46『一応、少佐』

 操舵手ヘボンの受難#46 『一応、少佐』

 

 アクアルア級の待機所は、さながら野戦病院のようになりつつあった。
   飛行甲板から次々と負傷者が運ばれてきて、ヘボン達はすぐに脇に追い遣られ、すぐに鮨詰め状態になってしまっていた。
   先程から、アクアルア級は激しい空戦による流れ弾やら、空母を狙った機銃掃射に絶え間なく見舞われている。
   敵機を近づけまいと、素早く飛び交い、更に的も小さい戦翼機に対しても、なんとか追い払おうと主砲の轟音が何度も鳴り響いていた。

 「…この艦も長くなさそうだ」

 ヘボンは全身から迸る痛みに呻きながらも、頭だけは冷静さを保とうと判りきったような事を口にした。
   しかし、これで耳聡い乗員の気を損ねたのは間違いなかった。

 「おい、お前ら!」

 怒号と悲鳴が飛び交う室内ではあったが、此方に対して向けられた言葉にヘボンは反応していた。
   見れば、艦内へ続く通路の入り口に艦の憲兵と思わしい装いの兵士が3人ほど立って、その内の年長者と思わしき者が此方を指差している。

 「官姓名を名乗れ」

 そう言いながら、彼等は負傷者達を掻き分けながら、此方へと進んできた。
    如何に艦内艦外が騒乱状態になろうと、彼等は憲兵としての職務に忠実でありたいのであろう。
   確かに、アクアルア級の甲板に突っ込んできた不審者達を警戒するのは当たり前であるし、内紛状態であっては同じ帝国軍機であっても敵味方の見分けは付かない。
   ヘボンは憲兵の言葉通りに官姓名を名乗ろうと、痛む身体に鞭を打ってなんとか顔だけを上げたが、それ以上の説明は彼等に必要は無かった。

 「お前は…」

 そこから先の言葉を年長者の憲兵は紡ぐことが出来ず、背後の二人も同様の有様になっている。彼等は一様に顔中に脂汗を滲ませ、軍規の番犬たる威容さは損なわれた。

 「第13特殊空域旅団所属、ワトキンス軍曹であります」

 しかし、そうであってもヘボンは名乗ったが、口が動くだけで腕も身体も激痛で僅かにしか動かない。
   だが、嫌がらせのつもりなのかヨトギ少年が脇から無理矢理、ヘボンの腕を動かして敬礼の様だけを取らせた。

 「…部外者は拘束する」

 それに対して、憲兵はなんとかその台詞を口にすると、どちらが威圧者であるのか判らない具合に恐る恐るヘボンの腕を引っ張ったが、ヨトギ少年はヘボンを離さずに脚を引っ張る。 
   これを見たグレゴール艦長の息子も慌ててヨトギ少年に加勢したため、ヘボンの細い身体は待機所内に浮き、上下から強く引っ張られた。
   これには負傷者であるヘボンも堪らず、激しい苦悶の声を漏らし身を捩ったが、待機所内の兵士達にとっては珍妙で面白い見世物と化していた。

 

 暫く、待機所内で見世物は続いていたが、やはり大の大人、三人の力に敵わず、ヘボンは担架に乗せられることも無く、依然として腕と脚を掴まれて吊られながらアクアルア級の連絡通路を運ばれていた。
   今までの経験した中で最も雑な運び方であると思いながらも、ヘボンは眼前に見えている通路の照明灯の揺れの激しさを見ていた。
   先程に相対したあの少佐が操っていたと思われる、あの黒い化け物は一体何であろうかとふと脳裏を過ぎった。
   戦闘から墜落まで、まだ精々30分と経っていなかった。
   通路内は激しく砲声と怒号が行き交い、憲兵達がヘボンを運ぶ傍ら、その横を何度も負傷者を乗せた担架が行き来していた。
   そして、通路の床へヘボンが視線を落とすと、床中に油とも血とも付かぬ液体が所々に垂れていて、その凄惨さに数日前の移乗攻撃の様が思い起こされた。
   艦内は酷い混乱状態に陥っていて、周囲に味方がいようがいまいがお構いなしに、艦の側面砲塔が唸っているのか激しい砲声が轟いている。

 「憲兵隊長殿!」

 ふと、その中に混じってヘボンを運んでいる憲兵の一人に呼び掛ける声が前方より響いた。 ヘボンは姿勢の都合上随分と首を痛めながらでないと、その様子が窺えなかったが、どうやら年長者の憲兵が隊長であるらしく、通路先から別の憲兵が来たらしい。

