一か月後・ボルマン遷移軌道、ルーン ヒル球外域
メオミーを離脱して三か月が経った。すでにパルエ星系は小さく、ゴマ粒のような青球に目を凝らしてみると二つの点が付随するのみだ。メロカは窓から小さく見えるパルエ星系を、親指で隠す。パルエは二つの月ごと指先に隠れてしまった。
「これほど小さい世界に、何十億もの人々が息づいているのだ」
目覚め作戦以降の気候変動――正確には数万年間継続していた人工的な気象操作が解除されたことだが――によってパルエは生態系の大変動がもたらされた。本来なら植生の一変と気温の変化で大量絶滅すら発生しかねない事態だったが、旧人がそれを見越して地下大空間に整備していた生命保管庫と、そこに残されていた環境復旧プロトコルの解読によって、安定した緩やかな生態系の回復に成功することができた。それと同時に降水が回復した砂漠地帯の農地化、生体技術による環境負荷の軽い食肉農業の開花、シアノバクテリアを培養した液体燃料精製システムの完成、さらに南東地域の開拓に伴った「緑の革命」によって、パルエの文明は持続可能な社会の構築と工業化や人口爆発への対応、それら両立に成功したのだった。
「パルエの人口はここ半世紀で10倍以上に増えました」
窓の外のパルエを眺めていたメロカに、マイカがふわりとやってきて言った。
「ん、それは喜ばしいことだ」
メロカはそう発言してから、自分の心を読まれた気がして変な気分になった。
「科学の発展も人々のより良い生活の実現も、経済の成長によって成し遂げられるのです。そして経済成長は、それをなす文明というパイの拡張のみが原動力です。停滞は大量破壊兵器を伴った戦乱に直結します。ここまで歩んできた我々は、もう二度と足踏みすることはできず、これからも大きく強くなり続けるしかないんですよ」
沈むことのない宇宙の陽光に顔の半分を照らされて柄にもなく黄昏れていたメロカは、このままマイカと政治社会問題とか、人類文明の歩むべき道とか、そういう話題を振りたい気分になったが、しかし小難しい話をするとボロが出そうだ。
「マイカさんは」なのでマイカに喋らせることにした。「けっこう社会問題やなんかにも詳しいのか?」
「ええ。いっちおう、ジャーナリストですから。一通りのことについては話せますよ?」マイカはそう言ってガッツポーズをして見せた。
「大きく強く、なり続けるしかない、か」
「それはかの、セイゼイリゼイが望んだこと。首の皮一枚でかろうじて生き残った人類は、リセットされた状態から文明を生み出してしまった時点で、再び拡張し続ける運命を背負う羽目になったのです。けれども人は、自分の意識の届く範囲のコミュニティしか認識できないもの。母集団が大きくなればなるほど、人々を結束する情報網は貧弱になってゆき、社会が分断されてゆきます。個人と情報を全世界レベルで結びつけることは困難だという問題は、旧文明もついぞ解決できませんでした」
マイカも宇宙の夕暮れのセンチメンタルな空気を感じたか、彼女らしくない口調で言った。
「社会が大きくなればなるほど、それを他人事だと思うようになって機能不全を起こしていくもの、か」
「その通り。そして人間とは、自分が慣れ親しんだ世界にこそ愛着を持つもの。拡張と変遷を繰り返す世界に、裏切られたと考える人々も出てくるのですよ。ある臨界点を突破すると、彼らの声が最も大きくなり、急速に社会の停滞意識が増してゆく」
「あぁ、そういう人間は身に覚えがなくもない。だいたいそういう奴に限って高い地位についていたりするんだ。それで自分が満足な生活を送っておいて、安全な立場から『これ以上の成長はいらないー!』などと言い出す」
メロカは腕を組みながらため息を吐き、苦笑した。
「あなたは、どうですか? 今でも大きく変わり続ける世界に身を投じていたい?」
