☆2☆
月明かりのなか、森を切り開いた道の真ん中に彼らはいた。何度も車両が通った跡が、轍になって下草にくっきりと二本の線を残している。彼らは偵察用の屋根のない機動車両を道の端に寄せていた。
一人は運転席で、いつでも機動車両を発進させることができるようにハンドルを握りしめ、ダッシュボードに備えつけられた無線機からの情報を一言も聞き逃さないように、じっと周りを見ていた。
そして、車を降り、左の森に向けてフラッシュライトを向けている二人組がいた。二人は定期巡回の最中、彼らの知らないエンジン音が森のなかから響いていることを不審がって、車を止めて森との境界線の近くまで来ていた。森を照らそうにも、木の幹と葉が光源のすべてを吸収してしまい、二人のフラッシュライトは数十歩の距離までしか見通せていなかった。
「どうする、森に入るか?」
「どうもこうもない。応援は呼んだ。装甲車についたストロボで炙り出してやるまでだ」
森のなかで響く特徴的な内燃機関の音は、これまで一定の重低音を響かせていた。おそらく、アイドリング状態で放置されているか、まだこちらの存在に気づかず呑気に停車しているのだろう。
そう考えた二人は、未知の存在にたいして応援を呼ぶという、教練に忠実ながら確実な手法を選んだ。警戒は怠っていないが、彼らにはどこか緩慢とした空気が流れていた。
だから、彼らは機動車両に小石が連続して当たるような音を聞くまで「彼ら」の存在に気づかなかった。
「第一目標は運転手、それと車両無線を片付けてから歩哨の二人だ。こちらからは歩哨の二人を撃つことはできない。」
アーキリは「ブックエンド」の隊員全員に伝わるよう回線を開いた。彼はベスチ、クルカル、クスォ、ヤィンギを連れて車両の右方の森から敵に接近していた。歩哨が気を取られているのは左の森で、そちらには軽機動車両とドラン、エルヴィン、フォス、ガントリ、ハイムが控えていた。
「アーキル1より。こちらの攻撃から状況を開始する。歩哨の二人は任せた」
アーキリはそう言うなり、無線機のヘッドセットを片耳に当てている無防備な運転手にスコープの照準を合わせて、バインダーガンのトリガーを引き絞った。続けてエルヴィンとクルカルは、アーキリの脇を抜けて機動車両に向けて突っ込んでいく。
カシャシャシャシャ──
ボルトが激しく前後する音は、森を抜けて彼らの耳に届くことはなかった。そのかわり、銃弾の雨が運転手を中心に、ドアに穴を開け、ミラーを吹き飛ばした。
バインダーガン自体に消音装置はついていない。銃声を消音できる秘密は、銃弾にあった。消音装置を組み込むことで重量と取り回しが悪化することを嫌う彼らは、銃弾に消音弾薬を選択した。一般的な弾薬というのは、無煙火薬が充填され、雷管の発動に誘発されることで、そのエネルギーをガスとして開放する仕組みだ。しかし「ブックエンド」の隊員の銃に装填されている銃弾は、雷管などの最低限の火薬を除いて、全て生体科学由来の物質を充填している。化学反応によって急激に膨張する海綿細胞組織がワッズとともに弾頭を押し出す仕組みだ。そしてワッズが薬莢のリップに当たって蓋をすることで、雷管の音さえ密封してしまうのだ。
もちろん、火薬による暴力的な、音速を遥かに上回る速度まで弾頭を加速させる技術に比べれば、この貧弱な海綿細胞物質による弾頭の加速は鼻で笑われるだろう。だが、それでも飛んでいく極低初速の弾頭は、いともたやすく人間の肉体に侵入し、骨を砕き、内蔵を撹拌する威力を持っていた。
そのうちの一発が頭部に当たったのか、運転手は驚く声さえなく、ハンドルにもたれるように倒れ込んだ。森の左を見ていた歩哨は、車に叩きつけられた銃弾の雨の音に驚いた。ついで、もたれたハンドルからずり落ちていく運転手を見て、なにが起きたのかを理解した。
「敵だ、右の森!」
