『マグラート』

 操舵手ヘボンの受難#48『マグラート』

 

 あの黒い化け物が空域から姿を消すと、事態は漸く、落ち着きを見せた。
   大方、あの黒い海月の化け物が敵方の隊長機にも似た物であったらしく。
   天候の悪化によりアーキル軍事顧問団の夜鳥は空域から撤退していたし、意地が悪く残っていた黒翼隊機も隊長機の離脱に応じて、また姿を消した。
   よって、ヘボン達が乗るアクアルア級は九死に一生を得て、友軍艦隊へと合流を果たすことが出来た。
   損害を確認してみれば、当初は近衛艦隊の出先部隊にしても、それなりな強力な頭数を揃えていた筈であったが、練度と士気が高すぎる敵に対してはほとんど歯が立たなかったようであった。
   それでも、先程に現れたヨダ地区の大首魁たる『スタバツィオ・グレーヒェン』が引きつれた強力な艦隊によって、友軍艦隊は無事にラーバ中佐のレリィグを発見し、これを護衛しながらヨダ地区に入ることが出来た。
   様々な障壁を乗り越えつつ、中佐は目的の一部を達成することが出来たのである。
   一方、ヘボンの方はと言えば、コアテラも大破したどころか、自身の身体も大破寸前まで痛めつけられ、戦闘が終わると同時に負傷者と一緒くたにされ、ヨダ地区に入ると治療施設へと運び込まれたのであった。

 

 体中が痛んでいるが、それでもあの過酷な空へと放り出されなくなっただけ、ヘボンの心は落ち着いていた。
   片腕は折れているし、上半身には運よく急所を外れたものの、深手となっている銃創も幾つかあり、トドメとばかりに両足も折れたままである。
   それに加えて体中に裂傷があり、帝国技術の培養人工皮膚治療を受け、皮膚の色がところどころ変色している兵士は多数いるが、ヘボンの場合はこれがほぼ全身となりつつありそうで、最早別の人間と言っても過言ではない。

 顔の方にもいくらかの傷を負ったが、これは大した問題には思えなかった。
   雑魚寝より多少マシな程度の負傷者が詰め込まれた病室の中においても、ヘボンの負傷は中々に目立つほどであった。
   その病室と言うより広間のような空間に雑多に寝転ばせられながら、ヘボンは他の傷病兵達と共にそこで丸一日過ごした。
   ヨダ地区が船工廠の活気に溢れていることも有り、病室の窓からはひっきりなしに行き交う艦船の姿を見ることが出来る。
   盛んに新造艦を造っていることもあってか、時に見慣れぬ艦船が飛んでいることもあった。
   暫くずっとこうしていれば、もう自分は負傷兵として作戦に加えられることは無いだろうとヘボンは思い始めていた。
   数週間前に原隊から連れ込ませて、幾度となく戦闘に巻き込まれてきたが、それも漸く終わるのだと勝手に考えていたが、それは強ち間違い無いことだろうと思った。
   なにせ自分は既に任された船を大破させているし、身体だって大破同然の状態でとてもじゃないが戦闘を遂行することなどまず出来ない。
   今までは脚が折れても無理矢理に操縦させられたが、それは非常事態と言うこともあった為の止むに止まれぬ対応だったのだから仕方が無いが、流石にこうやってヨダ地区に戦力が集中すれば自分の代わりの兵隊など腐るほど居るはずである。

 そう思えば更にヘボンは気が緩んできて、思考はぼんやりとながらも原隊のことに移っていた。
   この数週間で様々な人物に出会ったり別れたりを繰り返したが、原隊の仲間達のことに思いを馳せる方が心身にずっと良いことだった。
   しかし、その甘美とも言える思い出を回想しだそうとすると、ふとエレン伍長の事が気になってきた。
   彼女はわざわざ自分を探しに帝国内を放浪したようであるが、それは一体何故であろうか。
   異性的に彼女に対してヘボンは気があったが、それは紳士的なファンが偶像的なアイドルに対し分を弁えながら崇拝する物と似ていて、彼と同じように彼女を慕う原隊の仲間達以上の物ではなかった筈だ。
   しかし、彼女は自ら此方を探しに危険を冒してやってきたと言うことは、何かしらの理由があるのだろう。
   その理由についてヘボンは心内で浮ついた妄想的な恋愛感情が吹き出るのを押さえ込み、現実的と言うにはあまりに突飛な考えに思い至る物があった。
   それは此処の間にヘボンの顔面に施された入れ墨に、関係しているのかもしれないと言うことだ。
   思えば幾ら自らの顔が不細工だからと言って、酷薄な兵士や下士官達を如何に震え上がらせる場合が多かったかと考えれば、いくら何でも顔が不味いからと言ってそんな事態にはならないだろう。
   原隊に居た頃に仲間達は皆、彼女に入れ墨を入れて貰っていた。
   それは帝国中央部の文明化された部隊では考えられないほどの、時代遅れな呪いの一種に違いなかった。

