まだ日が昇って数時間しか経たないというのに、うだるような夏の暑さは片鱗どころか真髄と錯覚してしまうくらいの様相を呈している。
それは、風紀委員達が入院している病院付近でも変わらない。それでも、人々は暑さ対策を十分施しつつ治療のために病院へ足を運ぶ。
「あそこに『
シンボル』の“変人”が入院してんのか?」
「らしい。昨日この近くで野郎を見たって目撃情報がある。しかも、あそこには『
ブラックウィザード』に病院送りにされた風紀委員も居るらしいぜ?」
「へへっ。どいつもこいつも『ブラックウィザード』に手ぇ出すから痛い目見るんだ。まっ、その『ブラックウィザード』も無くなって俺達は万々歳だけどな」
そんな中、多少離れた所にある日の差さない路地裏に屯っているスキルアウト達計5名が朝食のサンドイッチを頬張りながら警備員達に見付からぬ位置取りでコソコソとよからぬ企てを話し合っている。
彼等の中の1人が双眼鏡で病院を観察しているのは、そこから件の“変人”が出て来ないか一応監視しているためだ。
そう、ここに集ったスキルアウト達は【叛乱】の一件で悪目立ちをした『シンボル』のリーダーをこの手で叩き潰そうと目論んでいるのだ。
「外出できるってことは、もうすぐ野郎は退院するかもしれねぇってこと。そしたら、他の連中に獲物を横取りされかねないな」
「『ブラックウィザード』に喧嘩売ってケガった今こそ狙い時だからな。能力者を無能力者の俺達がボコボコにする・・・相手が噂になっている『シンボル』の“変人”だからこそだな」
出る杭は打たれる。様々な事件を経て現在名が売れている『シンボル』だからこそ、獲物として相応しい。
元来無能力者の集まりであるスキルアウトは能力者達を妬む存在とも言える。『無能力者が能力者を叩き潰す』という思考が先鋭化してしまうのも無理も無い。
「入院している間何時外出するかわからねぇのがメンドーだが、ずっと張り込みしてるわけにもいかねぇ」
「あぁ。これからどうす・・・(ガタン!!)・・・だ、誰だ!!?」
“変人”が外出する確証は無い。今日ここに来たのも、敵情視察というよりも『“変人”を叩き潰す』という意思統一をメンバー間で図る意味合いが強い。
いざという時にビビられては元も子もないからだ。よって、更なる意思固めとしてより具体的な監視手段に話が進み始めた時に・・・その男は現れた。
「ラララ~。あいつを追っ掛けて第7学区から第5学区まで足を伸ばすことになるとは・・・ロボミの奴は何処へ行ったのかな~?ラララ~」
「「「「「(何で清掃ロボットの上に座ってんだ!!!??)」」」」」
「ラララ~。お掃除お掃除楽しいなぁ。ラララ~ラララ~」
「「「「「(ていうか、臭ええええぇぇぇ!!!)」」」」」
5人全員が、汚れ塗れな上に上半身がベタベタしている男から漂って来る凄まじい臭いに鼻を塞ぐ。夏の暑さのせいで、余計に強烈な臭いとなっているのだろう。
姿は一番目立つゲコ太刺繍入りリュックとブルー一色の上下(つなぎ)にこれまたブルーの帽子。組み立て式の長箒をせっせと動かす姿は何処の清掃員ですかと問いたくなる。
オシャレのつもりなのかつなぎ・帽子・リュックの表面に様々な形をしたガラス細工を身に付けているが、どれも薄汚れていて全くオシャレになっていない。
だがしかし、スキルアウト達が一番突っ込みたかったのは目の前の男が学園都市でよく見掛ける清掃ロボットに腰を下ろしている光景である。しかも、清掃ロボットと共にクルクル回転している。
「しかしまぁ、“また”面倒臭そうなトコに遭遇しちゃったっぽいなぁ。オレの探し人は何処へ行ってしまったのやら。まだ、第5学区に居そうな気はするんだけどなぁ」
「・・・俺達の話を聞いたな?おい」
「わかってる。聞かれたからにはここから逃すわけにはいかねぇな」
回転する清掃ロボットの上で溜息を吐く男の言葉からスキルアウト達は自分達の会話が聞かれていたことを悟り、皆臨戦対戦に入る。
懐からナイフや改良型スタンガンを取り出し、好戦的な視線を浮かべるスキルアウト達に清掃員のような姿をした男は掃く長箒をようやく止めた。
「近くの病院には風紀委員が居るのか・・・なら、後のことは全部任せられるな。バディ!ちょっと離れているんだ」
清掃ロボットを“相棒”を意味する『バディ』と呼ぶ男は、ロボットの上から飛び降りると同時に服から垂れる無色の“液体”で地面に転がるアルミ缶を捕まえ後方に放り投げる。
それに釣られて清掃ロボットは場から離れた。臨戦態勢だったスキルアウト達は相手が能力者であることに気付き緊張の色を濃くする。
そして、長箒の先端をスキルアウト達へ振り向けた清掃員のような男・・・ベタつく接着液を垂らす“白帝の流離う
掃除屋”は襲って来る敵へ向けて一言だけ呟いた。
「さぁ、お掃除の時間だ」
「そ、そらひめ先輩!ぜったいですからね!!」
「心配すんな、抵部!いざって時以外はあたしは手を出さねぇからよ!」
「莢奈!仮屋先輩の教えを忘れちゃ駄目よ!!」
「抵部さん・・・ガンバです!」
ここは、病院の裏口に相当する駐車場。食料や薬剤等を運ぶ業者の往来が断続的に発生している片隅に、花盛支部所属の風紀委員4人が集結していた。
抵部・閨秀・渚・篠崎(この内後者2人は車椅子に座っている)特別に許可を貰ってまでここに居るのは、ひとえに『シンボル』の仮屋から能力に関するアドバイスを貰った抵部の稽古のためである。
「頑張れ!!頑張れ!!抵部先輩!!!フレー!!フレー!!抵部先輩!!!ダーッハッハッハ!!!」
「果無さん!!幾ら裏口とは言え静かに!!」
「火煉・・・九野先生のお説教をすっかり忘れてるなぁ」
そして、ここには他支部の風紀委員3名も居る。名は順に
果無火煉(はてなし かれん)、
夜越希望(よるごえ のぞみ)、
飛嶋満陽(とびしま みよ)。
それぞれ
常盤台中学、塔川学校、
繚乱家政女学校に通う女子学生で果無・夜越は制服姿、飛嶋はメイド姿である。
彼女達は塔川学校に支部を置く181支部所属の風紀委員であり、『ブラックウィザード』の捜査に集中していた花盛支部本来の業務を請け負っていた。
今日は期間限定の業務の結果諸々の引継ぎのために181支部員達は病院へ訪れており、果無達は引継ぎの報告を行う支部リーダー達の話が終わるまで暇だったのでここへ来たのであった。
「そ、それじゃ・・・いきます!!」
皆の注目を集める抵部は、いよいよ稽古を開始する。仮屋のアドバイスを含めたイメージ(=演算)は一晩で何とか作り上げた。
それを、今ここで初めて実践する。【叛乱】を契機に自身の能力向上を強く望んだ少女は、新たな一歩を踏み出すため・・・文字通り“一歩を踏み出した”。
ボシュッ!ボシュッ!
