お賊嬢様#1『初年特待生ボッツ』

 #1『初年特待生ボッツ』 原案 蒼衣わっふる 著 五目のマサ 
  登場人物
   ・ ボッツ・フォン・ラーバ

 本作の主人公。リューリア地方の馬賊出身で、ラーバ家長女。親と似て運が悪い

 ・ マンリ・ソート

 ボッツの学友。ヨダ地区山岳地帯の山賊出身。小柄で短気

 ・ ドミトリェヌ・ソヌベバリ・クレシュエンコ

 通称ドミトリかドミー。ボッツの学友。帝都地下犯罪組織トーロック団出身。策謀家

 ・ フレッド女史

 ワフラビア女学園の教師で元軍人。ボッツたちに教鞭を執る

 ・ ルラーシ三姉妹

 ボッツたちとよく連む姉妹、ネネツ地方の雪賊出身。常に三人でいる

 ・ 特待初年生たち

 多かれ少なかれ、ボッツたち同様の賊出身者たち。身内意識がべらぼうに硬い

 

 

 空一面を朝焼けが赤く染め抜き、その輝きに合わせるかのように朱色の機影がゆったりと雲の合間を飛んでいく。
   その丸まった硝子天板と、帝国期には珍しい平たい両翼は遊覧飛行に相応しい速度で、漂うように帰路に就いていた。
   機内では昨晩から飲み明かした飲んだくれたちが、機体の貨物室で眠りこけていて、その数は9人ほどになる。
   皆、一様に帝国軍人めいた朱色の軍服を辛うじて着てはいるが、その着衣はひどく乱れており、あられもなく胸元を開き、半ば下着姿で機内に備え付けられた簡易ベッドで寝息を立てている者もいれば、未だに酒瓶を手にして手酌で飲んでいる者もいて、手狭な貨物室で紫煙を吹かしている者もいた。
   この怠惰な様子から、飲み帰りの兵を満載している点について良くある風景なのではあるが、その兵たちは皆が皆してうら若い女性士官たちであることが少々、奇異であるかもしれなかった。
   歳の頃はほとんど二十代も終わりかけで、彼女等の羽織っている程度に着こなしている軍服は、一般的な空軍の物よりも、装飾に富んでいる。
   金糸や銀糸の刺繍で家紋めいた模様を袖や胸を彩り、中には背中一面に家紋を示している者までいるが、一様に彼女等は礼装に乱れた雰囲気を持っていることから、中流から下流の帝国貴族の令嬢であることがうかがえた。

 

 しかし、そんな不良めいた連中の中でも、一際(ひときわ)異彩を放っているのが操縦席に収まって桿(かん)を握っている女であろう。
   背は高いが痩せぎすで、その撫で肩に軍服を掛けているが、腰まで垂れる長い金髪は手入れもおざなりなのか、ひどく乱れている。
   そして、その乱れた髪の中から覗く顔には、特徴的なまでのムカデ傷が小麦色の頬に走り、帝国人たる識別章にも似ている。
   瞳は細長くて剣呑な色を帯びているが、口元には人を小馬鹿にするような薄ら笑いが常に張り付いていた。
   朱色の長いスカートには所々に染みや汚れが浮かんでいるが、仮にも淑女であろうと野次を飛ばすような輩を黙らせる為か、腰の左右には反りが強く長い軍刀と、男の士官でもまず携行しないであろう大型拳銃がつり下げられており、こんな奴の肩に弾帯まで掛けられていれば、それは軍人というよりは武装した遊牧民か『馬賊』のソレを思わせた。

 「──…ボッツ。そろそろ、着く?」

 そんな風に馬賊な操舵手に背後から、貨物室から抜け出してきて声を掛けたのは、彼女よりはある程度、小柄ながらも茶色い髪を短く切り揃えた、活発そうなとまだ形容できそうな娘であった。
   しかし、この娘もよくよく見れば頬や顔に刀傷と思わしき痕が点々とあり、その物騒な面持ちからは彼女と同様の色がある。

 「あら、マンリ。早起きじゃない?酔いつぶれてると思ったのに。えぇ、あと少しよ」

 頭だけをわずかに動かして、ボッツはそう薄ら笑いを浮かべて、マンリと呼んだ茶髪の娘を見た。

 「まだ、頭が痛いわ。ドミトリがバセンの銘柄なんて、頼むからいけないのよ。あんな物、クルカの小…」

 「───それ以上は言うんじゃないよ。汚い言葉は飲み込んだ方が良い」

 マンリが小さい頭を抱えながら、愚痴のような事を喚こうとしたところで横槍が入った。
   見れば、横の窓際に背を預けて立って口へ煙草を咥え、今から火を点けようとしている、ほとんど同じ服装の女がいた。
   髪の長さはボッツと同様に長いが、ボサボサとただ伸ばしきっただけの彼女と比べれば、その黒髪はよくよく整って美しいとも言える髪の艶(つや)をしていた。

 「なにさ、ドミトリ?元はと言えば、アンタが景気づけとかなんとかいって、頼んだんじゃないの。そのくせ支払いはこっちに付けさせてさ」

 「それはバボリの負け分ということだ。安い物だろう?」

 等と小柄なマンリが長身のドミトリに噛みつく様子を尻目に、ボッツは口元に陽気な薄ら笑いを浮かべる。

 「いつまで、この前の負け分を引っ張るのさ!もう、あんなものとっくにチャラに決まってるでしょ?!次に店船に行ったら、全部、アンタに支払い押しつけてやるんだからね!」

 マンリがドミトリの足下できぃきぃ喚いていると、押っ取り刀で他の連中も貨物室で起き始め、鈍く頭をもたげている。
   剣呑な目をしていながらも、マンリとドミトリのやり取りが恒例のことであるので、皆ニヤニヤと眺めている。

