緊急対応部隊「ブックエンド」の記録、第4章

☆4☆

 

 

 特別強襲艦がドランを援護しているとき、アーキリたちは施設の正門にたどり着いていた。遠くから小さく爆発音の連続が響きわたる。機関砲の重苦しい音も、爆竹が爆ぜるような軽い音も聞こえてきた。返す刀で打ち返されるロケットの煙が夜闇の青色へと伸びては消えていく。

 「予定どおり、ずいぶんと派手に暴れまわっているみたいだ。大丈夫なんだろうな?」

 空を見上げるアーキリの顔には、少し不安げな表情が浮かんでいる。特別強襲艦の単騎運用で、「スウォーム」の組織的な抵抗に負けるのではないかと心配していた。

 「大丈夫ですよ。私も最初は怖い思いをしました」

 隙なく周りを警戒するのはフォスだ。補機──生体装甲服──に搭載された「クルカの眼」と呼ばれる青い目で見渡しながら、銃を構えている。

 「皆が思っている以上に、我々の航空艦は堅牢です。……我が国にしか馴染みがない感覚ですけれどね、『艦』と名のつく航空機は、『艦』にふさわしい性能を持つことが決められているんです。あれが最近流行りのヘリコプターみたいなものだったら、我々はあれを『艦』とは呼ばなかったでしょうね」

 「それってあてつけのつもり? 『浮力』や『腑力』に頼り切った力押しは賢明じゃないね」

 フォスの棘のある言葉に食ってかかったのはガントリだ。彼女は他の隊員に警戒を任せ、施設の正面ゲートの横に設置された駐在所に入り、装置に自分のコンソールをつないで、セキュリティの解除を試みていた。

 「純粋な揚力で動く航空機がそんなに珍しい? 民間航空機のシェアはメル=パゼルが世界一だよ」

 「ものには得手不得手があるものですよ」

 浮遊機関を使った航空機を生産するアーキル連邦は、浮遊機関によって空中に物体を持ち上げる力を「浮力」と呼ぶ。同じく、生体器官を機関として用いるクランダルト帝国は、その現象を「臓腑から生じる力」──すなわち「腑力」と呼ぶのだ。他方、純粋な物理学によって空を目指したメル=パゼル共和国は、空気が物体を昇揚する力を「揚力」と定義した。今でも、純粋な物理学を根幹にした航空機の研究は、他国の追随を許さないほど発展しているのがメル=パゼル共和国なのだ。

 「喧嘩なら買うよ。こう見えて、私は攻撃ヘリコプターを操縦できる。ご自慢の特別強襲艦と決闘してもいい。終戦まで空気力学を知らなかった帝国人なんか、きりきり舞いにしてやるんだから」

 「知らなかったとは心外ですね。意図的に無視して──」

 「おしゃべりはそこまでだ。メル=パゼル1、クランダルト3」

 話を遮ったのはアーキリだった。腕時計を確認した彼は、ドランがここにたどり着くまでの時間を計算すると、

 「時間どおりなら、クランダルト1とはもうすぐ合流だ。いきなり出てきても、間違って撃つんじゃないぞ。アーキル2、3も周辺警戒を厳に保て」

 ベスチ、クルカルからは「了解」という言葉が聞こえたが、

 「こんなので撃って死ぬクランダルト1じゃないでしょ」

 ガントリはからかうような口ぶりで、背中に回したバインダーガンを叩いて揺らした。バインダーガンに装填された極低初速の弾薬は、クランダルト帝国の開発した補機を貫通することは万に一つもない。

 「ばか言え、撃ち返されるほうの身にもなってみろ。同士討ちなんてシャレにならないぜ」

 「それもそうか。でも、心配しなくてもクランダルト3がちゃんと見つけてくれるでしょう?」

 「ご心配には及ばずとも、どんなに暗い場所でも、この目は見逃しません」

 「──ですって。安心しましょう。……っと」

 ふいに会話を打ち切ったガントリに、アーキリは不穏を感じた。コンソールを目にもとまらぬ早さで操作するガントリに問いかける。

 「どうした? メル=パゼル1でも解けないセキュリティか?」

 「冗談じゃない。こんなの、ソーシャル・ハックしなくても手なりで解除できる。パンドーラ法を使うまでもない。ただ……」

 「専門家だろう、自信を持ってくれ」

 「セキュリティを攻撃されていることは向こうもわかっているはず。バックドアを設置しようとしたら弾かれたから、正面玄関を設置した」

 「コンピュータの『裏口』のことだろう? それを設置できなかったことが、そんなに心配か?」

 ガントリは下唇を噛んだ。

 「いい? 『私はここから侵入します』っていって攻撃しているの。もちろん相手は駐在所から攻撃されていることはもう知っているの。じゃあ、なんで誰もそれを阻止しないの?」