「馬鹿言え、私はまだそんなに年老いていない。ここにいるのがその証拠さ」
メロカはマイカの質問に横目で返す。
「ま、確かにそうでしたね。巡宙艦に乗り込んで正体不明の宇宙船に調査しに行く。心が若くないとできない話です」
「おい、お前『心は』って何が言いたいんだ」
「え、いえいえ別に私は若く見られるからって余計な事思ってませんよぉ」
マイカはしまったというように舌を出してその場からふわりと離れていった。
「余計なこと言ってるじゃないか、マイカおい待てよ!」
メロカも苦笑しながら通路をふわりと逃げるマイカに、お前態度がでかいぞ、と叫んで追いかける。
「弱小誌のジャーナリストは図太いぐらいじゃないと生き残れないんですー!」
そう言ってマイカは、宇宙食のキャンデーを咥えてそばを泳いでいたセニャをひっつかみ、メロカに向かって投げつけた。丸まって飛んできたセニャはメロカの腹に刺さり、ぐぺっとゲロを吐く。メロカはセニャを掴み上げ、キャンデーを奪い取って自分の口に放り込むと「お前もとばっちりだなぁ」とセニャに語りかけた。
続いてメロカが不満げな表情のセニャを至極適当に放り投げる。マイカの行った方へと向き直ると、マイカは通路の反対側から出てきたナテハに捕まっているところだった。
「あぁ~~マイカちゃんだいいところに! 今度はガルーデアの民族衣装をモデルに似合うようなファッションを考えてみたんだけど、どう? あ、ちょっと! なんで逃げるの?」
ナテハの手には、民族衣装というにはあまりにもゆるふわな手縫い衣装らしきものが無重量に揺らめいていた。メロカは、今どきのメルパ圏の若い子はああいうのが流行ってるのかね、と通路から開けっ放しのナテハの自室を覗くと、ゲロを引っ掛けられたらしき彼女の衣服と、ハンガーにベルトで磔にされているピチューチカがいた。ピチューチカの首には「衣装にいたずらしました」とのプレートが掛けられている。隣には月面探査車のような機体がダクトテープで床に固定され、「ピチカのいたずらを助けました」との張り紙がなされていた。その機体はメロカにカメラを向けてライトをチカチカさせた。
「僕は無実だ! メロカくん、た……助けてくれないかい?」
メロカはめちゃくちゃだな、と呟いてそのハーヴの分身を取り外しながら、横目でナテハの趣味をまじまじと見つめた。
「こういうひらひらしたヤツは……」
私には似合わんかな。そう言い終わるとほぼ同時に、背後からヤツの声が掛かった。
「着てみないのか? ナテハちゃんはお前の分も用意してるらしいぜ」
「うるさいコルチク。ありえない」
「そうか? パルエキンギョみたいで意外と似合うかもしれん」
「誰が出目クルカか!」
「言ってない言ってない」
メロカはっ、とため息を吐き、ジト目でコルチクに質問を投げかけた。
「というか、砲雷長サマな。当直任務サボるなよ」
「いやいや、今は非番の時間だから。まだ宇宙機雷は出てきていないし、多分しばらくは……」
その瞬間、艦内に緊急ブザーが鳴り響き、照明灯が緊急の赤色に切り替わった。一瞬、メロカの身体は固まったが、すぐに決められた通りの行動を始めた。
「緊急事態だ、退避する。コルチクお前はどうするんだ」
「宇宙機雷だな。CICに移動する。どうせ探検隊の君らもCIC横の待避所で待機だろ。待避所とCICの間には窓があるから、戦闘の様子を見学できるぞ」
「そうか。ならこの巡宙艦の戦闘というものを見学させてもらおう」
メロカは、お前のツラは特に見たくもないけどな、とコルチクに向かって付け足した。
巡宙艦「ルスラン」戦闘指揮所内
「不明飛行物体を補足。本艦に向かって30コスモテルミタルで、50基以上、接近してきます!」
