Orbitta Parle: 原初の揺籃 (7)

忘れ去られた遺跡

 

30分ほどのち、宇宙服を装備したメロカ達調査隊一行は、揚陸艇尾のハッチから姿を現した。8人の人間はいずれも車輪のないバイクのようなビークルにまたがっている。

「ふん、『宙間モービル』か」

クルツは鼻で笑う。

「宇宙でバイクに乗れるとは、悪くないな。こういうの好きだぞ」

メロカはハンドル前の左右に突き出したタンクをコンコンとノックしながら呟いた。特別に調整された生体機関は宇宙空間で極めて優秀な機動性を発揮するが、非常に高価な装置だからそうそう乗り回す機会はないだろう。真空でも生存できるよう、大きな酸化剤と栄養剤のバイナリータンクがモービルに装着されていた。その予備タンクや観測機材を詰めた軽貨物輸送ユニットが、クルーたちに続いてのっそりと姿を現した。命綱でそこに括りつけられた2匹のクルカは状況に興奮しているのか、へばりついて高速ヘドバンを見せつけている。

最後に6輪を折りたたんで移動ユニットに接続したハーヴローバが、パスパスと移動スラスタを吹きながらエアロックから飛び出してきた。

『揚陸艇の心配はいらない。艇の電算機に僕の人格の一部をインストールしてある。こっちの僕から常時モニターしておくから、大丈夫だ』

「ハーヴさんってある程度ハイスペックな電算機さえあれば、なんにでも”分霊”を入れて変身できるんだね」ルッツが感心したようにつぶやいた。「こんどうちのラボにも入ってきてくれないかな……代わりに深夜実験の番してほしいな」

院生の仕事は自分で手を動かしてこそだよ後輩君、とどこか達観したように笑い飛ばすナテハ。彼女を尻目に、全員の準備が完了したのを確認したムロボロドが指示を下した。

「全員、調整はいいな。モービルに慣れない奴は前車追従モードに入れておけ。俺のモービルに合わせて一定の距離で追いかけてくれる。……では、行こう。まずは降着地点前方、ハイウェイ状構造物に沿って数百メルトほど進む。」

『地理データを読み解く限り、この旧文明らしき都市構造はちょっとした辺境のオアシス都市くらいの規模だ。ここから見渡すと周囲に高層建築の骨組みが広がってるように思うけど、コンクリートジャングルはたかだか数ブロックに過ぎない。領域は724番の船体サイズに比べてはるかに小さいらしい』

ハーヴはくるっと向きを変えると、赤いライトで一方向を照らして見せた。

『あっちにしばらく進んで、この都市エリアの端まで行ってみよう。そこから先はどうも未整備区画か、工事中といった塩梅かもしれない。でもさらに先にはまた規則正しい構造が続いているようだ』

「都市が広がっているのかしら?」とナテハの声。

『いや、どうも”感触”が違う。資材置き場のような何かか、あるいはこの辺とはよほど変わった設計の市街地かもしれない。少なくとも、何かを建設する前のがらんどうという訳ではなさそうだ。詳しいことはわからない』

「進んでみよう。5分もあればハイウェイの端まで到達するはずだ」

ムロボロドは宙間モービルのハンドルにあるトグルスイッチを親指ではじく。整地巡行モードで目を覚ました生体は、無重力真空下で微弱な電磁気的相互作用を器用にも認識し、複合材のハイウェイ舗装から15 cm程度の距離を取って停滞した。アクセルを踏み込むと、振動もなく滑るように前進を始めた。すぐに調査隊の全員が同じように滑り出し、60km/h程度まで容易に加速した。最後に、スラスタ噴射で貨物ユニットとハーヴローバが追従していった。

ハイウェイは一部だけ高張力ガラスや化粧板が張られたビルの死骸を縫って進む。いずれの建築物も、フロア内には何もない死んだ骨組みのようらしい。時折ハイウェイは枝分かれしており、弧を描いてはビル群の向こうに消えていく。ハーヴの言った通り、不格好な摩天楼がそびえる区画はすぐに終わりを迎え、風景はブロックのような低層の簡易ビルや平屋の倉庫のような建造物が散在する姿に変わった。まだ手を付ける前なのか、内部空間の床面に打ち込まれたパレット状の基礎のみからなる長方形区画もしばしば見受けられる。さらに進むと、数百メートルの合成土壌からなる空地が目立つようになった。完成の暁には緑地公園にでもするつもりだったのだろうか。どこも長い年月を経て見る影もなく、微小天体のクレーターや瓦礫が散乱している。

