935年15月12日
爆撃だ。
天井からパラパラと塵が降ってくる。今月に入って四回目になる。
ルービアならばいつでもリュディギアに爆撃できるだろうに。いや、既に行われていて"ついで"で爆撃されているのかもしれない。
逆に、ラオデギアが未だに爆撃する価値があると見做されている事に喜ぶべきだろうか?
対ル貿易戦争に敗北して久しいパンノニアはもはや600年代最初期のように引きこもり、国内の南北社会分断の事にしか注目しておらず、無論、参戦しない
在アーキル
オリエント軍は安全な金網の内側で、ぼんやりと地対宙ミサイルが飛び上がっていくのを見物しながら、さっさとあの大統領がルービアと不戦協定を結び、
基地を引き払って故郷に帰れる日を今か今かと待っている。
当然のように、メルパゼルも参戦しない。この戦争が終わればセレネのクルカの海領有権衝突の相手がアーキルからルービアに変わるのだ。
そうなれば今までのような、なぁなぁで誤魔化す作戦は通用しなくなる。
経済衰退著しいセゼン海峡共同体諸国も今回のルービアの侵略行為には無視を決め込んでおり、第二次パルエリウム危機の後始末に頭を悩ませている。
よって幸か不幸か、今回の戦争は「第三次軌道大戦」ではなく、「第二次ルービア=アーキル戦争」にその規模を留めるのであった。
天貫期と呼ばれていた時代、世界にはより標高の高い場所に住居を構えるのが豊かさの象徴でありステータスだったが、
今では、住んでいる防爆シェルターが地下深ければ深いほど潤沢な資産を持っている事の証としてファッショナブルになっている。
幸いなことに、ラオデギアの地下には先駆者達が死に物狂いで掘り進めた広大な遺跡空間が広がっており、そこをリフォームするだけで政府は巨大な資産を手に入れられた。
私の親戚の子は20歳の頃に、同じ10~20代がメイン層で構成されている「アーキル連邦愛国者の会」という政治思想団体に加入し、毎週末シェルター内の市民会館に集まって
手作りの再現チヨコをかじりつつ、500年代のアーキル軍服のコスプレをしながら、次の空中艦隊はどういった編成にすべきかだの、どこの国を開放し連邦に組み込むべきか語っている。
しかし、彼らはシェルター生まれシェルター育ちであり、宇宙船どころか空中艦すらほとんど肉眼で見たことがない。
アーキルへの、あの500年代の強く世界を指導していたあの時代への憧憬で居ても立っても居られずに政府ごっこをしているのだ。
この前こっそり市民会館を覗いたみたら、彼らはプロジェクターで写されたリューリア作戦参加艦隊のCGアニメーションを見て涙を流しながら拍手していた。
私は開戦前、大学で前マルダル文化について教えていた。マルダル経済特区誕生以前のマルダル文化だ。
かつて、マルダル周辺では超大型のアンゴという海獣を崇拝していた。今は骨しか残っていないその、超大型アンゴ...所謂神格アンゴは近くを通るだけで
津波をもたらす災害の神であり、アンゴのおこぼれを狙ってやって来る魚群をもたらす豊かさの神でもあった。
人々は強大で偉大な実在する神と共存共栄をしていたが、寒波はそのパステルカラーの淡い世界観から油と錆の臭いのする現実に人々を引き釣り出した。
やさしく曖昧な信仰心を持ち続けた人々は寒波で凍死するか餓死を待つ状態の中、発展した技術は神格アンゴすらも殺す力をもたらした。
しかしそれでも、人々は死か神殺しかを迫られたとしてもマルダル地域の現地人達はアンゴ保護を掲げていた。
だが、寒波が終わった後も企業達はアンゴ猟を続けた。アンゴバブルによってマルダルは急速に今の姿に移りつつあり、人々の反対運動は復興という建前によって政府に握りつぶされた。
目の前で、人々とアンゴの血肉を啜って築き上げられる摩天楼は地元のほそぼそとした田舎町の人々の心に影を落とした。
マルダル経済特区はその外で生活する地元マルダル人の給与の200倍もの給与が渡されていた。
人々は、一人また一人とマルダルに身を置いていった。アンゴ猟に間接的に加担すると分かっていながら。