CIC内にオペレーターの声が響き渡る。窓ガラス越しの同乗者待避所でもその声はよく聞こえた。メロカは30数名の非戦闘員とともに、待避所内で四点シートベルトを装着し、いやに硬い座席に身を沈めていた。
「艦首上方左舷方面、5万ゲイアス先の微小惑星より不明体多数接近。おそらく、宇宙機雷です」
小惑星帯を遊弋する宇宙機雷について分かっていることは少ない。何度かショットガン計画の派生ミッションとして、2機1組の余り物探査機を小惑星帯に突入させて先にどちらかが沈む様子をどちらかが撮影するという作戦がなされたことがあり、いくらかの粗いデータが残されている程度だ。
「相手は正体不明の存在だ。慎重に、予定通りの多重防宙システムを起動させよう」
「艦首宙雷発射管よりデコイシステム発射。1レウコ前方および後方で展開」
CICの画面に光学観測データが映し出される。艦首発射管のところにカメラがあるらしい。にょきっと射出されたデコイ宙雷は、ルスランからしばらく離れたところまで飛行したのちガスを放出し、一瞬でルスランより巨大な『宇宙戦艦』の風船を形作った。
「宇宙機雷が最も巨大な物体へと誘導されるのなら、バルーン式のデコイが単純かつ有効ってわけか」
メロカは誰に言うとでもなく呟く。
「宇宙機雷、なおも接近。まっすぐ本艦へと向かってきます! デコイにはほとんど掛かってきません!」
「そう単純な敵ではなかったか。どんな物体だ、機雷の姿を拝んでやりたい。望遠鏡は指向できるか」
「照準します……接近する宇宙機雷を捕捉。画面映します」
オペレーターのその言葉と同時に、CIC正面のディスプレイに艦橋望遠鏡で捉えた宇宙機雷の姿が映し出された。いや、それは「機雷」と形容される機械的物体などではなく……
「なんだ。あの、物体は」
幼虫のような見た目をした肉塊だった。曲がりくねった蛇のような胴体の先がオレンジ色に光り、それは曳光しておりなんらかの推進源を備えているようだった。身体は太陽風に焼かれた生体部品のごとく赤黒く、その肉塊に走る血管あるいは神経網すら伺える気がした。頭の先には不気味な一つ目が付き、それはルスランの方をまっすぐに見つめている。胴体はところどころ結晶のような破片が付着し、とげとげとしたスタイルだ。それがうねりながら、ルスランに突進してきていた。
「ミケラ系の生体兵器か……? 長射程艦対宙突撃誘導弾、VLS 1番から4番に諸元入力。目標、宇宙機雷もとい不明接近物体!」
ラパルド艦長の声でメロカは我に返った。気味の悪いあの「宇宙機雷」に対し、パルエの技術力の粋を集めた武力を投射しようとするルスランが、とても頼もしく思えた。隣に座っていたアトイが、あの突撃宙雷のお披露目だ、と呟くのが聞こえた。
「斉射ァ!」
ゴンゴンゴン、とルスラン深部に据え置かれたCICにまで発射音が反響する。ホログラム投影によって、電子光学方位盤に設置されたルスランの模型に発射されたミサイルが重ねて表示されている。ルスランの艦首砲塔前のランチャーから連続して撃ち出された4発のミサイルは、突っ込んできた「宇宙機雷」を前にして弾頭分割し、それぞれが別目標に対して突入した。
「命中22。不明接近物体、22基撃沈。なおも接近、36基!」
「続いて主砲および多機能副砲による迎撃に移る。主砲弾種榴散弾、副砲加熱レーザーカートリッジ、装填。照準合わせ!」
「撃て!」
瞬間、3連装24センチ艦砲の重厚な反響が連続して、腹の底まで響き渡る。メロカは士官候補生時代の戦車乗務を思い出した。重砲はぶっ放すと砲弾と一緒にストレスまですっ飛んでいくんだ。気味悪い肉塊にはこうでなくっちゃな。
やや遅れて、間延びした電子音のような音響も続く。副砲から放たれた低圧レーザー砲だろう。しかし新時代になってもレーザーやミサイルを差し置いて砲弾を放つ重砲が戦闘艦の主砲となっていることに、畑違いのメロカは謎の優越感を感じて満足げにうなづいた。
