お賊嬢様#2『ボッツ、お茶会に行く』

 ※登場人物

 ・ ボッツ・フォン・ラーバ

 本作の主人公。リューリア地方の馬賊出身で、ラーバ家長女。親と似て運が悪い

 ・ マンリ・ソート

 ボッツの学友。ヨダ地区山岳地帯の山賊出身。小柄で短気

 ・ ドミトリェヌ・ソヌベバリ・クレシュエンコ

 通称ドミトリかドミー。ボッツの学友。帝都地下犯罪組織トーロック団出身。策謀家

 ・ エリーナル・ルグレンツァ・ベッツォ・アルフィート

 元帝都上流貴族令嬢だったが、現在はボッツたちと同級。物持ちが良い。

 ・ ルクレシオ・ハマツ

 ボッツの同級、バセン隷区の監督地主出身。非情に大柄で豪快。

 ・ フェンナー・シバレッチ

ボッツの同級、トーロック団出身。エリーナルの護衛役。

 ・ カンムーテ・リズ・ファーヘン・デシュタイヤ

ワフラビア学園上級生、ボッツと同じ戦翼科。まだ若い

・マリシァヌ・クーロヌ・フォン・デシュタイヤ

カンムーテの同級の上級生。毒使い

 

 ワフラビア女学園の『カンムーテ・リズ・ファーヘン・デシュタイヤ』上級生は寄宿艦の自室で寝台に臥せっていた。

 先日の騒ぎで片足が骨折しているために、人工肉腫手当を受けながらも、二週間は戦翼科の実習に参加出来ないことを苦々しく思っていた。

   今の今まで下級生に対して上級生が躾を施すことは学園の伝統であり、自身も下級生時分にはこっぴどく絞られたものであった。
   自身だって当時は反抗的で上級生には噛みついたものであったが、進級すると役得の味を覚えるとそれも薄れて、上級生らしい態度を取るようになっていく。
   しかし、今年に入校してきた下級生の一部は何から何まで前代未聞の連中であった。
   まず、年齢からいって女学生というには無理があるようなのが混ざっているし、その目付きというのも礼儀作法どころか、文明人めいたものすら無いものまでいる。

 軍人体の連中には似たような色があることを、カンムーテは経験しているが、それよりもあの連中は数段質が悪いのだ。
   特に、数日前に自身に銃口を楽しげに向けてきた、あのボッツとか言う年増女の憎憎しい顔が脳裏を過ぎると、恐怖に身の毛がよだつほどだ。
   あれほど、平然とした陽気な殺意というものを、カンムーテは20年という生涯の内で味わったことが無かった。
   デシュタイヤという家柄においては、大なり小なりの経験はあるものの、あれほど平然とした殺意には出くわしたことがない。

 「──カンムーテさん。居られます?」

 ふと、船室のドアをノックする音と共に、そんな温和な声が聞こえてきた。
   彼女は脳裏に浮かんだボッツの顔を振り払いながら、声の主を招くと、三人ほどメイドを引き連れながら同級の『マリシァヌ』が入ってきた。
   彼女とは同じデシュタイヤの遠戚であるが、そこに身内らしい親和な色はない。
   見舞いの品を並べ、寝台に臥せる彼女に寄り添いながら、口先ではこちらの心配をするようなことをマリシァヌは並べ立てたが、そこに気持ちがこもっていないことはよくわかる。

 「この度は災難でしたわね。でも、ご心配なさらなくていいですわ。上の御姉様の方から、少し許可を頂きましてね。貴女の悩みの種はすぐに片付くことでしょう」

 「…これは私の問題です。私が手を下すまでのこと」

 カンムーテは顔を伏せながら苦々しくそう言ったが、マリシァヌは相手にしない様子だった。

 「なにも貴女だけで抱え込んではいけません。今回のことは上級生の…いえ、学園の校風に関わることですから、早々に処理なさらないといけません」

 「だからといって、私は貴女にそれを任せようとは思いません…。傷が治ったら、すぐに正式に決闘を申し込み…」

 「あらあら?あんな無様を晒しておいて、まだそのようなことを仰いますの?残念ですが、御姉様は貴女に期待や権限などを与えておりませんわ。…では、ごめん遊ばせ」

 カンムーテの抗議を一蹴しながら、マリシァヌは見舞いの言葉もこれ以上は掛けることも無く、そうそうに船室からメイドを連れて退室していった。
   それを彼女は悔しく眺めていた。
   自分以外の誰かが、あの年増女を始末しよう等とは許せなかった。

 しかし、マリシァヌは同級の内でも気に入らない下級生を何人か裏で消しているという噂の絶えない女であることを、カンムーテは気分が悪くなりながら思い出していた。

 

 

 寄宿している艦内での労働と学園らしい体裁が整った授業を終えた頃には、既に周囲の空は夕闇に包まれ始めていた。
   学業の傍ら、生体液やら汗などで汚れきり疲れ切った身体を、壮絶なシャワー室の争奪戦によってさらに疲弊させ、船室に戻る際には常人ならば力尽きているであろうが、それでもボッツ達の様な体力バカと化している連中には、まだ自由時間を楽しむ余裕があった。
   3人で使うには狭い船室の左右に備えられた二階寝台へ別れながら、ボッツは右の下寝台に座り、その上にドミトリが身軽に上寝台に寝そべる。
   マンリは左の寝台だが、下を三人共用の荷物入れとしているので、上寝台に転がり二人の様子を眺めている。
   船室には各生徒への郵送物が届けられており、外側からドアに設けられた穴へ突っ込まれる仕組みだった。
   そこからボッツとドミトリがそれぞれに自身への手紙などの書類を確認して分け合いながら、それを開封して中身を改めている。
 二人分の手紙というのに、その量は相当な物で、束ねると指導書の二冊分はあろうかという厚さになるのであった。