 「それなら、それでいい。どうせ、またバボリをすれば負けるのは君だけさ」

 いくらマンリが喚いても、ドミトリは飄々(ひょうひょう)とした態度でそう返すものだから、皆ははしたない声で笑ったし、操縦桿を握るボッツも愉快そうにして

 「まぁ、その辺にしなさいよ、ドミトリ。先生みたいな事を言うわけじゃないけど、皆そろそろ服をちゃんと着た方がいいわよ」

 ボッツがそう言うと、ヘラヘラしながら彼女等は軍服を正し始める。
   しかし、元から崩れているために、幾ら直そうと大して意味はなさそうだった。

 「別にまだ休暇扱いなんだから、そんな気にしなくたっていいんじゃないの?」

 いい加減に喚くことに飽きたマンリがそうボッツを見上げて聞いてきたが、彼女は返事の代わりに操縦席正面に見える窓から景色を指差した。
   窓の向こうに見える景色には朝焼けに染まる朱色の雲たちの群れがあり、その合間に細長い雲たちと色を合わせたかのような朱色の空中艦隊が漂っている。
   その艦隊の艦船たちは、どれ一つとっても見事なまでの威容を誇り、上流貴族たちの物と思わせるが、彼女たちが目指す艦はその中でも最も小さくみすぼらしい物であった。

 「ただの休暇だと思われたならいいのだけどね。どうやら、夜伽(よとぎ)船に行ったのがバレたみたいよ」

 そうボッツは平静にそう言ったが、口元は少し苦くなっていた。
   この機体から目指す艦まで、相当な距離があり、その甲板の上にある物は豆粒よりも小さく見えたが、視力が出自からして鍛え上げられているボッツには何があるのかしっかり見えていた。

 「上級生の連絡船が二隻も停まってる。きっと今頃、先生に告げ口しているところじゃない?」

 「えー?!なんでよー!しっかり外出許可だって誤魔化したし、ルラーシの実家にだって口裏合わせた筈でしょ!」

 マンリがまた足下で喚きだしたが、そこへドミトリが紫煙を吹かしながら歩み寄って窓を覗いてきた。

 「あぁ、それは簡単だ。彼奴らもいたんだろう。あの船なら離着所で見た」

 「だったら、同罪じゃないの!」

 「そうもいかない。連中は上級生で上流貴族だからお咎め無しさ」

 「不公平だわ!」

 紫煙を吹かして腕を組むドミトリへ、マンリが怒り始めるがこれはどうにもならないと言うことは、皆わかっていた。
   ワフラビア女学園は明確な縦社会であり、中流以下の貴族生徒はまず、上流貴族に対して学年が上だろうとなんであろうと文句が付けられず、それは学園の運営側も同様なのであった。

 「──処分はどうなるかしらね?」

 ボッツはマンリが怒りすぎて暴れだしそうになるのも無視して、ドミトリへ声を掛けると彼女は平静に答えた。

 「まだ入学してから3ヶ月だし、上級生は下級生をいたぶるのが伝統だ。脅しに使うか、精々、気晴らしにビンタ程度だろう」

 「あ、そう。やっぱり娑婆(しゃば)って温いわね」

 ドミトリの言葉にボッツは安心した声音で返し、それを聞いて一同もなんだそんなことかと、元から気にも留めた訳でもないが、着こなしを正す手を止めて、暢気に酒瓶を傾けたり、煙草を吹かし始めていた。

 

 入校したての初年生たちが3ヶ月ほどの艦隊演習で用い、寄宿舎としても使用する帝国空軍の時代遅れも甚(はなは)だしい戦艦の甲板は、連絡機の発着を優先して砲台などがほとんど取り払われていた。
   そして、今か今かと不良生徒たちの帰還を待ちわびていた上級生たちは、いざ甲板にゲラァがゆっくりと着陸し、新入生たちが降りてきた時、肝を冷やしてすぐに自分らの艦へと逃げ帰りたくなった。
   三ヶ月前の入校式は盛大に執り行われ、地上にある学園の大広間で行われたこともあって、上級生たちが間近でボッツたちを見たり関わったりすることは今回が初めてであった。
   元々、今年の入校生たちはどうも妙な輩が多いと、噂話に聞いてはいたのだが、どうせ実家の方でしか威張れない、井の中の蛙か小山の大将ぐらいの連中だと見下していた。
   その為に、位の違いという物を肌で味合わせてやろうと、彼女等は意気込んでいたぐらいだった。
   だが、そう長くもない飛行甲板に上手に着陸した機体から出てきた連中は、上級生たちよりも随分と歳を食っていたし、校則など知ったことかとばかりに皆一様に軍刀どころか小銃まで肩に掛け、中には対空ランチャーまで軽く持っている者までいる。

 「止まりなさいっ!」

 と、厳しく声を掛けたところまでは良かったが、所詮、お嬢様育ちの上級生たちにとっては、この手の野蛮人と対峙するのは生まれて初めての経験であった。

 「その格好は何事なの?」

 上級生たちの中で最も年かさのある生徒が、震えるような足取りで一同に寄ってきて、詰問したが、その声音も震えきっていた。
   詰問するというより、それは恐怖から来る質問だった。

 「えぇ、休暇届けにはルラーシ家の保有領で自主軍事教練と提出致しましたが、…何か不都合でも?」

 問いに答えたのはドミトリで、彼女は一同の中で最も身の丈があり、刃物の様に鋭い切れ目には何を喋っても相手を威圧する効果があった。
   お嬢様学園と言っても、元々は貴族軍人を育成する旨も含まれているために、軍事教練を休暇届の内容欄に記載すること自体は珍しいことでも何でも無かった。
   しかし、それは大半が適当な理由が見つからない際の言い訳であることは暗黙の了解であり、上流貴族であろうと、下級貴族であろうと、その手のことは下々の取り巻きにさせることであった。

