お賊嬢様#5『ドミトリ、楽器をたしなむ』

 

 

 登場人物

 ・ ボッツ・フォン・ラーバ

 本作の主人公。リューリア地方の馬賊出身。ある程度、楽器は出来る。

 ・ マンリ・ソート

 ボッツの学友。ヨダ地区山岳地帯の山賊出身。小柄だが、楽器は問題なく出来る。

 ・ ドミトリェヌ・ソヌベバリ・クレシュエンコ

 通称ドミトリかドミー。ボッツの学友。トーロック団出身。絶望的不器用

・ ルラーシ三姉妹

 ボッツたちとよく連む姉妹、ネネツ地方の雪賊出身。常に三人でいる

 ・ ルクレシオ・ハマツ

 ボッツの同級、バセン隷区の監督地主出身。非情に大柄で豪快だが、繊細な指使い。

 ・ フェンナー・シバレッチ

 ボッツの同級、トーロック団出身。エリーナルの護衛役。冷たい。

 ・ソフィア・ドッタラン・テーゼリア

 女学園上級生。南パを拠点とする新興銃器メーカーの令嬢。

 ・ベッシェル・チェルガロス

 女学園上級生。エリーナル嬢と親交のある演奏家。 

 ・ボイグ・リッディン・ハルベルダー

 初年特待生。帝都近郊の盗賊出身、両腕が鋼鉄製の義手で異名は『鉄拳のハルベルド』

 

 

 ワフラビア学園本校舎の周囲には青々とした人工森林が広がっている。
   毒々しいまでの帝都の地表部を思えば、深緑は贅沢であり、貴族たちの特権のひとつであった。
   その貴重な森林の深くで、人一人分の穴を掘った一団があった。

 「だらしがないわね。墓穴一つさっさと掘れないの?」

 そう苛立たしげにボッツは吠えながら、大型拳銃を手許で転がした。
   いままでその穴を掘っていた年増の女は、疲れ果てたように穴を掘り終えると、猿ぐつわを口に噛ませられながらも何やら泣き言らしいことを、必死に何か並べ立てたが、それに対して彼女は一切の慈悲を見せなかった。

 「アンタがうちの『競ヴァ』にイカサマ仕掛けて、大金分捕ったことはとっくにバレてるのよ。オマケに子飼いの騎手まで手を掛けたのもね」

 そう言いながら、女に拳銃の先で跪(ひざまず)くように促した。
   彼女は逃げるにしても、狼のように獰猛なボッツ一人から逃げおおせるのも至難の業であったし、それに加えて後、2つの銃器があれば、万が一にも逃走は不可能だった。

 「お嬢様学園の土になれることをせめて慰めに思いなさいな」

 ボッツは表情に憎悪も憂いもなく、平静そのものに皮肉を言いのけると銃口を、慈悲を乞う女の眼前に向けた。
   それはボッツにとって、ごくごくと普通の仕草で朝食を食べることぐらい気軽な事であったが、脇に立っていたドミトリがボッツに待ったを掛けた。

 「…ボッツ、止した方が良い」

 「何よ?また?」

 ボッツは不満げに彼女を見返したが、ドミトリはボッツの手にした拳銃を指差していた。

 「別にやるのを止めはしないが、そのハジキは不味い、音が大きすぎる」

 「いいじゃない。その分、派手に脳漿が飛び散るわ」

 「片付けるのが面倒だ。それに、音を聞きつけられてもいけない」

 確かにドミトリが指摘するとおり、ボッツの拳銃は口径が大きく炸薬も多い、この手の仕事に向いた代物では無く、どちらかといえば猛獣狩り用のそれであった。

 「えー…折角、大枚叩いて買ったばかりなのに…」

 「新品をこんな事に使う奴があるか、足のつかない物にしろと何度言えばわかる?」

 「そりゃぁ、トーロックの流儀じゃ色々気にするだろうけど、リューリアじゃ埋めればそれまでなんだし…」

 「大体、君は大雑把過ぎる…」

 ドミトリが説教がましく言い出すと、二人は森の中で口論を始めだした。
   それを見てわずかに寿命が延びたことを穴の底で女は当惑しかけたが、口論はすぐに無理やりにドミトリが切り上げた。

 

 「もういい、私がやる」

 ドミトリは手頃な大きさの、銃身に消音器のような膨らみの付いた拳銃を構えた。
   女の恐怖に凍り付く表情が眼前に飛び込んでくるが、これ自体はトーロックで見慣れた事であったし、彼女自身が手を下した案件も幾つかあった。
   しかし、元はと言えばボッツが持ってきた話で、こっちが手を貸す理由などなかったのだが、ここのところは特に考える事もなく無意識に加担してしまっている自分がいることに少し嫌気がさしていた。
   地方の賊たちと都市部地下組織の考え方がもともと合う訳もなかったが、学園生活も少し馴染み始めてきた辺りで少し壁を感じ始めている自分もいる。
   ある程度の汚名を着てもなお、建前上は淑女たるものを目指す生活に憧れはしていたが、気が付けば随分と物騒で血生臭いことばかりに手を染めているし、そのようなことの仲裁にばかりをしていて気が滅入る。
   そんなものだから、柄にもなくわずかに逡巡(しゅんじゅん)する間にドミトリの耳は遠くで何かの旋律を聞きつけてしまった。