 「その男は艦橋に運べと、艦長から命令されました」

 別の憲兵はそう年長者に話ながら、此方の近くに来るまでは見えなかったが、抱えていた担架を下ろして、彼等は年長者の指示の下、ヘボンを雑に担架の上に投げ落とした。

 「艦長が?戦闘状態に不審者など、艦橋に運んでどうする?船倉区にぶちこんでおけばいいだろう?」

 「しかし、船倉区は先程の攻撃で破壊されまして、仮の拘置所として用いることは不可能であります」

 年長者の憲兵と別の憲兵とでその場で口論が始まった。
   もう少し隙間のある空間でせめて行えばいいのだが、彼等は自分の職務に忠実であるために、この場で議論することが必要不可欠だと判断したらしい。
   無論、この艦に居る内は何処にも安全な場所など無いのであろうが。

 

 結局、ヘボンはそのままアクアルア級の艦橋へと運ばれた。
   戸口の脇に担架ごと無造作に放置されると、憲兵達は慌ただしく去って行き、続いて後ろから付いてきていたヨトギ少年達がヘボンの傍らを固めた。
   彼等が立っていなければ、激しい人の行き来の中でヘボンは踏み潰されていたであろう。
   待機所も通路も蜂の巣を突いたような騒ぎであったが、それは艦橋内も同様であった。
   視認範囲の広い、帝国独特の形状をしたドーム状硝子天板の下で何人もの尉官姿の者達がしきりに叫び合っていて、その様は落ち着きがない。
   ヘボンはその様子を文字通り部外者らしい第三者的に下から眺めているが、ここまでの落ち着きのなさは指揮官達の実戦経験の不足が原因だと見て取れた。
   ここにはヘボンの原隊に居たようなベテランも居ないようである。
   ただ、叫んでいればなんとかなると言うのか、激しい興奮状態で冷静な判断などとても無理なのであろう。
   現に、ヘボンをわざわざ艦橋へ運べと指示した艦長らしい者の姿はその場に見えない。
   居るのは若く貴族衣装を身に纏いながらも、威厳も何もかもかなぐり捨てて叫び立てている男ぐらいのものだ。
   しかし、その艦長風の男に向けられる恐怖の重圧という物がヘボンには理解出来る気がした。
   現に、眼前に広がる光景は悪夢と言って良い具合で、アクアルア級の艦載機達はほぼ撃墜されたと考えた方が良さそうであった。
   精々生き残った2・3機が必死に母艦を守ろうと防御機動を持って、襲い来る黒いグランビアや夜鳥と相対しているが、空中浮遊を用いた三次元戦闘を旨とするグランビア同士の戦闘というだけでも至極厄介であるのに、これに高速性を持った夜鳥まで混じってくれば、名だたるエースが味方に居たとしても生き残るのは至難の業だろう。
   そして、決して腕が悪いわけではないのであろうが、またも一機友軍の朱色に染められたグランビアが朱色より遙かに明瞭な火を噴き出しつつ、アクアルア級の甲板に不時着しようと迫るが、その遙か手前で無慈悲にも後方から火炎を影に迫った敵機に撃ち落とされた。
   そのような激しい巴戦が繰り広げられている中、ヘボンはその中に、場違いな旧式機が辛うじて飛んでいる様を見た。
   それはエーバ准尉が乗っているにマコラガに違いないと思われた。
    彼女はまだ生きているのだという僅かな希望の様な物を一瞬感じたが、それはすぐに怪しげな不安に塗りつぶされた。
   先程のあの黒い化け物がいないのだ。
   あのヘボンを執念深く付け狙う少佐の駆るあの黒い化け物が、ヘボンから見える空にはその姿を確認できない。
   あれほどの独特の形状をしたものが、そう簡単に消えるとは思えなかったが、それは艦橋の兵士達も同様に感じているらしく

 「敵不明機、所在不明」

 一人の通信士が艦橋の隅で叫んでいるのをヘボンは聞いた。
    勿論、それだけに意識を向けているわけでは無いため、通信士の叫びは様々に飛んでいるが、その声だけは凜としてヘボンに聞こえていた。
   その声を聞きながら、痛みによって上手く動かせないながらも、ヘボンは空を不安げに見つめ、ヨトギ少年達もそれに倣うように見た。
   しかし、急に視界が覆われた。

 横からぬっと出て来た黒い物になんだろうかとヘボンは痛む頭を上げると、それは士官の黒いズボンのようで、視線が上がると朱色の尉官服が見えた。

 「君がヘボン君かね?」

 尉官服は此方を見下ろしながら、問いかけてきた。
   周囲は緊張と恐怖に包まれているというのに、この声だけは酷く落ち着いていた。
   男のようであるが、逆光によるためか影の濃いため目鼻が鮮明に見えない。
   どうも異様に顔の堀が深い顔立ちによるせいの様だった。