 「そんな言い訳を上級生の私にするつもりかしら?貴女たち、数日前から、いかがわしいお店にいたんではなくて?」

 ドミトリの言い分を聞くと、上級生は勝ち誇ったかのように、震えていた声音に張りを取り戻した。
   その様子は如何にも決定的な証拠を突きつけたぞといったものであったが、そんな自信ありげな彼女の顔をドミトリはなんてことはないといった調子で

 「えぇ、それは仲間内の打ち上げに使ったまでのことであって、わざわざ記載する必要までもないことかと思いまして」

 そう平然と返した。
   実際にうら若い下級生連中が風紀の乱れが甚だしい店に行ったというなら、詰るお題目が付きもするのだが、ドミトリはとっくに二十代も後半に差し掛かり、少女というには随分と無理があり、他の者も同様であった。
   下級生という縛りはあっても、彼女等は年齢的に特待生の扱いであることを、上級生たちは完全に失念していたのだ。

 しかし、ここまで乗り込んできて、むざむざと引き下がるわけには上流貴族なりのプライドが許さなかった。
   だが、それでも上級生の足がひどく震えているのは、明朝の甲板が冷えるからだけではないようだった。

 「口を慎みなさいっ!上級生に向かって!」

 そうやっとのことで口を開くと、ドミトリに対して間髪入れない制裁とばかりに上級生は平手打ちを見舞ってきた。
   本来なら容易く躱せる様な勢いであったが、ドミトリは平然と右頬にそれを受けた。
   それと同時に上級生が平手打ちをした手を押さえて唸った。
   やんごとなき貴族が打ち据える物は柔らかい物と相場が決まっていたが、ドミトリの表情筋は岩のように硬い上に、鮫肌の様にざらついていた。

 後者に至っては特異体質というわけではなく、頬に刻まれた偽造認識票を彫り込んだ未熟な彫り師の腕前による為だった。

 「御姉様、如何なされました?」

 片手を押さえて痛みに呻いた上級生を見下ろして、ドミトリは皮肉たっぷりに声を掛けた。 
   それを見てボッツたちも愉快な嘲笑を隠しもせずに顔に出してくるので、この上級生は恐怖と痛みと恥辱と怒りに苛まれながら、矛先をそちらへ回すことにした。

 「貴女たちも何を見ているの?!そこに並びなさいっ!」

 口から泡を吐くような勢いで、痛みを堪えながら上級生は立ち上がり、今度はボッツたちの方へとツカツカと歩み寄れば、無理に彼女等を横一列に並ばせて順繰りに平手打ちを意地でも行おうとする。
   しかし、その光景は最早、上級生に対して哀れみを誘う形となり、平手を打つ度に逆に小さく彼女の方が呻きと悲鳴を漏らすのである。
   3人目までは辛うじて彼女の手のひらは貴族の誇りによって耐えていたが、4人目に偶々並んでいたルラーシ三姉妹の三女で、完全に指が曲がってはいけないところまで曲がった。
   それと同時に上級生は声にならない声を上げて、勝手にその場に崩れ落ちて失神した。

 「…倒れちゃったよ?」

 平手打ちを受けた三女は、一同の中で最も若かったが、全く動じた気配も無く、逆に同級生たちに処置をどうしたものかときょとんと困惑した様子だった。
   これにはボッツたちも同様に困惑した。
   ここまで貴族の手が脆(もろ)いものとは思っていなかったのだ。

 「この場合は私たちが罰せられるのかしら?」

 「わかるわけないだろ。私は校則書の字引じゃないんだから」

 ボッツの問いにドミトリは肩を竦めて見せた。
   ただ、ボッツたちの困惑と比べて、上級生たちの狼狽は散々な様子で殺されると口々に恐慌状態のように悲鳴をあげて、我先に甲板に乗ってきた連絡船に乗り込んでは、失神した上級生を放置して逃げ出していってしまった。

 

 「…貴女たち、何を為ているのです…」

 甲板の失神した上級生が起きないかと、小銃の銃尻でマンリがつっついているところで、消え入りそうな低い声が一同の背後から聞こえた。
   上級生たちに対しては微塵も動揺した様子を見せなかった荒くれ者の一同だったが、その弱々しい声の主が厳しく此方を咎めるような目をしているのを見るとたじろいだ。

 「フレッド先生…これは、その…」

 応対したのはボッツであったが、先程とは打って変わって気の弱い態度に変わっていた。
   彼女と一同の前に現れた人物は老齢の女性であったが、しっかりと背筋を伸ばし、此方が先生と呼んだだけに着ている軍服はソレらしい装飾の施された物だ。
   軍隊の階級を示すかのように肩章には尉官に準じた飾りが、朝焼けに輝いている。

 「…言わなくても、大体のことはわかります…。入学してからまだ間も無いというのに…困りますね…」

 フレッドと呼ばれた教師は、純銀とも言えるような輝きをしている白髪を、頭の後ろで丸く束ねており、その顔には実年齢よりも遙かに多くの皺が刻まれている。
   その顔はお伽噺の魔女とはこうではなかったかと思わせるような、不気味なほど影があり、そこには学業で身を立てた人物には決してあり得ない気配を感じさせる。

 「でも、先生!無理矢理、殴ってきたのは向こうの方よ」

 先生の足下でマンリが抗議をしたが、背の高い教師はこの小柄な生徒のことを完全に無視した。

 「仮にそうだとしても、口実を与えたのは貴女たちです…。とにかく、後のことは先生に任せなさい…」

 彼女はそう途切れ途切れに弱々しい声ながらも、しっかりと彼女等を威圧した。
   この場において彼女に抗える者は誰一人としていなかった。
   フレッドこそ、帝国軍叩き上げの退役軍人であり、この見てくれだけは女性生徒の荒くれ者共を取りまとめ、恫喝し指導できる数少ない存在であった。