おそるおそる足を動かす。踏むのは圧縮した“空気”。歩くのは地面では無く空中。自分、もしくは触れている物体の周りの空気を分子レベルで固定する『物体補強』の新たな境地。
抵部は【叛乱】にて己の未熟さを強く強く痛感した。特に、『自分に能力を行使すると全く動けなくなる』という弱点に対して、凄まじい苛立ちを覚えた。
そんな少女が思い付いたのは、『同系統で自分よりレベルの高い能力者の演算
パターンを参考にすること』であった。
『かりやさん!わたしにかりやさんが『念動飛翔』を使う時の演算パターンを教えてください!おねがいします!!』
『いいよ~』
教わる相手は『自身の周囲にある空気を制御する』レベル4の能力者・・・
仮屋冥滋。対『六枚羽』戦で彼が見せた数々の力は未熟に歯噛みする少女にとって大きな衝撃であった。
嫉妬した。羨んだ。『何で自分にはできないの!?』・・・そう考えてばかりだったあの時から数日経ってようやく気持ちの整理ができた抵部は、
お見舞いのために訪れた仮屋へ演算パターンの参考を願い出た。断られる可能性も十分にあったために、一言で了解した仮屋の返事に少々気が抜けたのが本音であった。
「うんしょ!うんしょ!!うんしょ!!!」
両腕を水平に伸ばしてバランスを取りながら慣れない演算を必死に制御する抵部は自身が足下『だけ』に能力を行使し、圧縮した空気を足場にして宙を歩く姿に思わず感動する。
それが証拠に、一歩ごとに吐く掛け声がドンドン大きくなっている。現在抵部がやっているのは『自身を対象にする場合における能力の部分行使』である。
以前までは、自身を対象にする場合は必ず全身に能力が作用してしまっていた。否、“作用させていた”。相談を受けた仮屋はこう指摘する。
『抵部チャンの演算パターンを教えて貰った感想なんだけど、抵部チャンって何処か“臆病”な所があるんじゃないかな~。「守りに入る」みたいな思考がまず始めに来ちゃうというか。
だから、「物体補強」を自分全体を囲っちゃうために使っちゃう。「そうすれば安全だ」という意識が根付いちゃってる。閨秀チャンとコンビを組んでいる弊害かもしれない。
相撲部に入ってるボクの個人的感想だけど、最初から傷付くことを恐れちゃ駄目だよ。とりあえず今日は四股を踏むことで足裏への意識付けを、張り手で掌への意識付けをやってみようか。肉体の鍛錬にもなるからね』
『はい!!』
仮屋の目から見て、
抵部莢奈という少女の本質は『感情がとても豊かだがその分変動も激しい』と映った。
嬉しいことがあったらすぐに上機嫌になる。気に入らないことがあったらすぐにムキになる。恐いことがあったら・・・すぐにビクビクする。
花盛支部エースにして『物体補強』と相性が良い―『物体補強』の弱点を帳消しにする―閨秀と外回りでコンビを組むようになったのも抵部が『守りに入る』癖が付いた要因の1つと数えられるかもしれない。
故に、抵部は仮屋の演算パターンを参考にして部分能力行使の鍛錬と同時に自身の意識改革にも着手し始めたのだ。
「・・・ふぃ~。お、終わったぁ~」
「やったな、抵部!初めてにしては上出来じゃん!」
「莢奈!よく頑張ったわね!」
「抵部さん・・・お疲れ様です」
「へ、へへ~ん、私だってやる時はやる女なんですからね。この調子でけいこをつんで、いずれ二代目“花盛の宙姫”の名前をいただいちゃいますからー!!」
「このっ、調子に乗んな。デコピンでも喰らえ」
「痛っ!む、むむぅ~」
既定の距離―全長5m、高さ2m程度―を見事歩き終えた抵部が緊張を解いて地面へへたり込む。慣れない演算パターンも大きいが、やはり自分の“臆病”な部分の矯正に一番神経を使う。
辛くて苦しいが、それでも周りから聞こえる労いの言葉を聞けば『やってよかった』と思える。
調子に乗った時には叱り、頑張った時には労ってくれるかけがえのない仲間が自分には居るのだ。
「ほら!私の言った通りじゃないですか!!よっしゃ!!私も先輩を真似て稽古がてら空中散歩に挑戦だぁぁ!!満陽も一緒にやろうよ!ちぇいやっ!!」
「抵部先輩を見ていたらウズウズしてきちゃった。私もやろうっと」
「飛嶋さんまで!あぁ、もう。だから、私は引継ぎ報告に同行するって言ったのに!!・・・辛志きゅんは今頃どうしてるかな?ハァハァハァ」
抵部の稽古に刺激されたのか、果無が足裏から爆炎を発生させる能力『焦熱爆走』で噴射した強大な炎熱を瞬間的に集中させて空気を膨張・爆風現象を起こす事による空中散歩に挑戦し、
同じく刺激を受けた飛嶋が使用者周辺の気体に干渉し、任意の対象の揚力を十数倍~数割の間で調整する『揚力調整』を行使して空中に浮かぶ。
果無と飛嶋のお目付け役―小さな男の子が居る事態においては立場が逆転する―でもある夜越は思わず恨み節を零した後に、報告に同行している同僚へアブナイ思いを馳せる。
抵部を中心に騒がしくも楽しげな雰囲気に包まれる少女達。そこへ・・・強烈な香りを乗せた新たな風が舞い込んで来た。
ビュン!!ビュン!!
最初に気付いたのは『揚力調整』で空中へ浮かんでいた飛嶋。彼女の目に映ったのは、多くのビルが立ち並ぶことでできあがる路地裏の一角から無色の液体が飛び出して来た光景であった。
それなりの量を伴う液体は建物の壁に激突するたびに跳ね、宙を流離い、少女達が居る場所へと急速に近付いて来る。
しかも、蠢く蛞蝓のような無色の液体のすぐ後に続く人の影らしき物体が複数あることにも気付いた―何処か見覚えのある光景に内心驚きながら―飛嶋が周りの風紀委員達へ警告する。
あの挙動は能力によるモノである可能性が極めて高い。そして、この病院には【叛乱】に関わった人物が多数入院している。
そうでなくとも、ここには治療を求めて一般人が多数居るのだ。マズい事態に発展するようであれば未然に防ぐことが風紀委員には求められる。
車椅子に乗る渚と篠崎を後方に下がらせ、花盛支部員と181支部員が近付く不審物体を前に身構えた数秒後・・・何色にも染まっていない接着液と共に地表へ着陸した男はこう告げる。
「君達は風紀委員だよね?何か物騒な話をしてるスキルアウトに絡まれたんだけど、こいつらを引き取ってくれないかい?」
「「「「「(どう見ても絡み付かれてるのはスキルアウトの方!!そもそも何で清掃ロボットの上に!!?というか、臭いいいいいいぃぃぃ!!!)」」」」」
液状と硬化を組み合わせた接着液によって動きを封じられているスキルアウト5名を地面へ転がし、
風紀委員の大半が鼻を抓む程強烈な臭いを夏の風に乗せながら清掃ロボットの上に腰掛ける男の名は
一堂千秋(いちどう ちあき)。
“白帝の流離う掃除屋”と呼ばれる彼を見てワナワナ震える飛嶋、唯一鼻を抓むことが無かった匂いフェチな篠崎、
その他強烈な臭気に苦しむ少女達を一瞥した一堂は裏口故に清掃が行き渡っていないこの場の環境をすぐさま理解し相棒である清掃ロボットへ威勢の良い声を掛けた。
「スキルアウトは風紀委員に任せるとして・・・バディ!今からここがオレ達の戦場だ!皆の健康を守る病院へ感謝を込めて掃除するぞ!!」
一般人による凶器を持ったスキルアウトの連行でちょっとした騒ぎが起きた病院裏口は、【叛乱】の後始末のために風紀委員達が入院しているここへ訪れていた警備員数名の動きで沈静化した。
連行した一般人から漂う悪臭のせいでスキルアウト達は気分が悪くなっているようで、医師や看護師に手当てを要請する警備員が拘束したスキルアウト達を移動させている光景や、
遅めの朝食でも買いに行っているのか遠くには残土処理のために大量の砂を積載しているトラックが路上に駐車している光景が見えるここ3階のある一室の窓から、
共に風紀委員支部のリーダーを務めている少女2人が眼下で起きた一連の流れとお手柄な一般人を見やるためにずっと顔をのぞかせていた。
「警備員から届いた情報によると、あのスキルアウトの標的は『シンボル』の
界刺得世だったようね。冠。彼は今何処に?」
「外出許可を取って既に病院には居ないそうだ。昨日担当医師にお灸を据えられたそうだが・・・全く懲りていないらしい」
「そう。困った男の子ね。・・・それにしても、まさかこんな所で“白帝の流離う掃除屋”に出会うとはね」
「知ってるのか、都城?」
「実際目にしたのは今日が初めて。冠も聞いたことない?清掃ロボットや警備ロボットを見つけるや否や捕獲して丹念に磨いている所をよく風紀委員や警備員に職務質問される男の子の話」
「・・・・・・いや」
「まぁ、彼の行動範囲は広いし別に事件でも何でもないから知らないのも無理はないわ。私も満陽の話を聞いて初めて知ったクチよ」
「・・・あの男、どうやって凶器を持つスキルアウトを取り押さえたんだ?」
「聞く所によると、ガラスを引っ掻く時に発生するあの不快音をスキルアウトにお見舞いして挙動を制限させた上で悪臭とネバネバしている液体で一網打尽にしたらしいわね」
「それはまた・・・味わいたくないな」
片や缶コーヒーの中身を喉の奥へ流し込む花盛支部リーダー冠要。片や夏でもブレザーを着用している181支部リーダー
