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勘弁記
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勘弁記
山本周五郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)周藤《すどう》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#8字下げ]
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[#8字下げ]一[#「一」は中見出し]
「どこまでつれてゆくんだ」「なにもうそこだよ」「おなじことばかり云っているが、もうやがて仕置場ではないか」「仕置場が恐ろしいわけでもないだろう」印東弥五兵衛はにたりと笑い、まるい肥えた肩をすくめながら空を仰いだ。「それより見ろ、いい月だぞ」
周藤《すどう》新六郎はにがにがしげに唇を歪《ゆが》めた、つまらぬ事を面白そうに持ってまわるのが弥五兵衛の癖である。着物の衿が曲っているのを注意するのにも、いろいろ遠まわしに仄《ほの》めかしたあげく「いって鏡をみろ」というような風だった。新六郎のほうは単純で直截《ちょくせつ》で、いつもけじめのはっきりしたことを好んでいた。衿が曲っていれば「衿が曲っているぞ」と云うだけである。弥五兵衛にしたがえばしかしそれはきょく[#「きょく」に傍点]が無さすぎるという、それでは却って相手に恥をかかせる場合もある、やはり自分のようにするのが「人情の機微」に触れているというのだった。……まいつき十五日に、馬廻り番の若ざむらいたち十人ばかりで、まわりもちで武道の話をする集りがあった、その夜も楯岡《たておか》市之進の家で十時ころまで話した帰りに、面白いものをみせるからぜひとさそいだした。興もなかったがあまり熱心にすすめるので、云うなりについて来ると、城下を出はずれ、旭川の堤にのぼってずんずん川上のほうへゆく、もうすぐだと云うばかりでなにも説明しない、そのようすがいつもの思わせぶりにみえるので、新六郎はしだいにばかばかしくなりだした。……秋十月のしずかな夜で、ちょうど頭上へ昇った月が川波にきらきらと光を投げていた、そのあたりは両岸とも荒地や叢林《そうりん》がつづいていた、ひっそりと眠ったように黝《くろ》ずんだ森がみえ、早くも裸になった梢の枝を寒々と月に照らされている楢《なら》の林がみえた。深い藪の奥のほうでなにかに驚いた寝鳥がけたたましく叫び、ばさばさと羽ばたきをしてすぐにまた鎮まった。
「おい此処だ、しずかにして呉れ」弥五兵衛がそう云って足をとめた。堤の右は川、左がわに枯れた草原があり、そのさきに赭土《あかつち》のかなり高い崖がのびている。「そう見まわしたって此処に何もあるわけじゃない、みせるというのは是だよ」弥五兵衛はそっと自分のさしている大剣の柄へ手をやった。「是は貴公も知っているとおり夏のはじめに求めた粟田口の新刀だ、みんなの鑑定ですがた[#「すがた」に傍点]はよいが斬れ味はわるかろうと云われたあれだ」「印東、――ためし斬りか」「そう云うだろうと思ったから黙ってつれて来たんだ、しかし相手は乞食だ、いやまあ聞けよ、半月ばかりまえからおれは食事をはこんでやっている、乞食非人とおちぶれては生きていても世のためにはならぬ、云ってみれば穀潰《ごくつぶ》しだ、それを半月おれは養ってやった、つまり今夜あるがためさ、見ていて呉れ」「待て印東、それは乱暴だ、印東」
呼びとめたけれど、弥五兵衛はもう大股に草原をあるいていった。月をいっぱいに浴びた赭土の崖の一部に、入口を枯草でかこまれた洞穴がみえている。弥五兵衛はその洞穴へ近よっていって声をかけた。「これ奥州とやら、もう寝たのか」洞のなかでなにか答える声がした。「出てまいれ、月見もどりだ、酒肴《しゅこう》の残りを持って来てやったぞ」
もういちど答える声がした、そして穴の中から乞食が出て来た。新六郎は堤からおりて草原の中に立っていた、弥五兵衛は紙に包んだものを乞食に与え、ちら[#「ちら」に傍点]とこっちへふりかえった。そして乞食が貰ったものを押戴いたとき、かれはちょっと身をひくような恰好をした。えい[#「えい」に傍点]という叫びが聞え、白刃がきらっと月光を截った、なかなか的確な一刀だった、乞食のからだは薙《な》ぎ倒された草のように右へよろめいた、しかしそれは斬られたのではなかった、右へよろめいたと見た次の刹那に、乞食はすっと立ち直っていたし、どうしたものか、氷のようにするどく光る大剣を抜いて、青眼に構えていた。新六郎はあっ[#「あっ」に傍点]と思った、弥五兵衛のおどろきはそれ以上だったに違いない。かれは逆上したようすで、絶叫しながらむにむさんに斬りこんだ、まるで桁違いの腕である。――これはあべこべに斬られる。そう思ったので、新六郎は大きく声をかけながら二人の間へ割ってはいった。「お待ち下さい、危い、印東かたなをひけ」
[#8字下げ]二[#「二」は中見出し]
年は二十七か八であろう、鬢髪《びんはつ》ものび、ながい労苦で肉もおちているが、眼つき唇もとに凛とした気質がみえるし、月光にうつしだされた肩のあたりも、つづれこそまとっているがどこか昂然たるものを持っていた。「わたくしは松野金五郎、父は金右衛門と申しました」かれはさっきの無反《むぞり》の直刀を仕込んだ竹杖をかかえ、洞穴の下の枯草のなかに腰をおろして、月を見あげるようにしながら語りだした。新六郎はかれと向きあって坐り、弥五兵衛はそのうしろへさがったところにいた、そしてまだときどき苦しそうに深い息をついては生つばをのんだ。「父は大和のくに高取藩士で、七百石の徒士組《かちぐみ》ばんがしらを勤めておりましたが、いまから六年まえ、ある事情から組下の者のために闇討ちを仕掛けられ、抜き合せは致しましたものの、ついに斬り伏せられてしまいました、以来わたくしはそのかたきを求めて諸国をめぐってあるき、ごらんのとおり」かれは袖をかえして苦笑した。「乞食《こつじき》非人の境涯にまでおちぶれました。しかしその甲斐あって、ようやく当のかたきのいどころをつきとめることができたのです。かたきは御当藩にいたのです」
「かたきが岡山藩に」弥五兵衛が身をのりだした、「してその、その者の姓名はなんと云います」