 「待て、誰かいる」

 銃口を降ろしながら二人を手で制して、音のした方を指さした。
   にわかにボッツの顔が気色ばみ、また大型拳銃を握り直そうとしているが、それを更にドミトリは制した。

 「君はまだ、穴を増やしたいのか。私が見てくる」

 わずかに声音に怒気を孕ませながら、ドミトリは二人をその場に置いて、音のした方へとゆっくり歩いていった。
   誰かに現場を目撃されたかもしれないが、少なくともあの二人よりは穏便に事を済ませられる経験と実績はドミトリにはあった。

 

 音の方向へ距離を縮める度にその音色は鮮明なものとなっていった。
   そして、森が開けて空き地に出ると、木陰に上品に座り、何やら縦に長い動物性の角と、スカイバードの小さな浮袋めいたものが合わさったような楽器を吹いている麗人がいた。
   演奏に熱心なのか、目は閉じられたまま指を角と袋にそえ、そこから柔らかく耳に心地よい旋律が続けられている。
   病的に細くしなやかな体に、長い黒髪の編まれた髪の毛は高貴な色を感じさせるが、若い見かけの割には随分と白い物が混じっている。
   しかし、ドミトリが数歩近付くと、麗人は目を閉じたまま彼女の足音がした方向へ不安そうに首をもたげた。

 「…誰でしょう?」

 楽器と同じような優しい音色をした声に、逆にドミトリは少し戸惑った。
  ドミトリは拳銃こそ裸でぶら下げてはいなかったが、いつでも抜けるような独特の手の構えを崩してはいなかった。
  麗人の問いに答えるべきかドミトリは逡巡した。
  仕草から見て若干視力が低いように見えるが、かといって放置して引き下がるには距離を詰めすぎたと迂闊な自分を内心なじった。

 「初年特待生のクレシュエンコです」

 名乗りながら、バツの悪さをドミトリは感じ、麗人の姿に目を当てた。
   着ている制服から、上級生であることは伺えるが、相手が誰であるかは把握していない。

 「私はベッシェル…ベッシェル・チェルガロスと申します」

 麗人が名乗ってから、ドミトリは記憶に適合する名前があることに気付いた。
   エリーナル嬢の様な上級生同士の政争に敗れた家名の貴族に、そんな名前の生徒がいたはずである。
   上級生名簿に在籍はしているが、実際の扱いは大分、宙ぶらりんで留年同然とあると聞いている。

 「こんな森の深くでお会いできるとは光栄ですわ。ご武勇はエリーナルさんから、聞いておりますよ」

 ベッシェルはそう言いながら、楽器を操っていた手を止めた。
   初年特待生たちで世話になっているエリーナル嬢の交友関係は未だに広い事を痛感させられるが、ご武勇といってもそれは公に口に出せそうな物ではなかった。

 「こちらこそ、素晴らしい演奏を聞くことが出来まして僥倖です」

 お世辞を返しながら、ドミトリはこの相手なら特に問題もないであろうと踵を返そうとしたが、意外とこのベッシェル嬢はしつこい性分のようらしく

 「そうですか。私、ここがお気に入りなのです。小鳥のさえずりや木々のざわめきというものは、帝都では味わえるものではございませんからね。産業塔の天辺に庭を造る方もいるそうですが、やはりコチラの方がより自然で体によく馴染むといいますか…」

 明らかに話し相手を求めているような口ぶりで、麗人はドミトリに迫ってきていた。
   小鳥のさえずりどころか、少し離れた場では年増女の泣き叫ぶ声が響いていたのだとドミトリは内心思ったが、そんなことはおくびも出さずに、彼女の話に相槌を打つことが精いっぱいだった。

 「──その、森の音色にですね。耳が研ぎ澄まされていきまして、楽器の音色を合わせると、よりよく調和され、帝都の楽団にも負けないほどの壮麗さを演出できるのだと思うのです」

 「えぇ、仰る通りだと思います。帝都の演奏会は確かに、格式ばかり重んじている様な毛色は感じられますね」

 全くといっていいほど、楽器演奏については興味も経験もドミトリにはなかったが、それでも帝都の実家によれば演奏会を鑑賞しにいったこと自体は何度もあるので、思ったことを適当に幾つか口にしたが、それがますますベッシェルの興味を惹いてしまったらしく。

 「流石でございます、私もそのように思っていましたの。是非、貴女とは素晴らしい演奏をしてみたいものですわ」

 興奮したような口ぶりでベッシェル嬢はそう言うと、手にしていた楽器を無理にドミトリに押し付けてきた。

 「これは?」

 思わず狼狽したまま、ドミトリは彼女から楽器を受け取ってしまったが、その時には既にベッシェル嬢は素早く木陰から立ち上がり

 「御貸し致します。また、来週のこの刻限にここで友人を連れて、演奏会を致しますので、是非来てくださいまし。曲目はシュエレンの70年代のもので宜しいでしょうか?」

 矢継ぎ早にベッシェルは捲し立てながら、空いているドミトリの片手を細い体のどこにそんな力があったのか強く握ってくる。

 「えぇ、まぁ」

 駆け引きについては強かったドミトリではあったが、妙な押しの強さには弱く、曖昧な返事をしてしまうと、相手は全て快諾だと受け取ってしまい

 「きっと、来てくださいましね!」

 と、満面の笑みで断るに断れない場を作り切ってしまっていた。

 