 「まぁ、仮にも反省しているような態度は見せた方が良いですね…。皆さん、甲板を20周してなさい。…終わったら報告を。それまで船室に戻らないように…。見ていますからね?」

 そう一同に言いつけると、フレッド女史はその枯れ木の様な見かけからは想像も出来ない力で、軽々と失神した上級生を抱き起こし肩に担ぎながら、甲板から艦橋へと去って行く。
   それを見送るまでもなく、ボッツたちはすでに慌てたように甲板上を有無を言わせず走り出していた。
   船上ということもあり強風が吹き付けていて、歩くことすら難しくさせているが、それでもフレッド女史の命令は絶対とばかりに、ボッツたちは顔を青くして走り出していた。
   そして、その暴風とも言える中、甲板を完全武装で整然と走っている連中の姿を、逃げ飛ぶ連絡船から見た上級生たちは更に顔を青くしていた。

 

 「──ドミトリェヌ・ソヌベナリ・クレシュエンコ初年生班長。以下9名。甲板走20周、終了しました」

 暫くしてから、汗をかいてはいるが、ごくごく平静な面持ちでドミトリが艦橋でフレッド女史の前で報告を行った。
   彼女は報告を聞いて、特に感情を読み取らせないような表情で静かに頷き、艦長席と思わしい椅子に腰掛けていた。
   そして、その横では先程の上級生が直立不動の姿勢を取らされていた。
   先程に折れた指の方はと言えば、女史が手当を施したのか短く小さい当て木に包帯が巻かれている。

 「宜しい。…どうですかね?懲罰としてはこれで大目に見て貰えないでしょうか…?」 
   
   彼女は静かにそう言うと、上級生のほうを意味ありげに眺めた。
   フレッド女史の視線を向けられると、上級生は死にかけのクルカのように素っ頓狂な短い悲鳴を漏らしつつ、首を何度も縦に振ってくれた。

 「ありがとうございます…。では、私の方から寄宿艦のほうへお送りしましょう…」

 そういって先生は憑きものが落ちたような上級生を送ろうと席を立ち、一同には船室に戻って良いとの許可を退室間際に告げた。

 「あれは先生に絞られたに違いないわ」

 マンリは二人が退室すると愉快そうに言い、ある程度、怒りが収まった事にご満悦のようだった。

 「若しくは『事故』が起こるとでも警告されたかもね」

 ドミトリがそう返すと、一同は下品に笑いながら、酔い覚めの一運動に満足げに船室へと戻っていく。
   しかし、その中でボッツは、艦長席の長机に並べられた写真立てを一瞥してから退室した。 その写真には恰幅の良い戦翼乗りと思わしい男が映っていて、ふてぶてしい笑みをこちらへ向けてきている。
   ゆで卵を思わせるかのような禿げ上がった頭と笑みが滲む目元。
   それはボッツが幼い頃から憧れた、今は亡き英雄のまだ若い時分の肖像であった。

 

 艦橋から一階層下ると、そこは既に生徒たちの居住区である。
   この艦を運航するためには80名弱ほどの人数が必要だが、その内の半数がボッツたちのような生徒であり、あとの半数が正規軍から雇い入れた物騒な用務員たちとなる。
   その為、生徒とは言え艦の運航に必要なための作業を学び、働いているのが実態であった。
   本来であれば、上級貴族や中流貴族生徒たちはその様な事を行うわけも無く、家事に雇い入れた者たちが担当するのだが、下級貴族たちはそんなことも出来ず、学業と訓練と実務が混然一体となっている。
   しかし、ボッツたちのような生徒の大半は艦の運行作業について入校する前から、ある程度、実家の方で習熟していた。

 それは適当な訓練を受けたというよりは実地で行ったものばかりで、戦闘行動については内地の現役よりも遙かに卓越していると言って良い。
   元々、下級貴族と言うのはほとんど名ばかりで、その実態は空賊や山賊に馬賊といった犯罪勢力と武装勢力の相半ばの似非貴族の娘たちだったのだ。

 そもそもワフラビア女学園は由緒ある帝国貴族の子女たちが入校するものであるが、ボッツは一応、中流貴族に位置する『ラーバ家』の出ではある。
   しかし、それもほとんど名ばかりで、家の実態は帝国中央部に広がるリューリア草原地帯で暴れ回っている馬賊が帝国との繋がりを持とうとして、暴力と贈賄の数々でここ数十年の内に名ばかりではあるが、仮にも地方貴族に無理矢理成り上がった家であった。
   だが、形なりにも貴族であるのだから、ボッツに関しては辛うじて入校が容易で、こうして兵器に過ごしているのだが、後の二人は更に得体の知れない実家を持っている。
   マンリは帝国の誇る精強な造船区画であるヨダ地区の出身となっているが、彼女の実家はヨダ地区から東にある山岳地帯にあり、実態は付近の空域を通過する輸送船を対空砲などで撃墜しては物資を奪い尽くす山賊であるという見方が強い。

 そして、一方のドミトリの実家は空賊稼業とも帝都地下で暗躍するマフィアであるトーロック団と深い繋がりがあるという話で、この二人は正確には貴族ですらない。
   それでもこの二人が暢気にワフラビアで勉学に勤しめる理由は、実家からの無言の圧力と饒舌な多額の贈品によるものであった。

 

 居住区に入ると、勤務帯から解放された同級生たちとボッツたちは出くわした。
   彼女等もほとんどこちらと様子は変わらなかった。
   こちらは汗だくで、むこうは生体器官の液塗れであった。
   液塗れの方は薄汚れた作業着姿であったが、妙に匂う点ではお互い様だった。