「いや待て、それを伺うまえに」新六郎はさえぎって訊いた。「おたずね申すが、御尊父がお討たれなすった事情というのはどのようなものですか」「それは申上げられません」ふと眼をそらす表情を、新六郎はじっと見まもりながら、「しかし伺わなければならぬ」とたたみかけて訊いた、「こうして無理にお身の上をうちあけて頂くからは、われわれとしても武道のてまえ聞き捨てにはならぬ、しかし御尊父のお討たれなすった事情によっては、はなはだ申しにくいがお力添えはなりかねます、だからぜひその事情は聞かして頂かなくてはならぬと思います」
「――申しにくい事なのです」金五郎は口ごもりながら、いかにも云いにくそうに答えた。「しかし、さよう、やはり申上げるのが本当でしょう。――実は、その者はわたくしの妹に恋慕して、再三ならず文をつけ、また酒のうえでしょうが路上で無礼なふるまいを致しました、それで父が面罵《めんば》したのです、言葉はどうあったか知りません。しかし父は少くとも他人に聞かれる場所を避けるだけの思遣《おもいや》りは忘れませんでした。それが原因でした、――申上げたくなかったのは、そういうかんばしからぬ事情だったからです」「それで充分です」新六郎はうなずいて云った。「その者の姓名をお聞かせ下さい」「旧主家にいるときは飯沼外記之介といいました、御当藩では楯岡市之進と申しております」「――楯岡市之進」弥五兵衛がおどろきの声をあげた、新六郎はそれを抑えつけた。「相違ありませんか」「当人をしかと見届けています、たしかに間違いはありません」新六郎はちょっと考えるようすだったが、すぐに向き直ってはっきりと云った。「よくわかりました、及ばずながら御本望を達するようお力添えを致しましょう。しかしなお数日お待ち下さい、晴れて勝負のできるようにはからいたいと思いますから」
「お話し申したうえは万事おさしずどおりに致します、よろしくおたのみ申します」
「では今宵はこれで」そう云って新六郎は弥五兵衛をうながして立った、「いずれ明日にもまたお眼にかかりにまいります」
松野金五郎は堤の上まで送って来た、月はいよいよ冴え、霜でもおりるのか、空気はひどく冷えてきた。新六郎は黙って、大股にずんずんあるいてゆく、弥五兵衛はその肩をみながらうしろからとぼとぼついていったが、やがていかにも困惑したような調子で云った。「とんだ事になった、ばかな真似をしたものだから、……済まぬ」けれど新六郎には聞えなかったものか、なにも云わずにあるいていた。……かれは楯岡市之進のことを考えていたのである。此処へ来るまえ、今宵は市之進の家で例月の集りがあったばかりである。その顔も話す声つきもまざまざと印象に新しい、いやそればかりではない、市之進はかれにとって妹婿だった、おのれの妹さだ[#「さだ」に傍点]が市之進に嫁してもう半年になる。――そういう男とは思えなかった。新六郎はいくたびもおなじことを呟きつづけた。
[#8字下げ]三[#「三」は中見出し]
楯岡市之進は三年前藩主池田光政にみいだされて岡山藩へ仕官した。じきじきのお取立てではあるし、槍術にすぐれた腕をもっていたし、そして性格のまるい、謙譲な人づきあいのよい質だったから、上のおぼしめしも家中の評判もよかった。新六郎の家へは弥五兵衛がはじめにつれて来た、そして毎月の集りに加わるようになってから、人を介して妹のさだ[#「さだ」に傍点]に結婚を求めてきたのである。はじめは一応ことわった、家柄も血統もよくわからぬ他国から来た者に、妹をやる気にはなれなかったのである、けれど老職の池田玄蕃があいだに立ったのでついに婚約を承知し、それから半年ほどしてこの四月に祝言をしたのであった。――そうだ、そうかもしれない。新六郎は家にかえり、寝所にはいってからも考えつづけていた。そういう過去の失敗があったからこそ、楯岡市之進の性格は今日のようにまるくなり、謙譲になったのかもしれない。あれだけ槍術にすぐれていながら、少しもそれを表面にあらわさず、出頭の身でいてつねにへりくだった態度を忘れない、そういう挙措《きょそ》の裏には高取藩での大きな過誤があり、それを胆に銘じて立ち直ろうとする努力が今日のかれをなしているのだ。――だから、もし現在のすがたが偽りのものでないとすれば、むしろかれはよろこんで松野金五郎と勝負するにちがいない。金五郎という男もかなり腕がたつ、市之進の槍は定評がある、勝負がどちらのものになるかわからない、けれど討たれるにしろ返り討ちにするにしろ、これで市之進はさっぱりと過去のあやまちを清算することができるのだ。――かれもさぞさばさばすることだろう。そこまで考えて新六郎も気持がおちついた、そしてその翌る日、食事をしまってから紙屋町すじにある楯岡の屋敷をおとずれた。
ゆうべの月夜につづくからりと晴れたさわやかな午前だった、案内された客間には、あるじ市之進のほか印東弥五兵衛がいた、ふたりはこわだかになにか話していた、新六郎がはいってゆくと弥五兵衛がにやっとふり向き、「やあ、もう来る頃だと思っていたよ」かれはそう云って少し座をゆずった。「どうぞこちらへ、どうぞ」「早朝から失敬します」会釈《えしゃく》して座につくと、新六郎は弥五兵衛をかえりみた。「それではもう話はしたのだな」「うん話した、みんな話したよ」「おぼえがあるのか、楯岡」市之進はさすがにおもぶせな顔つきだった。ちょっと眼を伏せて、しかしわるびれずにうなずいた。「若気のあやまちだった、そう申すほかに一言もない」「それでいい、それ以上なにも聞く要はないよ、そしてむろん、そう云うからには覚悟はきまっているだろうな」「いやそいつはもういいんだ」弥五兵衛がそばから口を挿んだ、「そのことならもうきまりがついたよ」「――きまりがついた」「是をみて呉れ」そういって弥五兵衛が長い竹杖をそこへさしだした、ひと眼みて新六郎にはその竹杖がなんであるかわかった、かれは手を伸ばしてとり、ぐっとひき抜いてみた。まさしく、それは昨夜の乞食が持っていたあの無反の直刀であった。「どうしたのだ、これはどういう意味だ」「おれが斬ったんだ」弥五兵衛はずばりと云った、「事のおこりはおれだ、おれがためし斬りをしようとしたためにあんな事になった、楯岡は朋友だし、貴公とはまた義理の兄弟になる、おれのつまらぬいたずらからこんな事になっては両方に申しわけがない。だから、――おれはあれから引返して斬ったんだ」そう云って弥五兵衛はおのれの大剣を手にとり、二人の前へさしだしながら大きく笑って云った、「やっぱり粟田口の新刀はよく斬れるよ、みせたいくらいだった」新六郎はきっと眼をあげた。「印東、貴公どうして斬った」「――え」「尋常に名乗って斬れる相手ではない、どのようにして斬ったか聞こう」