 「はい、そうでありますが・・・貴方は・・・?」

 「いや、なに。この艦の艦長だよ。『本来』はね」

 男は低く陰鬱な声音をしていたが、何処か面白がるような愉快そうに答えた。
   次期の艦長とはどういうことだろうかと、ヘボンが疑問を顔に浮かべると、それを見て取ってか胸ポケットから煙草箱を取り出して此方へ勧めてきた。
   それは帝国貴族らしい紋章の付いた箱で、紋章は多数のクルカが円を作るように各々に尻尾に噛みついているような変わった紋章であったが、ヘボンはそれを見てハっとしたように男の顔をもう一度見上げた。
   この紋章には見覚えがある、処の話ではない。
   自分はこの紋章のためにこんな凄惨な目に遭っているのだと、ヘボンはその箱を見て再認した。
   思えば、男の声には聞き覚えがある。
   しかし、それは確固としたものではなく夢の中で聞いた朧気な物であったが、この男の顔と何より紋章がヘボンの確信を告げている。

 「ツェツェリゲ・・・中佐殿の兄上様で・・・」

 相手が此方より高位の階級であることは明らかであったが、ヘボンは思わず口にしてしまった。
   それを聞くと、僅かに彼が動揺したように見え、見下ろしている影の濃い目に疑心の灯りが灯ったような気がしたが

 「・・・なるほど。妹の言っていたことは本当だったか」

 そう自分に言い聞かせるように彼は言うと、煙草を無理にヘボンの阿呆のように開いた口に突っ込ませて火を点けてくれた。

 「確かに私はツェツェリゲ・フォン・ラーバ少佐だ。君とは初対面の筈だが、どうやら何処かで妹が引き合わせたらしいな」

 彼はそう含み笑いを浮かべながら、自分も煙草を口に咥える。
   それはヘボンが先日に見せられた禍々しい悪夢の内で最も現実的でケチな際に見た、あの両切り煙草であった。

 「中佐殿から、貴方が増援向かってきて来て下さると聞いておりましたが・・・この艦は貴方のではないのですか?」

 「いや。私の艦だよ。今は名義上、あの目の前の青二才に任せられているだけだ。私が艦長を正式に任命されるには少々、不都合があってね。先程まで別室で休んでいたんだが、運良く抜け出すことが出来たのさ」

 ラーバ少佐はそう不思議な事をヘボンに語りながら、半ば恐慌状態に陥っている艦橋内において唯一ここだけが休息所とばかりの平静さを醸し出していた。

 「・・・休んでいたとは、留置室で?」

 「ほう。中々、鋭いな。しかも、無礼だな。妹の言うとおりだ。・・・元々、私は空軍情報関係の部署でね。しかし、あそこの情報艦の艦長も務めては居たんだが、此方の艦を使おうとしたときに私の経歴にケチを付ける者がいてね。察しの良い君なら判ると思うが、あの目の前の青二才の性だよ」

 少佐は平静な口調であったが、言葉の後半は少し前に立ち喚いている若い艦長に憎悪を向けているようだった。

 「まぁ、しかし。いいんだ。どうせ、この艦は長くは保たん。黒翼隊だけならまだしも、アーキル軍まで連合していてはどうしようもない。せめて、この長い南北戦争で滅多にお目に掛かれない光景を目に焼き付けておくのが必要だと思ってね」

 少佐は憎悪と悲しみを混濁とさせたような調子に言いながら、口から紫煙を吐き出している。どうやら、彼は現状を悲観的に物事を捉えているようであったが、それは特に間違いの無い事だとヘボンにも思えた。

 「・・・妹には昔から随分と振り回された・・・。思えば、妙な部隊を作り始めた時に止めておけば、少なくともこうはならなかったと思うんだがね」

 「第13特殊空域旅団の事でありますか?」

 「それもあるが、妹をせめて陸軍に回しておけば、こうはならなかっただろう。空軍は何しろ政治色が強すぎるんだ」

 少佐が影の濃い顔をより一層陰鬱な色に染めていく様を見上げながら、ヘボンは何処かこの男に親近感を覚えた。
   あの訳の分からないラーバ中佐に振り回される被害者と言えば、彼の方がヘボンより年季が入っているのだから

