めた。今は存在しない、正体不明の始点からパルエに飛行する過程で何かトラブルが発生してウィトカに墜落し、今までアッ=ゲーバール高地に眠っていたのだろうか。一体どこから?
ラグランジュ点のいくつかは本質的には不安定だ。少しでもずれ始めると山の頂上から落下するかのようにずるずると軌道が変化してしまい、別の軌道を描くようになる。軌道計算を精密に行うのは非常に難しく、今使われているモデルは近似値だ。過去の天体軌道の変化を現在以上に精密に計算するべきか。
「……数万年前のソナ星系の厳密な天体軌道計算について、私の友人の電算物理学者にやってもらおうか。データ、貰えるか?」
「ありがとう、ぜひ頼むよ。物理シミュレーションは専門外だからね」