宗教を失った人々の心の隙間には、醸成された超自由企業主義...マルダル主義が入り込んだ。信仰を捨てた不安に、企業達は物質的豊かさという麻薬を致死量与えた。
クランダルト帝国ではスカイバードへの信仰は司祭と皇帝達が破壊しようとしたが、それでも文化として希薄なスカイバード信仰は残った。
しかしマルダルという物質的豊かさというアヘンは、寒波という命の危機でも失われなかった強固な信仰を、僧侶たちの全力の反対運動をも貫いて殺した。
「噺家殺すにゃ刃物はいらぬ、あくび一つがあればいい」ならぬ「宗教殺すにゃ刃物はいらぬ、パンとサーカスあればいい」
不毛な土壌とイヨチクで埋まった海の退屈な地に、突如として現代文明が流入した。
長年素朴え退屈な代わり映えのない生活から、マルダル人の煩悩は一気に解放され、テレビにグルメ、ポルノビデオに耽溺し始めた。
私はこの「マルダル宗教世界」から「マルダル経済世界」への転換がマルダル人の世界観にどのような影響を及ぼしたか、世界観の変化による文化転換の様式、および摩擦が私の研究分野だった。
しかし、経済逼迫によって人文学不要論が飛び出し、とどめとして学徒動員が施行。私の教え子は赤道軌道艦隊戦、東アノールでの地上戦、レビールにおける玉砕などで英霊になってしまった。
何を思ったか、私は目的も無く瓦礫を掻き分けて旧国際宇宙港...ラオデギアタワーとへ足を運んだ事がある。
目覚め後、夢と憧れとかつての大国の誇りにかまけて足元をおろそかに宇宙開発等しなければ
自国の国力という現実に素直に向き合い地盤固めをちゃんと出来ていれば、今の姿にはならなかっただろうに。
タワーはもはや宇宙港機能も政府機能も一つも残っていないというのに、かなりの兵士によって警備され、わざわざ防宙巡空艦が二隻も駐屯しており、
敷地には戦車と対空砲が来るかもしれない降下ポッドをジッと待ち構えまさに鉄壁の要塞となって守られていた。
正直、なぜこんなにも警備があるのか分からなかったので警備兵の一人に「何を守っているんですか」と聞いたら「アーキルの象徴です」と帰って来た。
ちなみに、その兵士の腰の銃も、対空砲も戦車も全てパンノニア製だ。今のアーキルには電子レンジすら満足に作れない。
それよりも、ろくな装甲車すら配給されずに防衛任務にあたって、死んでいった教え子達にこの装備があればと思い胸が痛む。
アーキルの象徴とやらが生み出す、愛国心という宗教が今この国に最も必要なのかもしれない。マルダル誕生を巻き戻しで見ているような気分だ。。
開戦の兆候は、随分前からあった。
25年前にルービアとセレネが細菌兵器てんこもりの戦争を実演したお陰で、そしてパンノニアがそれを知らんぷりした事で、世界中の資産家が競うように地下シェルターを買い始めた。
世界の警察は、もう自国領の事しか頭にない。大はしゃぎで赤道諸国や裏側に爆撃機を走らせていたあの頃の元気は跡形もない。
それ以降はもう、私の孫や親戚の子がそうであるように、上流階級の子息は地下生まれ地下育ちなのが一般的になっている。地表には貧乏人しかいない。
旧文明と違って、パルエ外への植民は完了している。我々の現状を見て、旧文明を幻視しパルエ人類の危機を訴える人々は居ない。今は宇宙植民の時代なのだ。アーキルは小さな旧文明となった。
開戦前のアーキルでは、たとえば医療器具や車や、それにコンドームのような、かなり重要で、かなり精密さが要求されるモノでさえ、アーキル製よりルービア製を使って当然となっていた。
戦争に際してルービア貿易が停止してからも、ルービア製の輸入品は、まだまだアーキルに多く残っている。我々は日常、戦争相手国の製品を使用する度にアーキルの没落を意識させられるのだ。
私はいま、政府に制作を要請された「企業主義および後マルダル文化の風俗が、純朴たるマルダル人に与えた悪影響について」という題名のプロパガンダ論文の執筆で忙しい。
中立的であるべき学術論文の題名に「純朴たる」なんて主観的でポエミーな言語を用いるよう役人に指定された事に驚いた。当時のマルダル文化は純朴で美しく、企業主義は醜かったという含みを持たせたいのだろう。
