岩井隆之

1953年5月30日 大分県生まれ
本名は岩井靖久(後述)。
法政大学を経て1975年にドラフト2位で大洋ホエールズ(当時)へ入団。

入団後は主に守備固めとして起用され、1980年に背番号変更と共に現在の名前に改名。
1982年に交換トレードで日本ハム入り。
翌年に頭角を現してセカンドのレギュラー争いに加わり、84年には主力のけがでショートのレギュラーとなり.286の成績を残す(規定到達)。
翌年に主力が復帰するとセカンドに戻るも白井が台頭して出場機会が減少して1988年で引退。

引退後は2年間スカウトとして残る。
その後は1991年に古巣(ベイスターズ)の2軍守備走塁コーチ→1軍内野守備コーチ→スカウト→2軍監督を歴任する。
06年に再びハムに戻りスカウトに復帰。17年シーズンより終了まで2軍内野守備コーチを務め、再びスカウト(プロ)となることが発表されるも、17年12月に退団が発表された。

エピソード

  • ハムのスカウト時代に中島を発掘。大洋時代は内川(ソフトバンク)なども発掘した。

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最終更新:2017年12月27日 13:34