メロカは、ハンドルを追従運転モードに任せてリラックスし、荒廃した空地をぼうっと眺める。いつか完成するはずだった、宇宙のただなかに存在する大都市空間に思いをはせていると、急に宙間モービルが停止した。メロカは一瞬つんのめりかけたが、そこは持ち前の運動神経で立て直し、前を向くと壁になっていた。

「おおっと、料金所だな」

エディが軽口を叩く。ハイウェイは突然途絶え、その端部に蓋をするかのような状態で、高さ10mほどの巨大な機材のような壁がそびえたっていた。見ようによっては、ハイウェイの料金所から先がそのまま壁になっているようにも思えた。

『旧時代の自動建設マシンだ』勝手知ったるという風な口ぶりでハーヴが説明する。

『旧時代の末期には土木工事をする労働者すらいなくなってね。このような自動機械が荒廃したインフラを延々と補修していたよ。それと同じようなタイプに見える』

「……この都市構造の建設が旧文明の手によることは間違いなさそうですわね」

ナテハは宙間モービルから降り、自動機械に大ジャンプで接近するとすぐに銘板を見つけ出す。

「間違いなく旧時代の言語で書かれた文字ね」

ナテハはそれを翻訳して読み上げた。“ラジハ工廠 民営部門製造11268式 自律高架建機(微小重力対応改修)”

『民間向けの量産機だ』

「それを改造してここまで持ってきたか。ずいぶんと泥縄的なプロジェクトだ、奇妙なことに」とクルツ。

「旧時代末期の計画なんてどこもそんな泥縄ですわ。むしろ、このコロニーを旧人類が建造したという仮説の説得力が増します」ナテハが手際よく端末機で銘板をスキャンすると、すぐスラスタを吹いてふわりと降りてきた。

「さて、ここからどうする?」メロカは今降りてきた所を大仰に見上げて訊いた。

「もう少し先まで行く。ハイウェイを降りよう。なに、ここは微小重力だ」

ムロボロドはそう言うと、宙間モービルのハンドルを引き上げる。それは道路面から浮上し、目前の建機をこともなげに飛び越えた。

生体装置にはお手の物かとメロカは呟き、すぐに後ろを追従する。建機を飛び越えると予想外なことに、先ほどまで眺めていた合成土壌の空き地がずっと前方にまで広がっていた。それだけでなく、ちらほらと旧時代のメカが散在しているようだ。それらは動いている気配がない。宙間モービルにまたがったメロカ達調査隊は、前進しながらゆっくりと地面の高さまで舞い降りる。

「旧兵器ECMに反応なし。死んでるかな」

『僕も一切のシグナルを検出不能だ。あれはすべて機能停止しているようだ』

旧人類が持ち込んだと思われる、多脚ユニットが死んだ状態で転がっている。

「ま、念のため……」

ムロボロドは最後尾の貨物ユニットをインカムで呼び寄せると、防護モードだ、と命令した。貨物ユニットは透明な防御用のシールドを展開し、調査隊の最先頭に配列した。貨物ユニットに接続していたクルカ2匹もお行儀よくシールドの後ろに隠れて張り付く。調査隊も後ろに続き、恐る恐る倒れた多脚ユニットの一体に肉薄する。

「やはり死んでいるようだ」

防護シールド越しに、メロカ達は横転した旧時代の機材を観察する。それは記録映像で見たメンフィスやラニカニカといった旧兵器に似た見た目だが、腕部にはショベルや土木用レーザーなどが接続されている。純粋に民間モデルの自律重機らしい。

『これも民生機だね。若いころ、僕のいたラボでも動いてたのをよく知っている。使い道は施設整備や造園用の機体だから、この面積の空間を整地するにはとてもじゃないが力不足だ。やはり資源も時間も無い中、もといこのコロニー船の建設のためにやむを得ず使用していたんだろう。規模のちぐはぐさを除けば、ここは旧時代の工事現場の光景にそっくりだよ』