都城上手(とじょう うわて)。
2人は、支部は違えど親しい交友関係を築いており、【叛乱】において花盛支部の管轄の見回り等をどの支部に肩代わりして貰うか議論になった時に真っ先に手を挙げた程である。
「夜越先輩が頻繁にこっちを見てる・・・!!こ、恐ぇぇ」
「フフフ。辛志。君は希望先輩を嫌っているのかい?先輩は君を可愛がっているだけだよ。まあ君の気持ちもわかるけどね」
「べ、別に嫌いじゃないです!!唯、俺を見る目が異常というか恐いというか・・・」
「希望の悪い癖よ!!我も事ある毎に注意しておるのだが一向に治る気配を見せん。困った女子よ」
「フフフ。楓真先輩も、今日も無精髭が残ったままですよ?ボクは別に気にしませんけど上手先輩や希望先輩が何回も注意してるのに一向に治りませんよね?」
「うっ・・・寿、お前の毒舌も一向に治らんの」
都城の横で夜越の視線に顔を青くしているトサカ頭の少年の名は
山椒辛志(さんしょう こうじ)。彼は夜越のお気に入りで、普段から猛烈に、猛・烈・に可愛がっている。
一見すれば何と羨ましい関係だと思われるかもしれないが、現実は重度のショタコン性癖を持つ夜越が150cmしかない山椒にハァハァしているだけである。
そんなわけで、夜越が一線を越えないように防波堤としての役割を受け持つのが今時珍しいモノクルを着用するボクっ娘少女
寿春花(ことぶき はるか)と、
小麦色の肌に濃い顔をしている大柄な少年
物埜楓真(ものの ふうま)である。ショタコン化した夜越に張り合えるあたりそれぞれ夜越に負けず劣らずの濃い性格をしていることは明白である。
「今回は本当にありがとうございました。181支部のおかげで花盛支部の管轄では目立った事件が起きなかったことに感謝感謝です」
「水臭いことを言うでない、六花!!我達は同じ風紀委員となった者同士!!助けの声あらば何時でも駆け付ける所存よ!!」
「あ、ありがとうございます(デジャブが激しい・・・。寒村先輩と似たような話し方だからかしら?)」
「幾凪先輩。体の具合はどうですか?女の子にこんな酷いことができるなんて・・・絶対に許せませんよね!」
「(あぁ・・・『先輩』って呼ばれるこの感覚は堪らないなぁ。支部の中だと私が一番年下だしね。今度新しく入って来る風紀委員の中に私と同学年が居るから、今から楽しみ楽しみ♪)」
ベッドの上で必要書類全てに目を通した六花が物埜達に改めて礼を述べる。今日181支部がここへ訪れた業務の引継ぎは今をもって完了した。
181支部以外では祐天寺支部の面々もここを訪れることになっている。もしかすれば、彼等も現在進行中で引継ぎ処理を遂行しているかもしれない。
山椒の気遣う声に幸せそうな笑みを浮かべる幾凪の思考にもあるように、もうすぐすれば新しい風紀委員が色んな支部に配属されることになっている。
故に、引継ぎも手早く済ませる必要がある。ならば、引継ぎの前に打ち上げをするな・・・という意見は完璧無視である。それもこれも打ち上げを強く望んだ祐天寺支部リーダーのせいである。
「撫子先輩。しばらく見ない間に、表情が柔らかくなったような気がしますね。何か嬉しいことでも?フフフ」
「あっ・・えっと、その・・・」
「(冠。山門が恋をしたというのは本当なのか?)」
「(本当だ。私も最初は驚いたが・・・今は全力で応援するつもりだ)」
「(しかも、恋敵があの破輩かもしれないとは・・・大変だな)」
「(あぁ)」
寿の鋭い質問にしどろもどろになる山門へ前髪で隠れる左目を向ける都城は、親友から聞いた仰天的情報を当の親友冠要へもう一度確認する。
冠から聞いた当初は中々信じられなかった山門の『初恋』。しかし、今の山門を見れば本当なのだと思わざるを得ない。
恋敵があの破輩である可能性が高いことも合わせて
山門撫子の『初恋』の行く末を案じる都城の声に冠も頷く。
「・・・皆様。ここで1つ私の話を聞いて下さいませんか?もし、よろしければ181支部の方々のご意見も拝聴したいのです」
開けた窓から“掃除屋”の楽しげな鼻唄が聞こえて来る中、引継ぎも終わったことにより頃合いと見た六花が重い口を開く。
昨日の議論の纏めを一任されていた六花。ずっとずっと考えていた今後の花盛支部の在り方。それに対する1つの答えを181支部員達が居るこの場で少女は示す。
「今回の件で私達花盛支部は手痛い打撃を受けました。支部員の半数以上が病院送りになった現実は、私達にとって屈辱以外の何物でも無い。
昨日、支部メンバーと深く議論を行いました。そして、纏めを任された者として今ここに花盛支部の新たな在り方を提起させて頂きます」
「聞くよ、六花。物埜、寿、山椒。真剣に聞いてやってくれ」
「「「(コクッ)」」」
拝聴を求められた181支部もまた、六花達の真摯な願いを受諾する。都城も興味が無かったわけでは無い。
自分が花盛支部メンバーの立場なら、今回の一件で新たな方向性を模索していたに違いないだろうから。
「では。私達は今後後方支援任務に力を入れるべきだと考えています。外回りなど普段の業務は業務としてこなし、その上で警備員との連携強化も視野に入れる。
理由は、私達のメンバーの中で安定した戦闘力を持つ人間が冠先輩・美魁・抵部の3名しか居ないこと。
そして、今度新たに入ってくる新メンバー2人が後方支援に適した能力を持っているからです」
六花の提起は『後方支援強化』。これは、冷静に現花盛支部メンバーの力を測って出した答えである。
能力的に安定した戦闘力を持つメンバーは冠・閨秀・抵部の3名のみ。対象の感情を抑制する『心頭滅却』を持つ山門は安定した戦闘力という意味では力不足である。
六花・篠崎・渚・幾凪に至っては無能力あるいは能力が戦闘に全く向いていない。風紀委員は警備員と同等の危険な任務に就くことは殆ど無い。
だが、不測の事態は幾らでも有り得る。その時に花盛支部は一体何ができるか・・・それに六花は言及しているのだ。
「私の『心頭滅却』はレベル3以上の精神系能力者相手だと色々立ち回りは難しいしね。その点、181支部は“師範”である都城先輩始めきっちり鍛錬を積まれていますよね」
「まあね。まぁ、寿は余り鍛錬を積んでいないようだけど?」
「“師範”の影響かどうかはわからないけど、この支部の人間は近距離を専門にするタイプが多いね。実に嘆かわしい。フフフ。戦場の華はやはり銃(これ)だよ。パァン!」
「フゥ・・・本当に毒舌よね、寿は」
山門の褒め言葉にまんざらでもない表情を浮かべる都城の横目に、手を銃の形にして毒舌を吐く寿が応える。
遠距離戦を好む寿の何時も通りの姿に溜息を零す都城は“師範”と呼ばれる程の格闘術を備えている。
能力無しでは女ながら“剣神”と互角に渡り合える程。そこに予知系能力『直後予知』が組み合わされば鬼に金棒である。
「確か、都城の『直後予知』は前髪や帽子等視界内の遮蔽物に『数秒後の未来における第三者視点の自分の周囲の映像』を映す能力だったか?」
「あぁ。とはいえ、本当の意味で『数秒後の未来』を完全予知できているわけじゃないわ。少なくとも、私が知る限りではそんな都合の良い予知系能力者は存在しない。
私の場合は、例えて言うなら『樹形図の設計者<ツリーダイアグラム>』の個人バージョンと言った所ね」
「つまり、周囲の情報を取得した上で予知として数秒後の周囲の映像をシミュレートするんだな?」
「そう」
長い前髪の奥でキラリと光る都城の目は『直後予知』によって前髪に映し出された映像を刻んでいる。
都城の言う通り、現在学園都市において『本当の意味で数秒後の未来を予知できる』などという都合の良い能力者は存在しない。
もし、そのような能力を行使しているのであればそれは都城のようなパターンでまず間違いないだろう。
「そういえば、181支部からは2人も【特別部隊】のメンバーが選ばれたんですよね、都城先輩?」
「えぇ。1人は戦闘員として。もう1人は補助員として。2人共確かな実力を持っているわ。実力は・・・ね」
「(山笠先輩は結構な綺麗好きなのを除けば普通に良い人なんだけど、水崎先輩はあの性格がなぁ・・・。基本181支部って濃い面子ばっかだな)」
【特別部隊】に2人も選ばれた181支部の充実振りに六花の羨む声は切実さを増すばかりだが、真実を知っている都城や山椒にすれば気苦労が絶えないというのが本音である。
特に、戦闘員として選ばれた少女に関しては【特別部隊】の合宿にて少しでも性格が改善されていることを強く願うばかりである。
「六花。私からも質問したいんだけど、今度新しく花盛支部に入って来る風紀委員はどんな感じなの?後方支援に向いているとか言ってたわね?」
「はい。1人は念写系能力を含めた情報収集能力に長けた娘。もう1人は1キロ以内に存在する人間の生体反応・・・すなわちバイタルサインを感知できる娘。共に花盛生ですね」
「へぇ・・・牡丹先輩。ボクにも今度紹介して下さいね。2人とは良い関係を築けそうだ。フフフ」
「え、えぇ。・・・ゴホン!まだ、これが結論となったわけではありません。でも、今のままを続けていれば私達に明るい未来は無い!