 「なんだい?アンタ等、休暇に行ってきたんじゃないの?」

 作業着姿の同級生の一団でリーダーらしい生徒の一人がボッツに声を掛けてきた。

 「途中まではね。帰ってきたら、上級生にケチつけられたのよ」

 「あぁ、それでさっき悪趣味なドン亀が二隻も飛んできたのね」

 リーダーは合点がいったように言ってから

 「特に連絡も聞いてなかったし、何だったら撃ち落としておけばよかったわね」

 と暢気に言ってのける。

 「いいわよ、別に。どうせ、アンタ等の腕じゃデブなクルカだって撃ち落とせやしないわ」

 「言ってくれるじゃない。そーいうアンタはスクムシだって捕まえられないわ」

 肩を竦めながら、ボッツが軽口で返すと向こうもそう返してくるので、疲れた笑いを返して船室へと戻っていった。

 

 各々が船室に戻ると同時に、すぐにシャワー室の争奪戦に打って変わったが、これを辛うじて制したボッツは三人共同生活の狭い船室に戻り、続いて戦争から帰ってきたドミトリを吐き出した紫煙で迎えた。

 「やっぱり、ドンケツはマンリかしら?」

 「いや、今日はルクレシオだ。マンリは下から五番目さ」

 「それは善戦したわね」

 湯上がり姿のドミトリに早速、煙が吹き掛かっているが、そんなことは二人とも気にしなかった。
   三人共同で一部屋の船室は、本来は二段ベッドが二つ左右に備え付けられている四人部屋であったが、寝台の一つを荷物入れとして使える点が、唯一の女学園要素かもしれなかった。

 「善戦と言えば、あの上級生は少し根性があったね」

 ドミトリは思い出すかのように呟きながら、三人で共用机の上にある煙草缶から一本引き抜いては、ボッツの咥え煙草を無遠慮に指先で取って火を点けて吸い始めた。

 「アンタを叩いたところで音を上げると思ったのだけど、ルラーシまで耐えるとは見上げたもんだったわね」

 ボッツはその煙草をドミトリから返して貰いながら、二人で狭い部屋の中を紫煙で満たし始める。
   共用机の上には煙草缶の他に手のひらほどの酒瓶が二つ並び、ゲラァの船内で話が出たようなバボリと呼ばれる絵札が散乱していた。

 「中途半端に根性があると、きっとそれだけ執念深さもあるというものだ。ボッツ、今回の一件は尾を引くぞ、きっと」

 「?なんで、私にそんなことを言うの?連帯責任でしょ?アンタも一緒よ」

 意味ありげな顔をしてそんなことを言うドミトリに対し、ボッツは怪訝な顔をしてみせる。 確かに纏めて怨みを買うことは予期していても、自分だけにソレが来るとはあり得ないと思っていた。

 「いや、あの上級生は確か、デシュタイヤ家の番犬という評判で、それも戦翼科だ。私たちの中で戦翼科を専攻してるのは君だけだろう?」

 「よく知ってるわね」

 「噂好きなんだよ、私は」

 得意げな顔をするドミトリへ、ボッツはくたびれた顔を返し、小さく唸った。

 「じゃぁ、なに?奴が私に仕掛けてくるって?機体に細工してくるとか、空の上で?」

 「それは有り得るね。そうだな…」

 ボッツの問いかけに、ドミトリは煙草を一頻(しき)り吸い終えてから、机の上の灰皿へ押しつけて消すと、腕を組んで少し思案に耽りだした。
   その顔はどことなく楽しげな様子が、ボッツには彼女が策略好きの帝都を根城とするトーロック団が出自であることを再認識させた。

 「まぁ、学園にはイシュタイヤ家が強く入れ込んでいるからね。この艦から出れば、何処でも消しに掛かれるんじゃないかな?」

 ドミトリは空恐ろしいことを平然と言うが、特にボッツは気にも留めずにまるで他人事のような態度だった。

 「それはアンタの実家のやり方じゃないの。もうちょっと貴族的に考えてよ」

 「じゃぁ、君はどう思うんだい?」

 「執念深い貴族って言うなら、多少はプライドがあるはずよ。闇討ちよりも、もっと公の場で始末したいはずじゃないかしら。そうなってくれば決闘しかないんじゃない?決闘なら幾らでも事故の言い訳は立つでしょ」

 「なるほど。確かにボッツなら、誤射をして撃ち落としても言い訳は立ちやすいね」

 ボッツの答にドミトリは皮肉な笑みを漏らして頷いた。
   命が狙われるかもしれないというのに、全く危機感に欠けた調子で話しているが、それは事実に対しての認識が甘いからではなく、この手の事を心から楽しみを覚えてしまう生い立ちのせいであった。

 そのせいか、可能性の話題を話し合いはじめ、二人は煙草がしっかり3本ぐらいは吸い終えるほどの時間を使った。

 

 「私は面倒な事は考えずに、すぐにまとめて片付けようとするけどね。さっさと戦闘機でも引っ張り出して、ここを蜂の巣にでもしてしまうわ」

 暫くすると、船室の入り口に立って、まだ体から湯気を立ち上らせているマンリが二人の談笑に待ったを掛けた。
   それを聞いて、ドミトリは低い笑い声をもらした。

 「それこそ、私たちの考え方じゃないか。それは下品過ぎる。もっと上品にするだろう?」

 一笑に付そうとしたが、何か感じたのかドミトリの顔から急に血の気が引いた。

 「待て、なんで、そう思う?」

 ドミトリがそう聞いたのは、普段からマンリは提案をする側ではなく、実行する役割を果たしていただけに意外だったのであることと、先ほどまで、話に夢中になっていて気付かなかったが、窓の外から低い風を切る様な音が迫っている気配を感じたからだった。

 「そりゃ、簡単よ。外にいるもの」

 そう言うや否やマンリは床に身を伏せて、こちらもそれに倣(なら)って素早く床に身を押し付けた。
   それと同時に船室の窓や壁が凄まじい爆音と共に、煙や破片を撒き散らし、三人の頭上を機関砲の射線が走った。
   咄嗟にマンリが伏せなければ、三人そろってミンチになっていただろう。
   伏せながら視線を破壊された窓の外へとやると、雲の中から機首を此方へ向けて、飛び出してきたグランビア戦闘機が見えた。
   こうなってくると三人の対応は素早かった。