「命中多数。不明接近物体、25基撃沈!」
「クソ、まだいるか」ラパルド艦長は舌打ちする。「近接誘導弾、自動迎撃始め。コスモパンパン砲、自由射撃開始!」
「コントロールオープン!」
艦橋横にところ狭しと並べられた連装55ミリ機関砲のコスモパンパン砲Ⅱが、ドコンドコンドコンと猛烈な弾幕を展開する。1門当たりのレートは低いが、数の嵐で猛烈な投射量を誇る対空砲弾と、それに混じって鉛筆のように細長い近接迎撃ミサイルが、スラスタを撒き散らしながら飛翔してゆく。それらは次々と「宇宙機雷」に襲い掛かり、吹き飛ばし、あるいは近接信管の炸裂によってできた破片が突き刺さり、物言わぬ亡骸へと変えていった。
ルスランの模型にトレースされたホログラムを見ていたマイカは、迎撃をかいくぐった1発の「宇宙機雷」がデコイの方へと誘導されているように見えた。ディスプレイに表示されたそれはデコイに突き刺さり、しかし爆発はしなかった。
「……交戦終了。我が艦に接近してきた不明接近物体はすべて撃沈しました」
オペレーターが報告した。CIC艦内の戦闘要員は胸をなでおろす。
「待って。デコイにひとつ、突き刺さってますよ」
マイカが声を上げる。CIC要員に注意を促し、デコイを映したディスプレイを見るように注意を促した。コルチクはディスプレイに注目し、カメラの位置を動かしてゆく。まもなく、バルーンでできたデコイを制御する機械船部分に突き刺さった「宇宙機雷」の姿が現れた。
「デコイのコンピューターの電圧が下がっています」
「なんだ、電気が吸われてるのか?」
コルチクが呟いた瞬間、「宇宙機雷」が大爆発を起こした。デコイは大破し、カメラには一瞬ノイズが走り、レンズに何らかの残骸が直撃したようだった。
CIC内がざわめく。ルスランを操る軍人たちは困惑しているようだった。しかし、メロカが待避所内の科学者たちを見回すと、今まで恐怖の表情を浮かべていた彼らは、逆に目を光らせてこの何かにたいして興味津々なようだった。
「行こうぜ。敵の正体を見極めることは、我々の仕事だ。そのための科学者だ」
エディがシートベルトを外し、もう立ち上がっていた。
「ルスラン」艦内 装甲科学研究室
防護服に身を包んだミトが、部屋中央の密閉装置内に安置された肉塊もとい「宇宙機雷」の正体について、腰に手を当ててさらっと言い当てた。
「宇宙に生きるスカイバードの卵ね」
とんでもないその発言に皆息を飲んだ。
「旧文明の生体兵器ではなくてか」
研究室の強化蛋白窓から、科学者たちによる分析の様子を見下ろしていたムロボロドが尋ねる。
「身体の組成がそんな単純じゃなくってねーこの子……生体兵器としての肉体改造は受けてない。自然淘汰で進化してきた生き物に思える」ミトは密閉チャンバー内に接続されたゴム手袋に腕を突っ込み、ピンセットやナイフを使って「卵」から引きずり出した胎児のような肉塊をつついてみせた。「代謝系も真空防露に特化している」
ほれほれ~、とそれを弄繰り回すミトに、彼女の背後で大きな分析装置を操作していたエディはうえっと口元を歪ませ、質問した。
「空気も水滴もない真空でスカイバードが成長可能だと?」
「口の部分に、金属殻に対応できる特殊なイオンチャネル膜を備えてる。要するに電気を食べるんよ、この子。電気を食べて、爆発して、この『卵』をまき散らす……」
「だからって宇宙空間に生き物が存在してるなどと考えるのは……やはり旧文明の何らかの生体兵器なんじゃないか?」