 一向に戻ってこないドミトリを心配したボッツは、また懲りもせずに大型拳銃を掌に遊ばせては、何かあったのではないかと心配というよりは揉め事を期待しているマンリを引き留めるのに苦労していた。

 「ドミー、大丈夫かしら。全然、戻ってこないじゃない」

 「心配ないわよ。トーロックのスマートなやり方ってのがあるでしょ」

 「何よ。それ」

 「そうね…。デナルでも掴ませるんじゃないの?」

 実際に、トーロックのやり方がどのようなものであるか、ボッツはさほど知らなかったが、少なくともドミトリが自分らと同じようにすぐに銃や拳に頼る様なことはないことはわかっていた。
   しかし、そんな彼女でもある種の厄介ごとを抱え込んでくるということはあるもので、元来た道からドミトリが戻ってきたとき、二人は彼女を見て小首を傾げた。
   だが、それはドミトリ自身も同様であった。
   なぜなら、先程まで穴の中にいた年増の女が穴の縁にどっかりと腰を下ろして、疲れ切った顔で一服していたのだ。

 「どう、大丈夫だった?」

 そうボッツは声を掛けながらも視線は、ドミトリが携えている楽器に注がれていた。

 「問題はない。…しかし、そっちの女はどうしたんだ?」

 彼女はそう返しながら、穴の縁に座っている女に怪訝な目を向けていた。

 「それがね、ドミー。聞いてよ。アンタが向こうに行っちゃうから、マンリがさっさと片付けちゃおうって言うんだけど、やった後で服を脱がせるのが面倒だから、自分で脱いでもらおうと思ったわけ。そしたら、身分証明書が出て来てさ。改めてみたら、人違いだったのよ」

 「人違い?それはどういうわけだい?」

 ボッツのごくごく世間話の様なお気楽な口調で話される物騒な言葉に、ドミトリはいよいよ顔を苦くして詰め寄ると、彼女は手をひらひらさせてあっけらかんと答えるのだった。

 「元はハルベルドが犯人を捕まえたから、私に始末させてやるって運んで来てくれたのだけど、よくよく聞いたら、こいつアイツのとこで下手打った部下だそうでさ。全然、競ヴァとは無縁だったの」

 「こいつっ」

 思わずドミトリはへらへらとしたボッツの顔に平手を放ったが、それで動じる女でもなく、痛打などどこ吹く風とばかりに、煙草を胸ポケットから取り出しくわえるぐらいだ。
   逆にビンタをかましたことで彼女が小脇に抱えていた楽器が落ちた事の方へ、呑気に興味が行く始末であった。

  「危うく、無駄な事をするところだったじゃないか」

  「そうね。けど、もう済んだ事よ。人違いとはいえ、どうせハルベルドのトコにもアイツは戻れないだろうし、無礼をしたから、マンリのとこの実家で匿ってやることで勘弁してもらったわ。あいつは帝都郊外の賊だから、ヨダの山奥まで手は出せないわよ」

   ボッツの説明を聞きながら、ドミトリは大きなため息を吐いて、そんなところへ落ちた楽器へと話を向けた。

 「ところで、なんでそんな物持ってるのよ?」

 「あぁ、貰ったんだ。でも、それはどうでもいい。ハルベルドの方はどうするんだ?」

 「どうするって危うく弱みを握られるところだったから、落とし前をつけてやるわ」

 「仮にも同級生なんだから、平和的に済ませてほしいものだね」

   ドミトリはきっと、ボッツがそんな器用な真似は出来ないとよくわかっていながらも、色々とあって疲れたために深く考える気も起きず、とりあえず楽器を拾い上げながら、森を三人と不幸なもう一人とで、共に去ることにした。

 

 次の日、ボッツは騙されるところだった案件について、仕事を回してきたハルベルド当人をとっちめると言って、勝手にやってくれと、面倒そうに見送るドミトリを置いて、血気盛んなマンリと共に部屋を後にしたが、交渉の結果は十数分後に鳴り響いた銃声が示していた。
   部屋を出てすぐに廊下でハルベルドこと『ボイグ・リッディン・ハルベルダー』に出くわし、昨日の人違いについて単刀直入にボッツは切り出したが、元々お互いに冷静な交渉に長けてはいないので、すぐに怒鳴りあいの口論に発展した。
   仮にあの不幸な女を埋めることになっていれば、あとは当局に知らせてボッツを実行犯として吊し上げる予定であったことは問い詰めなくても、怒りに身を任せたハルベルドは自白してしまったし、動機と経緯が以前にボッツがハルベルド家の所有する船を襲ったことに端を発していることまで怒気に任せて吐き捨てていた。 
   すぐに水掛け論となり、ついてきたマンリもやっちゃえやっちゃえと仲裁などせずに全力で囃し立てたこともあり、ボッツは怒髪天をついて拳銃を引き抜き、間髪いれずにハルベルドに発砲した。
   しかし、ハルベルドもボッツが銃を抜いた時点で既に両腕を守るように構えており、彼女の放った弾丸はハルベルドの腕に弾かれて壁に当たっている。
  『鉄拳のハルベルド』という異名が初年特待生の間で囁かれるほど、彼女の義手鉄拳は異様に固く、今度は反撃の殴打をボッツに浴びせかけようと突っ込んでくる。

