登場人物
本作の主人公。リューリア地方の馬賊出身で、ラーバ家長女。親と似て運が悪い
ボッツの学友。ヨダ地区山岳地帯の山賊出身。小柄で短気
通称ドミトリかドミー。ボッツの学友。帝都地下犯罪組織トーロック団出身。策謀家
ボッツたちとよく連む姉妹、ネネツ地方の雪賊出身。常に三人でいる
ボッツの同級、トーロック団出身。エリーナルの護衛役。
ワフラビア学園上級生、ボッツと同じ戦翼科。まだ若い
「しっかし、ドミーも変わってるわよね」
そう事も無げにマンリが呟きに、ボッツはわずかに小首を傾げた。
二人は寄宿している艦の格納庫で、他の生徒と銃器の整備をしていた。
それは仕事として任せられているものではなく、休日を利用した私的なことであり、極々、私物として所持している物を、まとめて整備するのにちょうど良い環境があったからだった。
「なにがよ?」
「なにがって、わざわざ近衛隊を目指してるってこと」
普段は休日となれば決まって三人で動き回っているボッツたちだが、今回ばかりはドミトリが休日を利用した特別講習に上級生の寄宿艦へと赴いていたのだった。
「別にいいじゃない。私達の中じゃまともな進路希望よ?下級中流貴族だって結構目指してる奴が多いって話じゃない」
ボッツは分解した銃身へ、整備油を塗布した布切れを掛けながら言葉を返した。
「ドミーはそんじょそこらの貴族とは訳が違うわ。何も偉そうな奴等に使われる仕事なんて選ばなくたっていいじゃない。将来は帝都暗黒街のドンってもんなのに」
マンリは納得いかない様子で、自身の手のひらにちょうどいい大きさをした小型の拳銃を磨きながら、同意を求めるように作業をしていたルラーシ三姉妹を見たが、彼女等は黙々と三人で固まりながら、軽機関銃を分担して整備している。
小さな拳銃に始まり、果ては軽機関銃までと、個人の物品とは思えないほどの数をまとめて整備するのには大変な労力で、これは半日仕事であった。
これほどの数の銃器を私物として所持しているのは如何な物かと思われるが、他の上級生や貴族性たちも1グループで所有している数を入れれば、ボッツたちの私物は少ない方であり、上級生等の場合は護衛している下女たちの装備が含まれているのである。
「そりゃ私らみたいな田舎の賊にすれば、そう思うけど、ドミーはそうじゃないの」
「変わってるわね」
「前にトーロックのやり方には、疲れたとかなんとか言っていたわ」
二人はこの場にいない同室人のことを、しばらくあれやこれやと喋っていたが、やがて、ドミトリの話にも飽きてきて、マンリが話題を変えた。
「それにしても、たまにはなにか美味いものが食べたいわよね」
潤滑油の臭いが鼻をつき、銃身に纏わり付いている硝煙の香が混ざると、とても食欲が湧くものではないが、彼女等の胃袋は常に飢えているので環境は関係がなかった。
「食堂のメニューにはちょっと飽きてきたわ。昨日もギトギトした揚げ物だったのに、今日も同じよ。きっと、コレと同じ様な油使ってるんだわ」
そう言ってマンリは、分解した拳銃の部品から滴る油を不快そうに眺めた。
「仮にもお嬢様学園の生徒が聞いて呆れるわね。たまには貴族の食事って物がしてみたいもんよ。アンタ等もそう思うでしょ?」
ボッツも手にしていた小銃を組み立て終わると、同じく格納庫にいたルラーシ三姉妹にも愚痴を掛けた。
すると今度は三人揃って、下にやっていた顔を同時に上げて、示し合わせたように小さく頷いた。
白い顔に青白い髪、身の丈や顔かたちまで三人揃っていることから、きっと三つ子であると生徒の間では言われて三姉妹と渾名されているが、実際には血のつながりが無いとボッツは聞いたことがある。
「でも、ボッツ。どうするの?食堂でも襲うの?」
「バカ言わないで、私達だって学園の生徒なんだから、学園の艦で食事をする権利ぐらいあるわ」
幼げなルラーシ三女の言葉にボッツは笑みを浮かべながら頭を振った。
整備を終えてから5人はシャワー室の争奪戦を乗り切り身支度を調え、昼時を狙って上流貴族の生徒達が寄宿している大型艦へ飛行艇で向かった。
元々、ボッツたちが寄宿している老朽艦から、そこまで離れてもいないのだが、直接、そちらへ飛んだのではすぐに目に付いてしまうので、あえて真逆の方角へ飛んでから反対から回って寄宿艦を目指す。
そして、寄宿艦に悠々と連絡船として近付いていくのだが、艦と形容するにはそれは空に浮かぶ港とも言えるほどに巨大で歪であった。
巨大なヒトデを平たく浮かべたような艦上には大小の産業塔が乱立し、都邑が空に浮かんでいるようにも見え、それは生徒の間では『浮遊塔』と呼ばれる。
元々は権勢を誇った地方貴族がこの巨大な艦を皇帝へと寄進したと伝わっているが、実際には近衛艦隊に押収されたというのが実態だとボッツはドミトリから聞いた覚えがあった。
「いつ見ても、デカいわね。ボッツ、乗艦許可は取ってあるの?」
「飯食べに行くのに許可もへったくれもないわよ。その為に着替えてきたんじゃない」
船窓から巨大な浮遊塔を眺めるマンリの問いに、ボッツは初年特待生特有の薄い色の制服ではなく、朱色の帝国空軍軍服の布地をこれ見よがしに摘まんでみせた。