「あら、クルカは宇宙で干物になってもお湯かけたら戻るじゃない」ミトはメロカの質問に冗談めかして答えた。「宇宙空間で生命が存在できるかと言えば、初期のセレネ無人探査機から回収した機材にパルエ由来のバクテリアが付着したまま生存していたという例がある。生体機関も、慎重な圧力調整と十分なエネルギー供給があれば真空の月面でも使用可能さ。だから、宇宙空間はすなわち死の世界だというのは、本質的じゃないね」
メロカはそれを聞き、腕を組んでこの謎の生き物をよく観察する。両手で持ち上げられるぐらいの大きさの粘液が付着した、ぶよぶよの結晶状物質を回収した。その結晶を割った中から、ルスランに突撃してきた「宇宙機雷生物」の小さな胎児のような生き物がミトの手によって摘出された。見た目はなるほど言われてみればスカイバードに似ている。ミトによれば、特にパルエの裏側で見つかった攻撃性スカイバードを簡略化させたような構造をしているらしい。それはミトの見事な手際で三枚に卸され、メロカの目の前で急速に解剖標本へと姿を変えつつあった。
「つまるところ、寄生生物に進化した宇宙スカイバードなやつですか?」
強化タンパク窓の向こう、メロカの隣のマイカが発した質問が、ミトの防護服のイヤホンに届く。寄生生物?
「んー、どうだろ……なんでそう考えたの?」
ミトは逆にマイカに質問する。
「電気を食べる生き物でしょ? 宇宙船を標的にしてたけど、兵器じゃないとすればもっとほかの宇宙生物に対して同じことしてたはず。エネルギーを蓄えた存在に突撃してきて付着して、エネルギーを吸って、爆発。その時に結晶のような卵をまき散らす。そのひとつがこれかなって。養分を蓄えた卵は普段は結晶状態で小惑星に隠れて、そしてまた宇宙生物の接近を待つ。接近してきたら孵化してまた突撃……そのような生活環が考えられませんか?」
マイカの推測を聞いたミトは、ぽんと手をたたいた。
「なるほどうまい説明。腑に落ちた。結構センスあるね、ジャーナリスト君」
ミトに褒められたマイカはえへへとだらしなくにやける。しかしメロカは、その説明に引っかかるところがあった。
「待て。さらっと流してるが、宇宙船並みの生物が宇宙空間のそこらじゅうを泳いでるってのか」
「居るかもね。レアだとは思うけど」
ミトは平然と答えた。
「宇宙空間を泳ぐスカイバードの一種……コスモバードか、宇宙クジラといったところだろうか。宇宙軍が調査しなきゃいけないネタが増えたかもしれん」
笑いながらそう呟いたダウードは、興味深そうに捌かれた「宇宙機雷生物」のスケッチをノートにとっていた。宇宙クジラか、いいね、と誰かが呟いた。
「それで。その宇宙機雷改め爆発性の寄生宇宙生物には、どう対処すりゃいいんだ」
メロカはお手上げだ、というように首をすくめて言った。
「ルスランの防御火器でひとまずは対策できたから、724番の探査というミッション自体は継続可能だろう」
やはりメロカ達とともに強化蛋白窓から様子を見ていたラパルド艦長は、あごひげを指先でなぞりながら答えた。
「現時点では推測に過ぎないけど」ミトはそう前置きしてから、防護服内のマジックハンドで鼻先をぼりぼり掻きながら言った。「マイカちゃんの仮説が正しければ、この寄生宇宙生物は結晶状態で周辺軌道に漂ってるはず。それを片っ端から殲滅していくのは骨が折れそう……」
「いや、そうでもないぞ」エディはミトの背後で、携行式の端末機を操作し、何らかの計算結果を表示する画面から視線をそらさずに話した。「これまで小惑星帯で蝕雷したと思われる探査機は、特定の軌道と交差するラインに達した時点で通信が途絶している。このルスランだって、その軌道のひとつに差し掛かったさっきになって初めて襲撃を受けた。……と考えると、寄生宇宙生物を呼び寄せる何かトリガーとなる条件があるのかもしれない」
しばらくその場を静寂が包む。こいつを呼び寄せるフラグはなんだったのだろうか?