「それは、いやそれは、まさにそうだ」弥五兵衛はちょっとどもった、「かれはたしかにおれより上を遣う、だがおれたちと話し合ったあとで安心していたらしい、『かたきの手引きをするから一緒にゆこう』とこえをかけたら、かれは慌てて洞穴《ほらあな》から這いだして来た、そこをやった」「騙《だま》し討ちだな」さっと新六郎の顔が蒼くなった。
[#8字下げ]四[#「四」は中見出し]
騙し討ちだなというひと言は弥五兵衛をびっくりさせたらしい、弥五兵衛だけではなく市之進もはっ[#「はっ」に傍点]としたように眼のいろを変えた。新六郎はその二人の顔をしかと見て、かれらと自分の考えかたの隔りの大きさを知った、もはや言葉ではどうしようもない、言葉でかれらを説服することはできないと思った。「印東、貴公はおれが、松野金五郎に力添えをすると約束したのを知っているはずだ、松野はおれたちを武士と信じてすべてをうらあけて呉れた、いいか、この二つの点にしかと念を押して置くぞ」「どうしようというのだ周藤」市之進がさぐるようなこわねで訊いた、その眼をひたと見かえし、竹杖の刀を左手に持って新六郎は座を立った、「この刀はおれが預ってゆく、おれがどうしようと考えているかはそれで推察がつくだろう、――だが妹の縁につながる貴公と、命のやりとりをするようになろうとは思いがけなかったよ」
云い捨てて足ばやにその部屋を出た、玄関で弥五兵衛が追いついて来た。
「待て、周藤、貴公ほんとうに楯岡を斬るつもりなのか」
「勝ち負けはわからぬ」草履をはきながら新六郎は答えた、「おれは刀の持主に約したことをこの刀に果たさせるだけだ」
「だがそれはおれの面目をつぶすことにもなるぞ」
「面目だと――」ほとんど叫ぶように云って、新六郎は射ぬくように弥五兵衛を見た。「きさまにどんな面目があるんだ、印東。恥を知れ、この刀で斬るのは市之進ひとりではないぞ」
「……」「よく考えて覚悟をしておけ」そして新六郎はそこを出た。
かれはその足で池田玄蕃の屋敷をたずねた。怒りのために身も心も震えていた、言葉ではどう云いようもない、最も清浄なものが最も穢《けが》れた土足でふみにじられた、そのやりきれない汚辱感が血にしみこみ全身をかけまわっている感じである。かれは玄蕃に御しゅくんへのめどおりのかなうようにたのんだ。「どうした、なにかできたのか」「仔細《しさい》は御前でなくては申し述べられません、なるべく早くおめどおりのかなうようお計いを願います」「だが理由が知れなくては計いかねるぞ、いったどうしたというのだ」たしかに、仔細もわからず目通りが願えるものではない、新六郎はやはり事情を語らなければならなかった。聞き終った玄蕃はひどく当惑したようすで、ながいこと黙って考えていた。「そうか、仔細はそれでわかった、そともとが望むなら拝謁の儀を願ってみよう」「なにぶんおたのみ申します」「一両日うちに返辞をやるから」
そう聞いて新六郎は玄蕃の屋敷を辞した。そして家へ帰ってみると妹のさだ[#「さだ」に傍点]が来ていた。――どうして、ちょっと戸惑いをしたがすぐに察しはついた。市之進になにか云い含められたか、それとも自分の思案でか、いずれにせよ執成《とりな》すつもりで来たにちがいない、そう思ったので言葉もかけず居間へはいった。妹はあとを追うようにして来た「なんの用があって来た」かれは叱りつけるように云った、さだ[#「さだ」に傍点]はしずかにそこに坐って兄を見あげた。「わたくし去られて戻りました」えっと云って新六郎は妹を見なおした、まったく思懸けない返辞だったのである、そしてそう聞いたときすぐ、――これがおれの返辞だ。という市之進の顔が見えるように思えた。いまこそ正体がわかった、謙譲の裏に隠されていたもの、人にとりいることの巧みさ、弥五兵衛の陋劣《ろうれつ》な行為にもさして驚かなかった態度、それこそまさに松野金右衛門を闇討ちにしたかれの性根だ。過去のあやまちから、正しい人間に立ち直ったとみたのは誤りである、かれはやはり卑劣で醜悪なのだ、ただそれを隠していたにすぎなかったのだ。
「おまえは楯岡へ嫁したからだではないか」新六郎は妹をねめつけながら云った、「おのれにあやまちのないかぎり去られるということはない、なぜ戻った」「死ぬはずでございました」さだ[#「さだ」に傍点]はつつましく答えた。「でもわたくし、身ひとつではございませんので、それで戻りました」「身ごもっているのか」はいと云って俯向《うつむ》くさだ[#「さだ」に傍点]の頬に、かすかな羞《はじら》いの色がうごいた。新六郎はきりきりと胸が痛むように感じた、けれどすぐに心はきまった。「よし、死んではならぬ、その子は兄がひきうけた、丈夫に産みおとして育てるのが、これからのおまえの生涯のつとめだ、めめしい心では末とげぬぞ」さだ[#「さだ」に傍点]は黙って両手をついた。しかしその柔かな肩のどこやらに、母となるべきおんなのかたい決意が表白されていた。
[#8字下げ]五[#「五」は中見出し]
次ぎの日、玄蕃から迎えの便が来た、すぐ登城のできるように麻裃《あさがみしも》に支度を正していった、玄蕃はかれを自分の居間へとおした。「考え直してみないか」老人はなだめるような口調で云った、「そともとの義理を重んずる気持はよくわかる。しかしここはひとつゆきがかりの感情をぬきにして考えてみたい。――松野なにがしの孝心はまことにあっぱれであるし、非業の死もいたましいには相違ないが、印東のしたことも悪意ではない、おなじ家中の朋友のためを思ってした、その結果が道にはずれたことになったので、動機はやはり酌量すべきものがあると思う。むろん、これが事の起るまえなら云うことはない、しかし当の松野なにがしが死んでしまった今、血縁でもないそこもとが代って仇討をするというのはゆきすぎではないか。印東をも斬ると云ったそうだが、いまさら二人を斬ったところで松野の命がとりかえせるものではない、このうえまた二人の命を失うということは、悲惨の上に悲惨をかさねるだけではないのか」
黙って答えない新六郎の拳が、袴の上でかすかにふるえていた。
「考え直してみい周藤、世の中には武道一点を押しとおすだけで済まぬ場合もある、このうえふたり死者をだすことはないぞ」
「……では」と新六郎は忿《いきどお》りを抑えた声でたずねた。「おめどおりの事は願えませぬか」
「わしは考え直して呉れと申しておる」
「その余地はございません」かれはきっぱりと云った、「申上げるまでもないと存じますが、人の命はまさしき道の上にあってこそ尊いのです。このような不法無道を見のがしてどこに正しき道がありましょう、大切なのは生きることではなく、どう生きるかにあると信じます。わたくしはかれらを斬ります」