何かを変えなければなりません!模索を始めなければなりません!また、同じようなことが発生しないためにも戦闘をこなせる美魁達を私達が全力で支援する!!
連携を取る警備員とも相互の繋がりを強化する!!前線での戦闘以外で花盛支部だからこそ可能な『道』を切り開いていかなければならないと思います!!・・・以上です」
纏めを任された六花の決意の強さに皆が圧倒される。それだけの鬼気迫る迫力があった。今度新加入する風紀委員の影響も六花の決意に与えた影響は大きい。
後方支援。それは戦闘の要の1つでもある。前線で戦うだけが能では無い。全体的な指揮を取る者、サポートする者の活躍は必要不可欠である。
戦闘以外・・・例えば渚が得意とする話術や幾凪の特技である嘘発見能力も活かせる環境作りも必要になってくるだろう。
とにもかくにも、今の花盛支部に絶対的に求められているのは『模索』である。【叛乱】のような屈辱は・・・もうゴメンだ。
「・・・困ったわね。何も言うことが無いわ。皆はどう?」
「フフフ。上手先輩に同じく」
「女子の決意、確と我の心に刻み付けたぞ!!」
「俺・・・俺・・・感動しました!!俺にできることがあれば何時でも言って下さい!!少しでも力になれるよう、俺頑張りますから!!」
「フフフ。辛志。君はまず明日のボランティアを乗り越えることが先決だろう?確か、希望先輩が君の同行を強く望んでいたんじゃなかったかい?希望先輩の本領発揮は明日だよ」
「あぁー!!そうだった!!ど、どうしよう!!どうしよう!!!」
これだけの覚悟を見せ付けられては都城以下181支部の面々がとやかく言える隙間は存在しない。
きちんとした方針がある。客観的な分析もちゃんとできている。ならば、後は本人達の努力次第。
見れば、冠・山門・幾凪の顔にも山門の宣言に満足気な色が見えた。これなら大丈夫だ。本当は大打撃を受けた彼女達を心配していたのだが、どうやら杞憂に終わりそうだ。
「冠。良い仲間を持ったな」
「あぁ。本当に良い仲間を持てた。都城。もちろん、お前もその1人だ」
「そう」
山椒が慌てふためいている光景を見ながらリーダー2人はクールな表情の中に微笑を滲ませた。
リーダーにしかわからない苦労を知る者同士、何処までも気が合う友として互いの心中を察する冠と都城は再び窓から顔を覗かせる。
この場に居ない者達の様子を見たかったからだったのだが、そんな2人の瞳に飛び込んで来たのは・・・
「・・・(グスン、グスン)」
花盛支部員の中で特に深い悩みを抱えている
篠崎香織が“白帝の流離う掃除屋”の前で泣いている姿だった。
「“白帝の流離う掃除屋”?飛嶋、何だそりゃ?」
「閨秀様。あの男は、かの名門
白帝学園に通う高校2年生なのです。名前は一堂千秋。砂の1つである石英等を操る『石英粘砂』という能力を持つレベル4でもあります」
「白帝学園って・・・エリート育成で有名な第18学区にあるあの白帝か?」
「その白帝です。どうやら、私のことは覚えていないみたいですが」
スキルアウト達が警備員に連行された直後から掃除を開始した一堂は現在排水溝に溜まっているゴミをシャベルで掬って片手に持つゴミ袋へ入れている。
また、彼と共にある清掃ロボットは付近に落ちている葉や紙くず等を片っ端から回収していた。
裏口を行き交う業者達の好奇的視線など意に介さず掃除に没頭している“掃除屋”の正体を探るべく、何やら素性を知っているらしい飛嶋に皆の注目が集まる。
「飛嶋さん。一堂さんのことに詳しいようですね。彼とは面識があるのですか?」
「・・・ご記憶にございませんか、夜越様?私達繚乱家政女学生達が『実地研修』として第7学区にある屋外施設の清掃を行っていた際に現れた清掃員の話を」
「・・・あっ!ま、まさかあれが飛嶋さんが楽しげに漏らしていた『無謀にもメイドに清掃勝負を挑んで来た清掃員と愉快な清掃ロボット達』の内の片割れなのですか!!?」
「あれ~、確か満陽が通う繚乱家政女学校って学園都市有数のメイド養育施設だよね?」
「その通り。私も含めて繚乱家政女学生には一人前のメイドになるべく粉骨砕身努力している自負がある。そこへ・・・あの“掃除屋”は乗り込んで来た」
夜越や果無の質問に的確に答える飛嶋だったが、その言葉の端々にはある種の棘があった。飛嶋もまた、れっきとした繚乱家政女学校に通う生徒である。
あらゆる局面で主人を補佐することの出来るスペシャリスト育成を目指しているメイド学校へ通う者として、『掃除』という分野も重要な意味を持っている。
数ヶ月前にあった『実地研修』も育成の一環であり、極普通のありふれた日常でしかなかった筈だった。
その日は飛嶋を含めた繚乱家政女学生4人が第7学区のある屋外施設の清掃を任されていて、1人を除いて誰もがテキパキと己の業務を進めて1時間程経った頃に“掃除屋”は現れた。
『ロボミ!そして、オレのバディ達!!今日はここがオレ達の戦場だ!!メイドさん達に負けない感謝を示すためにも全力で掃除するぞ!!』
『オソウジオソウジ。タイヘンタイヘン。メイドニマケズニセイソウカイシ』
『『『(ピコピコ)』』』
様々なガラス細工を纏った上に清掃ロボットの上に腰掛ける清掃員らしき男が複数の清掃ロボットと鉄製のマジックハンドを生やした特別製らしき清掃ロボットを従えて押し掛けて来たのだ。
清掃ロボットに腰掛ける姿から飛嶋達は母校に通うある生徒を思い出したのだが、“掃除屋”が自分達を無視して清掃を始めたことで事態は変わる。
何処の馬の骨とも知れぬ者に勝手に場を荒されては自分達の立つ瀬が無い。故に、リーダー格であった
振角零段(ふりかど れいたん)という少女が自分より背の低い男へお断りの旨を伝えようとしたのだが、
何故か話が『掃除における汚れの見過ごし』に発展してしまい挙句の果てに『世紀のお掃除勝負!!清掃員と愉快な清掃ロボット達VSエリートメイド候補繚乱家政女学生!!!』となってしまったのだった。
「すごーい!!わたしも参加してみたかったなあー!!」
「莢奈が居ても勝負の邪魔にしかならなかったわよ。ねぇ、香織?」
「わ、私がその場に居てもドジで勝負の邪魔をしてしまったと思います」
「あれー!?わたし、掃除のできない女だと思われてるー!!?ガーン!!!」
「で、勝負は結局どうなったんだよ?」
「・・・・・・運の悪いことに、当時その場に居た繚乱家政女学生は私と振角様に
綾瀬纐纈(あやせ こうけつ)様・・・そして
真砂沙羅紗(まさご さらさ)様の計4名。
この中で真砂様唯1人が掃除が不得手・整理整頓が全くできないタイプでして・・・」
「ま、まさか負けたのか?」
「・・・結果から申しますと閨秀様の予想は外れです。そこは『掃除』においてずば抜けた成績を収める振角様と綾瀬様の懸命のフォローで私達が勝ちました」
「へぇ。なのに、何でそんなに不機嫌なんだよ?」
「“掃除屋”が自分達に宛がわれた清掃範囲を超えて真砂様の清掃範囲にまで清掃の手を伸ばし始めたのです」
今でも飛嶋は鮮明に思い出せる。掃除がからっきしな真砂が余計な手間を増やして振角と綾瀬が焦る中清掃ロボットと共にマイペースに掃除を行っていた“掃除屋”が、
何故か勝負相手である真砂のテリトリーにまで清掃の手を伸ばしていた。すかさず、飛嶋は一堂に警告したのだが・・・
『だって汚れてるじゃん。ラララ~。正直勝負なんかどうでもよくなってきた。オレは感謝を表すために掃除してるんだし、感謝を競い合っても仕方無いよね。
オレは清掃に勤しむ君達に感謝してるし尊敬もしてる。掃除って割と敬遠されがちな汚れ仕事だからね。だから、せめてもの感謝として君達を手伝いたかった。ラララ~ラララ~。
さっ、君もオレ達が見過ごしてるかもしれない箇所があったら存分に指摘してくれ。この施設のためにも綺麗にしてやらないと。さぁ、ロボミ!次はあそこの隅にある埃だ!!』
『ホコリホコリ。キカイノテンテキ。ソッコクハイジョソッコウハイジョ』