役人の、この「純朴たる」という言語感覚が示すように敗戦は近い。愛国者達の余裕がなくなっている。
ルービア艦隊は既にアーキル宇宙艦隊を壊滅させており、リュディギア降下の準備を刻一刻と進めている。
その準備が進むにつれて、新聞の国威発揚の文句はよりいっそう華々しく、喧しく色付いてゆく。花々が散る直前が最も鮮やかになるように。
発揚されども発揚されども、湧きたった国威は、それをぶつける先がない。文化的裏付けのない即席の拳は、振り上げられたものの、振り下ろす先と言えば虚空である。
果たしてこの拳は何か正当性が、正統性があるだろうか?という疑問も些細な雑念でしかなく、ただ拳を振り上げるその陶酔感だけであった。
水のような配給コーヒーを啜りつつ、休憩がてらテレビを点ける。天気予報だ。民放2局が経営破綻したのでチャンネルが少ない。
「ザナトレン州28℃。晴れ時々曇り。降水確率10%。オクロ放射濃度0.3レーペル毎秒。お出かけの際はマスクをするなどして対処してください。続いては芸能ニュースです。」
地図におけるアーキルの領土の形状は、本当は毎日変わっている。小さくなっている。しかし報道統制されているので皆知らない。
テレビでは、当然のように「完全な」アーキル国土がパネルに映し出され、天気予報士がシャランパサの気温や洗濯予報を紹介しているが、今お前が棒で指し示しているそこは、半年前からルービア連邦シャンパサ自治区なのだ。
地表は驚くほど平和だ。いや、爆撃、地上戦、ゲリラ、秘密警察による市民弾圧は盛んだが危機感がない。
だがこういうものだと思う。目覚め以前、真横に生きた旧兵器が居るかもしれない世界でのんびり人類同士で大戦争を繰り広げていたのだから、本当の危機に対して人間は盲目だ。
南東や裏側開発の時も、文明国は前哨基地でテレビゲームをするしアイスクリームを食べながら母国のテレビを見ていた。
人間は予想以上に鈍感であって不合理的だが、平時はそれについて特に意識せず、それを勘定に入れずあれこれものを考えている。
地上では当然のように出生率が低下しているらしい。しかし、0ではない。未だに地上で子を作る人が居る。
艦隊壊滅の事実は伏せられている。いや、ほとんどの爆撃や地上戦は報道されない。インターネットは事実上廃止された。
ネット検閲システム「ユモ」が完成したことで、数年前から我々は政府のホームページくらいしか閲覧できない。SNSは法律で禁止され、VPN使用などは終身刑だ。
地下シェルターでは、アーキル国債を一定量購入した国民に幻想装置が配られる。
これは脳に機械を接続し、脳内に発生した幻想世界で、自由気ままに遊べる、という発明品だ。
シェルターには富裕層しかいない。という事は同時にシェルターには大量の知識層が存在する。
政府はある程度自分を客観視できるようで、ていたらくな政体にインテリが造反し革命を煽ったりしないよう、彼らを骨抜きにする策を練る必要があった。
そこで編み出されたのがこの装置である。私も富裕層の一員としてデモンストレーションを体験した事がある。
幻想装置の外観は、白くて大きなたまご。かわいらしいデザインだ。
前面の扉を開くと、外観より遥かに狭い内部空間に、学校で座るそれのような、木とスチールで出来たイスが一つ置いてある。
外観に反して内部は全く持ってSFチックではない。ただ学校イスが一つ。狭いので、身を屈めて装置内に入り、イスの上に体育座り。天井が低いから首を丸めないと座れない。
内壁から伸び出ている細いコードを、係員が両耳の内部に挿入してくれる。事前に局所麻酔を受けていたので痛みはないが、挿入の時に耳腔内で鳴り響く
「ジャリ、ジャリ」という痛々しい音から察するに、ずいぶん手荒に脳へ向かってコードが突き進んでいるらしい。
それが済むと係員が扉を閉める。無音、無光。事前講習の通り、体育座りのまま俯いて、目を閉じ、意識を集中する。
別に幻想注入がなくても、静かで、誰にも邪魔されない暗闇でじっと丸まっているだけで十分気持ちがいいものだなと感じつつ、意識を集中する。
