Orbitta Parle: 原初の揺籃 (6)

724番への降下

 

小惑星724番近傍宇宙空間(距離50km) ルスラン待機地点「ホームポジション」

 

ルスランの艦首宙雷発射管から2発のロケットが発射された。それはルスランからまっすぐ馳走していってのち、ぽしゅぽしゅとスラスタを噴射しながら小惑星724番へと方向転換してゆく。しかしそれは攻撃用兵器でもデコイでもない。

「宙雷型探査機、全機射出完了。以後の調査ミッションは、緊急時を除いて探査チーム隊長のムロボロドに指揮権を委譲します」

CICにいるラパルド艦長はそう伝え、カメラに向かって敬礼した。「科学隊長」ムロボロドも画面に映ったラパルド艦長に敬礼し返す。ムロボロド以下探査チームは、ルスラン艦底「宙間ムーンプール」の外骨格アームによって保持された調査艇内で、発進前の最終準備を行っていた。

「了解しました」ムロボロドは調査艇内で作業中の科学者たちに、インカムで今後の計画を伝える。「これより宙雷探査機を724番に接近させて、有人探査前のデータ収集を行う。1型は再接近時に開口部から写真撮影、内部の評価判定を行い、2型は724番を挟んだルスランの反対側に展開。スカイバード・アイ観測装置を用いて、724番内部の三次元地図を取得する」

探査チームの科学者達は調査艇内で所定の座席についている。調査艇のキャビン内装は都市間バスを大きくしたぐらいのシロモノで、一列二席の座席がやや間隔をあけて並んでいる。メロカとナテハの席は一番後ろで、画面付き電算機を内蔵した折りたたみの作業机が付属している。ぱちぱちとキーボードを叩く音が心地よく聞こえる。ナテハが画面に表示される文字列を読み取りながら、高速で何かのコードを打ち込んでいるようだ。メロカは双眼鏡を使って、座席の強化蛋白窓の外に向けて目を凝らす。飛翔する四つの光点が、尾を引きながら724番にすうっと消えていく。

宙雷型探査機だ。それはまもなく宙雷部分を切り離し、弾頭部分に積載されていた探査機のみになった。探査機はゆっくりと回転しながら、遠心力でアンテナと巨大な太陽電池パドルを引き出していった。

メロカは調査艇からの観測望遠鏡担当だ。調査艇の外部に設置された、潜水艦の潜望鏡のような装置を操作し、724番に接近する探査機に異常がないかルスランから観測する。宙雷ブースターを切り離すと、もう窓から双眼鏡でも追えなくなった。メロカは窓の遮光シートを降ろして作業机を持ち上げ、天板に埋め込まれた電算機画面を立てる。いくつかスイッチを押して潜望鏡を表示させ、そこに表示される文字列を注視した。

「宙雷型探査機からテレメトリを受信。システムチェック完了、探査機の機体状況に問題なし、だ」

メロカの報告に科学機器担当のナテハが続ける。「カメラ、旧兵器逆探、妨害装置にSBアイ透視システム。いずれも大丈夫そうですね」

ムロボロドの了承の返事とほぼ同時に、メロカとナテハのすぐ後ろにある隔壁扉が開いてエディがキャビン内に入ってきた。調査艇キャビンの後部にはエアロックがあり、さらにその後ろが非与圧の貨物区画となっている。

「浮行型ボラッタ、あと宙間モービルの積み込みも完了したぞ」

それを聞いたメロカは端末機のスイッチを押し、調査艇の現状一覧画面を表示させた。探査機と貨物室の表示がスワイプされ、【待機】から【完了】へと切り替わった。

「探査機は無事稼働してるのを確認、積み荷の方も完全にOKだ」

エディは通路をのそりと移動し、メロカ前席に着席、手際よく四点シートベルトを締めた。一呼吸遅れて弟子のルッツも隔壁扉から姿を見せ、ふわりと自席に座った。メロカの斜め前(すなわちエディの隣で、ナテハの前)だ。ミトやクルツはもうちょっと前の方に座っている。床が一段高くなっている座席最前列は、司令席だ。右座席に座る機長のダウードが操縦を受け持ち、左側の司令席には隊長であるムロボロドが座る。その間にはハーヴが車輪を折りたたんだ状態で床に張り付いて鎮座している。全員が座席に着いていることを確認し、メロカはムロボロドに声を掛けた。