 今までもこの顔の入れ墨について、様々な人物が言及し、時には危険を脱するのに役に立ったことが一度や二度では無かったことをヘボンは知っている。
   先日の近衛騎士達と対峙した際には、この顔面が酷く焼けるような熱を帯びていたことを思い出し、ヘボンは顔にそっと無事な片腕をぎこちなく動かして触れてみたが、依然として特に異常は感じられなかった。

 「…なぁ、アンタ」

 不意に横から声を掛けられた。
   その声に対してヘボンは首をゆっくりと動かして向くと、自身と同じ様な若い傷病兵の一人が年の割には好奇心の輝く目を此方に向けていた。

 「もしかして、噂の空鬼じゃねぇか?」

 その声は興奮に僅かに震えている調子で、傷病兵は此方の返事を待たずに僅かに傷付いた体を捩って近付いてきた。
   ヘボンは返答に窮したものの、少し間を置いて小さく頷くと傷病兵の顔は痛んだからだとは裏腹に明るく輝いた。

 「本当か!それは光栄だ」

 なんて素っ頓狂な声を彼があげたものだから、ヘボンは即座に病室内に居た傷病兵達の注目を一身に受けることになった。
   それからと言うもの、ヘボンは自身の被った怪我の項目に喉を痛めたことも書き加えたい程に、彼等に乞われるままに喋りに喋った。
   この訳のわからぬ内乱に巻き込まれて、そして身体を酷く痛め意気消沈していた彼等に、戦果話に尾ひれが付きに付いて、最早おとぎ話か伝説の類いと言った具合に膨れあがったヘボンの話を皆して聞きたがったのだ。
   当初の内はヘボンの話に耳を傾けるのは6人ほどの周りに転がっていた傷病兵達であったが、話に熱が入ってくるのを感じると、その観客は徐々に増え始めていき、傷病兵どころか看護兵達まで自分らの職務を放棄してまでも聞きに来ていた。
   その内に語りはヘボンだけでなく、他の傷病兵達にまで移り、嘘か誠か奇々怪々な与太話が次々と繰り広げられたが、彼自身、自分の話自体を他人に信じて貰いたいどころか、自分ですら対して信用していないだけに、様々な兵士達のお伽噺めいた活躍を聞いて時間を潰すこととなった。
   元々、彼は喋りに特筆した訳でも無かったが、今までの苦労と愚痴をありのままに語るだけでも、彼等の好奇心を満たし、陰鬱な気分を吹き飛ばすには大いに役に立ったのかも知れない。
   気付けばヘボンは半日ほどずっと喋り続けていて、漸く現在まで話し終えると、日はとっぷりと暮れていた。

  

 やがて、そのまま夜になると周囲の傷病兵達は昼間に騒ぎすぎた為か、皆眠りこけてしまったが、ヘボンだけは喋り続けた興奮が冷めないためにまだ目が開いていた。
   そして、ふと何気なく病室の戸口に目を向けると、誰か立っているのが見えたと思うとその人物は此方を見ながら徐に歩いてきた。

 「やぁ、ヘボン君。思ったより元気そうじゃないか」

 そう何気なく親しみを込めたような声を掛けてきたのは、一日中語り続けた愚痴の張本人であるラーバ中佐であった。
   彼女はヘボンよりは五体満足な調子であったが、その顔色は彼の身体の痛みが全て顔に集中したかのように窶(やつ)れていて、非常に宜しくなかった。

