世界で最も幸福な彼らへ

 

「いかんな、この戦争は負けだ」

崩壊した指揮系統の中、エリッヒ・フォン・カウフマン中将は自らが忠誠を誓った御旗が斃れたことを理解した。
数と火力で圧倒しつつも、明確な指揮系統のない烏合の衆の割には奮闘したと言えよう。
事実、彼の粘り強い指揮と適切な局所反攻で戦線は取り持たれていた。大貴族マルアーク家の分家の一つであるカウフマン家は軍功で成り上がった典型的な軍人一族で、同家の男児は全て国軍に忠誠を誓っていた。

彼の指揮下にある第2艦隊は南方軍管区防衛の要、戦艦2隻を基幹にした旧政権側で最も有力な艦隊であったが、おおよそ3分の1が新帝国側に寝返り多数の艦艇が離散した。
演習に駆り出されたことが幸いし、軍港内で全滅することは避けられた。それでも補助艦艇の半数と補給艦の全てを喪失し砲弾は弾薬庫にある分が全て。

門閥貴族の私兵艦隊をかき集めて急速に戦隊を再編したが、練度も機材もまちまちな艦隊での近代戦など望むべくも無い。

最大戦力であったグロアール改級は既に自力航行能力を喪失し、水雷戦隊は手持ちの空雷をすべて撃ち尽くした。航戦は半壊状態。手持ちの艦載機をかき集めてももう一回航空戦をやれるかどうか。その場合、艦隊防空は完全に破綻する。

彼の乗艦であるガリアグル改級”アーネンハウベ”の通信室には悲痛な報告が相次いでいた。右翼部は既に後退し、左翼部の崩壊は時間の問題。中央部は比較的安定しているが、隣接戦区との連絡は遮断されている。

皇帝艦との通信が途絶しておおよそ2時間。撃沈されたか、移乗攻撃で制圧されたか、いずれにせよ近衛艦隊の動きを縛る枷は解かれた。
近衛艦隊は一時的に後退し、半日ぶりに帝都上空で一切の砲声が止んだ。
最終攻勢を見据えた再編であることは明白だ。同時に、このわずかな静寂が第2艦隊に残された最後の撤退時機であることを意味した。

「副長、過負荷機関出力に耐えうる艦艇は何隻残っている。」

「本艦の他、”ライングロッセ”、”ホーヴェル”、”クリムヒルト”の3隻、軽巡以下は第21機動空雷団の残存駆逐艦と少数の空雷艇母艦が動けます。第1航戦の”ドラウス”は器官治療に半日必要と報告していますが、工作艦は全て喪失しました」

「”トライアンフ”は神経麻痺と浮遊嚢の破裂、急性カテコラミン中毒で自力航行は不可能。グロアール級を曳航可能な艦は我が艦隊にはありません」

近衛艦隊のグレーヒェン級に唯一対抗できるグロアール改級は捨てるには惜しいが、撤退戦には過ぎた代物だ。帝国の貴重なドラウス級大型空母も艦載機の殆どを失い巨大な箱に成り下がった。
軍港爆破で戦力の半数以上を喪失し戦闘に参加した第2艦隊にかつての威容は無く、その実戦力は2個戦隊相当を残すのみ。

カウフマンは自嘲気味に笑う。前線からいくら増援要請を受けても帝都から動くことのなかった最精鋭がこのざまか。俺の誇りはこの程度か。
近衛艦隊に包囲される前に西方公路で有事の際の集結地点である144.2泊地に脱出する。たったそれだけのことが分の悪い賭けになるなんて。

降伏も頭を過った。幸い、日夜戦場にいた彼の家に後ろ暗いものは少ない。しかし、軍人とは愚かで、そして実直であらねばならない。一度赤襟を身に纏ったのなら、人間である前に軍人でなければならない。

「全艦に通達。本艦隊は西方方面に脱出し当初の計画に乗っ取って144.2泊地へ後退する。自力航行不可能な艦艇には艦長の判断で降伏を許可。復唱の要なし」

「近隣のガイオン分艦隊とフェルトハルンフレ修道騎士団艦隊にも通達しますか?」

「時間が惜しい。我々が後退すればそれに協調して後退するはずだ」

彼が自らの戦区を捨てるのはこれで2度目だった。リューリア上空で敗北の屈辱を知った彼だったが、同時に生きていれば挽回の機会が望めることを学んでいる。
駆逐艦が展張した煙幕に乗じ、第2艦隊の残存が脱出したのは皇帝艦墜落から6時間後の黄昏時だった。音源測距に使用される方位時計の誤差が最大になる夕暮れ時の半刻。闇夜が彼らの味方についた。



