来歴
軍官
国際知見を持つ良識派
1892年には、ついに没することとなる。
人物
家族
祖父は建築技師であり、その名工ぶりから
萩藩に出仕して「下級
士族」に列せられて、
帯刀を命じられる。父の
立智館は、下級士族の地位にあって
長崎留学を経験した、藩お抱えの建築技師であった。龍一は、三人兄弟の長男として生を受けたが、次弟と末弟が早くして逝去したことで一人子として育つことになる。
妻のマヨは、
大津藩士族で
大学寮出仕の地位にあった
鳥塚貞兵衛の娘で、
大学寮律令方に出仕し
講究官を務めていた時期に結婚する。長男と長女は早くにこの世を去ったが、次男の
立康孝、三男の
立益延、次女の
立サエコ。次男は政界に進み、三男は日本近代司法の輸入に務め、次女は日本銀行界の重鎮
松島大助に嫁いだ。
性格
立家が、下級でありながらも
士族の地位にあったため、
明倫学舎に学んだ。明倫学舎の同級であった
佐原信道(民法学の父)、
斎藤直範(
鉄道寮総裁)は、「冷静実直でまじめな人」「そつなくこなせる秀才タイプ」と評価している。同級の中で、上級
士族の出自であり藩家老の家格であった
岡田弘庵(哲学者)が、
大学寮に推薦された一方、学業優秀として龍一も
修学徒への推薦を受けることになった。
大学寮修学徒に出仕した。入寮同期の
水谷常温(
日本郵便社初代総裁)は、「特筆すべきところのない人物、典型的な万能官僚」と評価。物産方の
長井松江(
札幌学校教授)は、「抜きんでた秀才、つまらないほどの秀才」と評している。
恩師
最終更新:2025年09月24日 21:33