「無線機を守るんだ!」
歩哨の二人は車の影に滑り込んだ。アーキリからは二人が見えなくなった。ベスチとクルカルが低木を避けて車の両側から回り込む。
と、車の前から回り込もうとしていたベスチに向けて、歩哨の一人が車の陰から銃弾を浴びせかけた。ベスチはすぐさま身を翻し、人の胴ほどもある木の後ろに隠れた。一秒もしないうちに、反対側から距離を詰めていたクルカルも同様に銃弾の洗礼を浴びて、その身を地面に投げ出した。
「アーキル2。足止めにより前進不能。少なくとも位置を補足されていると判断する」
「アーキル3。こちらも同様に前進不能。これ以上は木立が薄くなるので、歩哨のライトの視認範囲に入ると思われる。指示を求む」
ベスチとクルカルの冷静な反応を聞いたアーキリは、歩哨の「気づき」の早さに歯噛みしながらも、的確に指示を出していく。
「アーキル1。2と3へ、『足音』を撃たれてるぞ。伏せてろ」
いくら低木を避けても、すべての葉が戦闘服に当たらないようにすることは困難だ。ガサガサと音がすれば、そこに「なにか」がいると考えるのが当たり前だろう。運転手が狙撃されたことを鑑みれば、その音は「敵」であると確定する。その一連の「気づき」を得るには、混乱した頭では難しい。はずなのだが──。
カシャシャ、カシャシャシャ──
運転席に半身を乗り上げて、運転手の死体から無線機を取り上げようとした歩哨の一人に向けて発砲する。車に当たる銃弾の音に驚いて歩哨は手を引っ込めた。
だが、悠長にしてはいられない。無線機に手を伸ばそうとした歩哨の動きは、なにかの確信をもった行動だった。「撃たれた」という危機意識で手を引っ込めただけで、この二回の銃撃で、銃弾が運転手の死体を貫通しないことに気づいたはずだ。
そう、この消音弾薬が極低初速を掲げる以上、貫通力に劣るということは、エネルギー保存則に従った大きな代償だった。ボディアーマーはおろか、一人の人間の体内に侵入したあとは、すべてのエネルギーを体内で消耗し尽くしてしまう。通常の弾薬なら半数は向こう側へ抜けて、その先の対象に危害を加えることができるのだが、この消音弾薬では期待できるものではない。
次は運転手を肉の盾にしてでも無線機を操作してくるだろう。そう考えながら、ベスチとクルカルのいるあたりに、車の陰から銃弾をばら撒いている歩哨の眼前に威嚇射撃してやめさせる。
と、そこへ左の森からけたたましいエンジンの音が響きわたり、軽機動車両が道に飛び出した。ガントリが操る車は、歩哨の乗っていた機動車両の前方に飛び出ると、強引なアクセルワークでタイヤをスリップさせ最小旋回で向き直り、敵の方へ突進する。歩哨の車とすれ違う寸前、助手席とその後ろの席で「補機」を着込んだドランとエルヴィンが、腕を車の外に突き出した。レーザーサイトが歩哨の二人を狙う。
彼らが眼前の軽機動車両に銃口を合わせようとしたときには、すでに決着がついていた。狙いも定まらないうちに撃った銃弾が空の彼方に飛んでいく。
戦闘開始から約30秒。ガントリの登場からわずか4秒か5秒のことだった。軽機動車両が走り抜けていき、20メートルほど走って止まった。
左の森から、残っていた「補機」姿のフォスが飛び出して歩哨のいた機動車両に走っていく。その後ろから、森と道の境界にある小さな土手に伏せたハイムがバインダーガンを構え、注意深く周囲を警戒している。当然ながら、アーキリにはドランとエルヴィンがバインダーガンを撃った音は聞こえなかった。だが、アーキリは二人の成功を確信していた。
「こちらクランダルト3。歩哨三人の排除完了」
その無線を聞くなり、アーキリはさっそく木陰に隠していた側車の枝を払い、エンジンをかける。