少数の巡洋艦と駆逐艦からなる艦隊は西方に脱出し、近衛艦隊の追撃を振り切って泊地近郊にたどり着いた。
既に日は落ち切り、半月と三日月が顔を覗かせている。

カウフマンは40時間以上、殆ど座ることなく指揮を続けてきた。異常分泌されたアドレナリンとコレチゾールによってかろうじて回転していた脳が緩やかに停止する。
士官室の寝台に腰かけたとき、背骨が抜かれたようにシーツに崩れ落ちた。

思えば、あまりに長い1日だった。今後の世界情勢を大きく書き換えた一夜。歴史は今日という日をどう記すだろう。壇上から今日の演者たちが降り、夜明けとともに明日の演目の幕が上がる。その繰り返し。
敗者に次の出番はない。

数百年の忠義が、数多の犠牲が、無限の屈辱が全て下らぬ歴史家に安い言葉で括られる。
漠然とした絶望が彼を苛んでいた。疲れのあまり思考がまとまらないのは彼にとって幸運でさえあった。

採光窓から差し込んだ月光が顔を撫でる。人間の営みなど気にも留めず、今日も惑星は自転し、天体は公転する。1日が31時間になることはない。ひと月が31日になることはない。
人生全てが大きく覆った一夜が、本当にくだらないものに見えて、彼は安心して意識を手放すことが出来た。

144.2泊地はベーゲンヘムとオットの中間に位置する軽泊地で、その地理的位置とリューリア作戦時に損害を受けなかったことから国軍艦隊にとって重要な拠点の一つへと成長した。

第2艦隊の先頭を行く後期クライプティア級駆逐艦”ライカ”が泊地の係留塔群を目視確認したのは翌日の昼頃だった。
泊地には既に貴族艦隊が集結しており、艦種も艦級も多種多様。さながら艦艇の見本市といったところだが、無造作に係留される中型艦、寄りかかれる係留塔が無く浮遊を続ける大型戦艦。泊地の施設からあぶれた人員は周辺に各々テントを張り、野営地を組織している。

「"ライカ"との通信回復しました。泊地に相当数の艦艇が集結中とのことです」

「艦隊旗か家紋旗は確認できるか?」

「ガルフォン、デシュタイア、グロキシニア、ダタイラム、ガトー、ディツベスヘレン以下多数ですが御聖紋旗を掲げていません」

「そうか…戦闘配備を解除し休息をとらせろ。投錨後は別名あるまで待機するように」

彼らにも帰る場所がないのだ。彼らの君主は逮捕されたか、戦死したか、あるいは自決か。
領民の忠義は君主の正義、所有物であるに正義を掲げる権利はない。
我々は御聖紋を背負うことすらできなくなった。




運良く係留塔がつかまり、彼らは下船することができた。それなりの戦力を持ち帰ってきた第2艦隊に塔を明け渡したのだ。
逃避行で更に損耗し、実戦力は2個戦隊を割りかけていたが、他はもっと酷い。

泊地は艦隊勤務者や地上勤務者、航空隊のほか陸軍兵や警察までごった返していた。
装備、服装は様々だが、みな一様に土気色の、死人と見まごう顔をしている。
僅かな糧食や毛布を奪い合い、そこら中で乱闘が起こっていた。止めに入った憲兵が撲殺されるどころか、進んで略奪に奔る憲兵すらいる。
女性兵士は幾重にもボロ布を纏い、銃剣で髪を短く刈り込み、顔に灰を塗りつけ自らの性別を隠す。

カウフマンは人間性の脆さに失望し、また軍や国家の虚構を直視した。
正義、主義、思想は飢えた胎には遠すぎる。人間が人間でいられるという贅沢。本能の上に糊塗された薄い膜に張り付く正義。今や誇りは、1グラムのパンくずにも及ばない。
帰る場所のない者たちは、行き場のない者たちはどこまでも残酷になれる。

「副長、泊地の周囲に集落や民間人居住区はあるか?」

「ありません。元々が隠蔽泊地ですから」

「そうか…、久しぶりの良いニュースだ。」

行き場のないのは、おれたちも同じか。
この先どうする。軍人であることさえ、もはやおぼつかない。

「”火消しのカウフマン”!エリッヒ・フォン・カウフマン中将でいらっしゃいますね」

若い女の声。だが乙女のそれというにはあまりにも悪意が見え隠れする。
カウフマンが振り返ると、10センチほど下に略帽をのせた黒髪が目に留まった。女性らしさを隠さぬ格好で、張りのある肌と豊満な髪を惜しげもなく晒している。不自然に大きな丸メガネの奥には茶色の瞳孔。
身体的特徴はこの女がメルパゼル系帝国人であることを示していた。