「行こうぜ、隊長」

ムロボロドは通路に腕を伸ばし、全員に見えるようサムズアップした。ほぼ同時に、ダウードもチェックリストを確認し終わったらしい。振り返ってキャビン内を一瞥すると、いくつかのスイッチを押下しながらルスランとの回線を開いた。

「こちら宙間揚陸調査艇『ザリャー』ただいまよりルスランを発艦し、小惑星724番へと降着を目指す。ルスランCIC、聞こえるか」

『よおく聞こえるぞ』無線機からよく知った声が返事する。コルチクだ。

「おう、いいぞ」操縦席に並ぶ一列のスイッチをパチパチと操作しながら、ムロボロドは返した。「データリンクはチャンネル2で、こちらのセンサで得たデータはすべてそっちへも分岐させる。未知のアノマリーにアプローチするんだ。念のため、こちらの保安状況を二重にチェックしておいてくれ」

『兵装使用の権限は、連盟の特交戦規定一項に則るのだな』

「ああ。こちらの火力支援要請があれば、あるいは――」

メロカは蛋白窓から覗くルスランの24センチ砲身を見上げた。一切の通信とテレメトリが途絶した30分後。完全に未知なアノマリーを探査する際の教本である、特交戦規定にはそう書かれている。

「まあ、心配するな」ダウードは鼻で笑った。「逆探のカウントはすべて下振れしている。宇宙軍発足で改訂される前のプロトコルでは失効アノマリーに該当する、脅威度は限りなく低いはずだ。貴重なお宝を探してくるさ」

『頼もしいな』

メロカは、左腕に光を受けたのを感じた。遮光シートを少し上げて窓の外を覗き見ると、宇宙空間から太陽光が差し込んできた。真空を突き刺すように鋭利な直射日光がメロカの光彩を絞る。ルスラン艦底部にあるハッチが大きく開いていた。

「よっしゃ、行こうぜ!」

ダウードがそう言った直後、調査艇『ザリャー』は前後に大きく振動する。メロカは数秒間、強く前進する加速度を感じた。ザリャーは宇宙空間に躍り出る。ルスランの艦影が視線の端から去っていく。大仰に揺らめく座席に身を沈めながら、メロカは大昔にアーキルの鼻で乗ったアトラクションのことを思い出し、少し楽しくなってきた。

ヒピピピピ、と間の抜けた鳴き声が背後から聞こえてくる。キャビン壁に貼り付けられたピチカとセニャは、もうこれしきで吐かなくなったのか、喉を鳴らして楽しんでいるようだ。

「ごぅごぅ!」「あはは!」

全員の声が聞こえるインカムのオープンチャンネルからは、マイカの楽しそうな声や、ミトの笑い声が聞こえる。探査機データをリアルタイムで処理しているナテハは、どうやっているのか外を眺めながらもキーを高速打鍵していた。

 

まもなく、ザリャーの挙動はすうっと落ち着いていった。いまやザリャーは、724番の微小重力に引かれながら、螺旋を描くように降下しつつあった。インカムに、ムロボロドからの声が入った。

「探査機担当、データはそろそろやって来そうか」

「はい♪ 1型が撮影した至近写真、出ました。送りますね」

1型の機体は、724番に空いた大きな割れ目に接近飛行して写真を撮影したのだった。メロカ手持ちの端末機に通知が入った。ナテハが全員に向けて送信したファイルから、その写真を開く。

「ほう……」

誰かのため息が聞こえる。接近写真からも、724番が明らかに人工物であることが理解できる。割れ目の断面には鋭利な金属断面、破断された配管のような筒状の構造、鉄骨のようなフレーム構造がささくれ突き出ている。割れ目の奥は影が多くて見づらいが、なにかキラキラと結晶のようなものが反射している。さらに、結晶は構造物か何かを内部に含んでいるようにも見える気がする。