どこか懐かしむように、ハーヴローバはカメラマストをゆっくりと振った。メロカも釣られてあたりを見渡す。太陽光に照らされた地面は色を持たず、ひたすら灰色で平たんに近いが、ところどころ凹んでいる。先ほど揚陸艇が降下してきた、大きな亀裂から降ってきた隕石によるものだろう。この大空間は直径10数キロのドームのようになっているようだが、太陽光に照らされていないので向こう側の壁は見えない。頭上を見上げると、数キロくらい上にコロニー船の外壁が天板のように広がっていて、破損したその隙間には宇宙の星々が控え目に輝くのが見えた。地上には同じように行き倒れた自動重機が散在している。パルエの旧兵器は数十年前でも稼働していたが、宇宙空間に暴露されたこれらは早々に限界を迎えたらしい。背後にはさっき走ってきたハイウェイの端部が、もう地平線すれすれに立っていた。月や惑星よりはるかに小さい大地なのだろう。そしてぐるりと視線を前に移すと、ハイウェイの反対方向にもどうやらビル群か何かが立っているらしかった。

「お、アレが目的地か?」

「あぁそうだ。行ってみよう」

ムロボロドはハンドサインで合図すると貨物ユニットは手際よくシールドを折りたたみ、巡航形態に戻った。その横をするりと抜ける。ムロボロドに続き、ダウード、エディ、メロカ、ミト、クルツ、アトイ、ナテハ、ルッツ、そしてハーヴと、貨物ユニットが続いた。

 

前進を始めると目標の建造物が地平の下からすぐに姿を現した。やはり都市か何かといった方がよさそうな、複数のビル群だ。メロカは遠くの光景に違和感を覚えた。それは泡と円錐の連続でできた構造のように見える。なによりこれまでモノクロの世界だったこの船内で、初めて色味を持った実体に思えたからだ。対象はまだ小さく、距離があるようだ。だからもっとよく見ようと接近を続けたが……できなかった。既にそこに到達してしまっていたのである。

 

「え?」

遠景では巨大なビル群かと思いきや、3階建て程度のスモールな建築物に過ぎず、拍子抜けしてしまった。目前には柵があり、銘板で何か書かれている。

「"改修工事中”と、書かれていますわ」ナテハが事も無げに読む。

その柵から向こうは、新たなビル群だった。半球の家屋のような建築物が並び、ときおり円柱や円筒、三角柱の高い建築物が分布している。紫色をした表面は金属質のようにも見えるが、極端に風化しており、白っぽい粉が薄く覆っている。そして何より奇妙なのは、小さいのである。半球の構造は人の身長ぐらいに過ぎない。

「ハーヴが言っていた、感触が違う都市構造ってここのことかい?」

『そうだね。場所は間違いない。これと同じような構造が、ぐるっとこの大きな空間の端のあたりを占めている。その内側にさっきの荒れ地が続いていて、中心に揚陸艇が降りた旧時代の都市ブロックがあるという設計になっているようだ』

進んでみよう、とムロボロドはひょいっと柵を飛び越えて進んでいく。クルー達もそれに続き、奇妙に狭い街道を慎重に進んでいく。ナテハは貨物ユニットからアンテナを引き出し、立ち上げたセンサで経路をスキャンしていく。

「なんなんだ、ここは……」

「エネルギープラントか、タンクか何かだろうか……?」

調査隊は口々に困惑を呟く。言いようのない、人間離れしたデザインセンスと、異質な設計思想がにじみ出た建築物に、みな閉口していた。2匹のクルカだけが興奮したように活発になり、街道沿いの構造物をすべて見回すかの如く、命綱の届く範囲であっちに行ったりこっちに富んだり動き回っていた。

「元気だなお前ら。酸欠になるぞ」

メロカの足元でピチューチカが命綱いっぱいまで飛ぼうと右に向かってばたばた飛んでいく。ルーン遠征から改良された酸素ボンベの残量は、メロカの手元に映るようになっている。端末によるともうしばらくは持ちそうだ。ピチューチカは同じ姿勢のまま、ゴム紐素材の命綱に引っ張られて右から左にすーっと戻っていった。そのまま輸送ユニットのほうを見ると、命綱が一本しかつながっていない。セニャは自力で命綱を外していたらしい。