「北鎮軍参謀部のシャウメ・ツゼ少佐です。リューリアの英雄にお会いできるとは」

「北鎮軍…停戦後の塹壕守りがなぜこんなところにいる」

北鎮軍はクランダルト帝国軍の方面軍の一つであり、最前線に位置する六王湖一帯を支配下に置く対連邦戦争の要石だった。
本国と隔絶した地ゆえに独自の軍政や徴税が認められ、一方面軍でありながら中小国並みの国力と裁量を誇る。
しかし、今回のクーデターにはなんの反応も示さず、傍観を決め込んだ。旧政府側の増援要請に対し”元来の任務遂行と国体の防衛に邁進す”の一報を持って返した。

「北鎮軍にも近衛騎士団による独裁的な新体制に批判的なものが多数います。諸問題で満足に動けなかった我々ですが、ようやく手を差し伸べられる」

女はすらすらと言葉を紡ぎ、更に続ける。

「中将閣下、先ほど将官及び臨時指揮官は全員指揮所上階に集合するよう招集がかかりました。案内いたします」



芝居ぶった態度を崩さず話すこの女に、カウフマンは会議室に通される。
会議室には敗残兵の長たちが既に着席しており、その階級はまばらだ。
最高が中将、最低は大尉、爵位は伯爵から男爵まで。望まぬまま部下の生殺与奪権を与えられた哀れな男たちがおおよそ20人ほど。

「精鋭第2艦隊の提督とは心強いですな」

「むざむざグロアール級を失ってよく帰ってきたものだ」

「死に場所を失ったのは我々も同じだろう」

品性も無く世辞と陰口を、本人の前で叩く。
泊地の根拠地長が流れで議長席に座っていた。階級は低いが、中将が下らないプライドで取り合うより遥かにましだった。

「…それでは皆さん、我々は今後、どうするべきでしょう。ご意見を伺きたく思います」

口を開く者はいない。
我々に残された選択肢は一つしかないのだ。だがそれを口にするのもはばかられる。若い大尉が、長い沈黙を破る。

「私としましては…降伏すべきと考えます。兵は疲れ切り、新政権の樹立を阻止することは現実的ではないかと…」

「近衛騎士団が我々を許すと思うか、あの独善的で、ものを知らん潔癖症どもが」

「財産と領地の没収などされたらワシは…ワシは…」

「司法取引か…美術品の譲渡でなんとかならないだろうか」

カウフマンは露骨に顔をしかめる。権威と権力の傘の下、彼らがいったいどんなことをしてきたのかは知らない。しかし、当人らの反応からして絞首台数回分は確実だろう。
堰を切ったように発言が飛び交うが、その内容は自己保身と自己弁護。数百年の腐敗が収集され、濃縮され、この部屋に満ち満ちている。

「発言よろしいですか」

口を開いたのはツゼ少佐だった。

「我々北鎮軍が根拠地としている六王湖には、この泊地にいる全艦隊を収容する能力があります。政権の安定化まで、そこで匿うことが可能です。
現状、この泊地の物資では数週間と持ちません。既に風紀の乱れは覆い切れず、兵の精神も限界を迎えています
ですから、今後の対応の為、一度皆様を北鎮軍で保護し、新政権からのコンタクトまで生活を保障いたします」

抜本的な解決ではない。応急措置ともいえない、下らぬ延命。
しかし、士気と規律の低下は著しい。反乱も時間の問題だった。
人は目先にあるものを過大評価する。すがるものが他にない場合は、よりその傾向は強まる。

再びの長い沈黙が続き、代案は一向に出なかった。明日降伏して裁かれるか。数年、いや数か月以内に裁かれるかの選択。
しかし、他に救いになるものは無い。慰めになるものは無い。

「さて、ほかに代案もようですし、このあたりで決を…」

「下らん!それでも貴様ら軍人か!」

ひときわ響く大きな声。
筋骨隆々の肉体に、禿げあがった頭。会議室を駆け抜けた一喝は、宰相勢力タカ派で知られるデルハルト中将のものであった。
年齢は50代半ば、しかしその瞳の奥にはある種の熱が残っている。カウフマンはこの熱を知っていた。訓練を終えた新兵が、初めて前線行の輸送船に乗るときの瞳。
数日後に塹壕の中で肉片と化すことなど考えもしない、英雄になると信じて見送られる少年のそれに似ていた。

「われらはもう死人なのだ。今更守るべきものがどこにある。」

デルハルトは立ち上がり、会議室のベランダに出た。作戦指揮所の会議室は上階にあり、そこから泊地全体を見渡すことが出来る。
有線マイクをひっつかみ、全スピーカーをオンラインにした。

”””””
聞け!兵士諸君!私の名はデルハルト、一人の男として諸君らに訴える!