 「それは、陽動作戦がうまくいっているからでしょう。主力部隊は特別強襲艦を施設に近寄らせないように、施設から離れているので」

 フォスは、遠くから響く爆音を顎で指して、自信げに答える。

 「それならどれだけいいことか。施設の直衛守備隊が出払っているとは思えない。そいつらが出てこないのは不気味かな。このセキュリティのちぐはぐさもそう。警備システムは簡単に乗っ取れるのに、施設のコアシステムはコンパイラが違って、こちらのプログラムを差し込めない。じゃあ、警備システムの甘さは乗っ取られることを前提にしているとでもいうの? ねえ、あなたたちが追い続ける不倶戴天の敵が、こんな砂糖菓子みたいなセキュリティを組むかしら? 参謀や作戦指揮官じゃないから、私が言うのもおかしいけど……」

 ガントリはため息を吐くと、空気を吸い直す。

 「誘われているね──確実に。施設に誘い込んで、確実に始末するために、イージーゲームを演出している気さえする。アーキル1にはわかるかしら、この感覚が」

 アーキリは暗闇に耳をそばだてながら、ガントリの感じる不気味さに奇妙な一体感を得ていた。どうしてこの瞬間にも「スウォーム」は襲ってこないのか。特別強襲艦が陽動作戦を行っているとはいえ「正面玄関」で派手に攻勢をかけているということは、筒抜けのはずなのだ。では、陽動している特別強襲艦がブラフだと看破していないとは思えない。ましてや、あの「スウォーム」が、である。その意図することは、なにか理由があって反転攻勢をかけていないということだ。だが、なぜ施設に引き込む理由があるのか。単に、部隊を一網打尽にするためなのか。あるいは別の目的があって──。

 アーキリの考えがまとまることはなかった。「来た、全員いる」というフォスの言葉とともに、軽機動車両のエンジン音が近づいてきたからだ。

 「感動の再開だね。それで、アーキル1の答えは?」

 ガントリは、答えを促すようにアーキリに目配せする。

 アーキリは逡巡したのち、

 「俺たちの任務はもう変えることはできない。罠にかかるなら、それを承知で足を踏み出し、かかった罠を食いちぎるのが猟犬の役目だ」

 「なら、正門を開けるわ。この後は?」

 「クランダルト1に思う存分暴れまわってもらう」

 アーキリは道の中央まで歩くと膝立ちになり、暗闇から近づいてくる光に腕を振った。軽機動車両のヘッドライトが、こちらからでも視認できるようになっていた。

 「アーキル1からクランダルト1へ。こちらが見えるなら答えてくれ。『門扉は脆い、破城槌はこれを前へ』」

 無線で呼びかけるアーキリの声は、果たしてドランに通じたようだ。無線機から一度、ノイズだけが聞こえたと同時に、すぐ前に迫る軽機動車両が減速していく。このノイズだけのやり取りは、「実行に移す」というドランからの合図だった。

 「メル=パゼル1。やってくれ!」

 アーキリが叫ぶと同時に、ガントリは正門のモーターを稼働させた。きちんと油がさされた門扉はゴウゴウと重苦しい音を響かせながら、巻き取られる鉄鎖に引かれて道を開けていく。

 「アーキル1からクランダルト1。今だ、飛び込め!」

 次の瞬間、どかんと加速した軽機動車両は、数歩飛び去るアーキリの真横を通過した。ドラン、エルヴィン、クスォ、ヤィンギを乗せた軽機動車両は勢いを緩めることなく、門扉へと突進する。

 と、補機の姿のフォスが走り出し、車両のフレームに取りつくと、5人乗りになった車はまだ動き続ける門扉の隙間を抜けて、施設の隙間に吸い込まれていった。

 それと同時に、「おーい」という言葉が道から聞こえてきた。ベスチ、クルカルが用心深くライトを向けると、背負った無線機の重さを感じさせない健脚さで走ってきたのはハイムだった。

 「急に車を降ろされたからびっくりしたよ……。あれ、クランダルト3はどこ?」

 「メル=パゼル2と入れ違いに、軽機動車両に乗っていった」

 「ああ、どうりで。合流直前で降ろされたわけだ。首尾は……よさそうだね」

 ハイムはつま先立ちになった。その視線の先は完全に開いた門扉に向けられている。門扉の先は、一見して学校か図書館かと思うような「普通さ」を意識した、どこか町の郊外にあって不思議のない建築で構築されていた。ブリーフィングのとおり、ある資産家が建てた施設を改装して使っているのだろう。軍事施設にありがちな物々しい雰囲気はなく、イミテーションの石畳が敷かれた大路の左右には、逆さにした四角錐の下を途中で切ったような形の、しっかりとした明るさの街灯が等間隔に並んでいる。