 「マンリ!手伝ってよ!」

 突っ込んできたハルベルドの拳を、身を捻って躱しながら、その腕に組み付いたボッツがマンリに叫ぶが、囃し立てた当人は面白い見せ物程度にしか思っておらず距離をおいている。

 「ダメよ。私が入ったら賭けになんないもの」

 そういって、騒ぎを聞き付けてきた他の生徒へ賭けの胴元のように振る舞う始末だった。

 「くたばりやがれっ!リューリアの雌馬!」

 ハルベルドが怒号をあげながら、組み付いたボッツの腹部を膝で蹴りあげてくるので、衝撃と痛みに呻きをあげたが、ボッツも負けてはいられないと、さらに絡み付くように身をよじって腕を彼女の首に掛けた。

 「汚い言葉を使うんじゃないわ。この鉄屑女ぁぁ…」

    腕に力を込めながら、ボッツはその鍛え上げられた首を締め上げようとし、相手も負けじと腹部に肘鉄を食らわす。
    お互いに死線をくぐってきた者同士、そこら辺の見世物喧嘩とは気迫が違うために、見物と賭けにまわる生徒はすぐに増えてきた。

 

 この死闘を生徒たちはそれなりの賭け金を掛けて、固唾を飲んでマンリも見守っていたが、不意に二人の決死の表情が苦痛に歪んだ。
   それは他の生徒たちも同様で、廊下に急に耳障りな死にかけのクルカのような音色が響いてきたからである。
   あまりに不愉快な音に、二人も勢いが殺がれて体が離れ、思わず音のしてきた方を見てしまうほどだった。
   それは、どうやらボッツたちが住処にしているバルコニーの方から聞こえて来るらしく、ボッツもハルベルドも鬼の形相で争っていたのを一時止め、この不快な不協和音を止めない事には殺し合いもできないと、二人の意見は一致し、その音の原因を探ることを優先することにした。
   そして、争っていた二人を先頭にして、バルコニー内へ踏み込むとそこには、神妙な面持ちで、如何にも不器用そうな指で楽器を操るドミトリがいた。

 「ひでぇ音だ。うちの親父より下手くそだ」

 「あら、同感ね。お袋の演奏より下手だわ」

 音を聞いてボッツもハルベルドも辟易しながら、闘争の熱はとっくに冷めきってしまった。
   呆れ果てたのはマンリも他の生徒も同様で、中には耳を塞いで奇声を上げながら逃走する者もいたほどだ。

 「ちょっと、ドミー。何をしてるのよ」

 ボッツは奇声を上げながら窓から落ちた生徒を尻目に、ドミトリへ話しかけたが、当の本人は自身の演奏に聞き入っているのか、しばらくはその音響兵器の操作を止める気がないらしかった。

 「いい加減にしなさいって」

 そう言ってボッツが小突いてから、ようやくはっとしたような面持ちで演奏を止めると、ドミトリは不思議そうな顔で彼女等を見渡してくるのだから、また一同は困ってしまう。

 「どうしたのだい?みんな、雁首(がんくび)揃えて」

 「どうしたのじゃないわよ。急にそんなこと始めて、らしくないわ」

 「君にそんなこと言われるとは心外だね。仮にも貴族学園の生徒が、楽器ぐらい嗜(たしな)んでも変な事はあるまい」

 そう澄まして、もう一度楽器に指を掛けようとするので、今度は生徒全員で飛び掛かる様にして、ドミトリの動きを封じるのに必死になった。

 「待って、兎に角、落ち着いてよ、ドミー」

 思わずボッツも狼狽しきった声を出すので、流石にドミトリは怪訝な顔をして皆をみやった。

 「別に私は落ち着いているよ。それに、ボッツ。そこのハルベルドと話し合いをするのじゃなかったのかい?」

 「えぇえぇ、それはいいの!しっかり話はついたわ。円満にね!」

 そう言ってボッツはハルベルドを弱り切った顔で見やったが、それは彼女も同様であった。

 「あぁ、万事、片が付いた!これからは仲良くやろうじゃねぇか!」

 ハルベルドも普段の粗野な口調はそのままにだが、その顔には必死なまでの作り笑いを浮かべていた。

 「そうか、それは良かった。じゃぁ、私を放っておいてくれ。練習を続けないと…」

 ドミトリは微笑を浮かべながら、また楽器に指を掛けようとするので、一同は今度はさらに詰め寄ってそれをなんとか止めさせようとしたが

 「お願い!ドミー!アタシ、まだ死にたくない!」

 マンリがおふざけ半分、本気半分で叫びたてるまで、ドミトリの演奏に不幸な生徒たちは付き合わされる羽目になった。

 

 「…そうか、私はそんなに不器用なのか」

 項垂れながら、ドミトリは寝室の椅子に腰掛けて視線を床に落とし、煙草を指に挟んでいた。
   先程のバルコニー独奏会はなんとか収まったものの、皆の様子に怪訝なドミトリを隣の寝室部屋へとボッツとマンリは引っ張り込み、そこで急な演奏について聞いてみたが、本人自体はあれがそんな被害をもたらしモノだと自覚していないために、理解させ訳を言うまで、相当な時間を要した。
   結局、口べたなボッツやマンリが言うよりも、大分離れた位置にある部屋のフェンナーとルクレシオが押しかけ文句を言わない限り、ドミトリはこうも落胆することもなかっただろう。