「でもちょっと、そんなボロボロの軍服が通用するとは思えないわね。浮遊塔にいる警備の正規軍は一発で見抜くんじゃない?」
マンリにしては知的な指摘だったが、ボッツは得意げにしている。
「見抜かれて、結構。お袋の物だとわかれば、余計に鬱陶しいことは言わなくなるわ」
そう言っている内に飛行艇は着々と浮遊塔下部にある着艦設備の一角に近付いていく。
これは機体を甲板に着陸させる方式ではなく、機体の上部に付きだした鉤状のフックをワイヤーに通してぶら下げるというアーキル方式を真似た物であった。
本来であれば相当な訓練を積まねば、即座に空中大破という事態も起こりうる危険な着艦方法であるし、生体器官を用いた大半の帝国機体は着艦が容易であるから、ほとんど用がない。
そのため、帝国正規軍でさえも一応、設置はしてあるが誰も用いていない為に、フック式の着艦施設はほとんど無人と言ってよいほどの稼働状況で、ボッツたちの都合の良い抜け道と化している。
「それでは、乗客の皆様。多少、機体が揺れますので、しっかり席にお座り下さいませ」
ボッツがふざけて機内の仲間に呼び掛けながら、機体上部を器用な角度に傾けながら、馴れた調子に鉤をワイヤーへと引っかけて、機体の姿勢を安定させていく。
このフック着艦が出来るだけでも、空軍に一目置かれそうなものだが、ボッツはこの手の着艦方法を実家のリューリアにて、馬賊の空軍とも言えるような集団で鍛え抜いていたのだった。
「さぁて、着いたわよ。私が先に降りて様子を見るから、貴女たちは席で待ってなさいね」
そう言いながら、ボッツは搭乗扉を開き、慎重に着艦施設へと足を踏み入れていった。
他の着艦施設なら警備兵でうようよしているところだが、やはりフック式のここは無人状態であった。
これなら面倒な学生証の確認も求められないだろうと、彼女はしっかりと周囲を見回しながら機内のマンリたちを手招きした。
機体から素早く降りてくるマンリとルラーシ三姉妹はひどく小柄で、これが4人縦に並んで走ってくるとなんとも可笑しかった。
着艦施設から、生徒達の居住区へと踏み入れると、いままでは無骨な軍の前線基地内を思わせるような通路であったのに、一気に華やいだ宮殿風のものへと変わっていた。
朱色の埃一つもないような絨毯が敷き詰められ、壁は大理石の様な白く美しい壁が被い、帝国芸術を象徴するかのような絵画が画廊のように壁に飾られている。
「来る度に毎度思うけど、ここまでやるのは金の無駄だと思うわね」
マンリがボッツの足下でそう言いながら、早速、ルラーシ三姉妹と肩車をして絵画や装飾物を何個か頂戴しようとするので、ボッツは一同を元来た通路口へと慌てて下がらせた。
「止しなさいよ。こんな物盗ったって、すぐにアシがついてしまうわ。それよりも、まずは貴女たちの服が要るわね」
特に窃盗を咎める気が無いのは馬賊の娘らしい性分だが、ボッツは腕を組んでマンリとルラーシ三姉妹の服装を改めて眺めて唸った。
彼女はまだほとんど旧式とはいえ帝国正規空軍の軍服を着ているから、警備兵などを誤魔化すことが出来るが、マンリとルラーシ三姉妹は初年特待生の色の薄い制服を着ているために、これではすぐにバレて退去を迫られることが目に見えている。
機体に乗り込む前に考えつくようなことではあったが、少々空腹過ぎて頭が回っていなかったとボッツは少し己を悔いた。
しかし、ふと居住区通路の方から話し声が聞こえ、それが近付いてくることを感じとると、ボッツはマンリ達を待機させて一人だけでまた通路へ戻った。
通路の奥からやってきたのは、『クルカが芋を咥えてきた』というパルエの格言がピッタリと当てはまるような連中だった。
きっと、どこぞの上流貴族生徒の付き人であろうが、年端もいかないような少年達ばかりで、大方、貴族生徒の小姓(こしょう)たちと思わしかった。
彼等は胸元に白い厚手の手ぬぐいの束を抱え、雑事の途中であるらしいが何やら話事に夢中で、痩せぎすで背の高い柱のようなボッツにはまるで気がついていない様子で、そのまま通路の向こうから話ながら進んでくる。
「こんにちは、ちょっと悪いのだけど」
そう言いながら、ボッツは彼等の前に立ちはだかり、行く手を塞いだ。
彼等は彼女を見上げながら、幼くも端正な顔立ちを、雑談と雑事を邪魔されたことに、あからさまに不快そうに歪めた。
「なんでしょうか?軍人さん」
小姓たちの中で最も位が高そうな少年が、ボッツを見上げて、その朱色のよれた軍服に不審そうな目を向けてくる。
上流貴族の令嬢を守る正規軍の軍人というものは、身なりもそれ相応に整っている物だが、ボッツの崩れきった態度に彼は不安すら感じた。
この前に手足の負傷が完治したカンムーテは、あと数日で学科に復帰出来ることを私室の浴槽に浸かりながら嬉しく思っていた。
これで見舞いとは名ばかりの嘲笑に来るような同輩たちに腹を立てることもない。
