張曼成


張曼成(ちょうまんせい)
字は不明

(?-184)
南陽黄巾賊の首領。
184年、宦官と通じ内外から乱を起こそうとしたが、その宦官へと通じる為の使者になった太平道(黄巾賊の元となった)総司令官である馬元義が部下の密告により捕えられた。
そして、洛陽で車裂きの極刑にさせられた。
張曼成はそのことを耳にし、南陽で兵を起こす(他でも蜂起し、黄巾の乱の始まりとなった)。
南陽太守を殺害し宛城に駐屯する。
しかし、新任の太守である秦頡が反撃し、張曼成は斬られた。


※正史に名前はない。後漢書の朱儁伝などに名前が載っている。
(引用:中国版Wikipedia)
最終更新:2010年02月13日 14:15