彼らの乗る側車は、正式名称を「両側車」といい、通常の側車が「舟」と呼ばれるサイドカーを片舷だけバイクにつけているのにたいして、両舷に「舟」を搭載していた。重量増加を改良型の大馬力エンジンで相殺し、簡便なオート三輪として運用できるこの「両側車」は、アーキル連邦の特殊部隊が好んで使うオフロード車両の一つだった。
「アーキル1。これより状況解除。俺はアーキル2と3を回収して合流する」
アーキリはベスチを側車に回収して歩哨の車のもとに駆けつける。クルカルはクスォとヤィンギが側車で回収しており、速やかに10人は合流することができた。エルヴィンとフォスが周囲の警戒にあたるなか、機動車両と死体の検分をはじめた。
「いつもながらドライブバイの精度には感嘆させられる」
歩哨の二人の首筋は、ヘルメットを避けるようにして狙ったドランとエルヴィンの銃弾が5発以上突き刺さっていた。おそらく、二人の使用した弾薬と照らし合わせれば、その数と同じだけの弾丸が首筋から摘出されるはずだ。
「なにを当たり前のことを言っているのだ」
歩哨の死体の有様を見てのドランの一言は、彼なりの謙遜であり、自身を誇るものであった。
ドランら三人が着ている「補機」は、ただの強化装甲ではない。特殊部隊も愛用する機能が多く盛り込まれた特製品である。彼らの正確な狙撃は、ジンバル・アームによる補助を受けたものだった。映画撮影用の業務カメラ部品を製造するムービングシューター社の電子姿勢制御技術は、見事、車が振動するなか、「補機」が突き出した腕をピタリと敵の喉元の一点に合わせ続けた。そのうえ、無反動のバインダーガンの射撃が組み合わさり、歩哨の効率的な排除を成し得たのだった。
「そんなことより、これを見てくれない?」
アーキリとドランのかけあいに割り込んだのはガントリだった。死体となった三人のポケットを漁っていたガントリが、茶色の革の財布を3つ差し出した。
「ロゴはないけど、マイク・ザ・スウェイターウェア社の人工『本革』財布。そういえば、これは本革の生体レプリカだけど、マイクの革製品の、さらに偽物が巷で出回っているのも面白い話よね」
「ブランド品のコピーのコピーなんて誰が買うのさ。それにしても、メル=パゼル1も変に目ざといね。なんで、一目でそれってわかったの?」
「簡単な話よ、2。マイクのは、革製品の常識を覆して、湿気た環境でも腐らない。ここに最適なオシャレね」
「そのような知識はどうでもいい。財布の中身が重要だからここに持ってきたのだろう? どこで製造されたかわからない装甲車がこちらに向かっているというときに」
運転手の死体を車の外に蹴り出して無線機を検分していたドランが、姦しくなりそうな二人の会話を遮りにかかった。
ガントリはドランの堅苦しい物言いに辟易としたが、言い返すわけにもいかなかった。
「はいはい、っと。これが身分証。三人とも国も地域もバラバラで共通点はなかった。アーキル1も見て。なにかわかることはない?」
抜き出された3枚のIDカードを見るアーキリとドランは、お互いの目を見た。
「お互いに考えていることは同じというわけか」
「それは今から確かめることだ、クランダルト1。……メル=パゼル1。その目利きが利くなら、三人の服のブランドもわかるか調べてくれ。メル=パゼル2はミリタリーメッシュに接続して、IDセンターを呼んでくれないか?」
「そりゃあ……ちょっとまってね」「やっと背中のこれを使う機会ができた」
同時に動き出した二人だが、答えを返したのはガントリのほうが早かった。
「驚いたね。これ全部、下着から防弾ベストの外装繊維までマイクのだ。よっぽどマイクの愛好家なんだね。……冗談だよ。マイク・ザ・スウェイターウェア社と接点のある組織が、彼らの消耗品を用立てているってことかな」
「それは今からわかる。クランダルト1、次の情報で確定だ。」
「次を待たずともわかったようなものだがな」