 「ねぇ、そんなに読んで目が疲れないの?」

 マンリは手紙を読み耽る二人を寝台から見下ろしながら声を掛けるが、二人とも生返事を小さく返す程度であった。
   なにせドミトリに至っては重要な情報が記された手紙ばかりなのか、読んだと思った端から手近にあった手帳に自分だけがわかるような記号を用いて書き記すと、手紙自体はすぐに散り散りに破いて窓から捨ててしまう。
 この点、空の上においての機密保持という物は容易いと言える。
 そして、ボッツの方はといえば、一喜一憂しながら手紙を読み耽っているので、表情が出やすい分、マンリから見ていると、ただただウザッたらしい。
   多くの親類からの手紙もあれば、帝都の賭け屋に金を預けて賭けオイルスモウなどをしているらしく、その勝ったか負けたかの結果報告も含まれている。

 「…やっぱり、最近の覆面クルカは駄目ね。以前の調子がないわ」

 口振りからして、如何にも負けている様子がわかる口調で落胆しているところで、ようやくマンリの視線にボッツは気を向けた。

 「活字が見たいなら、何か雑誌でも買ってくればいいじゃないの」

 「別にそういうわけじゃないわ。あんた等はいいわね、手紙がそんなに沢山きて」

 「あんたと違って目を通すことが多すぎるのよ。実家の方で色々とあってね、所有してる鉱山の稼働状況やら、外部収入の見積もりとか」

 そう言ってボッツは封も開けていない手紙の束をこれから読むのだ、とばかりに広げて見せたが、確か先週の分も大して中身を見ていなかったではないかとマンリは記憶している。

 「…マンリ、待っていても手紙はこないよ。こっちから出してみないと…、実家には何か送っていないのかい?」

 どうして彼女が不服で、つまらなそうにしているのかをすぐに看破したドミトリは、一旦、読み終えた手紙を千切る作業を止めて、煙草缶から一本取り出した。

 「アタシの達筆な帝国語を読めて書ける奴がいないのよ。一人居るけど、そいつに内容を全部読ませてから皆に喋られるのは癪(しゃく)だわ」

 ドミトリの提案をマンリは不服そうな調子に一蹴した。

 「よく、そんな調子で入校出来たもんだわ…」

 「なにさ、読み書き出来るからってエラそうに!ボッツなんて戦翼科の筆記、ドンケツだって言うじゃないのさ!」

 「私は実践派なのよ」

 ボッツが茶化すのでマンリはいつものように噛みつくが、その様子をドミトリは日頃から親しんだ調子に眺めて煙草を吸い始める。

 「じゃぁ、そうだな…文通相手を探してみるのはどうだろう?学園機関誌でその手の広告を見たよ」

 紫煙を吐き出しながら、ドミトリは思い出したように次の提案を持ちかけた。
   これにはマンリも少し興味が湧いたらしく、彼女が寝台下におざなりに挟んであった機関誌を渡すと、マンリは短い腕をぐいっと伸ばして受取、これを捲(めく)り始めた。

 「…これって、名を書かないといけないの?」

 「いや、匿名でいいそうだ。学園生活の不安や困り事を相談したり、身の上相談も出来る相手が見つかるかもしれないよ」

 「私は不安も不満も身の上相談もないわよ。でも、ナバンカ軽機の手っ取り早いバラし方は知りたいわね…」

 「それはお嬢様学院の機関誌では無理だろう」

 とにかくマンリはある程度、退屈を紛らわそうと機関誌を眺め始めたので、二人は安心して自身への手紙を読むことに専念することが出来た。
   それから半時ほど過ぎ、灰皿代わりの皿が吸い殻でいっぱいになってくると、ふと思い出したかのようにドミトリが手紙から顔を上げて

 「ねぇ、お二人さん。お茶会の誘いがきているよ」

 と、煌(きら)びやかな印が押された封筒を二人に見せてきた。

 「なによ?お茶会って」

 最初に反応したのはマンリの方で、寝台の上から対のドミトリを見ながら、機関誌を雑に置いた。

 「明日に上級生連中の寄宿艦で開かれるらしい」

 「いや、だから『お茶会』ってなに?」

 「…あぁ、そこからか」

 小首を傾げるような顔をして、少し呆れたドミトリの顔を覗き込んでくるマンリにボッツが下寝台から言った。

 「人と会ってシーバでもしばきながら、ベチャベチャ喋る集まりのことよ」

 手紙を置いてボッツは煙草を咥えながら、そう解説したが、それが適当なものかドミトリは判断しかねた。

 「あ、そう。そんな事…それって、酒は出るの?」

 「あるだろうけど、君が思っているほどは出てこないと思うよ」

 今度はドミトリがマンリの問いに答えると、いよいよ山賊出のマンリは不満そうに眉を吊り上げ

 「じゃぁ、いかない。そんなら酒保に溜まって居た方がいいわ」

 「そうね、私もやめるわ。貴族の集まりに着ていけるような物なんて持ってないもの」

 ボッツとマンリの二人はお互いにそう言い合って、手紙と機関誌に目を戻そうとする。

 「待ってくれよ。流石に一着も無いとはないだろう?入校式で着ていたのはどうした?」

 「一ヶ月前に休暇で帝都に行ったときに、質屋に出しちゃった」

 「あそこで勝っていたら、同じのを二着は買えたのにね。損したわ」

 事も無げにボッツが言うと、マンリも平然と頷くので、ドミトリは生粋のロクデナシである同室者に呆れかえった。

 「…まぁ、それは仕方がない。『エリーナル』お姉様に借りてくると良い。あの人は物持ちだからね」

 ドミトリは呆れながらも、妙に二人をお茶会へ誘うような口ぶりで提案してくる。

 「べつに行くとは私達、一言も言ってないわよ?」

 「いや、行った方が無難だろう。お茶会というのは建前で、中身はこの前の騒ぎの手打ちをしたいと先方が書いてきているんだ」

 不服気な二人にドミトリがそう言うと、二人はようやく視線を彼女が手にしている便箋(びんせん)へと向け、ボッツがそれを受け取って中身に目を凝らした。
   やがて、ふんと鼻を鳴らしてマンリにも便箋を渡したが、マンリはそれを逆さに読んで唸っていた。