「あっあいつ、どこ行ったんだ」

『ピーヤ!』

ちょうどその時、セニャの鳴き声が頭上から聞こえた。最新の宇宙服はお互いの距離と方位を把握して、実際に声がかかるべき方向からインカムに聞こえるようになっているのだ。一行が見上げると、暗い紫色をした三角柱の上のほうにある横穴から、セニャが顔を出して高速ヘドバンを見せつけていた。宇宙空間でのゲロ抑制の訓練が進むにつれ、どういう訳かヘドバン癖が悪化している気がする。

『ピュイッピー!』

「そりゃ公園の遊具じゃねぇんだぞ」

エディは呆れたようにため息をつくが、ナテハの何か見つけたのかもしれません、という言葉に、ムロボロドも苦笑しながら頷いてメロカに言った。

「それじゃあクルカ係、見てきてくれ」

誰がクルカ係だ、と内心で愚痴りつつ、とはいえ調査地域でのクルカの管理は確かに自分の役割だったので文句は言わない。ひょいっとジャンプし、軽々と20 mほど垂直移動して横穴の入り口部に取りついた。

「ピッピー!」

セニャはメロカに向かって嬉しそうにヘドバンする。なんだか気に食わなかったので人差し指でヘルメットを小突いて止め、何かあったのかと横穴の奥を覗き込む。入口は狭いが、奥まで空間が広がっているようだった。光の当たり具合が悪く、穴の入り口しか見えない。それに、入り口はメロカのヘルメットの直径ぐらいの大きさなので、入ることもできない。

「ピュ」

セニャはしばらく先を指差した。暗くてよくわからないが、指示した先は床面が凹んでいるようで、そこからぼんやりと光が漏れていた。

「んあ……判らんな。フラッシュ点けるからちょっとまってろ……」

メロカは船外服のバックパックから慣れた手つきで片手持ちの望遠鏡ライトを取り出すと、横穴の奥を照らし出した。瞬間、メロカはあっと声を漏らした。ややあって、下方でメロカのヘルメットカメラから中継を見ていたメンバーたちのどよめきも聞こえてきた。

なにより驚いたのは、その内装であった。横穴の入り口は洞窟のような不定形だが、それは単なる宇宙風化の結果に過ぎなかったようだ。すぐ先は全周が緑色の合金でできていて、紫色の未知の文様が複雑に繰り返されたどぎつい壁面になっていたのだ。ずっと見つめていると目が回ってきそうだ。どう見てもある種の人工物に違いないだろう。しかし人が利用するトンネルとしてはすこぶる奇妙なことに、通路の断面が下向きの五角形をしている。床が平坦ではなく、これではまっすぐ歩けないだろう。そもそも、明らかに通路の高さが低い。床から天井まで数十センチしかなく、とてもではないが人が立ち入るのは難しいだろう。

五角形の通路の奥を照らしてみると、数m先で大空間につながっているのが見て取れた。メロカは、ちょうど円柱の中心あるフロアではないかと思った。しかし、やはり階層の高さが低く、人間向けの建造物ではないように思えた。そのフロアの真ん中に、セニャが指差したものが落ちていた。望遠鏡ライトの接眼レンズからのぞき込んでよく見てみると、タブレットか何かに思えた。驚くことに、その画面がまだ機能していて発光していたのである。しかし画面に何が表示されているのかは、この位置からではよく見えない。

「セニャ、でかした! 取ってこい」

5回頷いたセニャはそのままヘドバンをし続けそうだったので、メロカは担ぎ上げてタブレットに向かって放り投げた。見当違いの壁にビタっとぶつかったセニャは、いそいそとタブレットに寄っていく。口でヘルメット内のレバーを器用に操作し、クルカ船外服に備えられたマジックハンドを取り出した。早速タブレットを取ろうと、画面を覗き込んだ。

その瞬間、タブレットの明かりがひときわ強く輝いた。フロア内がタブレットの光で照らされ、セニャの影がセニャの動きが固まった。

数秒。

「おい、それを取れよ。……どうした?」

セニャは目を大きくして画面を見つめ続けている。画面の光は何やら極彩色の複雑な文様を描いているらしい。それがセニャのヘルメット反射でなんとなく伺えた。色付きの動く二次元バーコードか何かだろうかとメロカが訝しんでいるうちに、画面はぷっつり停止した。

セニャはやおら飛び上がってフロアの天井と床を跳ねるように3往復すると、数秒固まったのち、思い出したようにマジックハンドでタブレットを拾い上げ、無駄のない動きでふわりとメロカの元に帰ってきた。

