ギャルゲ・ロワイアル2nd@ ウィキ

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i ◆LxH6hCs9JU


 家族。

 それは父にとって、母にとって、
 息子にとって、娘にとって、
 祖父にとって、祖母にとって、
 愛犬にとって、同居人にとって、

 誰もが、愛してやまない領域だった。

 家族を壊すのはどんな愚か者でしょうか。
 家族を否定するのはどのような愚者か。
 家族を犯すのはどんな非常識人だろうか。

 領域に住まう者は、あたりまえの喪失を恐れた。
 恐れて、予防策は持たずして、喪失感にうちひしがれる。

 一家の家計を切り盛りする、歳不相応に家族思いな長女がいたとしよう。
 死して尚、たった一人の肉親のために現世に留まることを決意した長男がいたとしよう。
 誰かと共に生きる意味を探し、迷走する本心の中で家族という領域に帰ることを望んだ夫がいたとしよう。

 三人が互いに親しくなったとして、はたして家族という領域を共有できるか否か。

 できる。と、私は考える。

 それが例え、上辺の知識のみを元にした、出来損ないの感情論だったとしても、だ。


 ◇ ◇ ◇


 擂鉢状に広がる敷地が、オレンジのカーテンに包まれる。
 薄暮を知らせる暖色系の光は、汗腺を刺激しない程度の心地よい熱気を齎す。
 吹き抜ける緩やかな風も相成り、快適な過ごしやすさを運ぶ暮れの時刻。
 廃れた野球場の一塁側スタンドに、小さく蹲る影があった。

「……きれいですねー」
「……キレーだなー」

 癖のある頭髪を、ツーサイドに結った小柄な女の子が一人。
 ただでさえ小さな体躯を丸めるように座り込み、暮れていく空を仰いでいた。

「……もうすぐ夜、ですね」
「……もーすぐ夜、だな」

 女の子が声を放つと、まったく同じ声色をした声がもう一つ、山彦のように返ってきた。
 声自体は女の子の声帯から発せられているが、言葉を選んでいるのは彼女ではない。
 彼女の右手に装着された、不細工なパペット人形によるものだった。

「……なぁ、やよい。その格好、寒くないか?」
「……平気、です」

 右手の人形が気配りの言葉をかけ、やよいと呼ばれた女の子が短く返す。
 人形は、そっか、と同じく短く返し、オレンジ色の空を見上げた。

「……プッチャンさんこそ、寒くないですか?」
「……俺は人形だからよ。寒さとか感じないのさ」

 やよいが気配りの言葉をかけ、プッチャンと呼ばれた人形がぶっきら棒に返す。
 やよいは、そうなんですか、と短く返し、またオレンジ色の空を見上げた。

「……きれいですねー」
「……キレーだなー」

 夕空に対する感想を言い合って、二人はしばしの間、空を眺め続けた。

 高槻やよいとプッチャンがこの野球場を訪れたのは、ほんの気まぐれだった。
 あの教会を基点とした一騒動に疲れを覚え、どこか休める場所を欲して辿り着いた先が、ここがだっただけだ。
 選手も観客もいない、打撃音もアナウンスもない球場は、寂寥感を訴えているようにも思える。

「……ふぇ、へ、へくちっ」
「おいおい、本当に大丈夫かよ?」
「……すん。大丈夫、です」

 塞がっていないほうの左手で鼻を啜るやよいの姿は、見るからに寒そうだった。
 子供の頃から着古していた、『MARCH』のロゴが入ったトレーナーは、もうない。
 あの人の止血をするために、貧乏性を抑え包帯代わりにしてしまったためだ。
 今のやよいの上半身は、肌着のキャミソール一枚。
 そろそろ夜も更けるという寒空の下、風邪をひいてもおかしくはない格好だった。

「アイドルは体が資本ですから。そう簡単に風邪なんてひきません」
「けど、寒いもんは寒いだろ?」
「……さむい、です」

 着るものを探す気にも、暖を取れる場所を探す気にもなれなかった。
 肌に突き刺さる寒気、その刺激を求めるように、やよいは野外球場を休憩地と定めたのだった。
 あるいは、自分へのせめてもの戒めとしたかったのかもしれない。

「しっかしよー。周りは廃れた街だってのに、この球場も結構な広さだよな」
「ですねー」
「もやし祭りができそうか?」
「え、どうして野球するところでもやし祭りをするんですか?」
「……いや、馬鹿な質問しちまった。忘れてくれ」
「はあ」