 「この前の上級生ね。若い割には筋を通そうとは偉いわ」

 ボッツは数日前の空戦騒ぎで散々苦しめた、自分よりも五つは年下であろう、デシュタイヤ家の番犬と異名を取る上級生の事を思い出し、満足げに煙草を口に咥えた。
   手紙の内容はごくごく丁寧なもので、しかも、ボッツにも大変わかりやすいものだった。
   ある程度、向こうも非を認め、今後の平穏な生活を誓いたいという意図がそこには記されてあった。

 「あぁ、学園生活は長いからね。入校数か月で全面的に上級生たちとやり合う訳にはいかない。その上級生は他の生徒にも随分と慕われているそうだから、これ以上揉めると喧嘩の規模が余計に広がってしまう」

 「わかった、行くわよ。これも貴族令嬢の勤めね」

 ドミトリは勝ち誇った様子で満足そうに紫煙を吐き出しているボッツを諭し、上の寝台ではマンリがようやく内容を読み終えたらしく、口を開いてきた。

 「ボッツが行くならついてくわ。でも、向こうの寄宿艦ってのは気に入らないわ。敵地に乗り込む様なもんじゃない」

 「普段から、勝手に武装している私達と一緒にしてはいけないよ。上級生の艦の方がよっぽど風紀が表向きには厳しい。少なくともそんな恰好じゃ、艦の上には立てないだろう」

 マンリのどこまでも戦場気分な口を黙らしながら、ドミトリは身軽に上寝台から身を躍らすと、荷物入れを開き始め、中を漁り始めた。

 「とにかく、そうと決まればこれをもって、エリーナルお姉様の船室へ行きなよ。明日とはいえドレスの着付けと、少しの礼儀作法は教わってきたほうがいいだろう」

 そう言いながら、ドミトリが荷物入れから取り出したのは帝都で買った蒸留酒二本とそれなりに高級な煙草の二カートン分であった。

 彼女の言うエリーナルにはこういった『品』を常に持っていく必要があるのだが、それなりに値の張る蒸留酒の方には二人が抵抗した。

 「ドミー…、その酒はやり過ぎよ。せめて一本にして」

 「そうよ、お姉様はそんな飲みはしないわ」

 二人は口々にドミトリの袖を掴んで、それらを上品な布に包もうとするのを止めようとしたが、彼女は頑なにそれらを素早く綺麗に梱包してしまった。

 「うるさいね。なにもお姉様だけの分ではないよ。これにはフェンナーの分も含まれているんだ。奴が上級生を単身連れて、寄宿艦に乗り込んで話を付けてなかったら、あと二回はグランビアで襲撃されていたよ」

 「望むところよ!」

 「君が望もうが望まないが、この船が持ちやしないと言っているんだ」

 膨れた態度の二人を落ち着かせつつ不承不承に品を持たせると、ドミトリは船室から、ぶつくさ言う二人を強引に追い出して、まだ大量にある手紙に目を通す作業へと戻る事にした。
  しかし、その前に布へ包むように見せかけて、そっと懐に入れていた煙草の一カートンを個人用にと寝台の下の隙間へと押し込み始めた。

 

 暗くカーテンを閉め切った船室の中で、卓上に置いたホタルの光を思わせるような、生体式燭台(しょくだい)の灯に、開いた引き出しの中身が照らされている。
   この船室はボッツ達の共同部屋と同じ程度の広さだが、寝台は片側に一つだけで、その上に天井から張り出すようなクローゼットが設置されており、彼女らの部屋と比べるとよほど豪華な一人部屋であった。
   空いている壁には華やかな模様が浮かんでいるが、その部屋の主である若い女生徒の顔つきは陰鬱(いんうつ)であり、どこか老け込んだような疲れ切った色がある。
   そして、いよいよ、その精神的な疲労困憊の象徴でもあるかのように燭台の灯に照らされている小型拳銃を、ただ彼女は呆然と見下ろしていた。
   ちょうど手のひらほどの大きさをして、銃把(じゅうは)には血管めいたものが浮かび上がり、それが時折、脈打っている様は帝国様式の生体銃であることを窺(うかが)わせる。

 それを見つめる眼差しは情を感じさせず、そのまま拳銃を握り込んでは脈打つ血管に一瞥を送り、銃口をよどみなく自身の側頭部へと押し付けた。
   悪ふざけでもなく、引き金に指が掛かったが、その行為は船室のドアが小さく丁寧に叩かれる音で中断された。

 「──…どうしました?」

 女生徒がごくごく落ち着いた声で問いかけた時には、既に拳銃は引き出しに戻されて、そっと閉じられていた。

 「…ナル様。ラーバとソートが訪ねてきました。物入りの様ですが、どうされます?」

 「そう…。構いませんわ、退屈…していたところですし、通してください」

 ドアの向こうから聞こえてきた声に、女生徒は穏やかな顔をして、少しの合間考えてから、和らいだ声音でそう返事をして、カーテンを開けた。

 

 『エリーナル・ルグレンツァ・ベッツォ・アルフィート』は初年特待生の中で最も貴族令嬢らしい人物であった。
    綺麗に整った銀髪は高位の帝国人であることを示し、落ち着き払った仕草と態度は、やくざ者ばかりな初年特待生の中では異様な存在と言える。
 その出自は帝都の一角で栄えたアルフィート家であり、去年までは上級生の一団に遜色(そんしょく)ない存在として肩を並べていた一人であった。
 しかし、実家がデシュタイヤ家との権力闘争に敗れ、一家は彼女を残して消され、土地も資産も奪われる形となってしまい、残ったのはエリーナル一人と家名のみとなっている。
 本来であれば、学園から早々に追放されそうなものであったが、捨てる神あれば拾う神ありと言ったところで、資金と裏工作や暴力活動には秀でていても、表向きには必要な教養や作法などを必要としているやくざ者たちの実家は、エリーナルを援助して学園に在籍できるほどの資金と名目ばかりではあるが、それなりの地位を用意し、学園を卒業後には過去の栄光には遠く及ばないが、それでも下級貴族としてのポストを地方に用意すると約束したのであった。
 当初の内、彼女はとりあえず首がつながった事に安堵したが、時が経つにつれて、いいように利用されているに過ぎない自身の立場が嫌になってきた。
 元々、世話人を無碍(むげ)に扱うような性格ではなかったが、今では世話人すらいない。
 いや、正確には『フェンナー・シバレッチ』という初年特待生の一人が世話人と護衛を兼ねて、彼女の傍に常に付き添っているが、フェンナーの出自は貴族とは名ばかりのトーロック団出身で、組織からの命令であることは、考えなくても彼女は察していた。