「やっぱりそうか」やっぱりと玄蕃は溜息をついた、そしてかれのほうは見ずに、独り言をつぶやくような調子で云った。「云いだしたら肯《き》くまい、だがよくよく勘弁するように申せ、……殿はそう御意なされた、おめどおりには及ばぬと思う」
「お上が、お上がそう仰せられましたか」はじめて新六郎は手をおろした、「かたじけのう存じます、そのお言葉はおゆるしの御意と承わります、勘弁とは篤と道を勘考し弁える意味。かならず、仰せにそむかぬよう仕ります」
「検視役のお沙汰はないから」
「承知仕りました」
玄蕃の屋敷を辞した新六郎は、家へ帰るとすぐ二通の書状をしたためた。松野金五郎の討たれた場所を指定し、七つ刻(午後四時)までに来いという文言である。それを楯岡と印東へ持たせてやると、家扶をまねいて身のまわりの始末をした。妹さだ[#「さだ」に傍点]「は前の日すでに親族へ預けてあった、自分にまんいちの事があったあと、家士たちの困らぬようにして置けばそれで思遺すことはなかったのである。しかし、それから一刻ほど経ったとき、楯岡と印東から書面を突き返して来た。――こちらは指定の場所へ出向く必要をみとめない。かような書面を受け取る理由もない。両方ともそういう意味の手紙がつけてあった。おそらく二人で相談の結果したことであろう、新六郎はちょっと考えていたが、それを纒《まと》めて池田玄蕃のもとへ届けさせた。こうなればこっちから乗りこんでゆくよりほかに手段はない、かれは心をきめてすぐに身仕度をした。
印東弥五兵衛の家は城の大手、西大寺町の中の辻さがりにあった。玄関に立って案内を乞うと、家士が出て来て主人《あるじ》は留守だと答えた。「留守というのはたしかか」「ご不審なればあがってお検め下さい」「出先はいずれだ」「楯岡さまへと申し遺されました」それならたしかだ、そう思ってそこを出ると、壕端へ出て北へ向った。楯岡の家は上の町にある、少しまえから吹きだした北風がようやく強くなり、乾いた道からしきりに砂塵を巻きあげていた。かれはその風を押切るようにまっすぐにあるいていった。
[#8字下げ]六[#「六」は中見出し]
楯岡の家は門を左右にひらき、玄関まできよ[#「きよ」に傍点]砂が撒いてあった。かれは門前で立ちどまり、襷《たすき》をかけ汗止めをし、袴の股立をとって、左手に竹杖の刀をひっさげながら大股に玄関へ近よっていった。声をかけたが返辞はなかった、二度、三度、それでも出て来る者さえなかった。かれは草履をぬいで式台へあがった、それを待っていたように、正面の杉戸があいて楯岡市之進があらわれた。すっかり身仕度をして鞘《さや》をはらった半槍をかいこんでいた。
「来たか出すぎ者」叫んで槍をとりなおす、新六郎は竹杖の刀を抜いた。「大和のくに高取藩士、松野金五郎に代って亡き父子の怨《うらみ》をはらす、勝負」勝負と叫んだかれは、自分の胸板を槍へぶっつけるような態度で、ずかずかと市之進のほうへあゆみ寄った。法も術も捨てた態度だった、まるであけっぱなしだった、さあこの胸のまん中を突けといわんばかりである、市之進は思わずうしろへさがった、その刹那に新六郎は杉戸の一枚を蹴倒した。ぱりっというはげしい音をたてて杉戸が倒れるとたんに、かれはつぶての如く次の部屋へとびこんだ。
そこには印東弥五兵衛がいた、市之進が杉戸口からさそいとむところを、脇から斬ってとる構えだったのである。だから、いきなり杉戸を蹴倒されたとき、弥五兵衛は裏の裏を掻《か》かれてかっ[#「かっ」に傍点]と逆上し、とびこんで来た新六郎へ夢中で斬りつけた、むろん届くわけがない、空を打ってのめり、畳へ割りつけた。そのとき新六郎はもう市之進を縁先まで追いつめていた。……屋敷のなかはひっそりとして、一瞬すべてのものが音をひそめた。市之進は手槍を中段にとり、庭を背にして立っている、新六郎は刀を青眼につけ、相手の眼をひた[#「ひた」に傍点]と見ながら、ぐいぐいと真向に進んでゆく、弥五兵衛などに眼もくれなかった。絶叫がおこり、市之進が突っこんだ、新六郎はよけもせず、そのまま踏込んで上段から斬りおろした。市之進の槍は新六郎の着衣を貫き、新六郎の刀は市之進の真向を割っていた。弥五兵衛はそのとき新六郎のうしろへ迫っていた、そして市之進が槍を突っこむのと同時にうしろから新六郎の左胴へ斬りつけた。その太刀は少しさがったけれど、まさに腰骨の上へはいった。胴へはいったら致命だったに相違ない、腰だったので骨へ達しただけだった。新六郎はうん[#「うん」に傍点]とも云わずふり返り、「きさまは、いつもうしろからだな」と叫んだ、弥五兵衛は二の太刀をふりあげたが斬りこめなかった、新六郎の腰はたちまち血に染まってゆく、しかし平然たる顔でぐいぐいと進んで来た。弥五兵衛は蒼白になり、右へまわりこもうとした。その刹那に新六郎がとびこんだ、飛鳥のようなすばやさだった、あっ[#「あっ」に傍点]と弥五兵衛が夢中で刀を振ったが、新六郎のうちこんだ太刀は、かれの首の根をなかば以上も斬り放していた。
――斬った。そう思った。そして倒れている市之進と弥五兵衛の姿を見かえして、かれはぐたりとそこへ膝をついてしまった、はじめて腰の傷がきいて来たのだ。しかし、かれが崩折れたとき、庭のほうで人の声が聞えた。「傷をしたようすだ、いってみてやれ」聞きおぼえのある声だった、かれははっとして眼をあげた、狭い庭のさきが高野槇《こうやまき》の生垣になっている、そこに馬上の武士がこちらを見ていた。――殿だ。しのび姿で、笠を深くさげているが、それは御主君光政公にまぎれもなかった、新六郎は平伏した、そこへ庭の木戸から玄蕃がはいって来た、それを追うように光政のよびかける声が聞えた。
「傷が治ったら、二人の髪を持って高取へ届けさせるがよい、戻るまで閉門を申付けるぞ」
平伏した新六郎の眼から、はらはらと涙がこぼれ落ちた。――戻るまで開門。そのひと言に慈悲のすべてが籠っている。やはり御しゅくんは自分のした事をおわかり下すった、新六郎は面もあげ得ずくくと噎《むせ》びあげた。玄蕃が近寄って来る。「やったな、やったな」という声が感動にふるえていた。
底本:「士道小説集」実業之日本社
1972(昭和47)年7月1日 初版発行
1978(昭和53)年5月10日 新装第二八刷発行(通算13版)
底本の親本:「夏草戦記」八雲書店
1945(昭和20)年3月
初出:「夏草戦記」八雲書店