 アーキリは壁に張りついて施設のなかを見渡すが、銃声らしい銃声は聞こえてこない。

 「クランダルト1からアーキル1へ。『破城槌は突破した』。繰り返す、『破城槌は突破した』」

 急に無線機がノイズを発し、続けてドランの声が聞こえてきた。大きく息を吐くアーキリは、大通路を見渡す。

 これだけの施設がもぬけの殻というのは考えにくい。軽機動車両の突入に呼応して応射されることが一番の懸念だった。実際は杞憂に終わったのだ。だが、ガントリのいうことが妙に引っかかっていた。これほど簡単に懐を空けてくれるだろうか。だが、アーキリにはこの作戦を上回る妙案が浮かんでくるとも思わなかった。

 意を決したアーキリはあおぐろ)い空を見上げた。施設の奥にある天文台から、直径百メートルはある光条が月に向けて照射されている。空気中の塵に反射して、直線状にうっすらとした光の欠片が瞬いている。あまりのエネルギーの強さに、横切ろうとする水分は蒸発してしまうのだろうか。光条を遮ろうとする雲を、逆に鋭い刃のように切っていくのが見えた。「パスト・ポスト」は、情報収集の一環として、独自で宇宙の天体に関する情報の収拾を行っている。強烈な抗原を用いた光計測もそのひとつだ。セレネへと向けられた光線は、天体に設置された「鏡」に当たると、反射して天文台へと返ってくる。光は一定の速度──光速で進むため、照射した光線が跳ね返ってくる時間を計測することで、天体との距離を観測しているのだ。強力な光線を利用するので、施設の電源の大半を光計測が専有していると考えられていた。この瞬間はまさに「パスト・ポスト」にとっての泣き所なのだ。

 アーキリは施設へと歩を進めながら、無線機を繋いだ。

 「こちらアーキル1から全隊員へ。施設への侵入経路を構築、『ブックエンド』隊はエントランス横で合流せよ」

 いよいよ、時間との勝負が始まろうとしていた。施設での破壊目標を探し出すのが遅ければ、陽動に徹している特別強襲艦が疲弊してしまう。そうなると、「ブックエンド」隊が脱出するまでの時間、敵を抑えておくことができなくなる。いくら重武装といえ、一騎の強襲揚陸艦にできることは限られている。

 「アーキル1からアーキル2、3。クランダルト1に追従し、突入口を維持せよ」

 アーキリが言うなり、ベスチとクルカルは「了解」といって駆けだす。

 背を低くして走っていくベスチとクルカルを見送ったアーキリは、後ろに振り返った。ろくに舗装されていない道には、敵の影はない。追撃されているということもなさそうだ。駐在所を出たガントリとハイムは片膝立ちになり、無線機材を囲んで司令部と通信している。

 「メル=パゼル1、通信に不調はあるか。妨害の有無も聞きたい」

 「ああ、アーキル1。スカイバードメッシュ通信でも弦が切れるけど対処できる。奏者の腕の見せ所だね──」

 「ねえ、1。それじゃアーキル1にはわからないよ……」

 「っと、ごめんなさい。いつもの内輪の癖が……。通信妨害は差し込まれているけど、切り替えして通信を維持することはできる。通信兵として腕が鳴る。ということだよ」

 無線技術の最先端を一人走るメル=パゼル共和国は、無線技師を音楽に例えて、誇りとともに「奏者」と呼ぶことがあった。

 南北戦争のさなか、メル=パゼル共和国は、長大な戦線で、有線通信網を張り巡らせた実績を持つ。クランダルト帝国も、通信が部隊運用の要だとわかっているので、有線を切断し、砲撃で吹き飛ばす。それを修復し、維持運用するのがメル=パゼル共和国の通信兵の任務だった。そのとき、誰かが「奏者」という言葉を使いだした。ある伝説的な弦楽器の奏者が、演奏中、弦が切れてしまっても残っている弦を張り直して長時間の演奏をこなした逸話とともに。弦──すなわち通信が切れても弦を張り直して、戦争という演奏を終わらせるという験担ぎは、いつしかメル=パゼル共和国の通信兵に広く普及したのだ。