 「口だけはまだ動きますが、他は動きそうにないであります」

 ヘボンは彼女の顔を見て、さては一日話していた愚痴を何処かで聞かれたかと危惧して不安になったが、彼女は特に彼を責め立てるような気配は無かった。

 「まぁ、いいさ。その内、動かすまでさ。…ところで、暇なら少し付き合ってくれ」

 そう言って彼女は戸口の脇にあった車椅子を押してくると、ヘボンの軽い身体を事も無げに乗せると半ば連れ去るような調子で病室から連れ出した。

 「私みたいな傷病兵にまだ用があるのでありますか?」

 ヘボンは車椅子に乗せられながら、上官に対して無礼ながらも自身の負傷の具合を誇張するかのように全く動かせない脚に力を込めて見せたが、彼女はそんなことなど意に介さないかのように喋り続けた。 

 「なに、用って程ではないよ。君には感謝しているんだ。君の御陰で近衛艦隊とも取引が出来たし、オマケにヨダまで付いてきた。本来、期待していた戦力の倍以上はこれで整った訳だよ」

 車椅子は既に病室傍の廊下から、ヨダ地区の医療施設がある産業塔の円形テラスへと出ていて、辺りは夜風が心地よく吹き、空には未だに多数の艦船がひっきりなしに飛び交っていた。
   その光景を眺めながら、中佐はヘボンを乗せた車椅子をテラスの縁近くまで押していき、動き出さないように車椅子に滑り止めを掛けてから、ヘボンの隣に立った。

 「負傷兵の君を原隊に送り返すことも出来ないわけでは無い。しかしだね、君。ここまで来ておいて、今更、引き返すにはまだ仕事が残っているとは思わないかい?」

 「…本当にあの化け物と戦う訳でありますか?」

 夜風に当たりながら、中佐は縁に腰を押しつけつつ、胸ポケットから煙草を取りだし、ヘボンの言葉に返答する前にその口へ一本咥えさせた。

 「ここで奴を止めなければ、もう帝都の手前で抑えるしか手が無くなる。そうなってしまえば、もうアーキルの軍事顧問団どころか、連邦正規軍艦隊が間隙を突いて国内に雪崩れ込む事態だって予期できるからね。その問題について連中に理解させるために、作戦室で一日中説き続けたんだけれどね…」

 彼女はそう疲れたような声音で言うと、ヘボンの煙草に火を点けてから自分も咥えて、夜風に紫煙を漂わせる。

 「まぁ、以前に奴と出くわした際の艦隊戦ほど、絶望的な戦いにはならないだろう。エーバ准尉の持ち出してくれた暗号書類が、ヨダ地区の機関で解析に掛けて分析結果を見るところ、あの化け物にも弱点があることがわかった。その弱点を突いて、奴等の旗艦にも近いアレを堕とすことが出来れば、あとはもう手強くはあるだろうが、奴と比べれば烏合の衆だ。近衛艦隊とヨダ地区艦隊の戦力を持ってすれば押し返すことが可能だろう」

 紫煙を吐きだしながら、彼女は何処か遠くを見ていて、ヘボンに喋っているというよりは自分に言い聞かせるように話しているのを彼は感じとった。

 「…しかし、アレと戦って近衛艦隊とヨダ地区艦隊が無傷とはあり得ないのでは…?」

 ふと、気になったことをヘボンが口にすると、中佐は口元を僅かに歪めながら、その言葉へ答えを返してきた。

 「いや、損害を被るのは私達だけだ。連中は陽動作戦と残党殲滅には動いてくれるが、邪龍への直接的な攻撃は私達の部隊に一任された…というよりは押しつけられたと言った具合だね」

 そう言う彼女は何処か、普段の調子が戻ってきたのか、愉快げな雰囲気を醸し出しつつ、視線をヘボンの方へと向けてきて、その顔には不思議な微笑を浮かべてきている。

 「そうでもしなければ、連中は貴重な戦力を失いたくないと豪語した。現状は十分な戦力は整っていないと判断しているようでね。だが、私はここで決戦する他ないと上申し続けたわけだよ」

 中佐は疲れ果てた顔の内に、朱が差して興奮していく具合を闇夜の中でもしっかりとわかるぐらいにヘボンに有り有りと見せていた。

 「…だが、私達の戦力では、そもそも邪龍の歯牙にも掛からないだろうという堅物が一人居てね。君はどう思う?」

 「私も同感であります」

 ヘボンは不意の彼女の問いにそう答えはしたが、その答えに彼女が満足しないであろうことはわかっていた。
   彼女は小さく頷くと、後ろを振り返って産業塔の戸口へと手をやった。

