杉浦稔大

1992年2月25日生まれ。北海道帯広市出身
読み方は「すぎうら としひろ」
2013年にドラフト1位でヤクルトに指名(大瀬良の外れ1位)。

小学校より野球を始め、中学では軟式野球に所属(後述)。
帯広大谷高校時代は3年夏に道大会決勝に進むも甲子園に行くことはなく、プロ指名届を提出するも指名漏れとなる。
國學院大學に進学し、2年春よりリーグ戦に出場も2部落ちとなり、秋までの4季は登板機会に恵まれずに4試合8回1/3を投げるも勝ち星なし。
3年時にエース格となり7試合で先発、3勝2完封と2部リーグ優勝の原動力となり、入れ替え戦では2勝をあげて1部リーグへ復帰。
4年春はけがの為に途中で戦線を離脱。リーグ戦終了後には大学日本代表に選出される(第4戦に先発も2/3回4失点でKO)。
4年秋には防御率3.48と苦しむもリーグ2位の5勝3完投をあげる。

ヤクルト入団後、14年春季キャンプ中に右ひじを痛め(その後靭帯断裂と判明)離脱、手術せずにリハビリに励み同年7月21日のファーム戦で復帰。9月に昇格すると10日の対DeNAでプロ初先発初登板を果たす(6回4安打2失点9奪三振もムエンゴで敗戦投手)。プロ初勝利は同年9月24日の対広島であった。
15年シーズンは開幕ローテに入るも、肘の違和感で離脱して9月にようやく復帰。日本シリーズで第3戦に登板も5回途中4失点であった(その後はチームが逆転して勝ち負けつかず)。
16年シーズンはローテ争いに敗れ、中継ぎを経験するも2軍落ち。6月に先発として昇格も怪我で離脱、9月に復帰するとキャリアハイの3勝をあげるも防御率はキャリア最低であった。シーズン終了後に背番号を58へ変更。
17年シーズンは4月に1軍昇格もその後は右肩違和感の為に2軍へ降格する。同年7月24日に屋宜との交換トレードで入団が発表となった。
入団後もしばらくは鎌ヶ谷でリハビリを行っていたが、18年4月26日のファーム公式戦(対楽天)で久々に試合に出場、ホームランで1失点も1安打2三振1四球1失点という内容だった。復帰後8試合で31奪三振という内容で同年7月21日に移籍後初昇格、同日の対ソフトバンクにて移籍後初先発初登板、5回を投げて1死球無失点というほぼパーフェクトの内容で降板、およそ2年ぶりの勝利をあげてお立ち台に立った。
その後は先発として徐々に登板会を増やしていくも、21年シーズンはオープン戦から抑えとして登板することとなりシーズンでも抑えになることとなる。同年の開幕1軍メンバーに選出された。シーズン終了後に背番号が22に変更となる事が発表された。

エピソード

  • 中学まで野球と並行してアイスホッケー選手としても活躍していた。
  • 17年元旦に結婚、夫人は元モーニング娘で元テレビ東京アナウンサーであった紺野あさ美である。

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最終更新:2021年12月05日 16:46