埃塗れの顔をぐっと近付け楽しげに話す一堂に飛嶋は・・・繚乱家政女学生達は“掃除屋”が勝負そっちのけで掃除の虫と化していたことに気付く。
しかも、感謝の表現として対戦相手のテリトリーをも掃除する彼の行動を受けて本気の本気で火が付いた繚乱家政女学生達はテリトリーなど無視して圧倒的メイドさん技術を駆使して清掃を敢行、
その上で共に掃除を行った同志に感謝の気持ちを込めて汚れ塗れな清掃員と愉快な清掃ロボット達をも綺麗にしてしまった。
『すごいな。やっぱり繚乱家政女学生ってすごい。感謝の競い合いやっても仕方無いって言ったけど、それを度外視してもこれは完敗だ。
良い勉強になったよ。・・・また、何時か会うことがあったらよろしく。ラララ~ラララ~』
『カンパイカンパイ。ハラタツハラタツ。イツカリベンジカナラズリベンジ』
完敗の白旗を揚げて去って行った一堂の顔は何処までも晴れやかで、繚乱家政女学生達含めて最後は皆が笑顔で終わることのできた『実地研修』だったことに飛嶋は満足していた。
何時かまた会うことがあれば、メイドとして研磨して来た掃除スキルの一端を伝授してあげてもいいと思うくらいに。それなのに・・・
「・・・てことは、お前が不機嫌なのは一堂が自分のことを覚えてなかったからか?自分は名乗らなかった一堂のことを自力で調べ上げたのに、向こうさんはお前のことなんて忘却の彼方だったから」
「・・・・・・はい」
当人が自分のことをすっかり忘れている。それが思いの他腹が立った。名前を教えていなかったから仕方無いことなのかもしれないが。
「だったら、もう一度話し掛けてみればいいんじゃないのかな?そうすれば、向こうも飛嶋のことを思い出すかもしれないよ。私も付いて行ってあげるからさ」
「渚様・・・。しかし、今の一堂千秋に近付くのは・・・」
「それなら香織に任せて。感知できる臭気を操る香織の『芳香散布』なら、あの強烈な臭いもへっちゃらだから。どう、香織?」
「大丈夫です。飛嶋さんのためにもこんなことでドジを踏んだりなんか絶対にしません!」
気落ちしている飛嶋を励ますために花盛支部の渚と篠崎が動く。篠崎の能力『芳香散布』は嗅覚で感知できる臭気を半径1m内であれば自在に増減、散布できる能力である。
彼女の能力を用いれば強烈な臭気を発している一堂に接近することは容易い。効果範囲の都合上篠崎と同行できるのは少人数に限られることがネックだが、飛嶋と渚の2人くらいなら問題は無い。
飛嶋も渚達の申し出に最初こそ戸惑ったものの、すぐに受諾の意思を伝える。丁度、一堂も排水溝の掃除が一段落着いていたようであった。
なので、飛嶋は清掃ロボットの上に座ってくつろいでいる“掃除屋”へ遠慮無く話し掛けた。
「お久し振りですね、一堂千秋」
「うん?・・・君とどっかで会ったことある?」
「・・・ハァ。数ヶ月前第7学区のある屋外施設で清掃勝負を行った繚乱家政女学生達を覚えておられませんか?」
「・・・・・・あっ!思い出した思い出した。パンモロしまくってたメイドさんだ!」
「ブッ!あなた、どんな覚え方してるの!?」
「フッ、見られても良いものを穿いておりますので、何も問題ありません(キリッ)」
「飛嶋も偉そうに語らない!メイドとしても女としてもどうなの、それ!!?」
案の定覚えていなかった一堂は、飛嶋の説明にてようやく彼女のことを思い出す。あの清掃勝負にて何度もパンチラならぬパンモロを披露していた飛嶋に対する印象は文字通り『パンモロしまくってたメイドさん』であり、
顔なんか全く覚えていなかったのだ。それ程飛嶋のパンモロは強烈な印象を一堂に与えていた。
対する飛嶋も、今や『下手に恥ずかしがっている方が見苦しい』という境地に立っていたりする。能力の関係上止むを得ない部分もあるため、
本人もすっかり慣れてしまってもはや下着を見られることに抵抗が無い。とはいえ、見せびらかしているわけではなく単に無頓着なだけなのだが、
メイドとして女としてどうなのかという疑問を呈する渚のツッコミは至極真っ当である。
「その腕章・・・君って風紀委員だったんだ?」
「はい。・・・先程の件、どうもありがとうございました」
「あぁ、あのスキルアウトのこと?いやいや、オレは偶々通り掛かっただけだから」
「それでも、起こり得たかもしれない犯罪を未然に防ぐことができたのは揺るがぬ事実。その点に関して1人の風紀委員として厚くお礼を申し上げます」
「私達からも。ありがとうございます」
「ありがとうございます」
以前知り合ったメイドが実は風紀委員だったことに興味深げな表情を浮かべる一堂に飛嶋・渚・篠崎は風紀委員として犯罪予防―『シンボル』潰しの抑止―に力を貸した形になった彼に礼を述べる。
【叛乱】の件で『シンボル』に悪影響が及ぶことは想定していたが、実際目の当たりにすると何とも言えない気分になる。
『何か目立ってる奴が居るから潰そう』という思考を抱く人間の気持ちが知れないというのが正直な感想である。
「・・・・・・間違ってたら悪いけど、ここって最近ニュースになってた
成瀬台高校の件で負傷した風紀委員が入院しているのか?」
「・・・・・・よくお気付きになられましたね」
「・・・まぁね。2人共体の方は大丈夫?」
「おかげさまで」
「夏休みが終わる直前くらいには退院できると思います」
「そうか」
真剣な顔付きで容態を質問する一堂に渚・篠崎両名は苦笑いを浮かべながら回復の経過を伝える。
さすがは、学園都市の最先端医療技術といった所。当事者である自分達が一番驚いているくらいに、この街の技術は一歩も二歩も先を行っている。
「クンクン。さっきから気になっていたのですけど、一堂先輩の上半身から漂う臭気の中に接着剤のような臭いがありますね?もしかしなくとも、そのベトベトですか?」
「そうだよ。二酸化珪素から作った自慢の接着液だ。オレの『石英粘砂』は二酸化珪素操作が一番得意だからね。
このガラス細工達も自作なんだよ?“時と場合によっては”ガラス細工じゃなくてビー玉とかを服に忍ばせているなぁ」
「成程。二酸化珪素・・・砂・・・鏡星さんや殻衣さんと同じ系統のようでいてまた違う能力なんですね」
「触りたかったら触っていいよ?この接着液は人間にはくっつかない」
「そうなんですか?では、あの蛞蝓みたいな接着液の固まりと共に先輩が移動してきたあれは・・・?」
「それは、服に付けたガラス細工や腰回りに巻いている硬化した接着液に液体を引っ付けて一緒に移動してるんだ。
接着液には緩衝材の役割もある。液体は自由に操作できるからあぁいう移動も可能なわけ」
「・・・壁とかにくっついて離れなくなっちゃう時ってありません?」
「あるある。その時は液体全体が通り過ぎる瞬間に接着部分の二酸化珪素を砂に変換して液体末尾に放り込む。そうすれば、何時でも接着液に変換できるし無駄や浪費も省ける」
「成程成程。上手い具合にできてますね」
「(飛嶋。一堂先輩の『石英粘砂』で具体的にできることってどんなものがあるの?)」
「(・・・『書庫』にあった『身体検査』の情報だとガラスと接着液作成が大の得意だそうです。反面、他の作生物の実例は皆無です。本人が乗り気じゃ無いみたいなので)」
「(さっきも思ったけど勝手に『書庫』で個人情報漁っちゃ駄目だからね?)」
「(・・・・・・あの男は方々で風紀委員や警備員に職務質問をされていますので、情報収集の一環としてなら全く問題はありません)」
今まで嗅いだことの無い臭気に興味津々な篠崎が物珍しそうに無色の接着液に触れて臭いを堪能している傍らで渚と飛嶋は小声で『石英粘砂』に関する会話を繰り広げる。
臭気を操作している篠崎から離れられない制限があるため、2人は否応無しに一堂に接近せざるを得ない。
篠崎がドジを踏めば悶絶すること間違い無しの状況である。本人はドジを踏まないと言っているが、不安は募るばかりである。