 「なるほど。中々現実的だな、ヘボン君。では、君と同意見の堅物を紹介しよう。このヨダ地区の大首魁であられるグレーヒェン閣下だ」

 中佐は当の本人には聞こえないように、ヘボンの耳元で囁いて見せたが、その紹介された朱色の装飾豊かな貴族の衣装に身を包んだ男は、彼女の言葉が聞こえても聞こえなくても、その厳格な表情を崩さずに此方へ歩み寄ってきた。

 「…ラーバ大佐。それが君の提案した例の切り札かね?」

 厳格に彼はそう此方へ問いかけながら、車椅子に乗ったヘボンから数歩離れて、後ろで腕を組んだまま、威圧的な眼差しを此方へ向けてくる。
   ヘボンは慣れない手付きで車椅子を其方へ向けながら、この様な状態でまず相対することが無いであろう大貴族様にどう対応すればいいのか酷く困惑したが、それもあったが彼が中佐のことを『大佐』と呼んだ事が気になった。
   困惑した眼差しで彼女の肩にある階級章に目をやれば確かに、それは印が一つ増えている。 

  「なぁに、葬式の手向けのようなものさ。どうせ、死んで当然と思っているから、自殺攻撃だと思っている近衛騎士の上層部が許可してくれたんだよ」

 中佐改め大佐はすっかり元の調子に戻った具合に陽気にヘボンの眼差しを感じとり囁いてから、グレーヒェンへと向き直った。

 「そうです、閣下。彼こそ、我が第十三特殊空域旅団きっての腕利きで、不可能を可能にしてきた男。ヘボン・ワトキンス上級曹長です」

 彼女はそう胸を張りながら、ヘボンを差してきたが、さり気なく曹長から、また階級が上がっていることに彼は当惑した。

 「…たった一人の男と一つの兵器で、事態が好転するとは私にはとても思えないのだがね」

 閣下はそう冷たく言い放ちながら、鋭い瞳を刺すようにヘボンにやりながら、値踏みするというよりは冷静に観察するかのように見ていた。

 「それにどう見ても彼は負傷しているではないか、とても戦闘任務に就けるとは思えん」

 「いえ、それは補助装置がありますので、機体の操縦には支障が無いと保証しましょう。あと一週間、いえ、四日もあれば問題ありませんよ」

 閣下はヘボンから視線を逸らすと、大佐を見ながら言葉を交わしているが、明らかに不穏な単語が羅列されていることにヘボンは狼狽した。

 「四日…反乱勢力の旗艦が目的地へ到達するには、それではまだ遅い。二日で出来るか?」

 閣下は平静に受け答えする大佐へ、一種の圧を加えるためにそう言ったのかも知れないが、それでも彼女の傲慢にも似た姿勢は微塵も揺るがなかった。

 「えぇ、いいでしょう。では二日で準備を整えましょう」

 自信満々に彼女は頷きながら、ヨダ地区の大首魁を目の前にしても煙草を消そうともせず、不遜な態度を見せつけ続けた。
   一方、ヘボンの方は口に咥えた煙草をこのまま吸っていては、閣下に対し無礼に値するとすぐに思って何とかしようとしたが、腕が満足に動かせないために、このまま目の前で吸い殻を吐き出しては更に無礼だろうと、酷く焦りながらも心とは裏腹に紫煙を漂わせていた。

 「君の部下というだけあって、確かに肝が据わっているな。旧式の駆強襲艇で暴れ回ったというのも満更、嘘では無いらしい」

 しかし、閣下はこのヘボンの態度を、ただただ剛胆な兵士であると、好意的に受け取ったらしく、何か咎めようとする様は見えなかったのでヘボンは安堵した。

 「ご安心ください、閣下。私共は作戦を完遂します。帝国の威光を揺るぎなくするために、全力で遂行致します」

 大佐が笑みを浮かべてそう答えたが、閣下の厳格な表情も崩れることは無かった。

 「帝国の威光か…。いいだろう、その言葉を忘れるな」

 そう言い残して閣下は踵を返して産業塔の中へと消えていった。
   それを見送りながら、流石にヨダ地区の大首魁というものの威厳たっぷりな姿に感じ入ってはいたが、それに対して自分は随分と無様な姿で応対した物だと恥じ入った。