我々は勇敢に戦ったが、悪逆なる敵の奸計の前に敗れ去った。
美しきクランダルト帝国が薄汚い功利主義者に踏みにじられている。我らの愛した国は、殉じるべき国はもうない。

この現実に貴様らはなんとも思わんのか。

我らの父は、祖父は勇敢だった。この国の礎にならんと雄々しく戦い、美しく散っていった。我らは未開の民に技術を与え、文明を教え、悪逆なる功利主義者たちの搾取に苦しむ人民をその圧政から解放した。世界のすべてが我らダルト人に感謝し、平服し、祝福した。
それは嘘偽りなき歴史が証明している!

その英霊たちの血で築かれた神国が今、侵されようとしているのだぞ。

兵士諸君、諸君らには同じ血が流れているはずだ。誇り高きダルトの血が流れているはずだ。
その血に報いたくはないか。英霊たちに報いたくはないか。
我らの誇りと正義に比べれば、我々の命に一体なんの価値があろうか!
命を捨てずして、偉大なる先人たちに顔向けができるか!

””””

いつしか多くの兵士が集い、見上げ、デアハルトの声に耳を傾けた。あるものは直立不動の敬礼で迎え、またあるものは突っ伏して感涙を流す。

誇りを失った人間に、それはあまりにも甘美だった。明日をも知らぬ敗残の身に、それはあまりにも救いだった。劣等感、絶望、不安、自己嫌悪。そういったものには、彼の言葉は効きすぎた。
抑圧と弾圧はいつしか正義にすり替えられ、犠牲者の数は救った数にすり替えられる。歴史上、幾多と繰り返された戯言。
過去の凡百の政治屋たちと違うのは、デルハルト自身が本気でそう信じていたこと。そして彼の聴衆が蜘蛛の糸にすがるほどの絶望の中にいたことだ。
兵士たちは極度の興奮状態になり、思考を止める。
目の前に都合よく表れた救いをそのままに受け入れる。
デルハルトはさらに続ける。

””””
誇りと向き合え。それは諸君らの血の中にある!

戦うのだ!
我々には艦がある。砲がある。弾が無くなれば銃剣で戦え!銃剣が折れれば手で戦え!手がもげれば脚で、脚がちぎれれば歯で噛みつけ!
矢弾尽き果て剣折れても、我々には何物にも侵されぬ強靭な精神がある!

戦うのだ!
正義は我らを決して見捨てぬ!回天の機は必ず訪れる!我らの命で、我らの死で!必ず戦局は逆転する!必ず我らは勝利する!
不屈の意思と魂は、どんな巨大な敵をも打ち破る!

立て!兵士諸君!誇りある死の為に!偉大なる故国の為に!先に逝った英霊たちのために!
戦艦を沈めるのは砲弾ではない!我らの敢闘精神をもってすれば軟弱な近衛など相手になどならぬ!
我々の高潔な魂に、敵は恐れをなすだろう。心あるものは共に立ち上がり、我らの戦列に加わるはずだ。

目標!ノイエラント!
目標!奸賊、近衛騎士団!

我らの正義は決して褪せぬ!志あるものは共に立て!戦意あるものは私に続け!
約束しよう、私は常に諸君らの先頭に立ち、必ずや諸君らをヴァルハラに導く!
数百、数千年後の子孫に、我らは誇り高き戦士として、正義の守護者として語り継がれるだろう!

”””””

興奮は波及する、熱狂は伝播する。狂信は誰の心にも芽生えうる。
いつしか兵らは大広場に集結し、伍隊を組んで直立不動でデルハルトを迎えた。そこに敗軍の面影はなく、全てを捨てて理想に邁進する狂信者。
彼らは理想の為に喜んで命を差し出すだろう。空っぽで、安っぽく、都合のいい理想に。時として、救いという毒に侵された病人たちは、世界で最も優秀な兵士になる。

帝國万歳!帝國万歳!帝國万歳!帝國万歳!帝國万歳!