 特別、これからの指針を話し合ったりはしない。
 色調を変えていく空をただ眺め、その場その場で思いついた他愛もない話を交わすだけだった。
 介入者も訪れず、状況を好転させようともせず、やよいとプッチャンはこの球場で、止まり続けていた。
 それはきっと、あの人との別れを果たしたときから。

「でもやっぱ広いよな。やよいはよ、こんな広い場所で歌ったりしたことあるか?」
「ありますよ。真さんと千早さんと一緒に、武道館やドームで歌ったことだってあるんですから」
「へー。それってスゲェのか?」
「すごいですよ。テレビにもいっぱい出たりして」
「ほぉー」
「……そういえばプッチャンさん、私のこと知ってます?」
「ん? 高槻やよい、だろ」
「そうじゃなくて、アイドルとしての私です。テレビで見たこととか……」
「ねーなぁ。宮神島に住んでちゃあ、あんまり外のニュースも入ってこねぇしよ」
「……そう、ですか。そう、なんだ……」
「ま、俺のいた世界には高槻やよいなんてアイドルは元々いなかったってことだろ」
「え?」
「例の並行世界の話さ。俺のいた世界じゃ、やよいはアイドルなんてしてなかった。もしくは売れてなかった。そういうことなんじゃねーのか?」
「……そうかも、ですね」

 両者共に、視線は茜空に固定したまま、和気藹々とも言えない微妙な会話を繰り返していた。
 互いに視線を合わせず、笑いも飛ばさず、無為に時間を消費するように、ただ止まっている。

「……ごめんなさい」
「どうしたよ、いきなり謝ったりして」
「私、嘘つきました」
「うそ?」
「本当は、武道館やドームで歌ったことなんてないんです。私たち、まだ駆け出しで」
「へえ」
「アイドルランクも低くて、でもこれから、これからだったんです」
「んじゃ、俺のいた世界でもやよいはちゃんとアイドルやってたのかもだな」
「はい」
「真や千早も、な」
「……はい」

 素っ気ない会話は、人当たりのいい二人からは想像もう出来ないほど異質な内容だった。
 プッチャンを右手に嵌めてかなりの時間が経過したというのに、今は築き上げてきた信頼がすっかり更地の状態になってしまっていた。
 やはり、あの人の喪失がきっかけなのかもしれない。

「やよいは、なんでアイドルになったんだ?」
「ふぇ?」
「アイドルになりたかった理由さ。当然、あるんだろ?」
「私が、アイドルになりたかった、理由……」
「なんとなくだとか、乙女の憧れだとか、そういった解答はNGとする」
「うう……言わなきゃダメですかー?」
「ダメってことはねぇけどさ。知りたいっていったら教えてくれねぇか?」
「いいですけどぉ……ちょっぴり恥ずかしいです」
「はは、こんな人形相手になにを恥ずかしがることがあるよ」
「……オフレコですよー?」
「オーケイ、命に代えても」

 冗談混じりに問いかけるプッチャンの顔は、どこかニマニマしていた。
 やよいは顔を赤らめながら、訥々と口を開く。

「……みんなで一緒に、盛り上がりたかったから」
「盛り上が……なんだって?」
「みんなで一緒に、盛り上がりたかったから。です」

 空に向けていた視線を自らの胸元へと移し、やよいは顔を俯かせた。

「……ん、まあ言いたいことはわかるけどよ、それでなんでアイドルなんだ?」
「子供の頃、町内のお祭りで歌ったことがあったんです」
「ほうほう」
「そしたらみんな、すっごい盛り上がって」
「まあ、祭りだからな」
「それがすっごく嬉しくって、もっとたくさんの人と、もっともっと盛り上がりたいって」
「思ったのか」
「思ったんです」
「へぇ~。立派な理由じゃねぇか。アイドルになれば、みんなと騒げるもんな」
「あとは……家計を助けたい、っていうのもありました」
「やよいん家は貧乏なんだっけか」
「はい。お父さんの仕事が安定しなくて……」
「そりゃあ大変だな。家族も多いんだろ?」
「大家族ですねー」
「しかも長女だ。苦労してんだろうなあ」
「……そうでも、ないです。私、周りに助けられて、ばかりだったから」

