プロット原案 蒼衣わっふる
※登場人物
・ボッツ・フォン・ラーバ
リューリアの馬賊、森での狩りは不得意。
・マンリ・ソート
ヨダの山賊。狩りは不得意だが、好き。
・ドミトリェヌ・ソヌベバリ・クレシュエンコ
トーロック団。射撃と狩りも秀でているが、別に森は好かない。
・エリーナル・ルグレンツァ・ベッツォ・アルフィート
元帝都上流貴族令嬢の元上級生。狩りが好き。
・フェンナー・シバレッチ
ボッツの同級、トーロック団。エリーナルの護衛役。
・ソフィア・ドッタラン・テーゼリア
女学園上級生。南パを拠点とする新興銃器メーカーの令嬢。
・マリシァヌ・クーロヌ・フォン・デシュタイヤ
女学園上級生。ソフィアの実家とは政敵同士。
そのときボッツは、久しく忘れていた不安を感じていた。
それは目隠しをされる恐怖にわずかに似ていて、広大で開けた草原を疾駆する馬賊には受け入れられぬものであった。
いままで空の上でも学園の内でも、狼狽した事が無いのがボッツの自慢でもあったが、薄暗い森の中というのは如何せん心細いものを感じさせる。
頭上に生い茂る木々の隙間から差し込む光は、未だに時刻が昼間であることを教えてくれるが、それでも視線を落とすと地上は薄暗く、行く手を阻むように伸び切った枝や草は邪魔ったく仕方が無かった。
しかし、先頭をずんずんと進むマンリは、元から恐怖心というものが心に一切ないのか、自身の身の丈と同じ長さをした猟銃を背中に豪気に担ぎながら鼻歌交じりに歩いている。
「ねぇ、ちょっと待ちなさいよ」
そう声を掛けて、マンリを振り向かせるとボッツは近くの切り株に腰を下ろした。
「少し休みましょう。疲れちゃったわ」
「なによ、だらしないわね。リューリアの馬賊は足腰が弱いのね」
「ヨダの山賊と比べれば、ね」
まだ、歩きたくてたまらないといった様子のマンリは不満たっぷりな視線をボッツに向けてくるが、彼女はそんなことお構いなしに煙草を腰のポーチから取り出した。
二人は学園の制服とは違い、動きやすい猟装をしていた。
普段なら、もっと動きやすい野戦服やら火力の高い自動小銃やら軽機関銃といった物騒な代物をいくらでも持ち出してくるのだが、今回ばかりは比較的、ひ弱な装備をしている。
それには、今までの寄宿艦生活から、地上のワフラビア学園本校舎に移っていることが起因していた。
学期始めから空中での寄宿艦生活であったが、それがひと段落すると地上での学園生活に備えての長期休暇となった。
しかし、自由に動けた空での生活と違い、地上での生活はボッツたちにとっては不自由なものであった。
まず、宿舎の場合も初年特待生は、その特殊な事情とそれなりの人数から鑑(かんが)みて、通常の下級生たちが用いる宿舎は割り当てられず、学園側が既に遺棄したと言って良い旧校舎を割り当てられていた。
その為に、着いた初日からまずは塒(ねぐら)とするための多少の掃除に時間を割かねばならず、それと住みよい環境の奪い合いの為に多少の争いを乗り切らなければならなかった。
当初は脅しの拳銃から始まり、挙句の果てには、迫撃砲まで持ち出しての戦闘になりかけたが、フレッド女史の一括で沈静化し、そのドサクサに紛れてボッツたちは、なんとか旧校舎の見通しの良いバルコニー部を占拠することに成功し、ここを一時の寝床としている。
そして、住処が決まれば、寄宿艦から荷物を運びこみ、ようやくの事で落ち着いた。
それがつい二日前のことで、ボッツとマンリはまだ旧校舎に居残っていた。
大半の下級生は長期休暇を利用して、実家に帰省したり、帝都に宿を取ったりするのだが、この二人は実家に帰省するつもりはなかったし、帝都に宿を取るつもりもなかった。
その理由は両者ともに実家は遠く、機体を繰り出して帰るのも面倒であり、マンリのほうはいざ知らず、ボッツに至っては実家に帰って学園での素行について追及されることを恐れたからであった。
それなら、帝都の宿をとって長期休暇を遊んで過ごしてもよかったのだが、それは担任であるフレッド女史に止められている。
彼女はボッツの母親の旧部下であり、実家に帰省しないようなら学園から出すなと釘を刺されたらしかった。
そんなことなど無視して機体で学園を脱出してもよかったが、フレッド女史は爆薬を用いた工作に精通しているので、いつ何時、機体に爆薬が仕掛けられているかもわからず、迂闊に動くことは愚かなボッツでさえ考えられなかった。
その為、ボッツは長期休暇の間、マンリと旧校舎で暇を潰さねばならなかった。
朝から酒を飲んでは、同じような事情で旧校舎に居残っていた同級生たちと賭博に耽っていたが、それも興味と資金が失せてくると飽きてきてしまった。
そんな時に、マンリが寄宿艦から持ち出してきた保存食や戦時糧食以外の物が食べたいと言い出したので、折角なので、二人は銃を携えて旧校舎の周りに生い茂る人工森林地帯に足を踏み入れたのである。
「そもそも、こんなトコに動物なんているのかしら?見てくれは立派だけど、『人工』なんでしょ?」
ボッツが紫煙を吐き出しながら、水筒の水を飲んでいるマンリに話しかけると、彼女は勢いよく、それを飲み干してから口を開いた。
「そこは大丈夫よ。エリーナル御姉様が、たまに上級生連中やら学園に来る貴族たちが狩りをするのに、遠方から捕まえてきたのを沢山放してあるって言ってたわ。どうせ、狩り尽くせるもんでもないし、勝手に増えたり減ったりしてるわよ」
「あ、そう。…なんだったら、私もフェンナーみたいにエリーナル姉様に付き添ってればよかったかしら。臭い酒と臭い奴等には飽き飽きよ」
「なにさ、自分だけキレイみたいな言い方して。それに、どうせついていったって行くとこはドミーと同じとこよ」
マンリの言葉にボッツは煙草を咥えたまま、彼女を見た。
そう言われてみると二日前から、ドミトリの姿を見ていない。
寝床は寄宿艦からの腐れ縁ということで三人同じような場所に居座ったが、彼女は帝都に用があると言って他の生徒が操る船で行ってしまっていた。
その訳は色々と説明されたような気がするが、その時、寝床を確保した祝いに酒盛りをやっていたのでボッツは聞き流してしまっていた。
「なによ。ドミーも帝都で遊んでるの?」