「うわぁ、本当だ。ネバネバしてるのにくっつかないという感覚は結構新鮮です」
「オレはもう慣れ切った。さぁて、休憩している今の内にバディを拭いてやろうっと」
「あっ、私もお手伝いします。リハビリも兼ねて。こう見えても支部では掃除担当なんです」
「マジでか?だったら、この雑巾使って。清掃ロボットの表面を傷付けずに汚れを拭き取れる学園都市最先端のお掃除グッズなんだ」
「(白帝学園にある第99支部では2人組で行動する習慣があるそうで、その習慣を指して『相棒<バディ>』と呼んでいるそうですね)」
「(へぇ。ということは、一堂先輩はそれに倣って清掃ロボットをバディと呼んでるんだ)」
白帝に設置されている風紀委員支部の習慣について話し合っている渚と飛嶋の眼前では、清掃ロボットから降りた一堂と車椅子に乗る篠崎が雑巾を手に汚れが目立つ清掃ロボットの拭き掃除を開始していた。
掃除マニアな一堂は勿論、花盛支部で掃除関係を任されている篠崎も慣れた手付きで清掃ロボットの汚れを取り除いていく。
掃除においてはドジを踏むことが無くなったと見る冠の判断は正しかったようで、篠崎がミスをする気配は全く無かった。
「ラララ~お掃除お掃除楽しいなあ~。ラララ~」
「クスッ。一堂先輩って本当に掃除が楽しいんですね」
「君は掃除が楽しくないのか?」
「・・・別に嫌いじゃないんですよ。能力も活かせますし。唯、私の場合は『やらされている』状態から抜け出せていないようなので。これからの努力次第です」
「へぇ~。ラララ~ラララ~」
「支部リーダー曰く、『掃除はその人の心の状態を表す』らしいですね。掃除が大好きな一堂先輩は、私に比べれば澄み切っていると思いますよ」
本当に楽しそうに掃除を行う一堂に篠崎は愚痴を含めた吐露を漏らす。冠曰く、『所々に目立つ汚れが毎回残っていた』自分の心はきっと薄汚れている。
『やらされている』状態から『やる』状態になって初めて心に染み付く薄汚れは取れるのだろう。
本音を言えば、冠に任された掃除は自身の能力を活かせる仕事ではあるが自分が本当にやりたいことなのかどうか不明瞭。だから悩んでいる。
隣に居る渚や少し離れた場所で閨秀・夜越・果無と共に再び稽古に没頭している抵部と共に新たな一歩を踏み出すために、篠崎香織は『今』もがいている。
「オレの何処が澄み切ってるんだろう?汚れ塗れだよ。ラララ~」
「えぇと、私が言いたいのは一堂先輩の心が澄み切っ・・・」
「汚れてるって。埃被って泥に塗れて溝に落ちてゴミ山に埋もれて。掃除は“汚れてナンボ”だな、うん。ラララ~」
「・・・!!」
だが、一堂は篠崎の賞賛の言葉を否定する。彼は篠崎の抱く感情・思考に頭を働かせていない。今の彼の頭を占めるのは掃除・清掃・お片付けの三大用語である。
そんな一堂の言葉が図らずも篠崎の心を揺り動かしている結果になっているのは、彼が物事―彼の場合は掃除―に対して何処までも誠実な人間だからである。
「オレはこの雑巾のように汚れ塗れた男だっつーの。埃被りながら唯々一生懸命掃除してる汚らしい人間がオレだっての。今なんか悪臭プンプンだ。
そんなオレが世話になってるこの街に感謝を示すために汚れている街を掃除する。汚れが汚れを清掃するなんて道理がおかしいかもしれないけど気にしない。ラララ~。
汚れることを恐がってたら手が震える。泥に塗れることを恐れてたら足が止まる。自分の掃除(こうどう)に胸を張りたかったら、覚悟決めて挑戦挑戦♪」
「・・・!!!」
「あっ、でもこの臭さは毎回じゃ無いからね。実は、オレもこの臭さめちゃキツいの。我慢してるの。もうちょっと掃除が進んだら消臭剤で何とかするから。ラララ~」
砕けた口調が少し混じり始めた一堂は自分のことを綺麗な人間だとは考えていない。心が澄み切っている人間だとは全く思っていない。
汚れる。掃除をする度に汚れが増す。頑固汚れは時として何回洗っても落ちない。毎回寮部屋の洗濯機で格闘格闘&格闘の日々である。
それでも、汚れから一歩も退かずに掃除を敢行する。何故なら、掃除が好きだからだ。汗まみれ泥だらけになった後に高所で心地良い風に吹かれることが何より大好きだからだ。
「(・・・私達と清掃勝負した時もそうだった。あの場で誰よりも楽しそうに掃除に熱中していた。そういう部分は火煉に似てる)」
「(もしかして、今の香織に一堂先輩の言葉ってタイムリーなんじゃあ・・・)」
大好きなことに熱中している人間の姿は他者を惹き付ける灯火となる。“掃除屋”の場合は灯火という上等なモノでは無く、精々掃いて集めた落ち葉を燃やして熾した焚火といった所。
人を遠ざける強烈な臭気を漂わせながら、しかし確かな意志を秘めた揺らめく炎を自らの意思で近付いた末に垣間見た篠崎に“掃除屋”は彼女の手を握りながら言葉を紡ぐ。
「『これからの努力次第です』・・・か。ということは、君はこれからも風紀委員を続けるつもりなんだろう?酷い怪我を負ったのにも関わらず」
「は、はい」
「それだけで君は胸を張っていいんだ。『時に危険な仕事に就くかもしれない風紀委員を務めている』だけで、オレは胸を張っていいと思う。
ヤバい失敗を犯しても人に言えない悩みを抱えても、学園都市を守るために風紀委員として頑張っている限りオレは君に感謝するし尊敬する」
「ッッッ!!!」
「ありがとう。こんなに傷だらけになっても学園都市の平和を守る風紀委員を続ける意思を持ってくれて」
「・・・(グスン、グスン)」
「うおっ!?な、何で泣いているんだ!?オレ、何かマズいことでも言っちゃった!!?」
「ち、違う・・・んで、す・・・(グスン、グスン)・・・う、れしくて・・・すごく嬉しくて・・・!!!」
嬉しい。すごく嬉しい。溢れ出る涙を止められない。かつてあった冤罪未遂事件からロクに仕事をこなすことができなくなり、【叛乱】では病院送りとなった。
昨日の話し合いで多少気持ちを立て直すことができたとはいえ、未だ確たる方向性は定まっていない。
「(汚れることを恐れちゃ駄目なんだ。ドジを踏むことを恐がってちゃ駄目なんだ。何もできていない私に『ありがとう』って言ってくれる人の誠意を無下にしちゃいけないんだ。絶対に!!絶対に!!!)」
それは『今』も同じ。何を『やる』のかも見えないまま。でも、人の誠意を無下にする人間にだけはなりたくないと心底思った。
自分が抱える事情を知らない一堂の言葉だからこそ強く心に響いたことを切欠に嬉し泣きを止めない篠崎に困惑する一堂はふと気になったことを渚に問う。
「ねぇ、君。もしかして、君達以外でもここに入院している風紀委員って居るのかい?」
「は、はい。丁度あそこの窓辺りが私達の支部の何人かが入院している部屋ですが・・・あれ?冠先輩達・・・何時から私達を見てたんだろう?」
「冠先輩・・・が君達のリーダーか?どの人だい?」
「えっ?か、缶コーヒーを持ってる・・・」
「あの人ね。行ってくる」
「「「!??」」」
渚から【叛乱】で入院を余儀無くされた花盛支部員が入院している部屋を聞き出した一堂は、
ある考えをもった上で接着液を冠達が顔を出している窓の横にあるガラスまで飛ばしてちょっとした挨拶に向かう。
「こんにちは!」
「「(臭い!!!)」」
「おい、テメエ!篠崎に何しやがっ・・・く、臭い!!」
「オレもよくわからない。何故か嬉し泣きしてる。とりあえず、室内で土足はマズいから脱いで脱いで」
「お、おぅ・・・」
普段から常にクールを体現している冠と都城が思わず顔を顰めて仰け反るくらいの強烈な臭気を放つ一堂は見る。
篠崎や渚と同じようにベッドの上で包帯等を巻いている少女達の姿を。これからも風紀委員を続ける決意を持つ篠崎の仲間達を。
すっ飛んで来た閨秀を部屋内に降ろし(無論靴は脱がせた)、話せる環境になったと判断した一堂は静かに言葉を紡いでいく。
「冠先輩・・・って君のこと?」
「ゴホッ、ゴホッ。そ、そうだが?」