そのささやかな祝い事をするかのように浴槽に艦船内とは思えぬほど湯水を贅沢に沸かせ、細くしなやかながらも、しっかりと戦翼科で鍛え上げられた肉体を湯船につけ、人工の医療液に漬け込まされた身体を清めようとしていた。
浴槽は大人三人が入っても狭くない程に広く、白い光沢が宝石のように美しいトォルムン白石の特注品だった。
これほどの高級な個人浴槽を使えるのは学園の上流貴族生たちの中でも希で、デシュタイヤの一族であることを誇りに思ったが、彼女の楽しみはそれだけではない。
「…ムデリ、戻ったの?早く、こっちにいらっしゃいな」
カンムーテは浴室の隣から扉が開く音を聞いて、普段は誰にも聞かせないような猫なで声を出した。
彼女はきっと、洗濯した浴衣を取りに行かせた小姓が戻ってきたと思った。
ムデリは入校前から彼女の世話をしている小姓であり、あどけない容姿もさることながら、昼も夜も献身的な態度が気に入っていた。
表向きは華やかであっても、裏では気が休まることがない政争の世界でもある学園生活において、小姓との触れ合いは心身の休息であった。
「どうしたの?浴衣はいつもので構わないわ」
しかし、カンムーテが二度も声を掛けたが、浴室に彼が姿を現さない。
私室の合い鍵を持たせてあるのは下女と小姓の彼だけであるし、他に誰か来るとも思えない。
「…おまたせしました!」
彼女が不安になりかけていると、浴室の扉を勢いよく開いて素っ頓狂な高い声を上げて、白い浴衣や厚手の手ぬぐいを抱えた何者かが入ってきた。
如何に浴室に湯気が立っていても、その者が彼とよく似て小柄で、彼の衣服をまとっていてもムデリの偽物であることは明白だった。
「貴様は…」
思わずカンムーテは狼狽した声と同時に身構えた。
お嬢様育ちとは言え、デシュタイヤの実戦役として修羅場はそこそこ潜っているカンムーテであるが、浴室においては備えがなかった。
しかし、それでは不十分と教えるかのように、闖入(ちんにゅう)者は手ぬぐいの隙間から銃口を覗かせていた。
「初年の…たしか、ソート家か…」
カンムーテは小姓との浴室での触れ合いの空想から一転して、ひどく危険な現実と向かい合わなければならず、苦々しい顔になっていた。
「そうよ、お邪魔するわね!」
侵入者であるマンリはそう図々しく告げると、相手が抵抗してこないかどうか見極めながら、格闘の間合いへ入らずに拳銃を向けてくる。
「一体、何の用?わざわざ、トドメでも刺しに来たの?」
カンムーテは苦い顔をしながらも、この前のように恐怖が広がる前にマンリに問い質した。
「別にそんなつもりはないわ。ルームサービスを頼みたくなっただけよ!お昼はまだでしょ?」
マンリは彼女をしげしげと眺めながらそう告げると、拳銃を仕舞い込んで、そそくさと浴室から引き返していった。
だが、そのまま私室から出て行くようでもなく、そもそも何故、あの娘がムデリの服を着ているのか彼女は気になって仕方がない。
浴衣と手ぬぐいをその場に放置してマンリが引っ込んだので、慌てて浴衣を羽織りながら、慎重に浴室から出てみると、そこでは奇妙な宴会が開かれていた。
元々、カンムーテの私室は広い造りで応接間の様に、円状のソファが二対と、円形台が部屋の中央に据えられているが、その台の上に帝国式のコース料理が並べられている。
本来なら順々に台に並ぶ品々であるはずだが、まとめて台の上に所狭しと並べられ、それを浴室から出て行ったマンリに加え、嫌な意味で見覚えのある女生徒たちが5人でコース料理を貪っていた。
考えなしに隙間無く並べられているために、本来なら見た目を重視する帝国貴族の宮廷料理もこれでは形無しだった。
「これはなんの肉かしらね。人工肉にしては歯ごたえがある」
「それはギチムッチョよ。前にバセンで狩りをしたときに食べたことがあるわ」
フォークで乱暴に突き刺した肉を高々と掲げながら、マンリがボッツに聞いたり、ルラーシ三姉妹が揃った手付きで食事をしている。
そんな光景を自らの部屋で繰り広げられながら、カンムーテは呆れて良いのか怒って良いのか、拳の振り下ろしどころを掴めないでいた。
5人とも重武装というわけではないが、これみよがしに拳銃嚢を腰にぶら下げ、軍刀までしっかりソファの傍らに立てかけてある。
下手に刺激すればこの前の二の舞になるとカンムーテは思ったが、それでも自分の宮殿ともいえる私室でこのような狼藉が許されるものかと苛立ちはした。
そして、その様子に気付いたボッツが酒瓶をラッパ呑みしながら、こちらへ顔を向けてきた。
「あぁ、悪いわね。勝手に上がり込んじゃって。一度、上級生の飯を食べてみたくてさ。知ってる顔とかいないし、一応、アンタには貸しがあるから、部屋を少しだけ借りても文句ないでしょ?」
いけしゃあしゃあとボッツは言ってのけたが、カンムーテが納得するわけもない。
「貸しですって?」
「そうよ。貸しよ。この前のアンタを痛めつけた件はまぁ喧嘩両成敗で私たちはいいけど、そのあとの手打ちでこっちを騙し討ちしようとしたんだから、それで貸しになるでしょ」
「…マリシァヌのことですか。あれは私とは関係ないです」
「同じデシュタイヤ関係なんだから、アンタも同罪よ。でも、いいわ。ラーバ家は寛大なのが売りなの」