「遊んでるかどうかは知らないけど、トーロックの方で会合があるとかなんとか、私もよく知らないよ。あの時、飲み過ぎてたから」
「…そうね。ルラーシ三姉妹に二度と、ネネツの地酒は飲まないって言っておかないとね」
二人は自らの酒癖の悪さを転嫁しながらも、ずっと森の中で座り込んでいるわけにもいかないので、ゆっくりと腰を上げた。
「貴族様の狩りがこんなに面倒臭いものだとは思わなかったわ。私のとこじゃ、ヴァ型を走らせて、追い出したのを上から撃つから簡単なのに」
「貴族が歩き回るわけないじゃん。手下やらを繰り出して、獲物を貴族が座っているところに追い出してあげるのよ」
「あら、マンリ。博識じゃないの」
ボッツが褒めると、マンリは無い胸を張って誇らしげにしたが、大方、エリーナルからの受け売りであることは察しがついていた。
しかし、そこを突いて、変に機嫌を損ねるのもボッツは好かなかったし、あえて黙っておきながら森の中をもうしばらく探索することにした。
獲物の痕跡を探し、それを追跡することが狩りの主たる事だが、この二人は人間を追跡する事には稼業柄慣れていたが、動物の痕跡を探すのはまた別の技術が必要であった。
前者の技術でも十分に応用は可能だが、活かすためにそれなりの修練を積まなければならない。
特にこのワフラビア学園の人工森林地帯においては、二人の環境においてこれが全く違った為に、二人は数刻森を練り歩いたが、それらしい痕跡を発見することが出来なかった。
それでも体力自体は桁外れの二人は歩くこと自体は難儀でもなく、装備も軽かった為、半ば、ピクニックのような気軽さでうろついていた。
そして、大分、森の奥まで踏み入れたあたりで、マンリがいきなり発砲した。
「ちょっと!撃つなら撃つでなんか合図しなさいよ」
あまりに唐突なことであったので、ボッツは呆れながら、猟銃の反動で少しひっくり返っているマンリを起しながら諫(いさ)めた。
「だって、音を立てたらバレてしまうわ」
起されながらマンリは平然と埃を払うと、撃った方向へ駆け出していく。
「とっても綺麗な色の羽をしていたもの、きっとそこそこの値で売れるわ」
などと言いながら繁みの奥から仕留めた獲物を引っ張り出そうとしたが、彼女がボッツに対して高々と獲物を掲げようとした瞬間、また小柄な体がひっくり返ってしまった。
どうやら何かに引っ張られたようにボッツには見えて、心配そうに歩み寄るとその原因はすぐにわかった。
マンリの手にしている鮮やかな羽色をした鳥とも虫ともつかない生物は、確かに彼女の放った銃弾によって絶命していることは確かであったが、その長い脚には杭が打たれて木に固定されていた。
「マンリ。妙よ、これ?」
ボッツは獲物の脚を見ながら、その杭を無理やり引き抜こうと悪戦苦闘しているマンリへ声を掛けた。
しかし、彼女は手を離すどころか逆に意地になっている様子で
「そんなこと知らないわっ!これは私が撃ったんだから私のモンよ!」
そう言いながら、足ごと引きちぎってでも持っていこうとする様子を眺めながら、ボッツは改めて獲物の周囲に目がいった。
杭を打たれているのも不自然だが、近くには餌らしき物が盛られた小皿が置いてあるし、動ける範囲内では、ご丁寧に小川まで流れている。
「…まぁ、やっちゃったものは仕方ないわね。残しておいても勿体ないし、胃袋に入れちゃえば証拠もなくなるわ」
ボッツは状況を見て作為的な気配を感じたが、ようやくの思いで獲物の脚を引きちぎり、嬉々としてそれを担いで早く帰ろうと急かすマンリを見ると、敢えて詮索を続けようとは思わなかった。
ドミトリが旧校舎の方に戻ったのは、昼頃になってだった。
二日前から帝都に一時的に帰省し、そこで身内の者と会合を行ってきた。
内容は近々の稼業成果を確認し、ドミトリ自身には親より学園での立ち振る舞いを聞かれ、誉めそやされたが、彼女自身は少し残念な気になっていた。
実家の方としてドミトリはあくまで学生らしく学業に励んでいるよりも、デシュタイヤ家や政敵への牽制をし、エリーナルの様な表面的な後援者を助ける事を重要視している。
それに加えて、武闘派一片な地方貴族のラーバとソートとの仲が非常に良いとの評判も伝わっている為に、実家や家族の方からは受けが良かった。
しかし、彼女は自分が近衛隊士を目指している事実を打ち明ける事は、未だに出来ていなかった。
「逆であればな」
ふと、ドミトリは旧校舎脇の森林地を拓いて設けられた発着場にてそう呟いた。
フェンナーの操る機体に搭乗し、帝都から戻ってきたところで、陽の傾きかけた旧校舎の姿を見ると、やはり廃墟染みていた。
建設当時は華奢な造りであったに違いないが、今では周囲を森に覆われ、壁はツタが這い上り、おまけに壁まで幾つか崩れ落ちているが、それ自体は経年劣化ではなく、つい数日前に皆で爆薬を用いて吹き飛ばしてしまったものだから仕方がない。
「何か、言ったか?」
背後から、フェンナーが機体から降りて来ていた。
主人のような存在であるエリーナルは帝都からの長旅で、まだ機内で休んでいる為にそのままにしているようであった。
「いや…、あいつら程、暇なのが羨ましいと思ったのさ。見てみなよ、バルコニーで肉を焼いている」
「あぁ、肉を焼いているのか。今度こそ、ヘルバルドと抗争になったかと思った」
ドミトリが煙草を取り出す傍ら、フェンナーは冷たい視線をバルコニーへ向けていた。
その様子を見てドミトリは、感傷めいたものを彼女からも感じたが黙っていた。
旧校舎バルコニーでは狼煙の様な煙を上げて、肉焼き大会が繰り広げられている。
ボッツたちが確保した肉自体はごく微量であったが、退屈を持て余していた他の生徒等も森に繰り出し、ボッツとマンリよりも遥かに手際よく猟果を挙げていた。
これにはマンリは大変不愉快で、先ほどまであれほど獲物をどう調理しようか、ボッツと楽し気に話し合っていたのに、他の生徒の大猟をみると途端に自らの成果を供するのが嫌になってしまった。
「そりゃ、確かにアイツらの獲ってきた獲物は、肉はあるかもしれないけど、アタシの獲物ほど優雅ではないわ」
そういうと、マンリはふんぞり返ってバルコニーの壁に高々と綺麗な羽の色をした獲物を、腐るまで飾っておくことにした。
その様には他の生徒たちも笑ったが、あまりに彼女が自尊心を傷つけられたようなので、とやかくは言わないでおくことにした。