「大丈夫か?」

手渡されたタブレットで自分もああなるんじゃないかと一瞬目を瞑ろうとしたが、その前に画面が真っ暗になっていることに気づいたので普通に受け取った。大丈夫そうだ。

「お前壊したな……といいたいところだが、今のはお前に責任はないかもな」

さっきの異様な光景を目にしたメロカは、今回は許してやることに決めた。セニャは一度だけ頷いた。メロカはタブレットを観察してみる。この建造物と同じ素材でできているようで、ずっしりとした慣性からかなり高密度の素材であるように思えた。緑地に多数、紫の線でできた切れ込みが入っており、それが奇妙なとぐろを巻いている。画面は非常に薄く、すでに何も反応がない。

「ともかく、貴重なサンプルだ。……みんな、そっちに持っていく」

メロカがメンバーのもとにふわりと降下し、セニャもそれに続く。メロカは旧文明技術担当のナテハにタブレットを手渡した。

「これは……一体なんでしょう?」

「分からないのか」

「何かの電算デバイスでしょうか……? まったく見当がつきません。先生、どう思いますか?」

『結論から言うと、僕にもわからない。詳細な解析は設備の整った研究所で慎重にするべきだろうね』

ナテハは隣にいたミトにタブレットを手渡す。

「これは……独創的なデザインだね。どういう価値観を持った人らが電子機器にこれを刻んだのか。文化人類学的なアプローチでアタリを付けられるかも」

『旧文明から、さらに古い歴史時代のデータベースを探っても、これほどの特徴を持ったレリーフは存在していなかったはずだけど……』僕が今アクセスできる限りではね、とハーヴが付け加えた。

旧文明史学の議論が始まったあたりでついていけなくなったメロカは、セニャのことを思い出した。セニャは少し離れたところの地面に横たわり、不可思議な建造物が乱立する風景をぼおっと眺めていた。メッツクルカ特有のしっぽを強く発光させているらしく、ヘルメットから光が漏れている。

クルカが黄昏るなんてこりゃラオデギアに雨が降るな、などと思っていると、隣から無駄な動きの多いピチューチカが、セニャにちょっかいをかけようとやってきた。セニャの顔を覗き込んだピチューチカは面食らい、しばらく見つめあったのち、セニャはがっくりと項垂れたようだった。ピチューチカは気まずかったのか、メロカを見つけてふよふよ近寄ってきた。メロカはセニャの代わりに絡まれるのは嫌なので、何も見なかったように振り返ってほかのメンバー会話に混ざった。

メロカが混ざった物理屋のメンバー、クルツやエディ、ルッツ達は、携行式のSBアイ透視装置を貨物ユニットから展開して、メロカが登っている間にも内部の透視を行っていた。

「おっ、この謎塔の中にある構造が浮かび上がってきたぞ。粗いが」

エディの声に、タブレットを肴に旧文明史の話を続けていたメンバーも集まる。ついでにピチューチカも。SBアイ装置からケーブルで繋がった大型ディスプレイには、三角柱の塔が三次元グリッド上の点描画で表示されていた。

「透過レイヤを表示してみる」

クルツが装置のボタンを操作すると、三角柱の中に赤い光点の集合で内部構造が表示された。さっきメロカが覗いた横穴の場所は、黄色い矢印が重ねて表示されている。

「そうだ、私はここから中を覗いてた。五角形の通路がこっちに伸びていて、このホールみたいなところが真ん中の空間だな」

メロカが画面を指さしながら、さっき自分が見た光景を画面上の表示と対応させる。

「この透視図を見る限り。真ん中のホールは床の一部分が欠損しているみたいだ」

ムロボロドが指摘した。確かに、床が半分に渡って存在しておらず、下の階層のホール天井に直接繋がっているようだった。

そう眺めているうちにもデータが集まってゆき、点描が増えていって立体構造が分かりやすくなってきた。

「見る限り、ビルのような構造をしているといってよさそうです。構造の中央を床の欠けたフロアが貫通していて、各階層ともにそこから放射状にトンネルが出ています。各トンネルの先は膨らんだ房になっていて……何かの部屋でしょうか。ホテルの個室みたいだな」

