劉辟


劉辟(りゅうへき)
字は不明

(?-196?201?)
はっきり言って、この人は一度死んで再び登場している。
正史に普通に載ってるし、正史に注釈を入れた裴松之も気が付いていない。
はっきりしているのは、黄巾賊の一味であるということ。

一度目は196年。
何儀の項にもあるが、曹操が献帝を迎え入れようとしたのを阻止した袁術側に味方しているが、その後孫堅にも近づいている。
そして、曹操の攻撃を受け、捕まって「斬られた」。

その4年後。
曹操に降伏していた劉辟は汝南で反逆。
袁紹は劉備に命じて劉辟を援助。
しかし、曹操軍の曹仁にこんてんぱんにされ劉備は逃走。
劉辟のその後の詳細は不明。


三国志演義では。
黄巾の残党として汝南で龔都と一緒になって暴れ、討伐に来た曹操軍の曹洪を苦しめる。
その後、袁紹に帰順している。
官渡の戦いでは曹操の背後を攻めようとするが、そこへ来たのは曹操軍に身を置いていた(劉備の妻を人質に取られていた為)関羽だった。
その時、関羽の主君である劉備は袁紹の下にいたので、劉備の元へ戻らせる為の下準備を始める。
関羽には内情を伝え、わざと負けて汝南を取らせて、関羽が去った後にすぐまた取り返した。
その後、袁紹の命で来た劉備を迎え、更に曹操の下から離反した関羽と山賊をしていた張飛などを迎え入れる。
曹操が袁紹と戦っている隙に曹操の御膝元である許都を襲おうとしたが、逆に夏侯惇に攻められて城を放棄。
敗残の兵を集めて劉備の元に駆けつけた。
しかし、逃げ場を失い自刃しようとする劉備を引き留め、血路を開こうとして高覧に一騎打ちを挑むが、簡単に討ち取られた。
最終更新:2010年02月12日 21:13