しかし、一番、マンリが気に入らなかったのは、普段からどことなく自身の舎弟か子分のような存在だと勝手に思っているルラーシ三姉妹が、遥かに手際よく巨躯を持った野良オコジョを仕留めてきたのが不快であった。
その供されたオコジョ肉が最も目立って、雑な焚火の上で焼かれているのが気に入らなかった。
「やぁ、派手にやっているじゃないか」
そう言って、バルコニーにごった返す生徒の合間を縫って、ドミトリが座って肉を食らっているボッツの前に現れた。
表情は快活であろうとしたが、わずかな疲れを隠せはしなかった。
その時、焼いた肉が盛られた皿を手にし、酒瓶を喇叭飲みしていたボッツは、少し顔を寂し気に曇らせた。
「なによ、ドミー…。帝都に行くなら、機を出したって言うのにツれないじゃないの」
既に若干酔っている様な口調で、絡みつく様にボッツはドミトリを睨んだが、彼女は慣れた調子で肩を竦めて見せた。
「それは悪かったよ。でも、今回の件は実家の仕事みたいなものだから、君を巻き込むわけにはいかないし、そもそも前に言った気がするのだけれど…」
ドミトリは謝罪を口にしながらも、ボッツが帝都に行くことへ多方面から釘を刺されていることを知っていたし、同部屋だからと言ってそれに手を貸すつもりはなかった。
「…まぁ、いいわ。それよりも、マンリを何とかしてほしいわね」
口では謝りながらも、特に手を貸さない意思を伝えるドミトリに、ボッツは諦めた。
そして、足元にあった酒瓶を一つ手渡して、バルコニーの壁際に不貞寝同然に転がっているマンリへ顎をしゃくった。
「一体、どうしたんだい?また、何か悪い物でも食べたのか?」
「そういうわけじゃないわ。ただ、獲ってきたものを誰も褒めてくれないから、拗ねているだけ」
そう言って、ボッツはドミトリにもう一本酒瓶を押し付けてきた。
言われずとも、何をこちらに欲しているのか察せられたが、ドミトリはボッツにも一緒に来るように肩を抱いて立ち上がらせた。
「しょうがない娘だね」
「えぇ、ほんとに」
酔っ払いを半ば抱えるようにして、マンリの方まで歩いていくと、壁際においた荷箱の上に不貞寝している様子の彼女を一瞥しつつ、次にドミトリは視線を壁に飾った獲物へ向けた。
「へぇ、これは珍しいじゃないか」
次にそうわざとらしいまでの声を出したが、元々、ドミトリの口調は大仰なものであったから、聞きなれている者からすれば自然に聞こえる。
「あら、そんなに珍しいの?私はよくわからないけど」
酔った調子に茶々を入れるボッツの小脇を突きながら、ドミトリは言を紡ぐ。
「コイツは南方のビリェイジェだ。人工の猟場とはいえ、数はとても少ないだろうね。見てみろ、この半透明の羽にビロードの様な光沢を美しいだろ?」
彼女は背の高いところで指先に羽を摘まんで、ボッツにもそれをよく見せてみた。
美について特に意識することが少ないボッツは鼻を鳴らして一蹴しようとしたが、ドミトリが調子を合わせろとばかりに睨んでくるので、同室の自尊心を取り戻す協力をすることにした。
「そういうものかしら。まぁ、羽飾りにはちょうどいいでしょうね」
「ちょうどいいって物じゃない。帝都の高級店にはよく並んでいる」
ボッツの慎ましいまでの誉め言葉を出来る限り補強しながら、二三回似たようなやりとりをマンリの前で行っていくと、箱の上で寝そべっていた彼女はゆっくりと頭を上げて二人を見上げた。
「…ホントに凄いと思ってる?」
「あぁ、思っているとも」
「えぇ、脚に釘が刺さっていても、餌がその場にあっても、トドメを刺したのはマンリよ」
ようやくマンリが自信を取り戻しかけたが、ボッツの言葉にドミトリは疑問に思ってその能天気な顔を見た。
「ボッツ、それはどういうことかな?森の中で獲ってきたんじゃないのかい?」
「えぇ、森よ。でもそのビリェイジェはなんだか知らないけど、脚を釘で刺してあって、ご丁寧に餌まで置いてあったわ。でも、まさか、他の捕食生物もいるのに、あんなところで飼っているわけじゃないでしょ?」
それを聞いて、ドミトリの顔から途端に愉快そうな笑みが消えた。
「…それは勿論、飼っている訳ではないよ。大方、他の生徒が狩猟用にわざと生かしておいたのだろう。不味いぞ、ビリェイジェは結構高いから、露見したら賠償問題になる」
彼女が冗談を言う事は滅多にない為に、ボッツの顔も酒気はあったが、少し青くなった。
「なによ。あの鳥だか虫ってそんなに高かったの?」
「高い。一匹丸々なら、そこそこのドレスが3着は買えるさ」
それを聞いてボッツは苦い顔をしたが、当の本人であるマンリは合点がいかない様子で
「それってどれぐらいなのよ」
「君がお気に入りの、そこに立てかけてある猟銃が3丁は手に入るのさ」
「それは高いわね」
ドミトリの回答は非常にわかりやすく、流石のマンリも拗ねてる場合ではなくなった。
「じゃぁ、こんな物さっさと捌(さば)いて食べちゃいましょ。お腹に入っちゃえばわからないわ」
そう言って、マンリは飛び上がりながら壁に掛けた獲物を引き下げようとしたが、ドミトリが止めに入った。
「よせ、ビリェイジェの体内には猛毒がある。焼いただけではどうにもならないぞ」
ドミトリの指摘にマンリは意地になったのか、それからはどうすれば毒が抜けるのか彼女に質問し続け、頑なに獲物を食べてしまおうと躍起になった。
しかし、ドミトリ自身も生物学的にこの獲物に詳しいという訳でなく、言に困っていると、内臓を抜けば問題ないと横やりを入れてくる生徒が現れたかと思えば、皮を剝ぐ必要があると助言がましく言い立てる者まで現れ、そんなような連中が増えてくると徐々に大論争の様相を呈してきた。
旧校舎のバルコニーにて狼煙のように焚かれた煙は、さらに厄介なものまで招き寄せる結果となった。
屋上にて大論争の果てに殴り合いの喧嘩寸前まで進んだ辺りで、騒がしい連中から距離を置いて、冷静さと酔いを保って酒を煽りながら縁に腰を落ち着けていた生徒たちがその異変に気付いた。
人工森の上を低空飛行してくる物体を見咎めたのである。
「おい、あれはデシュタイヤ家のゲラァだぞ」
そう誰かが叫ぶと、ビリェイジェの上手な調理についての大喧嘩に終止符が打たれ、誰しもが空中を凝視した。