 アーキリは面食らいながら、ガントリとハイムに向きなおる。

 「それで、司令部はなんと?」

 「『作戦を継続せよ』と返ってくる。いい傾向だね」

 「特別な注文は?」

 「一切なし、陽動作戦を早めたのも聞いてみたけど、現場判断で許容範囲内──だってさ」

 「それならいいんだが……。通信が傍受されて偽電文が送られてきている可能性はあるか?」

 アーキリの不安をよそに、ハイムはにやりと笑った。機材から目を離せないガントリも笑いを堪えられないようだった。

 「通信大国を信用しないの? 大丈夫、『スロットマシン』と『ホッパー』はきちんと動作しているよ」

 この言葉はアーキリにもわかった。メル=パゼル共和国の現用戦略通信技術の通称だ。誰でも傍受できる無線通信を暗号化し、安全に復号するために、メル=パゼル共和国は他国に一歩先んじた無線通信技術を開発した。傍受した通信は、スロットマシンのような独特の音を発するのだ。さらに、無線通信の帯域をピアノの譜面に見立てると、予期せぬところで転調したように帯域が変わるという複雑性を持ち、通信妨害を回避する冗長性を備えている。それを担保するシステムとして、暗号化された通信を復号する、復号暗号を織り交ぜて送受信する。ただし、復号暗号は帯域のどこにでも出現するため、単純なフーリエ変換からの推測は困難である。その複合暗号がマシンの払い出しに用いられるホッパーの音に似ているため、そう名付けられたのだ。いっそうメル=パゼル共和国の通信を傍受し、妨害することは困難を極めている。

 「メル=パゼル1、そうは言うがな。『パスト・ポスト』と、ひいてはミケラダスウェイアがやっていることは、どうだ? 暗号なんて関係なしに各国から情報を引き抜いている。もちろん、君たちの祖国も同じように。そう思わないか?」

 ハイムは「はん」と鼻で笑った。

 「そんなもの……、『パスト・ポスト』も『ミケラダスウェイア』も知ったことじゃない。秘匿情報が抜かれているのは、通信技術に瑕疵があるわけじゃない。そうでしょう? もし、それができるなら、人をたぶらかして情報を得ているということだ。『社会的(ソーシャル)・ハッキング』と、そう名前がついている。またの名を『スパイ』。最高にして最低のハッキングだ。情報通信のプロに人間の惰弱さを問うなんて、お門違いだと思うけど」

 ハイムの辛辣な言葉に、アーキリは言い返すことができなかった。彼女の正論もそうだが、実情としては、メル=パゼル共和国に匹敵するような高度な暗号技術を持っている国は多くない。今でさえ、アーキリの祖国、アーキル連邦も、遠い過去、セイゼイリゼイが「第二技術」として伝えた基礎通信技術を「『誰か』が発明した便利な暗号通信」だとありがたがって市井で使い続けているくらいなのだ。すでに枯れ落ちて、ちょっとしたスーパーコンピュータさえあれば解読できるようなものを、である。それを知っているアーキリには、ガントリとハイムの態度は、いささか傲慢に思えた。

 ハイムは「通信終わり」とつぶやくと立ち上がった。通信機材を背中にかついで歩きだす彼女のあとをガントリもついていく。

 「なにしているの隊長、急ぎましょう?」

 振り返ったガントリは立ち止まったままのアーキリにそう言うと、周囲を警戒しながら施設に小走りで向かっていく。

 「ああ、行こうか」

 アーキリも彼女に続いて走りだした。数十歩もしないうちに、脚力で勝るアーキリはハイムに追いついて並走する。

 「アーキル1、ところで相談なんだけど、メル=パゼル1のためにやすりを調達してくれないかな」

 「構わないが、理由を聞いてもいいか。メル=パゼル2」

 「彼女の左の半長靴あるでしょ。靴底についている赤いのって血糊だよね」

 「駐在所を襲撃したのは彼女だからな。無力化した『スウォーム』のそばで作業していたら、意図せず踏んでしまっても不思議はない」

 「血液は簡単に追跡できる。これから屋内での戦闘が多くなるなら、用心するに越したことはないと思ってね。表面をやすりで削ってしまえばいいのさ。メル=パゼル1はどこか抜けたところがあるからね。気づいていないみたい」

 「わかった。フォウ1か2が持っているはずだ。用意させよう」

 「ところで彼女。『スウォーム』相手に尋問しようとした?」

 「ああ、なかなか暴力的だった。無力化するのに、余計に三発使ったぞ。それでも解決しなかったから、コンソールと格闘していたんだが」

 「情報に関しては容赦がないね。詳しくは聞かないでおくよ」

 それきり、アーキリとハイムは無言でガントリのあとを追い続けた。

 

 施設の中央に、その建物は存在した。漆喰コンクリートを下地に、イミテーションのレンガで装飾された建物は、アーキリたち「ブックエンド」隊が目指すべき目標だ。この建物の地下に、破壊するべき情報保全施設が隠されているというのだ。