1945(昭和20)年3月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
山本周五郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)周藤《すどう》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#8字下げ]
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[#8字下げ]一[#「一」は中見出し]
「どこまでつれてゆくんだ」「なにもうそこだよ」「おなじことばかり云っているが、もうやがて仕置場ではないか」「仕置場が恐ろしいわけでもないだろう」印東弥五兵衛はにたりと笑い、まるい肥えた肩をすくめながら空を仰いだ。「それより見ろ、いい月だぞ」
周藤《すどう》新六郎はにがにがしげに唇を歪《ゆが》めた、つまらぬ事を面白そうに持ってまわるのが弥五兵衛の癖である。着物の衿が曲っているのを注意するのにも、いろいろ遠まわしに仄《ほの》めかしたあげく「いって鏡をみろ」というような風だった。新六郎のほうは単純で直截《ちょくせつ》で、いつもけじめのはっきりしたことを好んでいた。衿が曲っていれば「衿が曲っているぞ」と云うだけである。弥五兵衛にしたがえばしかしそれはきょく[#「きょく」に傍点]が無さすぎるという、それでは却って相手に恥をかかせる場合もある、やはり自分のようにするのが「人情の機微」に触れているというのだった。……まいつき十五日に、馬廻り番の若ざむらいたち十人ばかりで、まわりもちで武道の話をする集りがあった、その夜も楯岡《たておか》市之進の家で十時ころまで話した帰りに、面白いものをみせるからぜひとさそいだした。興もなかったがあまり熱心にすすめるので、云うなりについて来ると、城下を出はずれ、旭川の堤にのぼってずんずん川上のほうへゆく、もうすぐだと云うばかりでなにも説明しない、そのようすがいつもの思わせぶりにみえるので、新六郎はしだいにばかばかしくなりだした。……秋十月のしずかな夜で、ちょうど頭上へ昇った月が川波にきらきらと光を投げていた、そのあたりは両岸とも荒地や叢林《そうりん》がつづいていた、ひっそりと眠ったように黝《くろ》ずんだ森がみえ、早くも裸になった梢の枝を寒々と月に照らされている楢《なら》の林がみえた。深い藪の奥のほうでなにかに驚いた寝鳥がけたたましく叫び、ばさばさと羽ばたきをしてすぐにまた鎮まった。
「おい此処だ、しずかにして呉れ」弥五兵衛がそう云って足をとめた。堤の右は川、左がわに枯れた草原があり、そのさきに赭土《あかつち》のかなり高い崖がのびている。「そう見まわしたって此処に何もあるわけじゃない、みせるというのは是だよ」弥五兵衛はそっと自分のさしている大剣の柄へ手をやった。「是は貴公も知っているとおり夏のはじめに求めた粟田口の新刀だ、みんなの鑑定ですがた[#「すがた」に傍点]はよいが斬れ味はわるかろうと云われたあれだ」「印東、――ためし斬りか」「そう云うだろうと思ったから黙ってつれて来たんだ、しかし相手は乞食だ、いやまあ聞けよ、半月ばかりまえからおれは食事をはこんでやっている、乞食非人とおちぶれては生きていても世のためにはならぬ、云ってみれば穀潰《ごくつぶ》しだ、それを半月おれは養ってやった、つまり今夜あるがためさ、見ていて呉れ」「待て印東、それは乱暴だ、印東」
呼びとめたけれど、弥五兵衛はもう大股に草原をあるいていった。月をいっぱいに浴びた赭土の崖の一部に、入口を枯草でかこまれた洞穴がみえている。弥五兵衛はその洞穴へ近よっていって声をかけた。「これ奥州とやら、もう寝たのか」洞のなかでなにか答える声がした。「出てまいれ、月見もどりだ、酒肴《しゅこう》の残りを持って来てやったぞ」
もういちど答える声がした、そして穴の中から乞食が出て来た。新六郎は堤からおりて草原の中に立っていた、弥五兵衛は紙に包んだものを乞食に与え、ちら[#「ちら」に傍点]とこっちへふりかえった。そして乞食が貰ったものを押戴いたとき、かれはちょっと身をひくような恰好をした。えい[#「えい」に傍点]という叫びが聞え、白刃がきらっと月光を截った、なかなか的確な一刀だった、乞食のからだは薙《な》ぎ倒された草のように右へよろめいた、しかしそれは斬られたのではなかった、右へよろめいたと見た次の刹那に、乞食はすっと立ち直っていたし、どうしたものか、氷のようにするどく光る大剣を抜いて、青眼に構えていた。新六郎はあっ[#「あっ」に傍点]と思った、弥五兵衛のおどろきはそれ以上だったに違いない。かれは逆上したようすで、絶叫しながらむにむさんに斬りこんだ、まるで桁違いの腕である。――これはあべこべに斬られる。そう思ったので、新六郎は大きく声をかけながら二人の間へ割ってはいった。「お待ち下さい、危い、印東かたなをひけ」
[#8字下げ]二[#「二」は中見出し]
年は二十七か八であろう、鬢髪《びんはつ》ものび、ながい労苦で肉もおちているが、眼つき唇もとに凛とした気質がみえるし、月光にうつしだされた肩のあたりも、つづれこそまとっているがどこか昂然たるものを持っていた。「わたくしは松野金五郎、父は金右衛門と申しました」かれはさっきの無反《むぞり》の直刀を仕込んだ竹杖をかかえ、洞穴の下の枯草のなかに腰をおろして、月を見あげるようにしながら語りだした。新六郎はかれと向きあって坐り、弥五兵衛はそのうしろへさがったところにいた、そしてまだときどき苦しそうに深い息をついては生つばをのんだ。「父は大和のくに高取藩士で、七百石の徒士組《かちぐみ》ばんがしらを勤めておりましたが、いまから六年まえ、ある事情から組下の者のために闇討ちを仕掛けられ、抜き合せは致しましたものの、ついに斬り伏せられてしまいました、以来わたくしはそのかたきを求めて諸国をめぐってあるき、ごらんのとおり」かれは袖をかえして苦笑した。「乞食《こつじき》非人の境涯にまでおちぶれました。しかしその甲斐あって、ようやく当のかたきのいどころをつきとめることができたのです。かたきは御当藩にいたのです」
「かたきが岡山藩に」弥五兵衛が身をのりだした、「してその、その者の姓名はなんと云います」