確かに誰かが叫んだ通り、それはボッツたちの手打ちを蹴って、先日に毒殺を企てた一族の持ち船であることが、機体に飾られた紋章が示している。
それを確認した途端に、屋上は焼肉大会どころの騒ぎではなくなった。
何人かが慌てて屋内へと引っ込んでいったと思うと、すぐに軽機やらその三脚やらを担ぎこんできては縁に据えた。
そして、また何人かは屋根の天辺に掛けられた布を取っ払うと、そこには旧式ではあるが帝国艦船にも装備されている『3.4fin連装機関砲』が一門設置されていて、これを手分けして回転銃座のように動かし始める。
この一連の動きは現役の兵隊も舌を巻くほど素早かったが、初年特待生の生徒等は生まれつき常に敵対勢力と官憲からの襲撃に身を備える術を知っているだけに、本能的ともいえるほど敏速だった。
「君達、大げさな真似は止さないか。なにも一機でカチコミにくるほど奴も愚かじゃないだろう」
ドミトリはその物騒な光景を見て、周囲の連中の慌てぶりを諫(いさ)めたが、ほとんどの者は聞く耳を持たなかったし、現に同部屋のボッツとマンリも脇の荷箱からリャツカランチャーを引っ張り出している始末だった。
「そんなことわからないわ。あれは斥候でまだ後ろに本隊が控えているかもしれないじゃない」
「仮にそうだとしても、私達なら露知らず、学園の敷地内で攻撃してくることはないだろう」
「なによ。私達が野蛮人みたいな言い方じゃないの」
「…現にそうじゃないか」
ドミトリは筒状の対物兵器を担いでは、早速上空のゲラァに向かって照準している二人に呆れた顔を向けた。
「いいから、待て。全員、待つんだ!一発でも撃ったら、夜伽船でもう二度と割り引いてやらないぞ!」
彼女は大きく手を広げて屋上の連中に叫びたてると、事態はすぐに鎮静化した。
空中のゲラァは初年特待生の迎撃準備に狼狽して、反転して退避しようとしたが、遠目に落ち着いた様子を確認するとゆっくりと慎重に屋上に接近し、搭乗口から梯子を下してきた。
上流貴族の物品は何から何まで派手な装飾が付いているものだが、その垂れてきた梯子にも節々に色の違った綱を織り込む程の芸の細かい物で、それを伝って何人かの武装した下女たちが降下してきた。
その装備は概ね小銃や短銃といった警邏(けいら)部隊程度のもので、相対するボッツたちに対しては貧弱な物と言ってもいいぐらいであった。
こちらがもし大して物騒な態度を見せてこなければ、威嚇か軽い制圧行動でも執るやもしれなかったが、先程の対空砲に対空機銃に加え、対物ランチャーまで持ち出されるのを見ると、武装下女たちの動きはおっかなびっくりなものともとれ、なんとか屋上の一画に場所を空けてもらうと、ゲラァを更に降下させてから搭乗口から自分らの主人を降ろした。
マリシァヌ・クーロヌ・フォン・デシュタイヤは先日にボッツたちとお茶会にて会った時よりは動きやすそうな軽装のドレスを身にまとい、家紋の装飾が施された扇子で優雅な体裁を保ちつつ、威圧的かつ侮蔑的な色を顔に浮かべていた。 部下たちは初年特待生たちに恐れをなしていたが、主人だけはまだだいぶ気丈とも厚顔とも取れる態度を示していた。
「どうも、皆さま。少々、乱暴な現れ方をしてしまって申し訳ありませんね」
そう口では申し訳なさそうな言葉を発したが、その顔には憎悪が浮かんでいることを誰も見逃さなかった。
「いえ、こちらこそ、不躾な対応で…」
粛々とした態度で応対したのはドミトリぐらいであって、他の者は皆一様に、拳銃嚢の蓋を開たり、軍刀の塚に手を掛けていたし、何人かは既に銃把を握っていた。
「構いませんわ。この前のこともありますし、初年特待生の皆々様が苛立ってなさるのも無理はございませんわ。しかし、今回の件は少々、目に余りまわすわね」
マリシァヌは荒くれ者たちに対して一歩も引かないような態度で、目を細めながらドミトリを睨みつけた。
しかし、それは彼女に対してあまりにごく微弱なものであり、精々肩を竦める程度の反応しか得られなかった。
「目に余るといいますと、どの件でしょうか?」
「…ドミトリェヌさん。貴女はもっと賢い方だと思っておりましたが、少々、文を弁える必要があるようですわ」
「さて、なんのことでしょうか…私は卑しい出の者ですから、説明して頂けませんと、理解に苦しむのですが…」
一向にマリシァヌは鋭い目をドミトリに向けていたが、彼女は飄々とした柔らかい笑みを返すだけだった。
「ドミー!こいつ、アンタを侮辱したわよ!撃っちゃえ!」
だが、勝手に周りの連中が火に油を注ぎたがるのか、マンリはドミトリの足元まで駆け寄ってくるとやいのやいのと煽り立てる。
これにつられて、屋上脇でわざとらしく音を立てて軽機関銃を構える生徒まで現れたが、ドミトリはそれを振り返りもせず手で制してから、その腕を下にやった。
「…マンリ、止しなさい。失礼なことを言ってはいけないぞ」
ドミトリはマンリの頭を手で押さえながら諭したが、マリシァヌの視線が小柄な彼女の方へと流れた。
「あら、誰かと思えば、この前の無作法なソート家の令嬢さんではありませんか。…まぁ、確かにこの程度の方々と一緒に居ないとなりませんから、オツムを合わせないといけませんでしょうし、ドミトリェヌさんも思いの外、苦労が多そうですわね」
彼女はあからさまな皮肉を顔中に浮かべて言いのけながら、手にしていた扇子で屋上の壁を指して見せた。
「問題を挙げればキリがないですが、最も困りますのが。あの壁に掛かっているビリェイジェですわ。あの鳥は私たち上級生の休暇の狩猟行事に供する物でありましたのに、下級生の分際で勝手に森に分け入って、私たちの獲物を横取りしてしまうとは何事でありましょう」
「そんなこと知らないわよ!勝手にうろついてたのを撃っただけだわ!それとも、なに?アンタ等の物だって印でもついてるわけ?!」
軽蔑的な視線にうんざりしたマンリが喚きたてたが、それを一括するようにマリシァヌは扇子の先を鋭くマンリへ向けた。
「えぇ、その通りですわ。ビリェイジェだけではございません。先程から濛々(もうもう)と煙を立てているオコジョ肉とて、私達の狩りの獲物であったはずですわ。一頭一匹ずつ、それぞれに生体式タグを付けてあったのですもの。間違うはずがありませんわ!」