 やよいの声は、なにかを懐かしむように細く、小さく変質していく。
 それが現在の状況とかつての平穏照らし合わせた結果だということに、プッチャンはすぐ気づいた。
 気づいたところで、フォローを入れるには遅く、一瞬の内に失策を受け入れる。

「……帰りたい、んだったよな。ワリィ、辛さを煽るようなことしちまって」
「……よく、プロデューサーが私のこと励ましてくれたんです」
「やよいたちのマネージャーだっけか?」
「違います。プロデューサーです」
「そっか。んで、そのプロデューサーがどうしたって?」
「プロデューサー、私がへこたれるといつも言ってくれたんです。つらさは笑顔で吹き飛ばそう……って」

 語るやよいの顔は、完全に腕の中に沈んでしまっている。
 抱えた膝の中に埋没する表情は、右手という範囲でのみ活動可能なプッチャンでは覗けない。
 何者にも素顔を悟らせぬまま、やよいが言葉を紡ぐ。

「私の取り得、明るさくらいしかなかったから。いつでもニコニコできて、つらいときでも、笑えばすぐ元気になれたから」
「なら、笑えばいいじゃねぇか。今がその、つらいときなんだろう? 笑って吹き飛ばしちまえよ」
「……ダメです。笑えません」
「どうして?」
「……どうしても、です」

 やよいの体が、だんご虫のようにまた一段と丸まる。

「理由になってねぇよ。意地張らないで笑えばいいじゃねぇか」
「ダメです。ダメ……ううん。嫌、イヤなんです」
「笑いたくないのか? つらさを吹き飛ばしたくないのか?」
「はい。このままで、いいです」
「……どうしてだよ」
「だから、どうしても、です」

 やよいは、頑なに笑うことを拒否した。
 心中で尾を引くあの人との別れが、彼女に義務感にも似た意志を齎していた。
 笑ってはいけない。このつらさは、笑って吹き飛ばしていいようなものじゃない。
 背負っていかなくちゃいけないものなんだ、と。
 子供ながらに、子供だからこその、愚かな考えを胸に宿していたのかもしれない。

「……つらさは笑って吹き飛ばせ、か。それができたら、苦労はしないよな」
「え……?」

 プッチャンにしては暗い、陰鬱な声色が、やよいの視線を誘った。
 微かな湿り気を帯びた瞳が映し出すのは、いつもと変わらぬ不細工な表情。
 半開きの丸い目、鬣のような頭髪、短い手足、大きめの赤いネクタイ。
 人形としての特徴に変化はなく、しかし雰囲気だけが、どこか沈んでいるように見て取れた。

「俺は……笑えねぇ。笑ってつらさを吹き飛ばすことなんて、俺にはできないのさ」

 筋肉を持たないプッチャンは、表情のバリエーションに乏しい。
 パペット人形にとって喜怒哀楽を表現することは難しく、それは人形ながらに自我を持つプッチャンであっても、同じことだった。

「そんな……プッチャンさんは普通に笑えるはずじゃないですか。今までだって……」
「それは笑ってる風に見えるだけで、真に笑ってるとは言えないのさ」

 やよいとプッチャンの視線が、交差する。
 が、プッチャンのほうがすぐに視線を逸らし、言葉を続けた。

「楽しかったり嬉しかったりしても、俺は笑い声を出すことしかできねぇ。
 どんなに表情を緩ませようとしたって、この不細工な顔は変わらねぇのさ。
 同じように、泣くこともできない。どんなに悲しいことやつらいことがあったってな、涙なんて流せやしねぇ。
 俺はプッチャンである以前に、ただのパペット人形なのさ。それ以上でもそれ以下でもなく、な」

 人形でありながらも、纏う気配は人間のそれと大差ない。
 やよいの目から見ても、元気がない、という一点だけは明白だった。

「……プッチャンさんは、いま泣きたいんですか? それとも、笑いたいんですか?」
「さぁて……どっちかね。長いことこんな体でいるもんだから、そんな簡単なことも忘れちまった」

 遠き日を懐かしむように、プッチャンはまた空を見上げる。
 茜空と白雲が形作るグラデーションは、二人にかつての日常を連想させた。

「昔は、こんなんじゃなかったんだろうけどよ……」
「プッチャンさんの、昔って?」
「そうだな……昔話も、たまにはいいか」

 遠くの空で、カラスの鳴き声が聞こえたような気がした。
 幻聴だとわかっていても、こうやって夕闇を間近に控えた空を見れば、イメージせざるを得ない。
 ああ、そろそろ家に帰らなきゃ。けれど、まだ帰れない。
 ぼーっ、と顎を上方に逸らし、二人とも口だけを動かしていた。