 少なくとも忠実で献身的なフェンナー自身に対して、不満は何もなかったが、トーロックからの監視役ともいえる彼女の存在は、エリーナルから貴族令嬢らしい優雅さと誇りをほとんど奪いかけていたが、そんな陰鬱な彼女の元へやってくる、やくざ者を応対する事はある程度、彼女のすり減った自尊心とやせ細った貴人らしさを満たす事へ寄与していた。

 「あはは…どうも、お姉様。また、少しお世話になりたくて…」

 フェンナーに通され、船室に入ってきたボッツは長い背を折って、慣れていないお辞儀をして、愛想笑いも浮かべている。

 「これは、その…日頃のお礼と言っては難ですが…」

 その隣に立っているマンリは折るほど背もないので、代わりに先程の酒と煙草を包んだ贈答の品を、精一杯、丁寧にドア脇の小机へ置いた。

 「あら、そんな気を回して頂かなくても。今日はどういったご用かしら?」

 ぎこちないやくざ者二人の仕草をみていると、エリーナルの口元は自然と笑みを浮かべ、足を揃え、そこへやんわりと手を置いた優雅な姿のまま彼女等を応対した。
   誰に対しても無礼なこの二人も、エリーナルに対しては委縮していた。
   それは権威や着飾った威勢には反抗的な者でも、精神的に穏やかに語り掛ける畏怖のような気をまだエリーナルが保っているからだった。

 「えぇ…その…お姉様の持ってる…いえ、ご所蔵のドレスを二着貸し…、御貸りになりたくて…」

 ボッツは目を泳がせながら、それらしい言葉を必死に頭の辞書から引いて選んでいる様だったが、それはどこまでもぎこちなかった。

 「あぁ、いいのですよ。そんなに畏まらなくたって、此方もお世話になっているのですから、お気になさらないで」

 逆にエリーナルの方が平易な口調で話してくる。
   長い間、こんなやくざ者の中で過ごしていると言葉遣いまで乱暴というよりは、だらしのないものになってくるが、彼女の口調は常に温和であった。

 「ドレスですわね?丁度いいのがございますわ。…フェンナーさん、ちょっとよろしいです?」

 すでによくわからない言語を言いながら釈明しているボッツを放置しながら、エリーナルは外で常に待機しているフェンナーに声を掛けると、彼女はすぐに静かにドアを開けて入ってきた。
   耳を隠す程度の長さをした金髪を切りそろえ、小麦色の肌をしたフェンナーはお嬢様というよりは平民出の雰囲気を崩せないが、本物の貴族令嬢であるエリーナルより、遥かに冷酷でとっつきにくい顔つきは彼女がトーロック団の出自であることを物語っている。

 「ご用ですか?」

 「えぇ、そうなの。悪いけど、衣裳部屋の方で、二人のドレスを見繕ってくれないかしら?多分、マンリさんにはタルシェのドレスがきっと似合う筈だと思うの」

 冷めた表情のフェンナーとは対照的に、エリーナルは明るく彼女へ話しかけながら、ボッツたちに立つように促してくる。

 「さぁ、一緒に見に行きましょう。私はどうしてもリューリア地方の文化には疎くて…あちらの方はどの様な色が流行っていますの?」

 快活にボッツとマンリを隣の衣裳部屋へ誘う彼女に、数分前までの陰鬱さはどこにもなかった。

 

 エリーナルには個室だけでなく衣装部屋も宛がわれており、待遇がボッツ達とは天と地ほども違う。
   それでも上級生や中流貴族の生徒の部屋はこれと同等か、若しくはそれを遙かに上回るほど豪勢だとエリーナルが口にしたことがあるのをボッツは覚えている。
   船室の隣にある衣装部屋に入っていけば、数々の衣装が部屋の左右に木の様に生い茂りながら並んでいる。 
   ボッツは昔に旅芸人の荷車に潜り込んだ時を思い出しながら、華やかな衣装の数々を眺めていたが、特にこの手の物ではしゃぐ様な生い立ちでも無いために、ただただエリーナルの勧めに従い適当な物を選んでもらった。
   彼女はマンリへ小柄な物を見繕って、着付け方もその場で教授してくれたが、何分、覚えの悪い二人には骨の折れる作業であった。
   エリーナルだけでは困難と見越して、フェンナーも手伝いつつ、時間を掛けようやく二人がある程度の記憶をしたことが確認できると一段落がついた。

 「助かりました、御姉様。また、このお礼は後で…」

 覚えが悪いことに恥じ入りながら、ボッツは着慣れぬドレスを着て、姿が気になるのか、ぐるぐると尻尾を追う犬のように回っているマンリを尻目に感謝の意を述べた。

 「いいのですわ、そんな…。それよりも二人揃って、ドレスをお借りに来るなんて珍しいではないですか。なにか気取ったところにでもお出かけですの?」

 そんな子犬みたいなマンリを気にするわけでもなく、微笑を浮かべながらエリーナルはそう聞いてきた。
   まさか、お茶会と称した手打ち式に行くのだとも言えないので、ボッツはぎこちない愛想笑いを浮かべようとしたが、その際にフェンナーが背後から歩み寄り、エリーナルの耳元で何かを囁いた。
   それを見てボッツは、手打ちの方はこのフェンナーが取り付けたのであって、彼女も茶会に同席するのが普通であろうから、エリーナルの方も二人がドレスを借りにきたのか知っている体だと思っていただけに彼女の問いは不思議に思えた。

 しかし、よくよく考えれば、彼女に対して『デシュタイヤ家』という言葉は禁句であることをボッツは思い返した。
   当人こそ口にも顔にも出さないが、名誉を貶められ、身内を片っ端から失う羽目となった元凶たる彼の一族には並々ならぬ怨みがあるのだ。