そう言って、彼女は脇に控えていた下女に肉腫を掲げるように見せつけさせた。
それは確かに肉腫から発せられる微弱な生体音を頼りに、肉腫を張り付けた物を近距離ではあるが位置を特定する際に使われる代物である。
これを聞いて、屋上に詰めていた初年特待生のうちの何人かがそそくさと屋内へと姿を消し、その中にはルラーシ三姉妹も含まれていることは言うまでもない。
これにはマンリも反論も出来ずに押し黙ると、勝ち誇ったようにマリシァヌは顔を上げて彼女を見下そうとしたが、顔を上げたと同時にドミトリの冷徹な顔が映った。
「なるほど。それは此方が失礼したようですね…。謝ります」
ドミトリは口ではそう言っていたが、先程、背後を制した手を上げていた。
それと同時に、屋根の回転対空銃座と他の射手たちの砲口と銃口が、全てマリシァヌたちに向けられ、ボッツに至ってはリャツカランチャーをゲラァへ照準していた。
「これはこれは…ドミトリェさん程の女性が、道理に反するような真似に出ようとは信じられませんわ」
高貴な彼女は口先だけは気丈ではあったが、流石に多数の銃口と砲を向けられて後退りしないほどの胆力までは持ち合わせてはおらず、脇にて失神寸前に縮みあがっている下女を盾にするぐらいが精いっぱいであった。
「どう捉えて頂いても構いません。言った通り、私は卑しい出の者ですので…」
ドミトリは銃口の群れの中で際立つほどの冷酷な目で彼女を見据えていた。
本来、ドミトリのような顔役が上級生との繋がりを大事にすることが、初年特待生と交渉する際の安全な条件であったが、当人自体がこれを反故にしてくれば、その前提は簡単に崩壊してしまうことを傲慢さからマリシァヌは失念していた。
元々は交渉ごとにおいて、幾度となく死線を潜り抜けてきたトーロック出の令嬢の方が遥かに度胸と胆力と暴力において圧倒的であることを、彼女は思い知らされた。
「いえ!そんなことはありませんわ!貴女ほど勇ましく知力溢れる貴人は学園広しといえど有数ですわ!家の出など関係があるわけありません!」
そして、今度は掌を返したようにマリシァヌはドミトリを誉めそやし
「ほほほ…私も少々、短気を起しまして、誠に失礼をいたしましたわ…。考え直せば、森も広いのですから、そう躍起になるほどの事でもありませんでしたわね…」
後ずさりしながら、マリシァヌはゲラァへと逃げ帰ろうとしたが、ドミトリはそれを逃がさまいとずんずんと歩み寄り、その冷酷な顔を僅かに綻(ほころ)ばせ
「…では、この度の事は不問に為さってくださるのですね?」
と、ほとんど謝っているのか脅しているのかわからない態度で話しかけた。
マリシァヌを追い払うと、女生徒たちは愉快そうな笑い声を上げながら、肉焼きと酒盛りを再開した。
しかし、勝ち誇った表情とはほど遠い顔で、ドミトリは屋上の縁から飛び退るゲラァを眺めていた。
「痛快だったわね」
脇から骨付きの肉をかじりながら、ボッツが気分良く彼女へ話しかけたが、その顔は浮かなそうであった。
「あぁ、それはそうだが、あれだけで諦めるとも思えないな」
「…また、なんか仕掛けてくるとか?」
「十中八九ね。連中の獲物を取ってしまったのは事実であるのだから、何かしらの報復には出るだろう。まぁ、正面切って攻撃を仕掛けるような事まではないだろうが、あの毒女はそれなりに策略を立てるのが好きだろうしね」
「大丈夫よ。ドミーにしてみれば、あんなものアマチュアに過ぎないでしょ?陰謀なら本家本事トーロックの足下にも及ばないわ」
ボッツが励ますように肩を叩くと、ドミトリは気を持ち直したような微笑を浮かべ、ようやく先程から飲みたくても飲めなかった酒瓶をぐっと一息に飲み干すことが出来た。
そして、その後は普段通りの喧騒へと混じっていき、令嬢らしい淑(しと)やかさの欠片もなく騒ぎ続け、それは皆一様に酔いつぶれ、屋上なり屋内なりに泥のように眠りこけてしまうまで続いた。
「───…起きて下さい、マンリさん」
聞き慣れない声の呼び掛けが、だらしない顔で眠りこけていたマンリの上から降ってきた。
昨日は夜中近くまで肉を焼き、酒をかっくらい、屋上の一角で荷箱の上に寝ていたボッツの腹上に寝そべっていたマンリだが、自分の名を呼ばれると鬱陶しげに目を擦りながら起き上がった。
「おはようございます。今日も良い天気ですわね、絶好の狩猟日和ですわ」
楽しげな声でマンリに話しかけてきたのは、エリーナル嬢であった。
しかし、普段の部屋に籠もりがちな態度とは打って変わって、何やら、色の鮮やかな猟装姿をして立っている。
これにはマンリも少し驚いて、しばらく口を利けなかった。
「少し気が張ってしまって、早く起きてしまいましたが、狩猟に赴くのは何かと早いほうが都合の良いものですから…」
事態が飲み込めないマンリの前で、エリーナル嬢は少し気弱そうに急かすような調子に言うが、マンリは困ったように枕代わりにしていたボッツの胸部を引っぱたいて、彼女を叩き起こした。
「何すんのよ!?」
マンリにのし掛かられていても心地よく、いぎたない寝息を立てていたボッツであったが、彼女に叩き起こされると驚いたように跳ね起き、更に猟装のエリーナルの姿に二度驚いた。
「…あら、これはエリーナル御姉様…その…はしたないところを…あー…」
「いえいえ、構いませんわ。それより、ひどいじゃありませんか、ボッツさん。私に内緒で皆様と一緒に森に出掛けるなんて、あんまりですわ。今日は是非とも連れ立ってくださいまし」
そう寂しげにエリーナルは言い立てる中、ボッツは困惑した顔で彼女の背後に同じく猟装姿のドミトリとフェンナーを見た。
有無を言わせぬようにこちらを引っ張り立てようとするエリーナルを、ではコレから用意をするとなんとか躱しながら、ボッツとマンリは一時、ドミトリに事情を聞くために屋内に引っ込んで顔を突き合わせた。
「ドミー、一体どういうことよ、これ」
「…すまん、奴に先手を打たれた」
問い詰めると彼女は顔を申し訳なさそうに俯かせ、事の起こりを説明し始めた。
「どうやら、昨晩の内にマリシァヌが御姉様を狩猟へ誘ったらしい。勿論、奴はデシュタイヤ家だから相手にするわけがないのだが、別の上級生で御姉様と懇意にしている生徒の名を騙って誘いの手紙を速達で寄越してきたと、フェンナーが今朝方に報告してきた。オマケに君達も名指しで誘うように書いてある」