次第に、まぶたの裏に広がる暗闇に、散発的に白い火花が散る。目に力を込めて、まぶたを閉じつつ目を見開くような感じで、その火花をにらみつける。
そうしていると、若干ぼやけた何かの映像がまぶたの裏にだんだん浮かび上がってくる。10分もすれば、完全に幻想世界に居る。
私は幻想世界でCGの美女相手に一生分の射精をした。と言いたいところだが、女10人と一緒にベッドに入るシーンで急に意識を失った。
耳から脳へ接続するチューブが故障していたそうで、恐ろしい事に脳膜を少し焼いた。
随分重傷だったようで、悲しい事に、私は再び幻想装置を楽しめるほどの回復は見込めない。その事故以後、心なしか足し算や引き算が難しくなった気がする。
知り合いの元哲学教授は幻想装置にずっぽりで"生前"は、やれ実在論、やれ認識論、なんだかんだ言っていたが今では排泄物吸引チューブを局部に接続し、すっぽんぽんであのタマゴの中で夢を見ている。
一生涯あの装置の中に居る事を決めた者は、エコノミークラス症候群防止のために四股を切断されているとか聞いたことがあるが、彼もそうなのだろうか。
あるいは、一生涯幻想を見せるのは国にとってコストがかかるので、適当な期間だけ幻想を楽しませ、そのうち脳チューブから徐々に毒を流し込んでいつの間にか絶命させる、
という信憑性のあるリークも一時期あかるみに出た、が、その強制的安楽死は驚くほど問題視されなかった。
以前、オズロットのシェルター入居者の狂信的なヴィーア教保守派の資産家が居て、
その人物が、どうも仮想現実に陶酔する人々が気に入らなかったらしく、幻想装置を叩き壊して中から使用者を引きずりだしたそうだ。
シェルター自治警察には「皆、夢想に浸からず目を覚ますべき」「真実と向き合うべき」「現実を見ろ」と陳述していた。
悦楽の境地で各々の幸福を楽しんでいた人々は、乱雑に耳からチューブを引っこ抜かれたせいで頭がパーになった。おかしな事件だった。
論文の執筆に戻ろうかと思ったら、ふと部屋の隅にある小学校用の教科書に目がとまる。五年前に爆撃で死んだ孫のものだ。
なぜか歴史の教科書は、どの教科のものよりも分厚い。あの日の事を思い出す。
朝7時のラオデギア。生まれてから合計50時間ほどしか地表に出たことのない小学生の孫と、二人で共に散歩していた。
人間なら、たまには太陽を見せてやらなければならない。本人は最初、凄く嫌がっていたものの
かび臭いシェルターから離れるのはやはり爽快だそうで、すぐに楽しそうな表情に様変わりしていた。
心地良い時間だった。空の向こうに何か反射した白い光を見た。しばらくして目を覚ました。
私はアスファルトに仰向けで倒れていた。どれほど気絶していたのかはわからない。10秒だったか1時間だったかわからない。
朝陽に焼かれたアスファルトのむせ返るような臭いを嗅ぎつつ、爆発の衝撃で立ち起こった煤で黒く染められた空をしばらく見上げていた。
全てがどうでもよくなって、とりあえず二度寝しようと思ったが、そういえば孫も一緒だった事に気付いた。
しかし驚くほど孫の安否に興味が湧かなかった。祖父であるにも関わらずだ。1時間前とか、あるいはほんの10秒前まで手を繋いで、孫の将来の夢について語らっていたのに。
孫と繋いでいた右手に少し意識を向けてみるとどうやら何かを掴んでいる感覚があったので、もしや私はちぎれた孫の手を握っているのかなと思い目をやると、単に私の右手が爆発でぐちゃぐちゃになっていただけだった。
妙に私は冷静だった。そのままずっと空を見上げていた。いや、何も見ていなかったと思う。ただ目を開いて仰向けだった。
しばらくじっとして、私の内部に孫の安否への興味が湧くのを待っていた。しかし湧かない。湧かなければならないと理性で理解していた。しかし湧かない。
単に頭を強く打ったから、意識が混濁しているんだと思った。だからまず頭を働かせるために、何か考える事にした。
大昔の人は、牛乳をどうやって保存していたんだろう。牛乳は常温保存できるんだろうか。当時はどうやって氷を作っていたんだろう。そういえば知らないな。