 トーロックの方としては下手に彼女に暴れられては困るので、極力刺激しないよう抑えている傾向があり、今回のことも出来れば誰と何をするかの目的ははぐらかしたかった。

 「…なるほど。お身内の方が訪(おとな)うのですね。それはキチンとなさいませんと。あまり、お遊びに熱を上げすぎてはいけませんわ」

 すると、エリーナルはフェンナーの囁きで嘘の事情を説明されて納得したのか、少し小言めいたことを足しながら微笑んだ。
   どうやら、身内が来るので普段よりもお嬢様らしい服装で会いたいという旨を彼女に吹き込んでくれたらしいが、後半の方は事実であり、上手な嘘であるといえた。

 「えぇ、今後はその様な事がないように致します…ねっ、マンリ?」

 相変わらず冷や汗をかきそうになるなか、まだクルクル回っているマンリへ同意を促して、ボッツはこの場を凌ごうとした。

 「ん?あー、そうね、うん…。でも、御姉様。よく、こんなアタシ向けのサイズがあったわね。ピッタリバッチシよ」

 「あら、気に入って頂けましたか?それは幸いですわ。それはタルシェの物だったのですが、少し時季外れで長いこと袖を通すことがありませんでしたので、少々、不憫でしたの」

 マンリは相変わらずマイペースな調子であったが、エリーナルは微笑を崩さなかった。
   しかし、彼女の背後に立っていたフェンナーはその顔をより一層冷たくして、二人を静かに睨み付けながら目で早く立ち去るように合図を送ってくる。

 これをすぐに察したボッツは、まだ何か言いたそうなエリーナルにそれらしい感謝の意を次々に口から出るだけばらまいてから、マンリの手を引いて衣装部屋をドレス姿で飛び出ていった。
   これを訳のわからず引っ張られたマンリは不服そうに

 「どうしたのよ、そんなに慌ててドレスが裂けたらどうするのよ」

 ボッツを見上げながら問うたが、ある程度、船室から離れてからボッツはマンリを見下ろしつつ、煙草を取りだしては気を落ち着かせようとばかりに燐寸(マッチ)を探している。

 「そりゃ慌てもするわよ。タルシェってのはエリーナル御姉様の三番目あたりの妹よ。あの口振りじゃまだ生きていると思っているみたいね」

 「なに、死んでるの?」

 「えぇ、産業塔の最下層で、非道いことをされた死体が捨てられていたとかなんとかってドミーから聞いたわ。半年前ぐらいで、どうも、まだそこら辺は曖昧になっているみたい。下手に話を突くと混乱してしまうから、気をつけないといけないわ」

 そう喋っている間に燐寸を見つけ、ボッツは煙草に火を点けようとしたが、いきなり借り物ドレスに臭いを付けるわけにはいかないと、仕方なく口寂しさに咥えているだけにした。

 「帝都貴族ってのも、苦労が多いのねー」

 マンリはわかっているのかいないのか、剣呑な感想を口にしながらも、とりあえず借りたドレスが気に入った様子だった。

 

 「こりゃぁ、クルカにも衣装だな」

 翌日の休日にドレス姿のボッツとマンリを、酒保で出迎えたルクレシオは、からかい半分驚き半分にそう言った。
   船室の壁をくり抜いて作られた酒保には、狭いながらも一日の勤務を終えた整備員や艦の運航に必要な乗組員に加え、同じ様な作業をしてきた初年特待生達もチラホラと混じってひしめき合っている。
   生徒ですら作業着姿や軍服紛いであるのに、そこにドレス姿で踏み込んだ二人は一時、不愉快な視線を当てられたが、ルクレシオがこっちへ来いと手招きすると、視線の群れは消え失せて、酒保らしい活気に戻っていった。

 「何もこんなトコで待ってなくてもいいじゃない。変な臭いが付いちゃうわ」

 「お上品ぶるない、甲板にドレス姿で待ってられっかよ。それにどうせ自分で付ける癖に」

 不満げなマンリに対して、ルクレシオはへらへらと笑いながら、まぁ一献とばかりに、さぞ昔は手の込んだ彫金が施されていたのであろう、綺麗ではあるがくすんで古ぼけた杯を此方へ勧めてきた。

 「迎えぐらい寄越さなくても、こっちから行けば早いのに、まどろっこしいわね」

 不平を口にするのはボッツも同様であったが、こちらは勧められた杯を一息に飲み干し、満足げに唸りながら煙草を懐から取り出している。
   それを見てルクレシオは小さく咎めるような声を出した。

 「おい、その様はなんだ。エリーナルからバッグとか借りてないのか?ドレスだけ着ててもそれじゃ野人だ」

 「前も世話になってるし、今回は話が急だったんだから、これが精一杯よ。アンタこそ立派な物は着ていても言葉遣いが悪すぎるわ」

 「そりゃお互い様さ」

 ボッツの反論にルクレシオは皮肉げな笑みを浮かべて、ヒラヒラとした胸襟の付いた白いシャツの前で手のひらを揺らした。
   ルクレシオは褐色の顔つきに黒く縮れた長い髪を、質素ではあるが決して安っぽいとは断じられない程、凝った彫りの入った髪飾りで止めていた。

 大柄でよく鍛え上げられた身体をした大凡(おおよそ)、令嬢という人種には当てはまらない様な体躯をしているが、初年特待生の八割はそんな感じであった。
   バセン隷区の監督貴族の令嬢というだけあって、下手な成金貴族よりはよっぽど礼儀作法を知っているクチではあるが、質実剛健が過ぎるのと、実家の情勢下は最悪の一言で、反乱農民の武装鎮圧に明け暮れていることから、一般初年生の間に馴染める訳が無かった。

 それに加え、ルクレシオ本人も礼儀と陰口のうるさい集まりよりは、自身と同様の荒っぽい連中と共にしている方が楽しいらしい。
   しかし、ボッツ達はエリーナル嬢と違って、ルクレシオからは礼儀的な事を学んだ覚えは無かった。