鳴りやまぬシュプレヒコールを受け、デルハルトは直立したまま涙を流す。
彼は疑っていなかった。
餓死から逃れるために入隊した兵士も、植民地から無理やり徴用された兵士も、何不自由なく過ごし、特権階級を謳歌していた自身と同じく国を愛していると。
国の為なら命を投げ出せると。彼は自身の言葉が真実であると疑っていなかった。志同じくする同志の存在に、心から涙していた。

帝國万歳!帝國万歳!帝國万歳!帝國万歳!帝國万歳!

直立不動の敬礼をしていたのは、カウフマンらも同じだった。
人間は死ぬべき時にに無なければ緩やかに腐っていく。
軍人として死ぬ権利を、彼らはもう一度与えられた。
敗北の屈辱がその背中を押す。枯れた木ほどよく燃えるように、屈辱を燃料に光が灯る。

「素晴らしい!素晴らしい!そうだ、我らは選ばれし民族だ!」

「戦って死のう!一矢報いて死のう!せめて、誇りの中で死ぬんだ!」

「ここで生き延びては英霊たちに申し訳が立たない!」

もはやノイエラント急襲に反対するものなどいなかった。
誰しも思考を放棄し、熱狂に身をゆだねることを選んだ。
アウトサイダーであるツダ少佐も例外ではない。

「私も目が覚めました、閣下。北鎮軍は閣下の計画を全面的に支援いたします!手始めに、建造中の新型戦艦を閣下に寄贈いたします。ダルトの魂が形になったような、美しい戦艦を。必ずや、閣下の御心に沿うものでしょう!」

議題は即時、艦隊の再編と襲撃計画に切り替わった。
損傷の酷い艦は北鎮軍が引き取り、代わりに軍需物資のいくらかを提供する。近いうちに新政権樹立の記念式典として政府首脳が集合する観艦式が行われる可能性が高く、襲撃は観艦式のど真ん中を突っ切って行う。
鼻を明かしてやりたい。敗者のまま終わりたくない。そういった漠然とした意識がこの大規模な自殺を後押しした。
ほぼ一月後の襲撃当日、新しい軍服に身を包んだ姿でデルハルトは艦橋に立っていた。
彼の部下は士気、戦意共に高く、彼を愛し愛されていた。
天を突くような熱狂の中、艦隊が離陸していく。熱気の中で死ねることを、自らの正義に殉じられることにこれ以上ない高揚を覚えた彼は国章のエンブレムを強く握った。



もぬけの殻になった泊地の通信室に、黒髪の女と通信兵が立っていた。軍事施設における通信内容は全て、ロウ製の蓄音管に録音される。材質が蝋であるのは複製を不可能にするためだ。
黒髪の女は丸メガネを外し、受話器を耳に当てている。

「…申し訳ありません、艦隊の誘致工作は失敗です。代わりに賛同しなかった少数派とその艦艇、損傷艦は確保しました。速やかに回収部隊を回してください

…彼らですか?戦艦を与えると言ったら簡単に信用しましたよ。未完成のまま放置されていた欠陥艦とも気が付かず。解体費も浮いたし悪くない選択でしたね

ええ、彼らにはパッと散ってもらいましょう。本当に安いコマです。
これで新政権は旧帝政派の狩りだしを始める。そこは貴方の思惑通りでは?…ええ、外敵を得た旧帝政派は北鎮軍を頼らざるを得ません。

北鎮軍内の反独立派を一掃する機会です。はぁ…夢のようですね。我々の国。王国の実現が見えてきている。
…ええ、はい。もちろん議事録は全て破棄しました。目撃者も残しません。
はい、はい。…それでは、侯爵閣下。」

受話器を置き、番頭の兵を呼び出す。
すかさず若い男の番兵が電話機を受信に戻し、記録機を再起動させる。

「えっと、受話器はここでいい?施設維持とはいえ、貧乏くじを引いたな、君も。」

「はっ!デルハルト閣下の御親征にご同行できなかったことは残念ですが、これも最終勝利のための重要な役職ですから。ところで、どこに回線を?」

「んーちょっとね。ところで、これの蓄音管はどこにあるの?」

「…は?先ほど蓄音管に残すなと少佐殿が仰られていたので、録音しておりませんが…」

「ご苦労、君は優秀だ」

消音拳銃を胸に押し当て2発。頭に一発。強化セルロース性の焼尽薬莢は排莢時に燃え尽きる。ツダは声もあげれずに斃れた兵士を跨いで通信室を後にした。
 

最終更新:2023年02月07日 19:35