1997年8月31日生まれ 北海道出身(鹿部町/後述)
読み方は「いとう ひろみ」
2020年にドラフト1巡目指名。
小学2年から軟式野球を始めて中学ではシニアリーグに所属。
駒大苫小牧高に進学し、1年の秋からベンチ入りを果たす。
7戦に起用されて防御率1.25と活躍して全道優勝に貢献。
神宮大会で先発も初戦敗退となった。
翌年の春のセンバツでは2戦に登板して防御率1.17という成績を残した。
2年の夏では予選で主戦を担うも肘を負傷も3年生の春の大会では主将としてチームを引っ張る存在に。
夏は南地区代表大会に出場してベスト8で敗退。
その後駒沢大学に進学も17年春に苫小牧駒大へ再入学した(後述)。
規定による1年間の出場停止を経て2年次春よりリーグ戦に出場、開幕戦では初登板初先発を果たした。
その後6勝負けなしの活躍で8季ぶりの優勝に導いてMVPと最優秀投手とベストナインに選出された。
秋に左足首の骨折というけがを負ったが克服して防御率1.53を記録。
4年秋には5季ぶりの優勝も神宮大会は新型コロナウィルスもあり中止の憂き目にあう。
それでも防御率0.55と好成績を残して最高殊勲選手と優秀投手に選出。
国際大会では2年生の時に日米野球とハーレム大会、3年生時には日米野球に選出、リリーフ中心で防御率0.42と結果を残した。
21年春季キャンプは名護組スタート、同年2月13日の紅白戦で最速149キロを計測も雨でノーゲームとなった。同年3月31日の対西武にて本拠地初先発デビューを果たす。ホームランは打たれても6回をこの1失点に留める好投だった。
以降毎週水曜日に登板、全てQSもしくはHQS達成もし、同年4月21の対ロッテではハムOBの木田勇さんと並ぶ、デビューからの連続23イニング奪三振を記録もムエンゴで勝利まで遠く、同年4月28日の対ソフトバンクにてようやくプロ初勝利。
交流戦では3勝+防御率0.90と2冠を達成、この年の日本生命賞を受賞。同年8月29日の対西武にてプロ初完封を達成した。またこの年の東京五輪で辞退した選手の代打で選出、3試合に中継ぎとして登板して好投。韓国戦では勝利投手となり金メダル獲得の一因となった。
22年シーズンも先発として活躍、2年連続2ケタ勝利も上げたがシーズン終盤の同年9月26日にプロ初セーブをあげた。
23年シーズンの幕開けはハムから唯一WBCメンバーに選出、第1ラウンドでの対中国では最終回に投げて三振2の無失点、準々決勝では
オオタニサンの後2番手で5回に登板して抑えてホールド、決勝戦では6回に4番手で登板して三振1含む3凡。WBC優勝の一端を担った。WBC明けの公式戦でなかなか調子が出なかった事もあったが徐々に調子を取り戻しつつある。同年6月17日の対中日にてプロ初安打となるツーベースはタイムリーとなり打点もついた。
エピソード
- 176cm、82kg、最速155㌔を誇る本格派の右オーバースロー。
- 北海道出身の選手がドラ1で指名されるのは初めてのことである。
- 駒沢大学1年生時に中退後、苫小牧駒大へ再編入で平沼らと同学年である
- 幼少期に地元の体験教室にて盛田さんに指導されたことがあったそう。
- 家族は両親と姉と11歳下の弟
- 祖父(故人)と父親はタコ壺漁師、エピソードは「お母さんありがとう」でもOAされた
- 家系が漁師であることから入団交渉は苫小牧市の漁港で行われた。
- 入寮時は私服もテレビも持参せず「全集中」で臨むとのこと。
- ダルビッシュの大ファンで、髪型を真似している。自身もYouTubeチャンネルを持つなどダルの影響は大きいようだ。
- そのダルと23年の自主トレを共にするという念願が叶った。
- 23年のオフに一般女性と入籍した。
- 2024年のプロ野球チップス第1弾にてカードに「176m」と誤植されていた(正しくは176cm)。
最終更新:2024年04月20日 17:07