「……小惑星か」
沈黙を破ったクルツの一言に、エディが指を鳴らす。
「なるほど、結晶化した卵は小惑星に飛んでいって『巣』を作るのか」
「確かに。ルスランも戦闘直前に小惑星のそばを通った。あそこにこの寄生宇宙生物の卵がわんさと潜んでいたのか」と、コルチク。
「その『巣』となった小惑星に接近すると、飛んでくるのでしょう」マイカは話の流れを取材手帳に書き込みながら言った。「『機雷の掃除』は簡単です」
「そうだ、卵が分布してる小惑星の巣を吹っ飛ばそう。ルスランの持つ艦首模造リコゼイ砲を持ってすれば可能なはずです」
メロカはなぜか嬉しそうに、コルチクではなくラパルドの方を向いた。
「確かに。しかし襲い来る寄生宇宙生物をかいくぐりながら接近して、艦首を小惑星の巣に向けることは難しい」ラパルドはふむ、としばし言葉を途切り、何か決心したかのようにうなづいて続けた。「だが、まだある。実のところ……熱核弾頭を装備した戦略宙雷が、我が艦最後の切り札として特別に配備されている。奴らの死角から、小惑星そのものの殲滅も可能だ」
その場にいた全員が息を飲んだ。
「その弾頭は通常にあらず……か」
メロカが造船所で装填されていた艦首宙雷を思い出す。それはまさしく、人類にとっての最終手段だ。
「しかしそれは、かつて人類を滅ぼした兵器に他ならない。連盟議会と『賢者たち』の認可無しに使用は不可能とされている。ハーヴェさん、どう思われますか」
突然ラパルド艦長に尋ねられたハーヴは、今は自身の身体となっている量産型探査車のランプを青黄緑と点滅させ、慎重に言葉を選びながら言った。
「ええ、この流れで僕に振るのかい。こういうことは専門外なんだけど……そうだね。今の僕に許可は下せない。ここにいる僕は、あくまでハーヴという人格のコピーでしかないからね。……まず、その仮説が事実とは限らない。それにもし小惑星の『巣』が事実だったとして、そこを爆撃することはルスランに課された本来の任務でもない。今この艦がしなければ取り返しがつかなくなるようなことでもない。ルスランの姉妹艦が完成すれば、数をもって可能になる作戦だ。今回は見送るべきだと思うよ。ひとまずは寄生宇宙生物のサンプルを持って帰って、パラド生命技研で徹底的に調査すべきだと、進言させてもらう」
パラド生命技研は六王湖首都バリグにある、パルエ現文明最大の生命科学研究所である。ルーツは南北戦争時代の帝国のテクノクラートまでさかのぼる。生体研究を行うマッドサイエンティストの集いであったテクノクラートは、冷戦期には六王湖に逃れ、600年代後半になるとバイオテクノロジーの階層まで真っ先に足を踏み入れた。軌道時代初期に波乱を生んだ、リゼイとスウェイアの反目と和解。そしてパルエの南北アカデミアが統合されていく流れにより、テクノクラートの末裔がパラドメッド研究所の傘下に入ったのが、パラド生命技研なのである。
閑話休題。ハーヴのその提案によって、ひとまず小惑星への核攻撃は凍結となった。現段階でそれは早計過ぎる。引き続き、ルスランは「小惑星」724番の探査へと、真空の宇宙空間を進み続けることになったのであった。
「まぁ、それでいいでしょう」
マイカは誰に言うともなく、通路の窓から星の闇を眺めて呟いた。既に装甲科学研究室前の廊下から人々は去り、通常業務へと戻っていた。マイカの眼は良い。窓からでもいろいろなものが見える。ルスランの乗員がいまだ見たことない、宇宙クジラだって。
マイカが窓から半身を翻すと、ナテハに着せられたケープがふわりと舞う。目の前には対照的な、機能性ばかりの防護服を脱いだミトがエアロックから出てきたところだった。