「いや待て、それを伺うまえに」新六郎はさえぎって訊いた。「おたずね申すが、御尊父がお討たれなすった事情というのはどのようなものですか」「それは申上げられません」ふと眼をそらす表情を、新六郎はじっと見まもりながら、「しかし伺わなければならぬ」とたたみかけて訊いた、「こうして無理にお身の上をうちあけて頂くからは、われわれとしても武道のてまえ聞き捨てにはならぬ、しかし御尊父のお討たれなすった事情によっては、はなはだ申しにくいがお力添えはなりかねます、だからぜひその事情は聞かして頂かなくてはならぬと思います」
「――申しにくい事なのです」金五郎は口ごもりながら、いかにも云いにくそうに答えた。「しかし、さよう、やはり申上げるのが本当でしょう。――実は、その者はわたくしの妹に恋慕して、再三ならず文をつけ、また酒のうえでしょうが路上で無礼なふるまいを致しました、それで父が面罵《めんば》したのです、言葉はどうあったか知りません。しかし父は少くとも他人に聞かれる場所を避けるだけの思遣《おもいや》りは忘れませんでした。それが原因でした、――申上げたくなかったのは、そういうかんばしからぬ事情だったからです」「それで充分です」新六郎はうなずいて云った。「その者の姓名をお聞かせ下さい」「旧主家にいるときは飯沼外記之介といいました、御当藩では楯岡市之進と申しております」「――楯岡市之進」弥五兵衛がおどろきの声をあげた、新六郎はそれを抑えつけた。「相違ありませんか」「当人をしかと見届けています、たしかに間違いはありません」新六郎はちょっと考えるようすだったが、すぐに向き直ってはっきりと云った。「よくわかりました、及ばずながら御本望を達するようお力添えを致しましょう。しかしなお数日お待ち下さい、晴れて勝負のできるようにはからいたいと思いますから」
「お話し申したうえは万事おさしずどおりに致します、よろしくおたのみ申します」
「では今宵はこれで」そう云って新六郎は弥五兵衛をうながして立った、「いずれ明日にもまたお眼にかかりにまいります」
松野金五郎は堤の上まで送って来た、月はいよいよ冴え、霜でもおりるのか、空気はひどく冷えてきた。新六郎は黙って、大股にずんずんあるいてゆく、弥五兵衛はその肩をみながらうしろからとぼとぼついていったが、やがていかにも困惑したような調子で云った。「とんだ事になった、ばかな真似をしたものだから、……済まぬ」けれど新六郎には聞えなかったものか、なにも云わずにあるいていた。……かれは楯岡市之進のことを考えていたのである。此処へ来るまえ、今宵は市之進の家で例月の集りがあったばかりである。その顔も話す声つきもまざまざと印象に新しい、いやそればかりではない、市之進はかれにとって妹婿だった、おのれの妹さだ[#「さだ」に傍点]が市之進に嫁してもう半年になる。――そういう男とは思えなかった。新六郎はいくたびもおなじことを呟きつづけた。
[#8字下げ]三[#「三」は中見出し]
楯岡市之進は三年前藩主池田光政にみいだされて岡山藩へ仕官した。じきじきのお取立てではあるし、槍術にすぐれた腕をもっていたし、そして性格のまるい、謙譲な人づきあいのよい質だったから、上のおぼしめしも家中の評判もよかった。新六郎の家へは弥五兵衛がはじめにつれて来た、そして毎月の集りに加わるようになってから、人を介して妹のさだ[#「さだ」に傍点]に結婚を求めてきたのである。はじめは一応ことわった、家柄も血統もよくわからぬ他国から来た者に、妹をやる気にはなれなかったのである、けれど老職の池田玄蕃があいだに立ったのでついに婚約を承知し、それから半年ほどしてこの四月に祝言をしたのであった。――そうだ、そうかもしれない。新六郎は家にかえり、寝所にはいってからも考えつづけていた。そういう過去の失敗があったからこそ、楯岡市之進の性格は今日のようにまるくなり、謙譲になったのかもしれない。あれだけ槍術にすぐれていながら、少しもそれを表面にあらわさず、出頭の身でいてつねにへりくだった態度を忘れない、そういう挙措《きょそ》の裏には高取藩での大きな過誤があり、それを胆に銘じて立ち直ろうとする努力が今日のかれをなしているのだ。――だから、もし現在のすがたが偽りのものでないとすれば、むしろかれはよろこんで松野金五郎と勝負するにちがいない。金五郎という男もかなり腕がたつ、市之進の槍は定評がある、勝負がどちらのものになるかわからない、けれど討たれるにしろ返り討ちにするにしろ、これで市之進はさっぱりと過去のあやまちを清算することができるのだ。――かれもさぞさばさばすることだろう。そこまで考えて新六郎も気持がおちついた、そしてその翌る日、食事をしまってから紙屋町すじにある楯岡の屋敷をおとずれた。
ゆうべの月夜につづくからりと晴れたさわやかな午前だった、案内された客間には、あるじ市之進のほか印東弥五兵衛がいた、ふたりはこわだかになにか話していた、新六郎がはいってゆくと弥五兵衛がにやっとふり向き、「やあ、もう来る頃だと思っていたよ」かれはそう云って少し座をゆずった。「どうぞこちらへ、どうぞ」「早朝から失敬します」会釈《えしゃく》して座につくと、新六郎は弥五兵衛をかえりみた。「それではもう話はしたのだな」「うん話した、みんな話したよ」「おぼえがあるのか、楯岡」市之進はさすがにおもぶせな顔つきだった。ちょっと眼を伏せて、しかしわるびれずにうなずいた。「若気のあやまちだった、そう申すほかに一言もない」「それでいい、それ以上なにも聞く要はないよ、そしてむろん、そう云うからには覚悟はきまっているだろうな」「いやそいつはもういいんだ」弥五兵衛がそばから口を挿んだ、「そのことならもうきまりがついたよ」「――きまりがついた」「是をみて呉れ」そういって弥五兵衛が長い竹杖をそこへさしだした、ひと眼みて新六郎にはその竹杖がなんであるかわかった、かれは手を伸ばしてとり、ぐっとひき抜いてみた。まさしく、それは昨夜の乞食が持っていたあの無反の直刀であった。「どうしたのだ、これはどういう意味だ」「おれが斬ったんだ」弥五兵衛はずばりと云った、「事のおこりはおれだ、おれがためし斬りをしようとしたためにあんな事になった、楯岡は朋友だし、貴公とはまた義理の兄弟になる、おれのつまらぬいたずらからこんな事になっては両方に申しわけがない。だから、――おれはあれから引返して斬ったんだ」そう云って弥五兵衛はおのれの大剣を手にとり、二人の前へさしだしながら大きく笑って云った、「やっぱり粟田口の新刀はよく斬れるよ、みせたいくらいだった」新六郎はきっと眼をあげた。「印東、貴公どうして斬った」「――え」「尋常に名乗って斬れる相手ではない、どのようにして斬ったか聞こう」