すでにある確信に達しつつある二人と対比して、ガントリはまだ理解が追いついていなかった。首を傾げて二人の会話を反駁しているうちに、ハイムがアーキリを呼んだ。
「スカイバードメッシュから軍用回線に接続、感度良好。……ミテルヴィア交換台が正式利用権を求めてる。ハッシュを登録しているのはアーキル1でいい?」
「ああ、俺だ。ハッシュは『ライ麦畑』」
アーキリはポケットから白く平べったい「ハッシュ台帳」と呼ばれる棒状のものを取り出して、ハイムに渡す。背面に“MITELECOM”(ミテルヴィア・テレコミュニケーションズ)のロゴがあしらわれたそれは、ポケベルのようにモノクロの電子表示板と、2,3個のボタンがついたものだった。
パルエ全土の航空領域に存在する航空生物であるスカイバードは、旧来から神聖ミテルヴィアが所有権──といっても不可侵権に近いものだが──を主張していた。クランダルト帝国による侵攻を境に、クランダルト帝国の戦略資源となったスカイバードを保護する目的で、アーキル連邦をはじめ、各国も追従して神聖ミテルヴィアにスカイバードの所有権を認めることになった。そのうえで、神聖ミテルヴィアの所有物を収奪するクランダルト帝国という構図を作り上げたのだった。
戦後、その所有権は神聖ミテルヴィアに帰属したままであった。それに目をつけた同国が通信事業の一環として興したのが、ミテルヴィア・テレコミュニケーションズ、通称”MITELECOM”だった。”MTE CIGTEC LLC”(ミテルヴィア・テレコミュニケーション・イークイップメント、クランダルト・インペリアルガード・テクノロジー合同会社)という下部組織が能率的に設置を完了させたことで、スカイバードを介した全国的なメッシュ通信が可能となった。まだ設置数の少ない衛星通信網と比べて──神聖ミテルヴィアが徴収する手数料の高さを除けば──軍用回線として抜群の安定性から、絶大な信頼を寄せられる存在だった。
「『ライ麦畑』って、常用語で聞いたことがないから旧言語の転用語かな。まあいいけど、アーキルフォーマットの台帳だからアーキル語でいいんだよね」
ハイムはボタンを器用に操作してアーキリの言葉通りの文字を入力する。そして出力された膨大な数字の列を見つつ無線機に向き直り、交換台に呪文のような暗号を伝えた。
「……よし、捕まえた。IDセンターが出たよ。さてさて、どこの傭兵さんかな?」
「さっそく照会してみろ」
せかすアーキリに応えるよう、ハイムの唇がいつもより早く言葉を紡いでいく。3つのIDを照会したハイムは、大きなため息をついて、難しい顔をしてアーキリに報告する。
「全部偽物、生年月日も名前も。関連しそうな言葉の綾もない。まるで」
「──シャッフルしたカードを無作為に拾ったみたいに、か?」
アーキリが言いたかったことをズバリ的中させられて、ハイムはきょとんとした顔になった。
「なんだ、心あたりがあるんだ」
ここまで証拠が揃っていれば、彼らの素性について、アーキリには絶対的な自信があった。「やはりな」という顔をして鼻を鳴らすドランも同じだった。
「こちらアーキル1。全隊員へ、相手は『働き蜂』だ。以後、敵情には気をつけられたし」
無線で伝えると、ガントリとハイム以外からは「了解」という声が帰ってきた。逆に、何もわからない二人はアーキリの目の前で不満をあらわにした。
「またわからない単語が出てきた」「心当たりがあるならブリーフィングで伝えてほしかった」
口々に言うガントリとハイムを「まあ待て」となだめるアーキリは、どう伝えたものかと逡巡したが、ドランにズケズケと言われるよりはと考えを改めて、二人に真実を打ち明けた。
「その『働き蜂』というのは通称で、正確には『ミケラダ・スウォーム』というのが正しい」
「また? またミケラダスウェイアの関係なの?」