ああ、興味があるなぁ、知りたいなぁ、気になるなぁ、気になるなぁ。
急に気になりだした。今までそんなものに意識を向けた事もないのに。
知りたくて居ても立っても居られなくなった。よく観察してみると、それは「生きたい」という意思だった。「へえ、俺は生きたいのか」と思った。まるで自分の思考の流れを、天空から呆然と俯瞰視しているだった。
とりあえず昔の牛乳の保存方法と氷の製造方法について知るべく立ち上がり、その前に孫を探そうと周囲を見渡す。
化粧品の街頭広告の、マスカラを持ってこちらを見て笑っているモデル女の顔面に血で染まった人間の尻だけがべっちょりと貼りついていて一瞬"そういう"音楽バンドのメイクに見えた。
一歩踏み出すと足元がグニャっとしたのでゆっくりと見下ろしてみると、私の革靴の下で、ピアスが付いた誰かの耳が潰れていた。不思議と足をどかす気にならなかった。
孫の全てのパーツを探し分けるのは無理そうだ。たとえば1m先に握り拳ほどの大きさの物体が落ちているが、
損傷が激しくて、ここからでは、頭部か胸肉か何かの臓器か、それともリュックサックなのか生理用品ポーチなのかすら判別できない。そんな物体が山ほど散らばっている。
突如として押し寄せる倦怠感。私は、とにかく「孫のシンボル」という一個の記号を得るために
そして「孫の遺骨ないし遺品を探し、手に入れた」という実績を得るために、適当にそこら辺に落ちていた親指の中でも一番きれいな親指を形見として拾ってその場を立ち去った。
論文が行き詰まった。企業主義を批判すると、同時にアーキル連邦や現政権を批判する事になる。難しいジレンマだ。
この論文において国が聞きたがっている主張は何だ?プロパガンダ論文ならそこら辺のエッセイストや小説家に書かせた方が効率がいいんじゃないか?
自慰をする事にした。
右手が潰れたので左手でおこなう。最初は、左手ですると、他人にしごかれているようで気分がよかったが、右手を失って以来、次第に左手が利き手としての性能を獲得し始めたので今は別に他人にしごかれている感覚はない。
緩衝国家である環セレネコロニー連合を獲得したルービアは、遂に双月同盟と戦争を開始した。
当然のように生物兵器が使用され、長らくパルエから姿を消していたデヴォリア痘がセレネで復活した。
ルービア軍がどこからデヴォリア痘ウイルスを入手したかはわかっていない。
病菌拡散兵器としての役目を負わされたクルカたちは「ダバーム」という挑戦的な部隊名を授けられ、豆を積んだコンテナ船に紛れて入国。
デヴォリア痘は皮膚に特有の膿を発生させる為、感染者は容易に判別され、コミュニティから排斥される。これによって社会不安が生じる。
しかも、ルービアは原種よりも強化を施している。強化と言っても致死性が上がったわけではなく、潜伏期間が長期化し死に至るまでの時間が長くなっている。
苦痛も強化されており、慢性的な頭痛と不快感、気力減退や自殺衝動に悩まされる。
発生から20年でようやく、デヴォリア痘らしい皮膚化膿が始まり、本格的発症により死に至るのは25年という長い歳月を経てからだ。
なぜそんな強化をしたかと言えば、ルービアはいよいよ戦争において、戦略性に加えて残虐性を追求する余裕を得たのだ。
うぅ... 年のせいか自慰をしていると心臓が痛くなる
生物兵器を使用したルービアもルービアだが、双月同盟も双月同盟で結構に非倫理的なもので、
50ゲイアスほどの大きさの居住ドームに200万人を強制隔離した。時すでに遅し、特に効果はなかったが。
隔離地区内では自治もクソもない。双月政府は医療支援などは連盟保健機構や赤縞国際運動に丸投げだ。
地区内の一切の住民は病苦に喘ぎ、多くの者は病死をまたずに自殺し、あるいは餓死した。なんせ死ぬまでに25年かかる。まさに地獄絵図だった。
しかし驚くことに、地獄内において出生率は女性一人あたり0.5人の水準を推移していた。そのような地獄的環境においてもまだ子供を産む者がいる。
