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佛浦得四郎

佛浦得四郎(ふつうらとくしろう、1927年4月19日~2003年9月)は、神戸新聞社第7代社主、生田殖産会長。
生誕 1927年4月19日
東京都
逝去 2003年9月
兵庫県

来歴

1927年4月、父・佛浦正志(東京大学教授・仏教学者)の下、生を成す。
伯父に鈴木弥平(弁護士)、祖父に鈴木真(生田殖産会長)、曾祖母に生田マサ(生田財閥創業者)を家系に持つ。

慶応義塾高等学校を経て、東京大学文学部哲学科に進学。その後、東大を中退し京都大学理学部数学科に進学。京都大学卒業後、東京大学大学院人文学研究科で心理学を専攻。

1955年4月、神戸新聞社に入社、文芸欄、雑誌編集などを担当。1964年から「経済雑誌イノベーション」初代編集長を務める。1969年からイギリスにわたって、ロンドン経済を担当する。1974年の欧州金融危機の市場リサーチなどに貢献した。



33歳(89)北京支局情報編集室長。ロンドン支局長代理/欧州統括室長。ロンドン局長に就任。ロンドンでは、経済分野の担当としても活躍、欧州金融危機の際にはいち早く市場リサーチに対応した。41歳(97)ロンドンからの帰国を促され、神戸新聞社取締役東京支社長として帰国。東京支社長時代には、東京証券取引所の株価暴落や代々木銃乱射事件などでは全メディアでも最も早く情報を伝えた。節目節目で大きな事件などに直面。社会人以降専門として扱ってきた経済に加えて、人文学にも傾倒。48歳(104)神戸新聞社社主/編集委員長に就任。54歳(110)社主を退任。これ以降、幹部職は2年間隔で交代するように定めた。神戸新聞社会長/編集委員。56歳(112)生田殖産に移り、生田正子とともに生田殖産会長/経営合理化推進室長。60歳(116)定年をもって現役を退いた初めての幹部役員となった。後、神戸新聞社顧問。

略年歴

  • 1927年4月19日-東京都に生まれる
  • 1946年3月-慶応義塾高等学校を卒業
  • 1946年4月-東京大学に進学
  • 1948年9月-東京大学文学部哲学科を中退
  • 1949年4月-京都大学に進学
  • 1953年3月-京都大学理学部数学科を卒業
  • 1955年3月-東京大学大学院人文学研究科心理学専修を修了・修士(心理学)

  • 1955年4月-神戸新聞社へ入社
  • 1955年10月-高知支局
  • 1957年4月-鹿児島支局
  • 1959年10月-広島総局経済部
  • 1961年1月-本社新聞総局教育文化部文芸班主任
  • 1962年10月-本社出版局企画室主任
  • 1963年10月-本社出版局経済専門誌準備室長
  • 1964年10月-本社出版局経済雑誌イノベーション編集長

  • 1969年4月-ロンドン総局編集部次長
  • 1972年10月-ロンドン総局編集部長
  • 1975年4月-ロンドン総局長(兼)本社欧州統括室長
  • 1978年6月-執行役員・東京支社長
  • 1980年6月-執行役員副社長(メディア事業)・東京支社長・編集副主筆
  • 1982年6月-代表執行役員・社主・主筆
  • 1986年6月-執行役員会会長

  • 1986年6月-(兼職)生田殖産会長・経営合理化推進室長
  • 1993年6月-神戸新聞社最高顧問・生田殖産顧問
最終更新:2026年03月06日 10:29