藤岡貴裕

1989年7月17日生まれ。群馬県出身。
読み方は「ふじおか たかひろ」
東洋大学を経て2011年に3球団競合の末、
ドラフト1位でロッテに指名される。(後述)

桐生第一高時代に投手に転向、2年夏甲子園に控えの外野手として出場、1回戦で途中出場も2回戦の対東洋大姫路高では出場なし(後述)。
翌年春の選抜では外野手兼控え投手として出場も初戦で敗退、夏は地方大会で姿を消した。
卒業後は東洋大学に進学、1年目からリーグ戦に出場。09~10年にかけて39回無失点記録を作る、3年生には開幕から3試合連続完封、6勝をあげて大会MVPを獲得。
この年の大学野球選手権では2つの完投をあげて優勝に貢献、MVPと最優秀投手賞を受賞。秋にも最優秀投手賞を獲得、この年の世界大学野球の日本代表に選出された。
4年には副主将に選出、東都大学春季リーグ戦で5勝をあげて2度目のMVPと最優秀投手賞を受賞、全日本大学野球選手権では2回戦で大会タイ記録の19奪三振を記録して2年連続のMVPを獲得。
秋季リーグでは8試合に登板して6勝をあげ、通算奪三振数300を達成、この年のベストナイン、敢闘賞、最優秀選手賞を獲得。
大学通算では49試合に登板27勝9敗、奪三振数323、防御率1.31。全国大会で登板試合11試合、投球回数59、奪三振数74、防御率0.92を記録。この年の大学日米野球の日本代表にも選出された。

入団後、ルーキーイヤーは開幕から1軍スタート、12年の4月1日の対楽天でプロ初先発、8回途中まで投げて4安打奪三振6でプロ初勝利をあげた。この年の4月末まで3勝を挙げるもその後は伸び悩み2軍降格もあって6勝7敗でシーズンを終える。
13年シーズン当初は先発も途中からロングリリーフに転向、39試合の登板となった。15年シーズン当初も先発であったが、1軍と2軍の行き来を繰り返して6月以降は中継ぎ登板となった。
17年シーズンは開幕1軍で中継ぎも成績が安定せず、1軍と2軍の行き来を繰り返して再び7月以降は2軍暮らしが続いた。

18年7月26日に岡大海との交換トレードでハム入り、同年8月2日のイースタン戦(対DeNA)にてリードしている中で2番手として登板、一度は同点に追いつかれるも、その裏に味方が逆転サヨナラヒットを放って、2軍でとはいえ移籍後初勝利となった。同年8月16日に昇格即古巣のロッテ戦に先発も3回に集中打を浴びて5回持たずに降板、そのまま負け投手となった。
19年シーズンは国頭スタート。同年5月14日に初昇格を果たすもわずか2試合のみの登板に留まった。同年5月23日に登録抹消、以降は2軍での登板が続いた。同年6月26日に鍵谷と共にみつお宇佐見との交換トレードで巨人へ行くこととなった。

エピソード

  • 高校時代で対戦した東洋大姫路の投手の乾真大(現富山BCリーグ)は大学では1年先輩となった。
  • 大学時代は菅野智之(東海大/現巨人)と野村祐輔(明治大/現広島)と共に大学BIG3と呼ばれていた。
  • 入寮の際にその菅野と野村と共に撮った写真を、春季キャンプでは抱き枕を忘れてくるという。
  • 新人選手研修会恒例の「話し方、インタビューへの対応」講義において、模擬インタビューでの受け答えを講師役の元ニッポン放送アナウンサー深沢弘氏から100点満点と評された。
  • 家族は夫人と長男。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2019年06月26日 16:41