1994年7月19日生まれ。神奈川県出身
読み方は「たなか せいぎ」(後述)
2016年にドラフト1位で5球団競合の末ソフトバンクに指名(後述)。
小学校より野球を始め当初は投手のスタートも肩の痛みから一時は外野手へ転向。
創価大学へ進学後は再び投手に戻る。2年春に公式戦初登板し最速151km/h、11奪三振の記録をあげる。
3年春にはリーグ戦で無失点を記録、この年のユニバーシアード代表vsNPB選抜では7連続奪三振を記録、秋にはノーヒットノーランを記録。
4年時には肩の痛みが再発、夏には右ふともも裏を痛めたりもしたが秋に復活、最速155km/hをあげるまでになった。
当初は大リーグを目標にしていたがNPBへ目標を転換、この年のドラフトではハムも指名していたがソフトバンクが引き当てた。
ルーキーイヤーの17年は再び肩の痛みが再発、キャンプでもリハビリ組入り。同年6月23日の3軍社会人との交流戦にてプロ初登板、これを含めて7試合に登板し、2軍では同年9月23日の対阪神にて登板したのみとなる。
18年シーズンは春季キャンプで結果を残して開幕メンバー入り、同年4月1日の対オリックスにて中継ぎとして初の登板、その後10試合を投げるも7月に体調を崩して以来登板はなかった。
19年シーズンはキャンプで最速150km/hに近づく149km/hをあげるも右肩の痛みが再発、1軍でも1試合のみの登板に留まる。
20年シーズンも右肩の痛みの影響があり1軍での登板はなかったが21年シーズンは救援で18試合登板。
22年シーズンでは再び右肩の痛みで登板できたのが7月中旬の2軍での登板となる。いったん8月に1軍昇格もコロナ罹患となり5試合の登板に留まった。
23年1月11日に
近藤健介の人的補償として獲得が発表された。同年4月26日の対オリックスの9回のマウンドに立ちプロ初セーブをあげた。
同年5月7日の対楽天の9回に登板し、三者連続三振を挙げたその裏、
上川畑のサヨナラ打が出た為、7年目でようやくプロ初勝利をあげた(後述)。
いしちょくの離脱もあったがそのごは9回を任される事も増えて、9回表にはオリジナルのビジョンが制作されるまでになった。またこの年のオールスターでは監督推薦にて初選出。誕生日である1戦目のバンテリンドームで7回に登場もバースデイホームランを打たれてしまった。
エピソード
- 名前が「正義」であるが為、ニックネームは「ジャスティス」。
- 池田とは高校大学通じてチームメイトである。まさかプロでも。
- サヨナラ勝利のお立ち台にも立ち、その時はウイニングボールが手元になかった為「見つけた方は田中までお願いします。」、その後無事手元に届いたようでよかったよかった。
最終更新:2023年07月20日 21:50