 

 「あれが、このヨダ地区を仕切る大貴族スタバツィオ・グレーヒェン閣下だよ、ヘボン君。あの様子なら、私の作戦にこれ以上、口は出してこないだろう」

 大佐はそう満足げに言いながら、ヘボンへと顔を戻してきた。

 「…小官が作戦に参加するのは決定しているのでありますか?」

 「勿論だ。そもそも君が居なくては話が始まらないよ」

 そう言うやいなや、彼女はヘボンの乗った車椅子の向きを変えて、産業塔のテラスを下り始め、別の階層へと彼を押していった。
   その様子はまるで新しい玩具を買って貰った子供のように溌剌(はつらつ)としていて、先日のレリィグにて彼に見せた意気消沈した面影は一切残していない。
   玩具と言えば、ヘボンは随分と彼女に乱暴に扱われてきて、壊れかけの状態になっているのであるが、それでも尚、彼女はヘボンを用いた危険な遊びを止めるつもりは毛頭無いようであった。

 「君に是非とも見せたい物があるんだ。それに他の皆のことも気になっているだろう?」 車椅子を押しながら、大佐はそうヘボンに声を掛けるが、彼にとってその両者ともそれほど興味が湧く気はしなかった。

 それでも、彼女は此方の返答など待たずして矢継ぎ早に話し始める。

 「君が近衛と交渉を付けた頃には、既にミュラー達はレリィグへと帰還してきていたんだ。行方をくらました時は、心配しないわけでも無かったが、黒翼隊の揚陸艇を深追いしたらしくてね。それはフレッドと一緒に見事片付けたよ。御陰でレリィグへの攻撃が弱体化したものだから非常に助かった」

 大佐の言葉を聞くとヘボンは動かない首を、なんとか上げようとしながら

 「ミュラー少尉達は無事だったのでありますか?」

 と、なんとも間抜けな声を出したが、ある程度、此方が話に食い付いたことに大佐は満足げに頷いた。

 「あぁ、奴が敵を深追いし過ぎて、軍法会議に掛けられたことは一度や二度じゃ無い。それがなければもっと出世も出来ただろうがね。ラーバ家の遠縁ではあるが、しっかりその血は引いているのさ」

 彼女がそう言うと、ヘボンの脳裏にはあの禿げた恰幅の良い中年男が、此方へ不気味に笑いかけるような姿が目に浮かんで思わず身震いしてしまった。
   今まで散々に此方の窮地を救ってくれた名操縦手であることには違いないが、耳目省の産業塔での戦闘や、ラッシジアの草原地帯で見せたあの化け物じみた腕前を味わうことになってしまった敵にヘボンは心底、同情を禁じ得なかった。

 「さて、ヘボン君。君は我が第十三特殊空域旅団による最期の華々しい決戦に相応しい、一番槍の名誉を託されているんだ。今からその帝国の威信を背負って飛ぶ機体と搭乗員達を紹介しようじゃないか」

 ヘボンが妙な想像に顔を曇らせている間に、大佐は産業塔の広い下層へと進んでいて、そこは並々ならぬ規模の工廠が広がっていた。
   このヨダ地区で帝国の新鋭艦が次々に造り出されていることは、戦意高揚を旨とする軍隊新聞にて何度も見たことはあったが、こうして目の当たりにするのは初めてであった。
   深く広い大穴に幾つもの艦が連なるように並べられ、人一人が点以下の小ささに見えるほどに多数行き来して、クルカに群がるスクムシの群れのように巨大な艦船群を整備している様が目に入ってくる。
   その光景を見下ろしながら、大佐は一つの浮きドッグを指差して此から彼処へ向かうと言いながら、周囲を鉄製の網で覆った箱状の昇降機へとヘボンを押していった。

 「まぁ、機体と言ってもこの様な情勢下では、既存の機を無理に突貫で改修するのが精一杯なのだけれどね。それでもそれなりの働きは出来るだろう。…君の腕があればね」

 「…大佐殿。一番槍と言っていましたが、またコアテラで…」

 「いや、いや。何も其処まで無謀な事はさせないよ」

 自信のある彼女の口調にヘボンは弱々しく言ったが、大佐は頭を振って彼を安心させるかのように肩を軽く叩き、低く笑って見せた。
   しかし、彼女の言う無謀な事等というものは、一体どの程度の範囲を想定して言っているのかヘボンには見当が付かなかった。
   今までもコアテラで敵空母と立ち向かわせ、酷いときは戦闘機と一対一で空中戦を繰り広げさせられたのは無謀な事ではなかったのか。