驚くガントリ。逆にハイムは半眼になって「続けて」と先を促した。
「『ミケラダ・スウォーム』はなにかしらの生体を素体として、人間同様に組み立てられた、いわば人間のコピーだ。理論的な考えはもちろん、機知に富んだ話もできる。だが『スウォーム』はヒューマノイド〈人造人間〉だ。生体倫理に反した産物だ。それを作っているのがミケラダスウェイアなんだ。考えてもみてくれ。この三人はどこから見てもわかりやすい兵士だったが、このようなものが顔と身分を変えて、各国でスパイ行為を働いている」
ガントリは顔色こそ変えなかったが、自身の持つミケラダスウェイアへの信用が、今日一日でガタガタになってしまい、口に手を当て意気消沈していた。
逆に、ハイムは知識に貪欲だった。「どうして彼らが『スウォーム』だとわかったの?」と興味津々だ。
「まずは服装だ。マイクと繋がりがある組織の後援があるのではなく、間違いなくマイク・ザ・スウェイターウェア社が直に支援しているはずだ。なぜなら、マイクはミケラダスウェイアが一度目の反乱をする直前に設立した会社の一つだからだ。服飾産業自体は『政治的』に有用で見逃されたが、今でも彼女の息がかかっているといわれている。次に、ランダムな偽装IDは『スウォーム』に有意な特徴だ。身元を割られたときの付随被害を抑えるためなのだろうが、逆に個別の案件では容易に偽造が判明しやすい。そして、もう一つは、俺たちの感触だ」
「さっきまではきちんとした理論なのに、今度は感触?」
「まあ待て、アーキル1の言うことは正しい。私もその感触を保証しよう」
皮肉めいた口調のハイムに、ドランがアーキリを擁護した。アーキリが話を続ける。
「『スウォーム』は一般的な人間と比べて五感に優れている。それだけでなく、思考と反応速度は常人を上回ることがある。俺が運転手を無力化したあと、普通は撃たれた場所を探して混乱するところだが、残った二人はアーキル2と3の接近を能率的に妨害することに成功している。さらに、即座に弾薬の種類に気づいて、運転手を盾に無線機を確保しようとした動き。明らかに勘のいい兵士では済まない」
「極めつけは私たちへの射撃を試みたことだな。アーキル1の攻撃で車に張りつけられた状態から、真後ろにきた私とクランダルト2の、ちょうど頭がくるだろう予測位置に銃口を向けようとして、あまつさえ照準が合う前に発砲し始めている。普通、まず私たちに照準を合わせてから、追いすがるように予測を動かすものだろう。こういうことができるのは『スウォーム』しか考えられない」
「と、いうわけさ」
ドランの解説を交えながら、アーキリが「感触」を理論的に話し終えると、ハイムは完全に納得したのか、何度も深く頷いた。
と、ちょうど心の整理がついたのか、ガントリが頭を横に振って、
「こんなことが許されていいの? 人造人間はどの国も認知していないはずよ。しかも、それが各国に紛れ込んでいるということでしょう。ああもう……」
ひとたび信仰が崩れると、熱心な排斥者になりやすいというが、ガントリはまさにそれに陥っていた。あまりアーキルが内情を説明したくなかったのも、こういうことが起きるのを防ぎたかったからに他ならない。だが、いまとなってはどうしようもないことだった。
だが、それを解決したのは意外にもドランだった。
「私はミケラダスウェイアの戦略は大いに合理的で賛同するぞ。もちろん、その活動には明確に反対だが」
「どこが? こんなの不合理で破綻してる」
「組織運営は、思考の読めない人間同士がするから簡単に瓦解する。思想が統一された、物理的な身内で固めてしまうのは良い戦略だと思わないか? どこにも理論的な破綻はない」
「そういう意味じゃ……ハァ、わかったわ。『感性』の違いってやつね」
ドランのあけすけな言葉に、ガントリは怒るのを諦めた。