 本来の入り口は、角を曲がったすぐそこがエントランスなのだが、待ち伏せされていることを警戒し、エントランスの先、待合室の横合いから入るように壁を爆破して侵入する。壁に黄色いチョークでバツ印がつけられており、穴を開けて、奇襲をしかけるつもりなのだ。アーキリが「破城槌」という隠語を使ったのは、まさにお呼びでない侵入者がつくる「急造の突入口(メイク・エントランス)」のためだ。突入機材を用意するクスォとヤィンギを守るように、ドランとエルヴィン、フォスがその周囲を固めていた。

 ドランはアーキリを見つけると、指の形を変えて数度手首でスナップを効かせた。アーキリも走りながら振り返す。ドランはアーキリに「突入準備よし」と伝え、アーキリは「準備を継続し、合図によって突入する」というやりとりをした。それを見たクスォは、1メートルほどある三角柱の鉄棒を四本、ヤィンギは水の入ったビニルバッグを取り出した。要領よく壁に取り付けると、ダクトテープで壁に固定してしまう。それぞれに起爆のためのコードがついており、ヤィンギとクスォの手によって一本にまとめ上げられると、コードを持って下がってくる。

 ヤィンギが「爆破準備完了(デトネーション・レディ)、防爆シートの後ろへ」と言って、爆発によって飛んでくる破片を防ぐシートを取り出そうとする。それを手で制したのはドランだった。

 「シートなどいらない。補機が盾になれば問題はないだろう。それに、そのまま突入するつもりだ」

 「わかりました。でも、爆発物に近づきすぎないでください。中央のパッケージは水圧力爆弾(ウォーター・チャージ)ですけれど、外周の四本は鉄筋を切る成形炸薬(シャープド・チャージ)ですから。いくら補機でも危ないです」

 「……わかった。十分に気をつけよう」

 爆薬のなかに特殊な形状の金属板が埋め込まれている成形炸薬は、爆発の圧力で金属板が変形し、発生した金属の噴流が直進する。その勢いは凄まじく、補機の装甲でさえ容易に貫通してしまうのだ。さしものドランも、「成型炸薬」の一言に気圧されたのか、ヤィンギの言葉には素直に従った。

 「爆破準備完了、スクラムを組め! ああそうだ。フォウ1。フォウ2でもいいんだが、メル=パゼル1に棒やすりを貸してくれないか。半長靴の底を磨くのに使うんだ」

 少し離れた場所でドランとエルヴィンが立ち止まると、全員がその後ろについた。最後尾にはフォスがつき、後方を警戒する。

 ヤィンギが「いいですよ。どうぞ。突入後に返してください」と、背嚢から人が殴り殺せそうな──40センチくらいあるやすりを取り出した。一方、面食らったのはガントリだった。慌ててアーキリに理由を問いただした。

 「なにか靴についているの? どこかで失敗したかな?」

 「いや、メル=パゼル2が言うには、血の跡が床に残ることを警戒して、ということだ」

 ガントリは片足を上げて、左足の半長靴を見た。

 「ああ、そういうことか。2も心配性だな。こんなところで科学鑑定する暇もないだろうに」

 「でも、用心に越したことはないよね。私たちは生き残る必要があるんだから」

 「それもそうだね」

 ハイムの説得に素直に応じたガントリは、隊列の影で棒やすりを受け取った。ガリガリという音が響くなか、ヤィンギは赤い起爆キャップをコードに接続して握りこむ。胡椒瓶くらいの大きさのそれには、安全ピンとレバーがついている。ピンを抜いてレバーを引ききると、起爆に必要な電力が発生し、コードを伝って信管を起動させるのだ。

 補機に搭載されている目は後方を見ることもできる。起爆キャップを目ざとく見つけたエルヴィンは先頭で壁を向いたままヤィンギに問いかけた。

 「フォウ2。ところで、ハンドグリップはもう使っていないのか?」

 「握力トレーニングの機材なんて持っていませんよ」

 「ハンドグリップっていうのは、なんだっけな……あの『カチカチ』のことだよ」

 「なんだ、『デトネーション・クラッカー』ですか。あれは廃盤です。整備性と信頼性の問題で、もう使ってないですよ。クランダルト2が言うように『カチカチ』するよりも、化学的に電力を生み出すほうが確実でしょう?」

 他愛もない会話を遮ったのはガントリだった。「いいよ」と言うなり掲げた棒やすりをダンプポーチに押し込み、銃を構えた。アーキリはそれを見て、全員が位置についたことを確認した。