 船室に戻っても腰から銃を外さない習慣を持っているボッツは、伏せた姿勢のまま器用に拳銃嚢から大型拳銃を引き抜くと、狙いも付けずに船外の戦闘機へと連射を見舞う。
   大して効果はないだろうが、目標が抵抗してきたことに僅かの合間だけだが、刺客のグランビアには牽制になった。
   ボッツが拳銃をやたらめったら撃ちまくっている間に、ドミトリとマンリは伏せたまま船室の床下を漁って、日ごろから備えてある『VM75 マジソンス軽機関銃』を引っ張り出しては、ドミトリが装着されたままの銃剣を残骸に斬り込んで据え、マンリが給弾ベルトを引き延ばす。

 「すぐに殴り込みだなんていい度胸ね!」

 ボッツが叫びながら拳銃の弾倉を交換する頃には、ドミトリ達は船外のグランビアに向かって対空射を行い始めていた。
   この間まで十数秒だが、その間にボッツたちの隣部屋からも船室に空いた穴やら、窓を叩き割るなりして、銃を突き出しては各々に火を吹いては敵機を叩き墜とそうとする。
   今度は刺客が泡を食らう番だった。
   掃射を加えれば、事は済むはずだったが、この相手は正規軍並みの反撃速度を有し、居住区側面は一瞬にして対空銃座の群れと化したのだ。
   すぐさま機体を反転させて、飛び去ろうとしている様子がボッツには見えたが、刺客を撃退しただけで万々歳するほど彼女は安くなかった。

 「このままで済ますもんですか、ドミトリ!なんか、前に買った緑の筒、持ってついてきなさいっ!」

 「ツェカドランチャーの事か?おい、やる気か?」

 すぐさま、拳銃を腰に雑然と押し込むと、軽機に引っ付いているドミトリの肩を叩いて付いてくるように促す。

 「当り前よ!刺客を逃がしたとあってはラーバ家の名が廃るわ!」

 僅かに狼狽する様子を見せたドミトリにそう言い放って、船室から居住区に出ると別の部屋からも同じような様子の仲間たちが飛び出してくる。
   各々に小銃から、拳銃まで多種多様な得物を持って飛び出してくる連中は暴れたりなくて仕方ないと言った様子で、誰もボッツたちの面倒事に巻き込まれたと正当な不平や文句を言うものは居なかったし、常に襲撃と報復の延々たる連鎖に慣れたこの雌狼どもには躊躇も恐怖もありはしなかった。

 「絶対に叩き墜としてやるわ!ルクレシオ!フェンナー!鳥撃ちがしたかったらついてきなさいなっ」

 そう呼び掛けると、飛び出してきた同級生はにやりと笑みを浮かべて答えた。
   ボッツもこの時、彼女たちと同様に殺され掛けたというのに下卑(げび)た笑みを浮かべている。
   そのまま、七、八人が束になって居住区から駆け上がり、甲板に飛び出せば待ってましたとばかりに彼女等の戦闘艇三機が船倉から引きずり出されていた。
   整備を担当する雇い入れの整備兵連中もこの手の騒ぎが起これば、彼女等が真っ先に飛び出してくることはよく知っているし、それに応じて実家の方から特別報酬がでる仕組みが出来ているためにその動きは素早かった。
   空には巨大な積乱雲の群れが漂い、身を隠してケリを付けるには最高の状況であるとボッツは思いながら、戦闘艇へ滑り込むように飛び乗った。

 機体後方に備えた横開きの扉へ、続くようにドミトリが緑色の筒を担いで乗り込み、その後から軽機関銃を担いだマンリが続く。
   仲間が乗り込むのを脇目に確認している合間に、ボッツは始動動作に入るが、機体側面にいた仲間の一機がこちらよりも素早く始動を終えて発進している。

 「先にいかせてもらうぞっ!クソ野郎を見つけたら、教えてやる」

 荒っぽい声が通信機から怒鳴り散らされ、それに急かされるかのように素早く発進した。

 「頼むわ、ルクレシオ!お楽しみはとっときなさいよ!」

 ボッツは飛びだった機に声を掛けながら、こちらも負けじと機体を浮かし始めたが、その際に艦橋から向けられる視線に彼女は気付いた。
   馬賊の出自故によくよく鍛えられた視力で、それがフレッド女史であることを確認はしたが、今更引き下がるわけにはいかない。

 「先生、きっと怒るわね」

 同じく開け放った扉から不注意に顔を覗かせ、艦橋の方へ視線を送るマンリも彼女に気付いて少し肩を竦めて見せた。

 「いや、褒めはしないが、咎めもしないだろう。あの人はそういう人さ」

 「どういうことよ?」

 ドミトリの言葉にマンリは小首を傾げ、その答えはボッツが知っていた。

 「お袋の古馴染みなのよっあの人!同族じゃないけど、軍にいたときにムカつく上官を爆殺したことがあるとかなんとかで、お袋に助けられて恩があるとか・・・とにかく正当防衛ならケチはつけないように話は付いてるわ!」

 「へぇ、先生にも若い頃があったのねー」

 ボッツの説明にマンリはへらへらと笑いながら、軽機関銃を機体側面に据える。
   その合間に機体はぐんぐんと機体は艦から遠退いて、やがて積乱雲の群れが形成する渓谷へと入り込んでいった。

 

 刺客を追跡するために、空の猟犬と化した戦闘艇三機はそれぞれ別れて飛んでいた。
   真っ直ぐに主の元へ逃げ帰るような愚はしないだろうと踏んだ為に、遠回りや反対方向へ飛んで此方の追跡を攪乱しようというぐらいの頭は回るだろうとボッツは考えていた。