 「・・・私も、あの夜にせめて上官に確認さえ取れば、こんなことにはならなかっただろうと思います」

 ヘボンが紫煙を吐き出しながら力無く笑うと、少佐もそれを見て皮肉げというよりは同情的な笑みを零した。
   二人はまさに被害者の会なのであった。

 「我々はこのまま嬲り殺されるのでありますか?」

 「多分な。今更、ここで私が指揮をしても大した違いはあるまい。・・・・・・そうだ。君に会ったら会わせねばならない人物が居たことを忘れていたよ。来たまえ」

 被害者の会の会長はふと何か思い出したかのように、ヘボンと同様に呆然と空戦の様を眺めていたヨトギ少年とグレゴール艦長の息子に対して手振りでヘボンを運ぶように促した。
   少年達もこの混乱の中で何が起きているのかまだ整理が付かない様子であったが、影は濃いが何処か優しげな調子の少佐に従って、ヘボンを二人で抱き起こすと少佐が先導する中、アクアルア級の通路をまた移動し始めた。

 

 艦橋から離れ、凄惨な通路を運ばれていく中、ヘボンは少佐の後ろ姿を此方を抱き上げて運ぶヨトギ少年の肩越しに見ていた。
   中佐の兄上と言うことだが、その背中は何処か頼りないように思える。
   だが、その脇を通り過ぎる兵士達の目は、彼に何処か期待するような色を宿していた。
   そのまま少佐に先導されるままに、彼は連絡通路から階段を下り、銃声と砲声が轟くアクアルア級の側面機銃座へと入った。
   そこは彼方此方に薬莢が転がり、それに脚を滑らせないように注意を促されながら、一行は一つの銃座へと近付いた。
   連装の機銃座は必死に母艦に近寄ろうとする敵機を撃ち落とそうと、派手な銃声と発砲炎を轟かせているが、少佐が銃座の後方に控えた交代要員と思われる兵士に指示を出すと、銃座に座っていた者が、射手座から飛び降りて此方へ走り寄ってきた。
   その場は硝煙と薄い闇に包まれていて、顔の識別は困難であったが、その射手はとても特徴的な身体をしていた。
   今、ヘボンの脚を持っているグレゴール艦長の息子もそれなりに小柄な方であったが、それよりも射手は半分ほどの身の丈でまるで子供のようであった。
   しかも、それが防音のための耳あてが備わった射手用の特殊な帽子に身につけている所を見れば、一見すると子供の兵隊ごっこにすら見える。
   しかし、その子供のような射手はヘボンの姿を見た途端に、帽子のゴーグルをぶわっと白く結露させた。どうやら泣いているらしい。
   それを見て、ヘボンはここ数日何度も想い、それでも叶わなかったことが、ここに来て漸く叶ったのだと言う実感に全身が襲われた。

 「・・・エレン・・・伍長?」

 ヘボンは射手が名乗る前に彼女の名を口にした。
   全身から力が抜けて意識が遠退くような気がする。
   ここ数日はそんなことばかりであったので、これは意識が消えるソレかそうでないそれかどうかは咄嗟に見当が付くようになっていたが、今回の場合は前者であるようにヘボンには思えた。
   しかし、ヘボンが気を失う前に

 「バーバマッ!?」

 ヨトギ少年がヘボンよりも素っ頓狂な声を上げて驚いて、抱き上げていたヘボンを取り落とした為に、ヘボンの頭部は床に激突して意識を痛みで保たされた。

 

 一行は再び、艦橋の方へと戻ってきた。
   相変わらず艦橋内は酷く混乱していて、今更艦橋内に不審な連中が増えようと、誰も気付かないほどであった。

 「さて・・・まずは何から話せばいいかしら?」

 そんな調子の物だから艦橋の隅で暢気に思い出話を始めようとしている一行は、誠に異質な存在になりつつあったが、エレン伍長は帽子を脱いで、その可憐な黒髪を少し靡かせていた。

 「あまりに多すぎて何から話せばいいかわからない・・・」

 ヘボンは艦橋の床に転がされたまま、少佐からの勧めの一本をまた吹かしながら、言葉通り本当に何から話せばいいのか頭が大混乱していた。

 「・・・まず、さっき・・・ヨトギ君も叫んでいたが・・・彼は・・・」

 「あぁ。私の弟子でね。5年ぶりかしらね」

 精々、脳から理性的にひねり出したヘボンの言葉を、エレンは軽く一蹴した。
   それを聞いてヘボンはヨトギ少年と彼女を見たが、いまいちどういった繋がりなのか合点がまだいかない。しかし、それを打ち消すようにまた懐かしい顔がノタノタと一行の脇から現れた。