 「あれほど酷い音は聞いたことがない。エリーナル様が発作を起こしかけた」

 フェンナーは特にもとから寄る辺もないほど突き放すような物言いをするので、今回は余計にそれがドミトリの自尊心を傷つけた。
   しかし、事実は事実であり、現に三階から転落した生徒まで出て、それは足の骨を折って負傷したそうだが、その点については特に一同気にも留めていないことはやはり無法者であった。

 「ベッシェル嬢については、エリーナル様から聞いている。上級生きっての音楽家と名高い」

 「そうだ。しかし、白状するが、私はこの手の物に触れたことすらないんだ。勝手が全くわからない」

 フェンナーに対しては同じトーロックの身内によるものか、ドミトリは素直に言った。

 「勝手がわからないからって、あそこまでの音を出せるのはある意味才能よね」

 「アタシ、あんな音の出し方があるなんて初めて知ったわ」

 「拷問するときに使えるかもしれねぇな」

 その後ろでボッツとマンリとルクレシオの三人が声を潜めて囁きあったが、耳聡くドミトリはそれを睨んだ。

 「なんだい、その物言いは。君達だって銃把と酒瓶ぐらいしか握ったことがないだろ」

 ついドミトリは非難がましい声を出して、更に三人を睨んだが、ボッツはその視線を受けつつ楽器を手に取った。

 「それこそ、あんまりな言い方だわ。『グリオリ』ぐらい吹いたことあるわよ」

 そう言ってボッツは寝台に座りながら、太股に楽器をすえ、吹き口にそっと口先をあてがった。
   そこから繊細に息を吹き込むと、さっきまでバルコニーで荒くれものたちを苦しませた破壊的な音色とは似ても似つかないほどに、流れるような旋律が室内を包んだ。
   流石に帝国楽団ほどのプロの演奏というわけではないが、民謡めいた暖かみのある音色は馴染みやすい色がある。

 「…ざっと、こんなもんよ。ほら、マンリも出来るでしょ」

 「いいわ、台持ってきて」

 あっけらかんとして口を楽器から離すと、ボッツはマンリに台と楽器を渡し、今度は代わってマンリがグリオリと呼んだ楽器を吹奏し始めた。
   こちらも民謡の域をでない曲であったが、ヨダ地方の山嶺をお思わせるような雄大な音色がした。
   そもそも、先程のドミトリが奏でた物と比べてしまうと、どの演奏も一級品に思えてしまう。

 「簡単よ、こんなの。実家の飲みで余興によく吹いたもの」

 自慢げにマンリが楽器を寝台においてドミトリを見たが、彼女はマンリを直視出来ずにさらに落胆の色を深めて肩を落としてしまった。
   しかし、吹いてみろと言わんばかりに非難されたからには、こちらも吹かなくては気が済まないとばかりにルクレシオもその大柄な図体に似合わず、柔らかく丁寧にグリオリを手にすると続けて吹き始めた。
   これが、特にドミトリを打ちのめすほどの演奏だった。
   ボッツとマンリに至っては同部屋の付き合いもあるからまだ許容できたが、見るからに粗雑で乱暴ものを絵に描いたような大女であるルクレシオが、最も三人の中で文明的かつ繊細で優美な音色を奏でだした。

 「…タルレの夜曲か。上手いな」

 「昔、よく家庭教師に仕込まれたもんでな」

 挙げ句の果てに演奏を聞いたフェンナーが珍しく人を褒めるものだから、ドミトリとしては堪えた。
   一頻(ひとしき)り演奏を終えるとルクレシオは満足げにふざけて、楽器を引いてお辞儀をするものだから、ボッツもマンリも大袈裟に喝采を送る。
   しかし、ドミトリは恨みがましい目でルクレシオを見上げながら

 「この裏切り者!」

 と涙目になって弱々しく叫ぶことしかできず、そのまま楽器を奪い取ると椅子を蹴って部屋を出て行ってしまった。

 「なんだよ。俺が出来ちゃ悪いのか?」

 取り残された一同の中でルクレシオは不思議な顔で皆を見下ろしたが、ボッツは肩を竦めた。

 「別に悪かないけど、ドミーはずいぶんと気にしちゃったみたいね」

 「ドミーに苦手なものがあるとは思わなかったわ」

 マンリが開け放たれた扉をみながら、感慨深そうに唸る。

 「誰だって得手不得手は必ずあるものよ。要はそれを気にするかしないかってこと」

 「でも、そこのフェンナーはなんでも出来そうじゃないの」

 ボッツが諭すようなことをいうと、マンリはその足の間からフェンナーを見上げる。

 「いや、出来ないこともある」

 見上げられた彼女は遠い目をしながら口を開いた。

 「…私にはエリーナル様の心を癒やすことが出来ない。あくまで付き従うことが…」

 そう熱狂的な付き人なりの愚痴を始めようとするので、これは長くなると判断した三人はフェンナーが語るに任せ音を忍ばせて寝室を後にすることにした。
   ついでに廊下にエリーナル三姉妹が偶々いたので、マンリは彼女等をフェンナーの愚痴の聞き役になるようにと促して放置した。

 