苦い顔のままのカンムーテに対して、ボッツはどこまでも図々しく言いながら、高級な葡萄酒を下品に回し飲みしている。
「お代は気にしなくて良いわよ。こっちでもう既に払ってあるわ。この前、競ヴァで大勝ちしたの」
視線も合わせず酒を飲みながら、ボッツたちが今度はその賭け事の話で盛り上がり始めるが、その姿は大凡、貴族令嬢というよりは昼間から呑んでいる定食屋の中年共にしか見えなかった。
「…それより、ムデリをどうしたのですか?」
勿論、カンムーテはそんな与太者の与太話に付き合うつもりも無く、鋭い眼差しで小姓をどうしたのかと問い質そうとした。
よくよく見れば、ムデリの物と思わしい小姓の服を着ているのはマンリだけでなく、何故か他の3人組の女生徒達も背格好が合うためか、ムデリと似た様な服を着ている。
大方、他の小姓たちからも分捕った物であろう。
そう思いながらカンムーテは、相手の方が多くの銃を持っていようとも、彼女は返答次第で、一人か二人は道連れにしてやろうかと小机の引き出しから、中に忍ばせてある拳銃に手が伸びていた。
「あぁ、あの子?私達がアンタの友達で半日ほど用があるから、今日は半ドンにして、引き上げなさいって言ってやったのよ」
「…そんな話をムデリが信じたと?」
いい加減なボッツの話に、カンムーテは拳銃を握りしめ、その様子をボッツは尻目に鋭く見ていた。
途端に室内の空気が冷たく張り詰めたが、他の連中は一様に平静な態度で食事を続けていた。
「まぁ、信じないでしょうね。今頃、警備兵を呼んできてるんじゃないかしら」
自分でも何を言っているのか、特に気にも留めない調子に言いのけて、ボッツは戻ってきた葡萄酒の残りを一息に飲み干した。
ちょうど、その頃、ドミトリとフェンナーの二人は上級生寄宿艦の喫煙室で一服をつけていた。
朝早くから寄宿艦にて行われる講習に受講し、先程までみっちりと口述による応答試験を受けていた。
近衛隊士になる為には複数の過程を履修し、そこに求められるものは戦術から宮廷教養等、果ては正規軍兵よりも過酷な体力試験なども含まれており、並大抵の努力では果たし得ないものであった。
それでも、この二人はほとんどの講習を難なく受けきるほどの知識と体力と胆力を有していて、今回の講習も本人達にいたってはさほど苦になるものでもなかった。
「──思ったより、緩かったね」
紫煙を吐き出しながら、ドミトリは満足げにフェンナーを流し目に見た。
初年特待生の淡い色をした制服を着こんでいても、品性というものがこの二人には漂っている。
「しかし、私も変わり者とは言われているが、それに付き合っている君も随分と変わっているね」
「…私はただ、エリーナル様の役に立ちたいだけ」
煙草を指先に挟みながら、ドミトリはフェンナーの酷薄な顔を見た。
彼女も同様に近衛隊士への試験を受けている身だが、彼女の場合は試験よりも講習や訓練の方に興味があるらしく、近衛隊士に成ること自体には興味が無いらしかった。
全ては世話をしているエリーナルに対するものだと口を開けばそれだけだが、トーロックの上層部から世話を命じられているからと言って、彼女がそこまで尽くす必要はないはずであった。
かといって、今更、辞められても貴重な話し相手が減るので、ドミトリもトーロックの身内とはいえ詮索する気はない。
初年特待生の大半は何か重たい事情を背負っているために、下手にそれを突けば面倒事になる。
ただ、そう思うとドミトリは自分らと比べて、遙かにお気楽な同部屋の二人のことを思い返さずにはいられない。
今朝方も上級生の艦に行かねばならないという話を数日前からしたはずであったのに、そんなことなどすっかり忘れて賭場に行こうと誘ってくるのだから、どうしようもない。
もし、仮にこの場にいたとしたら、どんな事態になるだろうかと想像すると少しは楽しかったが、そう思った矢先に突然、喫煙室の扉が開いて、その同部屋人とよく似た背格好の者が入ってくるとドミトリは酷く狼狽した。
「シバレッチ様!ここにおいででしたか!」
しかし、その姿はマンリに似ていたが、あくまで彼女の制服を着ている少年のようだった。 何故、女装なんてしているのかとドミトリが怪訝な目を向ける前に、彼はフェンナーのほうへと泣きついていった。
「どうか、カンムーテ様をお助け下さいまし!」
裾を掴む様な勢いで女生徒姿の小姓がフェンナーに取り縋るが、彼女は冷たげな表情を崩すわけでもなく。
「落ち着いて話せ、ムデリ。いきなり、そう言われてもわからない」
冷静に身を屈め、小姓の背中を抱きながら落ち着かせ始める。
ドミトリはそんな様子を見て彼が、トーロックの方で斡旋した小姓であることを思い出した。
しかも、それが以前に同部屋人と揉めに揉めて、殺すか殺さないかにまで事が発展したことのある上級生の小姓であることがわかると、顔が苦々しくなった。
容姿が整っていて、それでいて尚且つ礼節のある小姓を用意するというのは並大抵の事で無く、孤児を拾って教育し、さまざまな貴族に紹介することもトーロックのビジネスの一つに含まれている。