「それは、いやそれは、まさにそうだ」弥五兵衛はちょっとどもった、「かれはたしかにおれより上を遣う、だがおれたちと話し合ったあとで安心していたらしい、『かたきの手引きをするから一緒にゆこう』とこえをかけたら、かれは慌てて洞穴《ほらあな》から這いだして来た、そこをやった」「騙《だま》し討ちだな」さっと新六郎の顔が蒼くなった。
[#8字下げ]四[#「四」は中見出し]
騙し討ちだなというひと言は弥五兵衛をびっくりさせたらしい、弥五兵衛だけではなく市之進もはっ[#「はっ」に傍点]としたように眼のいろを変えた。新六郎はその二人の顔をしかと見て、かれらと自分の考えかたの隔りの大きさを知った、もはや言葉ではどうしようもない、言葉でかれらを説服することはできないと思った。「印東、貴公はおれが、松野金五郎に力添えをすると約束したのを知っているはずだ、松野はおれたちを武士と信じてすべてをうらあけて呉れた、いいか、この二つの点にしかと念を押して置くぞ」「どうしようというのだ周藤」市之進がさぐるようなこわねで訊いた、その眼をひたと見かえし、竹杖の刀を左手に持って新六郎は座を立った、「この刀はおれが預ってゆく、おれがどうしようと考えているかはそれで推察がつくだろう、――だが妹の縁につながる貴公と、命のやりとりをするようになろうとは思いがけなかったよ」
云い捨てて足ばやにその部屋を出た、玄関で弥五兵衛が追いついて来た。
「待て、周藤、貴公ほんとうに楯岡を斬るつもりなのか」
「勝ち負けはわからぬ」草履をはきながら新六郎は答えた、「おれは刀の持主に約したことをこの刀に果たさせるだけだ」
「だがそれはおれの面目をつぶすことにもなるぞ」
「面目だと――」ほとんど叫ぶように云って、新六郎は射ぬくように弥五兵衛を見た。「きさまにどんな面目があるんだ、印東。恥を知れ、この刀で斬るのは市之進ひとりではないぞ」
「……」「よく考えて覚悟をしておけ」そして新六郎はそこを出た。
かれはその足で池田玄蕃の屋敷をたずねた。怒りのために身も心も震えていた、言葉ではどう云いようもない、最も清浄なものが最も穢《けが》れた土足でふみにじられた、そのやりきれない汚辱感が血にしみこみ全身をかけまわっている感じである。かれは玄蕃に御しゅくんへのめどおりのかなうようにたのんだ。「どうした、なにかできたのか」「仔細《しさい》は御前でなくては申し述べられません、なるべく早くおめどおりのかなうようお計いを願います」「だが理由が知れなくては計いかねるぞ、いったどうしたというのだ」たしかに、仔細もわからず目通りが願えるものではない、新六郎はやはり事情を語らなければならなかった。聞き終った玄蕃はひどく当惑したようすで、ながいこと黙って考えていた。「そうか、仔細はそれでわかった、そともとが望むなら拝謁の儀を願ってみよう」「なにぶんおたのみ申します」「一両日うちに返辞をやるから」
そう聞いて新六郎は玄蕃の屋敷を辞した。そして家へ帰ってみると妹のさだ[#「さだ」に傍点]が来ていた。――どうして、ちょっと戸惑いをしたがすぐに察しはついた。市之進になにか云い含められたか、それとも自分の思案でか、いずれにせよ執成《とりな》すつもりで来たにちがいない、そう思ったので言葉もかけず居間へはいった。妹はあとを追うようにして来た「なんの用があって来た」かれは叱りつけるように云った、さだ[#「さだ」に傍点]はしずかにそこに坐って兄を見あげた。「わたくし去られて戻りました」えっと云って新六郎は妹を見なおした、まったく思懸けない返辞だったのである、そしてそう聞いたときすぐ、――これがおれの返辞だ。という市之進の顔が見えるように思えた。いまこそ正体がわかった、謙譲の裏に隠されていたもの、人にとりいることの巧みさ、弥五兵衛の陋劣《ろうれつ》な行為にもさして驚かなかった態度、それこそまさに松野金右衛門を闇討ちにしたかれの性根だ。過去のあやまちから、正しい人間に立ち直ったとみたのは誤りである、かれはやはり卑劣で醜悪なのだ、ただそれを隠していたにすぎなかったのだ。
「おまえは楯岡へ嫁したからだではないか」新六郎は妹をねめつけながら云った、「おのれにあやまちのないかぎり去られるということはない、なぜ戻った」「死ぬはずでございました」さだ[#「さだ」に傍点]はつつましく答えた。「でもわたくし、身ひとつではございませんので、それで戻りました」「身ごもっているのか」はいと云って俯向《うつむ》くさだ[#「さだ」に傍点]の頬に、かすかな羞《はじら》いの色がうごいた。新六郎はきりきりと胸が痛むように感じた、けれどすぐに心はきまった。「よし、死んではならぬ、その子は兄がひきうけた、丈夫に産みおとして育てるのが、これからのおまえの生涯のつとめだ、めめしい心では末とげぬぞ」さだ[#「さだ」に傍点]は黙って両手をついた。しかしその柔かな肩のどこやらに、母となるべきおんなのかたい決意が表白されていた。
[#8字下げ]五[#「五」は中見出し]
次ぎの日、玄蕃から迎えの便が来た、すぐ登城のできるように麻裃《あさがみしも》に支度を正していった、玄蕃はかれを自分の居間へとおした。「考え直してみないか」老人はなだめるような口調で云った、「そともとの義理を重んずる気持はよくわかる。しかしここはひとつゆきがかりの感情をぬきにして考えてみたい。――松野なにがしの孝心はまことにあっぱれであるし、非業の死もいたましいには相違ないが、印東のしたことも悪意ではない、おなじ家中の朋友のためを思ってした、その結果が道にはずれたことになったので、動機はやはり酌量すべきものがあると思う。むろん、これが事の起るまえなら云うことはない、しかし当の松野なにがしが死んでしまった今、血縁でもないそこもとが代って仇討をするというのはゆきすぎではないか。印東をも斬ると云ったそうだが、いまさら二人を斬ったところで松野の命がとりかえせるものではない、このうえまた二人の命を失うということは、悲惨の上に悲惨をかさねるだけではないのか」
黙って答えない新六郎の拳が、袴の上でかすかにふるえていた。
「考え直してみい周藤、世の中には武道一点を押しとおすだけで済まぬ場合もある、このうえふたり死者をだすことはないぞ」
「……では」と新六郎は忿《いきどお》りを抑えた声でたずねた。「おめどおりの事は願えませぬか」
「わしは考え直して呉れと申しておる」
「その余地はございません」かれはきっぱりと云った、「申上げるまでもないと存じますが、人の命はまさしき道の上にあってこそ尊いのです。このような不法無道を見のがしてどこに正しき道がありましょう、大切なのは生きることではなく、どう生きるかにあると信じます。わたくしはかれらを斬ります」
