1997年4月2日生まれ。大阪府出身。
2015年にドラフト8巡目指名。
小学4年の時に野球を始め、中学時代にはボーイズリーグに所属してエースとして活躍。
天理高校に進学も1年途中で退学、工事現場のアルバイトをしていたが秋に大阪偕星学園へ編入。
規定で公式戦に1年間出場できず、一時練習に参加しない時期があったが指導者や部の仲間に支えられて再び復帰。
3年春に控え投手として大阪府大会準優勝に貢献、夏には外野手として大阪府予選に優勝、打率.500本塁打2本を記録。
甲子園では3回戦で敗退するも12打数4安打と結果を残す。
「一度痛みが出ると長引く(18年春季キャンプ中継より
コユキさん談)」、負傷すると欠場が長引いたりしていたが、
18年シーズンは後半になるとホームランを量産するようになり、ファームで3番を担うようになった。同年10月2日に初めて1軍に昇格、翌日の3日対西武にて8回ライトの守備から出場、9回に無死満塁から打席が回り初球を内野ゴロ併殺もランナーを返した。翌日4日は1番ライトで先発出場、1つ四球で出塁するも3三振を喫して9回に代打を送られた。以降は2軍暮らしが続き、20年11月25日に一度は戦力外となるものの同年12月14日に育成で再契約を結んだ。
21年シーズン、春先は下半身のコンディション不良で試合に出場ができない状態が続いていたが、球団から投手転向の打診を受け
投手に転向という報道が報じられ、同年6月21日に正式に外野手→投手へ変更となった。同年9月7日のイースタンでの対巨人にて登板、1回を無失点に抑え最速154キロをマーク。
22年3月16日に
オープン戦(vs西武)にて1軍初登板も1回に満塁ホームランを含む5失点を浴びる。同年10月10日のフェニックスリーグにおいて、対独立リーグ選抜にて2番手にて登板して投手転向後初勝利をあげた。
その後はファームで研鑽を続けていたが23年10月3日に戦力外通告を受け、同年11月に鎌ヶ谷でのトライアウトも受験したがその後自身のSNSにて現役引退を発表した。
エピソード
- 184cm79kg、恵まれた体格の外野手。
- 小学3年の時に平泳ぎでジュニアオリンピックに出場の経験がある。
- 平沼とは夏の甲子園の抽選会場で知り合った。
- 入寮前日に大阪偕星の同級生から納豆やわさびやタバスコなどを掛けられていた。
- 好きな言葉は「愛があっての人付き合い」で色紙にも書いているようだ。
- 16年7月15日に球団より右打→両打に登録が変更も20年シーズンより再び右打に登録を戻した。
最終更新:2023年12月02日 20:33