それの関係を取り仕切っているのがフェンナーの親元であり、彼女も本来であればその仕事を継ぐのが筋ではあったが、今は没落貴族の世話人である。
しかし、その伝(つて)があるために彼女は、初年特待生と他の貴族生徒とのいざこざを丸く収める術をドミトリと共に持っている。
例えば、何か他の生徒と揉め事が起これば、和解するのが今後のことも考えて最適な答であるのだが、もし、脅迫や暴力的な手段を用いる必要が出た場合、その生徒の貴族が従えている小姓や、同業人の横の繋がりから、貴族の弱みを聞き出し利用することが出来る。
前者の場合ならば、生徒が欲している物を密かに調べ上げ、円満に和解する術を探ることが出来るのだ。
その為、フェンナーは相当な数の小姓たちと通じているし、上級生の中にはその事を知っている者もいるため、揉め事の仲裁に彼女とドミトリが出てくると大体の相手は兜を脱がざるをえないのである。
ムデリは丁寧に二人に事の顛末を説明し、指示を仰いできた。
ドミトリがそれを聞き終える頃には、煙草は全て燃え尽き灰となっていた。
「弱ったな。あの馬鹿ども…、今日は大人しく寄宿艦にいろと言っていたのだけどな」
「…リューリアの狼とヨダの山熊が、素直に言う事を聞くわけがない。ネネツの雪豹まで加われば尚の事だ」
頭を抱えるドミトリに、フェンナーは皮肉と言うよりは客観的な指摘をぶつけつつ、故障の方へと向き直った。
「わかった。とりあえず、大事にしないほうが良い。刺激すると、カンムーテの命はない。他の小姓たちも止めておいたのは賢明だったな」
そう言いながら、フェンナーは喫煙室の入り口の隙間からこちらを覗く三人の小姓たちの顔を見た。
運悪く、ボッツとマンリに同伴していたルラーシ三姉妹と背丈が似ていたがために、彼等も衣服を無理やり交換させられて、自分らと同じような淡い色の制服を着せられていた。
「これから、カンムーテの処へいって釈明しよう。今回の非はボッツたちにある。兎に角、帰路の無事だけは確保できるよう掛け合う」
「毎度、すまない」
「構わない。エリーナル様の世話をする次に楽しい」
フェンナーは冗談とも本気とも取れない調子に言い退けると、ドミトリと共に喫煙室を後にした。
カンムーテの私室に着き、ドアを叩いたが、応答はなかった。
しかし、鍵も掛かってもいなかったので、二人がそのまま中へ入ると、華奢な内装の室内は随分とただれた雰囲気になっていた。
中で大宴会でも開いたのか、そこら中に中身のあるなしに関わらず酒瓶が転がり、料理が盛られていたのであろう皿が、食べ残しと共に乱雑にテーブルと床に散らばっている。
そして、それらと同様にソファや椅子に泥酔し、満腹になって、いぎたなく眠っているボッツたちがいた。
驚くべきことは部屋の主であるカンムーテまで、中央のソファに腰掛けながら、傍らにルラーシ三姉妹を侍らせて、まだ多少は上品な寝方をしている。
手元には先ほどに引き出しから取り出そうとしていた拳銃を握っていたが、発砲はされていない様子だった。
「…驚いた。死人がいないぞ」
思ったより平穏な状況に、フェンナーは、さも意外そうな顔をした。
「ボッツにしては上出来だ」
ドミトリはポツリとそう呟くと、つかつかと椅子に座って酒瓶を抱えながら寝ている彼女の元まで歩いていき、そのだらしない赤ら顔に三発慣れた具合にビンタをかまして眠りから覚まそうとした。
しかし、神経が図太いのか鈍いのか、ボッツはいびきを一発返しただけであった。
「すぐには起きないわよ」
そんな声が今度は浴室から聞こえてきた。
二人がそちらへ振り向くと、ひと風呂浴びたばかりのマンリが立っていた。
湯気が立つ体を浴衣に包んであるが、その衣服はカンムーテのものであるためにサイズが全く合っておらず、裾を床に引きずっている。
「…マンリ、面倒なことをしてくれたじゃないか」
「そう、怒らないでよ。別に私達、喧嘩にしに来たわけじゃないし、さっきまで仲良く飯食って酒飲んでたのよ?やっぱり上級生の飯と酒はいいわね」
「仲良くだって?ハジキを握ってかい?」
悪びれもせず、マンリが風呂上がりの一杯を飲もうと、酒瓶に手を伸ばしているので、ドミトリはさっとそれを取り上げて、カンムーテの手の中にある耽美な彫金の施された拳銃を指さした。
「そりゃ、最初は私の部屋で勝手な事をするなとか、お気にいりの小姓に手を出したんじゃないかってブチ切れてたわよ。確かに、コイツの使用人を裸にしたのは事実だけど、あくまで物々交換しただけよ」
マンリは背伸びをしながら、ドミトリから酒瓶を引っ手繰ろうとしているが、彼女はもっと酒瓶を高く掲げて状況の説明を促した。
「説明はしたけど、気に入らなかったのか、コイツ、そこの机からハジキなんか出してきてね。でも、先にルラーシたちがぶっ放そうとしたんだけど、あいつ等、貴族のハジキに興味があるらしくてさ。…そこからは根掘り葉掘り、そこのブツの事を聞き始めてさ、気が合ったのか酒飲んでるうちに勝手に寝ちゃったのよ」