 そうこうしている合間に、ドミトリとフェンナーも酒保へとやってきた。
   二人は一見して清楚な装いのドレスをまとい、それは大変様になっていた。
   元よりこの二人は背丈も整い、顔立ちも良いので、彼女の素性について知らない物からすれば、まっとうな貴族の令嬢に見えた。
   その姿に他の生徒や整備員らも下卑た視線を送ることはなかったが、当の二人は待っていたボッツたちに閉口した様子だった。

 「…その姿はなんだい?茶会に行くつもりがあるのか?」

 三人の席まで歩み寄ると、ドミトリは困惑した声音で彼女等を見たが、ボッツたちはドミトリの態度が理解できなかった。

 「何か、文句でもあるの?しっかり、正装してきたわ。着付けだって、そこのエリーナル御姉様と、フェンナーに教えてもらったとおりにしたのよ?」

 「いや、そんなことじゃない。私が言っているのは、君達が腰に付けたソレだ」

 ボッツとマンリは我ながらちゃんと着る事が出来たと自慢気だったが、ドミトリの視線は二人の腰にいっていた。
   そこには、さも当然とばかりにボッツのお気に入りの大型拳銃と、マンリの方は手頃な短銃とオマケに柄付きの手榴弾まで腰帯に差し込まれている。

 「これが、私たちの正装よ」

 「いつまで戦場気分でいるつもりだい。さっさとそんな物、外したまえ」

 ドミトリは呆れて、二人の武装を解いたが、ルクレシオも低く笑って

 「本当に可笑しな奴等だよ。そんな物騒な姿で茶を飲もうだなんて、どういうつもりだったんだ」

 「ルクレシオの言うとおりだ…。しかし、何故、君まで私がくるまでにボッツとマンリの物を下ろさせなかったんだ」

 ボッツたちを嘲笑うルクレシオにドミトリがもっともな疑問を投げつけると、彼女は何を思ったのか、急に襟付きのシャツの胸元を開いて見せた。

 「得物を丸出しにしておくバカがどこにいるんだってことさ。喧嘩相手の縄張りに行くんだぞ、これぐらいはしないと命の保証がない」

 そこには胸や腹に大量の爆薬が巻かれており、それを尻目に見た他の生徒や整備兵は何人か素っ頓狂な悲鳴をあげて、慌ただしく酒保から飛び出していったぐらいだった。

 「今日一番の極めつけのバカは決まったね。フェンナー、手伝ってくれ」

 ドミトリはもう呆れた溜息を吐くほどの肺活量も残っていないのか、フェンナーと二人で強引にルクレシオの身につけた爆薬を取っ払うことにした。
   身体に触れられることに過敏であるのは、ならず者共通の意識だが、ルクレシオはただでさえ大柄で荒っぽいので、暴れられると大変厄介だった。
   その際に酒保の物品や杯や灰皿が飛び交い、暴れる彼女を大人しくさせるために半ば乱闘の騒ぎにまで陥ったが、それでも5人の衣服がわずかでも千切れなかったのは奇跡と言って良かった。

 

  

   暫くして、甲板に迎えにきた連絡船は如何にも鈍重そうな見た目をしたゲラァであった。
   しかし、5人が乗るにはそれは手頃な広さをしており、対面椅子の座り心地も申し分なかった。
   一同を案内し、連絡船を操縦するのは老いた男で、飛行服も随分とくたびれていることから、向こう側でさほど重宝されている操縦士でないことが伺える。
   ゆったりと甲板から機体が浮かぶと、上級生達の寄宿している艦へと向かうと思っていたが、半時ほど飛ぶと寄宿艦が窓から見えたが、連絡船はそれを通り過ぎた。

 「ねぇ、あの船で茶会するんじゃないの?」

 マンリが対座の席に膝立ちをして窓を覗いて一同に聞いたが、なにか慌てる様子も彼女等にはなかった。

 「手紙にはそう書いてあったけど、どうも、きな臭くなってきたわね」

 「予定が変わることはよくある、気にしない方が良い。貴族というのは気まぐれな人種さ」

 「その手打ちって主題も変わってるんじゃないの?」

 ドミトリとボッツが言葉を交わしたが、フェンナーは静かに組んだ足の上に手を置いて沈黙し、ルクレシオにいたっては爆薬を没収されたことに、まだ苛立っている様子だった。

 「まぁ、その時はその時だ。それに、仮にそんなことがあっても、得物なんてなくても切り抜けることぐらいは、バセンのお嬢様なら容易だと思うがね」

 ドミトリは煙草を取り出しながら、意味ありげにルクレシオを見て言ってのけると、彼女は自慢げに腕を組んで苛立ちを治めることが出来た。

 

 ゲラァが降りたった艦船はやはり上級生が多く寄宿している艦ではなかった。
   雲の合間にそれが見えたとき、ボッツは馬賊らしい目ざとさで艦の側面にでかでかと『デシュタイヤ』家の紋章が、趣味の悪い金縁に彩られて光っているのを見取った。

 「他の家を混ぜてこないとなると、いよいよ不穏ね」

 「ボッツ、心配のしすぎだよ。警戒しすぎると、余計に場が不味くなる」

 目元に不安な色を帯び始めたボッツをドミトリが諭すと、機体の扉が開き、老練の操縦士が手真似で降りるように促してくる。
   一同がそれに従って甲板に降り立つと、艦内へ続くであろう入り口に、数名のメイドを脇に並ばせ、その中央でにこやかな笑みを浮かべた娘が待ち構えていた。

 「ようこそおいで下さいました。ドミトリさん、待っておりましたわ」

 青の濃いドレスをまとい、煌びやかな装飾品に身を固めた淑女の様に見えはするが、ボッツにはこれが大きく開いた蛇の口で手招きしているような気配を感じる。

 「招待して頂き、恐悦至極です。しかし、マリシァヌ様…、カンムーテ様たちの姿が見えませんが…?」

 ドミトリは大仰に頭を下げながらも、例のボッツが先日に撃ち殺しかけた上級生がその場にいないことを問うた。

 「あの娘は少々、体調を崩しておりまして…、連絡が遅れてしまい、申し訳ありません。そのような事ですから、今回は次にお茶会を開きますときの打ち合わせも兼ねまして、此方でお呼びしましたの。他の人はお部屋でお待ちしておりますわ」