他の途上国と同じく、赤縞国際運動がしっかりとコンドームを無償配給しているので、避妊具費用をケチっての出産ではない。自発的に生んでいる。
共生隔離先となったドームは"メマ教"という新興宗教が盛んであった。外部から病人が大量に移送されてきても、相変わらず隔離地域の主流派はメマ教徒だった。
メマ教の特色としては「出産は最高善である」とされている所にある。
教義に「地に満ちよ」とある通り、子を多く持つ事により神の栄誉を増す事ができる。よって、聖職者が子を持つ事も全く可能である。
この教義により、メマ教の信徒は多産なのが常であり、それは強制隔離後も同様であった。
もちろん新生児はデヴォリア痘のまま生まれて来て、すぐ死ぬか、病苦に喘ぎつつ無為に成長し、病死をまたずに自殺し、あるいは餓死し、犯罪に走り、という顛末である。
彼らは子を持つ事により善業を成し、そして心を充足させる事が出来ているそうだが、なぜか自殺率は他教徒と変わらない。食い扶持が多いので、餓死率は他教徒よりも高い。
クルカは病気に強く、すぐに繁殖し増えていく。双月同盟が必死のクルカ駆逐作戦を行っても、結局セレネからクルカは消えなかった。
メマ教徒も結局多数が死んでも、クルカのように繁殖するからこそ、宗教が失われていくこの時代に生き残れているのだろうか。
最後に第二次パルエ文明に残る宗教とはこういう物なのだろう。
動悸がしてきた。心臓と相談しながら自慰をしないといけない年齢になったのか
そういえば、あの日の爆撃の時、比較的形を保っていた車に赤ちゃんが乗っていますというシールが張ってあった。
最初、もしかすると中で生きているかもしれないと思い、中の赤子を助けてやろうと思った。
爆散した誰かの血液と肉で汚れていて、窓からは車内を見る事は出来ない。扉を開けようと手をかけた。
無意識に聞き手を伸ばすと、爆撃でぐちゃぐちゃになった腕が視界に入った。
ああ、そうだった、そういえば、もう無いんだな、と思いつつ、右手首の先端の肉塊から、心臓の鼓動に合わせてピュッ、ピュッ、と血が噴き出ているのを眺めていた。
痛いなぁ、嫌だなぁ
そうこうしている内にまた爆撃が来る気がした。私は救助しなかった。
私は空中に向かって射精した
物資不足が進むにつれティッシュの質が悪くなる。粗悪なティッシュでペニスを拭いていると、亀頭がザラザラして痛い。
政府が人道性を口実に堕胎を禁止した事から、睡眠薬や風邪薬を大量に服用して堕ろす”療法”が市民間で流行しているそうだ。それに伴って人々の間に薬物乱用が流行を始めた。
そうして、かつての市販薬だった物はどんどん規制され、今では薬局に行っても売っているのはのど飴と目薬程度だ。
宗教も、愛国心も、幻想装置も、咳止め薬も皆同じような物だろうに。政府は政府の与えたい娯楽以外を国民に享受させたくないらしい。
政府の与えたい娯楽とはつまり、徴税が出来る娯楽だ。薬物規制とは人間性と社会性の戦争だ。国家は何を目的に存在するのだろう?
集められた税金の使い道が何かというと、かなりの割合が完全オクロ炉の研究に未だに多額の予算を投じているらしい。
艦隊再建に予算を投じればよいのでは?と思うかも知れないが、ルービアによる対アーキル宙域封鎖によって、艦隊を作るための燃料も鉄板も残っていない。先日はヤカンが供出させられた。
そんな中で、ほとんどの国が830年頃には研究を中止した完全オクロ炉に、アーキルのインテリ達は熱を上げている。
この研究が、浮遊機関コード解析の奇跡の再来になると信じて。
富裕層は幻想装置に引きこもり、インテリ達は完全オクロ炉などという超技術の幻想を追いかけ、一般市民は愛国心という宗教の幻想にとりつかれている。
ちなみに、政府上層に幻想装置使用者は居ない。彼らにとっては、もはやこの世界自体が幻想装置なのだろう。
国家全体が幻想の中に閉じこもった。私は幻想装置にはもう入れないし、オクロ研究に参加できるような研究分野でもない。
イデオロギーや宗教にはメタ視点で観察する癖がついてしまって、狂信者になる事は出来ない。
私はどの幻想世界に行けば良いのだ?