 ドミトリは楽器を抱えたまま森の中へと彷徨い入った。
   年甲斐もなく自尊心を傷つけられたことで取り乱したことを恥じ入りはしたが、それでもしばらくは寮に戻ろうとも思えず、気を紛らわすためにも森の深くへ入り込む。
   人工森林の中へ分け入っていくと時折、打ち捨てられた廃屋や崩れ果てた塔の一部が多く見受けられ、まるで遺跡と化している。
   ワフラビア女学園が長い歴史を持つだけに、その敷地内には用途が既に忘れ去られているような建築物も森林内に多々あった。
   生徒の密会にも使われることもあるようなそれらは、上級生や一般の生徒にも勿論のこと、特に初年特待生の間では非常に便利なものでドミトリ自身も何度か実家の案件を処理する際に用いたことがある。
   その内の一つにまだ崩れていない東屋があるのだが、一時休むにはそこがちょうど良いと歩きながら考えたドミトリは、足が覚えている道を頼りにそこへ行くことにした。

しかし、その東屋へ近付くにつれて、何やら馴染みのない音がその方向から聞こえてくる。 昨日に聞いたベッシェル嬢の演奏とは似ても似つかないほど、それは稚拙なもので、ある程度律動が整ってきたと思ったと異端に、必ず音を外して中断させられる。
それはなんとも間が抜けたもので、ドミトリは自身の力量を棚に上げて少し噴き出しかけるほどだった。
 一人で気を落ち着けようと思っている目的の東屋に、既に先客がいることは明らかであるが、それでもこの下手くそな音色を奏でるのはどこの誰であろうかと、ドミトリは好奇心に駆られ道を進んでいき、やがて森が開いて東屋が見えた。東屋の屋根は朱色に染め抜かれ、以前は帝国の建築様式を示す華奢さがあったのであろうが、それは過ぎ去った年月とともにほとんど風化して崩れかけている。
その周りには数人の下女が立っていて、東屋の屋根の下で円状のベンチに腰掛けながら、ドミトリが手にした楽器と同様の『グリオリ』を演奏する生徒がいた。
下女を侍らせている辺りから高貴な身分の上級生であることは伺えるが、それよりも誰であるかを知らせるにはその髪型が物を言っていた。

 「──…あら、クレシュエンコさんではございませんか」

 上級生はドミトリの姿を見ると、グリオリを演奏する手を止めて、東屋から上品に手招きをしてくる。
   それはソフィア・ドッタラン・テーゼリアであり、先日に森の中で『狩り』を楽しんだ間柄である。

 「貴女もグリオリを嗜みますのね。少し意外でしたわ」

 今更、踵を返すわけにもいかず、東屋まで歩いてきたドミトリを彼女は商売人の家業柄、皮肉というよりは会話を弾ませるための話術のような巧みな具合に話してくる。

 「いえ、これはまだ今日始めたばかりで…」

 弱々しく恥じ入りながら、ドミトリは彼女に事の事情を話すことにした。
   先日の一件もあり、少なくともこの相手はこちらを悪く扱う必要はどこにもなかった。

 「なるほど。ベッシェルさんに…それは不運でしたわね」

 ソフィア嬢は同情するかのように、マンリに先日、削岩機と形容された髪を撫でながら同情するような声音で言った。

 「それはどういう事情で?」

 「えぇ、あの御仁はよくそうやって演奏会に生徒を誘うのですが、暫く前にとある事故から視力を弱めましてからは音楽に対して更に気が張っていましてね。それこそ、誰から構わず誘うものですから、上級生内のほうでは少々、敬遠されておりまして…」

 ソフィアはそう言葉尻を弱めつつ、ドミトリをよく見た。

 「それで私の方にも」

 「そのようですわね。私も同様でありますが、チェルガロス家は大口の取引先でございましてね。無碍には…」

 そう言ってソフィアは少し話しすぎたとばかりに口元を抑え、上品な笑みを付け足したが、やはり商売人の毛は隠せそうになかった。

 「クレシュエンコさんも、ベッシェルさんに…」

 「いえ、私は純粋に音楽を嗜みたいだけです」

 あけすけにドミトリに問いかける彼女に、ドミトリは決然とした声音で答えた。
   確かに実家の家業柄、付き合いがあって損な相手ではないが、そのような打算を抜きにしてでもドミトリは少々意固地に趣のあるような交流をしたいと思っていた。
   その点について商いを行うに必要な観察眼にソフィアは肥えているのか、それ以上の詮索はしよとしなかった。

 「そのようですわね。いえ、これは失礼なことをお聞きしましたわ。では、折角、グリオリを持ってお会いしたわけですし、宜しければ練習にお付き合いして頂けませんでしょうか?お恥ずかしいところをお聞きになりましたでしょうが、私、楽器は不得手でございまして…」

 ソフィアは話を切り替えて、ドミトリの持った楽器をみながら好意的に誘ってきたが、ドミトリは固まってしまった。
   確かにソフィアの演奏は上手いか下手かで表せば、稚拙なものと言えたが、それはあくまで客観的な意見であり、ドミトリ自身の演奏といえるかわからないものを聞かせるのははばかられた。