 「兎に角、逢えて嬉しいわ。ワトキンス・・・。ギュンバも喜んでる」

 エレンはそう言いながら、図体が普通のクルカの4・5倍はある巨大な個体のクルカを招き寄せた。下手をすればエレン処か、グレゴール艦長の息子をも越えるような大きさに見える。

 「やぁ、ギュンバ。前より大きくなったね」

 ヘボンはそれを見ると懐かしさからか、ふと暢気な声が出て、それに応えるようにギュンバも『びゅぅいお』と低く野太く鳴いた。

 「・・・エレン伍長と会ったのは、つい数日前だ。彼女も原隊を脱走しているのだが、これは私が掛け合って不問にした」

 このあまりにも変わった一行の中で、もっとも真面そうに見える少佐はそう付け加えて、紫煙を漂わせて続ける。

 「以前に情報部の関係で彼女とは繋がりがあってね。聞けば、君を探して随分とリューリア地区やら何やら彷徨いていたそうだ。まぁ、全くの偶然なんだが・・・」

 「ギュンバが教えてくれたのよ、ワトキンス。アンタがどれだけ厄介ごとに巻き込まれているのか、全部教えてくれたわ」

 少佐の話を遮って、エレンはギュンバを見かけによらぬ怪力で抱き上げると、この愛すべきクルカを褒め称えるように促した。
   ヘボンはそれに対して自然に笑みを浮かべ、この巨大なクルカの頭部を愛おしげに撫でた。 エレン伍長もそうだが、ギュンバを見るとヘボンの心根はとても落ち着いてきた。
   原隊にいた日々が遠い昔のように感じられるが、しっかり意識を保てばまだ数週間というだけなのだ。ここまでホームシックに似た感覚を起こさせるのも壮絶な短期間の出来事による物だが、それでもこの慣れ親しんだ戦友と呼ぶに相応しいクルカを見ると心が和む。

 「アンタの事を皆、心配してるのよ?ブーレグ司令もガング曹長もハギレエッタも・・・あぁ、でも大丈夫ね。こうして逢えたんだから、何も心配はいらない」

 エレンはそう語りながら満足そうに何度も頷いた。
   しかし、幾ら頷いても現状としては撃沈寸前の空母の中に居ることに全く変わりはないのだが、この落ち着きぶりはヘボンにも何処か覚えがあった。
   原隊のラーヴァナ級が如何に危機に陥ろうと、船員達は皆落ち着き払っている。
   その時の感覚をヘボンは思い出しつつあった。

 「・・・まぁ、感動の再会は構わないがね。冥土の土産に良い物を見れたよ」

 そのやり取りを眺めていた少佐は皮肉げにまた悲しげに言うと、紫煙を深く吸って呆然と艦橋から見える外の景色をまるで他人事のように見ていた。

 「冥土に行くにはまだ早いわよ、少佐。アンタは私との約束をこうして果たしたのだから、今度はこっちの番な訳よ」

 悲観的な少佐に対してエレンは振り返ると、小さな身体を目一杯に張った。
   ヘボンは知る由も無いが、彼女は何か少佐と契約を結んでいたらしい。
   その契約を果たすために、今度はヨトギの方へ向き、何やら聞き取れない言語で叫び立てた。
   すると、ヨトギ少年も先程からエレンを見て何処か感情を発露させようと震えていたが、それが彼女の言葉でビタリと止まり、深く頷くと脇に居たギュンバを担いだ。
   そして、永遠に恐慌状態に陥っているのかと思っていた艦橋内のクルーがいい加減に、この入り口近くで屯している不審者達に気付いた。

 「・・・少佐、拘留されていた筈じゃ」

 此方から手前に居た、若い通信兵の一人が思わず立ち上がって此方を見ている。
   その言葉に少佐は肩を竦めて見せたが、次には艦橋の最前方で叫び立てていた、少佐が言うところの青二才が此方に振り向いた。
   その姿にはまだ成人して間もないところが伺えるが、彼の肉体はこの数時間で凄まじいストレスに晒されていたためか酷く弱り切っているように見える。
   しかし、それでもこの不審者達に対する語句だけはまだ備えていた。

 「ツェツェリゲ!何故、貴様がここにいる、船倉区に拘留したはずだ!それに、其奴らは何者だ!?」

 「・・・30分ほど前に船倉区が敵機の攻撃で、拘留施設が破損した。あのまま留まっても危険なだけだから、移動したまでのことだ。彼等は・・・そうだな。私の部下ということにしておこう」

 青二才の怒声に少佐はまたも肩を竦めた。

最終更新:2022年01月01日 23:04