 マリシァヌはそれらしい言い訳を述べたが、既にそれを信用する一同では無い。
   しかし、この艦まできたからには疑っても仕方が無かった。
   現に逃げ道の一つであるゲラァ連絡船は後方で既に何処かへ飛び去っていっている。

 「わかりました…。では、そのように…この前は私の友人達が、カンムーテ様方に非道いご迷惑を…」

 「いいのです、いいのです。以前からカンムーテはよく下級生にあんな態度をしておりましたから、良い薬になったというものですわ」

 ドミトリの謝罪をマリシァヌは朗らかな笑みで包み込もうとしているが、謝っている彼女自身、この笑みが表向きのことであることは察せられた。

 「それでは、ここにいても難ですし、どうぞ此方へ」

 マリシァヌはそう言いながら、一同を艦内へ案内していった。
   彼女はデシュタイヤ家の分家の一人であり、地位的には中流貴族に属しはするが、それでも羽振りの良い帝都貴族らしく、乗艦の内装はそれなりに品が良い装飾物で彩られている。

 「…ちょっと、マンリ。そんなにキョロキョロしないの、はしたないわ」

 装飾物の並ぶ、艦船の通路とは思えない豪華な連絡路を歩きながら、左右の壁に飾られた物に目が行って仕方が無いマンリをボッツが窘(たしな)める。

 「だって、こんな船に乗るの初めてなんだもの」

 「うちの実家に来たとき、アルバレステア級に乗ったじゃない」

 「あれが?アタシはてっきり、バリステアにごちゃごちゃ櫓(ろ)をくっつけたもんかと思ってたわ。中も汚かったし」

 こう言われて、ボッツは声を荒げそうになったが、背後からフェンナーが二人に黙るようにと鋭い目を向けてくるので、しぶしぶ黙り込んで通路を進んでいった。
   そのままマリシァヌに通された部屋は、艦の底部にあたる部分で、本来なら見晴らしの良さそうな艦橋近くで催される物と思っていたが、艦の底部とは言え、窓が側面に綺麗に並んで下の景色を眺める様子はそこまで悪くはない。

 「あら、皆さん、どこか行ってしまいましたのね」

 部屋へ一同を通すと、マリシァヌはわざとらしい落胆の声を出し、他の生徒達を呼んでくると行って、そそくさと部屋を後にしてしまった。
   この様子を見て、すぐにボッツはドミトリを睨んだ。

 「やっぱり、罠じゃないの」

 「罠にしては回りくどい手を使うね。一応、茶会らしい準備もしてあるよ」

 噛みつこうとするボッツを相手にしない様子で、ドミトリは部屋中央のテーブルの上に並んだ食器類や、産業塔を模したかのような台が幾重にも縦にある、食器台を指差した。

 「スイーツタワーってものだね、帝都式だ」

 「アタシこれ知ってるわ!エリーナル御姉様に聞いた」

 ドミトリが食台に乗っている、手の込んだ菓子類に目をやると、マンリが好奇心に目を光らせてテーブルの周りをぐるぐると回った。

 「こっちを待たせてるんだし、勝手に食べたって文句言われないでしょ。ここまできたら罠でも毒でも飲むだけよ」

 「それはどうだろうね。主催者は向こうなのだし…」

 ぐるぐると回っているマンリを放置して、ボッツとドミトリは話し合いを始めようとしたが、少し目を離した隙にマンリがテーブルに飛び乗って、スイーツタワーに登頂しようとするのでルクレシオが慌ててそれを取り押さえていた。

 「おい、いい加減にしな!ヨダの山賊娘が!高いもんみるとすぐコレだぜ」

 ルクレシオに羽交い締めにされながら、マンリは手足をジタバタとさせ、意地汚くスイーツタワーの天辺を取ろうとしている。

 「だって、一番高いとこにあるのが値も張って美味しいのだって、御姉様に教えられたのだもの!」

 抗議するマンリを一旦、床に下ろしてルクレシオは呆れたように腰に手をやり、脇からドミトリとマンリがルクレシオに同部屋の粗相(そそう)を詫びた。

 「マンリ、高い皿は茶会の主催者や高位の者が取るって決まっているんだ。私達は揉め事を起こした側だし、位だって低いのだから、せめて下から取るんだ」

 ドミトリは冷静に母が子に叱るような口調で言ったが、マンリは口を尖らせた。

 「嫌よ。そんなの、いくら身分が下だからって、変な臭いのするような物、食べさせられたら堪らないわ」

 「変な臭い?」

 マンリの不平に耳を傾けたのは、ルクレシオだった。
   彼女はその下の菓子を一つ取ると、指先でわずかに表面を削り取って、鼻に慎重に近づけて臭いを確かめた。
   普段から大雑把な彼女がそんな神妙な事をするので、他の者もそれを黙ってみていると、やがてルクレシオは菓子を床に捨てた。

 「流石、野人だ、香に敏感だな。痺れ薬の一種だ」

 彼女がそう言いのけると、ボッツ達も下の菓子を改めだした。

 「…ほんと、ガリッシュ豆ね、これ」

 「首から下が麻痺するって代物か」

 「…前に帝都で使ったことが…。これには致死量寸前まで塗りたくってあるな」

 ボッツとドミトリが顔を苦くし、フェンナーに至っては物騒なことまで口走った。

 「手柄だな、山賊娘。ほれ、褒美に上のを取って食っていいぞ」

 ルクレシオはそう言うと、マンリの腰を掴んで高く持ち上げて、スイーツタワーの天辺にある菓子を食べれるようにした。
   これには毒味の意味合いも兼ねていることは、マンリ以外皆知っていたが、少なくとも死ぬことは無いだろうと誰も止めなかったし、当人はルクレシオが親切に持ち上げてくれたと勘違いしたので、ばくばくと天辺の菓子を手掴みでむさぼり食った。
   そして、毒があるどころか、大変美味なことを下品にゲップで示してくれた。 
   それから間もなくして、マリシァヌは部屋に戻ってきたが、メイドが三人付いてきた以外は、やはり他の連れはいなかった。 
   戻ってきたこと自体がボッツたちには意外であったが、とくに追求するような真似はせず、彼女の方は何か釈明するわけでもなく、温和な笑みを浮かべたまま席に着いた。
   そして、その視線は随分と量の減っているスイーツタワーの下段へ向けられていた。