「じゃぁ、フェンナーが悪いわ。アンタ、御姉様のお目付役なら、手紙ぐらい検閲しなさいよ」
ボッツは子細を聞くと眉を吊り上げて傍らにいたフェンナーを睨んだが
「個人事情には立ち入らないようにしている」
と普段通りの冷め切った顔で返してくる。
「兎に角、本人は乗る気でいるし、今更、断るわけ理由を立てるのも困難だ。この手の事を蹴るのは貴族のプライドが許さないだろうしね」
ドミトリはそうキッパリと言い切り、その顔には今更、逃げる余地がないことが示されていた。
「…奴等、森の中で仕掛けてくるつもりね」
そうマンリは二人の足下で楽しげに話しに加わってくる。
「無論だ。何せ、狩りに事故は付きものだ。『流れ弾』というものがある」
ボッツの顔はマンリに叩き起こされた際から二日酔いで弱っていたが、ドミトリの言葉尻を聞くと目が鋭く研ぎ澄まされるのであった。
「だったら、こっちもこっちで備えはさせてもらおうじゃない」
「そうだね。しかし、この前みたいに大がかりな物は持っていけないぞ、ランチャーで狩りをするつもりかい?」
「私達がこれ見よがしに持っていかなければいいでしょ。ルラーシやルクレシオも誘って、手伝って貰いましょ。軽機か対物銃で十分だと思うけど、場合によっては機体だって必要になるわ」
「航空支援ってことだね」
ある程度、追い詰められば追い詰められるほど、ボッツとドミトリとマンリの相談は熱を帯び始めた。
それは正しく狩りを計画する楽しみに似ている。
支度を済ますと一同は森の中へと分け入っていった。
集合場所に向かう段階から、狙われる可能性はあったが、少なくともエリーナル嬢と一緒に居る間はデシュタイヤ家も下手に手出しはしてこないだろうとボッツたちは踏んでいた。
ルラーシ三姉妹とルクレシオはマンリの説得で、手を貸すことを了承したが、その為の要求が彼女にとっては不愉快なもので、一時は姉妹たちの協力を蹴ろうとしたが、そこはボッツとドミトリが仲裁したことで事なきを得ていた。
暫くすると、人工林の内に開けた場所に出て、そこにマリシァヌの姿と派手な猟装に身を包んだ上級生たちが数人屯(たむろ)しており、彼女等を護衛するかのように武装した下女連中が軽く三個小隊は揃っている。
物騒な連中に囲まれながらも上級生たちは芸の細かい刺繍入りの敷物を空き地に広げ、天幕を張り、立派な野営地のその下で軽食を取りながら談笑に耽(ふけ)っていた。
その中へエリーナル嬢は気さくに声を掛けながら無遠慮に入っていく。
当人自体は既に上流貴族生徒グループのはみ出し者であるに違いないが、まだ表だってデシュタイヤ家と繋がりが少ない生徒とは交流があるらしく、思ったより和気藹々とその輪の中へと入っていった。
一方、ボッツたちはその輪の中に鼻から入ろうという気すらなかったが、ドミトリとフェンナーは社交的であったからエリーナル嬢を先頭にして、さりげなく談笑に加わっている様子が見える。
「どうも、こういうところは居心地が悪いわね」
ボッツがそう言うと、マンリも同感とばかりに頷いて、二人はどうせ上級生たちの談笑が済むまでは狩りも始まらないだろうと、二人の『同族』を探しに辺りを彷徨いてみることにした。
ここでいう同族とはワフラビア生徒のことではなく、彼女等の護衛に回っている武装した下女たちのことである。
基本的には庶民出で銃器など生まれてこの方持ったことのないような素人を、無理矢理武装させている程度なのだが、中には軍隊経験のある者や、質が落ちればボッツやマンリたちと同じく賊出身の者も探せばいるもので、現にその手の武装下女という者は彼女等と同じくお綺麗な者達の輪を好かないし入れないので、天幕からはずいぶんと離れた繁みの近くに固まっているのが、空き地に入った段階で目に入っていたのだった。
「あら、誰かと思えばドシュエのとこの末っ子じゃないの」
そう気さくにボッツは顔なじみに声を掛けながら、煙草を指先に挟んで火を貸して貰えないかとマンリと一緒に近付いていった。
「…リューリア馬賊のボンクラ長女とヨダの山猫が澄ましてなんの用かね」
声を掛けられた、如何にもゴロツキ呈をした武装下女のリーダー格が、ボッツの顔よりもひどい傷だらけの顔を突き返してきた。
「ずいぶんな言いぐさじゃないの。これでも割と大変なのよ?アンタラみたいに月給貰ってキレイに働ける身がうらやましいわ」
「知ったこと言うない」
ボッツは皮肉たっぷりに笑顔を向けると、連中は下卑た笑みを返し、煙草の火を徐に寄越してくれたので、それで彼女は紫煙をたっぷりと吐き出した。
「それで、今は何処の家に勤めてんのよ。前にトゥリランとこで金を盗んで追い出されたって聞いたけど」
「それは俺じゃねぇよ。まぁ、ソコのモヤシっこを味見がてらに食っちまったことはあるがね」
ゴロツキ下女は下品な笑みを浮かべると、ボッツもつられて笑い、お世辞にも令嬢の会話とはほど遠かった。
しかし、世間話もそこまでとばかりに、ある程度、笑い続けると、ボッツは不意に鋭い目付きを向けて声音を低くした。
「…それで、森の中で私らを弾こうなんて話はあるかしら?」
そう言った途端に他の下女たちの視線も鋭くなり、そこにはボッツ同様に死線を潜ってきた者特有のどす黒い色が孕んでいる。
「…俺達は関わらねぇが、デシュタイヤのほうで食い詰め軍人を慌てて雇ったという話は聞いたぜ。天幕の近くに詰めてる奴等に混ざってるが、軍隊仕込みの形が抜けてねぇから、よく見りゃすぐわかるだろう」
リーダー格がそう説明すると、彼女は静かに片手をボッツへ突き出し、それに対してボッツは懐から少々分厚い包みを取り出し手渡した。
「ありがとね。あと、これサービス」
軽く微笑みながらボッツはマンリにも促すと、彼女の方は少し上等な酒瓶を渡した。
それを受け取ってゴロツキ下女はしげしげと銘柄を見ると
「なんだよ。ネネツの酒じゃねぇか、俺は帝都蒸留しか飲まねぇぜ」
といって不躾に突き返してきた。
「あら…それは悪かったわね。じゃぁ今度は1カートン送るわ、ちゃんと裏口にね」
仕方なしにボッツはその酒を懐にしまい直すと、一同に手を振って離れようとしたが、去り際にリーダー格が呼び止めた。