 「スクラム、エンゲージ!」と叫ぶ。「エンゲージ、ブリーチ──」と続くヤィンギの声は爆発音でかき消された。

 レバーが引かれると、化学物質の化合が進み、電極に電気を押し込んだ。コードを伝ったそれは、まず外周の四本の成形炸薬を起爆した。メタルジェットが壁に押し出されると、漆喰とコンクリートをたやすく切り刻み、奥にあった鉄筋を押し切った。勢いは衰えることなく、断熱材をすり抜け、内壁を完全に貫通した。そして、中央に設置された水圧力爆弾が起爆した。爆薬を水で囲んだ簡単な装置だが、水によって爆風に指向性が生まれ、衝撃のほとんどが壁に向かった。鉄筋を切断された壁は、為す術もなく爆風に押され、中央をひしゃげさせ、わずかにつながっていた鉄筋を巻き込んで、建物のなかに押し込まれた。

 カン、カンとコンクリートの破片が補機の装甲を叩くのも気にせず、ドランは煙のなかに突っ込んだ。全員がそれに続く。

 最後尾のフォスが建物に侵入するときには巻き上がった煙は落ち着いていた。

 「エントランス、クリア」

 突入して、すぐ右の壁沿いに進み続けたドランが言った。エントランスはそう広くなく、左手には階段に射線を通したドランの援護を受けて、エルヴィンが階段に近づき、階下を抑え込んだ。敵影はなく、ドランはエルヴィンのいる階段の前まで進んでいた。ハイムとクスォはその後ろを通って、エントランスの端にあるエレベーターを制圧している。ベスチとクルカルはエントランスのカウンターを制圧し、その先にある「司書室」と銘板の打たれたドアに照準を合わせた。ガントリとヤィンギは本来の入り口に向かった。最後にフォスが外を警戒しながら入ってきた。

 「仕掛け爆弾を発見、制圧中!」

 シャッターの降りたエントランスの入り口に仕掛けられた装置を見て、ヤィンギが叫ぶ。ドランとエルヴィンに合流したアーキリは、すぐ「クランダルト3、メル=パゼル1を援護しろ!」と指示を飛ばした。フォスがヤィンギとガントリの間に入って、ガントリを下がらせる。

 逆に、ヤィンギは装置にかじりついて、解除する方法を探りはじめた。

 「シャッターとドアにかかる衝撃を送信する装置と、それに合わせて無線で起爆する装置が別になっています。無線妨害は?」

 「正の起爆装置だから大丈夫、こちらの妨害は最大にしている!」

 ガントリの言葉を聞いて、ヤィンギはニッパーを取り出した。爆弾は起爆装置と爆薬をワイヤでつなぐ簡素なもので、爆薬につながるワイヤをニッパーで切ると、信管を抜いて、起爆装置の電源を基盤ごとこじる。そのうち起爆装置も動かなくなった。

 「仕掛け爆弾を制圧!」

 手に残った信管を部屋の角に投げると、ヤィンギは手を上げて叫んだ。

 10秒もかからず解体された爆弾を見て、フォスの口から「お見事」という言葉とともに、ため息が漏れた。

 「次、カウンターのドア!」アーキリが的確な指示をだす。

 ヤィンギが立ち上がった瞬間、おもむろに司書室の木製のドアが開いた。フォスがヤィンギの前に立ち、バインダーガンを構える。

 司書室側に扉が開かれると、隙間から顔を見せたのは、二十余歳の女性だった。半身をドアに隠しているが、黒地に細い縦縞のパンツと、長袖のシャツの上から同じ黒地のベストを着ている。IDカードを首から吊り下げている女性は、突然現れた「ブックエンド」隊員を見て、

 「えっ──?」

 フォスの異形の装甲服に驚き、ドアノブに手をかけたまま固まった。

 正対したフォスも、レーザーサイトを胸に照準しながらも、撃つのをためらった。これまでとは違い、明確に戦闘員ではない人物が現れたからだ。まるで、というより、オフィスレディーそのままの姿の女性は、あまりにも戦場という言葉からかけ離れた存在だった。

 だが、作戦中の民間人にたいする交戦規定はない。この施設はミケラダスウェイアと、それに従う人造人間「ミケラダ・スウォーム」しかいないと目されていたからだ。それを考えれば、目の前にいる女性は「スウォーム」である可能性が高い。だが、眼の前の女性は銃を向けられているのに、呆けてしまって動こうともしない。この反応はフォスを騙そうとする欺瞞なのか。それとも本当に民間人なのか──もしそうならば、まずは声をかけてみるべきかもしれない。フォスは迷った。

 ドアの一番近くにいたベスチとクルカルは、ドアの開閉に真っ先に反応していたが、フォスが動かないので行動のきっかけを失っていた。

 止まった空間を動かしたのはガントリだった。動かないフォスの背後から、腹部の装甲に銃を委託すると、レーザーをフォスの照準と同じ場所に合わせる。そして、冷静に、ためらいなく引き金を引いた。