 「・・・いないわね。ルクレシオはなんか言ってる?」

 開けた扉から、空へ落ちないように身体をしっかりと縛り付けながら、マンリが視線を空から逸らさずに聞いてくる。

 「駄目ね。フェンナーも収穫無しよ。こんな厚い雲の中、生体器官が嫌がるから、簡単に突っ切ろうとはしないはずだわ。グランビアじゃ高度を無理に上げきれないし・・・」

 「射撃の腕が悪かった割には、器官管理はマシみたいね」

 獲物が見つからないことに、マンリは不服そうであったが、それはボッツも同様であった。 ただ、ドミトリの方は訝しげに空を見張りながら、平静に口を開く。

 「もしかすると、罠かもしれないな。待ち伏せて一機ずつ片付けるつもりか」

 これを聞くとボッツの表情が苦くなった。
   その類いの罠は馬賊や空賊でよく使われる手で、強力な装甲艇や火力のある機体を用いる相手を仕留める際に使われる策であった。

 言われてみるとすぐに合点がいったが、すぐにボッツは苛立ちを覚えた。
   それは自身の迂闊さを呪う物ではなく、よりによって自分らが好んで使う策を、相手に使われているという子供じみた腹立たしさだった。

 「・・・面白いじゃない。それなら、奴等の裏をかいてやろうじゃないの」

 ボッツはそう漏らすと、急に機体を大きく左へ捻って急旋回を始めた。
   これにはマンリが傾斜になった扉から落ちかけたが、ドミトリが寸前で足を掴んだので事なきを得た。

 「ちょっと!何するのっ!」

 「このまま、探したって埒(らち)が空かないわ。抜けるのよっ」

 そう言うやいなや、機体は側面にそびえる雲の中へと、横滑りに入り込んだ。
   すぐさま周囲は濃密な霧の様な景色となり、ドミトリとマンリはその風雨の凄まじさに耐えようと、機体の縁へとしがみつく。
   環境の激変に生体器官は不満らしい唸りを上げているが、このような不平を宥(なだ)める術をボッツは教え込まれていた。
   どんなに荒々しく操縦桿を捻ろうと、ある程度は生体器官を労らねばならない。

 それは愛馬に跨がる騎手と似て、馬賊の彼女にはその素養が備えられていた。

 「──見つけたっ!・・・畜生、一機増えてやがる。フェンナー、ボッツ、南方だっ」

 雲の中を抜けようとしている際に、ボッツの耳元でルクレシオの通信が鳴った。
   南方と言えばちょうど、雲の中をこのまま突っ切れば、その方角に真っ直ぐ出る。
   獲物を真っ先に見つける運には恵まれなかったが、タイミングは良かったらしい。

 「ルクレシオが見つけたわ。雲から出たら、すぐおっぱじまるわ!」

 嬉々としてドミトリたちへ叫びながら、ボッツは鋭く機体を操り、濃霧の中から機体を何事も無かったかのように飛び出させた。
   厚い雲から出た瞬間に周囲を素早く見回し、まずはルクレシオ機から見つけようとしたが、すぐに視界の左下で小さな飛行機雲の線が乱れに乱れている点を見つけた。

 通信が入ってからすぐに、ルクレシオ機は交戦を開始したらしい。
   辺りには小さな白煙が点々と漂っていることから、物騒な代物を随分と撃ち散らかしているようであった。

 「お楽しみはとっておいてって言ったじゃないの!」

 ボッツは通信機に怒鳴りながら、巴戦を展開しているその点へ真っ直ぐに突っ込んでいく。 敵は先程の刺客と思わしいグランビアと、もう一機、妙な紺色をした派手な塗装の施されたグランビア戦闘機が飛んでいる。
   ある程度距離は離れているが、それでも目に付くような色つきであった。

 「ボッツ!横っ腹を向けろ。軽機は使えない。ツェカドでやってみる」

 彼女の好戦的な姿勢を見て、背後からドミトリが肩を叩いて、もっと巴戦の中へ近付くよう促してくるが、言われなくともボッツはそのつもりであった。

 「それはいいけど、当たるの?それ、連邦製なのでしょ?」

 「当たるさ。近付けば、ね」

 ドミトリは自信ありげにそう答えながら、開き扉へ身を寄せ、肩に緑色の筒を担いだ。
   元々はアーキル連邦軍の鹵獲兵器であったものだが、トーロック団の地下ルートで購入したものらしい。
   正規軍の小火器は型落ち品などが出回りやすいが、対物兵器となると中々ボッツ達のような物でも入手は難しい為、皮肉なことに敵国にこの需要を助けられていた。
   一方、ぐんぐんと空戦域に距離を詰めていくボッツ機に対し、敵機達はルクレシオ機を墜とすのに躍起になっている、と言うよりは、その全く逆の状況に落ち散っていた。

 敵機達の練度がどの程度の物かボッツ達は知る由も無いが、見たところ二機で一機に対して躍りかかったはいいものの、ルクレシオ機は空戦演習でただ空中に漂っている標的やる気の無い標的目標機ともまるで違っていた。
   縦横無尽に飛び回り、隙を突けば容赦なく相手が誰であろうと銃撃を見舞ってくる。
   ボッツ機は演習や講習で使用するために、武装を普段は搭載しておらず、こうして得物を持った仲間を乗り込ませている。

 しかし、ルクレシオ機は艦の護衛機であり、これには船首下部に二門の2.2fin連発銃が備えられている。
   正規軍の物と比べれば貧相な代物であったが、素人達をいじめ抜くにはもってこいの武器であった。

 「私らが出る幕ないんじゃない?ルクレシオだけで片付きそうよ?」

 マンリが自ら握っている軽機関銃の出番がないことをしって、ひどく落胆したような事を言っているが、ボッツもドミトリもそれは無視した。
   そのうちに飛行機雲が鳥籠のように合わさったところまで機体を寄せると、ドミトリが機体側面に躍り出て、狙いを付け始めた。
   敵機達は相変わらずルクレシオ機にかかりっきりであったために、新たに湧いて出てきたボッツ機に気付かないようですらあった。