「…一つ言い忘れてたがよ、その雇われた奴等は『戦車兵』だぜ。森の奥にバカでけぇのを一台隠してるのを見たよ」
そう言われるとボッツとマンリは顔を見合わせたが
「それは良いことを聞いたわ。良い『狩り』になりそうね」
二人とも楽しげな笑みを浮かべて一同から去って行った。
「君達、何処に行ってたんだい?」
天幕の近くに二人が戻ってくると、ドミトリが歩み寄ってきた。
「ちょっとした情報収集よ。ドシュエの末っ子があっちにいたわ」
「あの殺し屋たちか。…彼奴らが狙っているのか?だと、すると分が悪すぎるぞ」
「まさか。もし、そうだったら、悲鳴を上げて家に飛んで帰ってるところ」
ドミトリの問いにボッツは戯(おど)けるように肩を竦めながら返した。
「それは幸先がいいね。こっちも段取りを聞いたが、我々は森の奥に張る取り決めだそうだよ」
「あ、そう。じゃぁ何が起きても『事故』で済むようなトコなのね」
「その通りだ。私達を安心させるために、上級生のドッタラン家の令嬢も一緒に持ち場を張るそうだが、どうもね…」
そこまでいうとドミトリが言い淀み、視線を天幕の方へと投げかける。
その視線を追うと、天幕の元でエリーナル嬢と談笑している髪型が特殊な女生徒が目に入った。
後ろの髪を左右に長く分けては、髪を螺旋状に巻いた様は、中々奇異な上流帝都民の髪型の中でもさらに特異な部類に見える。
「確かにあれは手強いわ。きっと、あの髪で刺してくるつもりよ」
マンリは本気で警戒したような口調で言ってのけたが、ドミトリは溜息を吐いた。
「そんなわけないだろう、あれは帝都で流行っているんだ」
「何よ、勿体ぶって、あの女もデシュタイヤ家の一派なら構わずやるだけのことよ」
「いや、そうじゃない。ドッタラン家は南パで銃器製造を生業にしている新興貴族で、最近、帝都の古参業者と折り合いが悪いらしい。私の勘だと、デシュタイヤは私達もあの女もまとめて消しにくるだろうね」
ドミトリは自身の推測を満足げに話しながら、煙草を胸ポケットから取り出して口に咥え
「さて、生贄の羊同士、挨拶ぐらいはしておこうよ。今まで話していたが、悪い御仁じゃない。君たちの実家が大口の商談相手になるかもしれないと踏んでいる様だ」
大仰に話しながら、二人に笑みを向けた。
実際のところ、ドッタラン家の令嬢『ソフィア・ドッタラン・テーゼリア』は好人物であるらしかった。
長い金髪の特異な髪型ではあったが、その表情には初年特待生に対して、見下すような感情はおろか、距離を置く様な姿勢も見せず、逆にドミトリに紹介されると積極的に握手を求めてきたほどであった。
「まぁ!貴女があの高名なラーバ家のっ!御高名は我が一族にも轟いておりますわ!」
そう甲高い声で叫びながら迫られると、流石のボッツも狼狽したが、その顔にはあからさまな商魂が宿っていることがすぐに察せられた。
「えぇ、それはどうも…。ドッタラン家と知り合えてこちらも光栄だわ。ね、マンリ?」
「そうね。けど、アンタんとこのファルゼ小銃は使わないわよ」
ボッツは好意的な応対をしてみせたが、ソフィアの長く垂れた髪の毛の先を無遠慮に弄っているマンリはそうはいかなかった。
元より、実家が南パに近い為か、稼業で用いる品もドッタランとは縁(ゆかり)があるだけに、彼女は自己紹介がてらに製品の売り込みを始めそうなソフィアの態度が癪(しゃく)に障ったようであった。
「あら…、それはどうしてでしょうか?」
「決まってるじゃないの、銃把と用心金が離れすぎてるのよ。あれじゃぁ大男の手じゃないと握れたもんじゃないわ。やっぱりファルゼはアイグ製よ」
そう言って、マンリはこれ見よがしに自身の華奢な掌を握ったり開いたりして見せてくる。
切実とも皮肉とも取れるようなマンリの表現に、ソフィア嬢は申し訳なさそうな顔を見せてから微笑を浮かべた。
「確かに、その通りですわ。我が工房の造りはあくまで軍用の拵え品でございますから、どうしても使いやすさよりも数を揃えるために作りを安くしてしまうのです。ソート家は僭越ながら『実践』的なお家柄と伺っておりますが…」
畏まったような口調でマンリに対して首を垂れたソフィアは、背後に控えていた使用人に声を掛けると、静かに頷いた使用人は天幕の奥に積んである荷物から、布に包まれた長い筒状の物を運んできた。
そして、マンリの前に屈んで使用人が布を取っ払って品を見せてくる。
「宜しければ、これをお使いくださいませ。お近づきの印と思ってください」
ソフィアはそう言って、マンリに品を勧めた。
それはマンリが言っていたファルゼ小銃であったが、握りやすい銃把を備えている形をしており、ドッタランの新製品とも言えたが、それを脇から見ていたボッツには帝都アイグ工廠製の模造品のようにしか見えなかった。
「悪くないわね」
マンリは自身の身体よりも長く大きい小銃を事も無げに手に掴んで、人のいない方向へ素早く構えて見せた。
「えぇ、我がドッタラン工房で制作しました新製品ですわ。見かけはアイグ製と非常に似通っておりますが、これは半自動式となっておりますの。8mm口径となりますわ」
「あ、そう。中身はゼキマスチってこと」
マンリが小銃を一見して構えたまま、彼女は冷やかし交じりにそう言って見せた。
これにはソフィアの顔に一瞬苦い色が浮かんだものの、それを打ち消したのもマンリであった。
「構わないわ。どうせ、あの銃の握りは使いにくかったから、こっちのが断然マシよ」
新製品といいながら、外見はアイグ工廠で、おまけに機関部はアーキル軍の技術を流用していることが脇に居たドミトリには理解できた。
アーキルのゼキマスチ小銃自体は汎用性が高く、長い間、敵国に使われている代物であるが、その機構を帝軍銃器に構う事なく取り入れるとは大胆ではあるが、確かにこれは商売敵を増やしそうなやり方と言えた。
「いいわね。とってもいいわ!良い狩りが出来そう!」
ドミトリの考察を他所にマンリは新しい玩具を手にした子供の様にはしゃいで見せ、ソフィアは満足げに会釈してみせた。
その後、暫くして、一同は上級生の指図の下に大人しく指定の狩場へと赴くこととなった。
人工森林内の整備された道を、低く浮遊するゲラァに乗って向かった先は他の上級生たちの配置とは最も離れた場で、樹上に板を張った足場であった。