倫理を語るとき、南半球出身者は「おおらか」なのでこうして話が合わないこともある。『ヒューマノイド・ヒューマン』を嫌っていながら、クランダルト帝国の生体科学の見地に立つドランは、理論的な面で「ヒューマノイド」という事象を効率的と捉えるきらいがあった。
「じゃあ、この『スウォーム』を生け捕りにして痛めつけたら、敵の情報をまるごと話してくれるの?」
「ガントリ、いいところに気づいた、といってやりたいところだが、それも難しい。『スウォーム』はミケラダスウェイアの頭脳を基盤にしているといわれているが、それでも、下っ端が知っているのは下っ端の事情だけだ。全知全能ではなく、俺たちと同じ、ニード・トゥ・ノウの原則に縛られた『働き蜂』だ。しょせん女王蜂の手足でしかない」
「なんだ、じゃあ『ミケラダ・スウォーム』だろうが、やることはかわらないってことね」
「君の思うとおりだ。よし、敵がわかったところで行こう。フォウ1は無線機の破壊を。クランダルト1、装甲車はどっちから来る?」
クスォがペンチとハンマーを取り出して無線機を無力化する間、残りの隊員は軽機動車両と側車に異常がないか見て回っていた。彼が返ってくると、さっそくそれぞれの席に乗り込んだ。ガントリが操縦する軽機動車両にはエルヴィン、フォス、ハイムが互い違いになるように座り、ドランとアーキリが操縦する二両の側車は、ベスチ、クルカル、クスォ、ヤィンギが乗り込んだ。
「クランダルト1。まずいぞアーキル1」
施設への一本道を、軽機動車両の後方から追従するアーキリは、隣の側車を運転するドランからの警告を受けた。
「アーキル1、続けてくれクランダルト1」
「クランダルト1。クランダルト2が暗視装置で見たところによると、このままだと5分もしないうちに敵の装甲車と鉢合わせすることになる。さらに悪いのは、かすかにだが、敵はこちらの存在に勘づいているらしいということだ」
「こちらアーキル1。クソッ。『スウォーム』っていうのはまったく」
「クランダルト1。敵の情勢は装甲車が一台。機動車両が一台。装甲車はダッカーを後部シャシーにした、改造型の中型装甲ハーフトラックだ。操縦席もかなりの装甲だ。車台としては見事なものだな。私たちの武装では有効打にならない。手榴弾の攻撃も、軌道車両へはともかく、装甲車にたいしては、カーゴに投げ入れるくらいしか使い道がない」
「アーキル1。いにしえのポンコツをそんなに強く語られるとは光栄だ、クランダルト1。それで、何人いれば足りる?」
「クランダルト1。私としては5人必要だ。軽機動車両と、クランダルト1、2、それにメル=パゼル2とフォウ1、2。これだけいれば十分だ」
「アーキル1。わかった。俺は残りを連れて森から施設に回り込む。だが、軽機動車両は4人乗りだぞ。どうするつもりだ?」
「クランダルト1。パイプフレームに捕まっていてもらう。長旅ではないのだから問題はない」
アーキリが前方に敵勢力の存在を伝えると、にわかに隊員たちの緊張が張り詰めていく。軽機動車両と側車の人員を入れ替えると。アーキリはベスチ、クルカル、フォス、ガントリとともに森に消えた。
「ここからは敵の装甲車との戦闘になる。不幸中の幸いか、連れてきている機動車両は、先の戦闘と同じで、装甲のない一般的なものだ。重機関銃を搭載しているという点が脅威度を上げている。よって、まず機動車両を無力化する。フォウ2が道に爆薬を仕掛け、機動車両を無力化ないし大破させ、重機関銃を使えないようにする。場合によっては、停車したところでエンジンを破壊し、動きを封じることになるだろう。これはフォウ1と2に任せるべき仕事だ。理解したか?」
「「わかりました」」