 カチッ──

 ボルトに内蔵された撃針が落ち、信管を叩く音が響いた。だが、弾丸は発射されなかった。雷管が起動せず、薬莢のなかの燃焼室に化学反応が広がらない、典型的な動作不良だ。失敗を感じたガントリの動きは素早かった。彼女はもう一度、銃の引き金に力を込めた。生体撃針内蔵ボルトキャリアを搭載したバインダーガンは、ダイナモに充填された電力から生体撃針に通電する機能があった。感電した生体撃針は筋収縮と同じ原理でボルトを強く引き、エキストラクターが不発した薬莢を蹴り出した。バネの力でボルトが戻る途中、次弾をくわえ込む。弾薬が薬室に収まると、撃針が信管を叩いた。

 カシャシャシャシャ──

 弾丸はガントリの照準通り、女性の胸の内をずたずたに引き裂くかと思われた。だが、ガントリの銃は、ボルトキャリアの緊急動作によって狙いがずれていた。彼女の照準は反動で左に動き、数発の弾丸は重厚な艶出しの扉に当たると、木片を飛び散らせながら貫通した。

 女性の反応は火を見るよりも明らかだった。扉に銃弾を受けた女性は、木片が顔に飛び込んでくるのを避けようとし、目に強烈な赤いレーザー光を感じてバランスを崩した。ドアノブをつかんだまま後ろに倒れ、ドアが閉まる。間髪入れず、ガントリの放った銃弾が女性の顔のあった場所に殺到したが、それもドアに穴を開けただけで終わった。

 「敵を制圧中!」ガントリが叫ぶと、慌てたようにフォス、ベスチ、クルカルが動きだした。ドアの横に取りつき、フォスがドアを開けようとした。だが、なにかがつっかえているのか、ノブをひねってもドアは動かなかった。ヤィンギの到着する直前、扉からカチ、と音が聞こえた。どうやら、鍵をかけられたらしい。

 「いやぁあああ! 来ないで! いやぁああああああ!」

 扉の向こうから女性の叫び声が聞こえた。

 「運のいい奴め。これだから植物薬莢は使いたくないの。慣れた金属薬莢が恋しくなってくる」

 悲鳴を聞いても動じないガントリが皮肉を言った。クランダルト帝国では、金属加工技術が遅れており、弾薬に使う薬莢を採用する際に、金属製と、それ以外の薬莢を併用していた。南北戦争の終戦を経てもその採用方式は変わらず、小銃弾用の弾薬には、専用に製造された甲殻植物の実を使った薬莢を採用することがあった。動作不良の確率に大きな違いはないものの、熱交換率の高く、強装弾へ対応(ホットロード)しやすい、使い慣れた金属薬莢を信仰する北半球出身者には評判が悪かった。

 「絹を裂くよう、とはこういうことか。ドア越しに何発か打ち込んだら静かになるかな」

 悪態をつくガントリとは反対に、敵が無防備な女性だと知ってしまったフォスは、アーキリに無線をつなげた。

 「クランダルト3からアーキル1。民間人と思われる人物を発見。二十代女性、スーツ姿であり、身なりと挙動から非武装と推測します。交戦しますか?」

 「アーキル1からクランダルト3。該当の人物は武装をしていたか?」

 「クランダルト3。いいえ。ですが、部屋のなかを見ていないので、戦闘能力は未知数です」

 「メル=パゼル1からアーキル1。私からもいい? 扉の向こうから無線電波は出ていない。館内放送の機材はカウンターの上に置きっぱなしだから通報されることはないはず。でも、部屋のなかに業務端末のイントラが置いてあるかもしれない」

 「アーキル1からクランダルト3、メル=パゼル1。女性は惑乱している。部屋からの反撃はない。任務の障害を排除する」

 アーキリはそう言うと「フォウ1、来い!」と叫んだ。エレベーターで作業をしていたクスォが小走りでやってくる。

 「いいか、あの『司書室』に穴を開けて、閃光弾を放り込め。そのまま蝶番を破壊して突入するんだ」

 クスォはすぐに「了解」と言って、ガントリのいる位置に体を滑り込ませる。背嚢を床に降ろすと、クスォは背嚢の中身を取り出した。クスォが手に持っていたのは、散弾銃だった。

 フォウ王国では、兵士の標準装備に散弾銃が規定されるほど、散弾銃への信頼が厚い。もとは狩猟民族だった頃の名残だ。特に、厳寒のフォウ王国という立地にあっては、極北を目指す極地探索隊が、戦闘から狩猟、果ては日常の通信までを、すべて一丁の銃で行おうとした結果、信仰とまでいうべき散弾銃への崇拝が存在した。さらに、散弾銃の形状も、弾薬への適合性を重視した結果、元折式を標準としており、それは今でも変わっていない。今作戦でも、「ブックエンド」隊に指定されたバインダーガンとは別に、散弾銃を持ち込んでいることからも明らかだ。