 「いえ、私も先に申したとおり、今日始めたばかりでして、とてもではありませんが、聞かせられるようなものでは…」

 「あら、そんなことおっしゃらないで。誰だって初めてはあるものですもの、図々しいですが、基本の基本はお教えできますわ」

 遠慮するドミトリにたいし、ソフィアは悪意なくすがり寄るので、彼女は仕方なしにそれではと楽器を構えて少し音を出してみることにした。
   しかし、それが大きな間違いであったことは、音を聞いて数秒後にソフィアは人好きするような笑みを浮かべたまま器用に失神した様が示していた。
   東屋を取り巻いていた下女たちも、まだ距離を置いてあったが、それでも素っ頓狂な悲鳴をあげて四方に逃げ出した。
   まだ、ボッツたちのほうが奇怪な音や出来事に慣れている為によかったが、お淑やかな人種の神経にはとても耐えきれるほどのものではなかったのだ。

 

 「あっ!見つけた!」

 そして、歪な音を聞きつけて、東屋脇の繁みからボッツとマンリが木々を掻き分けて、躍り出てきた。

 「ドミー、何も飛び出すことはなかったじゃないの」

 若干、耳を押さえてはいるが、それでも正気を保った状態で二人はドミトリのもとへ掛けよって、少し自らの演奏に酔い始めたドミトリを正気の世界へと連れ出した。

 「…すまない、二人とも。少し気が立っていたようだ」

 演奏を止められると、寮のときよりは素直にドミトリは謝った。
   ある程度、気が落ち着いたことと現実を直視できるほどの強さが、心身に戻ってきた証拠であった。

 「別に良いけど、ルクレシオのやつが拗ねちゃったから、後で謝っといてよね」

 「そうよ。アイツ、もう酒を寮に運んでやらないって言うんだもの」  

 二人は楽器を片手に少し項垂れるドミトリをみて、それ以上はとやかく言わない方が良いと判断し、少しの間黙っていた。
   音が止むと森の静寂は心地いいものであったが、あまり長く気を置けるほど、ボッツ破棄が長くなかった。

 「まぁ、兎に角あれね。まずは音から出すことを始めないと」

 「音は出ている」

 「あれは音じゃないわ。怨念か何かよ。せめて、ちゃんとした持ち方から始めるわね」

 また、拗ねそうになるドミトリを制しながら、ボッツは彼女の背中に回って、その手に触れてグリオリの持ち方について教えることにした。
   丁寧にというよりは随分とがさつな手付きではあるが、ボッツの掌から伝わる熱は暖かく、ドミトリは少し気まずく恥ずかしげに、彼女の顔を見た。
   ボッツの視線はドミトリなどお構いなしに、グリオリへ注がれているが、荒っぽいながらもとりあえずは教えようとする気概は伝わってくる。

 「ボッツ…」

 「いいから、視線はボタンに向けてなさい。それとちゃんと太股で下の膨らみを挟んで」

 ドミトリの口から何かでかけたが、ボッツはそんなこと気にせずに、グリオリの演奏法を叩き込むことに集中していた。

 「ほら、マンリも手伝って。ドミーは持ち方のバランスが悪すぎるわ。下の方を抱えてやって」

 「ほい、きた」

 結局、マンリもそれを補助する形で、二人がかりでドミトリの奏法を手取り足取り教えるとようやく人間が聞くことの可能な段階の音が東屋に響きだしていった。

 

 それから、ベッシェルに言われた期日の前日まで、空いた時間を利用してみっちりとボッツとマンリにグリオリを教えられたドミトリは、その前日に練習の成果を仲間内に披露することになった。
   その提案をしたのはボッツであり、当初、ドミトリは頑なに拒否しようとしたが、自分らにも聞かせられないのに、上品な連中に聞かせられる訳があるかと詰め寄られると、彼女も承知するほかなかった。
   そして、夜に旧校舎のバルコニーにて行われた独奏会には、ボッツとマンリだけでなく、なんだかんだでドミトリの演奏に対する被害者の会のような面々がやってきた。
   流石に数日間の間で上達したドミトリの演奏に、少なくとも奇声を上げて三階から飛び降りる者はいなかった。
   しかし、かといって、それは楽器演奏として成立したという段階であり

 「どう、上手くなったでしょ?」

 と、ボッツが自分で演奏したかのように誇らしげに、隣に呼んできたフェンナーに同意を求めると

 「あぁ、確かにクルカのゲロから、反吐にはなった」

 あまりに適切な表現を用いて、あたたかく言い表し

 「エリーナル様が発作を起こさなくなったのは良い傾向だが、夜な夜な聞こえる音色に不安がっている」

 被害状況まで付け足してくる。

 「それは身体が聞こうとしている証拠よ。完璧ね」

 フェンナーの冷たい表情など意も返さず、ボッツとマンリは誇らしげにしていた。

 

 「──いや、とてもじゃないが、私には無理だ」

 なんとか独奏会を一人の負傷者も出さずに終えてから、ドミトリは部屋に戻り壁に片手をついて落胆した。

 「大丈夫よ、そのシュレンだがシレンだか知らないけど、曲目も吹奏肺(すいそうばい)を持ってきて練習したじゃない」

 そういって、ボッツはドミトリを励ますように部屋の隅に置いてある、先日にマンリがルラーシ三姉妹を率いて下級生寮から盗み出してきた、鞴(ふいご)と肺が合体したような帝国流の再生機を指し示したが、ドミトリの気は沈んだままだった。