「やっぱりそうか」やっぱりと玄蕃は溜息をついた、そしてかれのほうは見ずに、独り言をつぶやくような調子で云った。「云いだしたら肯《き》くまい、だがよくよく勘弁するように申せ、……殿はそう御意なされた、おめどおりには及ばぬと思う」
「お上が、お上がそう仰せられましたか」はじめて新六郎は手をおろした、「かたじけのう存じます、そのお言葉はおゆるしの御意と承わります、勘弁とは篤と道を勘考し弁える意味。かならず、仰せにそむかぬよう仕ります」
「検視役のお沙汰はないから」
「承知仕りました」
玄蕃の屋敷を辞した新六郎は、家へ帰るとすぐ二通の書状をしたためた。松野金五郎の討たれた場所を指定し、七つ刻(午後四時)までに来いという文言である。それを楯岡と印東へ持たせてやると、家扶をまねいて身のまわりの始末をした。妹さだ[#「さだ」に傍点]「は前の日すでに親族へ預けてあった、自分にまんいちの事があったあと、家士たちの困らぬようにして置けばそれで思遺すことはなかったのである。しかし、それから一刻ほど経ったとき、楯岡と印東から書面を突き返して来た。――こちらは指定の場所へ出向く必要をみとめない。かような書面を受け取る理由もない。両方ともそういう意味の手紙がつけてあった。おそらく二人で相談の結果したことであろう、新六郎はちょっと考えていたが、それを纒《まと》めて池田玄蕃のもとへ届けさせた。こうなればこっちから乗りこんでゆくよりほかに手段はない、かれは心をきめてすぐに身仕度をした。
印東弥五兵衛の家は城の大手、西大寺町の中の辻さがりにあった。玄関に立って案内を乞うと、家士が出て来て主人《あるじ》は留守だと答えた。「留守というのはたしかか」「ご不審なればあがってお検め下さい」「出先はいずれだ」「楯岡さまへと申し遺されました」それならたしかだ、そう思ってそこを出ると、壕端へ出て北へ向った。楯岡の家は上の町にある、少しまえから吹きだした北風がようやく強くなり、乾いた道からしきりに砂塵を巻きあげていた。かれはその風を押切るようにまっすぐにあるいていった。
[#8字下げ]六[#「六」は中見出し]
楯岡の家は門を左右にひらき、玄関まできよ[#「きよ」に傍点]砂が撒いてあった。かれは門前で立ちどまり、襷《たすき》をかけ汗止めをし、袴の股立をとって、左手に竹杖の刀をひっさげながら大股に玄関へ近よっていった。声をかけたが返辞はなかった、二度、三度、それでも出て来る者さえなかった。かれは草履をぬいで式台へあがった、それを待っていたように、正面の杉戸があいて楯岡市之進があらわれた。すっかり身仕度をして鞘《さや》をはらった半槍をかいこんでいた。
「来たか出すぎ者」叫んで槍をとりなおす、新六郎は竹杖の刀を抜いた。「大和のくに高取藩士、松野金五郎に代って亡き父子の怨《うらみ》をはらす、勝負」勝負と叫んだかれは、自分の胸板を槍へぶっつけるような態度で、ずかずかと市之進のほうへあゆみ寄った。法も術も捨てた態度だった、まるであけっぱなしだった、さあこの胸のまん中を突けといわんばかりである、市之進は思わずうしろへさがった、その刹那に新六郎は杉戸の一枚を蹴倒した。ぱりっというはげしい音をたてて杉戸が倒れるとたんに、かれはつぶての如く次の部屋へとびこんだ。
そこには印東弥五兵衛がいた、市之進が杉戸口からさそいとむところを、脇から斬ってとる構えだったのである。だから、いきなり杉戸を蹴倒されたとき、弥五兵衛は裏の裏を掻《か》かれてかっ[#「かっ」に傍点]と逆上し、とびこんで来た新六郎へ夢中で斬りつけた、むろん届くわけがない、空を打ってのめり、畳へ割りつけた。そのとき新六郎はもう市之進を縁先まで追いつめていた。……屋敷のなかはひっそりとして、一瞬すべてのものが音をひそめた。市之進は手槍を中段にとり、庭を背にして立っている、新六郎は刀を青眼につけ、相手の眼をひた[#「ひた」に傍点]と見ながら、ぐいぐいと真向に進んでゆく、弥五兵衛などに眼もくれなかった。絶叫がおこり、市之進が突っこんだ、新六郎はよけもせず、そのまま踏込んで上段から斬りおろした。市之進の槍は新六郎の着衣を貫き、新六郎の刀は市之進の真向を割っていた。弥五兵衛はそのとき新六郎のうしろへ迫っていた、そして市之進が槍を突っこむのと同時にうしろから新六郎の左胴へ斬りつけた。その太刀は少しさがったけれど、まさに腰骨の上へはいった。胴へはいったら致命だったに相違ない、腰だったので骨へ達しただけだった。新六郎はうん[#「うん」に傍点]とも云わずふり返り、「きさまは、いつもうしろからだな」と叫んだ、弥五兵衛は二の太刀をふりあげたが斬りこめなかった、新六郎の腰はたちまち血に染まってゆく、しかし平然たる顔でぐいぐいと進んで来た。弥五兵衛は蒼白になり、右へまわりこもうとした。その刹那に新六郎がとびこんだ、飛鳥のようなすばやさだった、あっ[#「あっ」に傍点]と弥五兵衛が夢中で刀を振ったが、新六郎のうちこんだ太刀は、かれの首の根をなかば以上も斬り放していた。
――斬った。そう思った。そして倒れている市之進と弥五兵衛の姿を見かえして、かれはぐたりとそこへ膝をついてしまった、はじめて腰の傷がきいて来たのだ。しかし、かれが崩折れたとき、庭のほうで人の声が聞えた。「傷をしたようすだ、いってみてやれ」聞きおぼえのある声だった、かれははっとして眼をあげた、狭い庭のさきが高野槇《こうやまき》の生垣になっている、そこに馬上の武士がこちらを見ていた。――殿だ。しのび姿で、笠を深くさげているが、それは御主君光政公にまぎれもなかった、新六郎は平伏した、そこへ庭の木戸から玄蕃がはいって来た、それを追うように光政のよびかける声が聞えた。
「傷が治ったら、二人の髪を持って高取へ届けさせるがよい、戻るまで閉門を申付けるぞ」
平伏した新六郎の眼から、はらはらと涙がこぼれ落ちた。――戻るまで開門。そのひと言に慈悲のすべてが籠っている。やはり御しゅくんは自分のした事をおわかり下すった、新六郎は面もあげ得ずくくと噎《むせ》びあげた。玄蕃が近寄って来る。「やったな、やったな」という声が感動にふるえていた。
底本:「士道小説集」実業之日本社
1972(昭和47)年7月1日 初版発行
1978(昭和53)年5月10日 新装第二八刷発行(通算13版)
底本の親本:「夏草戦記」八雲書店
1945(昭和20)年3月
初出:「夏草戦記」八雲書店
1945(昭和20)年3月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