そういえば特に魅力的な避難所を心に用意していなかった。
同じシェルターに住む知り合いの教授は、皆、幻想装置に入ってしまった。ルービア軍は既に地上に何師団も降下が済んでおり、地表のある程度の高さの建物は全て自殺の名所と化した。
私はその報せを聞き、目前にルービア軍が迫ればきちんと自殺を出来るほどの危機感を持っていたのか、と少し関心する程度だった。
ルービア軍は意外にもパルエリウム発電所を攻撃していないそうだ。よく考えればそれもそうで、戦勝後、旧世界攻略のための前線基地として使用する土地がこれ以上汚染されてはいけないのだろう。
散発的に、地表の何かの爆発の衝撃でシェルター全体が揺れ、幻想に焼かれた脳膜に響き、少し痛む。
敗戦を目前にして、シェルター内の愛国主義団体の目はいよいよ輝きを増し、地表の民間人にゲリラ活動を促すためのスパムメールの文言を皆で徹夜で練っている。
することと言えばプロパガンダだけで、彼ら自身は銃を手に取ることはない...というステレオタイプな予感は裏切られ、実際にシェルターを出る若者もいた。
あの、プロジェクター越しに大昔のリューリア作戦のアニメ映画を見て涙を流していたあの若者たちだ。
物資欠乏とともに、この世の終焉を前にした不思議な疼きがきっかけとなり、シェルター内では売春が流行っている。
愛国心という自然的でない感情を、さも「我々人類は生理的に、原始の頃から、備えている」とする欺瞞で満ちていたシェルターに、ついに人間性の華が咲いた。
衣服とは、体温保持のためではない。裸体を恥だと感じる、その不自然な同調圧力から生じた枷だ。
倫理の仮面を脱いだ地下人間は、毎日、狭い部屋にこもり、毎日、違う相手とまぐわった。
ルービア軍がこのシェルターを発見するまで、我々は"人間"になれる。
隣の個室に入居している法学者の娘が、咳止め薬3瓶と引き換えに私に股を開いてくれることになった。
かび臭い私の部屋に女が入ったのは何年ぶりだろうか。
爆撃のせいで水道機能は全面停止しており、ここ数カ月シャワーすら浴びられていない。汗と小便と垢の悪臭は、我々人間もしょせん服を着た動物であるという事を教えてくれる。
だがしかし、目の前に裸の女が、それも10代の女がいるというのに、私は全く興奮しなかった。
不思議だなと思いつつ私は、女がベッドの上に乗り、仰向けの姿勢を取ろうとする一連の動作を無の感情で眺めていた。
ベッドに足をかけた瞬間、女が曲げた膝から、関節の鳴る「ぺきっ」という音がして、静寂を一瞬にして切り裂いた。
その瞬間、私は、はじめて、今から、血の通った、生きた、動物とセックスするのだという、相手は、この女は生きているのだという、私以外にこの世界に、生きている存在がいるのだという衝撃、これに襲われ、はじめて猛然と勃起した。
ゴムがない事に気付いた。戸棚を大急ぎで開き、分厚い哲学書や学術書を乱暴にかきわける。
それらが床にドサドサと落ちる音は、しなかった。
時刻は正午。スピーカーから爆音で流れるの音も、しなかった。
興奮状態の私の耳は、ドクドクという血流の、自然の音で、何も聴こえなかった。
棚の奥底から日焼けした聖書が出てきた。震える手で開く。
腹の膨らんだ女が天使と何か話している挿絵のページに挟んであるゴムを取り上げると、濡れそぼった自身のそれに嵌めようとしたが、なにぶん久しくゴムなど使っていないのでやり方がわからない。
悪戦苦闘しながら、やっと付けられたコンドームの包装には"MADE IN RUVIA"と書いてあった。
人間の垢と汗のしみついたベッドに横たわる女に目を向ける、視界にアーキル国章が入ってくる。こんな時に国の事など考えたくない。
アーキルの象徴に近づいて、シーツをそっと被せた。国章が消えた。革命が起こった。