装置の操作補助をしていたルッツが言った。

「ホテルか。面白いたとえだが、それにしては、一階に入り口がないぞ」と指導教員のエディ。

「というか、開口部はほかにないのか。飛び上がらないといけないところが入り口では不便だ」とクルツ。

「なさそうだぜ。何なら階段とかエレベータ構造も全くないみたいだ。だから、さっきメロカが飛び上がったところが唯一の外への入り口らしい。一応、微小重力下では入り口が地上になければいけない訳でもないだろうが……」

『だが矛盾がある。さっきの都市に引かれた造りかけの高速道路は人工重力環境を前提とした設計だった』エディのコメントにハーヴが指摘を入れる。『無重量ならそもそも橋桁は不要なはずさ』

「そもそもこの狭さじゃ体がつっかえる。この房の空間がある種の個室だったとしても、独居房どころの話じゃない窮屈さだよ」とミト。

「確かに。アレはクルカでもなきゃ住めないな」

メロカは軽口のつもりだったが、その場が静まり返る。科学者数人がメロカに視線をやったので、メロカは気まずくなって横目でピチューチカを探した。セニャを先に見つけたのでそっちを見てみると、そのとおりといった趣で大きく頷いた。

「んな馬鹿な!?」

クルカの村落はクルカッテ自然保護区で発見されたけども、旧人が脱出船にわざわざペット用の広い居住区なんて造る暇ないだろう、と言ったメロカに、ハーヴも同調した。

『そりゃそうだ』

しかし、何か閃いたらしいナテハは口を開いた。

「いえ、でも……それに近い合理的な説明を与えることはできますわ。つまり、クルカに似た……ドローンのための都市、とか」

「……ドローン?」

ナテハの意図を最初に理解したのはミトが、指を鳴らした。

「そうか。生身の人が生存するための食糧や資源は膨大になるから。迅速に多くの人を救出する必要があったから、人間の意識を浮遊ドローンにアップデートするつもりでいたのかも。で、その人々をアップロードしたドローンに向けた居住都市として設計されたってこと」

「ですわ♪ 先生、いかが思いますか?」

『確かに、妥当な考えだ。でも、多くの脱出民の意識をドローンにアップロードする計画が構想段階でもあったのなら、僕が知らないわけがないんだけどな。結局それに成功したのは崩壊の瞬間、僕一人だけだったみたいだし』

議論は振り出しに戻った。

「いや、それにしても奇抜すぎるデザインだ。なんならクルカ星人が旧文明の都市を侵略した結果この場所ができたってぐらい突飛な話しかもう思いつかんぞ」とエディはおどけて見せる。

「なんだよクルカ星人って……」そういえばそんな都市伝説があったな、とメロカが言いかけたとき、急に視界が暗くなった。

「おっと、”日の入り”だ」

ムロボロドが言った。それは小惑星724番としての日没だった。ゆっくりとした自転によって大空間の割れ目から入っていた日射がなくなっていくことで、十数秒もするともう完全な暗闇に包まれた。

「まいった。これは何も見えませんよ。調査艇まで戻りますか?」

「いや、ここまで来たのなら着陸ポイントまで戻るより、大空間の縁から外に出るほうが早いかもしれん」

ムロボロドが端末機のマップを確認しながら早口にそう伝える。とりあえずはこれで、と端末を操作すると、貨物ユニットに装備されたフラッシュライトが点灯し、ある程度の範囲まで見通せるようになった。いつの間にかメロカの足元まで来ていたセニャは、ぴゅいっとムロボロドに飛び乗ってピュイピュイと鳴き始めた。

「おいうるさいぞ。やめんかい」

メロカは引っぺがそうとするが、ムロボロドはそれを制止して

「いや、何か伝えたがってるようだ。ん、地図か……?この位置? セニャ、ここに何かあるのか」

セニャはピ、と鳴いて頷いた。

「おい、おもちゃじゃないんだぞ」

「だが、この位置はハーヴさんに指示してもらった興味深いポイントの一つだ。さっきのタブレットといい、何か気付いたことがあるかもしれん。行ってみよう」

セニャは船外服越しにムロボロドに擦り寄った。解せぬという表情のメロカ、その様子を鼻で笑ったエディは、手を叩いて物理屋のグループに声をかけた。

「よし! どのみちこの暗さではここに居座っても仕方ない。装置撤収だ」

「みんな、エディを手伝おう。10分後にシステムチェックと栄養タンクの交換をして、大空間の一番端まで移動だ」

最終更新:2021年12月31日 13:28