「プッチャンっていうのは、世を忍ぶ仮の姿さ。なにも生まれたときから人形だったわけじゃない。
 もちろん、最初は人間として生まれた。まぁ……大人になる前に死んじまったけどな。
 けど、俺も奇妙な家計に生まれちまってなぁ。母親がちょっと変わった力を持ってたのさ。
 死んだ人間の意識や記憶を、人形に吹き込んで甦らせることができた。まるで神様みたいにな。
 で、俺も頼りない妹を残してこの世を去るのは未練だったもんでよ、その力の恩恵を授かったのさ。
 パペット人形のプッチャンとして、りのを見守り続ける。そんな生き方を選んだんだ、とっくに死んだはずの人間がよ」

 プッチャンの語りは一種の音色となって、空に消えていく。
 聞き手を務めるやよいは、ただ黙って耳を傾けていた。

「それが俺……プッチャンこと蘭堂哲也だ」

 初めて知った――おそらくはあの人も知らなかったであろう――本名を胸に刻み、やよいは驚嘆代わりの呟きを零す。

「プッチャンさんは……りのさんの、お兄さん」
「りのに会っても黙っておけよ。あいつは兄貴がいることすら知らねぇからな」

 この会場内には愚か、帰るべき世界に探したとしても、プッチャンの正体を知る者は皆無に等しいだろう。
 その希少な枠組みに、やよいは今、加入を果たした。
 しかし、赤の他人にも等しい彼女がプッチャンの正体を知ったところで、事態がどう転ぶわけでもない。
 神宮寺の事情も、蘭堂りのの将来も、この地におけるプッチャンの立ち位置にしても、やよいにはまったく関係のない事柄だった。

「……りのさんは、プッチャンさんの、たった一人の家族なんですよね?」
「ああ。かけがえのない家族さ」
「じゃあ、絶対に一緒に帰らなくちゃダメです。こんなところでしょ気てる場合じゃないですよ」
「……だろうな」
「お兄さんなんだから、しっかりしなくちゃ」
「……ああ」
「ほら、早くりのさんを探しに行きましょ?」
「……あー……いや、やっぱダメだわ」

 行動の主導権を握るやよいがすっくと立ち上がるも、プッチャンに覇気は戻らなかった。
 頭を垂れたまま、空ではなく向かいのグラウンドを見下ろし、やよいとは顔も合わせようとしない。

「もうちょっと休憩していこうぜ。焦る必要なんてねーんだからよ……」
「……お兄さんなんだから、しっかりしなくちゃ、ですよ?」
「あー……いや、そりゃわかってるんだけどよ。やっぱ、ダメなんだわ」
「うう~……なにがダメなんですか? わかりません……」

 立ち上がったまま、次のアクションに移行できないでいるやよい。
 一つの体に二つの意志を灯す彼女らは、互いに同調を図ろうとしている。
 だからこそ、やよいはプッチャンの意を蔑ろにしたままでは、歩み出せずにいた。

「……今のまま外に出て行っても、俺はきっと、やよいも、りのも守れない」

 曖昧に出立を拒むプッチャンが、その理由を口にした。

「後悔……してるんだと思う。俺には、できることがあった。
 見ているだけじゃなくて、できることがあったはずなんだ。
 ツヴァイって野郎に襲われたときみたいに、やよいを助けたときみたいに。
 俺は……相棒を助けることができたはずなんだ。
 相棒の命を……相棒を、死なせないことができたはずなんだよ!」

 プッチャンが述べたのは、己に対する憤慨だった。
 今の今まで、頑なに話題にはしようとしなかった例の一件を、相棒という禁句を口にしてまで、憤りを喚き散らしている。
 久しぶりに聞いたプッチャンの感情的な言葉に対し、やよいもまた、少しばかりの怒りを覚えた。

「……ずるい、です。今さら、そんなこと言うの」
「……ワリィ。けど、言わせてくれ。俺は」
「……聞きたく、ないです」
「……俺は、相棒を」
「聞きたく、ないっ!」

 やよいが、声を張り上げる。
 不思議なほど自然に出た怒声に、しかし驚く者はいなかった。
 やよい自身も、プッチャンも、両者の間に蟠る怒りを認識して、口を開くことをやめない。