 「マリシァヌ様、申し訳ありませんが、勝手に先に始めておりました…」

 ドミトリが彼女へ謝ろうとしたが、柔和にそれを手で制してから、随分と歪な形で茶会は再開された。
   当初の内は、ドミトリが一同の顔役となってマリシァヌと世間話を繰り返していたが、その傍(かたわ)らではボッツ達が茶菓子と貪り、シーバを啜っていた。
   マンリが無作法であることは常の事であるが、かといってボッツ等の作法が格式高いという訳ではなく、精々、田舎の賊と都会寄りの賊との違いでしかなかった。
   それをとくに見咎める事もなく、マリシァヌはメイド達に高い段の菓子を取らせては優雅に小口に食していた。
   そして、ドミトリとフェンナーが下の段の菓子を、一同の中では最も丁寧に食すのを見ると、満を持したようにマリシァヌは口を開いた。

 「──ところで、皆々様?体のご加減はどうです?」

 その顔には言葉とは裏腹に心配そうな色は欠片もなく、得意そうな気を帯びていた。

 「そろそろ、菓子に塗りこめましたお薬が効いてきたと思いますが…。あぁ、心配なさらないで苦痛はありませんわ。ただ、しばらくの間、首から下の自由が利かなくなるだけですわ。…その間にこのお部屋は海上に投棄致しますが、ワフラビア女学園に不要な物は掃除するよう、御姉様に仰せつかっておりますので、ここで貴女達には海の藻屑となって貰います。どうぞ、あしからず」

 マリシァヌはそう冷酷に勝ち誇った笑い声を上げた。
   しかし、ボッツ達は一斉に、その場で何事も無かったかのように立ち上がった。
   これに最も驚いたのは毒を盛った張本人であるマリシァヌだった。

 「なぜ?!なぜ、動けますのっ!貴女達…ぁっ」

 狼狽したマリシァヌも動こうとしたが、彼女の体は微動だにせず、先程、自らが言ったとおりの毒の効能が自身の身体に現れていた。

 「毒を飲んだのはアンタだけよ」

 そう得意げに言ったのはマンリだった。
   彼女は優雅にシーバを啜りながら、手にあった菓子を口へ放り込んだ。

 「上の菓子が一番、上等な物だってエリーナル御姉様に教えてもらったものだから、上だけ食べて下のと全部入れ替えてやったってわけ!」

 マンリは相手の作為を見抜いていたわけではなかったが、結果的におのれの狡さが高貴で鼻持ちならない女を出し抜いたことに優越感を得た。

 「おのれっ…」

 マリシァヌは今までの温和な表情をかなぐり捨てて、すぐに助けを呼ぼうと声を張った。
   その場にいたメイドたちは顔にわずかなら狼狽の色を浮かべはしたが、すぐさま長いドレスの裏に隠した得物へ手を伸ばそうとした。
   しかし、その一手間は敵と相対している際には、隙だらけな所作であり、得物を取り出す前にその端正な顔面が、ルクレシオの鉄拳に殴り倒されていた。 

 

 その場でマリシァンヌを袋叩きにすることも出来なくはなかったが、一同はあえてそうしなかった。 
   代わりにボッツは彼女の身体を羽交い締めにして、人質を取るようにして部屋の奥に下がり、ドミトリとフェンナーは彼女の左右に素早く立って身構える。
   マンリとルクレシオは扉の脇へと突進し、天井の梁へとルクレシオの肩を借りてマンリは飛び上がっては、そこで待ち伏せを仕掛けることにした。
   この動きはものの数秒も経たずに完了し、この手の荒事において、各々がどう動けば良いか本能的に身体に染みついているが故のものだった。
   やがて、扉が乱暴に開かれて、武装した衛兵が部屋へ数人飛び込んでこようとした。
   しかし、突き出された小銃の先は扉の横で待ち構えていたルクレシオに掴まれ、容易く奪い取られ、続いて突入しようとした衛兵の頭へマンリが飛びかかってくる。

 ルクレシオは小銃を棍棒のように握りしめると次々に衛兵や武装したメイドを殴りまくり、扉の入り口には昏倒した者達で山が出来た。
   まだ冷静な者達は後ろに退いて、室内の様子を見ればそこにはマルシァヌを人質に取ったボッツたちが

 「ちょっと、気分が悪いので帰らせて頂きますわ」

 と、わざとらしく澄まして言いのけるので、これで事態の解決を見た。
   マルシァヌの艦から飛び去るために、既にドミトリが乗艦を出る時に連絡船を、ルラーシ三姉妹に追跡させていたので、帰りの便はすぐにやってきた。

 悠々と帰りの船に一同が搭乗するときには、慰謝料と称して、マンリが自分の体躯と同じぐらいの酒保物品を袋に詰め込んで引きずりながら乗り込んできた。

 「こーいうのなら、お茶会も悪くなわいね!」

 そういって、袋の中から、高級な菓子よりも好んでいる酒を取り出すと、乱暴に栓を抜いてグイグイと喉を鳴らして飲み干すのであった。
   そんな様子を尻目に見ながら、ドミトリは甲板の上に乱暴に投げ捨てられ、未だに体が動かず、しかも、武装した連絡船からの攻撃を恐れ、誰も近づいて助ける事も出来ない哀れなマリシァヌへ目をやって、隣のボッツヘ話しかけた。

 「折角、手打ちに出来ると思ったのに、馬鹿な事をしたものだね」

 「別にいいわよ。今度はこっちからお茶会に呼んでやればいいわ」

 ボッツは鼻を鳴らしながらそう返し、マンリの袋から酒を取り出して、一同に回し始める。
   そして、それを受け取ったルクレシオが愉快そうに

 「じゃぁ、スコップがいるな。泥団子でも食わせてやろう」

 等と皮肉気に言うので、一同はクスクスと笑うのであった。

最終更新:2023年10月22日 12:56