マンリが一通り言い終えると、さぁ酒を寄越せと飛びあがってくるが、ドミトリは代わりに水を一杯渡して、酔いを醒ませと口添えした。
「…まぁ、これ以上。面倒事は困る。宴は終わりにして、引き上げるんだね」
ドミトリは兎に角、ボッツを覚醒させようと、フェンナーと共に二人係で彼女を殴って蹴ってようやく叩き起こすことに成功した。
散々っぱら、殴打されたので怒り散らすかとも思ったが、相当酔いが回っているのか、多少頬が腫れあがっていても、ボッツは剣呑な態度で
「あら、御機嫌よう。講習会どうだった?」
なんて、酔った顔で澄まして言いのける。
「何が御機嫌ようだ。飲んだくれめ。さっさと寄宿艦のへ逃げないと危ないぞ」
「別にそこらの手筈は整えてあるわ。こっちは軍服だし、マンリ達には小姓の服を着せたんだから、怪しまれないわ」
呂律も少々怪しい調子にボッツは言いながら、今さっきのマンリと全く同様に寝起きの一杯とばかりに酒瓶に手を伸ばすので、ドミトリは瓶を蹴って遠ざけた。
「君にしては知恵を働かせたかもしれないが、生憎、それは通用しないと思うよ」
「あら、どうして?」
ボッツはドミトリが酒を寄越さない態度に舌打ちしながらも、煙草を酔った指先で探しながら口に当てつつ、真剣なまなざしの彼女に問うた。
「考えてもみろ。女装した小姓が哀れに船内通路をウロウロしてれば、何かあったかとすぐにバレル」
「べつに夜伽船ではよく見るけど…」
「君の目と此処の目は違うのさ」
紫煙を吐き出しながら、ようやく自分の計算の甘さに気付いた様なボッツの表情に、ドミトリは呆れ果てた。
「少なくとも生徒にけが人が出たわけでも、被害が出たわけでもないから、護衛の正規軍とは揉めないだろうが、カンムーテの小姓以外にも手を出したのは不味い。あの三人はそれぞれ別の上級生たちに可愛がられているお気に入りだ。裸にひん剥かれて、辱めを受けたと知ったら、私兵を繰り出してくる」
「知られる前に逃げればいいじゃない」
「いや、君等が呑気に寝てる間にバレた」
ドミトリはさっさとボッツ達を動かす為に、あえて嘘をついた。
しかし、今は嘘でも実際にムデリ以外の小姓が泣きつくか、関係者に出くわしてしまうかは時間の問題だった。
「あ、そう。じゃぁお開きね。仕方ないわ」
だが、問題の張本人であるボッツ自身は特に慌てた様子もなく、煙草を吸い終えると皿に押し付けて火を消し、ソファの四人を起し始めた。
彼女等はいぎたないボッツと違って、すぐに上品に目を覚まして、事の説明をドミトリから受けるとカンムーテ以外はすぐに納得して頷いた。
「それじゃぁ、カンムーテさん。お邪魔したわね」
半ば、何が起きたのか、一気に酒をルラーシ三姉妹に流し込まれたせいでハッキリとしないカンムーテに、そう言いながらボッツたちは部屋を後にする。
取り残されたカンムーテは酔いが残って呆けたような表情で、手元に収まっている拳銃に目をやった。
華麗な彫刻が施されたその拳銃はデシュタイヤ一族の中でも、特に武闘派を担うファーヘン家の誇りを示す代物であるが、それをああまで好奇心旺盛に観察し、美しいと誉めそやすルラーシ三姉妹の表情は感慨深かった。
三姉妹は無邪気に拳銃を眺めては、刻まれた彫刻を褒めそやして、少し手に取らせて欲しいと懇願してきた。
「ロッサの彫り師よ、きっと。曲線がとても滑らかで綺麗」
「スカイバードが刻まれてる、空軍の物は汚れが少ないね」
「幾らぐらいするのかな」
三人で代わる代わる拳銃を慎重に回して観察しながら、口々に感想を口にして、挙げ句の果てには私達の所持している銃器を全てやるから、これと交換して欲しいとまで言い出してきた。
しかし、これは家宝のような物だから無理だと返すと、ならば、その彫刻を彫った職人について教えて欲しいと言い出し、そこから酒が入ったことはなんとか記憶している。
久々にムデリ以外と世間話をしたとカンムーテは感慨深く思い返した。
高価な酒には違いなかったが、それを何本も混ぜて呑んでしまえば悪酔いをするものだ。
記憶は少し混濁しているが、しかし、三姉妹は別れ際に『今度は私達のコレクションを見せる、寄宿艦で食事にも招きたい』と言っていたことを覚えている。
カンムーテは気持ちが多少揺れはしたが、その招待は有耶無耶の内に無かったことにしておこうと酒気に淀んだ頭の中で考えていた。
しかし、そう思った矢先、私室の扉が開いて、例の三姉妹がまた戻ってきた。
一体何事かと、今度は手に収めていた拳銃を構えたりはしなかったが
「やっぱり、今晩の夕食を食べにきてもらうわ」
「そのあと、私達のコレクションを見せる」
「拒否権はないよ」
そう三姉妹が順繰りに言ったかと思うと、目にも止まらぬ早さでカンムーテの両手を二人で引っ張っては、さらに腰の辺りに長い筒のような物が押し当てられて、これがどういうことなのか彼女は酔った頭なりに察しが付いた。
そして、私室の扉前ではボッツとマンリの二人が待っていて、通路の先ではドミトリとフェンナーが安全を確保しているようだった。
「アンタ等、なんのつもりよ?」