「私とクランダルト2は前方の森との境界から攻撃を仕掛け、車列の停止を試みる。これは失敗する可能性が高い。『スウォーム』は停止することは危険と判断するはずだ。どうにかして待ち伏せを離脱するか、後退を試みる可能性がある。ここで重要なのは、私たちの主目標が装甲車の完全な無力化であること。歩兵への攻撃は付随する目標でしかないということだ。装甲車が無力化され次第、私たちは軽機動車両でアーキル1に合流する」
「それで、私は?」
「私の近くにいてもらう。私がどうにもならないと判断したとき、陽動のプランを早めてもらう予定だ。理解したか?」
「了解」
彼らはみな、ハイムの運転する軽機動車両に揺られながら──ヤィンギは後部のパイプフレームにしがみつきながら──敵との戦い方を思い描いていた。そのうち、軽機動車両が道を外れ、森のなかで止まる。
エンジンを切ると、森が風にざわめいて、野生動物が逃げていく足音が聞こえるようになった。
5人はすぐに軽機動車両から降りると、車がなぎ倒した木立を踏んで、道へと戻り、道沿いに歩き始めた。しばらくして、遠くから装甲車の重厚なエンジン音が聞こえてくる。
「戦闘開始だ。待ち伏せする場所を指定する。フォウ2、爆薬はどこに設置する?」
ドランの声に、ヤィンギはすぐさま道の真ん中を指さした。
「古典的ですが、ダブルトラップといきましょう」
ヤィンギは取り出した特殊なシャベルを使って穴を掘る。小さい穴だが、縦に縦にと深く掘っていく。
「メルパゼル2。フォウ2のそれって園芸用で苗を植えるときに使うやつじゃないの?」
「フォウ2。御名答、詳しいですね、メル=パゼル2」
ハイムの茶々にヤィンギは動じない。十分な深さになると、爆薬を細長く成形して、穴に詰めていった。一杯になったところで信管を刺し、遠隔起爆装置を取り付けると、穴は見事にふさがった。ヤィンギは土を穴にまぶしてカムフラージュすると、森から持ってきた手頃な大きさの葉をその上に乗せた。起爆装置の短いアンテナを葉に突き刺して更に折り曲げると、爆薬があるとも思えない、先ほどと変わらない道が残るだけになった。
「こちらフォウ2。メル=パゼル2へ、周波数の用意を」
起爆の準備を促したヤィンギは、掘り出した土を集めて森に放り投げたあと、20歩ほど手前に歩くと路肩の土を掘り始めた。今度は大きく雑に掘り返していく。その土をまた踏んだり叩いたりして固める。どう見ても路肩に爆弾を埋めたような跡が残った。ただし、ヤィンギの工夫によって、掘り返された湿気た土の形跡はなく、きちんと表土を装っている。
「上手いな。これなら『スウォーム』なら気づくはずだ。巧妙に隠された違和感であるほど、相手は真実だと思う。それにしても……。こちらクランダルト1。クランダルト2、状況送れ」
ドランが彼の手腕を褒め、そして敵の装甲車が一向にやってこないことを不審げに感じ始めた。果たして、嫌な予感は当たることになった。
「こちらクランダルト2。装甲車から8名が降車。左右の森に4名ずつ散開して広がりつつ接近中。機動車両は運転手、助手、重機関銃手の三人で変わらず。装甲車は運転手と助手の二人。カーゴの残り人数は不明。ん……装甲車が急速に加速しています。機動車両もそれに追従しています」
報告を聞いた途端、ドランは舌打ちをした。
「奴らめ、装甲車を先行して後詰めの歩兵で半包囲するつもりだ。待ち伏せには一番嫌な対抗策だ」
「こちらメル=パゼル2。クランダルト1へ、起爆準備完了しました。私の待機位置はクランダルト1の後方、この位置を維持しますか?」
「クランダルト1。メル=パゼル2は現状位置で待機し、戦闘への参加を禁ずる。そして陽動プランを更新するよう命令する。これはクランダルト1の権限によるものである」
「メル=パゼル2。了解!」
ハイムの元気な声が帰ってくる。ドランは首を横に振った。