「やーマイカちゃん。見事な洞察だよ、おみそれしました」
「あ。……ああ、どうもです!」
マイカはミトに、びしっと敬礼のまねをする。
「あー、宇宙にも動物はいるんじゃないかって話ね。さっきは宇宙クジラ、って名前付いたっけ。突拍子もない考えだし、証拠がない今の段階じゃ科学者の間でもそんなこと言ったら色々突っ込み食らいそうだけど、実はなかなかありなんじゃないかって個人的には思ってる」
「なんでですか?」
「そうだね。いろいろ考えてたんだけど……じゃ、ちょっと思考の整理を。あなた、学校で生命科学の授業を受けたことある?」
「ええとまぁ、基礎課程程度には」
「じゃそこで、パルエに生息する全生命体の遺伝情報ね、それを進化系統樹に載せた図を教科書かなんかで見たことはあるかな?」
「記憶にはありますね。パルエに存在する生命体の系統樹は、根本的に遺伝情報の違うグループで複数のクラスタを形成してたと思います」
「その系統樹で、人間はどの場所だったかとか覚えてる?」
「えっと確か、ヒトという種が単独でクラスタを形成してたはずです」
「そのことについて、教科書の説明とか見た記憶は……」
「進化して人類の起源となった脊椎動物は、いずれも旧文明の形成前に絶滅したと考えられる、ということになっていたはずですね」
「その通り。人類に至るまでのその動物群の化石が発見されないことについて、古生物学者の間で定説となっている解釈ではね、」
「パルエに息づく生物の系統樹が飛び飛びに見えるのは、近い過去についての化石が発見されていないことで生まれるミッシングリンクですね。パルエの惑星ダイナミクスは内在的なものです。地殻で確認される堆積岩は地質活動がより活動的だった数億年以上過去のサンプルに限られているため、原始的なパルエウオ程度の化石しか発見されていません。数億年間の期間を隔てれば、パルエウオから人類へと進化することも不可能ではない、と皆さん考えてたはずです」
ミトが言おうと思っていたことをほとんどマイカが説明してしまった。
「……きみ、実は生命科学の学位持ってたりするの?」
「んーと、いえ。そういう大したものはないですよ」
「でもでも、さっきからかなり的確に返答してるじゃない。結構詳しいんじゃない? 絶対生物系のコース行ってたでしょ。大学はどこ通ってたの?」
「え~言っても分からないじゃないですかぁ」
「いやいや、でもあなたみたいな学生がいる大学ならちょっと交流してみたいなって。どこなの?」
「……じゃあ、オデッタ国立大学で」
ミトはそれを聞いて大声を出して笑った。
「あはは!寄付さえすれば学位がもらえるとこじゃないの!」
まいいや、とミトは笑い飛ばし、脱いだ防護服をコンテナに投げ込んだ。
「それでまぁ、パルエに生息する大型生物の系統樹はね。大きく分類して人間のグループと、パルエウオ類とスカイバードにクルカでできたグループ、それから昆虫類のグループ、植物グループ、一部の例外的な原生生物グループなんかに大分類される。それぞれグループごとに体の仕組みから遺伝情報まで根本的に違っていてね、一部はほかの天体からやって来てあとからパルエに根付いたんじゃないかって推測する研究者もいるのよ」
その筆頭が私なんだけどね、とミトは笑顔で付け足した。
「宇宙から来た動物グループが、パルエの生態系に溶け込んでいると。まるで空想科学小説ですね」
マイカの感想に、ミトは答える。
「それほどまでに私たちの学問が進んできたのさ。当事者として、とっても楽しいよ」
メオミー出発より7か月後 小惑星724番近傍宙域