「わかってるよ……やよいだってつらい。けどなぁ、俺だってつらいんだよ!
 相棒の苦しそうな顔が、いつまで経っても頭から消えやしねぇ!
 泣いたり笑ったりして忘れられるんなら、ぜひそうしたいところさ!
 けど、けどよ! 人形の俺様にはそんな簡単なことすらできないんだよ!」

 プッチャンの素っ頓狂な瞳が、やよいの双眸を芯で見据える。
 やよいはその眼差しを、睨みつけるような鋭さで持って返した。

「……ッ! やよいは……つらくても、笑えるじゃねぇか! 泣くことだってできるじゃねぇか!
 俺にはどっちもできない……相棒が死んだってのに、俺は表情一つ変えることができねぇんだよ!
 わかるのかよ!? やよいに俺の気持ちが……人形のまま生き続ける俺の気持ちがわかるってのかよ!?」

「わからない! わかりたくもない! プッチャンは……ただ卑屈になってるだけだもん!
 葛木先生は……葛木先生は、最後の最後まで私に元気をくれた! だから、だからせめて――」

「なら、どうして笑ってやらねぇんだよ! いつまでも落ち込んで、しょ気てんのはどっちだよ!?
 そんなんで相棒が喜ぶとでも思ってんのか!? 泣くことも笑うこともできない……違う、しようとしない!
 結局やよいは、つらすぎてどうすることもできないだけだろ!? そんなの、ただ逃げてるだけじゃねぇか!」

「違う!」

「違わねぇよ!」

「違うったら、違う!」

「こ、の……わからず屋!」

「わかっ……この、身の程知らず!」

「なっ……!?」

「もう、プッチャンなんて知らないっ!!」

「や――」

 やよいは左手でプッチャンの頭を鷲掴みにすると、そのまま床に投げつけた。
 宿主を失った人形は、途端に物言わぬ抜け殻と化し、論争の相手もまたいなくなる。
 柄にもなく声を荒げたやよいは、息切れを起こしながら足元のプッチャンを見下ろしていた。

「……っ」

 唇をキュッと噛み締めて、空いた右手を強く握る。
 久しぶりに感じる空気がやけに冷たく、右手の皮膚が暖を求めた。
 瞬間、地べたに這い蹲るプッチャンの瞳が、やよいの真っ赤な顔を見上げているような気がした。
 見下ろしているのは自分のほうなのに、やよいにはそれが酷く、攻めたてられているような気がして、