「さて、『補機』を壊さないように立ち回らないといけない……。クランダルト1。フォウ1は現地点を維持し、遊撃戦闘によって反包囲を崩しつつ、装甲車の無力化に向けて努力してくれ。全員、準備は完了しているか?」
もちろん、そのあとドランが聞いたのは、全員の「準備完了」という言葉だった。
一分もしないうちに、戦闘は激化の最頂点に達していた。
待ち伏せした区域に高速で装甲車が突っ込み、キャビンの上に設置された遠隔操作のストロボライトつきの同軸機銃が火を吹いて、あたり一面に振り回された。道から外れていたとはいえ、ドランとエルヴィンは強力なライトに茂みを見通され銃撃の的になった。軽機関銃の銃弾は「補機」を貫通する能力さえなかったが、連打を浴びてたまらず身を低くして後退した。下がりながらの苦し紛れに近いジンバル・アームの射撃が、数十発かけて運転席側の前面防弾ガラスをヒビだらけにした。
装甲車は追撃しようとして、ローギアのけたたましいエンジン音で迫るが、途中でピタリと止まってしまう。路肩爆弾を仕掛けた痕跡を目ざとく見つけたのだ。降車した歩兵はまだ合流していないため、装甲車のカーゴから歩兵が2名降車して路肩に走る。
と、機動車両が装甲車を追い抜こうとして前進した。歩兵が十分に展開していないこのとき、装甲兵へ致命打を与えうるのは、重機関銃を搭載した機動車両しかいなかったからだ。しかし装甲車を避けて右へと曲がろうとした地点の真下には、ダブルトラップの本命が潜んでいた。爆音とともに機動車両の左舷が激しく持ち上がり、一秒にも満たない片輪装甲のすえ、右に横転する。
機動車両はパイプフレームが上に突き出した構造だったこともあり、転覆を免れた。爆風の大半が車両の左舷に集中したために、左にいた運転手は即死した。重機関銃手は投げ出されたが、機関銃を握りしめていたため、機関銃を支点に前方へ一回転し、激突したパイプフレームに背骨と内蔵を損壊させられて動けなくなった。右にあった助手席は被害をまぬがれたが、脳震盪から回復しきらないなか、車両から脱出しようと手が地面を掴んだ途端、
カシャシャシャ──
という音とともに彼の視界は暗転した。
一見、「ブックエンド」隊員の目論見は成功しかけていたが、それまでだった。
森の側面からの射撃に呼応して、装甲車のカーゴからの銃眼の牽制射撃が打ち返す。そのうちに、痕跡までたどり着いた歩兵が路肩爆弾を偽物だと看破した。一転、装甲車がローギアを唸らせて、さらに前へ出る──。
このままでは、待ち伏せを突破されたうえに、後詰めの歩兵の半包囲が完成してしまう。森から狩り出された獲物は、道に追い出されたあと、装甲車という移動要塞の前で、なすすべもなく轢き殺されるだろう。だが、状況は大きく変わった。エネルギー消費を厭わない最大戦速で森のなかを大回りした2つの「補機」が、歩兵の半包囲が完成しつつあるなかを駆け抜けて、後詰めの歩兵の数人正確な射撃で打ち倒した。そのうちの一人は誰かを抱えて、装甲車の後ろの道を横断すると、合流した4人は森の奥に消えていった。
次の瞬間──、
森を舐めるように近づいていた特別強襲機が甲高い音をたてて急制動をかけた。速度を位置エネルギーに変換しながら、飛び立った鳥のように上空へ浮かび上がったそれは、位置エネルギーをさらに横方向の速度に変換して高速で横滑りしていく。特別強襲機の自動擲弾砲と速射砲の筒先が装甲車を見つめた。
特別強襲機の前面がオレンジ色に輝いた。放たれた弾丸は、どちらも容易に鉄の塊を引き裂く。ともすれば地面へと縫い止めるほどの勢いだった。たちまち、装甲車はヒップシュート大会の空き缶のように穴だらけになり、数秒もたたず燃料や弾薬に引火して燃え上がった。
それを確認した特別強襲機は、また森のこずえを滑るように飛び去り、姿を消した。
あとには、施設へと向かうエンジンの音が3つ、かすかに響いていた。