ボッツは酔ったカンムーテを、引っ張りながら連れて来る三姉妹に呆れた目を向けた。
「夕食に招待するの」
「収集品を見て貰うの」
「それに保険も掛けたの」
三姉妹は悪びれもせずにそう言っては、カンムーテに一緒に来るわよねと視線を向け、それと同時に腰に強く銃が当たっている。
「わかりました、いきます、いきますよ」
流石のデシュタイヤ家もこれには従わざる他なかった。
一同は無事にフック式発着場へと辿り着くと、そこでドミトリとフェンナーと別れた。
二人は別れる際に何度もボッツとマンリに、二度とこんなことをするなと釘を刺したが、糠に釘とはこのことでボッツもマンリも、ふ抜けた顔で頷くだけだった。
「大丈夫よ。仮に追っ手が掛かったって、こっちには保険があるのよ」
そうボッツは流し目に、三姉妹に取り囲まれているカンムーテを見たが、ドミトリはその言葉に納得しなかった。
「あれは残念だが、保険にはならないよ」
「どうしてよ?」
「カンムーテの家はデシュタイヤにおいても末端だ。荒事をさせても、金に関係した仕事をそんな任されてはいない。面倒事になったら、早々に切り捨てるぞ」
「なんだ。連れてきて損しちゃったじゃない」
「だが、怪我をさせては絶対にいけない。何かあれば難癖つけられて、後々面倒だ」
ドミトリは苦々しく言ったが、ボッツはまだ酔っているせいもあってか、大して気にもしない様子で、それじゃあまた寄宿艦でとドミトリに暢気に手を振って機体に乗り込んでいった。
その仕草は千鳥足ほどではないが、少々おぼつかないもので、フック式発艦など出来るのかとドミトリは肝を冷やしたが、数分後には彼女等の機体は悠々と雲の向こうへ飛んでいった。
「ドミトリも同部屋とはいえ、よくあんな奴等の面倒を見る」
フェンナーは皮肉というよりは率直な感想を口にしたが、ドミトリは肩を竦めて
「私だって別に強い義理を感じているわけじゃない。だが、ラーバ家とソート家とは仲良くしておいて損はないぞ」
「恩を売って、なにか面倒な仕事を頼むつもりか?」
「そういうのではないよ。でも、仮に面倒なことがあれば、ボッツとマンリは好き好んで首を突っ込んで、荒くはあるが解決してくれる。前もそれで命を助けられたことが何度もあるんだ」
「…帝国を救った家の出だけはあるということだな」
フェンナーは冷たい表情ながらも、納得したように呟いて、二人は発着場を後にした。
一方、ボッツたちの機体は悠々と上級生の浮遊塔をあとにして、寄宿艦への帰路へとついていたが、機内は中々に騒々しかった。
マンリとルラーシ三姉妹は相当数の酒をカンムーテの私室で注文して運び込んでおり、それを機内に持ち込んではまた宴会を再開したのだ。
今度はそれにカンムーテも加わって、いまや機体は右に左と大きく揺れるほど騒がしかった。
「ねぇねぇ!デシュタイヤ家なら色んな事を片付けたんでしょ?面白かったのを教えてよ!」
白い顔を赤らめたルラーシ三女がカンムーテの袖を引いて、彼女へひっきりなしに色んな話をせがんでいる。
デシュタイヤ家と上品ぶっても、カンムーテ自身はその中の武闘派であったから、家同士での抗争は事欠かず、よってその手の話は豊富だった。
ただ、他者にそんなことを話すようでは、暗殺者としては失格である。
しかし、地方のルラーシとマンリも似たようなものであったから、これは同業者の内々の四方山話として片付けられると思えば、カンムーテは堰(せき)を切ったように、しかし、話の子細は上品に誤魔化しながら様々な案件の話を始めた。
それは都会や上流階級独特の回りくどくも、芸術的とも言える計算高い案件の解決法で、マンリとルラーシは目を見張って聞き惚れていた。
それをボッツは操縦席で聞きながら、これは勉強になると、半ば講習会のように聞いていたが、その内にカンムーテの話以外に不穏な音を耳が聞きつけた。
「…マンリ、ちょっと悪いけど、後部銃座に登って四時方向を見てくれないかしら?」
ボッツの言葉にマンリはカンムーテの話を傾聴するのを中断せざるをえず、不満げな顔をしたが素直に銃座に張り付いた。
銃座とボッツは言ったが、正確にはそれは椅子のついた天窓のようなもので、ボッツが戦翼科に入っているとはいえ、武装は付けられていなかった。
「あぁ、なんかいるわね。3つ」
「機種はわかる?」
マンリは事も無げに言い、ボッツも酔いはだいぶ冷めてきたが、その事実に対して、これまた事も無げに返す。
「グランビアが二機と、あれはゼイドラじゃない?」
「思ったより、豪勢な追っ手ね。…さて、乗客の皆様」
ボッツは溜息をひとつ吐いてから、仰々しい口調で機内の連中に声を掛けた。
「当機はこれより、乱気流により、少し揺さぶられますので、ご準備下さい」
そうボッツはわざとらしく皮肉を言った。
まだ、ボッツの機体からは相当、離れているが、常に空の動向を職業柄気にしているマンリの目から、追っ手の攻撃隊は逃れられなかった。
浮遊島で少々好き勝手をさせられて、自らの小姓を辱められたと思った上級生が配下を差し向けたのか、それともボッツたちの日頃の行いに寄るものか、多分、答えは両方であろう。