「――」

 たまらなくなり、その場から逃げ出した。
 一人ではなにもすることができないプッチャンを残して。

「……」

 少女が去り、人形から騒がしさが削がれ、風の音のみが残った球場。

 茜色の空には休まることなく雲が行き交い、時間の経過を知らせている。

 もう間もなく夜が訪れ、球場はナイター仕様にライトアップされるだろう。

 それでも、選手や観客は訪れない。

 こんな辺鄙な場所に、不細工な人形を拾いに来る者など現れるはずがない。

 仮にこのゲームが終わりを迎えたとしても、それは変わらないのだろう。

 永遠に、風化するまで、人形は無人の球場に居座り続ける。

 自分の意志では立ち退くこともできずに、時の流れを感じることもできずに。

 誰にも気づかれず、人形の持ち主にすら忘れられて、ただ延々と。

 それがどんな悲しいことだったとしても、運命と断念するしかない。

「……」

 考えれば考えるほど、悲しい話だった。

 一緒に笑い合った友達が、そんな運命を辿るのは居た堪れない。

 一時の感情に任せて非道に走ることすら、少女にとっては困難だった。

「ごめんなさい」

 再び、人形の廃棄された場所に舞い戻って、謝罪する。

 気恥ずかしさからか、拾う手よりもまず、声が出た。

 誰も聞いてはいない、形だけの謝罪が、単なる自己満足として虚無に流れた。

 おもむろに手を伸ばして、ひょいっ、と摘み上げる。

 右手にすっぽり嵌るそれを、数分ぶりに装着しなおした。

 相変わらずの不細工顔と目が合って、反射的にはにかんでみせる。

「……よぉ、久しぶり」
「……時間、ちょっぴりしか経ってません」
「そっか」
「そうです」
「んじゃあ、とりあえず、だな」
「とりあえず、ですねー」

 次第に濃くなっていく空の色を、揃えた視線で確かめ合いながら。
 やよいとプッチャンの二人は、

「「ごめんなさい」」

 まったく同時に、頭を下げた。


 ◇ ◇ ◇


 雲の流れはさらに加速して、暖色系の帳も徐々に暗転していく。
 空の移り変わりを観察するのも楽しくなってきたのか、やよいとプッチャンは依然として野外球場の一塁側スタンドに腰を落ち着かせていた。
 これまでのような素っ気ない会話はなく、今は二人とも、黙って口を動かし続けている。
 聞こえてくるのは、むしゃむしゃ、もぐもぐ、という咀嚼音。
 託された食料をただ作業的に、胃袋に貯蔵するつもりで食べていた。
 お昼ちょっと前に取った、遅めの朝ごはんを恋しく思ったのは、おそらく二人ともだろう。
 言葉はなくとも、かつてのような衝突の危険性は微塵も香らせず、不思議な連帯感が二人の間に刻まれていた。

「時間って、スゴイですよね。どんなにつらい目にあっても、時間が経てば自然に回復するんだもん。
 実はそんなにつらいわけじゃなかったのかな……なんて考えちゃうと、ちょっと悲しいです」

 ぱさぱさしたコッペパンを文句もなくたいらげ、やよいは平坦な口調で言った。

「それはあれだ、きっと、疲れちまうからだよ」
「疲れちゃうから?」
「つらいのは、誰だって疲れるだろ? ずっとつらいままじゃ、疲れっぱなしだ。
 だから疲れっぱなしにならないように、時間が経てば自然とつらくなくなるのさ。
 人間ってのは、そういう風にできてんだよ。きっと」
「それって、プッチャンもおんなじですか?」
「おんなじさ。俺も今は……さっきよりは、つらくない」

 項垂れていたプッチャンの姿勢が、心なしかこれまでよりシャキッとしているように見えた。
 笑うことも、泣くことも、結局はできなかったけれど、プッチャンはそれでも、いくらかは『マシ』になったようだ。

「ごはん、食べたから?」
「は?」
「……ううん、なんでも」
「みょうちくりんな発言はスキャンダルの元だぜ?」
「ううう、気をつけますぅ~」

 足元に散らばったパン屑が、風に吹かれて消えていく。
 突き刺さる寒気が、やよいの柔肌を容赦なく震わせた。

「……歌、うたいたいなぁ」
「歌えばいいじゃねぇか。こんなに広いステージなんだからよ」

 不意に零れたやよいの欲求を、プッチャンが即座に拾って返す。

「一人で騒いでも、全然楽しくないです。みんながいないと盛り上がれないもん」
「おいおい、この俺様がいるじゃねぇか。それでも不満だってのか?」
「じゃあ、プッチャン一人で十万人分盛り上げてみてください。それなら、歌えます」
「じゅうま……無茶振りにもほどがあるだろうオイ」
「それじゃあ、残念ながらライブは中止です。ばいばいサヨナラ。あ、そろそろスーパーの特売の時間かも」
「ぐぬぬ……なんてぇ暴虐武人なチャイドルだ」

 歌は、少女にとって手段でもあり、目的でもある。
 歌のためなら死んでもいい、そんな狂人的な信念を掲げるアイドルがいるように。
 また、歌を単なる自己表現の一環としか捉えず、踊りやビジュアルに熱意を注ぐアイドルがいるように。
 楽しいという気持ち、これを得るための術として、拙いながらも発声練習を繰り返す、未熟なアイドルが世の中にはいる。

「……けど、一人じゃない、ですよね」
「ん? なんか言ったか、やよい?」
「プッチャンを右手に嵌めてれば、私は、一人ぼっちにはならないんですよね」
「おーい、ぼそぼそ喋ってちゃ聞こえねーよ。業界人は声量が命だろ?」
「なんでもありませーん。空耳ですよー。きっと風の音かなにかですよー」
「……ま、そういうことにしといてやらあ」