 正式名称は別にあるが、誰もが「チョークレス」と呼ぶ銃型の「工具」は、フォウ王国の規格通り、元折式で単銃身の散弾銃である。銃身の下部にはチューブ弾倉が控えており、通常はそこから弾薬を給弾し、セミオートマチック銃として動作する。さらに、規格外の──極端に短い、あるいは極端に長い弾薬を運用する際は、銃身を折り、薬室をむき出しにすることで直接装填することができる。この機構のおかげで、散弾銃であるにもかかわらず、信号弾や、硬芯徹甲弾を運用することができるのだ。散弾銃が「工具」として持ち込まれているのは、散弾銃として重要な部位が関係している。散弾銃の銃口には、チョークと呼ばれる集弾性を調節する機構が備わっており、そこに適切な部品を入れ「銃口を締める(チョークする)」必要があるのだ。だが、クスォが手に持っているものは、それができないように改造されている。名前のとおり、「集弾を調節しない(チョークレス)」ため、戦闘に使用しないと見なされ「工具」としての持ち込みを許されているのだった。あからさまな欺瞞なのだが、ここまでしても散弾銃を持ちこみたいフォウ王国人の熱意は、他国にはないものがあった。

 とはいえ、散弾銃が「工具」として持ち込まれるのに反対するものはいなかった。実際に工具として活躍するからである。クスォは散弾銃にショットシェルを装填し「エンゲージ、ブリーチング!」と銃口を扉の端に向けた。どかん、という音とともに、扉の木材ごと蝶番が砕け散る。部屋のなかから女性の絶叫が響いた。さらにもう一発撃ち、ドアの上部にある閂を吹き飛ばす。今度はドアノブの下にあるシリンダー錠に銃口を押し当てると、引き金を引いた。セメントと鉄粉を混ぜ込んで円柱状に焼成したフランジブル弾はその目的を果たし、ノブを脱落させ、それと一緒にシリンダーロックを破壊した。

 入れ替わりに前に出たヤィンギは、自分の「チョークレス」を折り、薬室に棒状の長いショットシェルを装填した。薬室を閉め、銃口をノブのあった穴にねじ込む。引き金を引くと、「司書室」の部屋は、白い光と、女性の悲鳴をかき消す爆音で埋め尽くされた。ヤィンギの使用したのは、延長されたショットシェルに、熱と酸素に急速に反応する化学剤を充填した音響閃光弾だった。

 ドアの穴という穴から漏れる光が収まると、ガントリがダンプポーチから棒やすりを取り出し、ドアに差し込んで思い切り引いた。てこの原理でギチギチときしみを上げて動くドアを確認した彼女は、全体重を使ってドアを蹴りつけた。わずかな支えだけで維持されていたドアは、ガントリの渾身の一撃で扉としての用をなさなくなった。ベスチとクルカルが部屋に飛び込んでいく。続けてガントリが入りこんだ。

 数十秒もしないうちに、ガントリが部屋から出てきた。彼女はジャケットを手に持っていた。

 「室内に異常なし。武装なし。イントラはあったけど、起動していなかったから切断したよ。それと、やすりはありがとう。返すよ」と報告するハイムは、さらにこう告げた。

 「敵を制圧、爆竹で目を回したカエルって感じだね」

 果たして、その意味はすぐにわかった。ベスチとクルカルが引きずり出したのは、気絶した女性だった。口から泡を吹いている女性は全身が弛緩しており、一見すると死んでいるようにも見えた。アーキリが首から脈をとると、きちんと生きているようだった。どうやら、後ずさりながら逃げようとして、閃光弾を間近で直視してしまい、意識を失ったようだった。

 「アーキル1から全隊員へ。民間人一名を確保。極度の恐慌状態だったんだろう。抵抗されるより、閃光弾で目を回したのは行幸だったかもしれない」

 階段を確保しているドランが無線で伝えてくる。

 「クランダルト1からアーキル1。これで問題が一つ増えたわけだが、後回しにしよう。私は階下に降りるが、アーキル1はどうする?」

 「クランダルト1。俺は上に残ってこの──」

 アーキリは女性の首から下がっている、顔写真つきのIDカードを一瞥する。「ランダマング・ザスター図書館」の銘の横に「司書:ミシェル・ラドール」という名前が見えた。

 「──ミシェル・ラドール女史のことを調べてみるつもりだ」

最終更新:2023年03月14日 22:51