「あそこで泣いている娘と同じ支部の人?この部屋に入院してる娘達も?」
「そうだ。それが何だ?」
「頑張れ。オレはテロリストに病院送りにされても風紀委員として頑張ろうとする君達を尊敬してるから」
唐突なのは承知の上。どうせ、この会話では自分の思いの丈の1割も風紀委員達には伝わらないだろう。
それでも、直に伝えたくなった。『すごく嬉しくて・・・!!!』と呟いて嬉し泣きしている篠崎を見て伝えられずにはいられなくなった。
「オレは学園都市の治安を守ろうと頑張っている君達に感謝してる。だから胸を張ってくれ。
あそこで泣いている娘にも言ったけど、傷だらけになっても諦めない君達を尊敬する。この街には面倒な人間も多く居るだろうけど負けないで」
「・・・あ、ありがとう」
見知らぬ人間からの突然の応援に面喰う冠。悪い気はしないが、話の前後がさっぱりわからないのでどうにも『いきなり何だ?』という疑問の方が強くなってしまう。
それは他の花盛支部の面々も同じだったようで、181支部メンバー共々ポカーンと口を開けてロクな反応を示せないでいる。
一方、一堂の方も『もう少し上手い伝え方があったんじゃないか?』と今更になって考え出したために妙な沈黙が場を漂い始めた・・・その時事件が起きた。
「オラッ!!暴れると殺すぞ!!へへっ、いいトコにトラックがあるじゃねぁか!!これで!!」
「た、助けて!!誰か!!!」
「「「「「!!!??」」」」」
事件を起こしたのは警備員に連行された筈のスキルアウトの1人。何処で拾ったのかはわからないが、彼の手には所持していたナイフの代わりにガラスの破片が握られていた。
『気分が悪い』と最後まで訴えていた彼は処置室で手当てを受けていた時にできた僅かな隙を突いて脱走、しかも女性看護師を人質とし裏口まで逃走して来たのだ。
「そこの風紀委員!!妙な真似をしたらこの女の喉を掻っ捌くからな!!!オラッ、乗れ!!」
「野郎!!ここはあたしに任せな!!」
手錠を掛けられながら往生際の悪いスキルアウトは、資材搬入のために鍵を掛けたまま駐車していたトラックに看護師を押し込め車両のエンジンを吹かせる。
篠崎達はスキルアウトに顔を知られているために動きが封じられた。彼女達の能力では、今の状況下において人質を傷付けずに逆上しているスキルアウトを取り押さえることは困難。
遠距離専門の寿も、今は専用の武器を持っていなかった。181支部員の多くは主に近距離戦が得意であり、【特別部隊】に選ばれた戦闘員もここには居ない。
故に、結果的にだが姿を病室内に隠せていた“花盛の宙姫”が出撃を決めた。この暑さのためだろう、僅かだが運転席の窓が開いている。
ならば、『皆無重量』によって迅速に人質の救出とスキルアウトの捕獲を敢行することができる。冠と都城も無言で了承した。
スキルアウトが病院から出る前に何としてもケリを着ける。目を血走らせるスキルアウトがトラックを急発進させたと同時に閨秀は窓を掴み、反動で勢いを付けながら無重量空間を発生・・・
ズキッ!!!
させられなかった。原因は言わずもがな、数日前にあの殺人鬼によって齎された左肩の傷である。
勇路の『治癒能力』では完治には持っていけず、今もこの病院にて治療中の左肩から発した激痛が閨秀の演算能力を乱す。
咄嗟のことで左肩を庇う行動が取れなかったことで蹲ってしまった閨秀に、周囲の風紀委員達が心配と焦りの色を濃くする。
この数秒の間にも、スキルアウトが運転するトラックはゴミを収集した袋を蹴散らし敷地を疾走している。このままでは病院の外へ逃走してしまう。
「折角掃除したのに、何てことしてくれるんだ・・・全く」
緊急事態を受けて多かれ少なかれ誰もが焦っている中、唯1人だけ動じていない男が居た。その男・・・“白帝の流離う掃除屋”の眼光が鋭くなる。
あのスキルアウトは、人が折角集めたゴミを散乱させるという愚行を犯している。それだけならまだ許せるが、看護師を人質として逃走を図っていることが何より気に喰わない。
ある事情から穏健派救済委員と呼ばれる―本人は救済委員になった覚えは毛頭無い―者に相応しい信念・・・『己の信念に従い正しいと感じた行動をするべし』を図らずも実践する白帝生一堂千秋は、
安心させるかのように被っていた帽子を激痛に震える閨秀の頭に乗せる。帽子を脱いだことで隠れていた金髪天然パーマが露になった“掃除屋”は、
学園都市の治安を守っている風紀委員達へ感謝を示すために、そして絶大な安心を与えるかのように低く吠える。
「任せろ・・・!!!」
そう言い残した後、眼下の者達に退避を促した“掃除屋”は纏う接着液を病院裏口方面へ飛ばす。液体の速度は脱走を図るスキルアウトが運転するトラックを軽く超え、
瞬く間に一堂をトラックの真正面へ移動させることに成功する。一方、看護師を人質に取るスキルアウトに最早後先を考える余裕は無い。
一刻も早くこの場から逃げる。それ以上に自分達を警備員に突き出した清掃員のような男に敵意を剥き出しなスキルアウトは、立ち塞がった男を吹っ飛ばすためにアクセルを踏む足の力を強くする。
ギュオオオオオオオオォォォォォッッッ!!!!!
その時、“掃除屋”は接着液を操作して上方へと跳び上がった。立ち塞がった癖にいざとなったら回避行動を取った邪魔者を見て引き攣った笑みを浮かべるスキルアウトは、しかしすぐに異変を察知する。
“掃除屋”が跳び上がったことで開けたルート・・・つまり裏口の門に嵐が如き砂の大群が周囲から猛烈な勢いで集まってきたのだ。
『目晦ましのつもりか』・・・頭に血が上っている者特有の単純思考で回答を導き出したスキルアウトが構わずトラックを突進させるその先で、
『石英粘砂』によって操作範囲にある二酸化珪素―屋上庭園にある砂場や残土処理のために大量の砂を積載していたトラックに石英が含まれる地面・地中等から―を眼下へ集結させた一堂は、
微細振動させた石英の“長刃”による一閃で一気にタイヤを全てパンクさせることより安全な方策を選択した結果の産物である目晦ましの砂如きでは諦めないスキルアウトの逃走を防ぐために普段は余り作らない二酸化珪素作生物を生み出す。
「い、岩ああああああぁぁぁぁっっ!!!??」
門に集った砂が結合し、まるでダルマを横に寝かせたかのような1個の大きなチャート(=岩石)となって落下、通路を塞ぎトラックの逃走ルートを封鎖する。
硬度は能力で生み出すガラス以上。すなわち、このまま進めば致命的なダメージを車体に及ぼすばかりか車両に乗る者達の身を危うくさせる。
突如現れたチャートに混乱するスキルアウトは、命の危機を端に発する反射的行動として急ブレーキを踏みながら手錠で繋がっている手で握るハンドルを懸命に横へ切った。
ベチャ!!ベチャ!!グンッ!!
当然そのままでは岩石を避けられても病院を囲う壁に激突することは避けられない。それを見越していた一堂は乗っかる岩石の一部を蠢く蛞蝓のような接着液に変換し、
トラックの各所にある金属部分に接着した後に一気に宙へ吊り上げる。能力補強を加えた接着力のみで10トンクラスの物体を吊り上げることが可能な接着液は、対象が無機物の時限定でその真価を発揮する。
次いで、“掃除屋”はすぐさま助手席に座らされている人質を救出するためスキルアウトが凶器として保持するガラスの破片を砂に変換し、目潰しとして見舞う。
ベタッ!!ガチチチッッ!!
目を封じられたスキルアウトが目を擦っている間に、僅かに開いていた窓から本来は音響対策として遮音合わせガラスと組み合わせる吸音ガラス繊維グラスウールを幾条も侵入させ座席ごとスキルアウトを束縛する。
ほぼ同時期に鉤爪を模ったガラスで鍵の掛かっていない助手席側の扉を開け人質を無事救出、下方で息を呑んでいる風紀委員達の下へ送り届けた一堂は、
つなぎから射出した接着液をトラックの前面へ付着させ、事態を終着させるべく牽引によってフロントへ辿り着く。
ポイッ!ギュルルッッ!!