 「よし、いいぞ。マンリ、伏せてろっ!」

 そう言うやいなやドミトリはツェカドランチャーの引き金を引いた。
   筒の後部から凄まじい白煙が放出され、弾頭が飛翔を始める。

 マンリが伏せていなかったり、背後の扉が開け放たれていなければ、機内は散々なことになったであろうが、ドミトリは機内から撃つことの想定は出来ていたらしい。
   しかし、弾頭の飛び方まではそれほど意識していなかったのか、これは間抜けな勢いで飛んでいった。
   真っ直ぐに飛ぶまでは高価な代物でないから、期待はしていなかったものの、不格好な螺旋を描いて飛んでいく弾頭はなんとも頼りない。

 「あんな物作った国と戦争しているなんて、アホらしくなるわね」

 機内の床に伏せていたマンリも呆れるように弾道を眺めていたが、その弾頭がちょうどドミトリの狙い違わず、運悪く飛んできた紺色のグランビアの片翼にあたる生体器官に命中した。
   相手はこちらに気付いてもいなかったし、弾頭の飛来にも勘付いた様子が無い。

 「こんな物に当たる様な国が戦争しているなんてのも、バカらしいわね」

 マンリはドミトリの腕を褒めるよりも、更に呆れきったような調子で言った。
   その間に紺色のグランビアは安定を失って、期待の主軸が残った生体器官に移ってしまい、自滅気味に錐揉み状態となって下降し始めた。

 「被弾時の制御も出来ないなんて、ありゃ落第だわ」

 その様子を脇目にボッツは眺めて嘲りながら、その墜落してゆく紺色のグランビアを追うことにした。
   一方、ドミトリが視線を上にやってすぐに爆音が響き渡り、ルクレシオ機が刺客のグランビアの片翼を爆散させた様が目に入ってきた。

 「やってくれるね。炸裂弾でも仕込んでるぞ」

 「正規軍のをちょろまかしたんだわ」

 そんな様子をドミトリとマンリが、まるで花火でも見るかのような暢気さで眺めている。
   二人の戦闘興奮はこれで落ち着いたが、まだ操縦席のボッツは昂り続けていた。

 

 錐もみ状態のまま二機のグランビアは辛うじて地上に不時着したが、操縦手が機体から這い出してくる頃には、ちょうどボッツ機が悠々(ゆうゆう)と近くに着陸していた。
   そして、彼女は軍刀を引き抜き、もう片手には裸の大型拳銃を握りしめ、紺色のグランビアから抜け出し、なんとか這這の体で逃げようとする優雅な飛行服姿の女を追った。
   それは紛れもなく朝方にボッツたちを詰ろうとした上級生であり、飛行帽も脱ぎ捨てている為に綺麗な金髪が風と焦燥感に揺れている。

 「お待ちになって、お姉様」

 などと茶化した声を掛けるボッツであるが、その姿は鬼女さながらであった。
   元々、不時着の際に足を痛めたのであろう上級生は、しばらくするとその場に屈み込み、顔に冷や汗と脂汗をいっぺんに噴き出しながら、迫るボッツの姿を睨んだ。

 「──このままでは、済まさないわよ!デシュタイヤ家に手を出したら、どうなるか…」

 そんな負け惜しみにも似た脅し文句を吐き捨てようとする彼女の眼前には、既にボッツが握りしめる大型拳銃の銃口が突きつけられていた。
   ふん、と鼻を鳴らして、引き金を引こうとするボッツは口元に笑みを浮かべていたが、その際に横から腕が伸びて、銃口を下がらせた。

 「おい、ボッツ。殺すな、ここはリューリアじゃないんだ」

 そんな言葉に、ボッツは不機嫌そうに横から伸びた腕を見れば、ドミトリであった。

 「関係ないわね。先に仕掛けてきたのは、向こうよ。正当防衛だわ」

 「それは無理な話だ。私達の方で死人は出ていない。引き算が成り立たない」

 ドミトリの顔は冷静にボッツを諭そうとするもので、一方のマンリは二人の背後で『撃っちゃえ!撃っちゃえ!』と囃し立てているが、これは敢えて無視した。

 「すぐに暴れたがるのは悪い癖だが、それは私も同様だ。しかし、安易に殺すな。仮にも学園生徒なのだから、それらしくするべきだ」

 「なによ。今、やらなきゃ後でどうなるかわかったものじゃないわ!」

 「・・・そんなに強情を張ると、もう、夜伽船で男を紹介しないよ?」

 「わかったわ。私だって、これ以上の争いは望まないわ」

 ドミトリが耳元で囁くと、この言葉は予想以上に効いたようで、ボッツは大人しく銃を拳銃嚢へしまいこんだ。
   元々、殺意は一過性のものであり、興奮の具合が最高潮に昂れば、冷めるのも異様に早かった。

 「わかってくれれば嬉しいね。さて、後のことはフェンナーに任せて、私達は帰ろうか」

 「フェンナーに?アイツ一人で大丈夫なの?」

 「それは心配ない。彼女は常に中立を取りたがるからね。仲裁役は私だけでは荷が重いよ」

 ドミトリはそう言いながら、屈した上級生の具合を診ながら、命に別状が無い程度の簡単な見積もりを立てると、ブラブラとボッツの機体へと足を向けて歩き出した。

 「とんだ休暇になってしまったね。戻ったら、酒保で飲み直そう」

 何気ないような調子で彼女は口元に煙草を持ってきて、ボッツも同様に溜息を一つ吐いてからそれに続くが

 「あ。私、まだ課題済んでないわ」

 マンリが一人思い出したように呟くのが、今日で最も学生らしい台詞だった。  

最終更新:2023年10月22日 16:00