 「まぁ、半分か三分の一はあのコアテラだけれどね。後の部分は様々な損傷機の継ぎ接ぎだが、他は最新の生体器官技術で補ってある。きっと、君なら乗りこなせるよ」

 彼女は怪しげな言葉を次々に並べ立てながらも、最期はそれをなんとか取り繕うかの如くヘボンを激励しながら、昇降機が目的の階層へと着くとまたヘボンを押していった。

 

 目的の浮きドッグの周囲には小型の連絡艇が飛び交い、作業運搬用の昇降機がひっきりなしに上下していた。
   そして、ドッグの中央に鎮座する機体を見ると、ヘボンは顔を歪めた。

 (なんだこれは)

 そう内心に思った通りの顔をしながら、ヘボンは大佐に押されるままに、その機体を車椅子から見上げた。
   機体の全長は大凡、グランビア戦闘機よりも二回りも大きいが、ゼイドラ攻撃機の様に巨大な横幅は備えてはいない。
   その姿を簡潔に形容するならば、『大砲を咥えた巨大なクルカ』という表現が適当に思われた。
   戦翼機であるならば両翼に相当するであろう部分は、生き物の腕のようにだらりと曲がりながらも、地面に這いつくばるクルカのように立っていて、唯一の違いはその翼と思わしき部分の先端には鋭利そうな鉤爪が三本ずつ備わっている事だった。
   機体の搭乗部と思わしき前方には、操縦席を覆う丸い形のキャノピーが特徴的で、その操縦席の鼻先にはグランビアのような大砲が備えてあるが、それは口径の違う三つの砲を束ねてあるような具合で凶暴そうなのか間が抜けているのか、なんとも捉えようのない顔をしていた。

 ここまで珍妙な兵器はこの数週間に、グランダルト帝国の旧式兵器博覧会を経験してきたヘボンですら見たことも無い設計の代物であった。

 「…特殊揚陸戦闘機、通称は『マグラート』と命名されている。熊の落とし子と言う意味だそうだが、私としてはヨダのセンスにピンと来るところは無いね」

 「これは本当に飛ぶのですか?」

 「飛ぶとも。それどころか、空中で敵艦の側面装甲であろうがなんだろうが、爪を食い込ませてよじ登る事が可能だそうだ。まぁ、戦闘機というよりは空中の戦車だね、正しく」

 そう狼狽するヘボンに対し、大佐はいけしゃぁしゃぁに言いのけながら、今度はその機体の脇へと彼を押していった。

 「それと、搭乗員達を紹介しよう…と言っても、君にはもう特段言うことも無いね」

 巨大なクルカのような兵器の傍らには、物資等が詰められているのであろう箱を椅子として、一服付けている一団が居た。
   大佐が彼等を指差すと、向こうも此方に気付いたのか暢気に箱から立ち上がって、此方へ歩み寄ってくる。
   それは3人組で、先頭にいるのは此までも何度もヘボンと共に死地を潜ってきたベルン軍曹であったが、彼の場合はなんとなくそうではないかとヘボン薄々感じていたので、特に驚くことも無かったが、問題は後の二人であった。

 「よぉ、ヘボン。また死に損なっちまったようだなぁ」

 剣呑な声でベルン軍曹の脇から顔を出したのは、大凡戦闘機向きで無い人間であるニールであった。
   あのレリィグからなんとか生還を果たしたのは旧友として嬉しい限りだが、結局、彼もまたヘボンの道連れに相成ってしまったのかと、ヘボンは驚きよりも呆れたような溜息を吐いてから、まだ辛うじて動く片腕を上げて挨拶をした。