 自分と同じ声を出す男の子との会話も、随分と慣れてきた。
 濁ったような声で舌足らずに喋るのも、随分と慣れてきた。

 腹話術の人形を、こんなにも長く嵌めていたのは、初めてかもしれない。
 妹以外の手に、こんなにも長く嵌っていたのは、初めてかもしれない。

 互いに、えへへ、と微笑み合って。
 互いに、ふふふ、と微笑み合って。

 本格的に落ちていく西日を、薄れていく喪失感と共に見送るのだった。

「これから、どうしましょうか」
「そうだなー、一度教会に戻ってみるか」
「え、どうしてですか?」
「真はもうこの辺にはいねーだろうしよ。あの古本屋からワープして、別の場所を捜すのさ」
「でもでも、古本屋さんに繋がってる階段やエレベーターは消えちゃいましたよ?」
「頼めばもう一回入れてくれるんじゃねぇか? なんせ、俺はまだ本を貰っちゃいねぇからな」
「あ~、そういえば……」
「ま、戻ったところで、やよいの貰ったナコト写本以上のお宝なんてなさそ……どうした、やよい?」

 プッチャンの提案によってなにかを思い出したやよいは、がさごそとデイパックを漁り始める。

「なんだなんだ、食いモンならさっき全部食っちまっただろ?」
「違いますよ~。確か、葛木先生の貰った本がこの中に……」
「あー、そういや相棒もなんか貰ってたな。適当に見繕ったって言ってたがいったい……」

 やよいとプッチャンが、揃ってデイパックの口を覗き込む。
 目的の書物はやがて、やよいの左手によって、静かに姿を現した。

「「あっ」」

 間の抜けた声が、重なる。
 掴み取ったそれが、意外な姿形をしていたせいだろう。

 本自体の厚みはそれほどでもなく、書物というよりは冊子というほうが相応しい。
 表紙は、可愛らしいイラストと、フォントの大きな文字に彩られている。
 ペラペラと中を捲っていくと、記されている文面も正に予想通り。
 やよいとプッチャンはさらに間の抜けた声を出して、

「やよい。一緒にタイトルを読み上げてみようぜ。ひょっとしたら俺の視力が落ちただけかもしれねぇ」
「の、のぞむところですっ!」
「よーし、いくぞ。せーの……」

 同一の声色で持ってして、おそらく誰にでも読めるであろう表題を、揃って口にした。


「「かんじドリル」」


 二人の間に、微妙な間が築かれる。
 わざわざ漢字を使わず、ひらがなとカタカナで構成された文面は、幼児以外なら誰でも読み上げられる。
 漢字の書き取りから読み、書き順の覚え方までなんでもござれな万能学習ドリルは、表紙の端に『小学校高学年用』と記されている。

「……そういやよ。やよいって何歳だったっけ?」
「十三歳、中学生です」
「相棒は、そのこと知ってったっけ?」
「う~ん、たぶん……教えてなかったと思います」
「嘆くなよ。まだ成長の見込みはあるぜ?」
「うぐっ!? わた、私、まだなにも嘆いてません!」
「認めちまえよー。小学生に間違えられたやよいちゃんよぉ」
「ううう~、そんなまさかぁ」

 心当たりなら、あった。
 おそらくはそう、直枝理樹真アサシン伊藤誠菊地真と接触し、情報交換を行ったときか。
 もしくは、二回の定時放送の際にペンを握ったそのときか。
 いずれにせよ、プッチャンの相棒にして、やよいの保護者代わりを務めていた、勤勉すぎる教師は、見過ごせなかったのだろう。
 高槻やよいという少女の、見るも無残な悪筆ぶりを。

「いま、ちょっと興味が湧いた。相棒が先生やってた学校ってのは、どんな堅苦しい場所だったんだろうなぁ」
「私、成績悪いけどそれはアイドルのお仕事が忙しいからでぇ、がんばればできる子なんですぅ~」
「んじゃ、がんばって漢字の書き取りな。相棒の残してくれた宿題、精一杯やってやれよ」

 葛木宗一郎という教師は、優秀すぎるが故に、融通が利かないところがあった。
 問題用紙に誤字が一箇所あっただけで試験を中断したりと、一般的に見れば変人的なまでに優秀な教師だった。
 彼のような教師ならば。
 実の教え子ではないとしても、指導するに値する子供を前にして、無視することができただろうか。
 大事の途中においても、学力の低下を容認することができただろうか。
 有力な物資の調達が見込めないと判明し、その権利を教師としての職務にあてず放棄することができただろうか。

「あ、あれ?」

 きっと、どれもできなかったんだろうなぁ……と、二人して心の中で笑う。
 他愛もない笑みは、表面に出さないからこそ、自然に作れた。
 自然に笑えたら、不思議と涙が零れてきた。
 我慢していたはずの感情が、意識せず、内側の壁を突き破る。
 抑制の効かない衝動は、人間であるやよいだけの特権だった。
 頬を濡らしていくやよいの顔を見て、プッチャンは口元だけで笑む。