「これ、なんの物質が中に詰まっているかはわかるか?」 クルツが質問した。

「そこまでは、まだ。近赤外の分光データも送りますね」

また通知が来たので開いてみたが、メロカにはよくわからないグラフや数値ばかりだった。

「あぁ、これは氷だな。なんでだろ」エディが呟いた。

「氷?」ミトが聞き返す。

「水の氷だ。みんながいつも飲んでる、普通の水が、宇宙で凍ってるやつだ」エディが座席机に置いたドリンクボトルを頭上に持ち上げて見せた。

「まったく訳が分からん」メロカがため息を吐く。「科学者サン方、どう思う?」

「まったく訳が分からん」茶化すように、エディがオウム返し。

「そんな……」

「わずかな情報だけをもって莫大な結論を出すようなことは、真摯な態度じゃあありませんもんね」メロカのあきれ声に、マイカがフォローする。

数秒。沈黙。

「そうだ、もう一つの方のデータは来てないか。あちらは、724番の内部をグラヴィティーノ・トモグラフィでザクっと透視することができるはずだ」

ぐ、とナテハの詰まる声が聞こえた気がした。

「ちょーっと……マシンスペックが足りないせいか、処理に手間取ってまして。せぇーんせ、ちょっと脳みそ貸していただけないでしょうか」

『悪いが、このローバに搭載されたCPUでは、僕の仮想人格をトレースするのに精いっぱいだ。ちょいと余力がない』

そういえば、ルスランではずっとハーヴの廃熱口にクルカがたかってたな。今もハーヴの声に合わせて、常にファンの音が混ざってる気がする。

「冗談。ご存知ですわ。……さて、アーキルのソフトウェアにはバグが多くて。今になって生データを加工するコードを修正する必要が、少々」

「手伝いましょうか」とルッツが、前席から顔を出した。「私物の電算機とリンクさせれば、処理能力も上がるはずです」

「あー、ありがとうルッ君! ルスランに帰ったらメイプルケイク全部おごるよ」

「あざっす」

「データ送るねー」

次のヒントはもうしばらくかかりそうだ。メロカはふう、とため息を吐いて、再び写真に目をやった。水氷の中に閉じ込められたなにか構造物、それを拡大してみてみる。ちょうど、太陽光が当たって氷に反射している部分や、日陰で真っ暗な部分とが絡み合っていて非常に見づらい。しかし、眺めているうちに人工物のような形態を持った何かではない気がしてくる。もっと生物的な、まさにさっき見たような宇宙クジラのような……

ふと、端末機の中に写真の解像度を向上させるソフトウェアが内蔵されていることを思い出した。アプリを立ち上げ、写真の構造物部分をトリミングしてピクセルを補完させてみる。

白と黒の模様を持った、未知の動物の一種に思えた。スケールを合わせる限り人間大の大きさか。しなやかな形態で、空中艦の尾翼のような鰭を胸と背、尾に持っている。このような生き物は心当たりがなく、しいて言えばアンゴに似ているだろうか。だが、丸みを帯びてゆったりとしたそれは、パルエに息づく生態系の文脈とはかけ離れていると直感した。ともかく、旧人の記録にすら残っていない巨大宇宙船の中で、パルエ人の知らない海棲動物が氷漬けになっている。そうとしか思えなかったのである。

いや。輝度が補正されて表示されたそれは、やはり非常に見づらい”構造物”に過ぎない。この生き物は、おそらくメロカの錯視が生み出したモノだろう。

しかし。

メロカは、何十年も合っていなかった旧友にばったり再会したような、ジワリと暖かい安心感を脳裏に。なにか冷たい武器を突き当てられているような、現実から逃避したい嫌な予感を背筋に。その相反する直感の両方を、少しづつ感じ始めていた。

 

724番 降着まであと1時間

 

 

 

>惑星間高速連絡コマンド

> Log in name : Kortik

Kortik -> To Rizei, Micaノ シュッパンシャ データベースヨリ カクニンデキズ

Kortik -> カンナイ ニモ シルヒト オラズ

Kortik -> Mica シュツジト サイヨウ センテイリユウ チョウサ ネガイタイ

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Rizei -> To Kortik, リョウカイ コチラモ ココロアタリナシ アタッテミル

Rizei -> P.S. スウェイアノ ショウソクキカズ カンレンセイフメイ

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「出ましたわ」

ナテハの声とともにメロカのタブレット端にアイコンが光り、”724番透視ビュー”のコメントがポップアップされた。メロカは、宙雷型探査機の画像データをダウンロードする。一呼吸あって表示された画面に、機内のクルーから次々と声が漏れる。円柱と角柱が規則正しく林立し、隙間には直線的な平坦地形が伸びている様子が、荒い三次元画面に浮かび上がっていた。