 「お互いにな。悪運はどうもあるらしい」

 ヘボンはそう言いながら、数週間前に彼と輸送艦の中で出くわしたときとは随分と状況が変わってしまったと、今更ながら妙な気分になっていた。

 「今度で尽きないといいんだが…。こんな機体じゃな。まぁ、六王湖で飛ばす予定だった物よりは幾分かマシだろうよ。俺は通信を担当する羽目になっちまった」

 ニールが髪をかき上げながら、ヘボンとは対照的に五体無事で空戦服に身を包んで立つのを見上げていると、ベルン軍曹が脇から此方に再会出来たことを喜ぶ言葉を向けてくれた。
   髪の毛一本も無い頭と傷だらけの顔面は、初めて会った頃に比べるとヘボンはその顔がなんとも頼もしく思え、外見に似合わぬ真摯な口調に伸びない背筋が伸びるような気配さえ感じさせる。

 「砲手を勤めることになりました。曹長。また、上手くやりましょう」

 彼は如何にも頼もしいがっちりとした手で再会の礼とばかりに強く握手してきたので、ヘボンは喜ばしいながらも掌に走る激痛に少々苦い顔となった。
   そして、その痛みから顔を少し逸らすと、隣にはヘボンがどうこういうのも烏滸(おこ)がましいものの、奇妙な飛行帽を被った男が立っていた。
   確か、レリィグの際に臨時のコアテラ編隊を組んだ際に居た『ヘンシェルデ』兵長の様で、今まで様々な人々がヘボンの前に現れては消えていったが、この男の片方から角が突き出て、何の用途なのかは知らないが、蜘蛛の目玉のように無数の風防レンズが付いた一風も二風も変わった飛行帽は記憶に乗りやすかった。

 「兵長も無事だったのですね」

 ヘボンは数日前に気性の随分と荒っぽい事を覚えている男に向かって、なんと言葉を掛ければ良いか迷ったが、階級は此方が上にしても兎に角謙った方が良いような気配を感じてそう言ったが、ヘンシェルデは少しの間黙っていた。
   だが、此方の様子を見るとなんとも表情の判別が付かない飛行帽の内から、声を絞り出し

 「…俺だけはなんとかな。お前と会ったら、怨み節の一つでも吐いてやろうかと思ったが、その様じゃぁ…そうもいかないようだ」

 その彼の絞り出した声音の内に悲痛な色を感じとると、ヘボンは思わず黙りこくってしまったが、横からベルン軍曹が説明した。

 「軍曹がレリィグから飛びだった後の戦闘で、あの禿げ豚が活躍したので多少は敵の勢いも弱まったのですが、それでも少なくない戦闘機隊とマトモにやり合うことになって、臨時の護衛編隊は全滅状態になったんです。ヘンシェルデ兵長は機体と銃座手を失いましたし、ニベニア准尉は戦死されました」

 ベルン軍曹はあくまで淡々とそう言ったが、その言葉に敢えて同情じみた物を加えない事も古参兵の常なのかもしれないとヘボンは感じた。
   それと同時にニベニア准尉が戦死したとのことに、動揺ほどでは無いが、ヘボンの脳裏にはあの陽気で冷静なベテラン隊長が浮かんだ。
   確か、この一大騒動の中でも共に戦い、コアテラの臨時編隊で飛び、一度はバボリの賭け札を親しんだ仲で、オマケに自分を突き飛ばしてラカンベリ家の貴族が放った銃弾から盾にした人物だ。
   特別、深く親交があるわけでも無いが、全く何も感じないという訳でも無い。
   少なくとも、ヘボンより遙かに付き合いの長いヘンシェルデの方が感じることがあるかと思ったが

 「…銃座手のグゥデミナは俺の女だったんだ。ドタバタで何度、危ない目にもあったが、その度にアイツに助けて貰った…。だが、最期まで俺はアイツを助けることが出来なかった」

 と、ニベニア准尉のニの字も出ない調子に、銃座手の事をヘンシェルデは語り始めた。

 この彼と女房との回想話にヘボン以外は立った状態のままで、小一時間は付き合わされる羽目になった。

 本来なら自分らよりも遙かに高位な大佐がその場に居るのにも関わらず、個人の身の上話をするなんて、全く以て無礼この上なかったが、珍しく話し好きな彼女が彼の話に聞き入ったらしく、ただ聞くどころか挙げ句の果てには5人揃って箱の合間に座り、話が済む頃にはニベニア准尉には更なる不幸かもしれないが、彼のことは頭からほとんど抜けていた。

最終更新:2022年05月23日 18:43