「見えてきたぜ、今回の探査対象だ」
エディは望遠鏡を覗きながら言った。小惑星724番は肉眼ではまだ砂粒のようにしか見えないが、エディはルスランの艦外に出、私物の望遠鏡をキャットウォークの欄干に据え付け科学者たちを集めて観望会を開いていた。
「ルスランが『投錨』するホームポジションの宙域まであと1日。小惑星、もといかの宇宙構造物がよく見える。見てみるか?」
エディは望遠鏡の捉えた光景が映されたディスプレイをルッツに手渡す。メロカとミト、クルツにナテハも彼の肩越しに拡大された小惑星724番を覗き込んだ。一年ほど前、パルエでショットガン計画の探査機が写したままの姿の構造物が、そこにはあった。
「ぼっこぼこだが確かに人工物だな……大きさはどのぐらい?」
真空なので霞もなく距離感や大きさの感覚が分からない。画面に写されたそれを見るだけでは、すこし先にある壊れたおもちゃの模型か何かのように思えてしまう。
「あれでラオデギア市と同じぐらいの全長だ。昔からの城塞部分じゃないぞ、その外側も含めたラオデギア特別市の行政区域すべてだ」
エディの言葉にメロカは、改めてこれほど規格外の大きさの人工物に乗り込もうとしているのかと、奇妙な感覚に襲われた。しかしラオデギア市に例えたせいで、中に旧連邦タワーがそびえ立ちクルカが巣を作っているさまを想像してしまい、変な声が出た。
「宇宙船として見ると、このルスラン艦もピシア号を凌駕する大型船だが……奴の足元にも及ぶまい」
クルツもさすがに感心したように、欄干から身を乗り出して小惑星724番の方へ目を凝らした。
「なんせ小惑星と誤認していたほどだからな。……おい、何か動いてないか」
艦にくっついた磁力靴から伝わる振動に、真っ先に気付いたのはエディだった。
「あっ、砲塔ですね」
ナテハが指さす。ルスランの巨大な主砲塔がゆらりと動き、彼女らの頭上に砲身が差し掛かるところだった。
「砲撃? やばいかな。退避した方がいいのかもしれませんよ」
ルッツの困惑するような声に、メロカが返答した。
「非常サイレンは鳴っていない。状況を把握しよう。何に向かって指向している?」
メロカが周りを見回す。一呼吸おいて、欄干から身を乗り出し宇宙を眺めていたクルツが主砲の延長線上を指示した。
「何かあそこに浮いているものが見える。デブリだろうか」
「デブリに砲撃するものか? 望遠鏡で見てみよう。貸してみな」エディがルッツからディスプレイを受け取り、望遠鏡のねじを操作する。「いる。確かに何か動いている。奴は……」
なんだこれは。何かがゆるりと動いた。エディがメモリを調節してディスプレイを明るくしたことで、その存在がはっきり見えるようになった。
それは帝国の最新の空中艦のようにスマートな見た目をしている。ルスランと並行するように数十キロほど離れたところを泳いでいるようだった。頭部らしき部分に眼があるように見受けられる。オレンジに光っていた。尾部はかすかに光っているが、寄生宇宙生物のそれとは対照的な天色だ。星を散らせた色とりどりの天の川を背後に、それは深海を泳ぐアンゴのように悠々と航行していた。
「これが宇宙クジラ、でしょうか」
実在していたのね、とナテハが呟いた。
その幻想的な光景に、メロカは開拓時代の逸話を思い出していた。かつてパンドーラ隊が前人未到の地で、低空に降りてきたスカイバードを目撃した時もこのような感覚だったのかもしれない。
主砲を照準したルスランもそれ以上攻撃的な行動に出ることはなかった。悠々と真空を飛翔するこの宇宙クジラが宇宙の宵闇に消えゆくまで、乗組員皆が畏敬の念をもって見つめ続けていた。