「これは……都市か?」

メロカがつぶやいたのをきっかけに、科学者たちの議論が始まった。

「いや、宇宙空間にここまで発達した都市を建設する余裕は旧文明にはなかったはずだ。洞窟と鍾乳洞だろう」

最初に指摘したのはエディだ。

「少なくとも鍾乳洞ではないんじゃないか。こんな真空低重力下で水圏が維持できるわけがない」

地質学者クルツの反論に、ミトは。

「私には都市構造のように見えるな。ほら、この大通りが交差する中心街のビル群が一番高いし、おそらくこの連続隆起は橋桁だ。モノレールか何かが通ってるんじゃない?」

エンジニアのナテハはこう返した。

「こう考えましょう……特殊な礫岩が規則正しく配列したと。もともと巨大な基盤岩が日周の熱疲労で規則正しく割れたようなものじゃないかしら」

「なるほど、いわば柱状節理みたいな……」

クルツがそう言った瞬間だった。724番のゆっくりとした自転に合わせて、太陽光が調査艇に差し込んだ。さらに日射は調査艇を超え、眼下に広がる大空洞まで速やかに光で満たす。かすまない強烈な陽光は容赦なく、都市以外の何物でもない構造体をモノクロで照らし出した。

一行があっけに取られているうちに、六脚を伸張した揚陸艇は都市構造のビル群……そうとしか表現しようのない円筒の林の間に沈んでいく。それは紛れもなく、パルエの南東遺跡にある高層ビルそのものだ。半壊した抗張力窓ガラスから、内装工事が済んでいない無骨なフロア構造が見え隠れする。秒速数メルトで降下しているから中をよく観察する暇はない。しかし、旧文明時代再晩期に流行した、まったくデザイン性の欠片もないブロック式の汎用簡易建造体と同一の設計らしく、技術的に見るものは少ないようだ。クルー達がそのようなことを考えている間にも、もう降下を終え、軽いスラスタ噴射のショックと同時に着陸した。さらに艇前方窓からは、着地点の前方に平坦で細い台地がまっすぐに続いていることが見て取れた。いや、それは台地ではなく、紛れもない……

「こりゃ、ハイウェイに降りちまったな」

操縦桿から手を離したダウードが笑い飛ばす。比喩表現ではなく、その言葉通り高架上の道路に降りたとしか形容しようがない状況だった。道路の広さは片道4車線ぐらいありそうだ。

「小惑星724番と呼び続けてきたが……これはもうさすがに、旧文明の宇宙都市か、あるいは推進式スペースコロニーといった方がいいかもしれんシロモノだな」呆れたようにエディが肩をすくめ「こりゃいくら時間があっても探検し終わらねぇぜ。どうする」

『木を見て森を見ず、ということになってはいけない』ハーヴが入ったローバのカメラマストが180度回転して座席のエディの方を向いた。『さっきの間に人格模倣処理をちょっと落として、代わりにトモグラフィデータで気になるところを大まかにマッピングしておいた。今端末に共有したよ』

メロカが手元のタブレットを見ると、表示された724番の三次元ビュアーに2ダースほどの赤点が打たれていた。現在位置を示す青矢印の周辺に数か所、ほかは天体の隅々にまでポイントされている。

「気になるというのは、どういう感じの」

『僕にもはっきりと言えることは少ないんだけどね。地形データのテクスチャが変わる場所をピックするアルゴリズムでいくつか面白そうな調査候補地を打ってみた』

「つまり、ここで示されたあたりで地形……もしくは都市の形態みたいなものが変わるということですね」ナテハが解釈して補足する。

「ぜひ行ってみようよ」ミトがシートベルトを外し、キャビンの通路を一歩踏み出そうとして浮き上がり、そのまま天井に頭をぶつけてしまった。「あいた! おおっと……この微小重力じゃ徒歩は無理だね」

隣で同じように拘束バンドを抜け出したピチューチカが天井まで飛び上がって頭をぶつけた。その様子を鼻で笑い、ムロボロドが指示を出した。

「生体宙間モービルを出そう。揚陸艇のカーゴハッチを開けてくれ。総員、船外活動用意!」

最終更新:2021年12月31日 13:27