「…何か武器は無いのですか?」
操縦席の方まで歩いてきて、そう問いかけたのは意外にもカンムーテだった。
彼女の方としても、酔っていても現在自身が置かれた状況は判別できるほどの明敏さは持っていた。
ルラーシ三姉妹は彼女を人質に出来ると、賊なりの思考方法で連れてきたが、それがデシュタイヤ家のような非情な貴族ともなれば全く通用しないことを失念していた。
家という組織に対する不利益が生じる場合は、尻尾どころか手足すら切り落とすのであろう。
「ハジキと軍刀ぐらいしかありゃしないわ。アンタとゴタゴタしたときはリャツカランチャーも使ったけど、あれからフレッド先生に取り締まられちゃって、機内には持ち込めないのよ」
ボッツはそう言って、カンムーテを気落ちさせたが
「でも、大丈夫よ。武器なんかなくても、連中をあしらうくらい訳ないわ。アンタも同じ戦翼科ってことに免じて、良いもの見せてあげる」
得意げにそう言いながら、彼女に座席にしっかり掴まっていなさいと促した。
追っ手であるグランビアと重攻撃機であるゼイドラによる編隊は、真っ直ぐにボッツ機に接近し、挨拶もなければ警告もなしに、射程内に入った瞬間に機銃と機関砲を見舞ってきた。 しかし、ずっと天窓で後方を探っていたマンリが、相手の攻撃タイミングを告げると、ボッツはそれに瞬時に答えて大きく機体を左右に捻る。
それは乗客の事を一切考慮しない激しいもので、一般人であったら、座席からとっくに投げ出されていたであろう。
だが、そんなヤワな乗客は一人たりともおらず、皆座席にしがみついたり、持ち運んだ酒瓶を抱えながら、外の気配を伺っている。
機外ではこれでもかという程の火線が走り、被弾しないのが奇跡のようにも思えた。
「大した練度じゃないわね。良い玩具には乗っているけど、使いこなせていないわ」
ボッツは遊覧飛行をしているような気軽さでそう言いながら、左右に大きく回避軌道を取っていたが、不意に一気に機首を直角に真上へ向けて、急上昇を行った。
それが目指す先は太陽であり、正面から飛び込んでくる激しい日射が操縦手の目を潰すかに思われたが、ボッツは日光浴をするように気楽に目を閉じて、ぐんぐんと機体を上昇させ続ける。
敵機たちもそれを追って上昇を始めるが、相手には日光の直射を受けながら射撃を加えられるほどの技量は無かったし、下手に真上に銃弾を放てば此方へ落ちてくる場合も多々ある。 機内に掛かる重力は相当なもので、戦翼科のカンムーテにとっても、これほどの急上昇は生体器官にも操縦手にも危険であるためにしたことはない。
しかし、常に馬賊の空軍として一撃離脱の空戦を旨とするボッツにとっては、これはよくよく馴れた動きだった。
「ちょっと目が充血するかもしれないけど、我慢しなさいね」
などと同級生たちを気遣う余裕まである。
そんな暢気なボッツ機とは対照的に追っ手たちには激烈な負担が掛かっていた。
そもそも、こんな急上昇に対して生体器官がそれなりの調教をされていない限り、ついていけるものではなく、早々にゼイドラは追撃を諦め、下方で旋回をしている。
そんな太陽への逃避行が無限に続くかともカンムーテは身体に掛かる負荷に呻きを漏らしそうになったが、それは不意に止まった。
今までの急上昇によって雄叫びのような生体器官の音も無くなり、機体が空中に機首を真上に向けたまま制止したようであった。
しかし、重力に逆らうことなど出来るわけも無く、そのまま下降し始める。
だが、身を捩るような墜落の姿勢をボッツは取らせなかった。
依然として機首は上に向けたまま、軌道を真っ直ぐに下降していく。
これに対して面を喰らったのは、必至に食らい付こうとしたグランビア二機で、ボッツ機が二機の合間をすり抜けて落ちていくと、機体が落下してきたと感じ慌てて操縦桿を捻ったが、わずかに機体の翼が接触した。
しかし、ただぶつかるという具合では済まさず、刃のように鋭い翼は追っ手のグランビアの片翼を切り裂いていたのだった。
途端に空中に生体器官の血しぶきが飛び散って、操縦席の窓にもそれが掛かったが、返り血を浴びた殺人鬼のようにボッツの口元には笑みが浮かんでいた。
「…これが、叔父様から習った空戦術ってものよ」
得意げにそう言いながら、ボッツは一度停止させた生体器官を、苦も無く素早く再起動させた。
すぐさま生体器官は落ち着き払った低い唸りをあげて、姿勢を正常に保ちながら、混乱した敵編隊から悠々と飛び去っていく。
「さて、まぁあれぐらいなら墜落とはいかないでしょ。帰って、飲み直しよ」
彼女はそう楽しげに言って、後方の乗客席を振り向いたが、そこではちょっとした惨事が広がっていた。
マンリもルラーシ三姉妹も曲芸飛行じみたボッツの操縦に散々付き合わされているので、今更気分を悪くすることなど無かったが、ただ一人だけ、初めてそれを体験したカンムーテが機内にさっき呑んだアルコールを全て放出していた。
「あら…。ま、それだけ出せば、また沢山入るでしょ」
ボッツは愛機が汚れたことに、少し顔を苦くしたが、それを皮肉で包んで帰路につくのだった。