目潰しを喰らって涙を流すスキルアウトが歪む視界で捉えたのは、一堂がつなぎに付着させていた複数のガラス細工を引っぺがして空中へ放り投げた光景だった。
宙に浮かぶ多様な形をしたガラス細工達はすぐにその形を変化させ、混ざり合い、1本のガラスバットとなり、再び一堂の手に納まった。
能力によって作成されている以上、あのガラスバットの強度は相当なモノに違いない。そして、グラスウールによって座席に縛り付けられたスキルアウトに抗う術は存在しない。
無表情で振り被る“掃除屋”が、作成したガラスバットを用いてフロントガラス越しにスキルアウトの顔面を狙う。
動きを封じられた上に迫り来る凶器を瞳に映すスキルアウトがすぐに訪れる悲惨な未来を拒否するように絶叫を挙げる。そして・・・
「・・・失神するくらいなら、最初からするなよ君?胸を張れることをやっていれば、その内良いことあるって」
すんでの所でガラスバットを止めた一堂は、極度の恐怖と緊張によって失神したスキルアウトに呆れながら言葉を漏らす。
最初から威嚇で止める予定だった“掃除屋”の勇気ある行動によって、突然発生した事件は発生直後に鎮圧することに成功したのであった。
「行っちゃった。泣いていた理由の説明とかお礼とかきちんとしたかったです」
「また、何時か会えるわよ香織」
「辛志きゅん、恐かったよぉ・・・ハァハァハァ」
「ドサクサに紛れて頭をナデナデするのはやめろおおお!・・・です夜越先輩」
病室に入ってくるやいなや山椒に飛び付き頭をナデナデし始めた夜越の興奮した吐息が聞こえる中、
今度こそ本当に連行されていったスキルアウトの乗る車両を見やる篠崎と渚は清掃ロボットと共にここから去って行った“掃除屋”を思う。
鎮圧はしたものの騒然となったことで掃除どころの話では無くなったと判断した一堂は篠崎達に『この辺りで絶好の清掃場所ってある?』と質問、
昨日176支部の面々が宴会に巻き込まれたらしい公園の場所を伝えた所早速清掃ロボットの頭上に腰掛け長箒を片手に鼻唄を呟きながら颯爽と去って行ってしまった。
「美魁・・・ちょっと変わった?」
「何だよ、撫子?藪から棒に」
「だって・・・風紀委員でも何でも無い一般人がスキルアウトと戦闘行為を行ったのに一堂さんに何も言わなかったじゃない?」
「・・・・・・へっ。偶々だっての。あの野郎は臭過ぎてそれ所じゃなかった」
「(牡丹・・・)」
「(えぇ・・・もしかして、美魁も【叛乱】を切欠に変わろうとしているのかも)」
一般人であるにも関わらずスキルアウトの暴走を鎮圧した一堂に終ぞ何も言わなかった閨秀の変化に親友の山門と六花は勘付いた。
『シンボル』の不動と仮屋と共に『六枚羽』を撃墜していることが予兆と言えるかもしれない。彼女もまた自分の在り方に関して『模索』を開始した気配がするのだ。
「臭いですー!!そらひめ先輩臭過ぎですー!!だよねー、カレンちゃん!!?」
「イエス!!この臭さは尋常じゃ無いぜええぇぇ!!鼻がひん曲がりそうで辛い、辛いー!!」
「・・・(プルプル)・・・」
「女子の香水とはまた違った刺激臭か・・・う~む。だ・が・ここが我の根性の見せ所ぞ!!悪臭如きで我は女子を差別はせぬ!!うおおおおおぉぉぉっっ!!!」
「美魁・・・今日はもう帰ったら?ねぇ、撫子?・・・ウプッ」
「そうね。今すぐにシャワーを浴びに帰ることを望むわ。・・・オエッ」
「あの掃除マニアめ!!!今度会ったら唯じゃおかねぇ!!」
そんな気配も一時だけ被らされていた帽子から移った悪臭によって塗り替えられてしまう。抵部達が鼻を抓んで顔を背ける姿が、閨秀から発せられる悪臭の酷さを物語っている。
掃除をすることは結構なことだが、せめて付着した臭いはその都度除去して貰わないと周囲が大迷惑である。
「要先輩。確か、成瀬台の撚鴃先輩と親しい仲ですよね?」
「う、うん?ま、まぁ親しいというか・・・ヨ、ヨリを戻したいなぁと思ってるが」
「なら好都合。実は明日辛志を連れて成瀬台の沢雄先生の下を訪ねようと考えているのですが、撚鴃先輩に連絡を取って頂けませんか?
今の成瀬台は補修やら何やらでいつもよりバタバタしていますし、一応他校生ですから成瀬台の風紀委員に付き添って頂きたいと思いまして。これで、辛志も憂鬱な気分が晴れるだろう。フフフ」
「そ、それならま、任せておけ。撚鴃には私から伝えてお、おこう」
「(おおおぉぉっ!!これは、滅多に拝めない冠先輩の照れ顔!!よぅし、今こそ『表情透視』の出番!!冠先輩!あなたの素顔、私の手で曝け出します!!)」
騒がしい病室の一角にて寿が冠へ成瀬台訪問の足掛かりを依頼している。冠としても【叛乱】終結後に成瀬台支部リーダー椎倉と復縁したいと常々考えていたので、
今回の寿の申し出は椎倉に改めて復縁を口に出す切欠になり得ると判断する。『心はクールに』を信条とする冠でも話が自身の恋愛に及ぶと色々崩れるようで、
ドキドキワクワクな幾凪が崩れた表情から『表情透視』によって自分の心情を分析しようとしていることに気付かぬ程浮き足立っていた。
「満陽」
「はい?」
「あの“掃除屋”・・・風紀委員にスカウトしたいくらいの男だったわね。能力も優秀だし、ちゃんとした正義感も持ち合わせていそうだし」
「えっ?そ、それは幾らなんでも過大評価では?あんな悪臭塗れ汚れ塗れの男と同じ現場になったと考えるだけで背筋が凍り付きそうです」
「・・・まぁ、あの悪臭は一過性のモノだと信じたいわね。にしても・・・もしかして彼は長月の“北”のように『水晶』をも能力で作成できるのかしら(ボソッ)」
「都城様?」
「・・・いえ、何でもないわ」
顔が綻んでいる親友の姿に微笑を浮かべていた181支部リーダー都城は傍に居る飛嶋の嫌そうな顔に微笑から苦笑いに切り替えながら去って行った男について考える。
他の面々の目は誤魔化せても“師範”足る自分の目は誤魔化せない。一堂千秋・・・あの男は明からに『戦闘慣れしている』。
緊急事態に動じない精神力、接着液で空中に跳んだ時に見せた完璧な姿勢制御、能力のコンビネーション、『戦闘力』と評される上記のどれを取っても素人のそれとは思えない。
しかも、かの
長月学園に君臨する四天王・・・その中の一角、自然界最強の“絶縁性”を有する『水晶』を自由自在に操作する長月の“北”と同じことができる可能性が高い。
もちろん、これは深読みかもしれない。だが、深読みするだけの価値が“白帝の流離う掃除屋”にはある。
「少なくとも、私は一堂千秋とは余りお近付きになりたくありません。あの男、火煉のように危なっかしいことしていますから」
「危なっかしいこと?それは一体・・・!?」
「あの男、白帝学園の校舎である高層ビルの頂上付近で能力以外の命綱も無しに壁を掃除してるんですよ?生徒から聞いた話だと、『能力を上手く使ってるから平気平気。
逆に、精神力が鍛えられるし平衡感覚も養われるし能力をどうやって使ったら効果的に掃除できるか考えるようになった。一石二鳥ならぬ一石三鳥だラララ~』なんて嘯いているようですし」
「・・・・・・そ、そう。そうな、のね。ど、何処までも掃除一筋掃除脳な人種なのね、彼って」
「全く、火煉も一堂千秋も周囲のことにもっと気を配って欲しいものです。心配する身にもなって貰わないと!」
「(本当は火煉に似た部分を持つ彼のことを気に入っているんじゃないの?というか、『書庫』だけでは飽き足らず白帝学園の近くまで行ってたの!?初耳よそれ!?)」
そう思いたかったのだが、飛嶋が明かす新情報を聞いて深読みするのが馬鹿らしくなってきた都城は思考を中断し、
“掃除屋”が残していった悪臭を追い出すのと同時に清らかな空気を取り込むために窓を思い切り開けた。
少女達と触れ合った新しき風は、強烈な香りを伴いながら次なる清掃場所へと駆けて行く。それは、星々の間を流れる箒星(すいせい)の如く。
continue…?
最終更新:2014年03月29日 23:30