「あの、えっと、その、ごめんなさい。えぐっ……ちょっとだけ、あっち向いててもらえますか?」
「やーだね。さっき捨てられた仕返しとして、やよいが泣き止むまでずっと側で見ててやる」
「ふ、ふぇぇ~? ぷ、プッチャンのいじわるぅぅぅ……」
「はっはっは。今頃気づいても遅いぜ。このプッチャン様は、紳士であると同時に意地悪なヤツなのさ」

 やよいの泣き顔を肴に、プッチャンがゲラゲラと声だけで笑う。
 やよいは顔を赤らめながら、プッチャンの視線による集中砲火を浴び続けた。

「ぐへ、ぐへへへ……」
「うわ、なんだそれ。きもちわりぃ」
「泣き顔を見られるの、恥ずかしいから、泣きながら、笑ってみました」
「余計に恥ずかしいぞ、それ。ファンが見たら泣くって」
「ぐへへぇー」
「ぐへへへー」
「あうっ! 真似された!?」

 時計の針が六の数字を刻むその直前まで、やよいとプッチャンの二人は、談笑を続けた。
 仮初の日常もどきを、偽った心で楽しみ、明日への希望として繋いでいく。
 実際はまだ四分の三日ほどしか経過していないが、次の放送でもう、四日目くらいのような気がしてならなかった。

「まー……それはそれとして、だ」
「はい?」
「景気づけしようぜ」
「ケーキ漬け? あ……ああ、あ~」
「ほら、わかったんなら手ぇ出せ、手! 一人でもできるなんて、なんだかすっごくお得じゃねぇか!?」
「本当だ! なんだかとっても得した気分!」

 容易い伝心を受けて、ほんの少しだけ、お互いの距離が近づいたような、 そんな気がした。

「うっうー! ハイ、タァ~ッチ!」

 フェルトの手と人肌では、パンッ、という乾いた音はならなかったけれど。
 ぽむっ、という柔らかい音が、やよいとプッチャンの絆の証にも思えた。


 ◇ ◇ ◇


 他事に気を取られ、大切な人たちの存在を忘れてしまう。
 自分ひとりだけ苦労していた気になって、それを認めようともしない。

 だが、もしも。
 離れ離れになることのない、『自分』を見つめてくれる『家族』が、
 限りなく側に――例えば、右手に――居続けてくれたなら。

 同じ希望に燃える仲間同士、その存在を、真なる家族と呼べる日が来るのだろうか。

 ――私が、こうやって生徒でもない他人を思っているのも。

 家族という概念の本質を、知った風に語っているのも。
 あるいは……そうだな。そういうことなのだろう。

 言葉だけでは言えない熱い気持ちも、

 一人で、なければ。

 ……共有が、幸せということか。

 だとしたら、きっと。


 ――家族とは、無敵なのだろうな。



【A-2 野外球場/1日目 夕方(放送直前)】

【高槻やよい@THEIDOLM@STER】
【装備】:プッチャン(右手)
【所持品】:支給品一式(食料なし)、弾丸全種セット(100発入り、37mmスタンダード弾のみ95発)、
      かんじドリル、ナコト写本@機神咆哮デモンベイン、木彫りのヒトデ10/64、
      エクスカリバーMk2マルチショット・ライオットガン(4/5)@現実
【状態】:元気、上着無し
【思考・行動】
 1:教会に戻る?
 2:真を捜して合流する。
 3:暇ができたら漢字ドリルをやる。
【備考】
 ※博物館に展示されていた情報をうろ覚えながら覚えています。
 ※直枝理樹の知り合いについて情報を得ました。
 ※死者蘇生と平行世界について知りました。
 ※教会の地下を発見。とある古書店に訪れました。
 ※とある古書店での情報を覚えました。

【プッチャン@極上生徒会】
【装備】:ルールブレイカー@Fate/staynight[RealtaNua]
【状態】:元気
【思考・行動】
 1:やよいと一緒に行動。
 2:りのを捜して合流する。


171:この魂に憐れみを -Kyrie Eleison- 投下順 173:Rewrite
171:この魂に憐れみを -Kyrie Eleison- 時系列順 177:踊り場の見えざる手
164:人であったもの/人で無くなったもの 高槻やよい 189:ζ*'ヮ')ζ<Okey-dokey?


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