 「それには確かに感謝しているが、とてもじゃないがベッシェル様を満足させるとまではいかないにしろ、聞きに耐えるような演奏はできないよ」

 「なにさ、弱気ね。別に楽器をぷっぷく吹いて馴れ合うだけでしょ、気にすることはないわよ」

 「随分と身も蓋もないことをいうが、相手が上級貴族のご令嬢ともなれば、多少の格は必要だよ」

 流石にボッツもそれ以上言い立てることもできず、二人は肩を落として煙草を口に咥えた。 
   しかし、二人の落胆などお構いなしにマンリは部屋の物入れ箱から酒瓶を取り出し、部屋を出て行くような素振りを見せた。

 「マンリ、こんなに落ち込んでいるって言うのに、アンタ何処行くのよ」

 どんなに気を落としていても、同部屋の動きを見逃さないボッツがそう咎めると、マンリは特に気にした素振りもなく

 「何処って、地下室に飲み直しと聞き直しよ」

 と平静に答えた。

 「聞き直しってなによ?」

 「あぁ、地下室でルクレシオが運んできた酒飲みながら、楽器弾ける奴がいるからそれを聞きに行くのよ。ちょうど、この前盗ってきた吹奏肺の曲と似たものを出来る奴がいてね。アタシはよくわかんないけど、それとよく似た音でやるもんだから人気なのよね、あいつ」

 それを聞いて、肩を落として陰鬱に煙草を吸っていたドミトリの目が輝きを取り戻し、マンリをそのまま出て行かせてなるものかと追いすがった。

 「待て、マンリ。そんな奴が初年特待生の中にいたのかい?」

 「別に身内じゃないわよ。匿ってやってるだけ」

 マンリはドミトリに肩を掴まれながら、酒瓶を口に咥えて飲みながら暢気に答えたが、ドミトリの顔は険しくなって

 「匿ってやっている?誰だ?」

 「なに言ってんの。この前、埋めようとしたあの女よ。ルクレシオがまだ拗ねてて機体を出してくれないもんだから、実家に連れていけなくてさ。地下室にしばらく住んでてもらってるんだけど、退屈凌ぎに誰かが楽器弾いてたら、やらせてくれとかいうもんでさ。なんか、あの曲の作った奴の弟子とかなんとかって言ってたけど。なんか、関係あるの?」

 マンリはさっさと部屋を出て飲み直したいと面倒そうな顔をしたが、ドミトリの顔は電光に打たれたように衝撃的なものになっていた。

 「なんで、それをもっと前に言わなかったんだ!」 

 「別に聞かれてないもん。アタシはそーゆーのよくわかんないし」

 ふて腐れるようにマンリは口を尖らせたが、ドミトリは顔つきが柔和なものとなり、イマイチ事態が飲み込めないボッツの顔を見て

 「よし、これで明日はなんとかなる。大分、稚拙な手だが、少なくともベッシェル様には手が打てるだろう」

 そう心得顔で言ったドミトリは、ようやくこの一週間ほどで普段の冷静さと大仰な口振りを取り戻していたので、ボッツは訳がわからなかったが、とりあえず安堵した。

 

 その翌日、人工森林の中でベッシェル嬢が誘った演奏会は開かれた。
   何人か彼女にまだ親交のある上級生やソフィア嬢に加え、音楽家の彼女に見込まれた下級生たちもいて、ごくごく個人的なものにしても、それは随分と華々しいものだった。
   そこへ訪れたドミトリは付き人を一人連れ、楽器を持たせていた。
   そして、そのまま上品な話をしばらく交わしてから、演奏会に入るとドミトリは出来る限り楽器に沿うようにはしていたが、その付き人にほとんどの演奏を任せた。
   それから奏でられる音色は優美なもので、ドミトリを心配して森の奥から狙撃銃の光学照準越しに眺めていたボッツとマンリの耳にも優しく聞こえていた。

 「よくわかんないけど、あれで誤魔化せるもんなのかしら?」

 遠くからでも良く響く音色を聞きながら、マンリは不思議そうにボッツをみた。

 「べつに貴族様じゃ珍しいことじゃないそうよ。代役に演奏させるってのはよくあることなんですって、少なくとも立派な形にさえなれば万々歳よ」

 「なんだ。折角、苦労して吹奏肺まで持ってきたのに。一日で盗み出す計画を建てるのって結構大変なんだから」

 「別にアンタ等の計画なんて、夜に窓から忍び込む程度のもんじゃないの。そんなものクルカだって思いつくわ」

 ボッツはマンリの苦労話を遮ろうとしたが、彼女はそれにふくれっ面で抗弁しようとするので、その口の前に指を置いて

 「まぁ、いいじゃない。上品な宮廷音楽についてはよくわかんないけど、悪いもんじゃないわ。気が落ち着くってものよ」

 そう言って黙って二人は森の奥から耳を聞こえてくる音色に預けるのだった。

 

 ドミトリが付き人として連れてきたのは、先日に人違いで埋められるところであったハルベルド家の部下で、優秀な楽士ということであった。
   それをマンリの実家ではなく、ドミトリの詰まるところトーロック団の預かりとなり、身の安全と厚遇を約束され、しばらくの間はドミトリに音楽を教えることとなる。
   後に帝都で有名な楽団を率いることとなるが、それは別の話である。

   

最終更新:2024年02月10日 17:00