ゲラァから降りると、足場の縁にそれぞれに猟銃を据えて、樹下に現れた獲物を撃つような具合の様だった。
「…ここじゃ、案の定、逃げ場がないね。良い的だ」
ドミトリは未だに意気揚々とソフィアと談笑しているエリーナルを放置しつつ、足場の縁に立ってボッツとマンリに言った。
「相手は戦車と聞いたわ。どうせ、ゼキ辺りが関の山よ」
ボッツは楽天的に言って見せたが、猟装で正規軍戦車とやり合おうという時点で正気の沙汰には思えなかったし、マンリに至っては
「早く出てこないかしら、ウズウズしちゃう」
等と新品の小銃程度で、相手をする気でいるらしい。
ドミトリはそんな能天気な二人を眺めながら、煙草を胸ポケットから取り出して、一応、落ち着くために一服つけることにした。
紫煙を吐き出しながら、樹海に目を向けると、木々の合間に異様な巨体が動くのを見出した。
これには咥えた煙草を吐きかけそうになったが、既にマンリとボッツが視認していたらしく、傍らで縁に早速、得物を据え始めている。
「思ったよりデカイわね。足があるわ」
「ヴァ型となんかと比べ物にならないわね」
口々にそう言いながら、行楽で珍動物を見るような調子に二人は楽しそうにしているが、ドミトリの方は気が気でなかった。
「…確かにあれは珍しい。歩行櫓(ろ)ヌタだ」
そう苦々しく呟いたと同時に、静寂を破るように立ち塞がる木々を易々とへし折って、その巨体は此方の足場へと向かってきていた。
それはトーチカ砲台に足が生えた様な代物だった。
かのカノッサ湿地戦で使用されたことは軍発行の書籍で見た事があるが、実物を見た事はこれが初めてであったし、出来れば生で見たくはなかった。
「ボッツ!マンリ!奴の注意を引いてくれ。私は二人を下げる」
歩く小さな要塞が迫るなかでも、ドミトリは冷静に指示を飛ばし始めた。
しかし、そんなことなど他所に、青くなっているソフィア嬢は別としてエリーナル嬢は無邪気に大型獣の登場だと思い、はしゃいでいた。
「注意を引けったってねぇ。やだ、主砲を向けたわよ」
そんな様子を尻目に、ボッツとマンリは射撃をヌタへ向かって見舞ったが、勿論、何の効果も見受けられない。
逆にドミトリの言葉通り、彼女等に相手の注意が向いたために、主砲の黒点がまざまざと彼女の目に入り、ボッツは困ったような声を漏らし、同時に二人は足場から跳躍し、近くの枝へと飛び移った。
次の瞬間、轟音と共に足場は砲撃によって砕かれ、宙に木っ端が舞う。
「ふざけちゃって、相手が陸軍なら、こっちは空軍を呼ぶまでよ」
樹枝に身を隠しながら、ボッツは腰に指した発煙筒を二本引き抜き、近くのマンリに一本を投げ渡す。
これを慣れた具合に受け取ったマンリは、背中にファルゼ小銃を回すと、器用に樹上に向かって登り始めた。
「ボッツはルラーシたちを呼んで!アタシはヌタにマーキングする!」
「いいわ、終わったらドミトリに危険手当になんか、奢って貰いましょ」
二人は素早く段取りを取り決めると、即座に行動に移した。
ボッツは地上へと飛び降りながら、発煙筒を地面へ向かって投げつけ、そこから噴き出す煙に身を晦(くら)ました。
敵対するヌタは相手の対応の速さに狼狽したが、それでも辺りに掃射を加え始めた。
木々はなぎ倒され、煙が舞ったが、それでも鬱陶しい程に場所を変えながら、散発的に撃ってくるボッツを仕留める事は容易な事ではなかった。
それから、暫くするとドミトリも引き返してきたのか、牽制射が視界の悪い森のあちらこちらから見舞われる。
本来、ヌタはその一発目の砲撃で全てを完遂しなければならなかった為に、戦闘が長引くことを考慮していなかった。
如何に巨大で装甲と火力を有していたとしても、少数の散らばった相手を掃討するには、この歩行櫓は適していなかったのである。
そして、10分程、銃撃と砲撃が交じり合う中、不意にポンっと音を立てて、ヌタの上部から赤い煙が立ち上り始めた。
ボッツとドミトリがヌタを牽制している合間に、マンリが樹上から発煙筒を投げつけたのだが、この煙には特別な意味があった。
「煙さえ上がれば、あとは大丈夫だ。巻き込まれないうちに引き上げよう」
木々に身を隠しながら、ドミトリがボッツに手招きをしたが、彼女は猟銃を未だに構えたままだった。
「まだ、マンリが近くにいるわ。呼んでこなくちゃ」
「彼女なら、別に勝手にやるさ。引き際が肝要なことは、君達が一番よく知っているだろ」
退くことに少し躊躇したボッツをドミトリは引こうとしたが、そこへヌタの砲門が此方を向いた。
思わず、あっと声を漏らした二人だったが、次の瞬間に弾け飛んだのは歩行櫓の方であった。
ヌタの前面上部へ何か火線が走り、そのまま派手に爆発し炎上を始めたのである。
見上げれば、ヌタの頭上にはボッツの発煙筒から立ち上った煙を頼りに飛来した、ルクレシオの機体が頭上を旋回し、その側面にはルラーシ三姉妹が固定して据えたのであろうリャツカランチャーからも煙が薄く登っているのが見えた。
「間一髪だったね」
ドミトリは得意げな笑みを浮かべながら、上空のルクレシオ機に手を振った。
彼女自体は長期休暇で旧校舎には居なかったが、帝都の高級宿に滞在していることを、トーロックの情報筋から探り、面白いことがあると呼んだだけで飛んできたのだから、大変頼りになった。
黒煙を頭上から吹き上がらせ、ヌタはその場に崩れ落ちていき、機内で火災も発生したのか、中から搭乗員達が我先に脱出していくのが見える。
一つ厄介ごとが片付いたので、ボッツは煙草を口に咥え、満足げに紫煙を吸い込んだ。
「アイツらは始末しなくていいの?」
「どうせ、雇い主の方で消すだろうさ」
ドミトリに声を掛けると、彼女も同じように煙草を取り出し、ボッツの吸っていた火を借りては紫煙を吐き出していた。
「──…見てっ!アタシの獲物が一番大きいわ!」
快活な声が頭上から降ってきたと思うと、マンリが搭乗員のほとんど逃げだしたヌタの上に立ち、勝ち誇っていた。
「そうね。背中にぴったり、マーキングしたのはアナタだし、私はそれでいいわ。ね、ドミー?」
「構わないよ。あの子が満足ならね」
二人は昨日よりよっぽど機嫌のいいマンリを見上げながら、皮肉気に肩を竦めて見せるのであった。